会津に武田の欠片を探して・・・その1 会津若松城外郭散策
ずっと、伸ばし伸ばしにしてきた会津紀行。
ようやく手をつけますよ・・・・昨年9月、
シルバーウィークの頃ですね。
今回は、もちろん大河ドラマがあって
その足跡を追うのもひとつの目的でもあったのですが
会津って、探せば探すほど武田の遺香がするのです…
ということで、武田目線での見る会津を楽しもうかと。
郡山での乗り換え。毎度おなじみのあかべえが
出迎えてくれますよ。
昨年限定(まだいるかも?)の八重たん。
だいたいこういう顔をつっこむのは
やらずにそのまま撮る派。
お城ボくん。若干、熊本城のひご丸とかぶってる?
気もしますが・・・・まぁ、気にしないことにしましょう(笑)
まずは、蒲生氏郷さんへご挨拶に。
あなたの建てた天守、どのようだったか見てみたいよ…
この日の目的は、鶴ヶ城の外郭散策。
というのも、鶴ヶ城籠城戦で威力を発揮した
北出丸の様子に武田流の丸馬出を重ね合わせるなど・・・
北出丸。これが往時は丸馬出だったわけ。
この規模で丸馬出だったら、諏訪原城をはるかに
超える規模だったよね・・・
往時とは1592年。城郭は甲州流の縄張りを
用いて・・・という代表例が丸馬出だったようです。
甲州流の縄張りは蒲生氏郷の城域拡張時に、
曾根昌世(そね・まさただ)が甲州より招かれ、
縄張りを担当したことによります。
信玄の小姓・奥近習六人衆に名を連ね、
後に名を馳せた真田昌幸とともに、
信玄から「我が眼の如し」と称された逸材。
往時の濠もこの規模だった保証はありませんけどね。
脳内で丸馬出に変換、変換・・・・
鶴ヶ城籠城戦にまつわる八重さんのエピソードなど。
さて、北出丸の大手門をスキップし、
桜の馬場から伏兵曲輪のほうに向っていきます。
このあたりは土塁が残り、石垣化する前の
鶴ヶ城の趣があるように思いますね。
鈍角に飛び出た土塁上には、本丸北隅櫓が
ありました。大手門を狙い撃ち。
桜の馬場前あたりの伏兵曲輪土塁は、馬場側に
遊歩道があり、土塁の様子を見るのに最適。
石垣のイメージが大きい鶴ヶ城ですが、
武田の欠片を探そうとすると、土塁のほうにニヤリ、
としてしまいますね(笑)
なだらかな曲線に蒲生時代の曾根内匠の
縄張り感を見い出しながら、てくてくと・・・
ちょうどこの写真、「伏兵郭」とある右手あたりを
外側から見て回っています。
こうした曲線も屏風折れ・横矢掛かりのため…
なのでしょうかね?
埋門そばの濠端。ここで濠は一旦終了。
三の丸跡に建つ大河ドラマ館へ・・・・
三の丸はさすがにあまり残ってないね。
どこの近世城郭も三の丸が残るところは少ないけど。
籠城戦を戦う八重さん。このくらいまでは
毎週楽しみに見ておりました・・・
綾瀬さんのサインかわいい。
ドラマ中で八重さんが持ってたスペンサー銃。
こちらにも綾瀬さんのサイン入り。
籠城戦の八重さん。三郎さんの形見でしたね。
ドラマを見てるとやっぱり楽しめる。
んが、緋の衣でできた容保公の陣羽織は
撮影できません・・・ホンマもんやあるまいし、
ケチくさいことしなはんなやー(泣)
北出丸のイメージスケッチ。
あ、あれ・・・??隅櫓はないんだっけ???
そして、イメージスケッチのとおりに描いた
セットで北出丸の激戦の雰囲気を味わうことができます。
向こうに見えるのは、左手が内藤邸、右手が西郷邸か?
