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武田の城へ!甲斐攻城オフ … その1 躑躅ヶ崎館・雲峰寺・恵林寺・甲府城

さて、歴史・城ネタが続きますが・・・
10月の甲斐オフ。豊後国からはるばる甲斐にいきたーい!
とおっしゃっていただけたあむさんに便乗し
じゃー、みんなで行こうぜ!ということで☆

参加者は・・・九州からは、
あむさん(@mapple88)、kuroさん(@s_walker38k)
信濃からは、えりさん(@eri_neve_cae)
関東勢は、寺旅人さん(@TERATABIST)、
しみずさん(@Shmz_bon)、なっちさん(@natchdes)
ロームさん(@turinobuse)、そしてわたし。

体調を崩されたぺんとさん(@pento46)と
都合が途中で合わなくなったさらさん(@akiusagi_apple)
は残念ながらお越しになれず・・無念。

ちょうどこのとき台風がブチ当たってて、
雨なのに山城どうするよ・・と言っていて、
結局、新府城には行けず仕舞い。

楯無鎧の公開も中止・・・と書かれてあるのに
晴れた翌日にこっそり見せてたなんて話も
聞いてしまって、むっかー!と来るなど・・・・
まぁ、波乱に満ちたオフでしたね(汗)

ということで、初日は山城を避けて、
躑躅ヶ崎館、雲峰寺、恵林寺、そして甲府城。
皆さんと武田史跡を回れるしあわせ(喜)

■躑躅ヶ崎館

まずは躑躅ヶ崎館。ざーざーの雨です・・・

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手水場も武田菱!とかわーきゃーしている皆さんに
どうじゃすごいじゃろ、と我が事のように
上から目線で眺めていたと思います(笑)

信玄公が使ったであろう井戸跡も雨でじゃぶじゃぶ(笑)

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お城好きさんにとっては、気になるであろう
大手口の復元遺構のほうへ…豊臣期遺構の再現で
武田期ではないのが、口惜しいのですが・・・
ま、豊臣期遺構も遺構ではあるからね・・・・

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案内板をじっくりチェックする皆さま。
武田期遺構についての解説もありますぜ☆

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水濠の再現、なぜだか蓮だらけに・・・
2012年に来た時には、そんなことなかったのに?

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ちょうど石塁を取り囲むような感じで、
三日月濠がありました。必死に脳内合成すると、
意外と大きくはないな、という印象。

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こんな感じです。少し南側は石塁と三日月濠が
オーバーラップしていますけど。

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諏訪原城の三日月濠のほうが圧倒的ですね。
ま、信玄公時代にそんなにここをガチで
守る必要性はなかったわけですが・・・・

さて、このあと武田神社崇敬会会員特典を
発揮して、皆様を拝殿へとご案内。
宮司さまもいらしてくださり、武田の大神さまの
(信玄公のことを武田神社ではこう呼びます)
ご加護を皆さまに!信玄公、よろしくお願いしまーす!

ちょっと拝殿から天守台(徳川期か?)が見えるかな?
と思ったんですけど、ムリでしたね(汗)

さて、祈りが通じたのか少し小雨になって、
西曲輪のほうへと進みます。

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こちらは晴信時代の1551年増築。
義信の婚礼(数え14歳)に合わせてつくられたそう。
これだけみても、如何に晴信公が義信さんを
大事にしようと考えていたか分かりますよね??

ということで、西曲輪は武田神社の敷地にもならず、
晴信時代の遺構が明瞭に残されていて、武田好き観点でも
城好き観点からも非常に重要なスポットなんです!

本曲輪から西曲輪への土塁上から、南の水濠。

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そして北側。特に北側は濠と土塁の高低差が高い!
信虎期の頃からこんなにすごかったんかな?

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グイッとえぐれた濠・・水嵩が少ないからこそ
逆に濠の形状がよくわかりますね。

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北西角。かなりダイナミックな濠ですよね。
どうせ平城の居館跡でしょ?と思ってたあむさんには
びっくりだったようです。ふへへ。

おお、すげぇ!という声が聞こえるたびに、
そうだろうそうだろうと自分のことのように・・・
(本日二回目)

あの石積は、徳川時代の天守台のものかな?
かと思ってましたが、ひょっとしたら天守台は
単独で据えられたなら、武田時代の石積みの可能性もあるな。
・・・と諏訪原城の石積を思い出しました。

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んで、何よりすごかったのは西曲輪北虎口の整備。
昨年見た際には、まだ整備中だったんですけども。

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今回はこんなに枡形が分かりやすく!ほっほー!

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ちなみに石垣は武田家滅亡後に施されたのではないか、と。
石積自体は要害山城にもあるんですが、
ここのは、栗石が埋められた豊臣由来の工法。
その石垣と重複する場所に門の礎石が見つかっており、
武田時代の門跡と推察されるそうですよ?

