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会津に武田の欠片を探して・・・その3 会津藩校日新館~阿弥陀寺

さて、翌日は日新館。この日は予定が少ないから…
と胡坐をかいていたら、乗る電車に遅刻。
というわけでタクシーへ・・・がっくし。

どういうわけか狛犬がお出迎え。ども。

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山川健次郎先生。知らなかっただーれーこの人ー?
と言ってたはず。八重の桜見ててよかった。
てことで、山川さんお邪魔します。

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日新館正門。復元ではありますが、
なかなかよくできているのではないでしょうか?

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ずっとつづく白い壁は、鶴ヶ城内を思わせますね。
やっぱり赤瓦がいい。

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復元會津藩校日新館の碑。
当時の松平勇雄・福島県知事の揮毫。
松平知事は、容保公の孫。会津の方にとっては、
格別の思いがあったことでしょうね。

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さて、入ります。会津葵をしっかり確認。

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入ってすぐ見えるのが戟門(げきもん)。
孔子を厚く敬っていただけに中国色の濃い意匠です。

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門の瓦にちょっとビックリ。会津葵満載でした☆

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アップ。丁寧に造られているなという印象です。

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中国風の戟門にも会津葵がぎっしりと。

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こちらもアップです。軒丸瓦も含めて、
銅瓦葺のようですね。おおっ。

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さて、戟門からさらに中に入ってまいります。
戟門とは戟を持った衛兵が守っていたことに由来するそう。

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戟というと・・・呂奉先の方天画戟をイメージするように
中国の武器という印象。こんなところにも
中国風にこだわったのでしょうかね。

金聲して玉振するなり、の扁額を見ながら奥へ。
孟子の一節にある孔子のことばですね。

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戟門内にも狛犬が。ただどことなく中国風・・・
もちろん、狛犬の起源は中国を通して
伝わってきているわけですけど。

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ななななんと、大清乾隆年製とな?
あの清朝乾隆帝の時代のものですか・・・!?
なぜここにあるのだ・・・・

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何気なく置いてあるけど、めっちゃ貴重なモノ?
じゃないかしらん・・・・

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この鐘も・・・実はすごいんじゃないかしら。
解説がないからよーわからんが・・・

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奥には孔子を祀る大成殿・・・よりも
その周りを取り巻く三日月状の池というか、
濠というか・・・にそわそわ(武田病発病)

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ね、なんか三日月濠をイメージさせるような・・・・
前に広がる部分が丸馬出のような(黙れ)

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本来は、洋水といい防火用水として、また身を清める
という意味を持った池なのだそうです。

大成殿の奥には、孔子像が控えておりますぜ。

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まずは東塾から見学。二階には上がれません・・・・

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漢文の素読中。個人的にはあの読み下しって
どうなんだ・・・と思うのですけどね。
中国語ですから、中国語として読んだほうがいいような。

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こちらはお習字中。飯沼貞吉って・・・
白虎隊の生き残りの方だ。

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伊東悌次郎さんと天球儀。
こちらも八重の桜見ていてよかった・・・
あの悌次郎さん。

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こちらは太刀の受け渡しの作法のお勉強。

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さて、向かって大成殿右手の大学。
成績優秀者と家督継承者たる長男が
討論や自主研究などを行う場・・・だそうです。

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ついつい目に行っちゃう釘隠し。
シンプルですね。(そりゃ江戸城と比べたら)

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立太子前の皇太子殿下(当時浩宮徳仁親王)も
お成りになったそう。

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寛文八年銘・源容保書とある家訓。
おそらく保科正之公の家訓を容保公が書き写したもの?

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そして大学から大成殿へ。一気に中華の世界へ。
学び舎であるだけでなく、孔子廟なんだなと思います。

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掲げられている「萬世師表」とは、
孔子はいつまでもわれわれの先生であるという意味。

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大きな堆朱の甕。龍の爪は四本爪。
中国では五本爪は皇帝の象徴であるため、
むしろ四本爪のほうが古いものなんじゃ…と思ったり。

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そして、孔子像。もちろんオリジナルは会津戦争で
失われているため、新たに孔子の生誕地である
中国山東省曲阜にて制作を依頼してできたものだそうな。

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台北の孔子廟の代表の方から日新館に
贈られた孔子誕の記念板。こういう交流があるのいいな。

