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駿河遠江の武田ゆかりの城を巡る・・・その4 田中城。

さて、間が開いてしまいましたが、
翌日。真ん丸の縄張りが特徴的な田中城。

元々今川氏の城なんですが、信玄の駿河攻略の際に
武田軍の手に落ち、武田滅亡まで武田の城として機能。

三の丸の東西南北、二の丸の東西に
丸馬出がありますよね♪

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城代は山県昌景が務めますが、改修は馬場信春。
やはり、武田の城といえば馬場美濃の出番。

んが、かなり遺構は破壊されていますので、
かなりの想像力を必要とする城でもあるのですが・・・

現在の地形。わずかに円形の縄張りを感じさせる
道路の走り方になっていますね。

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まずは、下屋敷跡から攻めていきます。

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わずかに土塁跡も残りますが・・・

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見所(笑)は、家康公お手植えの蜜柑の木。
徳川家康×蜜柑でおなじみの某フォロワーさんが
はしゃいだ地として有名です(?)

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まだ色づいていない蜜柑ばかりでしたが・・・

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下屋敷は、江戸時代の藩主の別荘を意味し、
庭園や茶室を設けた風雅なエリアだったようです。

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今では、田中城が廃城となって建物の一部が
払い下げされた際に移築された建物が
再び城内に戻って、下屋敷跡に集結しています。

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左から仲間部屋、長楽寺村郷蔵。
仲間部屋は、城内長屋門に付設された納屋で、
城主・本多家の立葵紋の入った鬼瓦が据えられてたそう。

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そして、本丸にあったらしい重箱櫓。

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御亭と呼ばれていただけあって、
あまり櫓っぽい感じはしませんよね・・・

御亭とは、庭園で眺望や休憩のために
つくられた建物を指しますからね。

かつて庭園内に置かれていたという亀石。
ペアとなっていた鶴石は所在不明。

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今ある下屋敷跡は、この点線部分。
わずかだけなんだな・・・

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なんとなく雰囲気は再現されてはいますけどね。

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さて、御亭の中に入らせて頂きます!
維新後に入城した高橋伊勢守の配下であった方が
払い下げを受け、住居としていたそうです。
・・・生活感ありますよね(笑)

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そこで目に留まったのは、内部よりも
田中城の模型!ヒャッハー!

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模型の精度としては、アレですが、
構造はよくわかって、理解の助けになります。

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個人的に気になったのは、虎口の厳重さがユニーク。
というのも、武田の丸馬出+近世の桝形虎口、
さらに廻りを多聞櫓で囲っているという点。

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三日月濠で敵兵の足止めをするだけなく、
さらにその曲輪へ通じる道に枡形を仕掛けて、
敵兵を粉砕する・・・かなり入念ですよね。
新宿一之門は外枡形、新宿二之門は内枡形です。

大手側も同様ですね。

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ただ、ここを破られてしまうと、
本丸は中世の館のような単純な曲輪なので、
もうTHE ENDという感じではあります。

おそらく武田家の持ち城だった頃の復元図。
江戸時代にはかなり拡張されてますが、
戦国期には、外側の丸馬出が最前線みたい。

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これに本多氏時代に桝形虎口が加わったんでしょう。
ここまで厳重にする意図は何だったのか…

田中城の本丸の敷地は手狭だったのか、
御殿は本丸の南、三の丸に置かれたようで、
その復元図もありました。

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清水御殿と呼ばれ、何度も焼失倒壊を経て、
1860年に再建。廃城後も高等小学校や
農学校の校舎として使われていたようですが、
惜しくも1927年に焼失・・・・

復元図があるということは、古写真など史料が
ある程度揃っているということなんでしょうね??

田中城主の変遷。馬場美濃や山県三郎兵衛の名に
ニヤニヤするとともに、一時期土浦の土屋氏が城主に
なっていたのか!というところにもおっ!と発見です。

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そう、この土屋氏とは、天目山で片手千人斬りで
勝頼を守って織田兵を最後までなぎ倒した・・・
あの土屋右衛門尉昌恒の末裔に当たります。

へぇ、現徳川宗家の徳川恒孝氏も来場してるんですね。
徳川家康のエピソードというと、鯛の天ぷらを
食べて当たったのがこの田中城でのできごと…

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少し昔の田中城跡。高々数十年の昔の開発で
城跡がもう分からなくなってしまうほど、
破壊されてしまったんですね・・・

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そんな展示のある二階もまた居間的なつくり。
御亭ということを考えると、往時から畳敷きだった?
という感じもしますので、違和感はないですね。

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さて、では遺構を探しに城跡を歩き回りますか・・・
あ、これいいなぁ・・・建物付きの別の模型。
またやってくんないかな。

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さて、下屋敷から六間川を渡ってすぐが
馬見所跡。ここを左手に曲がります。

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ここの土塁なんかも往時の痕跡かな?

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案内しかありませんが、新宿木戸跡。
ここを右に曲がれば、新宿一之門、二之門跡へ。

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あのコンクリで固められたカーブが、
どうやら新宿一之三日月濠と丸馬出後の様子。
まだ残ってるっちゃ、残ってるやん!

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ここだけでもキレイに復元できたら、
いいのになぁ・・・・

さて、田中城本丸跡。
ほとんどが西益津小の敷地。

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妙な似非天守は余計ですが、田中城の縄張りを
示したところがありました。丸馬出も再現♪

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西に本丸を通り抜け、二之濠。わずかに残る部分で、
右手に見える民家のあたりが馬出、そして三日月濠が…
今はもう、跡形もなくなっていますね(泣)

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さらに馬出跡を横目に空壕跡を抜けて、
三之濠跡へ。ここもわずかに残る水濠跡。

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向かいの民家は、四之丸武家屋敷跡。

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四之丸に降りてみて。もりっと土塁が盛られている、
というのが感じられますよね。

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武家屋敷跡に残る石垣。案外コレって、
江戸期の石垣な気がするなぁ・・・

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こちらの三之濠跡はわかりにくい・・・

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整備すれば、遺構自体はちゃんとありそうだけど。

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大手一之門跡。全く分かりませんね…
左右の土塁で道が狭まり、眼前には馬出が見える…
はずなんですけどね…(笑)

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大手二之三日月濠跡。こちらも案内のみ。

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さて、ここで道を逸れてまんまる田中城を
体感してみることに。確かにカクカクはしてますが、
道が円く伸びていますよ♪

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すぐ左手には、わずかに残る三之丸土塁が。

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この手前には、家老クラスの重臣の屋敷があった様子。

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場所はここですね。

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うっひょひょーい!と駆け上がります。
全然苦にならずに上がれるレベル。

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この先には、三之濠と藩校日知館がありました。

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さて・・この辺で田中城から撤収。
遺構はそうはありませんが、
個人的には思い入れがある…小山城に。

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