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武田家宗家と武田史跡を訪ねるバスの旅…その4 法善寺・古長禅寺・安藤家住宅

さて、まだまだ続きます。

■法善寺

法善寺・・というと、大阪人的には千日前の法善寺、
を思い出しますが、もちろんそれとは別。
加賀美遠光(ががみ・とおみつ)邸跡だそうです。

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えーっと、加賀美さんって誰?という方のために・・・
甲斐源氏の祖・源義光(八幡太郎義家の弟)の曾孫で、
武田氏初代・武田信義の弟に当たる人物。

甲斐国巨麻郡加賀美郷を本領としたことから、
加賀美氏を名乗るわけですが・・

ちょうどこのあたりは、御勅使川扇状地の端にあたり、
もぐりこんだ地下水が湧き出るところになり、
米どころだったそうですし、馬のどころでもあったそう。

経済的にも有利で、武士に不可欠な馬もいる・・・
ということでここに拠ったのでしょう。

平氏に仕えていたとされ、高倉天皇時代、
宮中に怪異が起こったところを魔を払う弓を払う儀式をし
その功(?)で不動明王像に加え、
特別に「王」の一字を与えられ、家紋の三階菱は、
この王の字を象形化したものだそう。

ということで正面の車寄には、この三階菱。
加賀美家やそこから派生した小笠原家
(信濃守護で信玄に追われた小笠原長時に連なる)
はこの三階菱を用いるそうですね。

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その割には、他は武田割菱ばかりでしたが(笑)

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法善寺はもともと北巨摩に806年に創建されたそうで、
真言宗の寺としてできたそうで、後に遠光屋敷跡に
孫の遠経が遷したようです。

本堂にも上がらせていただきました。
三階菱と武田の割菱!

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本堂内には備前長船兼光銘の大薙刀だったり
見ごたえのあるお宝がいっぱい!

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こちらの大薙刀は、信玄が村上義清・小笠原長時を
信濃から追った後に武田八幡宮に奉納した薙刀で
明治期に大般若経が武田八幡宮から神仏分離の実施により
引き渡されていますが、そのときでしょうか?
この薙刀も法善寺に移管されているそうです。

しばし刀身に見惚れる・・・

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その他、信玄木像も。写真撮り忘れたので、
パンフレットから・・・・めっちゃ眉間に皺よせてはる!

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この法禅寺、信玄七男で出家して玄龍と称していた
安田信清が出家したお寺なんだそうです。
後に、勝頼の命で還俗して安田氏(甲斐源氏傍流)
を継ぎ安田信清と名乗ります。

武田滅亡時には高野山で隠棲し、後に姉の菊姫を頼って
米沢に赴き武田に復姓、米沢武田家となっていくわけです。

そのほか、信玄が詠んだ和歌百首の写本が残っていたり、
建物としても魅力的でもあります。創建時の建物は
織田の兵火でほとんど焼失しているようですが・・・

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あと珍しいのが1995年に建立された不動明王堂。
建材がステンレスだそうで・・・

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とにかくおっきい・・・・・圧倒されます。

■古長禅寺

古長禅寺は、信玄の母大井夫人の菩提寺にして
若き晴信が岐秀元伯に学んだ地。

また岐秀元伯から授戒されて剃髪出家し、
法性院機山信玄と称したのもこの寺なんですね。
晴信から信玄、人生に大きな影響を与えた師からの
学びの場として、信玄の人生で重要なお寺。

大井夫人没後、老いた岐秀禅寺のために
長禅寺を甲府に遷したため、元の長禅寺を
古長禅寺と称するようになったとか。

古長禅寺のビャクシン。開基となった夢窓疎石が
四天王(毘沙門天・持国天・増長天・広目天)をかたどり、
植えたと伝わる。国指定天然記念物。
樹齢約700年にもなる古木です・・・・見ごたえあり!

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古長禅寺の門は、武田花菱でした・・・
(そんなんばっかしチェックしてる)

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裏は割菱!

