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2013年9月

駿河遠江の武田ゆかりの城を巡る・・・その2 横須賀城。

武田ゆかり…というと、ちょっと語弊があるのですが
武田の高天神城を落とすために築城された、
と考えると、まぁゆかりがあるともいえる横須賀城。

見所は、やっぱり(復元ですが)天龍川の川原石を
つかった玉石垣でしょう!戦国の歴史よりも、
純粋に城郭として、興味があった城です。

横須賀城全景。おそらく戦国時代には
中央やや右手の本丸・西の丸部分、そして
松尾山くらいだったのではと思われます。

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さて、城へ。これ整備された石段だと
思っていたんですが…

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実は、復元遺構。遺構を土砂で保護しつつ、
その上に復元した石段を構築するという、
なかなかニクい演出をしてくれています。

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んで、西の丸を上がったところから、
玉石垣が姿を現しました!壮観!

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あんまりにも丸々した石ばかりで、
日本の城か?と疑いたくなるような異質な石垣。
修築はあったでしょうが、江戸時代通じて
こうだったわけですからねぇ…

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これ、さすがに高天神城を攻める陣城としての
時代ではなく、その後に形成されたんでしょうね。

今では何らかの補強がありそうですが、
江戸時代通じて、このような積み方で用を成して
いたことに驚きます。ちょっとドキドキします(笑)

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ただ、山城を「そのまま」石垣の城とするには、
土塁の斜面に沿って石垣のカーブを描けないわけで、
そういう意味では、玉石垣にする意味があったのかも。

実際、このような緩やかな鈍角の石垣隅だったり…

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沖縄のグスクのような、緩やかなカーブを
みていると、そんな意図も感じますね。

P1310114

武田流の丸馬出は、土塁のまま江戸時代に残されるか、
角馬出として石垣づくりに造りかえられることが
多そうですが、丸馬出のまま玉石垣で石垣化・・・・
してもおもしろいのになぁ、と妄想(笑)

こ、この意味ありげな石は何でしょう・・・・
硝煙蔵とか?わ、わからん・・・

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三日月池。往時の濠跡だそうだけど、
いわゆる丸馬出+三日月濠の武田式のつくりの遺構
ということではないみたい。

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三日月池のすぐ上にある道の地蔵さま方。

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おひとり特に個性的な方が(笑)
いえーい!もしくはえいえいおー!

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本丸の玉石垣に戻ります。三日月池方面から
本丸東端部に上がっていく坂。

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このあたりも発掘調査の成果を元に復元。

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石垣をじぃーっと見つめるあいすさん(笑)

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その先には、玉石垣で難しいところを
なんとか算木積にしてみましたという涙ぐましい(?)
石垣がありました(笑)

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ね、一応算木積ではあるよね?

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さて、本丸へ。なんだか円い石が放射線状に
飛び出ているみたいで、トウモロコシやパイナップルに
見えてしまうのは気のせいでしょうか(笑)

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本丸に上がってすぐ模型を発見。
大手から見える南側ばかりに玉石垣が集中していて、
「見せる石垣」の要素がけっこうあった?と推測。

北の丸は戦国期には、松尾山と本丸を区切る
空壕的なエリアだったかもしれないな。

江戸時代はこの本丸を中心に東西に長く伸び、
周りに外濠が配されていましたが、ほとんど遺構なし…

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模型地点から見て北側の向こうには天守台。
低く積まれた石垣がL字型を成しており、
変わった形状をしていますよね。

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裏鬼門に当たる南西を欠いた構造だったのかな?
でも、それなら普通北東を欠くような気もしますけど。

礎石のほか、鯱瓦なども出土しており、
少しではありますが、面影を感じ取ることができます。
礎石からは東西六間×南北三間半とのことですが、
少しバランスが悪い気がしますね・・・

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まぁ、二層くらいの櫓で、東西に長いと考えれば
そうでもないかなぁ…天守っぽくないけど。

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ということは、南東部のこのあたりは、
天守前通路として広がっていたのでしょうかね?

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北側の土塁もけっこう不思議っちゃ不思議。
横須賀城天守がどのような形状だったのか、興味津々。

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さて、横須賀城址の碑を見たら、本丸を出て、
北の丸から北東の松尾山のほうへと。

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側面に入った途端、土の城。高天神城攻略時には、
石垣はなかったんでしょうね。けっこうな高さがあります。

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お姫様、とだけ言われてもなんのこっちゃいなー!
(結局、謂われは分からず)

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ロームさん、あいすさんが歩いているあたり、
曲輪下を掘ったら空壕跡とか出てきそうな雰囲気。

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キレイに残って整備されている土塁も、
やっぱり城の美しさのひとつだよなーと思いますね。

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松尾山のほうへも。高低差がここでも感じられ
城感はあるのですが、なにせ整備度合いが
一気に下がるので・・・・がくっ

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北側の崖の先は、茶畑になっているようですが…

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西側はさっぱりわからーん!

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東側はざっくりとここも断崖に
なってるのはわかります。

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ここには絵図でも聞櫓が描かれており、
実際のその痕跡が発掘調査の結果、検出されています。

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こんな具合。ここまで位置がわかっていたら、
あと古写真でもあればいいのにねぇ…残念だぁ。

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現場にはブルーシート。まだ発掘の途中なんでしょうかね?
新たな知見が見つかるといいのですが。

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あ、アチラに見えるのは空壕?けっこういい感じで
残ってるみたいですね!ここもまた中世城郭っぽい☆

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後から考えると、下に降りて廻って
近くで見に行けばよかったかなぁ・・・

P1310161

さて、北の丸を西に進んで退城します。
北の丸はゲートボール場にもなってます(汗)

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米蔵があった辺りの手前に差しかかると・・・

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あ、あれは外濠跡!だいぶんと堀の幅は狭く、
浅くはなっているようですが、往時を偲ぶには十分。

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とこんな感じで、横須賀城を堪能。
この後は、お昼に。法多山尊永寺門前の
お食事処山田さん。

袋井のご当地グルメである「たまごふわふわ」
なるものをいただきました!

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まんまやん、というネーミングですが(笑)
はじめはよくわからず、上のほうだけ掬って
食べていて、???という感じだったのですけど、
中にはおだしの効いたスープが…一緒に食べるんですね。

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優しいお味でナイス。が、あっついつい!
何も知らずに突撃すると火傷しそう。

これだと主食がないので、富士宮やきそば。

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でも、やきそば以上に印象に残ったのは…お茶!
お茶が美味い!ペットボトルに入れて持ち帰りたいくらい!
さすが、お茶の国だなぁ・・と感心。

P1310171

いや、食事に行って写真を撮ることは多いですが、
お茶の写真を撮るのは、非常に珍しいです。
ホント、そのくらい印象に残るお茶でした。うむ。

さて、お次は城にお詳しい方々が、
口を揃えてよい城!とおっしゃる諏訪原城。
これこそ、武田流の城だ…と圧倒される城です☆

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駿河遠江の武田ゆかりの城を巡る・・・その1 高天神城。

さて、岩櫃城攻めの後、ファミレスでご飯を
食べていたときに、静岡の武田の城に行こうね!
という話になってですね、約2ヵ月後。
あいすさん、ロームさんと早速行って参りました☆

武田の城・・・と言っても、信玄在世中は
甲斐で戦にはなっていないんですよね。

信玄軍団が活躍した時期の城というと、
甲斐よりも信濃、西上野、そして駿河、遠江という
前線で築城されていて、駿遠の城は信玄最晩期で
最も精強な時代の城が残っています。

んが、どうしても甲斐信濃にばかり行きがちで、
なかなか駿遠の武田の城に行く機会がなく、
わたしもどれも初訪城で、非常に楽しかったです!