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そして、礎石から推察される門の規模は、
幅3.3m、奥行3.8mで櫓門だったと推定されるそう。
後世の、たとえば江戸城の枡形などと発想的には
何も変わらないですよね・・・

西曲輪土塁上からみた土橋。
おー、キレイにキュッと狭まってますねぇ!

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そして土塁上から見た枡形のすばらしさよ・・・
すごくいい整備をしてくださいましたね☆

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門を想像中・・・櫓門かぁ・・・
どんなんだったんだろう。興味津々・・・

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こちらは、後世でいう高麗門があるべき方の門跡。
外側に面した門ですね。手前に土橋が続きます。
枡形の門から美女が一人歩いてきます(笑)

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その反対側は味噌曲輪跡。往時の様子を
見て取るのは難しいね・・・が、「味噌」という名称が
なんとも興味深い。信州味噌を奨励した信玄公なので
味噌の貯蔵をいっぱいしていたんだろうか、とかね?

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こちらは、西曲輪を出て右手、本曲輪の北西面に位置する
稲荷曲輪。石垣はこれも後世のものでしょう。
徳川期のものかもしれませんね。

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今もお稲荷様が鎮座。

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色鮮やか過ぎる瀬戸物の破片・・謎。

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北側はあまり人が来ないからか、濠跡にも
木々が生い茂りわかりにくい・・・きれいにしたいもの。

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きれいに削平された・・・曲輪っぽい跡。
無名曲輪の一部でしょうかね?

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こちらは御隠居曲輪。大井夫人が住まう曲輪。
こちらも曲輪を確認するのは難しそうだなぁ・・・

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そして、その向かいの本曲輪との間の濠。
さらに木々が生い茂りまくり・・・むーん・・

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本曲輪の東もきれいにすれば、ダイナミックな濠が
しっかり見られるのになぁ・・とひとしきり
文句をぶつくさぶつくさ・・・(苦笑)

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そして、かぶとやさんでお土産を漁った後、
ほうとうをはふはふ。豚肉辛口をいただきました。
ほうとうは寒い時期にこそ頂きたい甲斐の料理ですね☆

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■雲峰寺

さて、この次は・・・要害山城はヤバいので、
わたしのリクエストで武田家家宝のひとつである
御旗(最古の日の丸)や孫子旗が多数
納められている雲峰寺へ!ずっと行きたかった!

駐車場にある売店も「孫子の旗」(笑)

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味わいのあるほうの参道から向かいます!

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不許葷酒入山門。の、飲んでないからね!
(餃子もイケマセン)

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てくてくてくてく・・・・

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霧掛かっている様子がなんとも神秘的。

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石垣の脇で眠るように安らかなお顔の地蔵さま。

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本堂。信虎の再建と伝わるそうです。
天文年間に焼失し、信虎が再建。とはいえ、
天文10年(1541年)に信虎が追放されてしまうので、
若き晴信も少しからんでいたのかもしれませんね。

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寺紋は武田花菱。やはり花菱がひとつ上の扱いなのかな?

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霧掛かる本堂。

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庫裡にもしっかり武田花菱。こちらも本堂とあわせ、
信虎時代に再建されています。

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庫裡と本堂。

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んが!なぜか徳川葵・・・なんでや!
徳川家からも恩恵受けたのかな・・・
恵林寺も家康が再興してるもんねぇ・・

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ぐはぁ、こちらの門には五七の桐・・・豊臣?
しかも菊花紋まで、なんなんだ・・謎だ・・・(笑)

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平成になって築かれた資料館。
ここに御旗と孫子旗、諏訪神号旗があるんです!

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御旗の本物・・というのに。県指定文化財とは!
楯無鎧が国宝だってのに・・・なんという格差・・・
いまや日本の象徴たる日の丸とともにあった武田家、
そして、その崇敬の的になった御旗が今眼前に・・・

また、孫子旗や諏訪明神旗、武田神社に保存されている旗は
若干崩し字になっているのだけど、ここに保管されている
旗はいずれも同じフォント。

型を取って量産していたのかな?という印象ですね。
雲峰寺の旗は武田滅亡の折に家臣が寺に
預けた・・ということですから、勝頼の時代のもので、
武田神社にあるのは、信玄時代・・とかでしょうかね?
(勝頼に孫子旗は使っちゃイカン!と言ってたんですが。汗)

そうそう、後に聴いた話なんですがね・・・
実は、孫子旗と諏訪心旗明確な使い分けがあったそうでして
孫子旗は攻撃の合図、諏訪神号旗は休息の合図。

この二旗は信玄本陣にしか掲げられないはずなので、
この旗を見て、信玄の命を見て取ったのかもしれませんね。

■恵林寺

そして、恵林寺。もう数え切れないくらい来てますが、
皆さんと一緒に行くと、違いますよね。

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だいたい混み合う頃に行くのが通例なので、
こんな様子を撮るのは珍しいですね(笑)

んで、ハッと見つけてしまった燈籠。
徳川葵があるではないですか・・・なぜ???

