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2013年12月

2013年を振り返る。

さて、もう大晦日。2013年最後の夕陽も沈み、
2014年の到来を待つばかり・・・・

ということで、2013年の記事も相当書けていませんが(汗)
振り返ってみることにしましょう。

目標だった、

①戦略的に人と会う、つまり次につながる方々との
 出会いの場をたくさんつくっていこう

②旅やイベントの記録だけにならないよう、
 想いを語ることを増やそう

③思いの丈を具体的なアウトプットに結実させよう

という3点に関しては、①はかなり進んだ印象、
②は100%満足というわけではないですが、
ある程度は書けたかな、③は今後の課題…ですね。

■プライベート

①武田家

一昨年から、戦略的に人に会っていこうというのが
今年はどーんと花開いた気がいたします。

というのも、武田家ご宗家はじめ、旧温会の皆さまや
和渕武田家つながりで屋敷跡にお住まいの方、
そのゆかりの方とも知り合いになれたわけですよ。
人のツナガリができたという意味では、武田家関係が一番大。

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武田神社の例祭にも参加しましたしね・・・
来年も絶対行く。たぶん今年以上にいろんな方と
お話できそうな気がする・・・!!

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山県館にもゆっくり泊まりたいし、三郎兵衛さんについて
いろいろお聞かせいただけたら(あつかましい)

真田関係ではたまきさんとのツナガリを皮切りに、
レキシズルバーへの参加、上田真田まつり・・・
と真田昌幸さんをまたもっと知りたいな、
と思わせるきっかけにもなったりしましたね。

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ちょっと別枠かもしれないけど、会津の内藤さん
と飲んだのもいい記憶。歴史にはあまりお詳しくない
とおっしゃるご本人としては、ウイスキーの話を
していただけなんでしょうけど・・・

あの内藤修理の家を受け継ぐ方と自分の好きな酒の話で
盛り上がれるなんてうれしい限りですよ。ほんとに。

会津でまた行きたいと思えるバーができたのも
いいですよね。バーって人を楽しくつなげますよね。

②城

一昨年から、城好きさん方と交流させてもらってますが、
ついに駿河や上野の武田城郭(上野は真田か)
に行けたんですね。誘ってくださった
城好きさん方に感謝です!!

岩櫃城しかり、諏訪原城しかり、丸子城しかり…
諏訪原城は、個人的にThe best castle of the year授賞!

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行っているはずの要害山城や熊城での発見があったのも
城好きさん方と一緒に行くから、の発見でしたから。
武田神社での信玄公のご加護の賜物かな?(笑)

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城攻めの今年のテーマのもうひとつは、現存櫓めぐり。
特に高松城月見櫓の構造にはしびれましたね・・・
The best castle of the year次点は、高松城です!

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次代につながる再建の過程を見れた駿府城坤櫓も
大きな楽しみになりましたし、土壇場で行った松山城野原櫓も
非常に天守構造の過程を知る興味深い櫓でした。
その他、大坂城千貫櫓、岡山城月見櫓、福山城伏見櫓
明石城坤櫓、備中松山城二重櫓、など。

展覧会やイベントでも、名古屋城が如何に大切にされて
記録されてきたか、修理されてきたかに感銘を受けたり、
名古屋城を見直した(笑)1年でもあったかも。

Nagoyajo1

再建関係では、江戸城・小田原城など木造で
再建する団体の連携のスタートになった年でしたね。

江戸城天守はまさにこれから動き出そうとしていますし、
賛否両論ありますが、批判される間はまだ関心を
持ってもらっているということでしょう。

別に記事にしていますが、資料が豊富で正しい再建が
できると思いますので、天守はもちろん可能な限り
本丸御殿や本丸櫓群も含めて、東御苑は江戸城本丸として
整備できたらうれしいですねぇ。

このCGが実在になる日を思い描きながら・・・

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③琥珀色

ウイスキーはちょっと新しい取り組みは
少なかったかな…という反省。
城と武田に重心が掛かった反動かな・・・??

そんな中でもWhisky LIVE Tokyo 2013で
出ていたシングルカスク余市 1988-2013 #100212
手に入れたのは、極私的に大きなできごとでした。

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値段的にもちょっとえいっ!と奮発するようなお値段。
ただそれだけの価値はあって、好きな新樽の香りだけじゃなく
非常に表情が豊かで、変化をちゃんと楽しめるモルト。

毎年、その年に買った一番のお気に入りのニッカを
実家に持って帰るのですが、今年もニッカから
ウイスキーに入るきっかけをつくった父の評判も上々。
今もまた飲んでいるようです・・・
(年末年始しか飲めないのでね♪)

ただ、琥珀色は来年がまた盛り上がりますね。
なにせニッカ80周年ですし、朝ドラ「マッサン」があるし!
ニッカファンには目が離せない年になりそうです!

 実在の人物をモデルとしますが、「ある日本人技術者
 と英国人妻」の“夫婦の人情喜劇”として大胆に再構成し、
 登場人物や団体名は改称し、羽原大介さん作の
 オリジナル脚本によりフィクションとしてお届けします。

ってところに若干の不安はあるのですが・・・・

■議論のやり方

基本的に今までネットの世界では、平穏なほうだった
わたしですが、いろいろ揉めた(ように見える)
できごとも多かったのも事実ですね。

きっかけとなったことは、さまざまではありますが、
なかなか異なる意見と交わるのは難しいものだと
改めて思った次第です。

基本的な考え方として、以下の5点が大事だと思っています。

・揉めたらまず最初に言葉の定義と議論の前提を明確に
・もちろん相手に対する侮辱はご法度。相手を丁重に扱い
 (意図しなくても)不快にさせることがあったら謝罪する
・自分の信念がいかに強くても、相手に強制してはいけない
・逆に自分の評価軸を相手に預けてもいけない
・相手の評価軸と自分の評価軸のすりあわせを行い、
 双方の評価軸の交わりうる点をさぐる行為が議論である

まぁ、付き合いの長い方は分かるとは思いますが、
鷹揚には構えているようでも、ここぞというところでは
無謀にも引かないタイプであるわたしです。

しかし、議論に対する構え方がまず合わないと
議論にならないな・・と実感しました。

そして、twitterは議論には向かないと聞きながらも
なんとか違った意見の方から学べるようにしたい、
という思いはあったのですけど、

・そもそも違う意見から学ぶ気がない
・違う価値観とは接したくない、見たくもない
・意見は違うけど、議論するほど
・特定の話題にだけ関心があり、議論が正しくできているか
 チェックしない(ファシリテートすることに関心がない)

という場合は、特にtwitterではタイムラインを汚すこと
にもなるわけでして、あまり深追いしないほうがいいんだな、
と今更ながら学んだ次第です。

もったいない気はするんですけど、相手あっての議論。
そこは深追いは無用ということなのでしょう。

逆に意見が違うという表明をしても、議論にまで
発展させるほどの強い思い入れが双方どちらかに
でも欠けていれば、議論にならないし
し続けちゃいけないんだ、とも。

■しごと

実は昨年12月から臨時ではあるとはいえ、
以前から自分の経験を生かしてこうしたいと思える
内容に携われることができて、また戻ったら
この経験を活かして…と思っていたところ
想定外の仕事に6月末に飛ばされるなど…
という激しい断絶のあった年でしたね。キビシイ。

けっこう不本意な内容でも、どこかに自分のやる気の
ツボがないだろうか?やりたい内容との関係は
どうなってるか?など、自分のモチベーションを
発掘する術を自分で探し出してきたつもり。

しかし、理不尽に耐えることが善であり、
あらゆる口ごたえをしないことが是となる世界。

仕事をするのにやる気云々じゃなく、気合だという世界。
そして、妙にウェットな人間関係で成り立つ世界…

そりゃ、嫌気さす人が出るよね。こんなにも物理的に
近い位置にいていながら、異世界を体験することがあるんだ?
と思いましたよ。

もちろん、人手が足りない中で常に仕事量が
増えていくのは当然としてですね…

という中で、あくまで最初に思い描いた道にこだわり
その軌道修正を模索し続けるか、はたまた
新たな道を探ったほうがいいのか。

以前にも何度も同じ問いを自らに課し、そして
不本意な中にも活路を見出してきました。
それでいいのか?惰性ではないのか?

今まで先送りにしてきたのは、否めません。
本当に悩んで結論を出さないといけないのかな・・・

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
楽しいこと半分、厳しいこと半分、
どちらにも大きく振れた年男の1年でありました。

さて、これで年内の更新は終えます。
年明けおそらく三が日後くらいにできたら更新・・・
という感じになろうかと思います。

興味があっちにこっちに落ち着かないblogですが
お読みいただいた方には、感謝申し上げます。
これからもご贔屓にして頂けると幸甚。

いよいよきたる2/1にて、丸10周年になります、
このblog。なんか盛大に記事を起こしたいなとは思案中。
2014年もよろしくお願いいたしますね。

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竹田城について考えてみる。

自分の考えたことを残すというある意味、
ブログの原点(Weblog)というネタ。
忘れないうちにログに残しておきましょう。

きっかけは、奈良大学の千田嘉博先生のツイートから。

12/25のとあるニュースで竹田城に関して、
「城跡はないが、石垣だけが残る」いう矛盾した表現が
あったということを紹介されていました。

そこで・・・

なんて表現をするんだケシカラン!あの石垣がいいのに!
貴重な遺構だぞ!やっぱり世間は建物がないと
城じゃないんだ…わかってない!

・・と流れていくどんどんとタイムラインに
一抹の違和感を覚えながら眺めていました。
ええ、建物から城に入った人間として…ね。

その違和感とは何ぞや。一言で言うなら、
「知らないということそのもの」を叩いている点。
間違っているという指摘や批判ではなく、
知らないことに対する非難。

そういう方々って、たぶんお城が好きで、
知識もいっぱいある人たちなんだと思います。

でもね。ただの「揚げ足取り」なんじゃないの?
という気がするのです。
そんなことより、なぜそのような表現が
まかり通ってしまったのかについて、
もっと深堀していく必要があると思うわけですよ。

もちろん城とはそもそも?ということに対して、
認識は低い表現であり一個人が言うならともかく、
テレビで流す表現としておかしいのは確かです。

好意的に解釈すれば、「建物はないが
石垣だけが残っている」と表現したかったのでしょう。

そこを「建物」と「城跡」を間違うとは何事か、
建物だけが城跡じゃない、という非常にまっとうな
「正論」ではあります。うむ。

しかし・・・城について知識をどれだけの人が
どれだけ持っているというのでしょう。
わたしはいつも自分の関心事が「マイナー」である、
つまり、自分が常識として知っていることでも、
皆にとっては常識ではないということを認識していて。

たとえば普段城の会話をしないウイスキー好きの皆さんと
たまたま城の会話するときに、城好きさんと会話する
共通言語で話して、え?こんなことも知らないの?
と言いません。当然。

城=天守だとか城=城郭建造物という認識を
城にそれほど関心を払っていない人たちが
持っているのだとすると、とりもなおさずそれは、
その城の本質的な意味とは別の、城への一般的な認知形成が
どうされてきたかを物語る歴史ではないか、と考えています。

あ、戦後復興天守がボコボコ建ったから、
城=天守だと思うようになったんでしょ?というのは
早計だと思いますよ?

そういったことを横に置き責めてたとしても、
それは意識をもって関心をよせてはいない人たちの常識、
というきわめて堅固な「城」に対して
正面きって突撃していくようなものでしょう。

知られていないことに憤って、何でわかってないんだ!
という前に・・・なぜ城に詳しくない人はそう考えるのか、
どうしたら魅力に気づいてもらえるか・・・

城から少し離れて、歴史全般の話に広げてみたとき、
例えば、ゲームなどから入ってきた比較的
歴史に接してから日が浅い方々に対して、○○好きなのに
△△なことも知らないの?などというのは禁句!
だと思っています。

いいんです、知らなくて。
知識なんて、みんなでいくらでもシェアすればいい。
好きだと思ってくれる人が増えればいいのです。

いいんです、違ってても。
違っていたら、自分の目線はしっかり持った上で
お互い学びあえばいいし、互いの世界に
足を踏み入れたっていい。

やっぱり違うなと思ったら、そういう世界もある。
と存在を認められればいいはず。

・・・でしょう?

なのに、話題が城になったら、城といえば
天守だ建物だと言ってる人は、
ミーハー城好きになっちゃうんですか?

