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2013.10.20

駿府城坤櫓その後+企画展「武田と城と城下町」

さて、昨年11月に駿府城坤櫓の建築現場に
行ってきたわけですが、その第2回が6月にあり、
またもや当選☆ということで、瓦が葺かれた姿を
間近で見学することができました。

残念なことに第3回は落選したんですがね・・・
まぁ、3回中2回当選したんですから、
贅沢は言っちゃちゃいけませんな(笑)

第3回見学会の終了後、足場が取り払われ、
外観が見られるようになったのは、つい先日、
ニュースにもなったところですね。

さて、まだ6月ですから足場はしっかりございます(汗)
# 書くのが遅いのがよくわかる・・・

P1300831

平面図。かなり外観の作業は終わっている感じ。

P1300838

立面図。

P1300836

さて、わくわくしながら中へ。

P1300839

軽く眺める1階部分。何度も何度も塗り重ねられ、
最後の仕上げ段階になってようやく白漆喰が
塗り籠められるんだそうです。

P1300841

公開されるときには、ここから入るんですね。
一階しか見れないのがどうにも悔しいですが・・・

P1300888

そういや、この色と姿、ボロボロになっていた
大分の暘谷城鬼門櫓の昔の姿を思い出します。
漆喰を塗っていく経過を見てくると、
こんなにも漆喰が年月の経過で剥がれていたのか、と。

P1300889

どーん!瓦がきれいに葺かれています!
なかなかこの近さで見ることはできないですからね!
漆喰は白くはなっていますが、まだまだ
純白の白漆喰塗籠までには、じっくりと作業が必要そう。

P1300844

これくらいの土色で6割ほど完成なんだとか。
にしても、漆喰壁の構造ってこんなのよ?という例以外で、
このような色の漆喰壁を見るのは、貴重ですね。

P1300853

懸魚や六葉のあたりはまだ塗りたて?
という感じがしますね。

P1300854

ここはまだゼロ!最初のところくらい、
素人が塗っても・・(こらこら)

P1300855

しかし、今でこそこういって覆いができましたが、
往時は足場は組むでしょうけど、櫓を覆うことができない?
でしょうからね・・・雨の日も風の日もあったでしょうし、
職人の皆様方は、大変だったでしょうね。

P1300856

さて瓦。徳川葵。17芯ありますが、これっていいのか?
・・・素人には分かりません(笑)

P1300845

鬼瓦は滋賀県産、平瓦・丸瓦は岐阜県産。
静岡県産じゃないんですね。びっくり。

軒丸瓦だけに南蛮漆喰で葺き土をし、
軒平瓦はステンレス線で留めてある様子。

すごいなぁ・・このアングル(笑)

P1300868

左官工事や瓦工事の過程の写真がたくさん。
んが、見学時間約20分のため、ゆっくり見てるヒマなし!

P1300846

P1300850

瓦でつくられるカーブが美しくて、見惚れます。

P1300851

これらの瓦、総数32,000枚にも及び
重量は、約80tだそう。いかに徳川の城の櫓とはいえ、
三層の隅櫓でこの重量ですから、より高層建築では、
相当な荷重に耐えないといけないですね…

結果的に、なのかもしれませんが、
徳川系の巨大天守に軽量化できる銅瓦が用いられた
というのも、うなづける気がします。

手前に行けば行くほど、下の瓦が前に突き出てます。
わざとこうしてあるんですって。

P1300866

瓦の先に見える、尖った入母屋屋根の端。
あそこに鯱瓦が収まるんですねっ!

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唯一確認できた現代的なモノ。なんだと思います?

P1300865

これ、鯱付近に設置される避雷針につながった
アースなんですね。階下までつながってるのでしょう。

P1300865_2

鯱を受ける木の部分に穴が開いているのは、
そういうことなのかもしれません。

P1300871

さて、最後に全体をもう一度・・・・
完成した姿を見たら、また違った感慨があるのでしょう。

P1300873

下に降りて、二層部分。こちらの漆喰は、
まだまだこれからといったようですね。

P1300886

あ、ここだけ塗られてる(笑)
瓦の先は、ぶつけないように緩衝材付き。

P1300887

さて、コレにて見学は終了・・・短い!
再建にあわせて土塀も一部復元されるようです。

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修復中の石垣の石が置かれてる脇を通り、
工事現場を後にします。

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本丸濠の残存する一部。

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そういや、何度も駿府城に来て行ってないな?
と思って、立ち寄った家康公お手植えみかんの木。
別名某家康さん好き女子のはしゃぎの場(笑)

P1300895

家康さんにもご挨拶。皆が知る「徳川家康」らしい
像ですよね。あぁ、なるほどという。

P1300897

そして、影もカタチもない駿府城天守台跡。
石垣天端で約55m×48mというとてつもない天守台は、
天守曲輪として機能し、その中心に天守があった
と推測されています。

P1300898

陸軍が天守台を壊さなければ・・・・
そもそも陸軍なんて誘致しなければ・・・・

後の祭りではありますが、残っていれば、
天守台をじっくり研究することで、
天守についても知見が得られたでしょうに。

駿府城内のお茶(笑)お茶って観賞用にも
植えるんですね・・・さすが茶王国。

P1300899

東大手門から退城。

P1300902

ここも典型的な近世の桝形虎口であり、
また多聞櫓でぐるっと囲んだ防御性の高いところも
けっこう見所なんですよね。警察本部の上から
眺めるのも、おススメです。

P1300905

さて、まる子と気の抜けたような(笑)
家康さんの絵に苦笑しながら、静岡駅を後にします。

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乗ったのは、身延線・・・わざわざ甲斐経由。
というのも、山梨県立考古博物館にて、
武田と城と城下町、という興味をそそられる企画が
あったからなんです☆このタイミング逃したら行けない!

P1300913

撮影禁止でしたが、躑躅ヶ崎館から出土した白磁や青磁、
有名な馬骨の出土状況写真に加えて、新府城の発掘物、
その近い場所にあった真田隠岐守信尹(昌幸弟)
屋敷跡の発掘状況なども紹介されていました。

新府城にも青磁琮形瓶(そうがたへい)の一部が
発見されるなど、築城された1582年当時でも
それ相応の権力があったことを物語る品々がありました。

そして、勝頼自刃から約200年後の1775年、
二百年遠忌が行われた際に、自刃の地に供養塔が建てられ、
経が書かれた経石が5,000点以上も納められたそうで、
貴重なそのうちの2点の経石が展示。

信玄も柳沢吉保や吉里によって、133回忌・150回忌の
法要が執り行われてますが、勝頼にも法要を
このなう人々がいたのだな、とホロリ。

さて、甲府まではバスで向かって・・・
まだ時間があったので、武田神社へも。
まずは、甲府駅の信玄さんにご挨拶です。

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武田神社拝殿。時間が遅いので
軽く参拝を済ませます。

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お、明かりが灯りました。

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とりあえず、武田菱があればしあわせになれる。

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そして、その足で火葬塚へも。
来週、またうかがいますね、お屋形さま。

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