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2014年3月

秩父ウイスキー祭り前夜祭・・・秩父蒸留所見学☆

さて、しばらくウイスキーネタにスイッチ!
先月23日は、秩父ウイスキー祭りでした。

いやいや例の大雪で開催が一時は危ぶまれましたが、
なんとか開催に漕ぎ着けてくださった関係者に感謝。

今回は西武線を使わず、八高線と東武、秩父鉄道。
なかなか長旅になってしまいました。

わたしは前日の22日の秩父蒸留所見学から参加。
秩父の見学自体は3回目。なかなか見学できない秩父、
こんなに見学させてもらってるのはありがたい限り・・・!!

過去の記事はこちら・・・
■1回目 2010年
その1 その2 その3

■1回目 2012年
その1 その2

まずは腹ごしらえです。豚味噌・・が秩父の名物でもある
ってことで、頂きました。おーいしっ。

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特に名物ではないようですが、舞茸の天ぷら。
超好物の舞茸、天ぷらが一番サイコウです・・・!!

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会場は秩父神社。秩父神社の門にも「秩父ウイスキー祭」。
見学に先立って、参拝いたします。

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日ノ本の八百万の神々にも、異国の酒はお気に召しますかね・・
いや、もはやウイスキーは日ノ本の酒ですね。

奥に見える社殿は、徳川家康の寄進だそうで・・・
だからあちこちに徳川葵が見えるんですな。

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1592年の寄進ですから、関八州に転封になってすぐ。
どのような由来で家康が寄進することになったかまでは
知らないのですが、捨て置けない重要な社だったんでしょうね。

創建が武蔵国成立以前より栄えた知知夫国まで
さかのぼるという由緒正しい神社ですからね・・・

徳川葵と菊花紋の鬼瓦。色彩の華やかなところは、
桃山時代をイメージさせますよね。

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奥には皇室の菊花紋もありますが、徳川葵が
若干主張しすぎなんじゃないの・・という気も(笑)

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ありました!秩父蒸留所の樽が!
知知夫彦命も一杯やってはるのでしょうか?(笑)

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子育ての虎。虎がいない日本では、
あくまで想像するしかなく、虎の柄が雄の虎、
豹の柄が雌の虎だと思われていたんだよね。

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本来は知知夫神社なんですよね。
知知夫彦命を祀る神社だから。

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さて・・・そうこうしている間にバスがやってきました。
3度目の秩父蒸留所へ!!まっつりー!

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お決まりのミルから。ここでモルトを頂いたり、
ハスク、グリッツ、フラワーのお話を聴いたり・・・

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キルン塔。いよいよ秩父産の大麦でつくった
モルトからウイスキーが造られる日も近いようです。
いいウイスキーが造れそうだということで、
作付面積を増やしていただいているんだとかっ!

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春からは1t単位のフロアモルティングができるらしく、
その様子とか見たいですよね・・・わくわく。

そして、糖化工程のご説明。投入するお湯の量が
若干違っていました(-100ℓくらい)

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あ、なんかしてる!

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3回目の濾過に使われるほぼ沸騰した湯を
ためておくタンク。洩れなく糖分を回収する知恵。

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そして、ミズナラのウオッシュバック。

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いつもの通り、醗酵中の様子を見せていただきましたが、
写真撮るの忘れた・・・・くっそ!

増えましたかね・・・8槽ありました。

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蒸留器。左が初留釜(ウオッシュスチル)、
右が再留釜(スピリットスチル)。

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なかなかこうして下からポットスチルを
見上げられる蒸留所は珍しいかもしれませんね。

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神棚のある蒸留所。今回初めて気づきました…
3度目にしてようやく(汗)

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昨年、肥土さんが一目惚れして購入された
卵型のマリッジタンク。昨年末にフランスのタランソー
という樽会社で見つけたそうです。

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樽と同じ材質のタンクでマリッジしたい、
フレンチオークのマリッジタンクがほしかったとのことで、
ワインウッドリザーブのマリッジに使う予定だそう。

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フレンチオーク製だそうで、卵型は対流が起きやすく
マリッジのなじみが進みやすいとか?

従来のマリッジは、ミズナラ製。

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将来的には、ホワイトオーク製のマリッジタンクも
導入予定だそうですよ?

最後は、貯蔵庫。深呼吸タイムです(笑)

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唯一の温度調節は、あの小窓のみ。
秩父の自然の影響を受けたウイスキーをつくりたいから、
ダンネージスタイルを貫いています。

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樽の話になったときに、いまや新樽とさほど
変わらないくらいまで、バーボン樽の空き樽の値段が
高騰しているんだそうですね・・・

加えて、バレルエージングというビールを樽で
寝かせるなんてのも多くなってるそうで、
樽の需要は伸びる一方だとかで・・そうなんだ。

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あ、わたしが好きなチビ樽!樽の両端を切り落として、
接地面を増やして熟成を早くした樽。

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秩父はいろんな樽を試しているイメージがありますが、
秩父に合う樽とは何か?を長い年月をかけて
探っていこうという意図があるんですね。

国産ワイン樽。井筒ワインから。
日本産ワインの樽に育まれた
日本のウイスキー。楽しみですね!

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では・・・・秩父蒸留所、さらば!
また、来たいね・・・・2010年、2012年、2014年。
次は、2016年かな?(笑)

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最後に聞いたお話。もう羽生は100丁くらいしか
樽が残ってないんですってね・・・そりゃ、
ソサエティのアレもあんだけ高くなるのかな・・・・

そして、秩父の夜をバーで過ごします。
Te・Airighさん。

す、す、すみません・・・マイウイスキーづくりの
余市があったもんで秩父なのに・・・
つい頼んでしまいました(笑)

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シングルカスク余市2003 10yo
ワックスのようなツンとしたアルコールの刺激、
濃厚なブルーベリー、甘いシロップで絡ませたナッツ。

飲み口はドライで甘みはあまりなく、建材や鉛筆感。
多少渋みが強く人を選ぶかもしれないが、新樽の渋み好き…
ということで、こちらもかなりの好みの逸品。

自分のマイウイスキー余市の出来栄えが、
楽しみでしょうがない!と思った秩父の夜。

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城フェスvol.3 官兵衛の城 スペシャル 2014

さて、こちらももはや1ヶ月以上経っちゃいましたが、
お台場の東京カルチャーカルチャーにて
行われた城フェスvol.3について、アレコレ。

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東京カルチャーカルチャーというと、実はけっこう
よく行くイベントスペースなんですよね。
最近はちょっとご無沙汰だったんですが・・・

醤油に目覚めた利き醤油の会とか・・三回とも行ったし。
第1回第2回第3回
国産ウイスキー飲み比べとか・・
利きオリーブオイルは行けなかったんだよね・・・

それにニッポンの穴のぞきっていう廃墟特集とか
(これは記事にしていない・・・みたい)

まー、ちょくちょく行っていましたが、
城をテーマにカルカルに行くことになるとは思いもせず。

そんな今日は、進行役にかみゆ歴史編集部・滝沢弘康代表、
城メグリストこと萩原さちこさん、そして関西から
城郭研究の重鎮・中井均先生・加藤理文先生をお招きして、
お城を話を楽しませていただきましたよ☆

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中井先生と加藤先生の楽しそうな顔・・・(笑)

実は、このかみゆさん知ってる方がちらほら・・
いや・・ちらほらじゃないな、かなり・・
歴史好きのツナガリといいますか、世の中狭い
といいますか、そんなことも感じつつ。

さて、今回のテーマは官兵衛の城。
まずは、「官兵衛の城を語る」ということで、
中井先生・加藤先生、そして城メグさん。

■「官兵衛の城を語る」

官兵衛の城を播磨時代、中国時代、九州時代に分け
語っていただきました。

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初心者向けで・・ということもあり、
この姫路城じゃないよ?というご説明。
変遷がおもしろいのは確かですよね・・・

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必ずしもお城好きだからといって、
大河ドラマを見るもんじゃないですけれども・・・

加藤先生が小和田先生に会ったときに質問されると
困るので・・・小和田先生監修の大河は見ます!
とおっしゃってて、ハイボール吹きそうになりました(笑)

一方、中井先生は人物よりも、城そのものが好きと
いうことで筋金入りの城好きなんだな・・と。

今回の大河では、播磨時代の姫路城は、
中世城郭らしく描かれてたよね?という話から
御着城の構造からある程度、想像できるんじゃないか?
ということでした(中井先生)。

五着城、ちゃんと行かないとね・・・・
今年の頭に眠さのあまり、スキップしちゃったからな・・

そして、最近は部分部分で見れば、違うところも
あるとはいえ、イメージとしてはかなりいい線を
いってるね、と加藤先生。

この後、プチ山城解説講座が始まったのですが、
何が印象的だったかって、両先生とも
山城がなかったら山に行かない(キッパリ
ってとことですかね(笑)

そして、秀吉に仕えて飛躍していく時代。
高松城の水攻めや鳥取城の兵糧攻めなんかが
官兵衛が献策したことになっているなっているわけですが、
城目線と関連して、陣城の話に移っていきました。

秀吉の中国攻めって、如何に自軍に損害を出さずに
城を落とすか・・というところが光ってますよね。
城を力攻めするのは、下の下の策ですわな。

太閤ヶ平と鳥取城の話。中井先生が突出の出来栄え
と絶賛する陣城群。信長公記にも大将軍のために
つくった砦と記載されているそうです。

つまり、信長を鳥取攻めに迎えるための本陣
ということなんですね。秀吉らしいよね・・・・

そして陣城作戦ですが、家康もけっこうやってるんですね。
加藤先生は、三方が原の件があるので、
家康にあまりイメージがないけどかなりやってると。

そういえば、横須賀城なんかも武田の高天神城を
包囲する陣城的な要素の強い城ですよね。

秀吉が太閤になっちゃってるので、いつの間にか
秀吉の得意技になっているんじゃないか・・・
そりゃそうだよね、兵力を温存して相手を挫くことを
考えたら、誰しもやりますよね?

九州の官兵衛の城としては、中津城や福岡城を
イメージしていましたが、馬ヶ岳城を挙げられてました。
山上は中世っぽいつくりだそうですが、
山麓に行くにしたがって、かなり技巧的な様子だとか。

この技巧的・・・なのは、豊臣軍に備えた遺構とも
考えられつつ、関ヶ原後に長政が入った際に
つくった可能性も否定できない・・とか。
そういうのも含めてのおもしろさってありますよね?

■「官兵衛と黒田六端城~城から見る戦略~」

陣城の話題から続く感じですが、黒田六端城について。
豊前(官兵衛の後中津に入封)の細川忠興に備えた陣城群。
関ヶ原合戦後ではありますが、一国一城令が1615年ですので、
それ以前のある意味、ピリピリ緊張した時期。

鳥取城などと比較した場合、米子城や倉吉城などは
有力家臣に与えて城下町を形成させていますが、
六端城は城下経営をしていたかどうか?がポイント、
と中井先生が指摘されていました。

六端城のひとつ、松尾城の鳥瞰図。
これには思わず感嘆。おおーっっ!!!

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右側が北に当たるのですが、北側の櫓台、
東西の横矢掛や南の虎口跡もよくわかりますね!

こちらがその図面。かなり発掘も進められ、
建物跡の位置もよくわかっているようです。

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実際の写真。破城の様子を残しながら、
復元されているのだそうですよ。

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築城時そのものをイメージされていそうな箇所も。
ふむ・・・いい城のようです。

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■「築城名人NO.1は誰?」

続いては、人物と城を絡めたお話・・・築城名人。
黒田官兵衛も築城の名手として知られてはいますが、
官兵衛と他の築城名人との比較をしてみようという話。

最初、肖像画だけを出されてひとりだけわからんでしょ?
といわれてホンマにわかたんかった・・のは、
堀尾吉晴がいて・・・ビックリ。

堀尾吉晴といえば、亀山城違いで天守を取り壊した
オッチョコチョイのいめーじしかなく・・(苦笑)

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名前発表。もちろん、ここで馬場美濃だぁぁぁぁぁーーー!!
となったのは、各々方予想の付くところだと思いますが(笑)

最初に出てきたのは、まんまる田中城
行きましたね~!

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かなり田中城も変遷していて、この後には
丸馬出の奥に近世的な枡形虎口ができたりして、
中世と近世のコラボがあったりするとこも好き・・・!!

ただ縄張りの基本プランを考えたのは、
馬場美濃・・なのかはさておき、武田家中で
セオリーになっていたことは間違いなさそう。

写真には撮れませんでしたが、諏訪原城。
やはり、武田時代には主曲輪くらい程度の小さな城で
ダイナミックさにわーきゃーしていた
あの丸馬出は、徳川時代だろうと推定されてるみたい。

加藤先生曰く、武田はそんなに丸馬出を
「多用はしていない」ということだそうですね。

しかし、ある意味それは土の城としての築城手法として
武田→徳川の連続性を感じるトコかな、とも思いました。

なぜなら、躑躅が崎館の丸馬出は、豊臣の改修で
丸馬出が完全に破壊されて石塁で防御する仕組み。
つまり、豊臣式につくりかえているわけですよね?

一方徳川は、やりすぎ感はあるとはいえ、
丸馬出の思想を受け継いでいるというのは、
武田の考え方に徳川が馴染んでいると言えるかな?と。

そういう意味で、徳川の軍事的な影響力として
武田は外せない大きな礎だったんではないかな?
と推測したりもできるわけですよね。

続いて、丸子城。のっけから徳川です・・って!

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マジですか・・・!!!
典型的な武田の城だといわれていましたが、
こちらも徳川らしいですよ!

この前に少しお話できた西股先生は
丸子城、最終築城徳川説に反論されてましたが(笑)

確かに諏訪原城の土木量を徳川と仮定すると、
あの規模のすごさが武田といえるか?という説も
成り立ちうる気はしますが・・・加藤先生の論拠も
土木量的に武田ではなく徳川という判断でした。

山縣昌景の修築した貴重な城なので、まだしばらく
武田の城説側にしばらく立っておきますが(笑)
修築時期を天正壬午以降の徳川とするなら、
確かに動員人員は明らかに武田を凌駕しますよね。

武田の最大が石高換算で150万石程度であるのに対し、
徳川は関ヶ原で総勢250万石。関八州移封前の
駿河・遠江・甲斐・信濃の旧武田領国と本領三河、
だとしたら、200万石弱になるでしょう。

問題はこの50万石の違いあるいは100万石の違いで
規模の大きさを説明できるか?だとして、
その目的は何か?というところがポイントですかね。

ただ・・・加藤先生は、徳川の手が入っている
といえるのに、徳川に築城名手の名が上がる人物が居ない
という点にも着目されていました。

それはとりもなおさず、武田の技術が活きていた証であり、
徳川が武田に学び、大型化させていったとはいえるでしょう。
それもまた武田と徳川の連続性が・・・(二回目)

さて、豊臣の時代になって、豊臣大坂城。

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一応、縄張りをつくったのは・・・
官兵衛が奉行を命じられている割には・・・
たいしたことないな(加藤先生)ですってorz

加藤先生は、これで事足りていたという解釈を
されていましたが・・・これはどうなんかな?と感じます。

黒田官兵衛が大坂城普請に携わったのは、
ちょうど天守を上げる位までの時期だったはずで、
信長後継者として、安土城天主を超える
天下人たるに相応しい天守を求めていた頃。
まず最初に天守建造を指示している位ですから…

とすると、大坂城築城の優先順位として
守るための構造よりも天下に覇を唱える天守が先で
防御構造としての縄張りは後回しになったのかも?