実は、もともとの予定になかったんですが、
横須賀城に行く道すがら、あれ?こんなところに
高天神城あるやん!とたまたま(汗)発見。

ということで、わたしもロームさんも、
掛川城は訪問済なので、朝から急遽日程変更。

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横須賀城への攻城前だったので、図らずも
勝頼が攻め寄せた北側から向かうことに。

高天神城というと、信玄が落とせなかった城、
そして勝頼が攻め取った城ということで有名ですが、
縄張りを見ると、大手門が南にある一方で、
北東を意識した縄張りのように思えるんですよね。

勝頼は信玄薨去の翌年、2万5千の兵を率いて、
高天神城を包囲、西の丸・堂尾曲輪に猛攻をかけて、
力づくで落としており、内応者が出て落城しています。

さて、搦手門跡から攻めていきます。

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門の形状とかはさっぱり・・・ですが、
むしろ、この角を枡形的につかって門を配置したほうが、
いいんじゃないの?と思ったり。

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もともと岩山だったところに築かれているようですね。

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この刻印はなんだろう・・・石垣ではないから、
石垣の刻印とは意味が違うでしょうね。謎。

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搦手門から上がっていく道はほぼ一本道。
その途中に三日月井戸なる、三日月形の小さな池が。

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三日月濠といい、三日月井戸といい、
武田家は三日月好きだったのでしょうかね(笑)
飲料水に恵まれるよう祈願を込めて、
この井戸を掘ったそうで、今でも水が湧いています。

この上すぐ行くと、西の丸と本丸をつなぐ
井戸曲輪に出てきます。もう一回道が折れてます。

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続いてはいるものの、ここは鐘曲輪というみたいですね。

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さて、的場曲輪から石窟のほうに向かいます。
本丸虎口の土塁脇を上がっていきます。

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大手側の鹿ヶ谷方面は断崖絶壁です・・・

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あの上が的場曲輪。矢場とありますから、
平時は弓術の訓練でもしていたのでしょうか。

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的場曲輪。それなりの広さがありますね。

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あ、搦手側をここからも攻撃できそうですね!
搦手から上がってきたときには気づかなかったです。

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左手は本丸の土塁です。けっこうこうしてみても
本丸を除けば、大きな曲輪なんだなと。

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本丸下をぐるっと回って、大河内石窟へ。

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この下にも遺構がありそうだけど…
突撃する城好きさん方多いんだろうな(笑)

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・・・藪藪しすぎて、なんじゃこれ?
という感じですが、大河内政局(まさもと)が
捕らえられた石窟の跡です。

勝頼が高天神城を攻め取った後、城主・小笠原信興
(信濃守護小笠原氏庶流)は城から撤収させます。

しかし、軍監・大河内政局はこれに服さず、
城に居座ったため、勝頼の命で捕らえられたそう。

が、武田側の高天神城代・横田尹松(ただとし)は、
その気概に感じ入り、厚くもてなしたそうです。

そう!あの二十四将の横田備中守高松(たかとし)の孫!
男系子孫としては原美濃守虎胤の孫。
(現地で息子とツイートしましたが、孫でした。訂正)

足掛け8年幽閉されて後、再び徳川の手に落ちる際に
救出されたそうですが、すでに歩くことも
ままならなかったとか。なーんか、勝頼が悪く
描かれてますねぇ(苦笑)

どこまでがフィクションかは難しいですが、
やっぱり偏狭なところがあったんでしょうかね。

実はこのあと、武田滅亡後に横田尹松は徳川に下り、
大名となった真田や土屋を除けば、旧武田遺臣としては
最大の9,500石もちの大旗本になります。

えっと・・・大河内そっちのけで、
横田尹松が出てきたことがうれしかったです(爆)

さて引き返して、本丸へ進みます。

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ちょうど大河内石窟の上辺りが虎口になってます。
が「土塁跡」とはいえ、かなり削られてしまってますね。

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土塁上から。実際はもっと高く折れ曲がった
ところを土塁で塞いで狭くしていたんでしょうね。

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本丸跡の説明版。途中で横田尹松から岡部元信に
城代を交代してるんですね。岡部元信は、
信長の野望をやってると知ってる武将になりますね(笑)

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駿河侵攻で武田に下っていたのは知ってますが、
この高天神城の守備をしていたんですね。
横須賀城から出撃した徳川軍を率いるは、本多忠勝。
本多忠勝か・・・それは強い。

1,000の兵が飢えで800にまで減り、
城外に突撃して全滅という悲しい結末。

その他、軍監として江馬直盛がいたのもへぇ・・・
飛騨の江馬時盛の三男で、山県昌景の飛騨制圧後
人質として差出し信玄が旗本においたという
江馬信盛のことではないでしょうかね?

本丸全景。居館があったんでしょうね。
本丸としては、そう広いということもないかな。

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高天神城跡の碑。地元・土方村青年団が、
皇太子殿下成婚奉祝記念で建立したとあります。
大正13年(1924年)ですから、皇太子殿下とは、
昭和天皇のことですね。

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しかし、なんで成婚記念で高天神城なんでしょう??

本丸の南側に本丸と連結する御前曲輪があり、
戦前に模擬天守が建造された跡が残っています・・・

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大阪城天守閣も昭和天皇の即位記念という
意味もあったことから、高天神城の模擬天守も
それに準じたものだったのかも。落雷で焼失。

さて、三の丸のほうに下っていきましょう。

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御前曲輪下。かなり曲輪の土塁が高いです。

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三の丸。土塁の残り具合はこちらのほうが良好。

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しかし、西側には土塁がない不思議。
大手から攻められれば、西側こそ土塁を盛って
防備しておかねばいけないと思うんだけどなぁ・・・

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変な落書きをされた樹・・・なんで、
高天神城で今川やねん!

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さて、西に移動して鐘曲輪の先、
井戸曲輪のほうへ。ここには名前の由来になった
大きな井戸があります。

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が、その前にお牛さん。井戸曲輪の奥、
西の丸の上に城の名前の由来でもあろう
高天神社がおわしているから。天神社の使いは、
北野天満宮はじめ皆、牛なんですよね。

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そして、井戸曲輪の大井戸。今は枯れてるっぽい?

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その正面には、高天神城の戦いで亡くなった
将兵の鎮魂碑。これも先ほどの碑と同様、
大正期くらいのモノっぽい気がします。

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二の丸。というほどの広さはありませんね…
将兵の収容キャパとしては、数百人が限度かな?

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その先には、堂尾曲輪。尾根先にザクっザクっとで
堀切で分断されています。

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この辺りが激戦になったところでしょうか。
高低差もかなりあり、また搦手は西の丸と本丸が井戸曲輪で
三方を囲まれた構造になっており、かなり攻めにくいはず。

二の丸から壕底に降りてみましょう。

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このあたりで、徳川方の守将で堂尾曲輪を守備していた
本間氏清・丸尾義清兄弟が討死。両名の墓があります。

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両名とも鉄砲に撃たれて絶命したとあり、
このことからも武田軍が決して鉄砲を軽視せず、
実戦で活用していたことが窺い知れます。

さきほどの堀切を壕底から。けっこうな高さがあり、
守将に有利に働くと思うのですが…

P1310056

その脇には、尾根下沿いに空壕が続きます。
ちなみに「隍」一字で「ほり」と読み、
「壕」と同様、空壕を意味するのだそうです。

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けっこう埋まっちゃってるけどね…

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でも、尾根先に進むにつれ、キッチリとした
深さのある空壕が姿を現してきました!