多少被害妄想はあるのかな、とは思いますが、
建物、特に天守が好きなんて言ってると、
天守にうつつを抜かすは城好きにあらず・・
という雰囲気すら感じます。

えっとね、石垣のよさや土塁のすばらしさを語るのに
建物を貶める必要はまったくないんですよ。
むしろ、自分から興味を持った方だけに閉じてしまい、
建物に興味がある人との溝をつくるだけ・・・と。

そもそもの同好の士とはつながってもせっかく
「お城に関心がある」というところまでは
近いところにいるのに、少し離れて
土塁や石垣の城もいいでしょ?って広げられない。

そうじゃなく、なぜ、石垣の城がどういいのか、
自分にとってのたくさんの当たり前を振り払って
説明できるようにならないといけないのです。

そう・・・それは説得であり、プレゼンであり、
面接であり、マーケティングなのです。

わたしはここ数年、石垣の城の魅力や土塁の城の
楽しみ方を学び、視野が広がっただけでなく、
そこから得た知識を元に建造物を見返すとわかることも
非常に多いなと思うんですよね。

あくまでも城(武田家関係はまた別次元)に限るなら、
建物 > 石垣・土塁・縄張、ですよ、いまでも。

今回のような、残念な表現を目にしてしまったとき、
なんて程度の低い認識なんだと非難して終わるんではなくって、
城=天守だと思っている方の考える価値を否定せず、
プラスアルファでこういういいところもあるよ?
って、言っていくためには、どうすればいいいのかな?
と考えなくちゃいかんな、と思うわけです。

で、どうすればいいのか・・・
それはやはり語り部を増やすこと。

観光とか町おこしとかは一旦横において、
自分の言葉で竹田城のすばらしさを語って、
人の心を響かせられる人を増やすこと。

マスコミや報道といった「マス」で伝えようとすると、
その性質上、その本質をなおざりに
しがちなのだろうと思います。

だから、竹田城は遺構の修復という意味も含めて、
立ち入りは厳しく制限すべきなのでしょう。
その本質的な価値を見出せる方に限って。

そしてそういう方々こそが、人の関心のツボを突いて
竹田城のすばらしさの何たるかを語っていく
しかないように思います。

できること、できないことありますが、
文句を言うだけではなく、
自分に何ができるか?を考えたいです。

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武田家宗家と武田史跡を訪ねるバスの旅…その5 秋山光朝館跡・椿城跡・安養寺

さて・・・いよいよ最終回。

■秋山光朝館跡・廟所

加賀美遠光の長男である秋山光朝館跡。
熊野神社になっていますが、こちらも三方を崖に囲まれ
金丸氏館のようにちょっと城館の要素があって楽しいです。

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神社の社殿にも武田菱と三階菱。

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内からだと少しわかりにくいですが・・・・

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裏から見ると、ストーンと崖が落ちているのが
わかりやすいですね。

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加賀美遠光から派生したのは・・・
長男・秋山光朝、次男・小笠原長清、三男・南部光行。
加賀美家を継承したのは、四男・加賀美光経でした。

んで、このラインナップ。小笠原家は信濃守護を経て、
信玄にボコボコにされながらも生き抜き(笑)
明石藩主、続いて小倉藩主としてしぶとく生き残っていますし
南部家も言わずと知れた北東北の雄。戦国大名としても
名を馳せ、盛岡藩主として残っていきます。

という中での秋山家。ものすごい家系なんですね・・・・
そして、信玄を中心にして考えると、
信玄を支えた重要なひとりである秋山虎繁、
信玄に追われて没落する小笠原長時・・・対照的。

秋山光朝自身は、妻を平重盛の娘を娶っていたこともあり
源氏挙兵の際に弟長清に先んじられて、頼朝から疎まれ
粛清にあったと言われているそう。

甲斐源氏の勢力が強かったこともあり、勢力削減しないと
危ないと思われたんですかね・・・
その最期は不明だそうですが、地元の伝承では、
詰めの城である中野城で自害したと伝わるそうです。

しかし、子孫は生き残りって承久の乱で
武田信光に従って戦い功を上げたそうで・・・・
武田家との深いつながりはここからなのかな?
一部は福井に残ってそこでも秋山家が繁栄。

それ以外にも、讃岐に下向した秋山氏がいたり、
近世では虎繁の弟の家系は旗本はもちろんのこと、
長岡藩や山形藩にも子孫が残っていたり。

でも、全国の秋山さんが自らのハートランドとして
今でも集まってくるそうですね。
そんな神聖な場所である・・・光朝公廟所。

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脇に供養塔。小笠原家が本流ということで
三階菱を使いますが、秋山家は丸に三階菱。
ちょっと本流外れちゃった感じかな?

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■椿城跡

続いては、大井信達が在城した椿城跡。

P1350854

一応想定される図面はあるのだそうですが、
現地ではほとんどわからず・・・・

Tsubaki

ただ一度レーダー調査はしたことがあるそうで、
そこで確認された地形から縄張図の想定が
されているようですねぇ。

大井一族の墓や・・・・

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上野盛長一族の墓。小笠原長清の孫に当たるそう。

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ただ遺構はほとんど目視で確認できず、
ちょっと残念だったな・・・

■安養寺・鼻採地蔵尊

さて、今回のツアーの最終地点。
十日市が昔行われていた・・・という
安養寺・鼻採地蔵尊。

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このあたりの地侍で武田遺臣だった
野呂瀬主税助直自がこの十日市の由来と地蔵像を残し
今に伝えているのですが・・・・

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その現物を見せていただきました!

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武田家滅亡後、当時甲府城代であった平岩親吉配下に。
その後、1607年に徳川義直が尾張藩主に転じ、
義直の附家老として平岩親吉が尾張に移った際に、
ともに甲斐を離れて、尾張に向かったのでした。

3年後、清洲越しを経て名古屋に入り、
今も名古屋に残る「主税町」には、彼の屋敷があったそう。


大きな地図で見る

そんな野呂瀬主税助が奉納したのが1640年。
30年も経った後に奉納しているんですね。
それでも、甲斐への愛着があったんですね・・・
小さな小さなできごとだけど、いい話。

さて、バスで甲府に戻ります。
夢のような武田充の時間が終わろうとしています。
最後、なかなかチャンスがなかった
ご宗家さまとの名刺交換をなんとか済ませ・・・

失礼させて頂いた際にまた参加してくださいね、
とおっしゃって頂けた有り難さをかみしめながら、
信玄公ラテでちょっとブレイク。

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せっかくなんで、真っ暗だけど武田神社に
会の成功を(僭越ながら)ご報告に上がってきました。

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二礼二拍手一礼して出ようとしたら、ちょうど18時。
太鼓の音がどん、どん、どんどん、どんどんどん…
神社を後にするわたしを見送るかのような太鼓の音。

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さて、甲府でおいしいもの食べて帰ろう。
お屋形さまの領地内の蒸留所(笑)の
富士山麓と白州のハイボールで・・・

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甲州ワインビーフを堪能!
甲斐オフで肉食べられなかったのでリベンジ☆

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デザートには、桔梗信玄アイス!
いろんなバリエーションが出ましたねぇ。
プリンもおいしいけど、アイスもいいな。

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さてさて、楽しすぎる甲府。
先般の甲斐オフとは違った意味で充実した甲斐でした。

ご宗家さま、板垣事務局長、武田事務副局長はじめ、
旧温会皆様、NPO法人南アルプスファーム
フィールドトリップのお二人、貴重な機会を下さって、
本当にありがとうございました。

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武田家宗家と武田史跡を訪ねるバスの旅…その4 法善寺・古長禅寺・安藤家住宅

さて、まだまだ続きます。

■法善寺

法善寺・・というと、大阪人的には千日前の法善寺、
を思い出しますが、もちろんそれとは別。
加賀美遠光(ががみ・とおみつ)邸跡だそうです。

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えーっと、加賀美さんって誰?という方のために・・・
甲斐源氏の祖・源義光(八幡太郎義家の弟)の曾孫で、
武田氏初代・武田信義の弟に当たる人物。

甲斐国巨麻郡加賀美郷を本領としたことから、
加賀美氏を名乗るわけですが・・

ちょうどこのあたりは、御勅使川扇状地の端にあたり、
もぐりこんだ地下水が湧き出るところになり、
米どころだったそうですし、馬のどころでもあったそう。

経済的にも有利で、武士に不可欠な馬もいる・・・
ということでここに拠ったのでしょう。

平氏に仕えていたとされ、高倉天皇時代、
宮中に怪異が起こったところを魔を払う弓を払う儀式をし
その功(?)で不動明王像に加え、
特別に「王」の一字を与えられ、家紋の三階菱は、
この王の字を象形化したものだそう。

ということで正面の車寄には、この三階菱。
加賀美家やそこから派生した小笠原家
(信濃守護で信玄に追われた小笠原長時に連なる)
はこの三階菱を用いるそうですね。

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その割には、他は武田割菱ばかりでしたが(笑)

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法善寺はもともと北巨摩に806年に創建されたそうで、
真言宗の寺としてできたそうで、後に遠光屋敷跡に
孫の遠経が遷したようです。

本堂にも上がらせていただきました。
三階菱と武田の割菱!

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本堂内には備前長船兼光銘の大薙刀だったり
見ごたえのあるお宝がいっぱい!

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こちらの大薙刀は、信玄が村上義清・小笠原長時を
信濃から追った後に武田八幡宮に奉納した薙刀で
明治期に大般若経が武田八幡宮から神仏分離の実施により
引き渡されていますが、そのときでしょうか?
この薙刀も法善寺に移管されているそうです。

しばし刀身に見惚れる・・・

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その他、信玄木像も。写真撮り忘れたので、
パンフレットから・・・・めっちゃ眉間に皺よせてはる!

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この法禅寺、信玄七男で出家して玄龍と称していた
安田信清が出家したお寺なんだそうです。
後に、勝頼の命で還俗して安田氏(甲斐源氏傍流)
を継ぎ安田信清と名乗ります。

武田滅亡時には高野山で隠棲し、後に姉の菊姫を頼って
米沢に赴き武田に復姓、米沢武田家となっていくわけです。

そのほか、信玄が詠んだ和歌百首の写本が残っていたり、
建物としても魅力的でもあります。創建時の建物は
織田の兵火でほとんど焼失しているようですが・・・

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あと珍しいのが1995年に建立された不動明王堂。
建材がステンレスだそうで・・・

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とにかくおっきい・・・・・圧倒されます。

■古長禅寺

古長禅寺は、信玄の母大井夫人の菩提寺にして
若き晴信が岐秀元伯に学んだ地。

また岐秀元伯から授戒されて剃髪出家し、
法性院機山信玄と称したのもこの寺なんですね。
晴信から信玄、人生に大きな影響を与えた師からの
学びの場として、信玄の人生で重要なお寺。

大井夫人没後、老いた岐秀禅寺のために
長禅寺を甲府に遷したため、元の長禅寺を
古長禅寺と称するようになったとか。

古長禅寺のビャクシン。開基となった夢窓疎石が
四天王(毘沙門天・持国天・増長天・広目天)をかたどり、
植えたと伝わる。国指定天然記念物。
樹齢約700年にもなる古木です・・・・見ごたえあり!

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古長禅寺の門は、武田花菱でした・・・
(そんなんばっかしチェックしてる)

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裏は割菱!

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本堂。残念ながら住職さま不在で入ることはできず。

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外から見て、釘隠しも花菱だーって確認確認。
(しつこい・・・笑)

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大井夫人墓。
自らを呼び寄せ、寺勢の発展に寄与した大井夫人を
中興開基として、岐秀元伯が礼を尽くして葬ったそう。

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大井夫人に手を合わせ、古長禅寺を後にします。

■安藤家住宅

江戸時代の豪農の屋敷。元は小尾(おび)氏を称したが、
武田滅亡後に一時徳川家に仕えるものの、
帰農し母方の姓を名乗ったのがこの屋敷の主・安藤家。

安藤氏・・・とは武田家中に聞かない姓だけど、
元は佐竹氏から分派し、巨摩郡津金村に所領をもった
津金衆の一族に小尾氏を名乗っていたようなので
ここの関係の一族なんでしょうね。

ただ母方の姓たる「安藤」の由来はちょっとわかりません。

さて、安藤家住宅。重要文化財に指定されてます。
茅葺ではありますが、堂々たる構えの長屋門。

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中門まで・・・母屋の式台付の玄関。
当主と身分の高い客人を通すときのみ使われたとか。

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折れているのが、やっぱり枡形的発想?
とか思っちゃう城好き病患者(笑)

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主屋。宝永5年(1708年)建造。
宝永年間に地震があって、液状化現象が起こり
屋敷が傾いてしまい、村ごと移転。
その際に河原の高台に再建されたのそうです。

棟札に身延山三十三世の曼荼羅があるなど、
安藤家、かなりのチカラがあったことを思わせます。

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豪農の屋敷で千鳥破風がついてるお宅は珍しいかな。
かなりの格式を感じますね・・・

安藤家の下がり藤。

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避雷針の松。もともと高台に生えていた松を活かして
庭園に組み込んだのだそう。

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当主が寝起きした間には二階に逃げられる
仕組みがあったり・・・地元ではよく思われてなかった?

茶室の欄間。透かし彫りのデザインがやけにモダン。
幕末ごろの作だそうです。

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高台感がわかりますね・・!!
ある意味、土塁上に築かれた城館のような・・!!
(はい、なんでも城に見えてくる病発病)

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茶釜を置く場所が端に寄ってる・・・
やはり風景を眺めながら、茶でも一服なのかな。うん。

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一旦外に出て、少し散策。
高台感がさらにわかりやすい。

液状化現象で移転したわけで、水が迫ってきても
いいような場所ということで選ばれたんでしょうな。

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しかし、こんな高低差のある庭園も珍しいよね。

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海鼠瓦の北蔵。米俵が積まれていたそうですが・・・

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中は少しホコリっぽく、古い木のにおい。
櫓のにおいにちょっと似てますね。

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そして・・・重要文化財にてお食事!(普段はできません)
10月にもここのNPOさんがイベントをされていましたが、
それに準じる小笠原礼法講座付のお昼ご飯。

「信玄弁当膳」とは、信玄時代の軍中携行に用いられた
とされる重ね碗にヒントに作られたそう。

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武田二十四将図が貼ってありました(笑)

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季節のものがたくさんで、あまり量が多くなく
ちょっといい松花堂弁当的な感じ。

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意外と海のものがあるんですが、甲斐って海がないだけに、
海鮮モノって喜ばれるそうなんですね。
あわびの煮貝なんてのも、海のない甲斐で海産物を頂く知恵。
甲斐だからこそ海鮮を出すというのもあるんだ、
とちょっとおもしろいことも聴けましたね。ナルホド。

食後は小笠原流礼法で倣った箸置きの折り方講座。
途中まで鶴と同じ・・といわれても、折り紙苦手なわたし
鶴がまず折れませんからね(どや)

P1350821

が、なんとか折ることができました。ふー・・・
食事の場でそうそう折り紙はないでしょうが、
紙ナプキンとかで折れるかも。

P1350824

ということで、いよいよ終盤へ。
秋山虎繁に連なる秋山家のルーツに触れに参ります。

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武田家宗家と武田史跡を訪ねるバスの旅…その3 夜の宴

さて、夜の宴会。

会場には、孫子の旗と旧温会の旗が掲げられます(笑)
旗持役の方が今回不参加だったそうで、
郵送で宴会場に旗が届きました!