とすると、防御構造的にそうすごくもないのも
辻褄は合いますよね。と、豊臣大坂城に
最大限のフォローを心の中で入れていました(笑)

続いては、堀尾吉晴の松江城。

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本丸はぐるりと多聞櫓で囲み、横矢を配し、
枡形を固め・・狭間も200を超えるすごい様相。
天守にも籠城できる施設をもっており、
ものすごく戦闘的な構造をしているとの指摘。

本当はもっと厳重にできるのだけど、
外郭は後の拡張ではかなり簡略化している・・のは、
築城期の違いを示しているんですね・・・

にしても、あっちに行かせたりこっちに行かせたり
という折れの構造が豊臣らしい・・・とな。
こういう複雑性は確かに魅力的ではありますよね!

続いては、岡山城。

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岡山城も池田の段階で石垣を継ぎ足し、
曲輪を足して堅固な城に・・って、え?それだけ?(汗)

そして、広島城。

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この絵図は、関ヶ原のあと福島正則の時代。
川沿いの二重櫓の多さに着目、これも領国を固める
福島のやりすぎを表し。関ヶ原直後の緊張感の一端だとか?
櫓が多すぎなのは、全国一ですからね・・・

黒田六端城のひとつ、鷹取城。
この復元図・・・多聞櫓で覆いまくっている・・・!!

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ピュアに戦闘性に特化した近世の城ですね・・・
こんな城入りたくない、死にに行けというもんだと(笑)

黒田の本城・・福岡城。
本丸以外はたいしたことないね・・・という話で
バッサリ・・(笑)

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あれ?天守があるよ?と中井先生からツッコミ(笑)
加藤先生は礎石があるからあったんじゃないの?と
軽い扱い・・・・orz やっぱり平和な時代になったから?

赤穂城にしても、明石城も礎石がないでしょ?
ま、そらそうですが・・・あの礎石自体もごにょごにょ。

近世姫路城。こうしてみると、誘い込んで撃滅する
タイプの城という縄張りがよくわかりますね。

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伊予松山城。これも関ヶ原直後・・・・

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鳥瞰図でみると、御殿も含め囲い込んでる
様子がよくわかりますね。

ってここまでいろいろ見てきても、
熊本城の戦闘性のすごさが際立ちますね・・・
やはり強い城だわね。

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ここまではとにかく強い城へ、という思想ですが、
藤堂高虎の城を見ていくと・・・・
やはり「省力化」がキーワードになってきますね。

まずは今治城。

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方形の縄張り、海側を意識しそちらに徹底的に
櫓を築いて防備を固め、省力化しつつ防備を固める城。
それが、高虎の城・・・うんうん。

その方形プランの極みが、名古屋城。
角馬出をつかって効率的な防御を図っています。
防御力の高さだけでなく、守りやすい城。

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逆に、対照的な赤穂城。軍学者の城として
知られていますが、名古屋城と対比的に見ますと、
守る側のスキルとコストに配慮してないな?
という感じがしますよね。誰が入っても守れる城。

赤穂城、たぶん赤穂城を知り尽くした人しか
たぶん守れない・・・戦国末期の戦に
手馴れた武将ならともかくも・・・

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って考えると、明治にその強さを遺憾なく発揮した
熊本城は、清正の個性が出る豊臣性がありつつ、
実は守りやすい城・・・・だったのかもしれませんね。

■「倭城を語る」

最後は倭城特集!

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最初に城メグさんの倭城観。

敵地に乗り込んで、必要に迫られてできた倭城、
短期間にすごい築城技術が進化しているんだな!という点。

一方で戦地にあるわけで戦争に特化しているかいうと
そうでもなく、キッチリ威圧する側面が織り込まれている点。

これが城メグさんの印象だそうです。
ほほー・・・前者は想定通りなんですけど、
政治的な側面を倭城も持ってるんだとビックリ。

そして、写真で振り返る倭城。
中井先生と加藤先生の仲良しぶりの披露(笑)

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縄張図を描く中井先生。このトランスモードになると
一切まわりの問いかけがシャットアウトされるそうです(笑)

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城メグさんオススメの初めて行くなら、この倭城。
やはり、西生浦城と・・・・

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蔚山城。やはり皆さまのご意見は一致していますね。

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倭城もやはり、何度行っても勉強になると中井先生。
築城年代がハッキリしていて、ものさしにつかえるぞ?
というだけでなく、この時期の築城技術・思想が
その後の城郭史に大きな影響を与えていくという点が
やはりおもしろいと。特に石垣の技術ですよね・・・・

中井先生がもうひとつ興味深いエピソードを。
文禄慶長の役で日本に連れてこられたある儒学者が、
日本の城を評して「必守の城」朝鮮半島の城を「民を守る城」
という見方をしているんだそうで、日本の城の特徴を
表しているんじゃないかな?ということでした。

そして、加藤先生は準備をしっかりしておけよ!
とコメント。やはり、行きなれた方と行くのがいいですかね。

ひとつ、気になったことは虎口をふさいだ痕跡があり、
そこから占領にいくという戦いの違い、
そして猛烈な抵抗と緊迫感がふさいだ虎口から分かるとか。
むむむ・・・興味がありますね。

ふたつ、倭城は線で以って守り、曲輪をもった面で
守るという思想とは少し違うのも倭城の特徴なんですって。
ここで、登り石垣という思想にもつながるのかな。

クイズ大会・・・もあったのですが、
すっかりカスカスで何も当たりませんで・・・orz

その後、アフターパーティにも参加させて頂きましたが
まぁ、知ってる方の多いこと(笑)
いやいや楽しい時間でありました。
また城フェスvol.4も楽しみですーぅ☆

城フェスオフィシャルレポートもご一緒にどうぞ!

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ソサエティ・羽生/軽井沢。

もう1ヶ月前になりますかね・・・

ソサエティ20周年で、羽生と軽井沢、
秩父が詰められるとのことで
楽しみにしておりましてね・・・

試飲できる機会がありましたので、
行ってきました。しかしもう高いのなんの…
もはや羽生も軽井沢も閉鎖とはいえ・・・

会員価格でもショットで3,000円とか4,000円とか・・・
これは・・・事前にボトルのお値段から
推測は付いていたものの・・・

ということで、この機会に楽しむにとどめました。
ボトルが発売になった日には、ものすごい
勢いで売れていったようですがね・・

●131:羽生蒸留所

P1380037

131.1 1991y, 22yo:
控えめなマンゴー、パイナップル、酸味と旨味…ということで
なかなかの逸品・・ではあるのですが、残念ながら
そこまで買おうとは刺激されず・・・

やっぱりちょっと躊躇する値段なんですよね。

131.2 2000y, 13yo:
イチゴジャム、焼きたてのクロワッサンにザラメ、
黒蜜きなこ。きなこの粉っぽい感じさえするような。
紅茶のタンニンなど・・・

最初の予想では、バーボン樽のほうがいいかな?
と思っていましたが、いやいや飲んでみると、
シェリー樽のほうが断然好みでビックリ。

後で売れ行きを聞いてみたら、こちらのほうが
瞬殺だったようですね・・さもありなん。

●132:軽井沢蒸留所

P1380038

うーん、正直ですね・・・あまり・・・
普段感想も書く気にならないのは、そうないんですが
今回の軽井沢はあまりわたしには合いませんでした。

特に1番・・・自分ではオーダーしてなくて、
たまたまご一緒した方に少し味見をさせていただいて。
笑うしかないというか・・・うーむ。

軽井沢でも、自分で持ってるボトル
かなり美味しいな・・と思っているんですがね。

羽生も軽井沢ももう一度きりのボトリングでしょうね。
今回は敢えて秩父は頂かなかったのですが、
秩父は今後も詰められることがあるんでしょうね?

羽生の131.2は、直前まで買おうと思っていたんだけど、
うっかり忘れていて気づいたら、発売開始正午から20分後。
その頃には、もう売れてしまっていたようです・・・
2万を大きく超えるボトルなんですがね。

ま、いずれまた飲める機会もあるでしょう。
その日までまた・・・

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明治記念館へ・・・綾鷹茶会にいざ!

ひっさびさのブロガーイベントでございます。
つい先日、17日に開催された綾鷹茶会の第1弾です。
AMNさんのfansfansで発見、久々に参加欲を刺激されまして。
主催自体は、日本コカコーラ社さんです。

Tea

一般向けには、昨日から東京、そして全国でやるみたい。
なかなかイベントがなさそうな(失礼)
岩手や長野、香川、熊本でも!ぜひ興味があれば!

さてさて、一般向けに先駆けたブロガー向けイベント。
お庭がすばらしい明治記念館にて。初だ、入ったの!

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創建時の鬼瓦。もともと赤坂仮御所として創建、
帝国憲法・皇室典範の草案審議が明治天皇臨席のもと、
行われたこともあり、後に1918年に移築された際、
憲法記念館と命名され、戦後に明治記念館と改称されたそう。

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こちらの建物は創建当時のもの。御所風の佇まい。

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さてさて、綾鷹茶会会場がオープン!

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綾鷹がいーっぱい!

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宇治の上林春松本店さんには、綾鷹という
茶葉も売られているんですね!ほほーっ。

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軽くお寿司をいただきました。
ありがたくいただきます・・ほっほっほ。

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さて、茶会開会。まずは綾鷹が生まれた秘話を
まとめた映像を見せていただきました。

■「綾鷹」小史

コカコーラ社が綾鷹を世に送り出したのは
2006年のこと。当時はあまり緑茶市場に入り込めて
いなかったコカコーラ社は、あるコンセプトで勝負します。

・・・それは、ペットボトルにも書かれている
「急須でいれたような」本格的な緑茶の再現。

何度も飲み比べた先に行き着いたのは、
綾鷹の特長にもなっている「にごり」でした。
にごりに旨みが詰まっていると・・・

そして、にごりのあるペットボトル緑茶の開発を
進めていくには、茶師の協力が不可欠として、
協力を取り付けられたのが、上林春松本店でした。

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ちょっと、興味深いので上林春松本店の略歴をば。

創業450年。武田信玄公と上杉謙信さんが
川中島でドンパチ(笑)していた永禄年間のご創業。

上林家は、丹波上林郷の国人領主だったそうですが、
一時期近江で浅井長政に仕えるも主家滅亡。

初代上林春松の父・上林久重が宇治に移って、
足利家の幕府御用達の茶園に加わることを許されたそう。

上林家は、戦国の時代の荒波を巧みに生き残り、
室町幕府滅亡とともに大打撃を受けた宇治の茶師にあって
信長、秀吉、そして家康とともに生き抜きました。

初代上林春松の兄であった上林久茂は、
信長に仕え、謀反を起こした松永久秀の信貴山城まで
道案内をしていたんですってよ!

神君伊賀越えでは、家康を木津川から近江信楽まで
先導したりとけっこう活躍しています。

そして、弟の上林春松は秀吉に重宝されて御茶頭取に
任ぜられ、宇治の茶師を統括する立場に。
あるとき、茶壷の口封がいい加減で茶がこぼれた、
秀吉を疎かにしているのかと叱責されることがあったそうな。

しかし、直後に上林の茶はすばらしいのだから、
きっちり丁重に扱えとのコメントがあったのだそうです。
秀吉から相当な信頼を得ているのが分かります。

もちろん、茶道で重きを成した千宗易(利休)も
上林の茶を重用していますし、古田織部も
茶がすばらしく、直接会って礼を言いたいとの書状が。

残るほど、当時の名だたる茶に関わる人々から
絶賛の声があったのですね・・・

そして、時代は江戸へ。上林家は茶頭取に任命される
とともに、宇治の代官として宇治を治めることになります。

幕府が倒れ、明治時代になってピンチになっても
新たな挑戦をして生き残るところがすごい。

そもそも江戸時代から、江戸へ茶を運ぶ行列が
相当な規模で御茶壷道中と呼ばれていた
その行列は、経済的な負担として上林家にも
重くのしかかっていたそうで・・・

そこで、十代上林春松は、コッソリ将軍家以外のための
お茶の開発をしていました。碾茶のための茶葉を
煎茶として仕上げる当時としては画期的な製法で、
この製法が後に玉露として結実。

このときできたお茶を「綾鷹」と名づけたのです。
綾鷹とはそんな歴史があったんだ・・・!!

P1380330

十一代上林春松の時代に幕府は崩壊。
幕府を顧客としていた茶師が次々と廃業する中、
上林家は一般に向けて茶を販売する茶商へと転身。

このとき、大きなチカラになったのが、
先代が開発した綾鷹だったのですね・・・

「綾鷹」とは、たくましく時代の荒波を乗り越え、
伝統を重んじつつも核心を忘れず生き残ってきた
上林家を象徴する名前なんだと感じ入った次第です。

ある意味、ペットボトルという世の中の需要に
挑戦するというのは、第二の綾鷹を生み出すともいえ、
「綾鷹」という名前が相応しいですね。

その現代の綾鷹を生み出すパートナーとなった
上林春松本店の代表・上林秀敏氏。

P1380339

京都のひとやなーというアクセントが
関西人のわたしにとっては、落ち着きますねー。

現代の綾鷹を生み出すにあたってのポイントが3つ。
ひとつは合組。いわゆるブレンドですね。

ひとつは、にごりを生み出す製法。
工場の生産ラインで如何ににごりを残すかというもの。
やはり、配管がつまったり、製品品質の安定性から
にごりは取るというのがそれまでの常識でした。

P1380333

もうひとつは、茶葉認定式。
上林秀敏代表が製造に使用する茶葉を確認し、
品質の最終確認を行っているそうです。

そして、できた綾鷹。上林代表も想定以上の
お茶ができたということで、ペットボトルという枠で
こんなお茶ができるのか新しい時代の到来に
嬉しさもありながら、少し脅威も感じた・・・
とおっしゃっていましたね。

■お茶を美味しく淹れる一工夫

さて、今日はその上林秀敏さんが会場にお見えでした。
いろいろ貴重なお話を聞かせていただきましたよ!