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かーらぼりはつづーくよー、どーこまでーもー♪

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さて、尾根先に堂尾曲輪の先の曲輪につながる
道を発見して、曲輪上に上がります。

P1310066

ここにもザクっと堀切。やはり、見所は
西の曲輪群ですねぇ。

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壕底にまた降りて振り返ってみます。
これはなかなか深いですよ…

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さらに進むと1度目に見えた堀切の向こう側に
たどり着けます。

P1310071

二の丸や高天神社の裏に回ることもできますが…
ちょっと分かりにくいかな。

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横堀の土塁に思えた先に曲輪が広がっていたように
見えたのはちょっと意外でした。

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天正二年戦死者の碑。徳川軍ももちろんのこと、
かなり力攻めに頼った感のある武田軍にも
かなりの被害があったのでは、と推察します。

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さて、スキップした西の丸・高天神社にも。
まぁ、石垣は後世のものでしょう。

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けっこうな高さがあり、往時には本丸とともに
物見にもできそうな位置にありますね。

P1310086

けっこう古そうな社殿。いつのものでしょうねぇ…

P1310087

実はこの奥にも遺構があるのですが、
この時期は薮が多すぎて、ちょっと進めない…
ので、またリベンジすることといたしましょう。

高天神城、確かに堅固な印象の山城ですね。
信玄がその堅固さを見て、攻城を諦めたと伝わりますが…

結局城攻めは、何のために城を攻めるか?という
目的と費用対効果についてハッキリしてない限り、
城攻めはしないというのが、信玄流。

逆にここまでの城を、力づくで落とした勝頼。
一時は信玄も落とせなかった城を落としたと
武名が上がりますが、後に支援しきれずに
高天神城を孤立させ、徳川軍に奪い返されます。

勝頼が下策であるはずの力攻めで、高天神城を奪った
目的はなんだったのか。要衝には違いないですが、
武名を上げるためでもあったとするならば、
やっぱりうーん・・・と唸ってしまうのでした。

また、追手門~本丸方向は、少し防御性が低いようにも
感じられ、徳川方として武田に備えるにはよいですが、
武田方として、徳川方を城の南で迎え撃つには
ちょっとキビシイのではないかな・・という印象も。

ちょっと勝頼の戦略を辿ってみたくなった、
そんな高天神城でした。続いてはその高天神城を
奪い返すべく家康が築城した横須賀城。

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戦国真田の城・岩櫃城 - その2 岩櫃城本城~潜龍院跡~顕徳寺

さて、お腹を満たした後は、いよいよ本城へ!
吊り橋を渡りきったところが、
コニファーいわびつのキャンプ場。

P1300082

少しコースを外れて、竪堀跡を見に行きます。
道路で寸断はされていますが、比較的わかりやすいです。

P1300083

P1300085

青いラインの下部分、赤い線の道路が
竪堀跡を縦貫してますよね。

P1300086

キャンプ場からすぐのところの空壕。
非常にハッキリしていて、曲輪のカタチも分かりやすい。

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P1300093

P1300094

地図でいうとココですね。

P1300095

この先には、二重竪堀。

P1300099

少し分かりにくいかも、ですが、
二重に凹んでいるのがわかりませんか?

P1300101

ホントはココを迂回して、虎口に至る予定だったんですが、
壕を見たら突っ込みたい人たちばかり(笑)
ですので、この二重竪堀に突入します☆

自分が手前の壕底に、眼前に壕を仕切る土塁、
その先に先の壕にいるロームさん。

P1300102

ずっと東のほうに二重竪堀が続いています。
あ、あの橋渡ししてそうな木の上に乗っちゃダメ(笑)

P1300105

調子に乗ってココを通ろうとした約1名が
ズッコケてましたけど(笑)

ここが志摩小屋虎口。禰津志摩守幸直の屋敷が
あったことに由来するそう。

P1300106

このまましばらく行くと、二重竪堀は終了。

P1300109

さて、本曲輪のほうへ。

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この石、石垣向きだよなぁ…

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本曲輪の北枡形。写真ではアレだが、
けっこう分かりやすく残っている。

P1300130

本曲輪はなぜか「伊達」というらしく、
東側に土塁を備えている。やはり全体的に
警戒方面は東なんだな。てことは、北条かな。

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広いですね、本曲輪。居館があってもおかしくない。

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土塁の東南部分。少し内側に出っ張っているが、
櫓があったかもしれないとのこと。

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南の腰曲輪に参りましょう。

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おお、本曲輪の土塁の端々に、
石垣が見られるではないですかぁぁ!

P1300140

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やはり、本曲輪にはひと手間細工されていたのか、
それともホントにただの土留めなのか・・・

この後、南腰曲輪の下横堀を伝って、
二の曲輪方面に出ます。

P1300146

本曲輪東面下。ここでザクっと空壕を掘って
二の曲輪と分断しています。

P1300153

ここで、兵を二手に分け、最強の薮漕ぎルート
二の曲輪に乗り上げるルートに分かれました。
わたしは二の曲輪へ・・・こっちもけっこう大変よ?
(寺さん、上信古城探訪さん、薮と格闘の図)

P1300160

ようやく薮エリアを抜けました。左手が
本曲輪、右手が二の曲輪。

P1300161

二の曲輪に上がって、見下ろしてみると、
空壕跡が鉤型になってるんですねぇ。

P1300165

一の曲輪と二の曲輪を分断する空壕。
それほど技巧的ではないにしろ、
かなりダイナミックな空壕が魅力かもしれません。

P1300168

さて、二の曲輪脇を通って中央竪堀。

P1300175

(21)の下から青いルートを外れて、真南へ
進軍しております。

P1300179

さすがに、往時はもう少し壕は深かったでしょうね。

P1300177

そして、中城。相当な広さでかなりの兵を
駐留できそうです。最後の要は本曲輪でしょうけど、
戦いの中核を担うのは、この中城でしょうね。

P1300178

一部は通路として整備されている中央竪堀ですが…

P1300181

この先もまだ続いています。麓までずっと。

P1300182

ちょっとこの先は分かりにくいですがね…
さて、歩みは中央竪堀から外れて、殿屋敷曲輪。

P1300184

今では、果樹園になっているのですが、
海野長門守幸光の屋敷だったそうですが・・・
なかなかの武辺者だったようですね。

P1300185

さすがにこの時間から、郷原城に向かうのは
ないでしょう…また岩櫃に来たときに。

P1300186

さて、こちらは出浦淵。出浦対馬守盛清屋敷跡。
甲州透破の頭領にして、最後の岩櫃城代。

P1300193

ここもかなりの平坦な空間が広がり、
屋敷があったことを彷彿とさせますね。

そして、石垣好きにはたまらない往時の石積遺構。

P1300190

岩櫃城、回ってきてけっこう岩山が多かったので、
石垣の城にしようとするだけのポテンシャルは
あったように思いますねぇ。

P1300191

さて、橋台跡を通過して、最後の地点天狗丸。
現在では岩櫃神社がありますが、往時は斎藤則実他、
家臣団の屋敷が並んでいたと推測されます。

P1300206

これだけの平坦地だからねぇ。

P1300207

天狗丸からの岩櫃山。左手の山の尾根上にある
岩櫃城を撮る城ガール二人。

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岩櫃神社にお参り。

P1300215

が、見所はその裏。ずとーんと深く掘られた空壕。
見事でしたね。二重化されているような。

P1300220

うん、縄張図を見てもそんな感じがする。

P1300221

さて、ようやく一巡りして来ました。
楽しかったなぁ。

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さて、この後は・・・武田びいきのわたし的には、
ある意味岩櫃城以上にお楽しみだったところ…
潜龍院跡。武田の滅亡が近くなってきた時期に、
真田昌幸が武田勝頼を迎えるために御殿を建てた跡。