P1350651

宴会では、9月に行った和渕武田家にゆかりのある方と
いろいろお話ができました!

なんとわたしのblogも読んでくださってたそうで、感激。
ちょうど行ったタイミングが悪かったそうで、
あの1ヶ月後くらいにお墓の修繕は済んだそうです!

すごいなぁ・・・こんなところでツナガリが
できるとは。あなうれしや。

宴も進んできた頃、自己紹介。
皆さん、すごいなぁ・・・と思って聴いていましたが、
自分どないすねん!一般人やぞ・・・ということで、
これでもかと信玄公好きアピールをやってきました(笑)

あとで、事務局長の板垣さんから、
皆さん感心してましたよ、と教えていただき、
ひとり悦に入ってましたし・・ふふふ。

今回、一般の人も呼ぼうとご提案くださったのも
板垣さんのアイデアだったそうで・・・

ただバスのキャパシティの関係上、一般枠は極わずかで
たまたま武田家旧温会の記事に気づけたのは、
幸運とかいえませんよね・・・

こんなに武田家中の皆様の宴に足を踏み入れられる…
それだけでも感激すぎて頭がくらくらです・・・

ご宗家さまは、こんなに歴史に先日の末裔トークイベントの
お話を少しされていて、こんなに歴史に興味のある方が
多いのかと改めて感じたと話されていました。

なにせあのイベント1800人も応募してたんだそうで・・・
そりゃすごい倍率ですわ・・・第二回希望!

そして、こういった研修会は今までは旧温会メンバーが
各自で調べたことの発表会という様式だったそうで
今回、専門の方に学べるのもいい形だとも。

最後に1日目の解説をしてくださった南アルプス市の
学芸員の方のコメントがすごく印象的でした。

歴史は過去だけのものではなく、過去に先人が
たどった事実を今に生かして未来をつくるためにある・・・
歴史は未来に開かれていないといけない、
わたしも常に思うことであります。

過去を過去として学ぶだけでも、過去を顧みずに
今だけを見て突き進むのもダメ。
歴史に潜む人間としての共通性と時代背景の違いによる
考え方の違い。そこを正しく理解しようと努め、
未来に活かしたい。個人的に思う歴史に接する基本です。

んで、最後に馬場美濃末裔さまがお持込になっていた
兜をかぶって記念撮影です。どうです、このドヤ顔(笑)
苦笑するしかありませんね!

P1350654

宴会後も部屋で皆様と歴史トークをして
時間をすごすなど・・・楽しすぎる武田充な時間・・・

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武田家宗家と武田史跡を訪ねるバスの旅…その2 信玄に始まる甲斐の治水

さて、続いては信玄堤に始まる治水事業をたどります。
お昼を頂いたところで、甲斐の虎武将隊の松姫さまと合流。
たぶん信玄公誕生祭の打ち合わせかな?
この流れで後半の史跡めぐりにお越しになっていました。

んで、治水?興味あんの?と思われるかもしれませんが、
実は非常に興味があるところでして・・・・

というのは、築城も治水も土木工事であることは
間違いなく、信玄堤の構想とその実行力が
武田の築城術に連なるだろうな?
と思っているからなんですよね。

以前、堤の部分だけは行っているんですが・・・
どうやらそれだけでは信玄堤を理解したことにはならんな
とうすうす思っていたわけで、今回なるほど!
と一気にクリアになった気がします。

一応、堤の看板でも勉強したのですが、
基本は御勅使川と釜無川と交わる交点を北にずらし、
崖(高岩)で御勅使川の流れ弱めつつ、堤で受け流す・・・・
というのが基本的な考え方。

131222_2005_003

まず南へ流れる御勅使川の流れを北に変えなくては。
遡ること約8km前に石積出を何重にも形成し、
少しずつ少しずつ北に流していくのがまず第一歩。
堤を築くよりも、流れを変えるのが先…というわけです。

絵図にもこんな風に描かれています。
(江戸時代)

131222_2005_002

この御勅使川、洪水が多い「水出川」が語源とも、
また天長年間(824年~834年)に三回の大洪水があり、
その度に勅使が下向した、ということに由来するとも。
いずれにしても、名前の由来からしてものすごい暴れ川
ということはよくわかる名前ですね。

■石積出

ということで、降り立ったのは石積出二番堤。
もちろん信玄時代以降、何度も流されては再建されていて、
信玄時代のものではないですが、その考え方は
江戸時代以降も活かされています。

P1350578

P1350579

興味深かったのは、若き晴信自身が治水の重要性を
よく理解していたというだけでなく、信虎によって
甲斐がまとまったことによって、初めて甲斐上げて
大事業に取り組めた・・ということ。

信虎はやりそうにないですが(汗)信虎の手腕なくしては、
信玄堤にも取り掛かれなかったわけですね。

この堤自体は、信玄時代に築かれていたという
確固たる証拠は文書でも発掘調査によっても、
いまだ確認はされていませんが、信玄堤だけつくっても
まったく意味がない・・ということなので、
何らかの川の方向を変える取り組みはあったんだろう、
といわれているそうです。

一方、信玄堤は保坂家文書として残されている
晴信が竜王の堤防付近に住む人々を募集する文書があり、
これが晴信が築いたとされる直接的な証拠。

ちなみに、石積出と将棋頭は国指定史跡になっていて、
城館や古墳などが圧倒的な割合を占める中で
数少ない堤防史跡に指定されているそうです。

三番堤。二番堤もそうだったんですが、
実はこの高さではなく下半分が埋まってます。

P1350583

この三番提は一部を下まで残してくださっていて、
本来の高さがわかるようになっています。

P1350584

・・・ということは、この堤今は現役ではないんですね。
現役ではないからこそ、史跡になっているわけです。
一方、信玄堤は今でも現役で竜王のまちを守っていて、
史跡にはならないそう。そう「跡」じゃないですからね(笑)

このように、流れを変える堤は全部で5つあり、
ひとつ決壊しても次が次が・・連続的に堤が築かれてます。
この時代の知恵であり、また制約でもあったわけですが、
近現代になってデカくて強い堤防さえ築いていればいい、
という発想に変わってきて・・・そうあのスーパー堤防も
そんな発想を象徴しているようにも思えます。

が・・・壊れない、高い堤防をいくら築いても、
それを乗り越えてくるのが自然の脅威。

「壊れないをつくろう」という発想自体が
ある種の「人間の驕り」を含んだ産物なんだろうなぁ・・と
学芸員の方の説明を聴いて考えていました。

燃えない天守をつくろうとして、コンクリート天守を
ボコボコつくってきた歴史とどこか被るようにも・・・

閑話休題。

信玄時代に「石積」だったかどうかはわからないけど、
基本は土塁に河原の石で補強するという感じ。
城の石垣とは違って、裏込石はなさそう。

P1350585

なんやけったいなサボテンが・・・(笑)

P1350586

■枡形堤防・六科(むじな)将棋頭

次に訪れたのが、将棋頭。
将棋の駒の上の部分に似ているため、
こう呼ばれるそうなのですが・・・

石積出で北に流れを誘導した後、「く」の字の石積を
形成し南北に流れを分断。洪水の被害の元になる
南(前御勅使川)の水流を弱めるのが六科将棋頭。

一方、枡形堤防は北に流路を変更した中にあって
普段水流があまりない(耕作に役に立たない)ため、
釜無川の水を引いた徳島堰の取水口を守っている堤防。

徳島堰は御勅使川の河原をどう抜けるか・・・が
難所だったそうで、洪水のたびに流されていたのを
江戸の玉川上水の技術を暗渠化して通す一方、
取水口だけを地上に出し、この枡形堤防で
洪水から守るというしくみ。

こちらは、江戸前期にできたものですが、
将棋頭として完存している遺構です。

P1350602

P1350596

ちょうど船の先端にいるような感じですね!

P1350597

航空写真で見たらこんな感じ。
左右に流れを分けています・・・なるほろ。

P1350595

こちらは明治40年(1907年)の甲州大水害後に
補修された姿であるそうですが、長くメンテナンス
され続けてきた歴史を大切にしたい・・・・
とおっしゃる学芸員さんのお話にナットク。

この水害でもはや御勅使川を南に流してはいけない・・・
ということで埋め立てられ、昭和になって
道路になったのだそうですね。

取水口。今はバルブになっています。

P1350592

以前は木々で覆われてしまい、なにここ?
と地元の方も思っていたくらい、忘れられた遺跡。
取水口は機能していたので、森の中に井戸が…
みたいな感じだったそうです。

それを今回のツアーの企画元であるNPO法人
南アルプスファームフィールドトリップさんが、
ヤギを一定期間放牧し、ヤギに草を食べて
もらおうという作戦
で、キレイになって往時の姿が
現れた・・のだそうですよ。ヤギさん感謝!

上のリンクによると、武田氏館跡も定期的な除草が
必要・・・とあって、たぶん西曲輪や味噌曲輪あたりを
指しているんだろうなと思われます。
ヤギさんが武田神社の新たなシンボルになるかも?(笑)

そして、六科将棋頭。これは信玄時代からあったと
推測される(ただし文献等では未発見)そうですけれど、
もちろんこちらも何度も補修されてきています。

航空写真で見るとわかりやすいのですが、
現在では、御勅使川の南流れ(前御勅使川)が埋め立てられ
六科将棋頭が使われなくなったため、
南側が破壊されてしまっています・・・

P1350606

残る北側の石積。石は河原石と思われる小さな石で、
積み方はちょっと谷積っぽい。江戸時代の石積は
残るはずがない・・とは思っても、甲府城の石垣と
比べることができたら、面白かっただろうな。

P1350608

この将棋頭の内側には、戦国時代から水田が広がり、
石高の少ない武田領にあって兵糧を支えていたんだなぁ…
と思うと感慨深いですね。そして今も耕作地。

P1350610

やはり裏込石はなさそう。その上に建造物を
建てることが前提になっている城の石垣とは
目的が違うからでしょうかね・・・・?

P1350611

石積を降りてみます。梯子型の土台を設け、
その上に石を積み上げるとともに、
根固めとしてもう一列伸ばしています。

P1350614

アップ。この碁盤の目状になっているところに
梯子型の木製土台が埋まっているわけです。

P1350615

ちなみに過日訪れた甲府城の石垣展示室にあった
甲府城石垣の胴木。学芸員さんにお聴きしたところ、
この技術はどうも築城術からの応用ではないかとのこと。

P1350159

胴木も軟弱地盤の上に石垣を築くための知恵で、
こちらも不均等に石が沈まないようにする仕組み。
共通性が興味深いですね。

■信玄堤

本来はこのあと、加賀美遠光邸跡に行ったのですが、
内容の連続性の都合上(汗)翌日の信玄堤。

紅葉がきれいでございました!
桜に紅葉に・・信玄堤にはこういう楽しみもありますね。

P1350700

実は1日目にも少し通ったのですが・・・
信玄堤って現在でも二重になっていてですね、
内側にあるこちらの堤防が信玄時代の堤が
そのまま残っているところなんですって☆

P1350565

お話で面白かったのが、保坂家文書以外にも
信玄堤の存在を傍証する史料があるそうでして・・・
竜王のとある古いお宅にあるという、
水路に掛けた石橋に永禄四年に掛けたとあるそう。

そして何度か修復されている釜無川に沿った信玄堤。

P1350705

ちょうど増水したあとで流されてきた木々の枝などを
聖牛が絡め取っているのがよくわかりますよね。

P1350714

聖牛ってこういうヤツね。

P1350713

コンクリートで一時期造られたときもあるそうですが、
また木に戻っています。実はコンクリート製の聖牛、
木に比べてもちろん頑丈なんですが・・・

結局自然には勝てないこともあるわけで、
耐えてくれればいいんだけど、耐え切れずに
流れて行った場合、コンクリートが堤防を傷つける
など問題があるそうで、木に戻ったそう。

そして、竹蛇籠も軽くて丈夫で見直されてるそう。
鉄だと運ぶのに大変でクレーン必須。
でも、竹蛇籠つくることができる職人が
山梨県にもはや3人しかいないとかで・・・

あれが高岩。アレにぶち当てようと
流れを変えたわけですね・・・

P1350706

高岩を穿って通しているトンネル。
実はここから釜無川の水を引き入れて、
農業用水にして使っていた頃の名残だそう。

P1350710

江戸時代の絵図にも描かれていて、
長く使われていたことがわかります・・・
信玄時代にはどうだったか、訊くの忘れました(泣)

P1350718

三社神社。甲斐の一ノ宮から三ノ宮までの神様が
集まって水防祈願祭をするそう。
竜王だけでなく、甲府盆地を守る要の地に建つ神社。

P1350721

■霞堤

さて、霞堤。こちらは完全に江戸期の堤ではありますが
地元では信玄堤と呼ばれることもあるそうで…
まぁ、信玄の目指した思いを継ぐ堤という意味では
間違っていないともいえますかね。

P1350724

これ、柵平されているわけではなく
もともとこのような低い堤防だったそうでして、
乗り越えられることを前提にいくつか配して
水流を弱めるための堤防なんですね。

P1350730

ここでもムリに自然に抗うのではなく、
農耕にインパクトがないようにどう付き合っていくか?
を考えた末のアイデアなんでしょうな。

これによって、竜王の南にも耕作地が
どんどんと広がっていくことになります。

P1350726

ただ、こうすると今度は西側が洪水の被害に
見舞われることになってしまい、
最終的には堤防をずっとつなげて、狭い範囲に
釜無川を閉じ込めてしまうようになります。

P1350727

なるほど・・・甲斐の歴史は洪水の歴史でもあるんだ、
と非常に勉強になりましたね。自分ではなかなか
こういう視点では見ないと思うし・・うん。

ということで、1日目の宴会へ・・・

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武田家宗家と武田史跡を訪ねるバスの旅…その1 金丸氏館跡(長盛院)・土屋昌恒供養塔

さて、甲斐の城オフに引き続いて山梨県ネタ。
約1ヶ月ほど前・・・武田家御宗家と訪ねるツアーに
参加してまいりました。

Takeda_bus_tourism

ある日、何気なく武田家旧温会のページを見ていたら
武田宗家と巡る史跡ツアーなる企画が・・・

しかも、興味深い一節。

旧温会会員のみでなく、武田家に関心のある
一般の方にも参加を呼びかけます。

旧温会会員のみでなく、武田家に関心のある
一般の方にも参加を呼びかけます。

大事なことなので2回書きました。

そう・・・旧温会という武田家と旧武田家家臣団の集まり
ということだけでなく、ゆかりのない一般人も来ていいよ!
とのこと・・・これは行かないわけはないでしょう!