とりあえず、綾鷹を入れてみましょう・・・
と普通にしてまずやってみましょう?と上林さん。
いつも方法で、いつもの・・・

P1380361

でけました。ちょっと渋いかな。

P1380365

そこで淹れる際のアドバイスを頂戴します。

まずは、お湯は湯冷ましに入れて、しばし待つ。
お湯の温度は80℃くらいがいい感じでございます。

P1380369

その間に茶葉の用意。
上林春松本店で売られている茶葉「綾鷹」。

P1380367

急須にイン。茶さじで山盛り一杯。

P1380368

待った後、湯がいい温度になってきたところで、
急須にお湯を注ぎます。注いだら動かさない。
変に動かすと、成分がどっとでてしまってよろしくない。
あくまで自然に成分が出るのに任せるのがポイント。

P1380371

注ぎ口とふたの穴を揃えるコト。
そうすると、注いでいる人にも茶の香りがして
いいですよーとのことです。

P1380373

飲み比べ・・・ほぅ、確かに違う。
注ぐ際に複数ある椀に少しずつ均等に注ぎます。
濃さを均等にするためですね。これはわたしもやります。

P1380374

最も大事なのは、最後の一滴まで注ぎきり、
残さないってこと。芳醇の一滴だそう。
紅茶なんかでもこういいますよね?

■茶師のお仕事

お茶をいただきながら、茶師のお仕事のお話を拝聴。
茶葉の品質確認、ウイスキーでいうなら、
原酒のティスティングですね。
これを「拝見」といいます。まさにお手並み拝見。

「はいけん」のアクセントに、やはり京都の人やなーと
思いながら、このプロセスに「拝見」というネーミングを
つける日本人的な言語感覚がいいなーと実感。

ウイスキーのティスティングする際にも、
麦餾拝見!とか言っちゃおうかな(笑)

場所は、拝見場、茶碗は拝見茶碗、テーブルは
拝見台・・・と関わる道具類には皆「拝見」と付きます。

拝見場は北向きに設置され、常に直射日光が当たらず、
天窓からの光を一度反射させて、拝見台を照らすような
工夫がされているんだそうです。常に一定の光。

P1380375

拝見台はつや消しの黒で、これも茶葉の緑の色の
違いをはっきりと目視確認しやすいためだとか・・・・

拝見茶碗は白色。これも抽出液の水色確認に適した
色として白になっているんですね。

P1380380

そして、拝見したあとは、合組。
綾鷹小史にもあったブレンド作業ですよね。
お茶もお酒も同じですよね・・・

自然のものですから、同じ畑で同じお茶が
できるわけではないので、同一の味わいのお茶に、
するためにブレンドをするわけです。

ウイスキーももちろん同じ味にするためにレシピを
変更していくわけですが、お茶のほうが特に味が変わったと
指摘されてしまうことが多いので、同じにすることが
より強く求められるような印象でした。

良くなっても悪くなっても、変わったといわれるんだとか。
確かにお茶って安心できる味わいが当たり前のように
あるものだと思いますものね・・・

これ、うちら素人よりもウイスキーのブレンダーさんに
緑茶の拝見と合組を体験していただいたほうが、
なんかおもしろいことが起きる気がする・・・!!
# ニッカウヰスキーの方、このブログ見てないかな(笑)

■拝見・合組体験

乾物である茶葉そのものをまず拝見します。
茶葉の手触り、香りで印象をまずつかみ、
そのあと、水色と味わい、茶の香りを確かめます。

似た印象の茶葉をすでに合組してあって、
区別するために名前がつけられています。

花。

P1380378

鳥。

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風。

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月。

P1380387

客。

P1380388

花と鳥は非常にフルーティ。花が白桃のような印象。
鳥は爽やかな柑橘系、オレンジやレモンの香りでした。
緑茶にこんなフルーティな香りがあるのか…と驚愕。

さわり心地は少し痛みを感じるような硬い茶葉。
これ湯で抽出するときにも少し抽出に時間が掛かるのだとか。

風は、お茶としてイメージする一般的な香りですね。
月は、芝生や焼き海苔といった粗い感じの青さ、
山城で藪漕ぎしたときの感覚も(笑)
客になると、海っぽい感じやアオサを感じました。

花から客にかけて細かくなる感じで、
月や客はさわり心地がすごくよかったです(笑)

湯に出したときの香りは、こんな感じで拝見。

P1380394

香りを感じたら、水色チェック。

P1380398

花→客にかけて、茶葉の色とにごり成分の沈殿量が
違いますね。花は黄色に近い色、客は深緑。

ただ、香りは乾物のときの香りとそう大差ないです。
湯に出してみたら、印象がまるでちがう・・・
ということはあまりなさそうですね。

そして、いよいよ合組。春というテーマに沿って
考えるのですが・・・・わたしもいろいろ考えたんですが、
上林代表としては、ご自分だったらやらないだろうな!
という個性的なものを選ばれていました。

当グループはコレ!月と客だけで作られていましたかね?
実際に合組は配合具合を決め、作業は上林代表が
やってくださいました。こないするんやね・・!!

さてさて、できたお茶。お味はいかがかな?

P1380409

上林代表の考えた「春」をテーマにした合組と
飲み比べします・・・うちのチームはすっきりと飲みやすい。
上林代表のは、お茶の甘みが引き出されていて、
ひっじょーに美味しいです!格の違い・・・(当然)

P1380417

新緑の季節、初々しい新しい命の芽吹く季節ということで
爽やかさをイメージしたそうです。ふむ。

ここで一ヶ月後に上林代表が各人のブレンドを参考に
各々にマッチしたブレンドのお茶をつくってくださるそう!
送っていただくのが楽しみすぎます・・・!!

さて、ここからは質問タイムでございます。
わたしが質問したのは・・・ウイスキーのブレンダーさんは
ブレンドの際にいろいろ気にされているようなので、
お茶の合組をする際に気をつけられていることは・・??

お答えは、特に気をつけていることはないそうです。
ご職業柄でしょうか、拝見をする季節になると、
感覚が研ぎ澄まされ、間の季節はゆるんでいるかも?

ただ、特別な才能があるわけではなく、
訓練の賜物だとおっしゃっていましたね。
それは、ブレンダーの皆さまがおっしゃっていたのと
同じですね。やはり努力の面が大きいんだな、と。

だから僕にはウイスキーの違いは分からないだろうとも。
むむ・・・そういわれると、上林さんに
ウイスキーや日本酒のティスティングをしていただき、
そのコメントをますます聞きたくなりましたが・・(笑)

最後に綾鷹の美味しい飲み方。しっかり振ることが大事!
上林代表の満面の笑みをいただきました!

P1380419_2

そして、デザインのお話にも・・・・
下部の緑がほわっとしたあたり、にごりが舞ってる
様子を表しているんですね。なるほど!

P1380423

貴重な体験、ありがとうございました!
やはりペットボトルのお茶、美味しさで選ぶなら
綾鷹が一番だな・・・!!

他社で申し訳ないのですが、今年の春先には
白州と綾鷹のコラボをやりたいですね。
ハイボールにできるほど濃くはないので、
白州10年を綾鷹で割ったお茶割りでもしますかね・・・!!

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京都でまったり・・・・

さて、翌日。特に予定も(敢えて)入れなかったんですが、
京都で普段なかなか行けないところへ。

まずは、京都の酒蔵・金鵄正宗がかつて
つくられていた堀野記念館。

P1370956

もともとは、洛中にて朝廷や公家などを
得意先として営んでいた酒蔵のひとつだったそう。
明治維新で顧客を失ってもまだ酒蔵を置いてはいたものの、
伏見に新たな酒蔵をつくり、戦後には伏見に完全移転。

しかし、銘酒を育んだ美味しい水は健在で、
その酒蔵跡地が堀野記念館として残されていて、
またその隣には、新たにビール醸造所が設けられ、
京都町屋麦酒の製造所となっているんですね。

実は、京都町屋麦酒醸造所の見学を・・・と
思ってやって来たのですが、生憎日曜は閉館。
残念でありました・・・

ただ、一通り酒蔵を見せていただいて、
美味しい京の水・桃の井の水も頂きました。
確かによい水。酒をつくらないなんて、もったいない。

P1370958

そして、麦酒も今は伏見で作られている
日本酒・金鵄正宗もしっかり試飲。

金鵄正宗、スイーツのような甘くクリーミーな日本酒。
和菓子(羊羹とか)に合うかなぁという感じ。
食中酒としてより、食後にデザートといただきたい感じ!
うむ、いい酒ですね・・・・!!

P1370960

小瓶を買って、新幹線の中で全部空けましたけどね!!

おもしろかったのが、試飲の受付をしてくれた
お姉さんが実はウイスキーもお好きとわかって、
酒蔵なのにウイスキーの話で盛り上がるなど(笑)

京都に行くとよくお世話になっているカームバーさん
行かれている!ということ。世界は狭いもんですな。

そして、町屋麦酒にも黒麦酒があったんだという発見。
こちらも美味しくいただきました。

P1370961

町屋麦酒を飲み飲みしながら、洛中を徘徊し(笑)
二条城を通過。今日は入りません・・・城主ですけど

P1370966

白く輝く東南隅櫓が目映い☆

P1370970

このあとは、二条城近くのショコラティエに。
ダリケーさんとおっしゃいます。

P1370972

こちらの生チョコクリーム、ホットチョコにも
アイスクリームにも変身するスグレモノ。

P1370973

アイスにしていただいてるのですが、
カカオ70%くらいのカカオ好きにはたまらない
ダークチョコなアイスの出来上がり☆

そのほか、神香(かかお)という名前のチョコ仕込み
の日本酒なんかもありました。甘口ですが、
実にカカオの香ばしい香りがふくよかで、美味しい☆

P1380424

そして、いつもよくいくモツつけ麺の和醸良麺すがりさんへ。
この日は、つけ麺ではなくモツそばにしました。
こちらも美味しいなー。モツも濃いスープも。
鶏ガラ×魚介のスープが個人的な好みにマッチ。

P1370975

珍しくこの日は、京都に長居せず、
夕方ごろに帰京・・・早く帰ると翌日ラクですね(苦笑)
いつも終電とか、バスで翌朝に帰ったりするから(バカ)

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2014年2月 武田信玄、上洛す。

さて、豊橋を出て京に向かった理由。
それは、高津商会さんにて信玄公の甲冑を着ること。

ふとしたことがきっかけで、アイコン変えてみようと
思い至り、せっかくなら信玄公推し&ウイスキー好きが
分かるアイコンに・・・

ということで、最も好きなウイスキーに
上げるならコレ!のシングルモルト余市1988と
山梨県のウイスキーといえば・・の白州を持参し、
甲冑を着ながら、ウイスキーボトルと写真に
収まるために、わざわざ京都に行ってきたわけですよ!

実は、豊橋で武田家ご宗家にもこの話をすると、
ホントにお好きなんですねと感心されてしまいました(笑)

そして、この高津商会さんで甲冑着れるよ!と
教えてくれた尾張のひかさんも来てくれました!ありがと☆

高津商会さん。京都の太秦にあります。
太秦といえば、東映太秦撮影所&映画村。

P1370876

ドラマでつかっている甲冑ということで、
そうとうお金が掛かった本格的な甲冑が着られます。

ちなみに、昨年の信玄公祭りで甲冑を着せて
下さったのは、東京高津の皆さま。
兄弟会社に当たるのだそうです。

上がったところには、官兵衛の甲冑。
今年旬の人ですね。この甲冑も着てみたいぞ。

P1370923

他にも家康、政宗・・と多くの甲冑が。
平安調の清盛甲冑もありました。

P1370922

子供用甲冑もあって、お子様連れにもぴったし。
端午の節句あたりにはお越しになる親子連れも多いのかな?

P1370926

さて・・・わたしは早速信玄公甲冑を着用。
2006年のテレビ朝日系正月ドラマの「風林火山」で、
松岡昌宏さんが着用された信玄公甲冑だそう。

あ、あ、あっ、あの兜~

P1370880

ホントにこのデザインだったかは別として、
すっかり信玄公のシンボルですよね!
テンションがむくむくむく!!

そして・・・!どん!
2014年2月、440年の時を超え武田信玄は、
京の土を踏みしめたのだった・・・!!!(わけない)

Img15

長い道のりであった・・・440年・・(遠い目)
(長すぎるわ!笑。)

Img10

次は・・・ここじゃな!
(最初、九州の地図があって・・笑)

Img2

早速出陣じゃ!(笑)

Img3

何奴!謙信か!小癪な・・・ッ!!
この京まで襲いに参るとは・・・!
(スタッフの方が刀を振り下ろしてくださいました)

Img7

謙信!待てッ!弓で射落としてくれよう!

Img21

狙って狙って・・・(謙信クン逃げちゃうよ?笑。)

Img25

やったか!

Img27

・・・さて、寸劇はこれくらいにして、
麦餾(ウイスキーの異称)がお好きな
酒飲み信玄公モードに(笑)

蝦夷地の麦餾は美味いぞな!そちも如何じゃ?

Img17

今では、わが甲斐でも麦餾をつくっておるぞ!
馬場美濃の知行地(北杜市白州町あたり)でな!
甲斐の麦餾・白州もよろしく頼むぞ!

Img16

日ノ本の麦餾、侮るなかれ!

Img19

さて、兜下という本来兜の下にかぶって、
かぶとを脱いでみます。信玄公祭りでもこの姿は
おなじみですよね。これはこれでよいもの。

Img30

将来、甲冑で山城攻めするなら、
さすがに兜は重いので、兜下で攻めたいものよの…

こんな感じに脇に兜が控えております。
ふふふ・・・

P1370919

ひかさんの提案で、野田城で鉄砲に撃たれる
信玄さんを再現してみました・・・
「信玄さん、後ろ、後ろー!」(志村?)

Img32

曲者めっ!

Img35

最後も寸劇の提案、ありがとうございました(笑)

Img34

ということで、この写真をもとにイラストに
していただきました。twitterアイコンに加えて、
新しい名刺をこれでつくってみようかな☆

Nikko_3

さらに、西本願寺そばの風俗博物館にも足を伸ばし、
光源氏の世界をサクッと見学(汗)

P1370928

仏様が輝かしい・・!!

P1370932

こらこら、そこは注目するトコじゃないぞ(笑)

P1370936

畳にも・・・(だからっ・・・!!)

P1370947

ここに来たのは、衣冠束帯着用。
上洛して朝廷から官位を頂いてご満悦の図(の設定)
正二位くらい頂けましたかね(笑)

P1370943

ということで、この日はさしたる史跡にも行かない
珍しい京都滞在になりました。
ひかさん、ありがとうございましたっ☆

高津商会さんにもお世話になりました。
また、違った武将で甲冑体験したいです!