今でも御殿の石垣の跡が残ります・・・

P1300243

P1300248

結局のところ、勝頼はこちらに来る選択を
しなかったわけですが、ifはないとは言えども、
ここに落ち延びていたら、武田家はどうなっていたか…
と思わずにはいられないのです。

まぁ、後に表裏比興と言われる昌幸ですけど、
戦国大名武田家が滅ぶまでは、武田家に尽くそうと
していたように、思いたくってね。
信綱寺で信玄の菩提を弔おうとした昌幸だから。

しかも、麓からは視界に入りにくい絶好の立地
に建てたということをボランティアに伺い、
さすが・・と思った次第です。

更に岩櫃城でも、本曲輪の一部にしか残っていない
石垣がこんなにたくさん造られている、ということも
この空間が城内にあって異質なひとつ上の空間だった、
ということを物語っている気がします。

岩櫃城主曲輪では、土留め的な使い方でしたけど、
こちらは明らかに石垣ですもんね。算木積というには、
まだまだ未熟な積み方ではあるのですが。

P1300250

今の御殿跡を守るお稲荷さん。がんばってくださいね、
頼みましたよ・・・・

P1300256

しかし、石垣の残り方が美しいよね・・・
よくこんなに野面積の石垣がキレイに残ったなぁ。
いわゆる高石垣の凄みとは違うのですがね。
武田フィルターを通しているからかなぁ(苦笑)

P1300261

P1300262

皆さまはなるほど・・と思いながら
ご覧になってる中、勝手に武田フィルターを通して
感慨深くなってる人間がひとり・・・
(あいすさん、ありがとう☆)

Dscn04472

そんな石垣の石一つ一つが愛おしいと思えるほど、
感慨深い空間を後にします。また来たいなー!

P1300266

さて、最後には顕徳寺。ここには、潜龍院の一部が
護摩堂として移築され、江戸時代に焼失するものの、
ほぼそのままに再建された建物が現存するのですよっ!

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これがその護摩堂。それなりに改変はされている
でしょうけど、移築されて使われている事実はうれしくて。
この唐破風のあるところが車寄せだったのかね。

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そして、屋根に見つけた武田菱。
一度、江戸時代に昌幸が建てたのが焼けているのに、
再建されても武田菱があるところにホロリ。

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いやー・・・・感慨深かったなぁ。
この後は、高崎駅に戻ってファミレスでご飯。
そして、わたしはそのまま仙台へ・・・・
そして、この話につながるのです。

電車の中で、頂いた銘菓岩櫃城をもぐもぐ。
うひひひ。

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P1300291

ホントに幹事のあいすさんにはお世話になりました。
ボランティアの方々にも、同行した城好きさん方にも。

ホント楽しかったなぁ。んで、このときに
武田の城巡りしたいよね!という話になって、
駿河の武田の城に行くことになるのです・・・
乞うご期待。

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戦国真田の城・岩櫃城 - その1 柳沢城。

さて、時系列的には前後してしまいますが、
5月のとある日に、堅城で有名な戦国真田の城、
岩櫃城に行ってきました。

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ちょうど、武田家配下の真田家が活躍していた頃にも
現役だったということで、武田ラバーとしても
興味のある城だったんですよね~

こういう城こそ、城好きの手ほどきがあるときに
参加しておくべきですよね。しかも、今回はさらに
現地のボランティアの方の案内付き!

朝の早い時間にお隣町(八王子)のしみずさんに
乗っけていって頂き、高崎で集合。
あいすさん、寺さん、なっちさん、しろうさぎさん、
ロームさんの面々にて、高崎を出発します。

現地で上信古城探訪さん(お初)と待ち合わせ、
いよいよ城攻め開始です。午前は岩櫃城本城の出城と
位置づけられる柳沢城攻め。

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すぎなみ・・・とあるのは、スタート地点の
「コニファーいわびつ」が東京都杉並区の施設だから。
杉並区民は割引があるそう。元杉並区民はダメだよね…(汗)

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「コニファーいわびつ」の近くに岩櫃城の竪堀があり、
それを少し見て行きますか…ということで。

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ここですね。

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ずんずんと進みます。

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わ、竪堀の様子がわかりやすい!
写真写りのいい竪堀だなぁ(笑)

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竪堀底から。

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これがずっと向こうのほうにまで続いています。

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で、ここまでものの数分だったはずなんですが、
なぜかわたしの靴が大ダメージ・・・はぁぁぁぁぁぁ???

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確かにかなり履いてなかったけど、
いっきにこんなにボロボロになるなんて・・・(泣)

午前中は何とかこれで城攻めしましたよ、もう。
この後ダイレクト出社予定だったので、
ウォーキングビジネスシューズの備えがあって
助かりましたが・・・やばかった。

道なりに沿って向かい、道から外れて少し進むと、
ヒカリゴケの生息エリアに。

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このあたりは、巨岩が多く岩山が多く露出している
箇所がけっこう目立ちます。そんな中に、
ヒカリゴケがいるんです。こうしてそのままの状態で
見かけるなんて、レアなんじゃないでしょうかね。

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トロッコ。これに乗ってスイーッといけませんかね。
(ラクばっかり考えてやがる)

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外曲輪のあたりまで来ました。いよいよ本格的に
城感が出てきますね!

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ただ、歩いてるだけなのにもうズタボロな靴。
ものすごい不安になってきます・・・

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さて、北側の薬研堀と曲輪群のほうへ。

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ここからですね。

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この付近は、シダが多かったですね。
まだこんな程度ですが・・・

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進むにつれ、シダ天国になります(笑)

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ようやくこの辺りから、曲輪脇の土塁が
ハッキリしてきます。曲輪に上がって上から。

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やはり人物がいると、わかりやすいですね。
(モデル:なっちさん)

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壕底から。壕の形状は分かりますが、
現役時はもっと深かったでしょう。

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このあたりからようやく堀の深さが
深くなってなってきたかな?

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曲輪が幾段にもはっきり見て取れるのと、
この山にあってそれなりの平坦地が確保されています。

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北東に展開する曲輪群、岩櫃城の東を守る柳沢城だけ
あって、重要な防衛拠点だったのかもしれませんね。

さて、引き返して三の曲輪方面へ。
三の曲輪と二の曲輪を分かつ大堀切。ダイナミック!
(壕底のモデル:ロームさん)

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堀底。平面の箱堀になっていますね。
元あった地形を上手く使っているのでしょうか?

