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大和に武田の遺香を感じて・・・馬場塚。

さてさて、続いては・・・馬場塚。
この塚があるのを知ったのは、
武田神社崇敬会会報誌で取り上げられていたから。

近鉄橿原線にて、ファミリー公園前駅下車。
重要文化財中家住宅近くです。

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てくてく歩いていると、馬場産業なる看板が・・・
ハッ!もしやご子孫様ですか!

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けっこうこのあたりには、馬場姓が多いみたいで、
子孫が長篠合戦後に大和まで落ち延び定住し、
供養のために塚を立てたのが始まりだとか・・・

しっかし、あたりは畑だらけ、正月ですし、
ひとっこ一人おりません・・・弱ったな・・・

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うろうろしていると・・・あ!馬場さんがここにも!
といったちょうど裏手にそれらしい五輪塔!

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ただ裏手なので、表に廻らないと・・!
よしよし、こっちが表。

P1360705

馬場美濃の子、馬場信久とありますが、
正確には甥でありまして、弟・馬場信頼の子だったはず。
ま、いずれにしても馬場家の出でありますね。

武蔵から来ましたぜ、馬場さま!

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ただ、花が添えられているのは後ろで、
こちらが前のようですよ・・がくっ

P1360730

非常に読みにくいですが、

前敬礼司(さきのきょうらいし)
氏勝墓
民部少輔

とあります。きょうらいしとは、通常
教来石と書きますが、当てる漢字が如何様にも
揺れる当時ならありえることではありますね。

時計回りに文字が刻んでありますので、
読んでいきましょう。

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甲陽武田家臣百廿騎之大将
仕信虎公信玄公勝頼公而
有戦功後依信玄公之命改
馬場美濃守信房矣

戦于三州長篠引率七百人
初戦既得勝敵者多勢而十倍・・・

くらいまで読めました。

ここはちょうど日陰になっていて、
文字が判別しにくい・・・

P1360757

ですが、こちらのサイトによると、
このようにあるそうです。

於味方勝頼公諸勢不得防而敗北
於是美濃守討死于時
天正三乙亥年五月廿一日

実は、諏訪原城にて初めて馬場氏勝という名を目にし
実は異称として伝わっていることを知りました。

教来石景政に始まり、馬場姓を賜って
信房、信春と改名しているのは知ってはいるのですが…
ひょっとすると、「勝」の字から、
勝頼の偏諱で勝頼期にも改名しているのかも。

にしても、「勝氏」ではなく「氏勝」なのは、
ちょっと気になるところではあるのだけど・・・

いずれにしても、こうして長く馬場美濃さんを
想って弔われてきた供養碑がきちんと
整備されるのはうれしいことだよね。

さて、せっかくここまで足を伸ばしたので、
中家住宅も見ておきましょうかね。

住宅というか、城ですよね・・・
思いっきり濠を巡らせてますし・・・

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ここなんて、濠が丸々残ってますし!

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正面。いざというときは橋を壊して・・・
どう考えても城だ☆

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そして、ツイートで知った多聞山城移築門。
旧石田家住宅の門ではあるのですが、
ただ今はお手入れをする方がいないそうでして、
かなり傷んでいる様子・・痛々しい。

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もともと多聞山城の城門で、多聞山城を攻め陥した
筒井順慶が「石田氏」に譲り渡した
という謂れがあります。しかし、このままでは・・・

せっかく大和まで足を伸ばしたので、
大和郡山にも寄っていきました。
大和郡山というと、柳澤氏のお膝元。

柳澤氏は武田の傍流の傍流の傍流のぼう・・しつこい!
というわけで武田のゆかりといえなくもないのです。

というのは、次記事にて。

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