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久しぶりの吉田城。

さて、講演のあと。吉田城にも行ってまいりました。
吉田城に行ったのは、2005年以来・・・9年前。
いやいやいや・・どんだけ前やねん。

あの頃はまだそんなに城の知識もなかったよね・・・
ということもあり、年始に吉田城に行かれた方の
ツイートを見ていると、寄らずにいられなかったのです。

マンホールも、吉田城鉄櫓。

P1370786

三の丸の土塁。濠はすっかり失われてるけど、
土塁はしっかり。

P1370787

土塁だけど、門のあるところは石垣しっかり。
大きな石があるところが近世城郭っぽい。

P1370788

吉田城の古写真。今再建されている鉄櫓ではなく、
川手櫓とそれに続く多聞櫓。北御多門枡形を囲む多聞櫓。
奥には入道櫓。この姿が残っていたら格別なんだが・・・

P1370789

吉田城の現在の地図と往時の地図。
三の丸、二の丸濠は失われているけど、
本丸空壕はかなり見ごたえがあることに今回気づき。

P1370790

二の丸の濠そばにあった着到櫓。
土塁は二の丸の数少ない遺構・・・

P1370792

着到って、ひっくり返して呼ぶオサーン的な
雰囲気がしてならないのだが・・・
ザギンとかギロッポンとか・・・(笑)

本丸空壕。もともとは中世城郭だった風全開。
鉢巻石垣の鉢巻の幅が太い感じ?

P1370793

石垣もなかなかいい感じの打込接仕様。

P1370795

石垣上から、本丸空壕。けっこう迫力ある空壕。
以前はちゃんとみてなかった・・と反省しきり。

P1370799

吉田城の往時を知る貴重な手がかり。
絵図ではありますが、比較的正確に描かれている気が。

P1370797

正月に行かれたフォロワーさんと入母屋屋根の向きで
あーだこーだtwitterで話してたんですよね。

なかなか破風の多い櫓が多いようですが、
辰巳櫓、外向きに破風がないのに内側にある・・
ってとこに、ちょっと違和感。

なかなか刻印天国でもあるようです。
時間がなくてあまり探せませんでしたが・・・

P1370798

南多門。枡形にはなっていなくて真正面に
櫓門、右手に鉤型に折れている構造だったようです。
石垣少し崩されてますがね・・・

P1370800

石垣そのものは非常によろしい☆

P1370801

脇の階段から石垣上に上がれるようです!

P1370802

手前方向にかけて櫓門があった様子。
なんでここだけ崩してるんだろ・・・・

P1370804

入って、辰巳櫓方面へトコトコ。
このあたりは石垣じゃなく土塁の城。
もともとの姿に近いんでしょうね・・・高い!

P1370808

P1370810

が、内側から見ると石垣は低め。本丸自体が
けっこう周囲より高いんですね。

P1370815

あとですね、絵図では石垣である一方で
土塁の斜面が滑らかで、石を取り外したような感じはせず。
実際はどっちが正しいのだろう・・・!?

辰巳櫓跡。やっぱり土塁のままだった
と見るのが素直な様子だよな・・・

P1370809

復元鉄櫓。絵図や古写真と見比べるとわかりますが、
櫓の意匠違うんですよね・・吉田城はもっと下見板の櫓。

P1370813

あと、破風のデザインもちょっと・・・・
反りの具合とか、破風の大きさとかとか。

本丸東側の鉄御門あたりから見る空壕がすごくってですね・・・
これ鉄御門。石垣は低め。

P1370825

このあたりは石垣に野面感があって、
またまた見ごたえがあります。

P1370826

壕がすごいのよ。どどーんとダイナミック!

P1370821

P1370823

腰巻石垣も見つけました。これは池田輝政以前かも
しれませんね。ひゃほ。

P1370824

北側に参ります。入道櫓跡。

P1370829

礎石・・なわけないな。でかすぎる。

P1370832

そろそろ暗くなってきました・・・北多門。
突き当たりが櫓門跡。北側は枡形になってるんですな。

P1370837

枡形内。往時は土塀で囲まれていた様子。

P1370839

川手のほうに降りてゆきます。往時はこの正面に
多聞櫓があったようですね、古写真によれば。

P1370841

往時は多聞櫓があるわけで、非常に通路が狭そう。

P1370848

逆向きから。

P1370856


往時だと、川の中からになっちゃいますが・・・・
川手櫓跡。これ、川からの眺めだと鉄櫓、
埋没しちゃうよね・・・古写真という手がかりもあるんだし、
川手櫓を再建したほうがよかったんじゃないの?

P1370847

比較的近い位置の古写真をもいちど。

P1370789

川手櫓跡。奥行きは意外とないんだな。
あ、通路側にもっとせり出していたのか???

P1370849

鉄櫓石垣。この辺も野面感満載☆

P1370850

鉄櫓の西側にも、空壕が続いていました。
探検したかったけど時間が…もっとゆっくり来たいね。

P1370854

北側にびっしり築かれた石垣。
川を挟んですぐ本丸で、弱点と見られていたようで
高石垣と多くの櫓、枡形虎口で徹底防御。

P1370859

あれ、ここのカド円いや。

P1370860

そして、先ほど上から眺めた本丸空壕を・・・!!
だいぶん暗くなっちゃったけど、すんごいね!

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奥のほうに南側の石垣がかすかに見えますね。

P1370863

これは、やっぱりちゃんと見たい・・・
ということで、リベンジを決意するわたしなのでした。

P1370864

さて・・・豊橋を離れ、一路上洛!
また三河のけったいな(笑)徳川葵を見たり・・・

P1370870

誰得?という妖怪パン祭りに首を傾げたり
しながら、ゆるゆると駅まで歩きます。

P1370874

豊橋から各駅停車で京へ。
途中名古屋に立ち寄り、エキナカの立ち飲み
山ちゃんへGo!ピリ辛手羽先をサクッと頂ける!

P1370875

これ・・・個人的にはメッチャありがたい!
名古屋からの帰りとか必ず寄っちゃいそう・・・っ!!

さて、翌日は武田信玄公が悲願の上洛を果たします(笑)

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市河家文書・真下家所蔵文書から見る山本菅助像。

最近は、なかなか平日に休みを取ることが
ままならず、かつての月1回は必ず有給休暇をとろう、
というセルフキャンペーンの実施が滞ってます(泣)

が!あまりにも魅力的な講演が、平日にあるのを知り、
これはなんとしても、何があっても行かねば・・!!
ということで、半ば強引に休みを取って豊橋へ。

フォロワーさんお勧めの豊橋カレーうどんを食す…
勢川本店さん。カレーに負けるどころか、むしろ
カレーを押さえこんじゃってるくらい
メッチャお出汁が主張しているカレーうどん。美味し☆

P1370773

そして、うどんが終わったらご飯がコンニチハ!
いいっすねー!これが豊橋式みたいですね。

P1370777

さー、会場へ・・・と思ったのですが、
ちょっと歩いていくには遠い。開始時間まで
そうも時間がないので、タクシー乗り場へいそいそと。

みかわ牛のロゴ・・徳川葵入りなんだ。
三河は確かに家康しか推せないよな・・・だったら
静岡は・・・ごにょごにょ。

P1370778

そして会場!これですこれ、これを聴きたかった!
真下家所蔵文書から見る山本勘(菅)助の実像!

P1370782

勘助ご子孫の故山本文男氏夫人から
武田家宗家の武田邦信氏への花束贈呈がありました☆

お話はまず最初に東三河戦国史愛好会代表・鈴木氏。
東三河の山本勘助家からお聴きになった
お話を紹介頂きましたよ。

■勘助以前の「山本」家

もともと山本家は吉野姓といい、今川家に仕える神主の家柄。
勘助の祖父吉野貞久は、賀茂郡に領地を与えられ、
三河照山城主として、駿河から三河にやってきます。
彼の任務は牛久保の牧野家の目付役だったそうです。

駿河に残った次男吉野貞幸も、今川氏親の命で
三河へと入り、同じく賀茂の地に住まい、
賀茂神社の神官として入植したようです。
三河の戸田、松平に対する忍びだったのかもしれません。

このあたり、今川とのかかわりを考えると
最初に勘助が今川に仕官したのも自然ですよね。

しかし、1478年に吉野貞久は三州の戦いで討ち死に、
残った貞幸が照山城に在城する間の1500年、
三河照山城にて、勘助出生します。

貞幸は後に駿河国に戻り、山本村に住まい
山本姓を称するものの、長男・藤七、次男・清七、
三男・源助とも賀茂の地に留まったようです。

長男は、山本本家として牧野家に仕え、
後に牧野家が越後長岡に移封となった際にも同行。
この山本家が後の山本五十六(ただし長岡藩家老家
高野家から山本家に養子)を生むことになります。

この源助こそ・・・後の勘助であります。
源助は、牧野家家臣の大林家の養子となるわけですが、
武者修行を終えて帰国すると、大林家に実子が生まれ・・・

というのがよく知られたくだりではありますが、
15歳に養子になるものの、大林家実子が
8歳になった際に武者修行に出る・・・
というのが「三河国二葉松」という1740年に
編纂された書物にあるそうです。

具体的に勘助の出生地まで記されているのは、
この書物ただひとつとのことで、鈴木氏は
この照山城出生説を推しておられました。

■勘助以後の「山本」家

先ほどお出ましになった山本家・・・は、
新城市黒田にお住いの山本家。

勘助には、勘蔵信供と助次郎信倶がおり、
母は、原美濃の妹(もしくは姪)だとか。

長男信供は、長篠で命を落としますが、
次男助次郎信倶が、武田滅亡後に北条家に仕えたそう。

秀吉の小田原攻略の前哨戦であった山中城の激戦で
重傷を負うものの、先祖ゆかりの駿河まで逃れ、
先祖の菩提寺・先照寺で傷を癒したそうです。

その後、父祖の領地であった黒田の地に安住を得、
今に続くのだとか・・・

長男・信供の家系も勘助の甲斐における領地であった
山梨県北杜市高根町蔵原の山本家として残るそうで、
土塁と空壕に囲まれた屋敷だそうです。

敷地には「天徳院武山道鬼居士 永禄四歳九月十日」
と刻まれた墓石があるそうです。

位置的にも、若神子城と若神子狼煙台に近く、
また信濃攻略のための棒道が付近を通っています。

信濃からの情報の結節点として、極めて重要な位置に
領地屋敷を構えていたことが伺われます。

これもまた、甲斐国プロパーではない勘助に
領地を与えるに当たって、信玄の勘助に対する信頼を
読み取ることができそうですよね。

■山本勘助の真下家文書と武田信玄

P1370785

そして、メインは山梨県立博物館の学芸員で
真下家所蔵文書について造詣の深い
海老沼真治先生からご講演を頂きました。

お年もわたしと近く、宗家からも山梨県の歴史研究の
ホープだよとご紹介されておりましたよ!

①「架空」から「実在」へ、「勘助」から「菅助」へ

ここのところ、山本勘助の実在が明らかになって
来ているわけではありますが、その経緯を軽くおさらい。

・江戸時代

一般的なイメージとしては、三河で生まれて
築城術や軍法を若い頃に諸国漫遊して修め、
今川家に仕官するも果たせず、晴信に見出されて
武田家に仕え、川中島合戦で啄木鳥戦法を
提案するも見破られ、壮絶な討ち死にを遂げる・・・
という感じでしょうかね?

・明治時代~戦後

この印象は甲陽軍鑑や江戸時代の軍記モノなんでしょうが、
明治時代には近代的な実証主義歴史学の観点で
徹底的に批判されます。

東大の草創期に活躍した田中義成博士も山県隊の一兵卒
にしかすぎないと指摘しています。
ただ、存在しない架空の人物とまでは言及していないとか。

直接の「架空説」の端緒は意外と新しく、
織田信長の研究で有名(らしい)奥野高廣博士が、
1959年に記している人物叢書「武田信玄」において、
伝説の人物と見るべき、としているそうです。

・菅助としての実在復活

これが覆されるきっかけが1969年の市河家文書の発見。
一次資料として初めて、山本勘(菅)助が見えた
ビッグニュースになったわけですね。

それでも、ただ1通の書状であり、存在が分かっただけ。
いわゆる「勘」助といわれてきた人物と同一なのか?
地位やその働きはどうだったのか?はなかなか判定は
難しかったのだそうですね。

そして、月日は流れ約40年後。群馬県で発見された
真下家文書(現在では真下家所蔵文書)が大きく勘助像を
開けることになったのです・・・!!

続いて、翌年にはそれまで知られていた
沼津山本家文書との研究が進み、勘助像が明らかに
なってきたんですね。

もともと両者とも沼津山本家で保管されていたものの
故あって一部が流出し、その流出文書を真下家で
保管されていたというのが実態のようです。

2008年以降もいくつか追加で見つかっている
文書もあり、信玄時代、勝頼時代、家康時代と
生き抜いてきた山本家の歴史が詰まっています。

その規模は、武田家家臣の家に伝わる文書としても
屈指のものであるそうです。菅助と勘助は文字は違いますが、
当時は漢字の表記ゆれは日常茶飯事で、江戸時代初めに
勘助とこの菅助を同一視している形跡もあることから、
ほぼ文書で記録されている菅助は、あの「山本勘助」と
考えてよさそう、とのことでした。

ということで、以下「菅助」に統一して、
時系列で追っていきましょう。

②書状群から浮かび上がる山本菅助

・1548年(天文17年)4月吉日付 武田晴信判物
 (真下家所蔵文書)
以下Wikisourceより。

山本菅助の伊那郡での活躍を大いに賞賛し、
黒駒の関銭から100貫文を与えるという内容です。
黒駒の関とは、甲斐国八代郡黒駒に置かれた関所。

実はこの文書、沼津山本家から流出する際に
書き写された文書があったそうなんですね・・・
それは以前から研究者の間では知られていたとか。

ですが、あまりにあまりなできばえ(汗)と
いうこともあって、参考にはされず・・・

ということで、今回のオリジナル文書の発見が
この内容に真実味を与えたということのようです。

さて、これの分析。まず伊那郡での活躍を
晴信が手放しで賞賛するのは、どういうことなのか?
それは、1548年という日付に秘密があります。

1548年(天文17年)2月14日。
家督継承以来、連戦連勝の勢いの若き晴信が
村上義清相手に大きな敗北を喫した上田原合戦です。

当然ながら、合戦はその局所的な勝敗だけでなく、
広く競合環境にある他勢力にも大きな影響を与えます。

武田の大敗北に乗じて、連勝していた武田軍に
靡いていた形勢が変わり、一気に小笠原・村上に
中小勢力が反旗を翻す恐れが出てきました。

そして影響は、伊那郡にも及んでいました。
書状の時期は4月。敗戦から2ヵ月後ということで
敗戦直後から動きがあったのでしょう。

詳細はわかりませんが、晴信から
「忠信無比類次第」と賞賛されるほどですから、
うまく伊那郡の取り込みを確保できたのでしょうね。

菅助の働きもあってか、武田軍は7月には
反撃に転じ、村上軍に勝利します。

そして、恩賞100貫文。おそらく仕えて
間もない頃であり、初の恩賞であったことでしょうが、
100貫文とは、三河の牢人上がりとしては、
破格の恩賞といえるでしょう。

しかしポイントは、銭100貫文というとこ。
さすがにいきなり土地は与えないのねというところは
慎重になっているのかなということも読み取れますね。

とはいえ、翌年(最近発見された真下家所蔵文書より)には
翌年6月には80貫文、残り20貫文も後日支給する旨の
文書が見つかっており、一度きりではなく恒常的な給金
として捉えることができそうです。

6月は、富士山の山開きで黒駒関の通行料収入が
増える時期なので、20貫文は追って・・
ということらしいです。

・1557年(弘治三年)6月23日付 武田晴信書状
(市河家文書)
Wikisourceより。

続いては、第三次川中島合戦における菅助の動き。
結局、直接的な激突はありませんでしたが、
実は水面下では激しい動きがあったのです・・・

1557年、晴信が葛山城を落とし、
飯山城に迫ると、長尾景虎も北信濃を圧迫。

長尾家と近い位置にありながら、
親武田勢力であった高井郡の市河藤若にも
兵が向けられ、武田方に援軍要請がありました。

その市河家に対し、晴信は援軍を約束するものの、
援軍が到着する前に自力で守りきったため、
結果的に武田軍の援軍が来なかったような見え方に。

北信濃を制圧した晴信にとって、市河家の離反は
なんとしても防ぎたく、信用を取り留めたい・・・!!
さぁ・・・どうする?というところで、
山本菅助の出番。

晴信の援軍到着の遅れの詫び状をもって
市河家に出向き、今後の援軍体制の説明などを
任されるのです・・・

ここで、書状の分析。
離反の危険がある勢力への説得工作。
なかなかハイレベルなミッションであるとともに
武田軍の内情に明るく、また晴信の信頼も高い
人物でないと、務まりませんよね!?