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二の曲輪。この先にも…

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あの先に見えているのが、一の曲輪。
少し、南薩の知覧城を思い出させるような、
曲輪と空壕の連続コース。

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こちらも壕底から。

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やはり、壕底からは6~7mくらいの高さはあり、
かなりの「高低差」感がありますね。

ホントは、空壕をずっと歩くコースだったんですが、
曲輪を登ったり降りたりのコースにしちゃいました(汗)
本来は、壕底を歩いてこう見えてくるところです。

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一の曲輪土塁少し上からみる空壕と二の曲輪。
すでに一の曲輪のほうが高さが高い!

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さて、まだまだ上りきらなくては!

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一の曲輪。ここだけ少し土塁も見えます。

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この高低差・・・相当有利に働きますよね。

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さて、その先また堀底に降りて、物見曲輪へ。

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ここは比較的上りやすい。

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さすが!一気に視界が開けます!
岩櫃の南の景色です。

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頸がない仏像様・・・まさか、廃仏毀釈?

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さて、ここから注意深く降りていきます。

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このあたりは、江戸時代には観音山と呼ばれ、
観音石像が百基あったそう。寺さんが食いついてる(笑)

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こちらも頸がない・・・おいたわしい。

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そして、岩も見ごたえがあって・・・・
これだけ岩があるなら、石垣を造ろうと思えば、
できたような気もしますよね。

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北向観音窟にただひとり向かう寺さん(笑)

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胎内窟。やはり、このあたりは修験者の道場に
なっていたのでしょうねぇ。

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なんだか、アーティスティック。

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不動堂を過ぎて見えてくる不動の滝。
あっついので、この滝にドッボーン♪としたいのを
何とかこらえて先に進みます(笑)

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第三石門を超えれば、午前の部は終了。
あのボロボロの靴で、なんとかロープにつかまり、
ロッククライミングしましたよ(苦笑)

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洞窟の先に見える、明かりのある様子って好き。

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で、午前終了後の靴。もはや満身創痍なので、
履き替えます・・・ふぅ。

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さて、コニファーいわびつにて、お昼ごはーん☆

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お昼は地元群馬「やまと豚」をつかった豚丼!
しっかり城攻めしてきた後の塩味の味付けと
肉の甘みが心地よい!非常に美味しくいただきました☆

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さて、午後はいよいよ岩櫃城本城に攻め込みますぞ!

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期間限定の津山城天守。

さて・・・忙しいとある8月の中日。
ちょうど一ヶ月になるんですねぇ・・・・

津山城に期間限定で発泡スチロールの天守が、
お目見えするというニュースがあって、
非常に気になってはいたんですが。

なんと急に休みをGETできそう!ということで、
西へ飛んでまいりました。行かれることを知っていた
夕里さん(@umdry)やしろうさぎさん(@sirousagi77)と
お会いして、行けるわけですからね!

この日一日、泊まりもせずなんと日帰りで、
津山城に行ってしまいました!
(日帰り遠地城攻めは、11年の弘前城以来…)

激安プランで西に向かい、朝9時半すぎに姫路に集合☆
夕里さんの運転で少し姫路城にも向かいつつ…
少しだけ中濠めぐり☆濠として残ってるところも
あるんですね・・・いやいや、まだまだ姫路城もちゃんと
行ってないんですねぇ。反省。

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中濠に掛かっていた姫路城久長門跡。

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やけに直線的だけど・・・と思ったら、
元々から直線的な枡形なんですね。枡形にはなってるけど、
高麗門のその先に(位置をずらさずに)櫓門。

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けっこう石垣が谷積でびっくりしました。

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この辺は、野面というべきでしょうかね。

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このあと、城内図書館で縄張り図をGETして、
津山に向かいますよ☆ ただ、ムリして行ったせいか、
車内で居眠りを・・・夕里さんに運転して
頂いているところ、申し訳ない・・

津山では、思い出のホルモンうどん再び!
うむ、やはり美味しいねぇ♪

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眠そうな森さんを尻目に、ずんずん進みます。

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NARUTOフェスがあったせいか、津山城にも
NARUTOのキャラがいっぱい(笑)

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そして、ホントはなかった道を抜けて、
三の丸へ。ここでは津山城天守の再現アプリで、
現実の津山城跡にCGの天守をかぶせることができます☆

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んが、手前の備中櫓と上手く重ねるのが難しい!
よくよく見るとCGバレバレなのがわかる写真に・・orz

ホントは、このバックに備中櫓とともに
天守が写るはずなんですが・・ぶれちゃった(泣)

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さて、表中門跡を上がって天守のほうへ。
しかしドでかい櫓門だよなぁ・・江戸城や大坂城とも
互角に渡り合えるくらいのものすごい門。

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そして、備中櫓。今回は入りませんでしたが、
畳敷きで御殿の一部のような櫓。
住まうにはもってこい・・(こら)

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切手門付近の石垣の境い目。こういう境い目、
好物なんですよね。うひひ。

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ここで、階段はもう終わりよーって子供さんに
言ってるパパさんの声が後ろからして、
うそーん、まだあるやん・・・と思っていたら、
なんとしんさん(@shin_sakon)とそのお子様方でした(汗)

当日お越しになることは知っていたのですが、
見事に後ろから奇襲を受けてしまいました(笑)

んで、備中櫓前から見える1/2復元天守。
発泡スチロール製ですが、思ったほど悪くない。
ちょっとした隅櫓くらいの大きさですが(笑)

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まぁ、アップにするとアレなんですけどね。
元が発泡スチロールなんだからしょうがない。

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ここでも天守アプリで撮影可能・・が、
やっぱるブレる(泣)

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ここで、絵好くおやじさん(@esqi_oyaji)とも
合流し、天守台に上がって間近で天守を。
やはり近すぎると、ハリボテ感あるよね・・(笑)

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八番門跡をあたりから振り返って。
少し離れてみるだけでも、随分と印象ちがうんだよね。

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北東隅の粟積櫓跡から天守。

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この後、城人オフでは行かなかった北側の縄張りを
見ながら降りていきます。

裏切手門跡。このあたりは紅葉が多く、
秋はきれいになりそうですね~

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矢穴がポツンと。矢穴ではなく、門の材を
固定させていた跡かもしれないけど。

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枡形を下りて左折。裏鉄門。
裏門とはいえ、ここもなかなかの規模ですよ。

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ただし、残念なことに1809年に焼失した後は、
再建されることはなかったようです。

裏鉄門の南側の石垣は、ここも延ばされてますね。
腰巻櫓の建築がちょっと時代を下るのか、
それとも補修の跡なのか。うーむ。

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排水口。でも、ここはそんなにピッチリピチピチの
切込接石垣ではないから、排水できそうに思うんだけどなー。

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ここの階段を下ると、右手に裏中門。
搦手の門としては、津山城内最大級の門です。

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裏中門前の枡形。

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裏中門跡。表中門がデカ過ぎるのですが、
裏中門も、十分に立派な風情がありますよね。

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アチラ方面に行くと、裏下門から城外へ。

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色付櫓下石垣。反りが美しいねぇ。
石垣の大きな見所ですわな!

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そして、麹櫓(肘櫓)跡からの天守。
めっちゃ石垣となじんだ様子になってます!

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さて、多聞櫓下から最後の天守CG撮影スポットへ。
やっぱり、ズレる・・・これ、三脚いるんじゃね?

