城フェスvol.3 官兵衛の城 スペシャル 2014
さて、こちらももはや1ヶ月以上経っちゃいましたが、
お台場の東京カルチャーカルチャーにて
行われた城フェスvol.3について、アレコレ。
東京カルチャーカルチャーというと、実はけっこう
よく行くイベントスペースなんですよね。
最近はちょっとご無沙汰だったんですが・・・
醤油に目覚めた利き醤油の会とか・・三回とも行ったし。
第1回、第2回、第3回。
国産ウイスキー飲み比べとか・・
利きオリーブオイルは行けなかったんだよね・・・
それにニッポンの穴のぞきっていう廃墟特集とか
(これは記事にしていない・・・みたい)
まー、ちょくちょく行っていましたが、
城をテーマにカルカルに行くことになるとは思いもせず。
そんな今日は、進行役にかみゆ歴史編集部・滝沢弘康代表、
城メグリストこと萩原さちこさん、そして関西から
城郭研究の重鎮・中井均先生・加藤理文先生をお招きして、
お城を話を楽しませていただきましたよ☆
中井先生と加藤先生の楽しそうな顔・・・(笑)
実は、このかみゆさん知ってる方がちらほら・・
いや・・ちらほらじゃないな、かなり・・
歴史好きのツナガリといいますか、世の中狭い
といいますか、そんなことも感じつつ。
さて、今回のテーマは官兵衛の城。
まずは、「官兵衛の城を語る」ということで、
中井先生・加藤先生、そして城メグさん。
■「官兵衛の城を語る」
官兵衛の城を播磨時代、中国時代、九州時代に分け
語っていただきました。
初心者向けで・・ということもあり、
この姫路城じゃないよ?というご説明。
変遷がおもしろいのは確かですよね・・・
必ずしもお城好きだからといって、
大河ドラマを見るもんじゃないですけれども・・・
加藤先生が小和田先生に会ったときに質問されると
困るので・・・小和田先生監修の大河は見ます!
とおっしゃってて、ハイボール吹きそうになりました(笑)
一方、中井先生は人物よりも、城そのものが好きと
いうことで筋金入りの城好きなんだな・・と。
今回の大河では、播磨時代の姫路城は、
中世城郭らしく描かれてたよね?という話から
御着城の構造からある程度、想像できるんじゃないか?
ということでした(中井先生)。
五着城、ちゃんと行かないとね・・・・
今年の頭に眠さのあまり、スキップしちゃったからな・・
そして、最近は部分部分で見れば、違うところも
あるとはいえ、イメージとしてはかなりいい線を
いってるね、と加藤先生。
この後、プチ山城解説講座が始まったのですが、
何が印象的だったかって、両先生とも
山城がなかったら山に行かない(キッパリ
ってとことですかね(笑)
そして、秀吉に仕えて飛躍していく時代。
高松城の水攻めや鳥取城の兵糧攻めなんかが
官兵衛が献策したことになっているなっているわけですが、
城目線と関連して、陣城の話に移っていきました。
秀吉の中国攻めって、如何に自軍に損害を出さずに
城を落とすか・・というところが光ってますよね。
城を力攻めするのは、下の下の策ですわな。
太閤ヶ平と鳥取城の話。中井先生が突出の出来栄え
と絶賛する陣城群。信長公記にも大将軍のために
つくった砦と記載されているそうです。
つまり、信長を鳥取攻めに迎えるための本陣
ということなんですね。秀吉らしいよね・・・・
そして陣城作戦ですが、家康もけっこうやってるんですね。
加藤先生は、三方が原の件があるので、
家康にあまりイメージがないけどかなりやってると。
そういえば、横須賀城なんかも武田の高天神城を
包囲する陣城的な要素の強い城ですよね。
秀吉が太閤になっちゃってるので、いつの間にか
秀吉の得意技になっているんじゃないか・・・
そりゃそうだよね、兵力を温存して相手を挫くことを
考えたら、誰しもやりますよね?
九州の官兵衛の城としては、中津城や福岡城を
イメージしていましたが、馬ヶ岳城を挙げられてました。
山上は中世っぽいつくりだそうですが、
山麓に行くにしたがって、かなり技巧的な様子だとか。
この技巧的・・・なのは、豊臣軍に備えた遺構とも
考えられつつ、関ヶ原後に長政が入った際に
つくった可能性も否定できない・・とか。
そういうのも含めてのおもしろさってありますよね?
■「官兵衛と黒田六端城~城から見る戦略~」
陣城の話題から続く感じですが、黒田六端城について。
豊前(官兵衛の後中津に入封)の細川忠興に備えた陣城群。
関ヶ原合戦後ではありますが、一国一城令が1615年ですので、
それ以前のある意味、ピリピリ緊張した時期。
鳥取城などと比較した場合、米子城や倉吉城などは
有力家臣に与えて城下町を形成させていますが、
六端城は城下経営をしていたかどうか?がポイント、
と中井先生が指摘されていました。
六端城のひとつ、松尾城の鳥瞰図。
これには思わず感嘆。おおーっっ!!!
右側が北に当たるのですが、北側の櫓台、
東西の横矢掛や南の虎口跡もよくわかりますね!