ウイスキーフェスティバル東京とかぶっていたのですが、
今回ばかりは武田家をチョイスいたしました!

実はこれ、武田家旧温会の中での「研修」の扱いで
今までは会員で企画を立てて、武田家にまつわることを
もっと学ぼうという取り組みをされているそうです。

そこで、NPO法人南アルプスファームフィールドトリップ
方とつながりができたそうで、今回の企画が生まれたとか。

今回のテーマは、南アルプス市に点在する史跡を回り
戦国以前の甲斐源氏について、また信玄堤について学ぶ
ということがテーマでした。

来ておられる方々は、御宗家はじめ板垣駿河守、
土屋惣蔵、馬場美濃・・など錚々たる末裔の方々。
飛び交う会話に武田さんや土屋さんなど、
その一片を耳にするだけでも、心が躍るひととき・・(笑)

というわけで、意気揚々と甲府へ。
とはいえ、全員が初対面でありまして・・・・

なかなか話すきっかけもつかめないまま、
最初の目的地に向かいます。土屋昌恒の実家である
金丸氏館跡(長盛院)と土屋昌恒供養塔。

P1350547

土屋昌恒というと片手千人斬りで有名。
勝頼に最後まで付き従い、天目山にて最後まで奮戦、
片手を蔦に絡ませて戦い続けたことによるもの。

元は金丸氏の出身で後に土屋氏を継いでいて、
その出生地のそばに葬られたそうです。

墓前で手を合わせる参加者の土屋両氏。

P1350548

昌恒の継いだ土屋という姓は相模国にそのルーツがあり、
信玄の時代に金丸虎義の五男である昌恒が
相模土屋氏の名跡を継いでいて、一方長男である
昌次も土屋氏を継いでいます。

この・・・氏の名跡を継ぐというやり方ですが、
信玄の時代には多く例が見られ、途絶えてしまった家系を
自らが発掘した有能な人材に継がせ、名実ともに
重臣の位置に据える意図があったのかもしれません。

ちなみに金丸氏は武田家からわかれた甲斐源氏であり、
その意味では土屋昌恒も武田の血を引いているわけですよね。
その昌恒の子が家康に召しだされ、秀忠の偏諱を得て
土屋忠直として秀忠の小姓になります。
そして久留里藩主、土浦藩主の譜代大名として続きます。

ある意味では、柳澤吉保には及ばないものの、
江戸時代に出世した武田傍流といえるかもしれませんね。

そんな昌恒の墓が生地に供養塔が以前からあったそうですが、
地元の誇りでもある昌恒を祀りたいという思いもあって
1975年に新たに建てられたのだそうです。

P1350550

新しいモノではありますが、土屋昌恒が
地元に慕われている・・という様子を
垣間見ることができてよかったですね。

続いて、金丸氏館跡。中世の居館跡ではありますが、
平地に環濠を設けるだけでなく、崖上に築かれ
城としての要素が強い居館だったようです。

P1350551

かなり舗装されてしまってますが、高さを非常に感じられ、
ここに居館を設けた意図を明確に感じられます。

P1350553

御勅使川(みだいがわ)と旧釜無川がぶつかって、
川の流れで自然と浸食されてできた崖で
北・東が護られていて、西側は土塁を築いて防備。

P1350557

土塁の前に不自然に空いた空間、ここが空壕跡。
崖で天然の高低差をつけた上、防備の薄い
西側はセオリー通りの土塁と空壕で備えたわけです。

P1350558

この写真の先に虎口があったそうで・・・
見に行きたいけど、勝手な行動はだめっ!めっ!

武田滅亡後に金丸氏館は焼き討ちにあったそうですが、
江戸時代になって長盛院が遷されます。

そもそも、長盛院自体金丸光信(土屋昌恒の曽祖父)が
建立した寺院であり、ゆかりのある地に遷された訳ですね。
その長盛院本堂。最近になって建てかえられています。

P1350555

ちなみに、土屋を継いだ金丸氏ですが
もちろん金丸本家も残っていくわけでして・・・・
良くも悪くも有名な金丸信もそうですね(笑)

長盛院のご住職さまもご挨拶に見え、ありがたいことでした。

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武田の城へ!甲斐攻城オフ … その2 要害山城・熊城・湯村山城・甲府城

さて・・翌日。前日そんなに雨ではなかったこともあり、
山城行けるでしょう!ということで要害山城・熊城に挑戦。

わたし自身は要害山城3度目、熊城は2度目。
しかしやはり大勢で行くと、気づきも多いですし、
なるほどと思わせられたり、自分では行きそうもないところへ
行けたり・・・行けるってのを実感しますね。

■要害山城

朝も早よから要害山下。れっつらごー!

P1340936

わかりにくい竪堀跡と土塁ですよね・・・
毎度見て思いますが。

P1340938

後から考えると、門跡に土留めの石積みが
多いのが要害山城なのですが、信虎の時代ではなく
勝頼の時代なんだろうなぁ、と。なんとなく。

P1340941

P1340947

不動曲輪といわれている所以になってる
お不動さま。これ、江戸時代なんですよねぇ。
もともとは不動曲輪とは、呼ばれてなかったのかも。

P1340945

そして、通常ルートを離れてずんずん・・・
あ、そっちは行ったことない(笑)
井戸跡。これは初めて見ました。

P1340948

眼前に立ちはだかる曲輪の土塁。
井戸に向かうにはけっこうたやすいかと思いきや、
比較的広い曲輪から丸見えなんですな!

P1340950

その先にはどーんと大きな竪堀かな?
大手方面は枡形+高低差で防備する感じだと思ってたので、
ここにもあるんだーとちょっと意外。

P1340951

さて、強引に駆け上がって本来なら狙い撃ちを
されるであろう曲輪に・・・!!格好の餌食(笑)

P1340955

さらに上がる部隊と中段の曲輪の藪を突き進む隊に
兵を分けて進軍・・・わたしは薮漕ぎ隊へ。

P1340959

かなり門をスキップして上層の曲輪へ・・・
要害山城は枡形がはっきりしてていいところ、
ではあるんだけどね。本曲輪前の最後の枡形です。

P1340960

土塁上から。要害山城のお楽しみのひとつかな。

P1340966

そして本曲輪。やはり山上ということを考えると
相当に広い空間ですよね。

P1340967

しっかり残る土塁。ぐるりとしっかりした高さで
残っています。残り具合がすばらしい。

P1340968

土塁上から鎮西のおなご衆に狙い撃ちに
されるローム氏(笑)

P1340970

さて大きな発見があったのは、この後。
本曲輪を抜けて搦手虎口の先には、
ダイナミックな堀切とキュッと狭まった土橋が
あるわけですが、この堀切に石積があったんです…!!

今まで降りたことはなかったんですが・・・
堀切下に降りちゃいましょう☆

P1340978

土橋方向に向かってびっしりと石積が・・・
土橋にも少し石積があるように見え、
往時はこの土橋と堀切全体を石積みが覆っていた?
のかもしれないですよねぇ。苔むし具合もGood☆

P1340987

アップ。高さにして2メートルくらいでしょうか、
ぜんぜん崩れる風でもなく、よい石積。

P1340990

土橋のそばだけではなく、転々と石積みが残ります。
草や苔がすごいのでちょっとわかりにくいですが、
ある程度きれいにすると、今でも壮観な構えを
見せてくれるのかもしれません。

P1350006

P1350004

P1350002

石積みがないように見えるところも天端石(というのか?)
だけが残っていたり・・・ということからも
堀切部分ずっと石積があったのかなぁと想像させられます。

P1340993

堀切底に石が点在しているのも・・・崩れちゃった後か。

P1350007

ちょうど石積があった端かもしれないですね!

P1350010

でもこれ、降りてみないと気づけないわけでして、
土橋から見るとわからない・・・
この人何撮ったはんのやろ?と思われること必至(爆)

P1340996

P1350024

整備し甲斐があると思うんだけどなぁ・・・
甲府市さんは興味ないかなぁ。

P1350018

さて、こんもりまるまるした櫓台と
その土塁に腰巻状に据えられた石積を見ながら、
搦手から要害山城を後にしていきます・・・

P1350021

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■熊城

雨上がりですし、実はちょっと大丈夫かな…
と思ってはいたんですが、結果的にはなんとか行軍OK!

長い尾根を下っていく先に見えてくる・・・
搦手の大堀切!やっぱりでかい!!

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それでも往時よりは堀底は少し埋まっている
ような気がしないでもないです。

P1350030

堀切を上がります・・・このあたりの土質、
滑りやすいような気がしていて、個人的には
超難関と思ってるんですが、皆さん平気で進軍。

P1350032

上がってみて、改めて高低差のすごさを実感!!

P1350033

もうひとつの大堀切も越えたところで
一の曲輪。周りに少し残っている土塁とその土留め石積。

P1350038

さすがに往時はもう少し高さがあったでしょうねぇ。

P1350040

一の曲輪を下ったところに大きな石積。
これわざわざ石積みつくって盛らないといけないの?

P1350041

脇のほうに回っても石積。いいねぇ…にやにや。

P1350045

その上段にも!これは前回気づかなかった!

P1350049

そして、下って東側に少し残っている土塁の根元にも
石積みが・・・往時はすごい「石」の城だったのかな??

P1350052

P1350058

こちらも石積跡。外側ではなく内側にしかない、
というのもポイントですよね。

P1350059

飯盛山城で山城石垣を見たときには、見せる・威圧する
という近世石垣の萌芽を見て取ったのですが・・・

一方、こちらは石積という表現が適切と思え、
土塁の補強という側面が強いように感じました。
実際滑って上りにくいというように
崩れやすい土質を補おうとしたのかな、なんてね。

そしてここでも未踏のエリアへ・・・あむさん大好物の
畝状竪堀。以前は諦めたのですが、今回満を持して突入☆

P1350063

比較的うねうね感が写真でもわかりやすくていいですね!
いつ掘ったんだろうなぁ・・・信虎?信玄?勝頼?
個人的には・・信虎に一票!

ロームさんが底にいるこちらのほうがもっと
わかりやすいかなぁ?

P1350068

ただ、楽しそうにしているあむさんの下のほうには
ここにも石積跡っぽいのが見えますよね・・謎。

P1350065

アップ。うむ・・・これはあきらかに積んでるよなぁ?

P1350072

逆側から。こちらからも光の加減で
畝状竪堀が美しくわかりやすく撮れてます☆

P1350081

さて、ここも時間の都合で諦めたその先へ・・・
搦手同様、ザクッと切られた堀切を下ります。

P1350094

一足先に進んでいったあむさんが、ここの竪堀すげぇ!
と指を差すその先には・・・・!!

P1350095

どこまで続くんだこの竪堀・・・掘りすぎっ。

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転んだら一直線にまっさかさま(笑)

P1350105

あむさんやしみずさんがみつけた位置より
少し下のロームさんの位置でわたしも見ましたが、
下から見たほうが奥の奥まで見渡せましたよーッ!!

P1350102

あ、あんなところに石積!またか!(笑)

P1350107

さぁ・・そろそろ退却です。ここで史跡境界。
というか、武田菱(笑)

P1350113

んが、遺構を見ながらだと体力的についていけても、
ここからの皆さんの進軍速度の速いこと速いこと・・・!!
しみずさん、寺さんとともにすっかりおいていかれました(汗)
が、尾根を登りきったら進軍速度アップ!

飛ばしてしまった要害山城の枡形にもご案内し、
下山しますよ・・・

P1350116

下山したら、ホテル要害さんにて休憩。
ご飯の前に黒蜜きなこ(信玄餅的な)シャーベット☆

P1350124

そして・・・・鳥もつ煮ではなくカレー(笑)
甲府感はまったくないけど、おいしいカレーでしたよ?