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そのほか、秋篠宮紀子妃殿下も会津に
ゆかりのある方って知ったり。
てことは、悠仁親王もそういうことになるよね。

八重の桜登場人物の写真を拝見して、
佐川官兵衛のイメージが違うなぁ・・・とか(笑)

さて、大成殿を後にして向かったのは、
水練水場池。水練場を備えていた藩校は
会津日新館の他、長州明倫館くらいだったそうです。

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もう少し澄んだ水にしていただいて、夏場には
水練体験ができたらいいのにね・・・

次に入った武講にて、驚きの事実が発覚・・・・

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裏手が先ほどの水練場。なかなか破風の重なりが
すばらしくよい城郭建築でした。

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で、驚きの事実とは・・・会津の水練術は
向井流といい、伊勢水軍の流れを汲んで
一時期武田水軍で重きを成した向井正綱に端を発すると。

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会津に伝わったのは、保科正之の時代。
旧地信濃高遠より天龍川で修練した藩士が会津で広めたと。
高遠でこの水練術があったとすると、武田水軍の流れ?
としか考えられませんね・・・ここにも武田の欠片。

後に徳川に仕え、同じく旧武田水軍の小浜景隆とともに
徳川騎下にあって徳川の水軍力の要として重きを成します。

ま、徳川ともゆかりがあるので、その流れかもしれませんが、
保科正之の時代とあれば、武田の遺香が残る時代ですからね…

個人的に武田水軍の話をこの会津で眼にするとは
思いもよらず、ひとりテンションが上がってました(笑)

さっそく池にドボンして、向井流泳法を・・・・
(こらこら)

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それにしても藩校に池があるだけで、趣も違いますね。
元水泳部員としてもどんな様子だった気になるところ。

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そのほか、武講では、頼母さんが特に甲州流軍学の
奥義を極めてたって…ホンマかいな。もっと詳しく!!!

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武田国継ネタはホント謎過ぎてよくわからんのだけど。

西武学寮では、幕末明治記念館になっていて、
会津藩の北方警備の様子の説明。稚内から樺太まで到達。

会津と余市のリンゴのお話も書いてありましたが、
ニッカとの関係まではなし。なんとかニッカと会津を
つなげたいものですねぇ・・・(余計なお世話)

その他、1986年年末時代劇「白虎隊」で使用された
鶴ヶ城天守の特撮シーン用模型がありまして。
けち臭いことに撮影禁止なんですよね・・・・

石垣が剥がれていたり(それはないだろ)、瓦が崩れた
素屋根部分が露出してたり(写真では瓦は崩れてない)
ツッコミどころ多く、ま、撮れなくてもいっかな、と。

水練場の奥には弓道体験できるところも。

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弓術はそっちのけで会津藩の弓術の解説に興味津々。
道雪派とかあるから…あの戸次道雪?と思ったが関係なさげ。
むしろもう一派の日置豊秀流開祖の圓城寺吉忠のほうは、
肥前の圓城寺氏。龍造寺隆信配下にいましたね。

故地に唯一跡として残っている天文台跡。
石垣がなっとらん!建物はしっかりしているのに!!

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ただ、眺めは非常によろしゅうございました。
往時なら天守が見えたんだろうな・・・なんて思いながら。

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天文台の隣は砲術場。天文台の土塁と石垣で
弾を受け止めるって・・・天文台に土塁あったかな?
丸々石垣だったような・・・うーん。

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さて、日新館を後にします。出口にあった
康煕帝時代の文殊菩薩。日新館開館を祝し・・とあるけど、
これって再建日新館のことだよね?

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この後は、会津若松市内に戻って斎藤一忌を
やっている阿弥陀寺へ・・・さすがに終わっても人が多い。

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でも、真っ先に萱野さんの碑のほうに行くなど…
だって誰も気にしてないんだもの・・・・

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碑にはびっしりと碑文が・・・

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人がある程度掃けたところで、斎藤さん
(というか藤田さん?)になむなむ。

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やはり、人気がおありなようで・・わたしの後も
まだ手を合わせる人は、次々といらしていました。

もちろん、御三階+本丸御殿の唐破風もしっかりと。

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冷静に見れば、唐破風が大きすぎるんですけどね…

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鶴ヶ城遺稿としてかなり貴重な会津葵の
本丸御殿の鬼瓦。

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軒丸瓦と比べるとやはり格の違いか、
紋の完成度が違うように思いますね・・・・

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この葵紋は後付でしょ?と思っていましたが、
明らかに紋も違いますね・・・(汗)

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御三階も会津葵が。このひょろっとした御三階、
けっこう本丸内で異質な建物よね?