こちらがその図面。かなり発掘も進められ、
建物跡の位置もよくわかっているようです。
実際の写真。破城の様子を残しながら、
復元されているのだそうですよ。
築城時そのものをイメージされていそうな箇所も。
ふむ・・・いい城のようです。
■「築城名人NO.1は誰?」
続いては、人物と城を絡めたお話・・・築城名人。
黒田官兵衛も築城の名手として知られてはいますが、
官兵衛と他の築城名人との比較をしてみようという話。
最初、肖像画だけを出されてひとりだけわからんでしょ?
といわれてホンマにわかたんかった・・のは、
堀尾吉晴がいて・・・ビックリ。
堀尾吉晴といえば、亀山城違いで天守を取り壊した
オッチョコチョイのいめーじしかなく・・(苦笑)
名前発表。もちろん、ここで馬場美濃だぁぁぁぁぁーーー!!
となったのは、各々方予想の付くところだと思いますが(笑)
最初に出てきたのは、まんまる田中城。
行きましたね~!
かなり田中城も変遷していて、この後には
丸馬出の奥に近世的な枡形虎口ができたりして、
中世と近世のコラボがあったりするとこも好き・・・!!
ただ縄張りの基本プランを考えたのは、
馬場美濃・・なのかはさておき、武田家中で
セオリーになっていたことは間違いなさそう。
写真には撮れませんでしたが、諏訪原城。
やはり、武田時代には主曲輪くらい程度の小さな城で
ダイナミックさにわーきゃーしていた
あの丸馬出は、徳川時代だろうと推定されてるみたい。
加藤先生曰く、武田はそんなに丸馬出を
「多用はしていない」ということだそうですね。
しかし、ある意味それは土の城としての築城手法として
武田→徳川の連続性を感じるトコかな、とも思いました。
なぜなら、躑躅が崎館の丸馬出は、豊臣の改修で
丸馬出が完全に破壊されて石塁で防御する仕組み。
つまり、豊臣式につくりかえているわけですよね?
一方徳川は、やりすぎ感はあるとはいえ、
丸馬出の思想を受け継いでいるというのは、
武田の考え方に徳川が馴染んでいると言えるかな?と。
そういう意味で、徳川の軍事的な影響力として
武田は外せない大きな礎だったんではないかな?
と推測したりもできるわけですよね。
続いて、丸子城。のっけから徳川です・・って!
マジですか・・・!!!
典型的な武田の城だといわれていましたが、
こちらも徳川らしいですよ!
この前に少しお話できた西股先生は
丸子城、最終築城徳川説に反論されてましたが(笑)
確かに諏訪原城の土木量を徳川と仮定すると、
あの規模のすごさが武田といえるか?という説も
成り立ちうる気はしますが・・・加藤先生の論拠も
土木量的に武田ではなく徳川という判断でした。
山縣昌景の修築した貴重な城なので、まだしばらく
武田の城説側にしばらく立っておきますが(笑)
修築時期を天正壬午以降の徳川とするなら、
確かに動員人員は明らかに武田を凌駕しますよね。
武田の最大が石高換算で150万石程度であるのに対し、
徳川は関ヶ原で総勢250万石。関八州移封前の
駿河・遠江・甲斐・信濃の旧武田領国と本領三河、
だとしたら、200万石弱になるでしょう。
問題はこの50万石の違いあるいは100万石の違いで
規模の大きさを説明できるか?だとして、
その目的は何か?というところがポイントですかね。
ただ・・・加藤先生は、徳川の手が入っている
といえるのに、徳川に築城名手の名が上がる人物が居ない
という点にも着目されていました。
それはとりもなおさず、武田の技術が活きていた証であり、
徳川が武田に学び、大型化させていったとはいえるでしょう。
それもまた武田と徳川の連続性が・・・(二回目)
さて、豊臣の時代になって、豊臣大坂城。
一応、縄張りをつくったのは・・・
官兵衛が奉行を命じられている割には・・・
たいしたことないな(加藤先生)ですってorz
加藤先生は、これで事足りていたという解釈を
されていましたが・・・これはどうなんかな?と感じます。
黒田官兵衛が大坂城普請に携わったのは、
ちょうど天守を上げる位までの時期だったはずで、
信長後継者として、安土城天主を超える
天下人たるに相応しい天守を求めていた頃。
まず最初に天守建造を指示している位ですから…
とすると、大坂城築城の優先順位として
守るための構造よりも天下に覇を唱える天守が先で
防御構造としての縄張りは後回しになったのかも?
とすると、防御構造的にそうすごくもないのも
辻褄は合いますよね。と、豊臣大坂城に
最大限のフォローを心の中で入れていました(笑)
続いては、堀尾吉晴の松江城。
本丸はぐるりと多聞櫓で囲み、横矢を配し、
枡形を固め・・狭間も200を超えるすごい様相。
天守にも籠城できる施設をもっており、
ものすごく戦闘的な構造をしているとの指摘。
本当はもっと厳重にできるのだけど、
外郭は後の拡張ではかなり簡略化している・・のは、
築城期の違いを示しているんですね・・・
にしても、あっちに行かせたりこっちに行かせたり
という折れの構造が豊臣らしい・・・とな。
こういう複雑性は確かに魅力的ではありますよね!