P1350125

■湯村山城

あむさんのタイムリミットが16時・・・ということで、
さくっと行けそうな・・・ということで、
躑躅ヶ崎館を守る出城というか、
見張り砦とでもいう位置づけの湯村山城へ。
その名のとおり、湯村温泉街に近いところにありますぜ。

この辺は、武田の杜というらしいです。

P1350126

この石垣は違いますよね(苦笑)

P1350128

湯村山には古墳があるそうで、
古墳のイメージでない石積みの古墳??

P1350129

にしても、石がごろごろしていて・・・
実はすごい石が豊富なんだな、甲府って。

甲府城が総石垣にできるくらい甲府で
石を調達できたんでしょうかねぇ??

んで、肝心の湯村山城。縄張り図を見ても
どこがどうだかサッパリ・・・

P1350133

どこどこ??

P1350143

縄張りが理解できるかどうかで、
同じように見える山(笑)がぜんぜん見え方が
変わってきますよね・・・・??

P1350136

あ、でも石積みはけーん(またそれ?)

P1350137

要害山城や熊城と違って、苔むしてませんね?
新しいわけではないでしょうが・・・?

P1350139

井戸。残念ながら雨水が溜まっただけっぽい。

P1350148

昔はのろし台があったようですが、
解体されたようですね・・・残念っす。

P1350156

うーん・・・なんだかモヤモヤする城でしたな(笑)

■甲府城

最後、あむさんに残されたわずかな時間で
やまなしプラザにある甲府城の石垣展示へGoでふ!

P1350159

移築なんてせずにそのまま見せてーや!
という気もしないではないですが、
防災センター新館建設工事に伴う発掘調査で
発見されたそうですから移築しないと
陽の目を見ないまま・・・ではありますね。

いろいろ議論はあって現地に保存することも
考えたそうですが、結果的にこの地に
防災センターを建てざるを得ず、
詳細に記録を残した上で、移築したそうです。

オリジナルの位置はこちら。

P1350165

ま、なんとか妥協を探った結果・・しょうがないか。
軟弱地盤対策のための胴木は本来石垣の下に
隠れているものですからそれが見られるのは、
ある意味貴重かもしれませんね。

ここであむさんとお別れ・・とkuroさんが
武田神社で100名城スタンプを押してられてなくて
後で行きます・・とおっしゃってましたが・・

武田神社に電話してみると、あと10分くらいで
閉まっちゃうって話!すかさずえりさんが
行きましょう!とkuroさんを連れて武田神社に急行!

なんとかスタンプを押せたそうです・・よかった!
スマホに武田神社の連絡先があって、
このときほど役に立ったことはないですね(笑)

kuroさんが戻ってこられるまでの間、
甲府城をまたぶーらりぶらり。

P1350170

あ、あそこの石垣修理するんだ。
いずれ一度積み石を解体するんでしょうね?

P1350171

夕日に映える鉄門・・・

P1350174

が、エライもんみつけてしまいました。
今年オープンしたばっかりやのに、材にヒビが…
ちゃんとじっくり時間をかけて乾かさなかったのかも?

P1350176

いやーないわー・・・
今後どうなるかウォッチは必要ですけど、
もし朽ちるのが早かったら、とんだ材の無駄遣いですよね?

このあと、石垣の中に石垣があったり、
天守台の石が危なかったり・・・なんてところを
なっちさんに教えてもらいながら見ていたんですが、
無念のバッテリ切れ・・・

また甲府にはちょいちょい行きますからねぇ。
その際にはチェックしなきゃ。

ご一緒した皆さま、ありがとうございました。
いつも楽しい甲府がさらに楽しかった☆

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武田の城へ!甲斐攻城オフ … その1 躑躅ヶ崎館・雲峰寺・恵林寺・甲府城

さて、歴史・城ネタが続きますが・・・
10月の甲斐オフ。豊後国からはるばる甲斐にいきたーい!
とおっしゃっていただけたあむさんに便乗し
じゃー、みんなで行こうぜ!ということで☆

参加者は・・・九州からは、
あむさん(@mapple88)、kuroさん(@s_walker38k)
信濃からは、えりさん(@eri_neve_cae)
関東勢は、寺旅人さん(@TERATABIST)、
しみずさん(@Shmz_bon)、なっちさん(@natchdes)
ロームさん(@turinobuse)、そしてわたし。

体調を崩されたぺんとさん(@pento46)と
都合が途中で合わなくなったさらさん(@akiusagi_apple)
は残念ながらお越しになれず・・無念。

ちょうどこのとき台風がブチ当たってて、
雨なのに山城どうするよ・・と言っていて、
結局、新府城には行けず仕舞い。

楯無鎧の公開も中止・・・と書かれてあるのに
晴れた翌日にこっそり見せてたなんて話も
聞いてしまって、むっかー!と来るなど・・・・
まぁ、波乱に満ちたオフでしたね(汗)

ということで、初日は山城を避けて、
躑躅ヶ崎館、雲峰寺、恵林寺、そして甲府城。
皆さんと武田史跡を回れるしあわせ(喜)

■躑躅ヶ崎館

まずは躑躅ヶ崎館。ざーざーの雨です・・・

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手水場も武田菱!とかわーきゃーしている皆さんに
どうじゃすごいじゃろ、と我が事のように
上から目線で眺めていたと思います(笑)

信玄公が使ったであろう井戸跡も雨でじゃぶじゃぶ(笑)

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お城好きさんにとっては、気になるであろう
大手口の復元遺構のほうへ…豊臣期遺構の再現で
武田期ではないのが、口惜しいのですが・・・
ま、豊臣期遺構も遺構ではあるからね・・・・

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案内板をじっくりチェックする皆さま。
武田期遺構についての解説もありますぜ☆

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水濠の再現、なぜだか蓮だらけに・・・
2012年に来た時には、そんなことなかったのに?

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ちょうど石塁を取り囲むような感じで、
三日月濠がありました。必死に脳内合成すると、
意外と大きくはないな、という印象。

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こんな感じです。少し南側は石塁と三日月濠が
オーバーラップしていますけど。

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諏訪原城の三日月濠のほうが圧倒的ですね。
ま、信玄公時代にそんなにここをガチで
守る必要性はなかったわけですが・・・・

さて、このあと武田神社崇敬会会員特典を
発揮して、皆様を拝殿へとご案内。
宮司さまもいらしてくださり、武田の大神さまの
(信玄公のことを武田神社ではこう呼びます)
ご加護を皆さまに!信玄公、よろしくお願いしまーす!

ちょっと拝殿から天守台(徳川期か?)が見えるかな?
と思ったんですけど、ムリでしたね(汗)

さて、祈りが通じたのか少し小雨になって、
西曲輪のほうへと進みます。

P1340772

こちらは晴信時代の1551年増築。
義信の婚礼(数え14歳)に合わせてつくられたそう。
これだけみても、如何に晴信公が義信さんを
大事にしようと考えていたか分かりますよね??

ということで、西曲輪は武田神社の敷地にもならず、
晴信時代の遺構が明瞭に残されていて、武田好き観点でも
城好き観点からも非常に重要なスポットなんです!

本曲輪から西曲輪への土塁上から、南の水濠。

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そして北側。特に北側は濠と土塁の高低差が高い!
信虎期の頃からこんなにすごかったんかな?

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グイッとえぐれた濠・・水嵩が少ないからこそ
逆に濠の形状がよくわかりますね。

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北西角。かなりダイナミックな濠ですよね。
どうせ平城の居館跡でしょ?と思ってたあむさんには
びっくりだったようです。ふへへ。

おお、すげぇ!という声が聞こえるたびに、
そうだろうそうだろうと自分のことのように・・・
(本日二回目)

あの石積は、徳川時代の天守台のものかな?
かと思ってましたが、ひょっとしたら天守台は
単独で据えられたなら、武田時代の石積みの可能性もあるな。
・・・と諏訪原城の石積を思い出しました。

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んで、何よりすごかったのは西曲輪北虎口の整備。
昨年見た際には、まだ整備中だったんですけども。

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今回はこんなに枡形が分かりやすく!ほっほー!

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ちなみに石垣は武田家滅亡後に施されたのではないか、と。
石積自体は要害山城にもあるんですが、
ここのは、栗石が埋められた豊臣由来の工法。
その石垣と重複する場所に門の礎石が見つかっており、
武田時代の門跡と推察されるそうですよ?

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そして、礎石から推察される門の規模は、
幅3.3m、奥行3.8mで櫓門だったと推定されるそう。
後世の、たとえば江戸城の枡形などと発想的には
何も変わらないですよね・・・

西曲輪土塁上からみた土橋。
おー、キレイにキュッと狭まってますねぇ!

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そして土塁上から見た枡形のすばらしさよ・・・
すごくいい整備をしてくださいましたね☆

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門を想像中・・・櫓門かぁ・・・
どんなんだったんだろう。興味津々・・・

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こちらは、後世でいう高麗門があるべき方の門跡。
外側に面した門ですね。手前に土橋が続きます。
枡形の門から美女が一人歩いてきます(笑)

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その反対側は味噌曲輪跡。往時の様子を
見て取るのは難しいね・・・が、「味噌」という名称が
なんとも興味深い。信州味噌を奨励した信玄公なので
味噌の貯蔵をいっぱいしていたんだろうか、とかね?

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こちらは、西曲輪を出て右手、本曲輪の北西面に位置する
稲荷曲輪。石垣はこれも後世のものでしょう。
徳川期のものかもしれませんね。

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今もお稲荷様が鎮座。

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色鮮やか過ぎる瀬戸物の破片・・謎。

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北側はあまり人が来ないからか、濠跡にも
木々が生い茂りわかりにくい・・・きれいにしたいもの。

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きれいに削平された・・・曲輪っぽい跡。
無名曲輪の一部でしょうかね?

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こちらは御隠居曲輪。大井夫人が住まう曲輪。
こちらも曲輪を確認するのは難しそうだなぁ・・・

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そして、その向かいの本曲輪との間の濠。
さらに木々が生い茂りまくり・・・むーん・・

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本曲輪の東もきれいにすれば、ダイナミックな濠が
しっかり見られるのになぁ・・とひとしきり
文句をぶつくさぶつくさ・・・(苦笑)

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そして、かぶとやさんでお土産を漁った後、
ほうとうをはふはふ。豚肉辛口をいただきました。
ほうとうは寒い時期にこそ頂きたい甲斐の料理ですね☆

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■雲峰寺

さて、この次は・・・要害山城はヤバいので、
わたしのリクエストで武田家家宝のひとつである
御旗(最古の日の丸)や孫子旗が多数
納められている雲峰寺へ!ずっと行きたかった!

駐車場にある売店も「孫子の旗」(笑)

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味わいのあるほうの参道から向かいます!

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不許葷酒入山門。の、飲んでないからね!
(餃子もイケマセン)

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てくてくてくてく・・・・

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霧掛かっている様子がなんとも神秘的。

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石垣の脇で眠るように安らかなお顔の地蔵さま。

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本堂。信虎の再建と伝わるそうです。
天文年間に焼失し、信虎が再建。とはいえ、
天文10年(1541年)に信虎が追放されてしまうので、
若き晴信も少しからんでいたのかもしれませんね。

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寺紋は武田花菱。やはり花菱がひとつ上の扱いなのかな?

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霧掛かる本堂。

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庫裡にもしっかり武田花菱。こちらも本堂とあわせ、
信虎時代に再建されています。

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庫裡と本堂。

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んが!なぜか徳川葵・・・なんでや!
徳川家からも恩恵受けたのかな・・・
恵林寺も家康が再興してるもんねぇ・・

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ぐはぁ、こちらの門には五七の桐・・・豊臣?
しかも菊花紋まで、なんなんだ・・謎だ・・・(笑)

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平成になって築かれた資料館。
ここに御旗と孫子旗、諏訪神号旗があるんです!

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御旗の本物・・というのに。県指定文化財とは!
楯無鎧が国宝だってのに・・・なんという格差・・・
いまや日本の象徴たる日の丸とともにあった武田家、
そして、その崇敬の的になった御旗が今眼前に・・・

また、孫子旗や諏訪明神旗、武田神社に保存されている旗は
若干崩し字になっているのだけど、ここに保管されている
旗はいずれも同じフォント。

型を取って量産していたのかな?という印象ですね。
雲峰寺の旗は武田滅亡の折に家臣が寺に
預けた・・ということですから、勝頼の時代のもので、
武田神社にあるのは、信玄時代・・とかでしょうかね?
(勝頼に孫子旗は使っちゃイカン!と言ってたんですが。汗)

そうそう、後に聴いた話なんですがね・・・
実は、孫子旗と諏訪心旗明確な使い分けがあったそうでして
孫子旗は攻撃の合図、諏訪神号旗は休息の合図。

この二旗は信玄本陣にしか掲げられないはずなので、
この旗を見て、信玄の命を見て取ったのかもしれませんね。

■恵林寺

そして、恵林寺。もう数え切れないくらい来てますが、
皆さんと一緒に行くと、違いますよね。

P1340887

だいたい混み合う頃に行くのが通例なので、
こんな様子を撮るのは珍しいですね(笑)

んで、ハッと見つけてしまった燈籠。
徳川葵があるではないですか・・・なぜ???

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ここでハッ!と気づきました。
赤坂のニューオータニにあった燈籠と同じだ、と。

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文昭院殿とあるのは、徳川家宣の法名・・・
明治以降、荒廃した寛永寺は荒廃して、
お金に困って将軍墓所の霊前の灯籠などを
よく売りに出していたということなんですが、
恵林寺も購入していたのか!