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天守が、土塀に食いこんどるがな・・(笑)
さて、3地点で撮影を終えると、スペシャルコンテンツ。
津山城天守をいろんな角度に回転させて、
写真に貼り付けることができます☆

例えば、こんなイタズラにも(犠牲者:夕里さん)

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かなりキレイにインプットされてるので、
アップさせても全然使えますね。

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さて、裏下門から城外に出ますか・・・
城外を眺めると、厩濠。
数少ない津山城の現存水濠です。

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裏下門。この奥左手に櫓門跡。

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津山文化センター前で休憩。近くには薬研濠。
そこは薬研のカタチになってるんでしょうねぇ?

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そして、津山文化センター前からの天守が
なかなかいい眺め!天守曲輪(そんなもんないけど)の奥に
たたずむ天守のように見えるじゃないですか!

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あと、どこか丸亀城天守のようなこじんまりとした
感じがあったりして・・・意外と趣き深い。

厩濠と二の丸石垣、そして発泡スチロール天守(笑)
意外と絵になってるでしょ?ブルーシートが余計だが・・

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さて、この後は絵好くおやじさんとお別れし、
津山郷土博物館で模型を堪能。
しかし、3人して模型にばっかりかじりついて、
他はあまり見なかったなぁ(汗)

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ねぇねぇ、○○さんならどこから攻める?
みたいな会話が楽しかったです(笑)

西側。こちらには門はなく攻め入らせない構造。
やはり、西側からの攻め手を意識しているのかな?

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南側。大手はこちらなんですが、
石垣が高く櫓も大柄ではありますが、
技巧的な戦闘の仕掛けは少ないように思います。

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表鉄門と鼓櫓。総白漆喰塗籠の津山城の櫓群のなかで、
めずらしく下見板の櫓があったんだね。

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表中門。やはりデカイよなぁ・・・
ものすごい圧倒感があるんだろうなぁ。

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これ、枡形の奥にデカイ櫓門があるんじゃなくって、
手前にあるんだよね。仮に表中門が破られたら、
その上の切手門前まで、どーんと侵入されちゃう気がする。

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搦手のほうが防御力高いんじゃないかと思うほど。
右下の裏下門の枡形、さらにここを抜けたこの空間。

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裏下門に結合する紙櫓、そこから時計回りに、
飯干櫓、道明寺櫓、荒和布櫓、裏鉄門前の土塀、
そして裏中門。相当な集中砲火を浴びるのでは??
ここを突破するのは、難しそうですよ・・・

が、ここも裏中門を突破されると、裏鉄門まで
スッと行けちゃう気が。ここの枡形は
どう生かそうとしていたのですかねぇ。

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裏鉄門、石垣の間に挟まって狭そう(笑)
石垣の上と渡櫓とせず、間に収めるのは珍しい。

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裏中門を突破し裏鉄門方面を諦め、
直接、天守に向かおうとすると、立ちはだかるのが
長櫓・七番門と色付櫓。七番門は二重櫓門で、
かなり戦闘能力高そう。

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そんな中、北東の十二番門・十一番門から
本丸を目指すのが一番攻めやすいように思いました。
月見櫓からの攻撃はあると思いますが、
大手・搦手と比べれば、そんなに集中攻撃されるほどの
縄張りだったり、櫓があったりすることもなく…

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そして、最後に天守。破風がない天守も
それはそれで潔くって、悪くない気がします。
装飾性はないですが、スッキリしていますよね。

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天守最上層に置かれていたという、
細川家から贈られた鐘のレプリカ。
ホンモノは、なんと大阪にあるんですって…

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南蛮文化館
という、5月と11月にしか開いてない
ちょっと変わった博物館。11月かぁ…帰阪できるかね?

さて、〆は三の丸石垣がわずかに残るスポットへ。
津山セントラルホテルの脇を通り、南下すると
当時の土塁と石垣が見えてきます。

土塁と・・・

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足下に石垣。

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外濠跡の碑。が、津山城に行っても
こちらへの案内はまるで無し・・・

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津山の万里の長城ってのは、よくわかりません…

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下に降りて、できるだけ問題なさそうな範囲で
石垣をぱしゃり。個人宅っぽかったんでね。

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この辺りが、外濠の名残なんだろうねぇ。

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西側はもう完全に埋まってる。

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そして、京橋御門跡の碑。このあたりが大手口。
想起させるものはほとんどないけど…

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はい!ここで〆て大急ぎで帰ります!
ムーンライトながらで(笑)姫路まで夕里さんに
送ってもらって、そこから新快速経由で大垣。

最近までムーンライト乗る前は、大垣は時間を
つぶす方法ないなぁ…と名古屋まで行っちゃうことも
多かったんですが、日本海庄やがあることに気づき。

ここで、普通にお刺身食べながら酒飲んで
後は寝るだけ!ってパターンに持ち込めるんじゃない!
ということで、刺身(欠品多かったけど)頂き、
ハイボールをグビグビ。そして、日帰りで
ダイレクト出社と相成りました・・・体力勝負。

お世話になった皆さま、ありがとうございました☆

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ブレンダーズ・トークライブ in NIKKA BLENDER'S BAR

さて、ウイスキーネタその2。すでにこちらも
2ヶ月も前になってしまうのですが・・・
NIKKA BLENDER'S BARのイベント。

普段だったら、新商品に搦め手じゃなくて絡めて
というのが多いのですが、今回はブレンダーの方を
招いてのトークイベント的な感じで、
印象に残ったウイスキーやブレンドされたウイスキーを
いただきながら、お話を聞いてまいりました。

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お話されるブレンダーは、佐久間チーフブレンダーと
綿貫主任ブレンダーのお二人です。

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にこやかな佐久間さんに比して、
綿貫さんはちょっと緊張気味でしょうか(笑)
さて、いよいよトークライブの開始です。

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■入社のきっかけ

佐久間氏:
大学で微生物を研究されていたということ、
そして、ニオイや香りに興味をずっともたれてきた、
ということだそうですね。そして、食品業界に進む
卒業生が多い中、酒類や香料、たばこのような、
香りに関係した業界への就職をご希望だったようです。

そこで、教授からニッカが募集してるけど受けてみない?
という後押しもあって、受験・合格されたと。

平凡といえば平凡ですが、漠然とでもこういう方向に
進みたいなと思って入社され、その「進みたいな」と
思われた道を歩んでいけるというのは、しあわせですね。

綿貫氏:
農学部ということで、酒類や醸造・蒸留とは関係は
なかったそうですが、たまたま付いていた助教授の方が
お酒が好きだたそうで、あるときブラックニッカの味が
変わった!と飲み会でおっしゃっていたそうで。

実際は、スペシャルとクリアブレンドの違いとかじゃ?
と綿貫氏本人もおっしゃっていましたが、
当時の綿貫さんには、すごく印象に残ったそう。

それから、ニッカが気になってリクナビ
(わたしも活用しました)で応募がなかったにもかかわらず、
ニッカのページを探して、挑戦されたそうです。

その当時の綿貫さんのニッカの印象は、
地味なんだけど温かい。なるほどな・・と外からしか
見ることができない我々でも想像できる雰囲気ですね。

■普段のブレンダー

佐久間氏:
ちょうど今は、年間の大きな処方(レシピ)を造る時期で、
ブレンダーの皆さんはお忙しい時期だとか。
(個人的に、ブレンドの内容を処方と表現されるところが
 興味深いなと思うんですよね)

その合間合間に各蒸留所のサンプルの点数付け、
キッチリと品質のよいものができているかどうか
のチェックが入るのだそうです。

そしてここでチェックしておいたサンプルをイメージして、
レシピを造る際に千数百あるサンプルから、
一日100種類くらい(これが限度)をティスティングして
点数をつけたり、メモを残したりします。

