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駿河遠江の武田ゆかりの城を巡る・・・その3 諏訪原城。

さて、前半の山場・・・諏訪原城。
信玄後期から勝頼時代の武田築城術の粋、
ともいえる城と聞いていて、ものすごい楽しみでした。

正確な築城時期は特定できていないようですが、
元亀4年4月の信玄薨去の直後、元号が天正に
変わる頃に築城されたのは、間違いないようです。

この広い敷地に遺構がかなりよい状態で
現存しているんですよね。

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今回通ったのは、極々一般的なコース。

Suwabara


発掘調査などの結果により、後に徳川家康が
入城した際に大手曲輪など、更に縄張りを広げたそうで
既存の縄張りも徳川の改修が入っているようです。

んが、雄大な外壕に非常に巧妙な虎口と馬出、
迫力のある三日月壕といった武田築城術の特徴が
これ見よがしに現れています。

大手南外壕(十一号堀)。このあたりは徳川時代に
新たに掘られたような感じを受けます。
茶畑になってほぼ埋まっておりますが・・・・

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んで、右手には二の曲輪大手馬出!(十二号堀)
最もダイナミックな丸馬出がイキナリやってきます!

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夏の割にはキレイに手入れされていますね!

東側の虎口。雄大な三日月壕の向こうに
渡るにはこんな狭い土橋を通らなくてはいけません。
土橋の向こうには外壕がめぐらされています。

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西側は少し緑が多かったかな。にしても、
コレを掘るには相当な土木量。信玄亡き後とはいえ、
これを短時間でつくりあげる武田の土木力に感嘆です!

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諏訪原城も縄張りは、馬場美濃守信春と言われ、
彼にとっても最晩年の城普請の総仕上げ、
ともいえる作品となっています。

が、これほどの大規模な城郭にも関わらず、
長篠での大敗の痛手で武田本隊からの援軍もなく、
守将・今福丹波守虎孝は一ヶ月の籠城戦の末、討死。

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今福浄閑斎とありますが、これは父のほう。
ここで討死はしていません。何かの間違いでしょう。

しかし、これほどの城とはいえ、長篠後の士気が
萎えた武田軍では支えきれなかったのでしょうねぇ。
まさしく、人は城とはこのことです。
(あれは、信玄公のことばではないようですが…)

大手北外壕(十一号堀)。浅く掘られた空壕で、
敵軍の気勢を削ぐための堀。これも徳川時代かな?

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そして、二の曲輪中馬出(三号堀)。
ここも負けず劣らず、ダイナミックな丸馬出。
緑が青々していますが・・・・
とてもコレを超えていこうという気になりませんな。

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この中馬出の北馬出門は、礎石の発掘調査から
薬医門だったと推測されるそうで、どうやら復元されるよう。
復元のための材が乾燥中でした。楽しみだなぁ。

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北側に続く空壕(一号堀)。

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中馬出へ北側から侵入しようとすると、
狭い北馬出を経由しないといけないんですが、
そこから中馬出への道がこんな細い!

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手前が三日月壕の続き、奥が外壕(二号堀)ですね。
こりゃぁ、格好の鉄砲と弓の餌食ですよね!
それでも守備兵が少ないと保たないのか…

この道の奥が、中馬出。

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左手には、外壕。

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二の曲輪に続く土橋も非常に細い!

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中馬出内。樹が伐られて見晴らしはよくなっています。
国指定史跡というお陰なのかもしれません。

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外壕(四号堀)。冬季なら壕底を歩けそうだよね!

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そして、そのまま本曲輪へ。左手には
五号堀(内堀)の看板。

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三段鍵堀という壕底が階段状になっているそうで、
目的としては障子堀と同じなんでしょうね。

青々して見えん・・・(泣)

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右手の内堀(六号堀)も鍵堀なんでしょうかね?
冬来ようぜ、冬!