また結果、武田家側に引き続き付いていることを考えても、
市河家側から見て使者として納得できるに値する
と認められうる人物だった、と推測できます。

ただの一兵卒だったとしたら、「おい、武田なめとんのか!」
ということになるでしょうからね(苦笑)

・1558年(永禄元年)頃 武田晴信書状
(真下家所蔵文書)
以下Wikisourceより。

年代がはっきりしないのですが、晴信自筆と推定。
文書の「小山田」をどう取るかによって、
年代が変わるわけですが、小山田備中と捉えて、
1558年前後と捉えている説を採られていました。

内容的には、病を患っている宿老の小山田の様子を
見てくることと、軍事行動については小山田と
詳細に相談して進めるように、というもの。

小山田には二系統あり、宿老として考えられるのは
郡内の小山田出羽守信有。信茂の父にあたる人物。
もうひとりは、別系統の小山田備中守虎満。

虎満は、ちょうどこの頃別文書で1558年当時
病に臥せていた記述があるそうで、ここから備中守説に
なるとの推測をされていました。

永禄元年。小山田虎満・真田幸綱らがちょうど
信濃尼厳城を守備し上杉に対して備えていた時期であり、
八幡原の戦い(第四次川中島合戦)の数年前。

その中にあって、晴信から直々に軍事活動の
作戦立案の指示が菅助に下されている、
しかも、家中で一定の立場にあった真田、
小山田と交えて、という文脈から武田軍の内情と
信濃情勢に詳しい菅助像が浮かび上がりますね。

・まとめ

総じて感じられるのは、甲陽軍鑑に描かれる
軍略に長けた人物というよりも、交渉や調略に長け、
人の心理を読み解くのが上手な交渉人。
そして小山田や真田と渡り合えるある程度の身分を
武田家中にあってもっていたことは間違いないでしょう。

また、信玄の信頼の厚さをどの文書からも読み取れます。
意外と一般的な印象はそう間違ってないのかな?
という印象もありますよね。

ということと、信濃に非常に通じた人物ということで、
仮に川中島で命を落とさなかったとして、
駿河や上野に侵攻するする際にどういう働きを
したのだろうか?というifを考えちゃいます。

知行百貫文というのは、甲陽軍鑑とは異なり、
ずいぶん控えめに見えますが、当時の家臣の標準くらい。

軍事的なエピソードばかりが光る菅助。
政治的、あるいは領国経営にはあまり影響力がなかった?
というのもイメージどおりではありますが、
築城の名人との話を支えるエピソードが
なかったのは、残念。築城には長けてなかったのか、
どうだったのか・・・気になるところです。

・甲陽軍鑑における菅助の最期

少し文書からは離れ、甲陽軍鑑における最期の描写を。
三つ目の書状からは、第四次に参戦しているのは
非常に自然な流れとは思いますよね。

海津城内。馬場民部と信玄が相談、そこに菅助を呼び、
馬場と菅助でよくよく明日の動きを相談して決めよ・・・
との信玄の指示。

つまり、軍を二手に出すのは、菅助単独の発案ではなく、
馬場と菅助合意の結果、とも読めますよねという指摘。

また、討死した人物の並びからも、
一門:典厩信繁、重臣:諸角豊後に続いて、
第三位の序列で記されていることも、その地位を
甲陽軍鑑は正確に表しているのでは?との見解でした。

③文書からよみがえる山本家のその後

・ふたりの後継者
文書から判るのは、実子の二代目菅助と養子の十佐衛門尉。

山本十佐衛門尉
諱は、幸俊もしくは頼元。武田家臣・饗庭越前守利長の子。
1551年に晴信の命で菅助の養子となる。

山本菅助(二代目)
菅助を名乗っていたようで、天文22年生まれ。
ということは、1553年生まれですね。

幼少だったため、菅助死後の永禄4年からは
山本十佐衛門尉が後見しつつ、永禄11年(1568年)に
信玄の命で、晴れて二代目菅助を名乗ります。

そして、それをうかがわせるのがこの朱印状。

・1568年(永禄11年) 武田家朱印状
(真下家所蔵文書)
以下Wikisourceより。

こちらには、花押はなく武田家の朱印である
龍の印が押されています。内容としては、
次の合戦で備えるべき内容を示したもの。

しかし、あまり足跡ははっきりせず、
長篠で討死していることのみわかっているそうな。
・・・ということは、最初の講演で出てきた
山本信供と同一人物ということになりますかね。

この後、十佐衛門尉が二代目菅助の死後を以って
再度山本家の家督を継ぐことになります。

・1576年(天正4年) 武田家朱印状 軍役之次第
(真下家所蔵文書)
以下Wikisourceより。

軍役之次第とあり、鉄砲一挺、持槍一本、
長柄一本、旗指一本の計五名。
宛先が山本十佐衛門尉となっております。

この文書、長篠で討死した者が多いということで
この年に家を継いだ者が多くて、大量に発給されてるそう。
そういう文脈から、山本十佐衛門尉が山本家を
継いだということがわかるのだそうです。

また他の武田家家臣の実例から、この五名という規模が
だいたい知行百貫に相当するそう。ということは、
初代菅助の百貫がほぼ受け継がれていたようです。

武田滅亡後、山本十佐衛門尉は徳川に仕えます。
武田遺臣が家康への臣従を誓約した
天正壬午起請文においても「信玄直参衆」に
その名が見られるそうで、江戸時代にもその家名を
伝えて行ったそうです。

④最後に

生まれは諸説ある菅助ですが、
本国は三河というのは、ほぼ疑いのないところ。

高野山には、全国の供養帳・過去帳があり、
甲斐国の資料には、武田家臣の多くが記載されて
いるようですが、菅助はみつからないのだそう。

もし出てくるとすれば、三河関係ではないか・・・と。
高野山には大名ごと、国ごとに檀那場があるそう。
甲斐なら成慶院と持明院がそうですね。

いずれも信玄像・晴信像・勝頼像が奉納されている
ことで知られていますよね。

同じように高野山の三河国に関する資料を
探していくとまだまだ分かることがあるのでは・・・
と海老沼先生はおっしゃってました。
もっと新しいことが分かるといいな・・・!!

終わった後、武田家旧温会の方とばったりと。
ご宗家にも挨拶できました。なんと豊橋駅まで送ってまで
頂きまして・・・・ありがとうございました!

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生牡蠣&ソサエティモルト in バー・アップタウン 2014

昨年も行ったソサエティのイベント。
今年は、blog開設10周年の記念日にあたる2/1。
今回もモルトは飲み放題、そして選りすぐりの牡蠣をば!

P1370757

あらかじめ注いで頂いているのは、

3.173 BOWMORE
4.179 HIGHAND PARK
26.69 CLYNELISH
33.100 ARDBEG
77.21 GLEN ORD
85.23 GLEN ELGIN

の6種。

P1370758

・・・なのですが、牡蠣が単品で美味くって、
すっかりマリアージュを忘れていました(笑)

まず最初は、オーストラリアのキャッツアイ!
牡蠣の旨みが濃密に凝縮。初っ端から圧倒されました!

P1370762

続いては、佐賀県唐津産。
こちらもいいですねー!まさかのモルト
そっちのけの牡蠣に夢中(笑)

P1370761

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さらに長崎県五島列島産と広島県能美島産!

P1370764

五島列島産は、塩気があるタイプ。
個人的には、アードベッグとの相性がいいですね。

P1370766

広島県能美島産は、小さくてもパワー秘めた牡蠣。
キャッツアイとの食べ比べしたかった!
大きいだけが能じゃないのね・・・

P1370767

そして、余市116.18があったので牡蠣とは別に
新樽余市をたくさん頂きました。きゃはー!

・・・って感じで、美味しいは美味しいのですが、
モルトはモルト、牡蠣は牡蠣・・で単独になっちゃったな
というのが反省ですね。

だけど、ボウモアだとかアイラだけが合うわけじゃなくって、
クライヌリッシュとかはけっこういろんなタイプの
牡蠣に合わせやすかったりしますし、新樽/バーボン樽であれば
そんなに大きくはずすことはないのかな、と思いました。

シェリーがちょっと難しいですよね・・・
合うものは合うけど、個人でやるにはちょっと難しいかな。

こういう機会がたくさんあるといいですね・・
牡蠣を食べる機会はあるけど、ウイスキーはあまりなかったり
ウイスキーがあるときに牡蠣がなかったり。

ウイスキー(ボウモアに限らない)×牡蠣って
ベストマッチという認識が広まってほしいな。

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サロン・デュ・ショコラ2014。

バレンタインデーの前にいつもある
サロン・デュ・ショコラ。今更感はありますが・・・

チョコ好きのわたしは、女性陣に混じって
いそいそと会場へ。しっかし混雑してますね(汗)

いくつか買った中で、印象的なのを振り返ります。
和の食材とチョコってコンセプトばかりですが(笑)

ドゥブルベ・ボレロ(滋賀県守山市)

滋賀のショコラティエさん。左右はゆずとやまどり茸ですが、
気になったのは、赤い真ん中の・・・バター醤油!

P1370756

甘じょっぱ系ですね。醤油だけでもチョコと合うのだけど、
バターのクリーミーさでまったりとしたコクがプラス。
バター醤油だけまとめて買いたかったっす・・・

Tokyo Chocolate

日本が世界に誇る旨みをチョコレートでということで、
デザインも日本っぽい青海波文様のチョコ。
出汁をベースに隠し味抹茶というが、出汁感はいまひとつ。

P1370753

出汁の旨みとか超好きなので、すっごい期待したんですがね。
…チョコレートとしては美味いけど。

ベルコラーデ

ベルギーのショコラティエ。ここ以外では、
日本での販売はないようで・・・貴重な一品でした。

ここでも醤油が取り上げられてまして。
和の醤油と洋のオリーブオイルのマリアージュ。

P1370750

香りはかなり醤油が強め、口に含んだ後から
オリーブの香りとオイリー感。

醤油もオリーブも、そしてカカオも
お互い主張が強いがけれども、まとまり感はある。
これはすごいや・・・美味☆

上にある桜印のプラリネもなかなか・・・
サクラの印象から優しい感じになる…と思いきや、
チェリーをかなり煮詰めたような濃厚な甘さでビックリ。

そのほか、桜の上の小さな満月のようなデザインは
ドミニカンカリー。

P1370747

チョコレートにまさかのカレー参戦・・・!!
と思いましたが、シナモンなんかがあることを考えると、
チョコとスパイスってアリですよね。

カレーのスパイスにレモンが合わさり爽やかに融合。
カレーの辛みはなく、ハーブのような感じでカレー感を
チョコにプラス。ターメリックもチョコにアリだとは
ちょっと驚きでしたね・・・!

ベルコラーデでは、フードペアリングとして
食材を分子レベルで分析し、どんなチョコレートに
どれを合わせるかを吟味してるとのこと。

この完成度は、化学的な分析によるものなんですね・・
バランス感が絶妙でしたね。ぜひ日本でも
普通に買えるようになってほしいね・・・

そして、醤油×チョコがもっと増えてほしいなー!

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信玄公と松姫さまへ新年のご挨拶。

さて・・・少し遅くなりましたが1月の連休。
新年のご挨拶に軽く甲府へ。

お屋形さま、明けましておめでとうござります・・・
このときは、あんな大雪思いもよりませなんだ。

P1370685

いつもの通り、武田通りを北へ北へ・・・
右手に見えるのは、満蔵院。

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信玄公が毘沙門堂を建立した真言宗の寺院。
甲府で最も古い狛犬で有名だけど・・・
入母屋屋根と唐破風、そこに武田菱の軒丸瓦。
城好き×武田好き的いそっちのほうが眼福(笑)

武田通りは、武田菱のあれやこれやがあって、
歩いているだけでも、非常に楽しいんですけど、
街灯が新しくなっていて・・・花菱×割菱のコラボ☆

P1370688

もう15日になっていたんですが、初詣の方々で
ごった返す武田神社。やはり、山梨県随一の神社。

そんななか、西曲輪の南虎口あたりでなにやら工事中。
工事現場にも花菱があって、ニンマリ。

P1370689

こんな感じで、南虎口の枡形がわかりやすく整備
される見込みです。土橋部分がちょっと広いんじゃ?
という気はしますけどね・・・

P1370692

そして、腰巻石垣が。武田家の往時からあるんでしょうか?
それとも徳川・豊臣の改修時でしょうかね。
よく見ると、今でも西曲輪あたりはあるんですね。

P1370693

西曲輪は、南北の虎口がいい感じに整備されるといいな。
城らしい感じを感じられるスポットになりそうです。

もちろん、岩窪の信玄公火葬場にもいきますよ。
甲府のお墓といえば、こちらです。

P1370696

お屋形さま、今年もよろしくお願いいたします。

P1370699

実はここ、片手千人斬りの土屋昌恒屋敷跡。
甲府に無言のまま帰陣した信玄公が
ここで荼毘に付されたと伝わります。

・・・よく見ると、信玄公墓の周りには、
ぐるりと空壕で囲まれていて、土屋昌恒屋敷の壕跡?
だったらいいなぁ・・と妄想していました。

P1370702

ちょっと壕にしては、浅く狭い気はしますけどね。

P1370708

後代、この場所は魔縁塚として恐れられていたそうです。
しかし、ジャガイモの普及につとめ、天明の飢饉から
甲斐を救った甲府代官・中井清太夫九敬が治めていた
1779年、この場から石棺が発掘されました。

石棺に「法性院機山信玄大居士・天正元年癸四月十二日薨」
との銘があったことから、中井は幕府に届けた上で
信玄墓と定め、元通りに埋葬しました。

そして、甲斐にあった武田家の旧臣有志が
今に残る墓石を建てたんだそうです。

しかし、恵林寺の墓も旧武田家家臣団の有志で
百回忌を期に建てられたものですしね・・・
後の時代まで愛されすぎです、信玄公。

そう・・・恵林寺にも詣でようと思ったのですがね?
何を間違ったか、塩山に止まらない電車に乗ってしまい・・
あーれー!という間に八王子まで来ちゃいました(泣

せっかくだから・・ということで、松姫さまのもとへ。
近所なのに、わらわの元にはなぜ来ぬのじゃ!
ということかな・・・松姫さま、申し訳ござりません・・

あ、でも、この門松・・・武田家的にアカン・・
それは絶対やってはイカン・・・

P1370716

八王子にたどり着いた頃の松姫さまでしょうかね?
御年21歳。ものすごい美人だったんですよね・・・

P1370718

武田菱にニヤニヤ(しつこい)

P1370719

松姫さまはあちらにおわします。

P1370723

あ、まだ見てない安宅船を寄進したのは、
仁科盛信の孫なんだ。仁科資真(すけまさ)。

P1370724

そういえば、盛信の長男次男の系統は
残ってるんだよね。資真はどちらの系統でしょうか?