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ここでハッ!と気づきました。
赤坂のニューオータニにあった燈籠と同じだ、と。

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文昭院殿とあるのは、徳川家宣の法名・・・
明治以降、荒廃した寛永寺は荒廃して、
お金に困って将軍墓所の霊前の灯籠などを
よく売りに出していたということなんですが、
恵林寺も購入していたのか!

お隣は有章院殿=徳川家継。

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奥に行ってもいくつか寛永寺の燈籠があります。
惇信院殿=徳川家重。

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清湛院殿=徳川家斉娘・淑姫。

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・・・とちょっと脱線しましたが、いつもの四脚門。
1606年、家康寄進で再建。

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こちらの紋は割菱なんだよねぇ。
いつ割菱がメジャーになったのか、割菱と花菱、
使い分けはどこに基準があったのか。
ぜひぜひ知りたいところ・・・

高貴さがある花菱と抽象化されてシンボリックな割菱。
どっちも捨てがたい・・・

恵林寺三門。こちらも同年代だけど、
県指定文化財なんだよねぇ・・違いは何でだろ。

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心頭滅却自涼とありますが、この日は
何もしなくても涼しいので心頭滅却無用(笑)

さてお堂のほうに入りましょうか・・・

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武田花菱の軒丸瓦☆

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唐破風の車寄せから入らせていただきます。

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いつも思うんだけど、この瓦が現役だったころの
恵林寺の写真ってないのかな。明治時代。

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ご本尊の釈迦如来さまにご挨拶。

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うぉぅ、うぐいす廊下で十六の菱でできた
花菱紋が・・・これの謂れは謂れはーっ!(うるさい)

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釘隠しも武田花菱でニヤニヤ。

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晴信剃髪時にその髪を塗りこんだといい、
また姿かたちも晴信に似せたと伝わる武田不動尊。
「風林火山」の際にオープニングにも登場されてましたね。

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雨のあとだったので、下には降りていけず。
信玄公墓所。実は亡くなった3年後に法要があった際に
できた墓ではなく、百回忌の際に旧家臣団が集まって
法要を行い、建てられた墓なんですね。

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・・・って、あむさんに説明した後の一言。

「・・愛されてるなぁ」

そうなんです!時代を超えても愛されてるんです!!

帰りに少し寄り道してお団子を食べたり…
なんかロームさんは誰かに貢いで全部食われてましたね(笑)

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■甲府城

んで、甲府城はまぁ・・・山手御門だけ
なんとか時間ぎりぎりで間に合いました。
天守台と稲荷櫓。ずいぶん暗くなっちゃいましたね。

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ボランティアの方が熱心に説明していた
甲府城天守の図。かの三浦先生が立面図を作成されたそう。

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以前、秀吉創建の姫路城天守の図を見たことがあって、
それによく似ている気がしますが、
このデザインに落ち着くのはなぜなんでしょうね??

個人的に豊臣期の天守は、資料が少なすぎて
復元は難しいと思うんですがね・・・
以前甲府で三浦先生が講演会されてたように思いますが
どのようにあのデザインに落ち着いたのか知りたいところ。

ある程度、天守台の構造から推定できる点は
あるように思うんですがねぇ・・・

もちろん、望楼型・下見板張り好きにとって
眼前にすれば、わーきゃー言っちゃう天守になる!
のは必至なんですけどね(笑)

付け櫓をつけて廊下の形状で調整する・・・というのは
先日ヒストリアで三浦先生が解説されていたように
この時代の歪な天守台だからこそなんでしょうな。

正面から見ると左右が広がって見えるのは、
岡山城天守、ひいては安土城天守にも
形状的な相似点があるということなのか・・・!?

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どこまでこれが真実に迫っているか・・という反面
明らかに極私的に好みの天守・・うううっ
いずれ、三浦先生にお話を聞きたいところです。
甲府で講演あれば聞きに行きたいなぁ・・・

さて、夜。宴会タイムでございます。
ここはわたしが指定させていただきました!
はなの舞 風林火山☆来たぜ、信玄公!

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通されたのは、川中島合戦の間。
その割には暖簾が・・なんだろって感じ(笑)

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武田な空間で夜の宴・・・いい時間でした。
このあとラーメン食いに(しかも久留米(笑))
出かけた皆様も・・元気だなぁ。

てことで、翌日は要害山城と熊城、
そして湯村山城。躑躅ヶ崎館を守る
トライアングルのふたつ。

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