動画も撮ってきました・・・弾が飛んできて
あっぶねー!とビビる一幕も(苦笑)
確かに北出丸のセット・・・だけでなく、
籠城戦のCGはじめ映像は非常によかったですよね。
この凧ひとつとっても、ちゃんとドラマを見た上で
訪れてよかったですね。
角場で鉄砲体験をやったり、意外と楽しめたドラマ館。
清盛ではぜーんぜん撮影NGだったので、
少しだけでも撮影できて、まぁよかったかな。
さて、続いて二の丸埋門跡から外郭散策に復帰。
埋門自体は遺構はほぼない状態・・・
ただ、その脇の稲荷曲輪土塁は残っています。
今は駐車場の一角。
稲荷曲輪土塁上から見る桜の馬場。
桜の馬場からは木々で見えにくかったですが、
逆に稲荷曲輪側から見ると、高低差がよくわかります。
手前が稲荷曲輪、濠を挟んだ向こう側が
伏兵曲輪ですね。
縄張図でいうとこのあたり。
奥のほうは、濠が涸れていますね・・・
濠の奥の土塁上には、東門石垣。
ここから二の丸・伏兵曲輪に入っていきましょう。
東門石垣。土塁の上に石垣が・・・いかにも
もともと土の城に石垣を加えました、
という感じに、鶴ヶ城の歴史を感じますよね。
切込接布積ですが、石が少し丸い気がします。
かといってもともと丸い石でもなさそうですし、
打込接との過渡期の石垣なのかもしれません。
石垣に残る柱の跡。これも重要な手がかりなんだけど…
東門の図面って残ってないのかなぁ。
写真を撮る位置にあった枡形石垣は撤去。
東門を支えるもう片方の石垣もなく
枡形感がなくなっているのは残念至極・・・・
さて、東門脇の土塁を上がって、伏兵曲輪から
大手門を見てみましょう・・・
手前が伏兵曲輪、濠を挟んだ先が稲荷曲輪。
伏兵曲輪、けっこう薮が生い茂ってます(汗)
伏兵曲輪内は今はテニスコートです。
ううっ、さらに薮が手ごわくなってきたぞ・・・
まだまだ暑い季節でしたが、かなり木々も
生い茂って木陰に。もう少しきれいにしてくれたら…
おっ、見えました大手門!まさに大手門に突撃する
兵の背後から狙う感じですよね。この縄張り、
石垣化してもあまり変わってなさそう。
西郷隆盛が熊本城を落とせなかったことについて、
官軍に負けたのではなく、清正公に負けたと言わしめた
熊本城の堅城ぶりを示すことばがありますが、
同じように曾根内匠の武田の縄張りが、
会津戦争にも活きて、会津を守ったのかも・・・
さて、一旦伏兵曲輪・二の丸を東門から出て、
二の丸の縄張りの東・南面を歩きます。
あ、あれは廊下橋跡ですね。後ほど南面からも
堪能しますぜ!
張り出しているのは、薬師堂跡。
濠は空壕のように涸れ切っていますが・・・
南門近くになると、水がわずかに復活。
往時はどうだったかわかりませんが、
石垣だけではなく、土塁エリアもメンテしてほしいな?