そのほか、金丸家墓なんてのもあって、
金丸という姓に甲斐を感じたりするわけです・・・!!

松姫さま、あけましておめでとうございます・・・!

P1370729

脇においてある姫の井戸のペッドボトルが
いいですね・・・!松姫さま本人の産湯でなかったにしても、
松姫にとってもなつかしいはずのゆかりの水。

松姫さま没後132年が経ったあと、
武田家家臣団でもあった八王子千人同心が
玉石垣を築きます。かなりセメントで補修は
されてはいますけど・・・・

P1370735

しかし、松姫さまもお菓子になったり、
通りの名前になったり、現代慕われていますよね。
武田家の皆さまの慕われっぷりに改めて感服した次第。

信玄公の娘である松姫さまは、武田家臣の末裔たる
彼らにとって特別な存在だったんでしょうね?

ごはんも八王子にて。前から気になっている
信玄亭にて。うっひょひょーい!

P1370741

お店の中にも孫子の旗(っぽい)がありました(笑)
どなたかな・・・勘助どのかな?

P1370742

八王子なので、たまねぎ入りの八王子
チャーシューメンを頂きました。なかなかうまいよ!

P1370746

醤油の香りやコクが比較的強めで、
わたし好みでした。もうちょっと駅から近ければな…

帰宅してから、姫の井戸のお水をチェイサーに
甲斐産のウイスキー白州を頂きました。
気持ち、美味しさがアップしたような(笑)

Img_20140113_2210221

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鉛瓦を見る…ためだけの弾丸日帰り金沢城!

まぁ、こう書いていると如何に正月遊びほうけていたか
というのがよくわかりますね・・(汗)
ということで、まだまだ行くなら関西からが近い金沢。

実は、twitterのタイムラインで、金沢城橋爪門
二の門鉛瓦が葺かれている途中の様子を見て、
これは見ておきたい・・・
せっかく関西に帰っているのだし!
ということで、いてもたってもいられず。

20140104143232

金沢駅にて。金沢といえば、金箔ですよね。
金箔のお店を巡るのも楽しいのですが、
今日は金沢城ONLY☆

P1360876

2015年春か・・・来年の今頃ですね。
そうなると、東京から金沢がグッと近くなる。
名古屋くらいの距離かなぁ。

P1360881

きました、石川門!鉛瓦の美しさ・・・
純白の姫路城の白漆喰もいいけど、
こちらの白はちょっと渋い白。大好き☆

P1360887

枡形内。ピッチリピチピチの石垣に
グルリと囲んだ多聞櫓。
手前には二重の石川櫓が待ち構える・・・!!

P1360911

ここを抜けると、復元櫓群が見えてくるんですが、
見たかったのはアレ!橋爪門続櫓に隣接する橋爪門二の門!

P1360913

今までは枡形の一の門(高麗門)のみで、枡形感が
あまり感じられなかったのですが、今回の再建によって、
櫓門とともに枡形塀も復元されるのは楽しみであります!

櫓門単体としては、河北門が城内最大だったそうですが、
枡形の広さとしては、橋爪門が最大。

櫓門に接近。

P1360914

この様子が見たかった!瓦型に加工した材に鉛板を
貼り付けかけた状態。鉛板の厚みもわかるし、
側面の鉛板を曲げて上からかぶせてあるんだ!ってとこも。

P1360915

アップ。けっこう薄いですよね。
だからこそ、本瓦よりも軽量化に寄与するんだろうな。

P1360960

手前の3枚だけ並丸瓦の部分まで覆ってあって、
どういう構造になってるか分かりやすい!

P1360962

漆喰はまだまだこれからのようです。
何度も何度も塗り重ねて、あの白さになっていきます。

P1360920

金沢城の復元には「石川の伝統的建築技術を伝える会」が
大きく関わっています。建築、石材、左官、金属屋根、
建具、瓦、タイル、鳶、造園緑化の9団体が連携。

P1360921

建設途中の見学会の詳しい様子も説明されてあり、
非常に興味深いです。食い入るように見ているのは、
わたしくらいのもんでしたがね・・・(笑)

P1360923

橋爪門二の門の材は、石川県産の能登ヒバと能登スギ。
その他国内産でケヤキとマツ。約56%の建材が
石川県産を使用しています。

人が通る門扉を支える柱などはケヤキが使われ、
櫓部分の梁などの構造部はマツが使われているようです。

P1360926

ただ、本来続櫓との接続はされていないところを
接続で来ちゃうようにしているそうです。
ちょっと残念だな…できればホンモノに
こだわってほしかったトコ。

その接続部分。続櫓の壁を壊しちゃうんだろうね。
むむ・・・

P1360969

現代の図面として起こされた橋爪門櫓門の立面図。
最近は、櫓や天守の図面だけでもわくわくするー!!

P1360936

P1360938

再建後の予定図。金沢城のおしゃれポイントかつ
狙撃のための重要ポイントの唐破風出窓も付いてます。

P1360944

出窓はまだまだこれからのようです。

P1360952

全景。石川門同様、枡形土塀+櫓門+二重櫓。
かなり厳重・・・中枢のある二の丸に至る
最後の関門ですしね。

P1360945

基になった古写真。もう少し全景のある
古写真があればいいのですがね・・意匠詳細は
石川門を参考にしているのでしょうね。

P1360949

しかし、見学箇所はこんな感じなんですが・・・

P1360977

かなり高い位置にあって、橋爪門二の門だけでなく
続櫓もこの角度でこの高さで見られるのは、
もう後にも先にも今回だけでしょう!わは。

P1360980

そして、石川門もなかなかいい感じで見れますよ。

P1360987

見学設備から降りて内側に廻って。
櫓門を支える石垣は新たに積むようですね・・・
まだ漆喰が塗られてないから、
檜材の香りが外まで漂ってきて・・うっとり。

P1360995

菱櫓の中にでも入るか?と思ったら、
あえなく時間切れ・・・しょうがない・・・

P1360998

ちょっと本丸もうろちょろして帰りますかね?
三十間長屋。屋根がけっこう傷んでるな・・・
鉛瓦換えてほしい・・・

Img_20140103_155828

今回初めて気づいたんですが、両側で破風の形状が
異なるんですね・・・本丸側は入母屋破風なのに
二の丸側は切妻破風なんですよ?なんでなんで???

P1360999

鶴丸倉庫。一応藩政期(幕末)の建造物だけど、
すっごいデザイン的に違和感・・・

Img_20140103_161038

だけど、このあたりからの橋爪門の様子がいい感じ。
完成時が楽しみなビュースポット☆

Img_20140103_162000

本丸戌亥櫓跡からも橋爪門がよく見られそう。

Img_20140103_162845

さ・・・もう暗いし撤収。金沢城!またね!

Img_20140103_165843

夜の美味しい時間は、ぶりしゃぶ・・どーしても
食べたかったんだよぅ!ぶり美味い!ぶり美味い!!

Img_20140103_182114

実は、三十間長屋から後はスマホによる写真なんですが、
まぁ、ある程度明るい間はブログ用に使えなくもない・・かな?
もともと、画素数はかなり落としてアップしますのでね。

ただやっぱり、白ボケしたり暗いところではダメ・・
なのは変わらないよね。まだまだデジカメの出番は要りそう。

滞在時間数時間程度・・・でしたが、極私的には
濃密過ぎる金沢の時間でありました。

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夕暮れの大和郡山城。

さて、少し移動して大和郡山城。
大和郡山といえば、金魚。

P1360783

この金魚、柳澤吉里が甲府より移封となった際に
郡山へ持ち込んだものとされますが、
甲府で金魚の話は聞きませんね・・・職人さん、
残らず郡山に行かせちゃったのかも(笑)

もうひとつのマンホールは市章。
柳澤花菱がモチーフになっています・・・
花菱ということは!そう、武田家御連枝ですから!

P1360784

近くに、筒井順慶墓があるということで、
ちょっと寄っていくことに。
五輪塔を守る立派な覆堂があるんですね!南無南無。

P1360794

もうかなり暗くなってしまって・・・
ちょっと散歩程度しかできないね。
それはそれで、今しか撮れない表情もあるんだけど。

P1360797

石垣と濠。こちらもなかなか好みの石垣。

P1360802

そして、天守台のほうへいそいそと。

P1360805

修復中の天守台は遠目で。天端石のあたりが
ゴツゴツしてるなぁ…

P1360806

そして、夕陽と天守台。こういう構図、好物。

P1360825

大手門から出ましょうかね。

P1360830

大手隅櫓も夕陽をバックにいい感じ☆

P1360836

別角度からもういっちょ!

P1360843

隅櫓はちょっと暗かったかな?

P1360849

ちょっと足を伸ばして、柳澤神社にも。
祭神は、稀代の信玄ヲタク(笑)

P1360857

燈籠の花菱にニヤニヤ。

P1360865

ある意味、柳澤吉保あっての高家武田家ではあるので、
武田家にとって家臣筋でありつつ恩人ではあるのですよね・・・
武田家を高家に引き立てたわけで。

・・・ありがとうございました、吉保さん。

P1360867

社殿にも花菱がたくさんで、武田を感じないわけには
いかない(個人的な)雰囲気でした(笑)

さて・・・この後は、思い立ったが吉日!
ということで、再建中の橋爪門が見られる金沢城へ!

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大和に武田の遺香を感じて・・・馬場塚。

さてさて、続いては・・・馬場塚。
この塚があるのを知ったのは、
武田神社崇敬会会報誌で取り上げられていたから。

近鉄橿原線にて、ファミリー公園前駅下車。
重要文化財中家住宅近くです。

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てくてく歩いていると、馬場産業なる看板が・・・
ハッ!もしやご子孫様ですか!

P1360699

けっこうこのあたりには、馬場姓が多いみたいで、
子孫が長篠合戦後に大和まで落ち延び定住し、
供養のために塚を立てたのが始まりだとか・・・

しっかし、あたりは畑だらけ、正月ですし、
ひとっこ一人おりません・・・弱ったな・・・

P1360702

うろうろしていると・・・あ!馬場さんがここにも!
といったちょうど裏手にそれらしい五輪塔!

P1360704

ただ裏手なので、表に廻らないと・・!
よしよし、こっちが表。

P1360705

馬場美濃の子、馬場信久とありますが、
正確には甥でありまして、弟・馬場信頼の子だったはず。
ま、いずれにしても馬場家の出でありますね。

武蔵から来ましたぜ、馬場さま!

P1360714

ただ、花が添えられているのは後ろで、
こちらが前のようですよ・・がくっ

P1360730

非常に読みにくいですが、

前敬礼司(さきのきょうらいし)
氏勝墓
民部少輔

とあります。きょうらいしとは、通常
教来石と書きますが、当てる漢字が如何様にも
揺れる当時ならありえることではありますね。

時計回りに文字が刻んでありますので、
読んでいきましょう。

P1360751

P1360752

甲陽武田家臣百廿騎之大将
仕信虎公信玄公勝頼公而
有戦功後依信玄公之命改
馬場美濃守信房矣

戦于三州長篠引率七百人
初戦既得勝敵者多勢而十倍・・・

くらいまで読めました。

ここはちょうど日陰になっていて、
文字が判別しにくい・・・

P1360757

ですが、こちらのサイトによると、
このようにあるそうです。

於味方勝頼公諸勢不得防而敗北
於是美濃守討死于時
天正三乙亥年五月廿一日

実は、諏訪原城にて初めて馬場氏勝という名を目にし
実は異称として伝わっていることを知りました。

教来石景政に始まり、馬場姓を賜って
信房、信春と改名しているのは知ってはいるのですが…
ひょっとすると、「勝」の字から、
勝頼の偏諱で勝頼期にも改名しているのかも。

にしても、「勝氏」ではなく「氏勝」なのは、
ちょっと気になるところではあるのだけど・・・

いずれにしても、こうして長く馬場美濃さんを
想って弔われてきた供養碑がきちんと
整備されるのはうれしいことだよね。

さて、せっかくここまで足を伸ばしたので、
中家住宅も見ておきましょうかね。

住宅というか、城ですよね・・・
思いっきり濠を巡らせてますし・・・

P1360759

ここなんて、濠が丸々残ってますし!