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この日は珍しく御三階が開いていました。
この日だけなのかなぁ・・・奥には
かなり晩年の容保公像。気品ありますね。

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しかし、賽銭箱は島津十字なのは何でですか・・orz
(薩摩っ子が言うのもなんですけど)

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しかし、裏に回ると・・・御三階の驚愕の姿が・・・
えええええっっ・・・!!

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なんという無残な・・・ガッチリコンクリートで
固めてあるだなんて・・・側面までびっしり。

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しかもこれ、臍穴めちゃくちゃじゃないの・・・orz
なんで外向きに「IT」なんて見えてるんだ(汗)

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こっちなんか初重はただの民家やん・・・

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しかもかなり傷んでますね・・・・悲しい。

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斜めに材が走るなど・・・・どういうこと?
漆喰のように見える部分から剥がれた裏に
コンクリート的な何かが見えちゃってるし…あぁぁ。

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うーん、残念なの見ちゃったなぁ・・・
気を取り直して、ご飯でも食べよう。
会津バーガーさんにて「鶴ヶ城バーガー」をはむはむ。

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ベーコンが赤瓦なんですってよ(笑)
ボリュームたっぷりで美味しくいただけました。

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こういう専門店のバーガーは美味しいですね☆
アボカドが個人的にいいアクセントでした。

最後に長命寺の土塀をば。会津戦争における
長命寺攻防戦での鉄砲の弾痕が残っていると聞いて。

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この赤瓦は当時の瓦なんだよね・・・しみじみ。

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燈籠に刻まれた会津葵。

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鬼瓦にも会津葵が。あとから付け足したようにも
見えるんだけど、どう据えつけられているんだろう?

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そして長命寺には、会津戦争で亡くなったまま
埋葬することも許されなかった戦没者の遺骸を葬った
「戦死墓」があります。戦死墓・・・としか刻むことを
許されなかったとか・・・南無・・・

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戦争はいつの世も酷いものですが、せめて命を
落とした者を全うに葬るのは礼儀だと思うのです・・・・
薩摩の血を引く者として、ものすごく申し訳ない。
戦国の世ですら、戦没者は敵味方区別なく厚く葬るのが倣い。
申し訳ありません・・・・ううっ。

さて、一旦ホテルに戻って、緋の衣をごくごく。
会津で買ったわけではないのですが、せっかくなら会津で
飲みたいと思ってわざわざ取り寄せて持参したのです!

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孝明帝から授かった緋の衣、そして降伏したときの
泣血氈・・・会津の明暗を背負ったそのリンゴが
ニッカウヰスキーとの縁もあるんですよね。
こういったツナガリは歴史好きにはたまらなくてですね・・・

竹鶴さんがウイスキーを世に出す前の
大日本果汁製林檎汁の味を想いながら、いただきます。

このあとは、白孔雀食堂の内藤信昭さんと
呑み呑みタイム!ひゃっはー!

実は内藤さん、ウイスキーがお好きだと聞いて
ぜひご一緒したかったのです!行きつけのお店と
バーで楽しいウイスキー談義・・・・

ご本人はあまり歴史には詳しくないそうなのですが、
わたしには胸熱なのですよ・・・だって、
あの内藤修理の血を引く(昌月は養子ですが)方と
ウイスキーの話をして盛り上がれるのですから・・

てか、普通は内藤修理ではなく、内藤介右衛門が出てくる
ところではありますがね!わたし的には内藤修理。
だって、この記事のタイトルも・・・・
「会津に武田の欠片を探して」だからっ!

なんたる私得!武田とウイスキーに万歳!(笑)
って言って舞い上がってるから、写真を撮ってないわけ(汗)

いやー、ホント酔い時間。楽しいなぁ。
また、会津に行きたくなってきた・・・・いやいや、
まだネタが残ってますぜ(汗)

翌日は、いよいよ会津藩公まつり!

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