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本堂。残念ながら住職さま不在で入ることはできず。

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外から見て、釘隠しも花菱だーって確認確認。
(しつこい・・・笑)

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大井夫人墓。
自らを呼び寄せ、寺勢の発展に寄与した大井夫人を
中興開基として、岐秀元伯が礼を尽くして葬ったそう。

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大井夫人に手を合わせ、古長禅寺を後にします。

■安藤家住宅

江戸時代の豪農の屋敷。元は小尾(おび)氏を称したが、
武田滅亡後に一時徳川家に仕えるものの、
帰農し母方の姓を名乗ったのがこの屋敷の主・安藤家。

安藤氏・・・とは武田家中に聞かない姓だけど、
元は佐竹氏から分派し、巨摩郡津金村に所領をもった
津金衆の一族に小尾氏を名乗っていたようなので
ここの関係の一族なんでしょうね。

ただ母方の姓たる「安藤」の由来はちょっとわかりません。

さて、安藤家住宅。重要文化財に指定されてます。
茅葺ではありますが、堂々たる構えの長屋門。

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中門まで・・・母屋の式台付の玄関。
当主と身分の高い客人を通すときのみ使われたとか。

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折れているのが、やっぱり枡形的発想?
とか思っちゃう城好き病患者(笑)

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主屋。宝永5年(1708年)建造。
宝永年間に地震があって、液状化現象が起こり
屋敷が傾いてしまい、村ごと移転。
その際に河原の高台に再建されたのそうです。

棟札に身延山三十三世の曼荼羅があるなど、
安藤家、かなりのチカラがあったことを思わせます。

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豪農の屋敷で千鳥破風がついてるお宅は珍しいかな。
かなりの格式を感じますね・・・

安藤家の下がり藤。

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避雷針の松。もともと高台に生えていた松を活かして
庭園に組み込んだのだそう。

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当主が寝起きした間には二階に逃げられる
仕組みがあったり・・・地元ではよく思われてなかった?

茶室の欄間。透かし彫りのデザインがやけにモダン。
幕末ごろの作だそうです。

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高台感がわかりますね・・!!
ある意味、土塁上に築かれた城館のような・・!!
(はい、なんでも城に見えてくる病発病)

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茶釜を置く場所が端に寄ってる・・・
やはり風景を眺めながら、茶でも一服なのかな。うん。

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一旦外に出て、少し散策。
高台感がさらにわかりやすい。

液状化現象で移転したわけで、水が迫ってきても
いいような場所ということで選ばれたんでしょうな。

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しかし、こんな高低差のある庭園も珍しいよね。

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海鼠瓦の北蔵。米俵が積まれていたそうですが・・・

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中は少しホコリっぽく、古い木のにおい。
櫓のにおいにちょっと似てますね。

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そして・・・重要文化財にてお食事!(普段はできません)
10月にもここのNPOさんがイベントをされていましたが、
それに準じる小笠原礼法講座付のお昼ご飯。

「信玄弁当膳」とは、信玄時代の軍中携行に用いられた
とされる重ね碗にヒントに作られたそう。

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武田二十四将図が貼ってありました(笑)

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季節のものがたくさんで、あまり量が多くなく
ちょっといい松花堂弁当的な感じ。

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意外と海のものがあるんですが、甲斐って海がないだけに、
海鮮モノって喜ばれるそうなんですね。
あわびの煮貝なんてのも、海のない甲斐で海産物を頂く知恵。
甲斐だからこそ海鮮を出すというのもあるんだ、
とちょっとおもしろいことも聴けましたね。ナルホド。

食後は小笠原流礼法で倣った箸置きの折り方講座。
途中まで鶴と同じ・・といわれても、折り紙苦手なわたし
鶴がまず折れませんからね(どや)

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が、なんとか折ることができました。ふー・・・
食事の場でそうそう折り紙はないでしょうが、
紙ナプキンとかで折れるかも。

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ということで、いよいよ終盤へ。
秋山虎繁に連なる秋山家のルーツに触れに参ります。

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