P1360767

正面。いざというときは橋を壊して・・・
どう考えても城だ☆

P1360769

そして、ツイートで知った多聞山城移築門。
旧石田家住宅の門ではあるのですが、
ただ今はお手入れをする方がいないそうでして、
かなり傷んでいる様子・・痛々しい。

P1360772

もともと多聞山城の城門で、多聞山城を攻め陥した
筒井順慶が「石田氏」に譲り渡した
という謂れがあります。しかし、このままでは・・・

せっかく大和まで足を伸ばしたので、
大和郡山にも寄っていきました。
大和郡山というと、柳澤氏のお膝元。

柳澤氏は武田の傍流の傍流の傍流のぼう・・しつこい!
というわけで武田のゆかりといえなくもないのです。

というのは、次記事にて。

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2014城初め・・・・天空の白鷺。

さて、城初めは・・姫路城。
天空の白鷺が取り壊される前に、
間近で美しくなった大天守を見ておきたくて。

なのに、目指すは一路京都・・・・
木屋町のカームバーさん(@yossan718)で
カウントダウン!パヒュッたボウモアを頂きながら。

P1360642

そして初詣は八坂神社。

P1360646

やはり京都の初詣は人多いよね。
日本に幸あれ、わたしに厄除けを・・・(特に仕事面)

P1360648

ただ、早速カメラのスペアバッテリが
充電されていないという事態にあああっ・・・
ということで、デジカメの撮影はなるべく抑え気味に。

twitterみていたら、ポリタンクさんやしろうさぎさんも
姫路に向かってられるようで・・あ、あれ?
城納めと面子が似ている?(笑)

ちょっと最初は並びましたが、そんなにギュウギュウに
なることもなく、スムーズに進めました。

そして、りの一渡り櫓内では「官兵衛の歴史館」と題し
展示が少しあったので、脇道をそれてGo☆

官兵衛が秀吉を姫路に引き入れ、改修した際に
上げられたといわれている天守想像図。
非常にわたし好みでよろしい(笑)

1388535008769

ひょっとしたら?その頃の瓦かもしれない、
天正銘の入った瓦。

Img_20140101_091259_2

官兵衛が築いたとされる姫路城の石垣。
どこが官兵衛の石垣か、展示だけじゃなくって、
パンフや現地にもわかるようにしてくれるとよいよね。

Img_20140101_091356

官兵衛さんの兜がぐいぐい。角って好きなのかね。
個人的には、武者頑駄無摩亜屈を髣髴と・・(逆でしょ)

Img_20140101_091503

あの杯の兜は、メタリックなんだね。
(これはレプリカですけどね)

Img_20140101_091520

マントのついた甲冑も。前立は失われてますが、
兜はあっさりとしたつくりですね。

Img_20140101_091514

これは・・・長寿丸くんだったかな。
あ、違った半兵衛さんみたい。

Img_20140101_091732

奥にはいつものように甲冑が並んでいる中に
官兵衛の甲冑が何気なくおいてありました。

P1360653

さて・・・天空の白鷺。この日は無料ということもあり、
かなりの混雑で天空の白鷺下でかなり待ちましたね・・・・!!

そして、美しくなった大天守にお目見え!
屋根目地漆喰の白さと瓦のコントラストが・・・!!

P1360654

この白さこそ、白鷺城の名にかなった美しさ。

P1360660

もう立派に鯱も据わってましたね☆

P1360658

とにかく見惚れるひととき・・・

P1360663

さて、一階下に降りてみましょう。
五層目から四層目あたりがよく見えます。

P1360670

誰かさんが、この白さを見てケーキのようだというと、
黒い瓦がオレオのようだと言って爆笑!
そう考えると、この千鳥破風もおいしそうに・・(笑)

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ていうか、オレオをつかった姫路城大天守ケーキを
つくってほしいよね・・・お城好きのご夫妻の
結婚式のケーキなんかにさ・・(笑)

そのほか西の丸全景がきれいに見えるのも
いいんだよね。菱の門だけが屋根が黒く見えるけど
こちらも屋根目地漆喰付け直してほしいね。

P1360677

菱の門アップ。西の丸全体がかなり屋根目地漆喰を
きれいに塗りなおしているので、目立っちゃうんだよね・・・

P1360683

逆に白すぎて目立っちゃう門もあるなど・・・(笑)

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姫路城の弱点みーつけた。籠城戦したら、
ここから鶴ヶ城みたいに砲弾撃たれまくって、
天守蜂の巣になりそう。幕末だったらだけど・・ね。

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実は実戦的な姫路城。城内に誘い出して、
殲滅するタイプの縄張りだそうで、この袋叩き感も
その感じがよく出ていると感じますね。

P1360678

さて、エレベータで降りますかね・・・
もちろん、エレベータに乗っている間は動画撮影☆

いやいや・・・ところどころ止めてほしいくらい
よい眺めでありました。大天守のお披露目の日が楽しみ!

さて、さきほどの袋叩きされるあたりを通って、
下ってまいります。にの門。

P1360689

にの門を過ぎたあたりがすごい袋叩き感!

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ポリさんに教えてもらった鬼瓦に十字架の図。
ぜんぜんこれまで見てませんでした・・・

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ドアップ。これ、幕府にみつかったら
どないすんねん・・・

P1360694

さて、このあとは、しろうさねーさまとポリさんは、
御着城に行かれたようですが、ほぼ大晦日の夜から
寝ていないわたしは離脱して、新快速の中でZzz・・・

またねー!といいながら、数日後に
またお会いしてるなんてね。わたし関東在住ですが(笑)
またまたありがとうございました☆

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2013城納め・・・・伊予松山城・野原櫓と北登り石垣。

さて・・・すっかり正月気分もいまや昔・・というのは、
1月後半くらいで言うもんですが、えっと3月。
そろそろ春も兆しも見え隠れする今日この頃ですが・・・

昨年の城納めと今年の城初め。

■伊予松山城

倭城に魅せられて、韓国に渡る直前だった
ゆうりさんのたってのご希望で、
伊予松山城の登り石垣を見ておきたい!とのことで、
わたしも末席に加えさせていただくことになりました。

しかし、一年に2度も伊予松山城を訪れるとはね・・(笑)

んが・・・わたしの実家そばまで迎えに来て頂いた
ポリタンクさんとの約束の時間を大幅に寝坊(汗)

さらにしろうさぎさんを先に迎えてこられて、
また戻ってきていただいてもまだ・・もう出るか・・・
という頃に目覚めて、時間を見て・・あああっ!

DMにはもう出ちゃいますの文字。慌てて
起きましたDMを投げてようやく向かったのでした・・
# ポリさん、しろうささんその節はどうも失礼しました・・・

そういや、前回はスルーしていた堀の内の石垣を
少し見ながら、伊予松山城攻めスタートです。

P1360403

もちろん、登り石垣を見られるルートから☆
南登り石垣さん、コンニチハ!

P1360405

しっかりと登り石垣を堪能。やはり皆さんと行くと
格別の楽しみがありますよね~

P1360408

いい感じの石垣。もちろん、防衛思想的な観点でも
おおって思うのですけど、石の加工具合が好みでしてね。

P1360410

おろろ・・・栗石が見えちゃってるで・・・
大丈夫なんかな・・・

P1360414

遊歩道はまったく無視して、登り石垣のそばを
歩く一行・・・(笑)

P1360416

前回ちゃんと見てませんでしたが、
鈍角の石垣もあったんだな・・・・

P1360419

美しい石垣の角度。

P1360425

前回はここまで接近しなかった・・・
このあたりからけっこう大変でしたが、
そういうところでも突撃しちゃおう♪と思わせて
くれるのが、皆で行くいいところです。

P1360428

ちょっと円い石を見つけてニヤリ(笑)

P1360430

登り石垣も高石垣・・・・おおっと、
思わず見上げてしまいますね。感嘆。

P1360431

あっ・・・あれは・・・古そうな石垣!?
詳細確認はできませんでしたが・・・

P1360432

かっくんと曲がると・・・

P1360433

よい石垣がコンニチハ!石垣もいい光に恵まれると、
いい写真になるよね・・いや、美人さんな石垣☆

P1360437

というとこで、ようやく一般ルートに出てきました(笑)

P1360440

そして、一気には本丸には向かわず、
石垣堪能コースに行くでしょ!

P1360443

kuroさんのおっしゃっていた根石近くが丸い・・・
という気がしなくもない?

P1360444

曲線美ですよね・・・・!!

P1360445

写真撮りすぎです(笑)

P1360446

艮櫓からみる天守。

P1360450

このあたりから、ぐるっと北に廻ります。

P1360452

このあたりの石垣と櫓の角度が好きでしてね・・・・

P1360459

おおおっ!野原櫓が開いてる!
この日だけの貴重なお姿☆

P1360465

ある意味、今回乗ったのは野原櫓が
大きな要因だったんですよね・・うれしい☆

こうしてみると、どこか熊本城的な印象がありますよね。
朝鮮出兵組という共通点があるんですかね。

P1360471

乾門のあたりから・・・北登り石垣。
前回は遠めに見るだけでしたが・・・・・

今回は、下に降りて近づいてみました!

P1360473

崩された石垣・・・ただ、進んでいけそうでした。
うむ、ここから紫竹門のほうに抜けていきますか!

P1360475

北登り石垣の付け根から見る乾門。

P1360477

この角度から見る乾門の迫力が・・・
すばらしい!

P1360483

下を見ると、登り石垣の付け根。
なんで破壊してしまったのか・・・・!!

P1360482

観る度、イーッてなってる人の顔みたい・・な
南隅櫓。イーッ!(笑)

P1360484

このへんの石垣は、わたしもお初でした。
行けると思ってなかったからね・・・・

P1360489

このあたりを歩いていると、そこって行けるの!?
と話しかけられたりして一同タジタジ・・・(汗)

しかし、南側石垣の眺めもいいですね・・

P1360490

たぶん戦時にこの辺をうろちょろしていたら、
速攻でやられるのでしょうけど(笑)

P1360494

この石垣の野面感がよくってね・・・といってる間に
格好の餌食になりますね(苦笑)

P1360497

さて、ぐるっと一周して太鼓櫓下まで
やってきましたよっ。いよいよ本丸へGo!であります。

P1360500

大手門跡。こうしてみると、太鼓櫓の重要さが
わかりますよね・・・大手門を抜けたら、
戸無門を抜けるまで狙い撃ちですもんね・・・

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戸無門を後ろが・・・

P1360503

こんな真後ろに太鼓櫓が控えていて、
もうこんなの、狙ってくれといってるようなモン。

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さて、筒井門を抜け、本檀に急ぎます。

P1360505

太鼓門。ここを抜ければ本檀はすぐそこ・・・・

P1360510

一応、天守もぱしゃり・・・でも、
今日は貴方は主役じゃないの。ごめんね☆

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主役は・・・野原櫓!望楼型の櫓が素敵!キャー!
この日は、天守のすす払いの日でして、
天守には入れない代わりに、珍しい野原櫓にGo!

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三本の梁の上に柱を立てて望楼部分を建てている
構造がよくわかりますよね・・・これぞ、
望楼型天守の起源を垣間見ることのできる構造☆

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立面図と合わせてみるとよりはっきりしますね!
しかし、一階部分の狭間の多さ(笑)

P1360567

そして、二階を支える柱が外にも出っ張ってるのが
わかりますね。普通はこういうの隠すのでしょうけど、
そんなの気にしない豪放磊落なところもいいじゃないですか!

P1360566

んがその二階部分には上がれず・・・・
うーん・・・上がらせてぇぇぇ(泣)

P1360524

なんとか写そうと必死だったんですがね・・・・
これ以上はムリでした(爆)

P1360520

櫓の構造以外では、狭間が引き戸になっている点が
おもしろかったですね。なんででしょ?

P1360536

あちらの矢狭間も引き戸だね・・・

P1360548_2

興味深かったのが、櫓内の壁。
高松城の月見櫓と同じく、壁が内側にせり出し、
厚みを増した構造になっているんですよね。

P1360552

この中には石が詰め込まれていて、
簡単に鉄砲で貫通しないようにしているという仕組み。
メッチャ実戦的な構造です。

単純に砲弾の飛ぶ方向だけを意識すると
北と東西面だけでいい気もしますが
四方とも、つまり南面も厚くなっていました。

P1360532

当日は入れなかったんですが、乾櫓も同様の
構造になっているらしく、高松城が天守クラスの櫓に
という扱いの差がある一方で、松山城は一般の櫓にも
採用されているという違いも興味深いですね。

石落としが広い穴ではなく、細かく区切られている
というのが印象的でした。なんぞこれ?

P1360530

名残惜しいものの、野原櫓に別れを告げ、
乾門から北登り石垣へ再度。

振り返って本檀をみると、乾櫓を抜けた後も、
ブタッ鼻(笑)の北隅櫓・南隅櫓から
鉄砲玉の嵐が容赦なく浴びせかけられるんだな・・
というのがわかりますよね。

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乾門。再建なんですけど、立派ですよね。
ぜひ入りたいものです・・・・

P1360579

さて、北登り石垣を探検。意外とキチンと歩けて、
そんなにハードル高くなかったですね。

そして、石垣は剥がされただけであって、
基部になる土塁はそのまま残されていましたよ。
なんぞ石が必要だったんでしょうかね・・・??

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これだけでも十分侵入を防ぐ効果は
発揮できたかもしれませんよ?

P1360586

わずかに残ってる石・・だけど、
これはどうかなぁ・・違う気がしないでもない。

P1360587

あれはまさしく当時の天端石!おおっーと
歓声を上げる一同(笑)

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このあたりも石を抜いた跡だってのが
よくわかりますよね。こゆとこにもニヤリと。

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もう、石を見つけるたびに「おっ!」
・・・・しょうがないですね(苦笑)

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かなり下っていくと、石垣が現れました!
まったく破壊されきってるわけではなかったんだ!

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一応石垣上に上ってみるなど。矢穴のある石も。
グッチャグチャにせず、きれいにしとけよ陸軍・・・

P1360597

ただ、ここから先はきれいに残っていて、
南登り石垣同様、すばらしい打込接石垣が伸びています。

P1360602

いやいや・・・視界が開けていて、
この部分だけで言うと、北登り石垣のほうが堪能できるかも?

P1360603

P1360604

しばらくいくと途切れています・・・ここから
また壊したんでしょうかね。間が開いていると
登り石垣のないもんね・・・

P1360606

眼下には二の丸復元隅櫓。

P1360607

ということで、黒門口登城道と合流。
黒門口登城道から本丸を目指す際に、
ちょっと脇にそれれば、見事な登り石垣を見られる
というのがわかったのも大きな収穫でした!

P1360609

遠めに見る石垣に囲まれた二の丸御殿のお風呂・・・
ではなく、大井戸。

P1360611

柑橘香る奥御殿。このあたりが藩主の住まいですね。

P1360612

ドデカイ槻門跡。この門が残っていたら相当な迫力。
惜しい・・・非常に惜しい・・・

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■湯築城

さて・・・・おまけで湯築城にも足を伸ばして。
伸ばして・・ってすぐソコですけどね。

P1360637

アレですアレ。信長の野望で一気に毛利にボコボコに
されて消えていく河野氏の居城です(なんという説明)

P1360635

土塁や濠がそこそこ残っていて、中世の平山城の
イメージをしやすい城ではありますね。

P1360629

P1360631

軽く湯築城にも寄った後は、鯛めし。
松山の鯛めしは炊き込み、宇和島の鯛めしは
お刺身にタレという感じなのですが、
わたしは宇和島式をチョイス☆

P1360639

そして・・・締めは姫路に戻って、
コメダの城ノワールで!