続いては、岡山城。
岡山城も池田の段階で石垣を継ぎ足し、
曲輪を足して堅固な城に・・って、え?それだけ?(汗)
そして、広島城。
この絵図は、関ヶ原のあと福島正則の時代。
川沿いの二重櫓の多さに着目、これも領国を固める
福島のやりすぎを表し。関ヶ原直後の緊張感の一端だとか?
櫓が多すぎなのは、全国一ですからね・・・
黒田六端城のひとつ、鷹取城。
この復元図・・・多聞櫓で覆いまくっている・・・!!
ピュアに戦闘性に特化した近世の城ですね・・・
こんな城入りたくない、死にに行けというもんだと(笑)
黒田の本城・・福岡城。
本丸以外はたいしたことないね・・・という話で
バッサリ・・(笑)
あれ?天守があるよ?と中井先生からツッコミ(笑)
加藤先生は礎石があるからあったんじゃないの?と
軽い扱い・・・・orz やっぱり平和な時代になったから?
赤穂城にしても、明石城も礎石がないでしょ?
ま、そらそうですが・・・あの礎石自体もごにょごにょ。
近世姫路城。こうしてみると、誘い込んで撃滅する
タイプの城という縄張りがよくわかりますね。
伊予松山城。これも関ヶ原直後・・・・
鳥瞰図でみると、御殿も含め囲い込んでる
様子がよくわかりますね。
ってここまでいろいろ見てきても、
熊本城の戦闘性のすごさが際立ちますね・・・
やはり強い城だわね。
ここまではとにかく強い城へ、という思想ですが、
藤堂高虎の城を見ていくと・・・・
やはり「省力化」がキーワードになってきますね。
まずは今治城。
方形の縄張り、海側を意識しそちらに徹底的に
櫓を築いて防備を固め、省力化しつつ防備を固める城。
それが、高虎の城・・・うんうん。
その方形プランの極みが、名古屋城。
角馬出をつかって効率的な防御を図っています。
防御力の高さだけでなく、守りやすい城。
逆に、対照的な赤穂城。軍学者の城として
知られていますが、名古屋城と対比的に見ますと、
守る側のスキルとコストに配慮してないな?
という感じがしますよね。誰が入っても守れる城。
赤穂城、たぶん赤穂城を知り尽くした人しか
たぶん守れない・・・戦国末期の戦に
手馴れた武将ならともかくも・・・
って考えると、明治にその強さを遺憾なく発揮した
熊本城は、清正の個性が出る豊臣性がありつつ、
実は守りやすい城・・・・だったのかもしれませんね。
■「倭城を語る」
最後は倭城特集!
最初に城メグさんの倭城観。
敵地に乗り込んで、必要に迫られてできた倭城、
短期間にすごい築城技術が進化しているんだな!という点。
一方で戦地にあるわけで戦争に特化しているかいうと
そうでもなく、キッチリ威圧する側面が織り込まれている点。
これが城メグさんの印象だそうです。
ほほー・・・前者は想定通りなんですけど、
政治的な側面を倭城も持ってるんだとビックリ。
そして、写真で振り返る倭城。
中井先生と加藤先生の仲良しぶりの披露(笑)
縄張図を描く中井先生。このトランスモードになると
一切まわりの問いかけがシャットアウトされるそうです(笑)
城メグさんオススメの初めて行くなら、この倭城。
やはり、西生浦城と・・・・
蔚山城。やはり皆さまのご意見は一致していますね。
倭城もやはり、何度行っても勉強になると中井先生。
築城年代がハッキリしていて、ものさしにつかえるぞ?
というだけでなく、この時期の築城技術・思想が
その後の城郭史に大きな影響を与えていくという点が
やはりおもしろいと。特に石垣の技術ですよね・・・・
中井先生がもうひとつ興味深いエピソードを。
文禄慶長の役で日本に連れてこられたある儒学者が、
日本の城を評して「必守の城」朝鮮半島の城を「民を守る城」
という見方をしているんだそうで、日本の城の特徴を
表しているんじゃないかな?ということでした。
そして、加藤先生は準備をしっかりしておけよ!
とコメント。やはり、行きなれた方と行くのがいいですかね。
ひとつ、気になったことは虎口をふさいだ痕跡があり、
そこから占領にいくという戦いの違い、
そして猛烈な抵抗と緊迫感がふさいだ虎口から分かるとか。
むむむ・・・興味がありますね。
ふたつ、倭城は線で以って守り、曲輪をもった面で
守るという思想とは少し違うのも倭城の特徴なんですって。
ここで、登り石垣という思想にもつながるのかな。
クイズ大会・・・もあったのですが、
すっかりカスカスで何も当たりませんで・・・orz
その後、アフターパーティにも参加させて頂きましたが
まぁ、知ってる方の多いこと(笑)
いやいや楽しい時間でありました。
また城フェスvol.4も楽しみですーぅ☆
城フェスオフィシャルレポートもご一緒にどうぞ!
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