お隣は有章院殿=徳川家継。

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奥に行ってもいくつか寛永寺の燈籠があります。
惇信院殿=徳川家重。

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清湛院殿=徳川家斉娘・淑姫。

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・・・とちょっと脱線しましたが、いつもの四脚門。
1606年、家康寄進で再建。

P1340891

こちらの紋は割菱なんだよねぇ。
いつ割菱がメジャーになったのか、割菱と花菱、
使い分けはどこに基準があったのか。
ぜひぜひ知りたいところ・・・

高貴さがある花菱と抽象化されてシンボリックな割菱。
どっちも捨てがたい・・・

恵林寺三門。こちらも同年代だけど、
県指定文化財なんだよねぇ・・違いは何でだろ。

P1340895

心頭滅却自涼とありますが、この日は
何もしなくても涼しいので心頭滅却無用(笑)

さてお堂のほうに入りましょうか・・・

P1340903

武田花菱の軒丸瓦☆

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唐破風の車寄せから入らせていただきます。

P1340907

いつも思うんだけど、この瓦が現役だったころの
恵林寺の写真ってないのかな。明治時代。

P1340908

ご本尊の釈迦如来さまにご挨拶。

P1340912

うぉぅ、うぐいす廊下で十六の菱でできた
花菱紋が・・・これの謂れは謂れはーっ!(うるさい)

P1340917

釘隠しも武田花菱でニヤニヤ。

P1340920

晴信剃髪時にその髪を塗りこんだといい、
また姿かたちも晴信に似せたと伝わる武田不動尊。
「風林火山」の際にオープニングにも登場されてましたね。

P1340922

雨のあとだったので、下には降りていけず。
信玄公墓所。実は亡くなった3年後に法要があった際に
できた墓ではなく、百回忌の際に旧家臣団が集まって
法要を行い、建てられた墓なんですね。

P1340923

・・・って、あむさんに説明した後の一言。

「・・愛されてるなぁ」

そうなんです!時代を超えても愛されてるんです!!

帰りに少し寄り道してお団子を食べたり…
なんかロームさんは誰かに貢いで全部食われてましたね(笑)

P1340927

■甲府城

んで、甲府城はまぁ・・・山手御門だけ
なんとか時間ぎりぎりで間に合いました。
天守台と稲荷櫓。ずいぶん暗くなっちゃいましたね。

P1340928

ボランティアの方が熱心に説明していた
甲府城天守の図。かの三浦先生が立面図を作成されたそう。

P1340930

以前、秀吉創建の姫路城天守の図を見たことがあって、
それによく似ている気がしますが、
このデザインに落ち着くのはなぜなんでしょうね??

個人的に豊臣期の天守は、資料が少なすぎて
復元は難しいと思うんですがね・・・
以前甲府で三浦先生が講演会されてたように思いますが
どのようにあのデザインに落ち着いたのか知りたいところ。

ある程度、天守台の構造から推定できる点は
あるように思うんですがねぇ・・・

もちろん、望楼型・下見板張り好きにとって
眼前にすれば、わーきゃー言っちゃう天守になる!
のは必至なんですけどね(笑)

付け櫓をつけて廊下の形状で調整する・・・というのは
先日ヒストリアで三浦先生が解説されていたように
この時代の歪な天守台だからこそなんでしょうな。

正面から見ると左右が広がって見えるのは、
岡山城天守、ひいては安土城天守にも
形状的な相似点があるということなのか・・・!?

P1340931

どこまでこれが真実に迫っているか・・という反面
明らかに極私的に好みの天守・・うううっ
いずれ、三浦先生にお話を聞きたいところです。
甲府で講演あれば聞きに行きたいなぁ・・・

さて、夜。宴会タイムでございます。
ここはわたしが指定させていただきました!
はなの舞 風林火山☆来たぜ、信玄公!

P1340933

通されたのは、川中島合戦の間。
その割には暖簾が・・なんだろって感じ(笑)

P1340935

武田な空間で夜の宴・・・いい時間でした。
このあとラーメン食いに(しかも久留米(笑))
出かけた皆様も・・元気だなぁ。

てことで、翌日は要害山城と熊城、
そして湯村山城。躑躅ヶ崎館を守る
トライアングルのふたつ。

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再び現存櫓を追う!その4 福山城伏見櫓+広島城+ニッカバー今市。

さて、翌日は福山へ。福山城伏見櫓の公開は
11月3日この1日のみだったので、これに合わせて
福山にとーちゃーく!

福山駅南口。すっかり様変わり・・・・
福山城の遺構を活かせ!という声もあったんですが。
すっかりその様相はなく・・・ひどすぎる。

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気を取り直して、北口に向かって福山城本丸へ。
駅前の通路は濠跡ですね。

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このためにやってきた・・・伏見櫓。
正直なところ、重箱櫓の二重櫓はちょっと不恰好ですが
望楼部分の三層があるだけで、随分と印象が変わります。

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もうひとつの重文、筋鉄御門。
こちらは中に入る機会がないとのこと・・・
こちらも公開お願いしまーす!

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そして、資料が配られるんですが、
これがなかなかよくって☆

立面図の外観と内部構造が分かる資料に・・・・

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西から伏見櫓を望む古写真。津山城よろしく
キュッと櫓が詰まってる感じがしてイイ!

131103_1019_001

今だと県立博物館前、福山城二の丸西御門から
眺めるような感じになるでしょうか。

往時の復元図。二の丸の入り口だった鉄御門は
ちょうど今の福山駅の構内。福山城って、
水濠がすっかり埋まっているのが残念だよなぁ…
もっと南側に福山駅つくれよ・・・

131103_1011_002

そして全景。たとえ石垣だけでもしっかり
残っていたら、全然福山の町の景観って
違っていたでしょうね。

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さて。。。いよいよ福山城伏見櫓。
伏見櫓と名のつく櫓は、江戸城、大坂城と福山城。
大坂城は焼けちゃいましたし、江戸城は入れるわけない!
ので、中を見学できる唯一の伏見櫓ですね。

P1350337

いざ・・・伏見櫓にイン!
と途端に、入った途端に木々の甘い香りが・・・・
高さはそうでもないが、かなり広い印象。
八間×五間の広さだとか。

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どうやら、ヒノキは多少のスーッとした香りがあり、
復元したてだとすごく清々しくて、時が経つにつれて、
穏やかに気品がある香りになっていきますが・・・

マツの古材は、温かみと少し甘い香りがするような。
マツの香りも、ヒノキとはまた違うよさがあるな、と。
(ここまでずっと古材をくんくんしてます・・笑)

雨水をあつめて流す仕組み。金属で覆われてるのは
ちょっと珍しいかな?

P1350339

筋鉄御門のほうには狭間。実は狭間はすごく少なく、
一階の東側にしか狭間はないんですよね・・・

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梁にうっとりするのは、毎回の話(笑)

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柱に臍穴が残ってるのは、伏見城では
ひょっとしたら違う用途に使われていたのかも??

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さて、2階へ!わくわく☆

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やっぱり、急は急。でも、これでないと
櫓や天守に入った気にならないよね!

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ちょうど、望楼部分のあるところが仕切られ
白漆喰がキレイに施されてます!そしてその奥には
望楼部分である三階への階段。

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二階への階段から眺めると、すぐ近くに
三階への階段もあって、ちょっといいアングルかと。
なんとなく・・・ですけど。

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両脇の部分はこのように屋根の構造が
ハッキリ見えますね。つくりからすると、
白漆喰ではありますが、望楼型天守に近いのかも。

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二階のこの梁の曲がりっぷり!上手く使いこなす
職人芸ですなぁ・・・スゴイ!

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あ、これも臍穴残ってる。

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この梁の折れ方!かっくーんってなってる。
使いこなし大変そうだ・・・

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東側から枡形内を・・・伏見櫓と筋鉄御門で
両方から迎撃!

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が、二階には東面も狭間がないんだよね・・・・
窓からで十分ってこと?

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そして、伏見城からの移築の根拠となった
「松の丸東やぐら」の銘。チョークで白く分かるように
してくださっています。回りの方が白墨白墨と言っていて、
時代を感じるなぁ・・・と思ったり(笑)

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零れる光。日中はけっこう採光具合もよく、
明るいようです。

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南面の眺め。この先に鉄御門や追手門を想像するのは
もはや難しい・・・・

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ということで、二階も広さは一階と同じですが、
左右の階上に屋根の木組みが見える分、開放感があって
空間的な広がりを感じましたね。

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さて、望楼部分の三階へ!

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およ、このVの字はどこかでみたような・・・・
後世の補強かなぁ?とも思ったのですが、
それだったら、熊本城宇土櫓のように鉄骨に
するだろうし。移築したときに補強を入れたのかも。

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V字型は、東西方向に入れられています。
後からな割りには縦の柱をへこませて継ぎ手になってるし、
少なくとも明治以降に改変されたわけではなさそう。

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あまりにもきれいに折れ曲がった梁にビックリ☆
ここに使わない理由はないよね!ぴったり!

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あれ、ないと思ったら南面に狭間が・・・
随分遠いところ狙うのね・・・

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櫓内から見る櫓の瓦の様子とかも大好物。
うーむ・・・お泊りしたい・・

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あ、あんなところに葉っぱが・・・(笑)

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でも、やっぱり見上げて木組みの素晴らしさに
酔いしれるのもいいよなぁ・・・

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窓の扉の滑車。すべて木製だけど、
いまだにちゃんと動きます。

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ここの窓。三階東南隅東側の窓。

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おっと、ここには継ぎ手の跡・・・松の丸東櫓って、
実は形状はまったく違っていて、材だけ活用されたのかな?
名古屋城清須櫓も清須城の材「も」使われていただけで
移築ではなく、建材利用だったそうだし。

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そうそう、人がいる左上隅、櫓の北西角なんですけどね…

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窓にこんな仕掛けが!!

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上にも穴が仕込まれています。

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上まで引き上げたところ。この飛び出ている分だけ、
角材を上に持ち上げることができる仕組み。

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平常時はこうね。

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引き上げた下の部分、階段状になっていて
外れにくい仕組み。芸が細かい!

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さて・・・せっかく無料なので、天守にも。
もうちょっと丁寧に扱い、そして史実に近づけて
あげればいいのになぁ・・・

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毎回撮っちゃう、安土城天守と江戸城天守の
ペーパークラフト。豊臣大坂城天守はないんかい!!!!

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あの教会行っておけばよかったな・・・
と後から後悔。こういう建築も好きなのです。

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天守の瓦で休憩中の鳩さん。雨降ってても
そこでいいの?(笑)

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伏見櫓と筋鉄御門はよく見えない・・・(泣)

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このあと、もう一度伏見櫓を見てきましたが、
中を見ている間に雨が・・・ということで、
櫓の中の香りが一番強まってきて
スーハースーハー・・・(笑)

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さて、この後は前回デジカメで撮れなかった
二の丸西御門櫓石垣へ・・・

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よくみると、新幹線ホームを支える柱が(泣)

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これ石垣崩ししちゃてるよね・・あぁ。
残ってるだけマシかもしれないけど。

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逆側は完存。まぁこれだけでも・・・

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北側から見ただけだったから、柱がずっぽりっての、
気づかなかったんですよね。よく残ってるな、
と思ったんですが。いえ、繰り返しますが
残ってるだけでもありがたいのですよ?

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先ほどの古写真に近いアングル。

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今じゃ、伏見櫓ではないですけど、
往時は櫓がたくさん・・・

さて、新幹線ホームから伏見櫓の勇姿をば。
望楼部分の屋根が眼に見えて、ちょっとかわいいんだよね♪

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さて、このあと、ちょっと広島に寄り道☆
何気なしにみていた通路に、内濠と中濠を地下で
結んでいた暗渠跡。し、知らなかった・・・

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暗くなっちゃいましたが、二の丸表御門。

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ま、もう時間的に入れないわなー。

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ただ、天守には何とかは入れそう。
企画展「輝元の分岐点」に行きますよー!

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広島城天守。フォルム的には非常に好みです(笑)
タイムスリップして現存天守に入りたいですわ・・(妄想)

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デラックス版の広島城天守プラモに萌えるなど・・・
だってだって小天守二基がちゃんとあるんだよ???

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さて、「輝元の分岐点」ですが、
毛利はそれほど詳しくないこともあって、
非常に興味深い展示でしたね。

毛利輝元が山縣就相という家臣に送った書状に
山縣昌景が安芸山縣から分かれたんじゃ?
という説を思い出し、ここに来ても甲斐武田が
頭を離れていないところを露呈したりしてましたが(苦笑)

そもそも毛利と織田の全面戦争の背景には、
足利義昭が転がり込んできたのもあるんだ・・・とか。
ただいずれ対決は必要だったでしょうから、
全面戦争のよい口実だったのかも。双方にとって。

吉川広家書状には、小早川隆景と吉川元春が秀吉軍を
追撃しなかったことが毛利の安泰につながり、
隆景の自慢だった・・・との由が記述。

まぁ、後の歴史を知っていると結果論ではあるのだけど、
その他の本能寺の変直後の書状を見ても
当時もかなり情報が錯綜し、その中でも毛利に
有利なシナリオを綿密に探った中での、
ひとつの結論にすぎないのかな、と。

場合によっては、追撃して秀吉軍を壊滅させられた
可能性すらあるわけで・・・ただ、その後がどうなったか?
というとまったく予想できないなぁ。

毛利が天下を取るのはちょっと考えにくいし、
戦国時代が終わるのが遅れたかもしれないよねぇ。

ただ、秀吉だけに通じるのではなく、誰が信長後継になるか
を冷静に見極め、最善のチョイスを探る…
その切迫感が書状からは感じられた。

そんな毛利にとって、旧織田家中で最大勢力となった
羽柴軍と天正壬午の乱で確実に強くなった徳川軍が激突した
小牧長久手の戦況は、ものすごく大事な一戦。

実際に固唾を飲んで見守っていたことを思わせる書状があり、
気が気ではなかったピリピリした空気感が迫ってくる。

戦況は徳川優位に進んでましたので、
ある程度リアルタイムで知っていたとすると、
やばい!秀吉苦戦!ど、どないしよ・・・
みたいな感じだったかもしれませんよね。

さて、広島城を撤収したあとは、広島に長期滞在中の
寺旅人さん(@TERATABIST)と宴に入ります☆

広島なのに福岡の料理の店・・ということで、
ごまさばmgmg。安くて美味し。

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そして、その後はニッカバー今市さん。
寺旅人さんもお越しになりました!