と思った次第であります。見所になると思うんだ。
縄張図だとこのへんですね。
南側から。ホントに空壕だったのかも、
だけど、それならそうでキレイに草を刈らないとね。
二の丸南門前の三の丸御殿跡。
三の丸御殿跡からは廊下橋がよく見えます。
どんな姿だったんだろうね・・・映えるだろうなぁ。
なかなか見てこなかった本丸南東面。
右手に茶壷櫓跡、左手に月見櫓跡。
本丸からはよく行きますが、外からは
こういう眺めなんですね・・・というか、
このあたり土塁だったんですね、と発見。
という眺めは、三の丸土塁から。南の端は
土塁上に薮が多すぎて、ちょっと近づけません(汗)
が、土塁の残り具合としてはまずまず。
どこまでがいつの時代か、石垣と違って判別は
なかなか難しいですが、その分古い遺構じゃないかと
勝手に思い込むこともたやすいわけでして(爆)
三の丸南門から一旦退出。枡形感は分からぬなぁ。
んが、権現下曲輪に面する三の丸空壕は
何とか確認できました。ほぅほぅ。
逆側から。
外側からも三の丸土塁の様子がはっきりと。
木々に覆われるんじゃなくて、土塁もこうしてもらえると
けっこう見応えがあるんじゃないかと思うんですよね。
しっかり確認できるのはここくらいまでかな。
なにせ空壕跡に民家が建っていて、土塁とピッタリ
隣り合っていますから、民家の隙間からしか見れなくて。
さて、引き返して三の丸南門から西へ向かって、
本丸の南面から西出丸に向かいます。
このあたりは牛沼と呼ばれる雄大な濠が見ごたえ◎。
木々がこんもりしているのは、本丸月見櫓跡。
濠がどーんと開けていて、気分よろしい☆
ただ本丸に木々が多すぎて、せっかくの鉢巻石垣が
少々確認しずらく・・・
干飯櫓もかろうじて確認できる程度・・・・
どの程度、資料があるのか知りませんが、
本丸の櫓群も復元させて、同時に鉢巻石垣も
はっきり見えるようにすると、牛沼の景観もアップし
城好き的にも魅力がアップしますね・・できんかな?
あ、八重さんこんちは。
さて、西出丸・内讃岐門跡まできました。
石垣は切込接乱積。比較的石が大きめですね。
本来ここも桝形門だったようですが、
奥の石垣は撤去されてるっぽい・・・・うーん。
西出丸。ここも北出丸と同様相当な規模ですね。
圧倒されます・・・(角を必死で丸に変換中)
西出丸にも、西南・西北の二基の櫓が。
櫓跡は出隅になっています。
北出丸との大きな違いは、中央に横矢掛がひとつ。
同時につくられたのか、あるいは時期が違うのか…
若干積み方が違うようにも見えますがね。
西南隅から。この大きさの丸馬出はすごいな・・・
(しつこい)
西出丸は鴨さんの縄張りでもありましたよ。
すいーっ!
すいすいーっ!
さて、今度は北側から西出丸に進入。
こちらはちゃんと枡形になってるっぽーい☆
なんか残念な補修跡があるような気がするけど、
見なかったことにする・・・
先に見えるのは横手坂。
北出丸の奥、本丸北の太鼓門につながります。
石垣上から西出丸濠を眺める・・・やっぱり
高いなぁ・・・(角を丸に・・いいかげんにしろ)
西北隅櫓跡。確か古写真はありますし、
再建できそうな櫓ではありますよね。
発掘調査のしがいもありそう。
けっこう見ごたえはあるんですが、
誰も来ませんよ(にこにこ)
西出丸は全体的に駐車スペース。
皆さん、クルマを停めたらさっさと天守に
行っちゃうんでしょうなぁ・・・
横矢スポット!
さて・・・ようやく北出丸に戻ってきました。
大手門の反対側、北出丸西門跡。
左手には、北出丸西北隅櫓跡が見えますよ。
ということで、今回の踏破ルートはこちら。
今まであまり行っていないところを中心に回りました。
武田フィルターを通すと土塁と縄張りの構造も
実に興味深く感じることができましたねー!
さ、歩いた後はごはんです。
こづゆ・・・今回の会津旅ではこづゆを何度も
頂きましたが、ヘルシーで美味しいし、
(本来はおめでたいときのものだそうですが)
常食したいくらい気に入りました。むはっ。
もちろん、それじゃ腹は膨らみませんので、
おそばとソースカツ丼も頂きましたがね・・・(笑)
この後は、北出丸から天守、そして
「会津古今旅帳」という古地図アプリを見ながら、
覚馬さん・八重さんのご自宅と日新館跡へ
最後に、会津の酔い時間へ。
会津って、NBA福島県の会津支部って
独立した支部があるほど、Barもある街なんですね。
善き哉、善き哉。
blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
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