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本曲輪前にはどーんと土塁が控えて、
視界を遮っています。土塁の脇をクランクしながら
本曲輪内に入っていきます。

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けっこう土塁の高さありますね。

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こんなにしっかりと土塁で盛ってるのが
残っているのもそう多くはないでしょうね・・・・

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天主台地。本曲輪の少し高くなった部分。
物見でもあったようですね。

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高いといってもなだらかに少し盛り上がった程度。

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本曲輪の東奥は断崖絶壁。尾根の先端なんでしょうね。

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下にも狭い曲輪があるので、少し降りてみますか。

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腰曲輪のような長細い曲輪からは…

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さらにもうひとつ、曲輪がありそうなのが見え、
その前後に空壕を配していそうです。緑が邪魔…

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さて、天主曲輪を南東から。二の曲輪と併せて、
けっこうな広さがあり、キャパとしては
数千の兵を駐留できたでしょうね。

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本曲輪の南に壕底へ降りてゆける道が。

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カンカン井戸と呼ばれる井戸跡。
石積で囲われていますが、涸れてしまってるよう。

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ここを左に折れると水ノ手曲輪へ・・
今日はちょっとパス。

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アチラに下っていくと、あるそうな。
しかし、壕底方面に水の手とは。
ちょっと水の手を守るのが難しいかもしれないね?

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さて、また登って二の曲輪、そのまま
最初に見た二の曲輪大手馬出の虎口から出ます。

そこで見つけた・・・あっ!石積!

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ちょっと興味深いのが、横須賀城と違い、
外壕の内側から見える部分に石積があるんですよね。
つまり、外から見える部分にだけ
石積があったわけではない、ということになりますよね。

ということは、実用的な意図を以って土留めに
使われていたのかなーなどと想像。

っていうのも、壕底歩くといろいろ発見あるだろうな♪
実に歩いてみたいものです・・・・

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諏訪原城の由来となった(?)諏訪神社。
でもさぁ、武田において諏訪といえば、
諏訪頼重・・・じゃなくて、諏訪大明神ですね。

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信玄が篤く信仰し、孫子旗とともに本陣に
諏訪上下大明神の旗を立ててますし、
(あのヤクの兜かどうかはさておき)信玄愛用の兜も
諏訪法性の兜といいますし、さらには一度は諏訪家を
継いだ勝頼にとっても、諏訪明神は特別な存在のはず。

そんな諏訪明神を馬出って、戦の最前線に
置いておきますかねぇ・・諏訪神社があったから
諏訪ノ原ということだそうですが、建物も
古くないですし、往時の位置とは違いそうですね。

あくまでも「城内」に諏訪大明神を祀ったことから、
その名前があるわけですしね。

今更ながら諏訪原城の解説。馬場美濃の異名に
「氏勝」なんてのがあるのを初めて知りましたよ・・・
なにそれ、氏康さんから偏諱でももらってんの?(笑)

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大手馬出南の土橋は、諏訪神社の参道に。
鳥居はそれなりに古そうです。

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そして、三日月壕を横目に。
これは見飽きないな・・・・すげぇ。

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そして、駐車場からフェンス越しになんとか
撮った二の曲輪南馬出。大手馬出・中馬出と比べると
ずいぶんとミニサイズではあるけど・・・

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そして右手には、二の曲輪東馬出も☆
丸馬出いっぱーい!

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さて、この日の宴は静岡駅前の駅南酒場
ジモティ・さらさんもお呼びして、
しぞーかグルメを堪能しまっせ☆

なんか注文取りに来るにーちゃんがおもろかったなぁ。
慣れてないというか、なんというか(笑)

しぞーかおでんに・・・

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桜えび。

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富士山コロッケ(カタチだけ?)

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いや、何が美味かったかって、
これでしょう、あらぶれ・・・じゃなかった、
しずおかあらごしみかん
みかんと蜂蜜、日本酒のリキュール。

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みかんの心地よい甘さが非常に上手く引き出されていて、
この日ばかりはかなりコレを飲みました。

要冷蔵というところが難点ですが、
東京に帰ってから注文しちゃいましたし!

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さて、飲みもそこそこに・・・
翌日も城攻めですよ☆こちらも馬場美濃作品、
まんまるまるまる田中城♪

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