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ちょうどこの日は日本シリーズの最終決戦。
普段あまり野球見ないんですが、マスターのワンセグを
活用してバーで野球観戦(笑)

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楽天の優勝が決まったら、マスターのおごりで
ビールで祝杯をあげる!!

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もちろん、今市さんでしかいただけそうにない
レアなニッカも頂いてますよ。

旧スーパーニッカ(ウチにも在庫あるけどね)

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余市のウイスキー博物館にもあった
「シングル」モルト北海道・・・・

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そして、カフェモルト12年。甘いウエハースのような
麦感あふれる愛しい一本。

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そして、楽しい宴のあと。
広島のお気に入りだったレトロな喫茶店、
パールさん
がもうないことを目の当たりにする・・・・

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ありし日のパールさんで頂いたミルクセーキ。
暑い夏にシャキシャキのシャーベット状のミルクセーキ。
優しい甘さに癒される逸品でした・・・(泣)

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さて、翌日。広島駅でバッケンモーツアルトの
ザッハトルテ☆ザッハトルテだいすきぃぃぃぃぃぃ・・・!!

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スタバのザッハも好きですが、ここもおいしいのです…
広島に行ったとき限定ですがね・・・

ということで、この日のうちに京都を経由して
東京に・・・しっかり京都でもグリーンティーと
ほうじ茶チョコをmgmg(笑)

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てことで、相変わらずの強行軍でした(汗)

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再び現存櫓を追う!その3 岡山城月見櫓。

さて・・少し経って文化の日。この前後にも
文化財の公開があるようで、以前より気になっていた
岡山城月見櫓に行ってまいりました。

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着いて早々、岡山市デジタルミュージアムで
岡山城の本丸模型にウハウハしようと思ったら
展示換えで閉まってるし・・・oh・・

気を取り直して、桃太郎大通りをどん突きまで
城下筋との交差点前。あら・・・こんなの。

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この石垣がどうやら内濠石垣跡・・・になるよう。
カーブしてるけど、これ遺構だったのね。

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ちょうどこの図の「現在地」の右隣のクイっと
へこんでカーブしている辺りがそれ。

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こちらが「現在地」から左に延びる石垣。

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そして、再びの西丸西手櫓。
こちらも入らせておくんなせぇ・・・

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さて烏城みちをすすんで・・
榊原病院の敷地の櫓台を堪能。
あの櫓台に立ってみたいよね・・・(入院?w)

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榊原病院は近々移転するらしいですが、
全国最大級の大規模複合型介護事業拠点化・・なので、
岡山城好き的な視点では期待できませんね・・
なにもここにつくらなくていいのに。

ここから見える天守、すごくスリムな上に、
いいバランスでけっこう好きだったりします。
西側から真正面に見えると、線が細すぎる印象も
あるんですけど、これくらいだったらいい。

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その向かいにも石垣・・・(林原美術館)

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んで、その林原美術館。この門も岡山城遺構。
岡山城二の丸屋敷長屋門です。

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さて、この日のメインディッシュ(笑)はコチラ!
月見櫓です!貴重な現存櫓。

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この日も岡山城のしろねこ。
ここ最近は逃げられてばかりだったのだけど、
久しぶりにフレンドリーなヤツでした。

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あれは、2005年・・・だから8年も前
ねこに興味を持ち出したのは、岡山城でだったんだよね。

不開門のツタにも紅葉が・・・

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まっしぐらに月見櫓。
いつもなら外観が好きな天守なんだけど。

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んで、スリムすぎる天守(笑)

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まずは、月見櫓の地階。穴蔵のような
石垣だけで閉じた空間ではないにせよ、
櫓で地階があるのは、実に興味深いですね・・・

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んで、内部。完全に物置ですが、
その物置具合が往時と変わらないんだろうなぁ、
という気にさせる様子ではあります。

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この瓦は何でしょうねぇ・・・補修用?

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さ、一階から入りましょうか・・・直接は
繋がっていないのですよね、地階と一階。
脇には大坂城でも見た石垣くりぬいた狭間☆

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中は採光性がよくって、ものすごく明るい空間。
ちょっと櫓には珍しいけど、月見櫓・・・という名称とも
関係あるのかもしれないですね。

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上のほうにある採光窓なんて、かなり珍しいよね。
ここで初めて見た気がしますよ・・・蛍光灯っぽい(笑)

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石落とし。これだけならよくある石落としなんですが…

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床になにげなーくある引き手。これ、地階から
石を運ぶためにあるんです。地階に意思を貯めておき、
いざとなったらここを開けて、近いから石を持ち上げ・・・
石落としからごろんごろん♪

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石落としだけでなく、どうやって石を調達するか、
までキチンと考えられているのはここでみたのが初?
かもしれませんね・・・優雅な印象だけでなく
やるときはやるぜ!という感じでしょうか(笑)

さて、二階に上がります!

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二階に上がった途端、雰囲気がいっぺん。
優雅にお月見したい雰囲気。

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床板から一段・・・というには少し高めの位置に廻縁。
障子もあったりしてちょっと櫓っぽくない印象。
ここで満月を見ながら宴会したい・・・(妄想)

こうすると、廻縁の位置が高いのが分かりますかね?

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あっ・・岡山城の全景図!
ほしいほしい!きゃぁぁぁ!

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特にこの太鼓櫓と内下馬門を復元してほしい・・・

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廻縁に足を踏み入れたら・・・もう眺めのいいこと。
そう高くはないですけど、開放感高し。

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屋根の内側部分に漆喰を施しているのは
けっこう珍しい気がします。うん。

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後楽園方面。

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北側のこの材の香りがよかったなぁ・・(変態w)

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外向きに武者隠し発見!

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もちろんここから射撃するための構造なんでしょうが
せまっくるしいところが好きなわたしは、
こういうところでこじんまりと宴会ができたら・・・
なんて疚しいことを考えてしまいました(笑)

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ちょっと二階より低くなってるところも
なんだか隠れ家感があっていいかと・・・・

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いい具合に古材の香りが充満してますし・・・
極私的にタマラン空間です(笑)

さて、いい加減撤収です。階段前がちょうど
唐破風の場所になっていて、内側も唐破風のカーブが
見て取れて・・・唐破風のカーブって優しくて好き。

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さて・・・岡山城から撤収しますか。
この角度から天守みると、正方形の床板してるみたい?

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岡山城でも本格的な復元がなされないもんかね・・・
もちろんちゃんと精巧に検証された上で、だけど。
この大納戸櫓とか是非お願いしたいもの。

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図面がないから難しいかなぁ・・・・

お昼は、小豆島ラーメンHISHIO
小豆島といえば、醤油の名産地・・ということで、
小豆島の醤油を使った醤油ラーメン。

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醤油醤油してるわけでもなく、カタクチイワシの煮干を
中心にしてバランスの取れたスープです。
うん、いいね。美味しい。岡山でラーメン食べるなら、
個人的には好みにあった感じでありました。

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夜は・・・ニッカバーナン。
常連さんもお越しになっていましたが、
そんな中で生まれる会話もまた愉しい。

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そんな珍しいウヰスキーがあるわけではないけど、
ずっとニッカが愛されてきたんだな
という先達と頂くニッカもいいものですよ・・・

さて、翌日は福山。福山城伏見櫓の公開へ☆

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再び現存櫓を追う!その2 大坂城千貫櫓・金蔵・特別展+おまけ

さて、千貫櫓。最初に見たのがこれ・・・・

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さすがのロケーションですね、大手枡形をゆく
敵兵を狙い撃ち!信長があの櫓を奪取できれば、
千貫与えてもよい・・と言わしめるのもわかります。
石山本願寺の頃と同じ位置だったとするならね。

作事奉行は小堀遠州だったそうで、櫓の設計もできるの?
とちょっと違和感はあったのですが・・・
ま、それはそれとして、一階に武者走りを配している
というあたり、天守相当の構造の櫓だね。

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ボランティアの方曰く、一番櫓、六番櫓も同様の構造
だそうですから、往時に大坂城を守っていた数々の櫓たちが
みな天守相当の大櫓だったということになりますね!

櫓にあるのは、「石落とし」というそうです。

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北側の壁には謎の懸魚が並ぶ・・・
なんか意味があるのか、聞き忘れたorz

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並みの櫓だと、漆喰が内部にもないような気がする…
こういうところにも違いが現れているのかも?

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古材があんなところに保管されている・・・!?

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内側の部屋には、畳が敷き詰められそうな感じ。
幕末どうだったかはさておき、畳が敷ける構造ではあるね。

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襖があったのでは?と思わせる跡。
創建時とは様子がかなり違っていたのかもしれない!

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床はさすがに材が取り替えられている感じがしますね。

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畳み敷いて何かに活用できればいいんだけどなぁ。

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櫓の薄暗いところに光が入るさまって、
城好きを少し横に置いておいたとしても、いいよねぇ。
光がこぼれるさまが美しい。

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陸軍がつけたか、創建時からあったかわからないらしい
荷揚げ装置。あんまし違和感ないね?

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名古屋城と違って、二回は見せてくれないんだってさ!
ちぇっ・・・・少しだけ二階が見えるけど(笑)

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さて・・・そろそろ千貫櫓撤収。
やはり天守的な構造には惹かれるものがありますし、
大きさひとつとっても、大坂城の櫓のすごさを感じます。

そういえば、千貫櫓南から北にかけて傾斜があるな?
と思ったのですが、実際建物が傾いているらしく、
年1回の公開を今年で中断するかもしれないとのこと…

城好きとしては、悲しい限りだけど、
取り返しがつかなくなる前に修理しなくちゃね。
お金がない大阪市にはムリかな…寄付ならするよ!!

千貫櫓前の塀もかなり傷んでるしなぁ…
痛々しい姿です。

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次は一番櫓、六番櫓、乾櫓だな。あまり公開されることは
ないらしいけど、数年に1回は公開されていることが
あるみたいでチャンスを逃さないようにしなくちゃ。

でも、普段から枡形の裏くらいは
見せてくれてもいいのにねぇ。

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さて、桜門を通って本丸へ。金蔵の見学と重要文化財指定
60周年を記念した展示を見るために本丸へ。

まずはお気に入りのアングルで天守閣をパシャっと。
これでも創建80年、なかなかの長寿。

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金蔵前には、豊臣時代の発掘調査で出てきた
瓦が展示してありました!鯱瓦なんて広島城から出土した
鯱瓦によく似ていて、この時代の鯱が金一色ではなく
実にカラフルであったことを伝えてくれます。

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五七の桐紋の瓦。こんなのがポンポンでてくるのが
すごいですね・・・個人的にまっ金金よりも
本瓦の黒い部分を残したほうがシックで上品だと思います!

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さて、金蔵へ。江戸城・大坂城のほか、
駿府城・二条城・甲府城といった徳川系諸城に
置かれましたが、現存するのは大坂城のみ。

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中はこんな感じ。窓には破られないように
鉄格子がはめられ工夫がされています。

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アップ。光がこぼれる様子がきれい。

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しかし、それでも金蔵破りがあったそうで、
釘をつかって三重の扉を破った・・なんて聞くと
意外と甘かったんじゃ?なんて思ってしまいます(笑)

こちらが小判がたんまりと入った千両箱。
葵紋入りで大坂城で保管されていた千両箱のひとつで
小判を1,000両詰めると約4.4kgにもなるそうで、
これが往時は1,000箱以上保管されていたそうな。

現在の価値で500~800億くらいの金銀が
大坂城だけで保管されていたことになるとか・・・・

また、幕末に徳川慶喜が大坂城から撤退するとき
(八重の桜であったアレですよアレ)
榎本武揚の軍艦に大坂城の御用金が積み込まれたとかで
嵐に遭って沈んでしまって、今も海底に沈んでいるとか?

大判小判、二朱金・一分銀。
一分銀はウチにもありますよー!

