再び現存櫓を追う!その1 大坂城多聞櫓
11月は非常に忙しかったですね・・・・
おかしい、少しは余裕ができるはずだったのに・・
と言ってもしょうがなく、気がつけば師走。
書けるうちにブログを書いてしまわねば!
ということで、GWに続いて10月~11月の期間限定、
現存櫓めぐりの第2弾です。
10月は、大坂城。大阪人でありながら、
そこまで城にハマっていたわけではなかったので
在阪時代には現存櫓に行ったことがなくてですね。
今回チャンスがあったのは、千貫櫓と大手枡形を
構成する多聞櫓と大手櫓門。大阪城公園の模型。
今や残っている枡形はコレだけなんですよね(泣)
これこれ。このためにわざわざ大阪に帰ってきたのです☆
ただ櫓門を「多聞櫓」と表現するのは、
ちょっと違和感あるなぁ。
この日は大阪城公園駅で降りて、東外濠を
眺めながら本丸に向かいます。
見ないうちに濠の水がきれいになっている…
藻は多いけど、透明度がある!
魚が泳いでる姿も・・・キレイになったもんだ☆
一番櫓。こちらも公開されることがあるようなので、
入ってみたいものですが・・・
大坂の陣400年の幟。来年から再来年にかけて、
いろいろイベントがありそうな予感。
六番櫓。こちらもいつか入りたい。
古写真では櫓が並んで壮観なんですけどね…
本当にもったいないことです。
さて、あちらに見えてきたのが千貫櫓と
大手枡形。桝形虎口+脇に二重櫓と厳重な構造。
千貫櫓。名古屋城の清須櫓もそうですが、
徳川らしいどっしりした印象の櫓。
名前の由来は、石山本願寺時代にまで遡る、
というのは有名な話ですよね。
大手桝形門の櫓門。徳川的な印象ではあるけれど、
銅板が使われていない点がちょっと江戸城や
名古屋城、二条城と違っている点。
大坂城の瓦は裏紋である丸に三つ裏葵がほとんど。
他の徳川城郭との違いを見るのもおもしろい。
さて・・・いよいよ中に入りますよ!
わくわくわくわく・・・・
多聞櫓の内側も普段は入れないみたい。
ちょっと中に入る前に・・・他には
江戸城・岡山城にあるという石垣をくりぬいた狭間へ。
狭間にばっかり注目してたら、足もとに
ひっつき虫が大量に(笑)
多聞櫓内部。当たり前だが昼間でもかなり暗い。
・・・が、それがいいですよね。
1783年に落雷で焼失した後、1848年に再建。
家茂や慶喜も巡視の際に入っているそうで
特に家茂はしばしば巡視していたとか。
石垣をくりぬいた狭間。櫓があると、
外側からは分かりにくいが、内側からは鉄砲で
安全に狙えそう・・・すごい!
ちょっと狙える範囲は狭いかも?
窓もあるけど、チキンなわたしは
石垣くりぬいた狭間のほうが安全だよね…
とか思っちゃいます(笑)
内部構造は会津若松城(鶴ヶ城)の天守に連結する
走長屋を思い出す構造。長屋に詰めて、
戦時は廊下に張り出して銃撃・・という感じ?
詰めの部屋。ここに籠城兵が寝泊りする想定。
福岡城の多聞櫓と違うね・・・福岡城は
詰めの部屋しかないから、硝煙を逃がす構造だったのかな?
大坂城の多聞櫓は詰めの部屋に仕切りはあったのか?
などなど思うこと多し。
光の具合が美しいね。
ま、木造建築を鑑賞するときには、
とりあえず上見上げるよね。梁にうっとり。
こういう曲がった材があるほうが、
見甲斐があるなぁと思うようになりました。
お気に入りの一枚。
なんだか天守の武者走りのようで。
多聞櫓のカドと櫓門と交差するところでは、
大手枡形の説明が少しありました。
天井も高くって、すごく開放感のある空間。
落雷で焼失し、長らく石垣と高麗門だけだったそうで
そんな頃の絵図も残っていたりだとか。
以前は、この絵図で塀となって描かれている部分も
「市多聞」という多聞櫓で、かつては多聞櫓で
枡形をぐるりと覆う堅固なつくりだったようですね。
駿府城の枡形にも通じる堅固さです。
今は焼け落ちて存在しない京橋口枡形。
こちらを見ると多聞櫓で囲われていますよね!
その厳重なつくりがわかります。
こちらは桜門枡形の正面蛸石の上の多聞櫓。
桜門の枡形も多聞櫓・・・徳川幕府西の本拠地だけに
相当に戦闘的な構えを感じられますね。
大手口、京橋口、桜門のほか玉造口、
山里丸にも枡形があり、どれも多聞櫓で覆われてたそう。
ちょっと面白かったのが、英語の解説も併せて付いてて、
枡形虎口はsquare-shaped defensesという表現に感心。
なるほどなぁ・・・すごくよく伝わる表現だなと。
狭間はloophole、土橋はearthen bridge。
大手櫓門では、かつての櫓の部材展示。
しかし、櫓門もかなりの広さを感じましたね。さすが。
かならず木造櫓では天井を見上げて
圧倒されるお楽しみ。
修理の際に取り替えられた懸魚。
鯱瓦。大手枡形櫓門の鯱が瓦だそうです。
かなりイカツイ目しててイイね!
葵紋は徹底して、裏紋ですね。
どのような意図があったんでしょうかね・・・
京橋口枡形と伏見櫓。構造的には大手口の大手枡形と
千貫櫓に似ているけれど、昭和まで残っていた三重櫓…
惜しい・・・惜しすぎる・・・
桜門枡形の修復の様子の写真。
貴重な蛸石の裏側!やはりうっすいですね(笑)
このなかから「裏籠石」として、五輪塔が出てきたとか!
裏籠石を石垣に使っちゃうのは、大和郡山城や福知山城で
有名ですけど、裏籠石に使っちゃう辺り・・・
さすが大坂城ってところでしょうね。
足利義教の時代のものだそうですね・・・
けっこうエライ僧侶の供養塔か。
さて、櫓門には石落とし・・・ならぬ、
槍落としなる仕掛けが。機能的には同じなんですが…
実は、石落としみたいに飛び出てないのですよ。
も一度、櫓門復習。ね、わかんないでしょ?
普通の櫓門のつもりで、門をこじ開けようとしてたら
上から石や熱湯や槍が降ってくる・・・地味に
えげつない仕掛けです・・・大坂城すげぇ。
もちろん櫓上からも枡形に閉じ込めた敵兵を
バンバン攻撃。これ、幕府軍が籠城していたら、
ものすごい激戦になったかもしれない・・・
そして、不思議なのが櫓門の内部が三段造りに
なっていること。櫓内でも中央が一段高くなっていて…
櫓の端でも石垣からさらに一段盛り上げて
つくられていて、石垣だけでも高いのにさらに高低差を
つけようとしているんかな?なんて想像。
さて、千貫櫓に向かいます!こちらもわたしの印象では
徳川らしい重厚感のあるどっしりした櫓で、
名古屋城の清須櫓なんかに通じるところがあるかな?
やっぱり、葵紋は裏紋。江戸が表、大坂が裏?
なのかなぁ。
大手櫓門と千貫櫓を結ぶ通路にも石垣をくりぬいて
つくった狭間が!こっちは余計なものがナイ!
城好きにはたまらない眺め・・・かな?(笑)
・・・ということで、この辺できりますね。
どんだけ書くことがあるんだ・・・もっともっとネタが
溜まっているのにこのスピード(汗)
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