大事なのは、香りや味わいの表現方法を揃えるということ。
もちろん、消費者としていただく際にはあれこれ勝手に
表現をするわけで、それはそれいいのですが、
つくる側としては、そこをそろえないと製品のベクトルを
合わせられないから、表現に気を使うんでしょうね。

こういうのを「擦り合わせ」というそうですが、
日本的な「和」の精神を感じますよね。
擦り合わせ、わたしもシゴトでも使いますから(笑)

綿貫氏:

さて、上司の前でのプレゼントなった綿貫さん・・・
厳しい指導を受けて、ちょっとでもダメだと
「もう一回!」「やり直し!」と厳しい言葉が・・・
というのが冗談で(笑)

先ほどの「擦り合わせ」があるので、何がよくて
何がよくないかの共通認識はブレンダー室内で
共有されているそうなんですよね。

お題が与えられさえすれば、ほぼ皆が同じベクトルの
ブレンドにに向かえるように研鑽されている、
ということですから、ニッカとしてのあるべき姿を
人に依存せずに、ブレンダー室の誰もが目指せるよう、
努力されているんだろうな、と思いました。

この「人に依存しない」というのは、ビジネス上
ものすごく大切なことで、誰かがいないと
ビジネスがまわらないというのは、シゴトとしては
まだまだレベルが高いとはいえないと思っています。

ウイスキーのブレンドのような、人の官能に依存する
ように思えることも、きちんとその代替可能性を
目指されているんだな、というのが興味深かったですね。

一方で、ブレンドの着眼点の差が個々人のブレンダーさんの
レシピの個性を形づくっているんでしょう。

■ティスティングのコツ

佐久間氏:

まずビックリしたのが、鼻の中をティシューで
掃除するんだそうです(笑)

それから、香りを感じる場所を意識すること。
手前、奥や左右もあるそうですが、手前で感じたら
どうなるんだろう、奥なら・・・などと意識して
感じてみるようにされているそうです。

綿貫氏:

綿貫氏のコダワリでおもしろかったのは、
鼻息をウイスキーに吹きかけ、帰ってくる香りを
感じるというもの。これはおもしろいなぁ…

主によろしくない香りがないかどうか?
を判別するのにやるそうですよ。

■ブレンダーのシゴトをしているとついやっちゃうこと

佐久間氏:

ブレンダーだから・・・というわけではないでしょうけど
なんでも香りを嗅いじゃうそうですね(笑)
すっごい分かる!とりあえずにおい嗅いじゃうという。

あとは、他社のお酒が出ると真っ先に飲みたい!
のだそうですね。これはこれで分かりますね。

綿貫氏:

外を歩いていて、ふと何かの香りを感じると
何の香りだろう・・・と意識がむくかな?とのこと。

あと、居酒屋では自社の製品が使われている
メニューなんかには目がどうしても向かうそうで。

やはり、ご両人とも香りには強いご関心があって、
特に意識することもなく、自然と香りに心が向くんだな
ということと、他社の製品や自社製品がどのように
飲まれているのかは、やっぱり気になりますよね。

■お気に入り&思い出深いウイスキー

佐久間氏:

1982年ご入社された当時、国産の麦芽はノンピート、
大部分は、輸入してピーテッドモルトを買っていたそう。
輸入麦芽量も今よりもはるかに多かったと。

スコットランドであれば、あたりに大麦畑が多く
たいていはそれで賄え、不作のときでもイングランドや
ヨーロッパ大陸から輸入する程度。

一方、日本はヨーロッパ・カナダ・アメリカ、
オーストラリアなどから輸入。日本のピーテッドモルトの
需要のために、ピーテッド設備をわざわざもっていた
オーストラリアの業者もあったそうです。

し・か・し。そんなピーテッド全盛だったあるとき、
スコットランドでも使っているらしい、と聴いた
原料購買担当の佐久間さんは、ノンピートに目をつけます。

しかも、1988年まではビール用のノンピートモルトには
関税が掛かる一方、ピーテッドモルトは食用転用
できないこともあり、無税だったそう。

その関税が撤廃されたこともあって、ノンピートを
有利に買える条件が整って、当時チーフブレンダーだった
佐藤繁生氏に相談したところ、まずはやってみようかと。

しかし、つくってみてはものの、ピーテッドのイメージで
ウイスキーを考える当時のニッカ社内では、
散々にこき下ろされたそうで・・・麦臭いと(泣)

ただ、一方でスコッチでもノンピートの利用が増えてる
ことも事実で、貯蔵してみないことには
どう化けるかわからないよね、と継続して使えることに。
(このあたり、それでも使ってみようと判断するのがスゴイ)

そして、5,6年経ったところでコレは使えるんじゃないか?
ということで、ノンピートを買い始めて10年、
ブラックニッカクリアブレンドが1997年に発売され、
ヒットに繋がっていくんですね。

ということで、余市と宮城峡の特にノンピートで、
1988年当時ノンピート輸入開始時のモルトで
蒸留した中でも、麦の香りが強いものをヴァッティング。

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トップノートでかなり酸味。麦の香りが強いのを
自分が酸味と受け取るんだなという発見も。
ただ、トワイスアップくらいにすると、フルーティーさと
ビックリマンチョコのウエハース的なここちよい甘さ。
わたしにしては珍しく、これは加水した方が好みでした。

余市のほうはシェリーの2回転目らしく、
あまりシェリー感はそうなくって、言われるまで
気づきませんでしたね。

綿貫氏:

綿貫さんは、実はシークレットでした。
うーむ、なんだろうな・・・伊達かな?でも、
綿貫さんじゃないしなぁ・・と思っていたらですね、
あぁ、っとリッチブレンドでした。綿貫さんの作品。

わたしもね、リッチブレンドにはちょっと伊達の
雰囲気を感じるんですよね・・・初代伊達のほうね。

そして、このあと冷凍されたリッチブレンド。
このとき、ちょうどブラックニッカバーをやってる頃で
氷点下ウイスキーを出していたということで、
それに合わせて、ということなんでしょうかね。

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どうしても香りは抑えられちゃうけど、
飲み口はなかなかいいね。ハイボールもいいけど、
夏の飲み方としてアリかもしれないね。
(夏もう終わりやん。笑。)

P1310518

そして、それぞれ造られたブレンダーズウイスキーNo.16
No.14を復習。

最後に、ブレンダーとして心がけてること。

■ブレンダーとして心がけてること

佐久間氏:

責任者・・としての立場もあるのだけれども、
ブレンダーとしては、あまりそういうことばかり考えず、
ブレンダーの皆に伸び伸びと仕事をさせられる環境を
しっかりつくりたいとおっしゃっていました。

なんどか「優秀な部下」というキーワードを
出されていて、こういった客の前でそう表現してもらえる
というのは、うれしいことでしょうし、
上司と部下、しっかり信頼感を持って仕事されているな、
といううらやましい感覚を持ちましたね。

綿貫氏:

人に合わせるということをおっしゃいました。
まだブレンダーとしては、比較的キャリアが短い綿貫さん。

ブレンダーに配属されて、けっこう不安もお持ちだった様子。
そんな中で、コワい先輩(Y下氏?笑。)に指導される中で
俺は俺をつくっている、という話をされたそうですね。

