講演会:政宗歴史塾 - 瑞鳳殿発掘から40年(2)
さて、休憩を挟んで副葬品の解説。
縦に棒状になっているのは脇差。
刃の部分は朽ちてしまい、鞘の一部のみが見えてます。
となりは甲冑の胴。鎧櫃はあったようですが、
朽ちてなくなってしまったようですね。
なんでも湿度92%の環境だったとか・・・(汗)
筋兜の解説も。鉄板を張り合わせてつくってるから
筋ができるのであって、中がツルンとしているのは、
筋兜ではないんですね。ほぅほぅ。
円月形の前立てもあったのでしょうが、
木でできた軽いものなので、
こちらも朽ちてしまったのでしょう。
鉄でできていたら・・・とすると、
枝に引っかかったら、落馬しちゃいますよね、と。
実戦に使えないと意味がない・・・!!
壊れるからこそ、実戦で使えるわけですな。
ちなみに、弦月の前立は当主のみと決まっていて、
家臣は八日月と決められているのだそうです。
兜について、ちょっとしたエピソード。
仙台青葉祭り、泰宗氏も毎年政宗公役で
参加されているわけですが、今年馬廻の方が
兜の緒を締めさせてくださいと言われたことがあったとか。
てっきり衣装の専門家かな?と思ってお任せしたところ、
ぎゅーっとメッチャきつく締められたそうで…
聞くとなんでも相馬からお越しになった馬廻の方。
相馬と戦争しまくった政宗公ですが、
こんなところで仕返しされるとは・・と(笑)
パレードする間、メッチャ痛かったそうで・・・!!
終わった後、ドーナツ型のコブが出ていたそうです(汗)
やっぱりあのパレード相当、大変みたい。
わたしも甲府で武田二十四将騎馬行列やったので
多少はわかりますが、慣れないとホント大変。
続いては、仙台五枚胴具足。
五枚胴というのは、五枚の鉄板でつながっている
ということでこう呼ばれているそう。
風呂敷一枚に収められ、コンパクトにしまえるとか。
それでいて、鉄砲の弾からしっかり身を守ってくれる。
装飾の意味で漆を吹き付けますが、実戦向けにも
意味があって、防いだ弾を横に弾く効果があるそうです。
必ず鉄砲で試し撃ちをして貫通しなければ合格、
という検査を通ったものだけが、甲冑になるんですよね。
ということで、凹みが必ずあるわけです。
こちらの甲冑は1586年に人取橋合戦で政宗公本人が
着用したと記録があるそうですが、残念ながら保存状態が
極めてよくないため、現物の鑑定ではわからなかったそう。
人取橋合戦というと、屈指の苦戦を強いられた合戦。
傷がたくさんあってもおかしくはないですが、
敢えてこれを瑞鳳殿に収めるというのは、
なにか政宗公本人にとっても思い入れがあったんでしょうか。
あと、番が後ろから前に架かっているのにも意味があって、
乱戦になったときに、後ろから掴まれないように
ということなんだとか。なるほど・・・
これらの甲冑は、かの有名な明珍家がつくっていたようで
伊達家仕様の甲冑の図面が残っているそうです。
ものすごい軍事機密!今では、明珍火箸ということで
お名前が残っていますよね。
人を殺める道具を作ってきた歴史に向かい合い、
鎮魂の意味もこめて、火箸を作り続けてられるそうです。
漆塗りの蒔絵箱。これだけみると、
ものすごいいい状態で発見されたように思えますが…
X線を当てて内部をみると、セルロースが溶け出し
スポンジ状になっていて非常に脆い状態。
これ、漆の皮膜がいまだにがっちりと形をとどめ
バラバラになるのを防いでいたんですね。
漆皮膜がすごい頑丈なんだなという実証例ですね。
その他、硯や筆入れなど筆まめな政宗公らしい副葬品も。
硯には墨を摺った痕、水滴には水が残っていたそう。
亡くなる直前まで手紙を書いていたそうなので、
その最後に筆を執ったときのものなのでしょうかね・・!!
喫煙具や日時計なども。ハッキリ持ち主がわかっている
というものでは、日本最古になるそうです。
鉛筆もあったなー。シャーペンのような先に芯を
入れるような構造だったそうですね。鉛筆といえば、
家康も愛用品が残っていますが、おそらく家康から見せられて
自分でもつくらせたのだろう、とのことでした。
西洋からの伝来した金のブローチは、いろんな
時代背景や政治的な示唆があっておもしろい。
カトリック信者が身に付けていたブローチだそうで、
これが瑞鳳殿から発見されるというおもしろさですね。
幕府に見つかると非常に危険な品だったはずであり、
泰宗氏の推測としては、支倉常長からの献上品では?
ということをおっしゃっていましたね。
すべての副葬品を取り出した様子。
ぴっちりと石室の石と石の目が詰まってます。
完全密封された空間。
石材加工技術がすごいのはもちろんのこと、
石材に臍を組んでいたということだそうで、
今これをやれといわれてもできないみたいですね・・・
再埋葬の様子。泰宗氏はここに立ち会われたのですね。
内側に新しい石組みを備え、鎧櫃も新調して
丁寧に副葬品が納められていますね。
政宗公、安らかに・・・・
非常に楽しく、興味深い講演でした。
伊達泰宗氏のお話を聴く機会がもっとあればと思った次第。
ありがとうございました!
さて、せっかくなので続いて瑞鳳殿にお参りにも。
なんと講演参加者は無料!
手水場跡の石垣。明治維新後の廃仏毀釈の折り、
伊達家は祭祀を神式に切り替えた・・ということで、
昔はここに手水場があったんだな。
すっかり七夕仕様な瑞鳳殿涅槃門。
拝殿内も。
夕陽を浴びて光り輝く瑞鳳殿本殿。
瑞鳳殿のお話を聴いた直後だからなおさら、
いろいろ感慨深く、手を合わせました。
もちろん、二代三代公にもご挨拶です。
そして、牛タンいただいて・・・定番すな。
新幹線内では、伊達おかきと伊達で晩酌。
ふふふふ・・・!!(駅では伊達ハイボールも飲んでる)
ということで、興味深い伊達な旅でありました。
今年でこれで仙台2回目。まだもう一回くらい
行きそうな予感・・・行きすぎ(笑)
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