P1360640

ということで、皆さまありがとうございました。
特にポリさん、運転ありがとうございました。
いやいや、あれから3ヶ月、韓国に行ったと思ったら、
ゆうりさんが一時帰国されていたり、時は経つのが早い…

さて、続いては城初め。

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「江戸城天守を再建する会」発足記念集会。

昨日3月2日は、振袖火事(明暦大火)の日だったそうで…
江戸城天守の記事にはふさわしい?かと思いますので、
昨年11月の発足記念集会の話をば。(超今更)
ていうか、3月2日に間に合わないというね・・・汗

P1360114

更に11月末の記事で年末に書こうと思って年が明けてしまい、
2月までにはと思っていたら、それもかなわず・・・
というイイワケをしたうえで・・(苦笑)

江戸城天守を再建する会」とは?前からやってたでしょ?
という感じがしますが、実は会の名称変更をしたんですね。

「江戸城再建を目指す会」だったんですが、明確に
「天守」を(目指すではなく)「再建する」という
意思表示をしたということだそうです。

■開会の挨拶

毎度おなじみ、会長さんは太田さん。
太田道灌の血筋につながる方だそうで・・・・

P1360119

以前から気になるのですが、徳川宗家である
德川恆孝氏はどうお考えなのか、ご意見賜りたいところ…

■観光庁

そして続いては、観光立国の推進について、と題し、
国土交通省観光庁から新垣観光資源課長のご挨拶。

うーん・・・海外からのお客様をお迎えするという話。
年間1,000万人を目標にしているそうで、昨年は
10月で860万人を超す勢いだとか。
アジアからのお客様が3/4を占めているみたい。

それでも、フランスの8,000万人、
イギリスの2,800万人には程遠い状況。

うーん・・・江戸城天守再建の話なハズですが、
観光の話が最初に来るとはね・・・
いや、必要な観点ではあると思うのだけどね・・・

ただ、天守再建の暁に諸外国のトップを招いた
会議を天守内で行うのはおもしろいかもね。

■林野庁

林野庁の方のご挨拶。大方沼田次長(当時)の話
重複しますので、割愛します・・・

そして、いよいよ本題。

■シンポジウム「江戸城天守再建の今日的意義と課題」

P1360122

シンポジウムは、小竹理事長のコーディネートの下、
日本都市計画学会・江戸城寛永度天守再建調査検討委員会を
構成する皆様方のご報告を中心に進められました。

委員長・伊藤滋氏(早稲田大学特命教授)
副委員長・中井検裕氏(東京工業大学教授)
委員・三浦正幸氏(広島大学大学院教授)
委員・山田幸夫氏(委員会アドバイザー)
日本経済研究所・小林寛行氏

の5名の方からのご発表。

■伊藤滋氏

最初に伊藤氏から・・・東京の世界の中での位置づけ
に関する危機感のお話。

なんでもソウルに東京が観光客の数字で抜かれたそうで。
上海や北京はすでに抜いていて、日本の、東京の
位置が相対的に下がってきているという指摘。

うーん・・・わからんでもないがね・・・
この観点が第一っていうのはね・・・そうなのか?

そして、よくある話。ビッグベンを見るとロンドンだな
凱旋門を見るとパリだな、紫禁城を見ると北京。
国の威厳を示すモニュメントですか・・・
それにひきかえ、東京は・・・宮殿も見えなくて、
周囲の景観に埋没している、と。

まぁ・・百歩譲って確かに天守は現れた
歴史的経緯を考えると、権威を代表すべき建造物に
なりうるとは思うけど、それから話を始められると
正直、うーんと唸っちゃうんですよね。

日本の城の価値、天守の価値、なぜ江戸城なのか?
という必然性に説得力が欠けるといわざるを得ず。
アピールすべきはそこなのか・・・
品があるとかないとかって、どうも響かぬ・・

ドイツのベルリン王宮再建の話も出ましたが、
余所がどうだから、日本も・・式の考え方はどーしても
なじめないんですよね・・・そうじゃない、と。

■中井検裕氏

中井氏からは大きく二つの観点で検討したという話。
ひとつは、「現代の」都市計画という観点。
もうひとつは、建築学的・構造学的に再建可能なのか?
という観点だということです。
・・・大事な何かが抜けているような気がするのですが(汗)

ま、いいや。中井氏からは前者に関してのお話。

グローバル化が進展する今日、都市の競争力を高めるには
都市が持つ固有の魅力を研ぎ澄まされなくてはならない、と。

そして、都市固有の魅力を引き出すには、
都市の持つ歴史に根ざしたものである必要がある・・・ふむ。

歴史性を意識した都市計画。そうすると、
東京の原点である江戸、江戸城に注目せざるを得ず、
東京になった後も、江戸城の構造的・空間的遺産を
大いに引き継いでいるわけですね。

一方で歴史性に配慮がない整備がされてきたのは、
その通りで、これをどう歴史的な配慮をして
魅力ある「都市計画」を進めていくかが課題と指摘されます。

一方で江戸城の外郭では、江戸城石垣の整備、
(文部科学省の構内など)や東京駅の整備など、
歴史をキーワードにした整備がされています。
外濠なんかも注目されていますよね?

その一環で歴史空間の再認識と周辺地域の歴史を意識した
環境整備と連携する東京の中心の整備が必要、と
おっしゃっていました。

東京駅を起点とし、桔梗門から本丸に入り、
天守や(将来は御殿や櫓の再建や日本橋川の首都高を
地下に沈めて)日本橋川の濠を楽しめる回遊ルートを
つくりたい・・・とのことです。

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日本橋川が開けるのは、天守再建とは別に
非常に素敵なことですよね・・・・
そして、天守が求心力として働かせるということ。

うん、わかるんですが、なぜ天守なのか?
天守でなくてはならないのか?という点に関しては、
やはり、説得性が今一歩といわざるを得ないかな、
というのが、個人的な感想ですね・・・

■三浦正幸氏

今や、おなじみの三浦先生登場です。
建築学的側面からお話いただきましたよ♪
資料にあった雛型・・・わくわくしますねー!

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甲良家資料に関する説明。何度も三浦先生から、
よくお伺いした内容です(笑)

そして、正徳度の資料も解説がありまして、
こちらは大工棟梁の甲良家ではなく、建築の知識に疎い
絵師の描いたもの、ということでした。
技術的に見て、ちょっと正確ではないとのこと。

あの瓦が銅色で描かれているのも
本来の姿を写しているものではないんですね。
だったら、NPO法人が出している復原図の
真っ黒黒の姿もほしいものですね(個人的趣味)

城好きさんには有名な・・今の天守台が
明暦大火後につくられた天守台であることも紹介。
穴蔵の面積は同じで高さだけが、一間低く造られていると。

寛永度の天守台が七間、現天守台が(一部埋もれてますが)
六間となっていて、約2m(1.81818m)低いんです。
この理由、初めて知ったのですが・・・

何でも家光が完成した寛永度天守を見て廻った際、
本丸を巡らせた多聞櫓の屋根の上に少し石垣が見えていて、
下品だ・・という感想を漏らしたとのこと。

あと一間低くしておけばよかったと嘆いたのだそう。
後に再建するつもりで天守台を築きなおした際、
家光の言葉を守って、低くして築いたのですね・・・

屋根の銅瓦葺と側面の銅板張は、既報の通りですね。
せっかく耐火性もバッチリだったのに・・・惜しい。

そしてその大きさの話にも言及。普通の畳を敷くと
総床面積を覆うには、2,330畳にも及ぶそうで・・・・
21世紀に建てられる純木造建築としては、
東大寺大仏殿に次いで、世界第二位の建築になるそう。

んで、再建の暁の話ですが、通し柱が往時の天守には
あったそうなのですが(2-3階、3-4階、4-5階)
委員会で検討した結果、2-3階の通し柱は通し柱に
しないほうが強度が高いということがわかったそうです。

柱に関しては、60cm角が26本、36cm角が503本、
30cm角が129本、24cm角が16本。36cm角の長さが
半分のものが52本。城門部分に4本の計730本。
梁がおよそ250本くらいだそうですから、1,000本ですね。

これらの柱、明治から大正にかけて人工植林で植えられた
国産檜を用いて木材の調達ができそうなんですってよ?

100年を超えた樹木は生長がほぼストップし、
炭素固定もほぼ行わないことから、新たに植林することで
CO2の吸収にもなるのだそうで。ほぅぅ。

そして、日伝建の腕のよい職人の皆さまの腕を振るう
場ができ、技術の伝承にも一役買えますしね・・・
建築的にはまったく天守再建は喜ばしいことですよね!!

■小林寛行氏

続いて、日本経済研究所の方から経済波及効果の試算。
前提としては、開業1年目までとし、建設費と
来場者の消費支出を基にした産業連関分析。
# あー・・・経済学部でそんなのやった気がする・・(笑)

ということで、1年間の波及効果が約1,000億円だとか・・・
建設費350億円が1年で回収できるってことですかい?

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その前提をつぶさに見ると・・・年間来場者が
なんと500万人ですって?スカイツリーが638万人、
東京タワーが520万人、江戸東京博物館が265万人・・・
というのを参考にしているそうですけど。

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マジで?低い数字じゃないっておっしゃってましたけど、
スカイツリーとかと同列に扱っていいの?
天守にそんな人が入るんだっけか・・・なんだか不安な試算。

一応、城郭同士の比較で熊本城本丸御殿が
初年度220万人だったそうですけど・・・天守と御殿の差を
考えてっておっしゃってますけど、無理ないですか??

入場単価は1,200円はまー・・・・許容範囲かな?
スカイツリーの激高を考えるとね?
あ、わたしにとってはぜんぜん安いですけどね(爆)

350億の投資で初年度70億の売り上げがあれば、
ビジネスとして成り立つかもしれないけどね・・・
うーむ。

■山田幸夫氏

最後は、(株)久米設計代表取締役でもいらっしゃいます
山田氏からコメントがありました。

進める上で大事な点を7つ上げられていました。

ひとつ、誰もがやるべきだろうな思わせる合意形成は?
ひとつ、構造的に問題がないのか?
ひとつ、材料が調達可能なのか?
ひとつ、法的に問題がないのか?
ひとつ、工程的に問題がないのか?間に合うのか?
ひとつ、コストは見合うのか?
ひとつ、事業性があるのか?持続可能なのか?

いずれも検討委員会で問題ないという判断だそうですけどね?
しつこいですが、最初のひとつめが大きな問題ですよ。
誰もがやるべきという合意形成に、都市計画だけでいいの?
ということですよね。歴史的な観点が決定的にない。

宮内庁との問題はある意味、この会の中でも既知の問題として
認識されている一方で、歴史的な観点の欠落が
致命的だと思わざるを得ないのです・・・

そしてブレイクタイムには、なぜかくまモン・・・
江戸まで天守再建の応援に参勤交代ですか(違)

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後半には、有志会員の皆さまによる意見発表。

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どれも有意義な視点だし、特に未来志向であるべき!
であるのは同意だけど、誰も城としての魅力や
文化財としての価値への指摘がないんだよなぁ…
もやもやもや。うーん。

そして、懇親会。ここぞとばかりに三浦先生を独占(笑)
一気にお聴きしたいことをたくさんお聴きしました。

■天守台と天守指図との整合性

天守台はもちろん埋められているのを
撤去しないといけないわけですが・・・
一度も天守が建っていないがゆえに、礎石もあるわけがなく、
あったものの痕跡を探すための発掘調査・・・
という意味ではそう時間がかからないと見込んでいるとか。

なるほどね・・・床面積が想定通りな時点で
大丈夫なのかな・・とちょっと安心はしました。うん。

ただ短い…とはいえ、発掘調査は約1年で進める予定だそう。
組み上げ期間も当時とくらべたら格段に短くなるが、
木材の準備のほうに時間がかかりそうね。
乾燥とかじっくり時間が要るからね・・・・

■銅瓦の謎。

謎だった銅瓦。正徳度の絵図を見る限り、
赤い銅色をしてたの・・・・?
と思っていたのですが、実は天守側面の銅板と同じく
松脂と炭を主体にした黒い防腐剤黒チャンが
銅瓦にも塗られていたそうなんです!!

ということは、創建直後は緑色ではなく
真っ黒だったそうなんですよね。
ただ側面と違い激しく風雨に晒されるので、
5年もすれば剥がれてくるのだそうです。

そして、少しずつ酸化銅の緑が現れるそう。
こうして出すほうが美しい緑色になるですってよ・・・!!

一方で名古屋城大天守の創建直後は赤い銅色ままだったとか。
今でもその当時のカラー写真が残っているそうで・・・
三浦先生としてはあんなのはナイ!と仰っていましたが、
ちょっとその様子を見てみたいわたしなのでした(笑)

■天守台と天守指図との整合性

三浦先生を(ほぼ)独占してしまいましたが、
いろいろお話を聴けてホクホク。翌日には広島に
戻られるとのことで・・・お忙しい。

さて、会場を後にして、少し歩いて江戸城大手門を
横目に見ながら、帰宅。

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んでですね、個人的な所感について。

(1)「視点」の問題

今回の提言は、都市計画の観点と建築学的な観点の
2点からの再建可能性を議論されていたわけですけども、
歴史的な観点、また文化財としての観点で
江戸城天守の価値の整理と再認識がされていないなぁ…
というのが、率直なわたしの意見でして。

つまり、なぜ江戸城天守は再建に値するのかという命題を
江戸城の歴史の流れの中でどう位置づけるのか?
ということについて明確な議論がされていないのです。

東京の原点として、江戸城を位置づけながらも、
単純に江戸城を辿ればいいというようにしか感じられない。
江戸城の歴史を審らかにして、現代に生かす
という「丁寧さ」が感じられない点に危機感を憶えます。

別記事でまとめていますが、天守再建に疑問ないし
批判的な意見がある多くの理由のうち、
天皇陛下や宮内庁との問題を除けば、
江戸城天守に対する「歴史認識」の違いに端を発する問題が
かなり多くあるように思っているからです。

一方で、この会の中の動きとしては、歴史的あるいは
文化的な価値は自明のものとして進められている印象で、
歴史を知る人々や城を愛する方々とのギャップが起きている
ということに気づかれているのだろうか?と心配でした。

城や歴史に関心のある方々を如何に味方につけるか?
歴史的な位置づけについて、オープンに議論できるような
場の設定が必要かもしれませんね。

つい先日も、城フェスであれだけの人が集まるくらい、
城に関する関心度は高くなってきているわけで、
これらの方々との連携は、必要不可欠だと考えます。

(2)500万人の来場者想定

ちょっとレベルの違う話になりますが、
日本経済研究所から経済波及効果についての分析結果が
あったんですけど、ちょっとその前提に疑問。

江戸城天守入城料1,200円はまーいいとして、
初年度500万人来訪者想定。

てことは、1日あたり14,000人程度の来城です。
仮に8時から20時まで開いていたとして、
開館時間12時間とするならば、1時間あたり1,000人以上も
天守の中に常にいることになります。

で。

皇居東御苑にそんなキャパシティがあるのか?
天守に常時1,000人がいて、強度上問題ないのか?
そもそも1,000人も天守に入れるのか?

どこまでを有料スペースにするかもありますが、
天守内だけを有料にするのであれば、
ちょっと現実的ではないような気がしていて、
これで公共投資が要らずに運営していけます!
と宣言するには、少々心もとない気がしています。

ま、思いの強さとしては(1)ですよね。
城である以上、歴史に関心のある人々を無視は出来ないはず。
もちろん、わたしもそのひとりです。

その点の言及と関心の少なさが非常に気がかりですね。
そもそも江戸城に関心のある方々は、そういう議論を
待っているはずです。都市計画だけを提示すれば
合意を得られる・・・わけはないですよ?

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