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隣の部屋は、床板が外された状態。
防犯のために床下もみっちりと石が敷き詰められてます。

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さて、金蔵前では豊臣期大坂城の石垣の発掘調査中。
ちょうど詰めの丸の櫓台に相当する位置。

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1984年に見つかったこの石垣も、詰めの丸の石垣。
見ごたえあるでしょうねぇ。

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位置的には、こういう感じ。
より天守・奥御殿に近い位置ですね。

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有名な黒田家に伝わる大坂夏の陣図屏風では
こう描かれています・・・やけに天守に近い(汗)

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個人的には、豊臣天守跡の発掘ってできないのかなぁ?
とすごく思うんですけどね・・・
礎石などがきれいに出てきたら、最も好きな
豊臣大坂城天守の実像に少しでも迫れるかと思って…

さて、特別展のほうへ。大阪城はこの姿。
戦火に傷ついた大坂城とそこからの復興の歴史。
これもまた城の歴史なのです。

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今回の展示では、現存する櫓の図面も展示されていて、
特に乾櫓が興味深かったですね。一階平面図をみると、
千貫櫓同様、武者走りを配しているが外側だけ…
ということで、外観はL字にみえるものの、
内部構造的には、正方形の天守構造から1/4を切り取った
と表現したほうがしっくりくる感じですね。

さらに乾櫓の鯱瓦が唯一、創建当時の鯱として
残っているそうで、鯱の設計には乾櫓の鯱瓦が基準に
なっているそうです。へぇ。

そして、被災状況。砲兵工廠が旧大坂城内にあったため、
大阪大空襲の被害を強く受けたわけですが、
コンクリートの天守こそ無事でしたが、
三層の伏見櫓を始め、多くの櫓が焼失してしまい、
また石垣も大きな被害がありました。

辛うじて残った一番櫓。今にも崩れてしまいそう…

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崩れた南外濠石垣。南面側東あたり。

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乾櫓そばの石垣。爆撃で石垣の角が
吹っ飛んでいます・・・

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ここの石垣は石垣造りの名人といわれ、
松山城の石垣修理の実績もあった愛媛の菅能宇吉氏が
見事に当時のままの石垣を蘇らせ、今やその痕跡が
わからないほどきれいに復元されています。

そして、何度みても惜しい伏見櫓。
コレが残ってるかどうかだけでも、大坂城の威容は
違っているだろうになぁ・・・

実は、1950年にはジェーン台風が大坂を襲い、
空襲で傷ついた大坂城に更に追い討ちを掛けます。
そこで、大坂城を守らねば!という機運が高まって
修復に動き出し始めるのです。

戦前には陸軍所管であったため、国指定文化財ではなく
その一方、政府の所有物なので勝手に大阪市・大阪府が
修理するわけにも行かない・・と困難にぶつかります。

そこで、大坂城修復の機運を盛り上げようと、
1953年3月11日、大阪府・大阪商工会議所
日本赤十字社で大阪城修復委員会を立ち上げ、
応急処理のための寄付を募ります。

その際に、大坂城の文化的価値を訴えたのがこのパンフ。
ひどく傷つき、屋根には大きな穴が開いてたとか…
不発弾だったんでしょうか。たまたま破裂せずに済んで
六番櫓は助かったのかもしれません。

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この時代に寄付を募るのは大変だったろうが、
今修復しないと!という切迫感があります。

少し引用します。

 その城址公園の風趣をたかめる城内の旧建造物は
 いま保存の手も及ばぬまゝ、かつて白砂青松を清らかな堀に
 映した古城のおもかげも、日に月に朽ちゆき、
 一雨ごとに目に見えて崩れゆく痛ましい姿に
 心ある市民や観光客の目をそむけさせてきた…

 この城が将来、国の重要文化財として指定されれば、
 本格修理の手も伸ばされようが、それを待つ間が
 見るに忍びない。せめて雨もりや崩壊をくいとめるだけの、
 応急修理で外観を整えるだけでも、市民の手で
 一日も早く修復をはかり、市民の郷土愛の
 象徴たらしめたい…

この呼びかけに実に1,634万円もの寄付が集まりました。
日銀のサイトから2012年時点の物価に換算すると
1.5億円近い寄付が集まったことになります。

戦後間もなくの頃、皆どん底にいた頃だと想像します。
その頃にこんなに寄付が集まったなんて・・・

数少ない櫓がだた残っていただけではなく、
ものすごい努力の上になっているんだと詳しく知れて
有意義な展示会でした。こういう意思は
後世にまで受け継いでいかないとね。

このあと、西の丸でおいしそうな催しをしてるので
こちらにふらふらと立ち寄り・・・少しずつ
いろんなモノをつまみ食い。

から揚げに・・・甘酢とマヨネーズのタレ付き。

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かすうどん。もっと関東にも広まってくれんかな。

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カレーうどんに・・・

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神戸牛の牛丼。うまうま。

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そんな食べながらも、乾櫓の裏手に回って、
1/4欠けた部分を確認してたりします(笑)

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さて、大手枡形から退城。よくみると、
市多聞跡にちゃんと礎石があるんだねぇ・・・・

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ちなみに・・このあと、旭区の赤川鉄橋にも。
歩行者道路としての役目を終えるということを
地元がメッチャ近所のしろうさぎさん(@sirousagi77)に
教えてもらって、なんとか滑り込みで訪問。

途中で谷町線の古い型の車両がバイバイすることを知る…
こうしてまたひとつ知らない大阪になっていくのね。

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けっこう歩いてようやくたどり着いた赤川鉄橋。
実はわたしのなかで大阪城と強く結びついています。

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というのも自転車で淀川沿いをずっと走って、
この橋の下を潜り抜けて、大阪城までよく入ったんですよ。
ここに来るときは、大阪城に行くとき。

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そんな城好きの原点を思い起こさせる風景なのです。
ということで、歩いて渡れることは知るものの
歩いて渡ったことがないという・・・(笑)

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てことで、最初で最後の赤川鉄橋ウォーク!
ちょうど貨物列車が通って、絶好のシャッターチャンス!

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ワンド。語源は知らないけど・・・・
ここには貴重なイタセンパラが棲んでいます。
イタセンパラとは、板鮮腹。
板のように平たい体形で、色鮮やかな腹部をもつ魚
という意味だそうですよ。

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うむ、絵になる風景だなぁ・・・

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くーるくる。

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東淀川まで達して引き返します。

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いや、最後に歩けてよかったなぁ。
しろうさぎさんのおかげでした、ありがとうございました。
お会いできなかったのは残念ですがね・・・

ということで、お次は岡山城月見櫓☆

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再び現存櫓を追う!その1 大坂城多聞櫓

11月は非常に忙しかったですね・・・・
おかしい、少しは余裕ができるはずだったのに・・
と言ってもしょうがなく、気がつけば師走。

書けるうちにブログを書いてしまわねば!
ということで、GWに続いて10月~11月の期間限定、
現存櫓めぐりの第2弾です。

10月は、大坂城。大阪人でありながら、
そこまで城にハマっていたわけではなかったので
在阪時代には現存櫓に行ったことがなくてですね。

今回チャンスがあったのは、千貫櫓と大手枡形を
構成する多聞櫓と大手櫓門。大阪城公園の模型。
今や残っている枡形はコレだけなんですよね(泣)

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これこれ。このためにわざわざ大阪に帰ってきたのです☆
ただ櫓門を「多聞櫓」と表現するのは、
ちょっと違和感あるなぁ。

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この日は大阪城公園駅で降りて、東外濠を
眺めながら本丸に向かいます。

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見ないうちに濠の水がきれいになっている…
藻は多いけど、透明度がある!

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魚が泳いでる姿も・・・キレイになったもんだ☆

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一番櫓。こちらも公開されることがあるようなので、
入ってみたいものですが・・・

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大坂の陣400年の幟。来年から再来年にかけて、
いろいろイベントがありそうな予感。

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六番櫓。こちらもいつか入りたい。
古写真では櫓が並んで壮観なんですけどね…
本当にもったいないことです。

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さて、あちらに見えてきたのが千貫櫓と
大手枡形。桝形虎口+脇に二重櫓と厳重な構造。

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千貫櫓。名古屋城の清須櫓もそうですが、
徳川らしいどっしりした印象の櫓。
名前の由来は、石山本願寺時代にまで遡る、
というのは有名な話ですよね。

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大手桝形門の櫓門。徳川的な印象ではあるけれど、
銅板が使われていない点がちょっと江戸城や
名古屋城、二条城と違っている点。

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大坂城の瓦は裏紋である丸に三つ裏葵がほとんど。
他の徳川城郭との違いを見るのもおもしろい。

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さて・・・いよいよ中に入りますよ!
わくわくわくわく・・・・

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多聞櫓の内側も普段は入れないみたい。

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ちょっと中に入る前に・・・他には
江戸城・岡山城にあるという石垣をくりぬいた狭間へ。

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狭間にばっかり注目してたら、足もとに
ひっつき虫が大量に(笑)

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多聞櫓内部。当たり前だが昼間でもかなり暗い。
・・・が、それがいいですよね。

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1783年に落雷で焼失した後、1848年に再建。
家茂や慶喜も巡視の際に入っているそうで
特に家茂はしばしば巡視していたとか。

石垣をくりぬいた狭間。櫓があると、
外側からは分かりにくいが、内側からは鉄砲で
安全に狙えそう・・・すごい!

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ちょっと狙える範囲は狭いかも?

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窓もあるけど、チキンなわたしは
石垣くりぬいた狭間のほうが安全だよね…
とか思っちゃいます(笑)

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内部構造は会津若松城(鶴ヶ城)の天守に連結する
走長屋を思い出す構造。長屋に詰めて、
戦時は廊下に張り出して銃撃・・という感じ?

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詰めの部屋。ここに籠城兵が寝泊りする想定。
福岡城の多聞櫓と違うね・・・福岡城は
詰めの部屋しかないから、硝煙を逃がす構造だったのかな?
大坂城の多聞櫓は詰めの部屋に仕切りはあったのか?
などなど思うこと多し。

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光の具合が美しいね。

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ま、木造建築を鑑賞するときには、
とりあえず上見上げるよね。梁にうっとり。

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こういう曲がった材があるほうが、
見甲斐があるなぁと思うようになりました。

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お気に入りの一枚。
なんだか天守の武者走りのようで。

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多聞櫓のカドと櫓門と交差するところでは、
大手枡形の説明が少しありました。

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天井も高くって、すごく開放感のある空間。

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落雷で焼失し、長らく石垣と高麗門だけだったそうで
そんな頃の絵図も残っていたりだとか。

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以前は、この絵図で塀となって描かれている部分も
「市多聞」という多聞櫓で、かつては多聞櫓で
枡形をぐるりと覆う堅固なつくりだったようですね。
駿府城の枡形にも通じる堅固さです。

今は焼け落ちて存在しない京橋口枡形。
こちらを見ると多聞櫓で囲われていますよね!
その厳重なつくりがわかります。

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こちらは桜門枡形の正面蛸石の上の多聞櫓。
桜門の枡形も多聞櫓・・・徳川幕府西の本拠地だけに
相当に戦闘的な構えを感じられますね。

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大手口、京橋口、桜門のほか玉造口、
山里丸にも枡形があり、どれも多聞櫓で覆われてたそう。

ちょっと面白かったのが、英語の解説も併せて付いてて、
枡形虎口はsquare-shaped defensesという表現に感心。
なるほどなぁ・・・すごくよく伝わる表現だなと。
狭間はloophole、土橋はearthen bridge。

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大手櫓門では、かつての櫓の部材展示。
しかし、櫓門もかなりの広さを感じましたね。さすが。

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かならず木造櫓では天井を見上げて
圧倒されるお楽しみ。

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修理の際に取り替えられた懸魚。

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鯱瓦。大手枡形櫓門の鯱が瓦だそうです。
かなりイカツイ目しててイイね!

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葵紋は徹底して、裏紋ですね。
どのような意図があったんでしょうかね・・・

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京橋口枡形と伏見櫓。構造的には大手口の大手枡形と
千貫櫓に似ているけれど、昭和まで残っていた三重櫓…
惜しい・・・惜しすぎる・・・

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桜門枡形の修復の様子の写真。

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貴重な蛸石の裏側!やはりうっすいですね(笑)

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このなかから「裏籠石」として、五輪塔が出てきたとか!
裏籠石を石垣に使っちゃうのは、大和郡山城や福知山城で
有名ですけど、裏籠石に使っちゃう辺り・・・
さすが大坂城ってところでしょうね。

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足利義教の時代のものだそうですね・・・
けっこうエライ僧侶の供養塔か。

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さて、櫓門には石落とし・・・ならぬ、
槍落としなる仕掛けが。機能的には同じなんですが…

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実は、石落としみたいに飛び出てないのですよ。
も一度、櫓門復習。ね、わかんないでしょ?

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普通の櫓門のつもりで、門をこじ開けようとしてたら
上から石や熱湯や槍が降ってくる・・・地味に
えげつない仕掛けです・・・大坂城すげぇ。

もちろん櫓上からも枡形に閉じ込めた敵兵を
バンバン攻撃。これ、幕府軍が籠城していたら、
ものすごい激戦になったかもしれない・・・

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そして、不思議なのが櫓門の内部が三段造りに
なっていること。櫓内でも中央が一段高くなっていて…

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櫓の端でも石垣からさらに一段盛り上げて
つくられていて、石垣だけでも高いのにさらに高低差を
つけようとしているんかな?なんて想像。

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さて、千貫櫓に向かいます!こちらもわたしの印象では
徳川らしい重厚感のあるどっしりした櫓で、
名古屋城の清須櫓なんかに通じるところがあるかな?

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やっぱり、葵紋は裏紋。江戸が表、大坂が裏?
なのかなぁ。

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大手櫓門と千貫櫓を結ぶ通路にも石垣をくりぬいて
つくった狭間が!こっちは余計なものがナイ!

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城好きにはたまらない眺め・・・かな?(笑)

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・・・ということで、この辺できりますね。
どんだけ書くことがあるんだ・・・もっともっとネタが
溜まっているのにこのスピード(汗)

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