ちょっとウイスキーから離れて、シゴト論になりますが、
これまで受け継いできたブレンダーとしての核の部分を
また引き継げる人材に育ってほしいということ。

逆にそれは、綿貫さんへの期待の現われでもある、
ということが言えましょう。そして、まず一歩として
品質を崩さない、一定の品質にキープするということが
基本なのだな、という点も改めて思いましたね。

その「人に合わせる」努力の結果生まれてくるであろう、
見えてくる人に合わせられない部分が今度、
綿貫さんの個性として、製品に反映できるようになると
いいですよね。

〆は、佐久間さんから、ニッカのいいところ、
としてお話頂きました。

■ニッカのいいところ・特徴

ニッカとして竹鶴政孝の精神として染み付いている
考え方は、「美味しいモノを手の届くところで」

これは、わたしもそうだなと思います。
世界の賞を取っているラインアップでも分かりますが、
低価格帯の商品への評価が高いという点は見逃せません。

とびっきり美味しいウイスキーももちろんいいのですが、
継続的に飲めるウイスキーこそが一番会社としても
飲み手としても接する機会が多いわけですしね。
わたしも好きなニッカの一面ですね。

もうひとつは、「伝統は変えない」

ノンピートのようなある種革新的な(?)ことも
やってはきたわけですが、それもスコッチが
そういうことを始めたから、やってもいいだろう、
という判断もあったようなんですよね。

新しい蒸留設備の加熱方法として、スチーム加熱を
宮城峡へ導入したのも、スコッチもやり始めていた
という状況もひとつの決め手だったそうです。

余市にしか蒸留所がなかったころから
スチーム加熱は熱効率もよくいい方法だと知っていたそう。

しかしながら、もちろん余市の味は変えたくない、
という思いとともに、スコッチのやらないことを
先んじてやってはならん、という気持ちもあったようです。

やっぱり、ニッカにとって、政孝にとって
スコッチは先生なんですね。ニッカ的だなぁとは思う反面、
進取の気性とのバランスが難しいですよね。

おそらくサントリーとの極めて違うところでしょうし、
好みと意見の分かれるところでしょうね。

そして、綿貫さんからこんなエピソードの披露も。
最近、ジャパニーズが評価されてますが、
政孝翁はどう思いますか?という問いにも竹鶴威相談役は、
喜ばないと思います、と。三歩下がって師の影踏まず。
どこまでも明治の日本人らしい精神だなぁ、と。

わたしとしては、ニッカ的だと思う味わいそのものに、
実はそう「スコッチ性」を感じは持っていなくて、
単純に飲んでみて、好きというだけなんですけどね。

そして佐久間さんから、そういうニッカの特徴と
信念がある上で、全体としては酒はいろんな酒があってよく、
あれがいいとかこれが悪いとか、絶対的な優劣を
つけたり、直線的にスペックで捉えるものではない、と。

その中の一角として、ニッカはこういうウイスキーが
美味しいと思ってつくっていて、そこを理解し
応援していただけたらうれしいな、と。

こういう考え方は、たぶんサントリーもキリンも
皆同じく持っておられそうですよね。いいなぁ。

・・・今回は、ティスティングとして新しい内容は
少なかったですが、こういう取り組みも悪くないですね。
ファンとしても、定期的にブレンダーさん方と
お会いできるのはうれしいですしね。

佐久間さん、綿貫さん、酔い時間をありがとうございました。

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SMWS 2013 Autumn Bottle Sampling in Bar HIGH SOCIETY

久しぶりのウイスキーネタ。秋のSMWSサンプリングです。

P1320526

13周年を迎えたこの日、ゆったりモルトを楽しめ
よかったです・・・ホント前週が激務過ぎて・・・・

気になったのは、この4点。

71.39 Glenburgie 1985 27yo

P1320521

樽香が強く明らかな好み。アーモンドの甘さ、
濃いストレートティー、干しレーズン、
巨峰の皮、古い木材の渋み、天守の香り、
シナモン・・・

しかし、あまりに好みすぎて、サプライズに
乏しい気はしました。贅沢ですがね・・・
安全牌という感じですかねぇ。

17.34 Scapa 2002 11yo

P1320523

昔の車の芳香剤、ワックス。
飲み口は南国マンゴーなんですが、
どこかやりすぎ感なところが中国的。
ピールがどっぷり入ったライムの感覚も。

44.58 Craigellachie 1999 13yo

P1320524

紅茶の砂糖入り、浅めに淹れてた甘み強め。
ハッと思ったのが、純露の紅茶味

29.140 Laphroaig 1995 18yo

P1320522

面白かったのが、コレ。キウイのなかに焦げ感、
でもあくまでキウイは瑞々しく・・・が、あるとき
一気に焦げ塩感とキウイが入れ替わる。

中に焦げから残ったキウイ。焼きパイナップル
塩スイカ、きゅうり。変化の楽しさでは一番でしたね。

が、買うならGlenburGieかなぁ。香りの好みばかり
そろえても・・とは思いますが、好きなモンはしょうがない。
好みがハッキリしてるなぁ。

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13周年。

さて、9月9日はこのblogの前身となる
Web公開を始めた日・・ということで、
わたしのなかで、少し特別な日になっています。

もう13年ですからね・・ここ2,3年で
たぶん今後もblogが続いていくだろうな、という
実感を持っています。今はちょっとネタを
溜めすぎて(いつも?)アップアップですけどね(笑)

そして、そういう実感を持ってからというもの、
blogに対しての考え方がブレなくなりましたね。

詳しくはブロガーサミットに寄せて書いた
こちらの記事にまとめてあります。

今後のテーマとしては、やはりblog9周年の頃にも書いた、

① 我が想ひの丈こそ語らめ
② 戦略的に人に会っていく

をもっと加速させないと。

前者のほうは、お出かけやイベントの記事の合間に
ちょくちょく書いてはいるつもりです。

主に自分の考え方と違う考え方に遭遇したときに、
どこがどう違って、どこを自分が直すべきであって、
どこが納得できないところなのか?
を整理した結果をアップすることが多いかな。

こういうの、ぎゃーぎゃーその場でやっちゃうよりも
一呼吸置いて焦らず、関係を整理してキッチリと
意見を認めるほうがいいですし、それを記事のカタチで
まとまめておくのも、自分の思考を辿る上で有益かな、と。

後者については、多少打算的ではあるかもしれませんが、
自分の興味のある更にその先へと、いざなってくれそうな方を
見つけて、お会いし、じっくりとお話を聴きたい。
城にしても、歴史にしても、ウイスキーにしても。

そういう場の情報はアンテナ高く張って、
みつけていきたいですね。そしてお近づきになりたいもの。
そして、プライベートの領域とは言いながら、
何か残せるものができるといいかなぁ。

城については、今年来年で大きく動き出すことになる
と思いますし、歴史については、こういう視点で
研究をしてカタチに残したいなー、と思い始めてきたし。

ウイスキーは、城や歴史関係でお世話になってる方にも
意外と受け入れられたりもして、関心同士の横つなぎで
ウイスキー人口アップに貢献できたらなぁ、と思っています。

もう少し、本業が落ち着くといいんだけどね…
と思う一週間のはじめ。今日からまたシゴトです…ふー。

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ありし日の瑞鳳殿。

さて、仙台に戻ってきて時間も時間なんで、
瑞鳳殿にお参りするくらいでちょうどいい時間。

何度も行っていますが、いつもスルーの
瑞鳳寺にも向かってみることに。

P1300551

正宗山瑞鳳寺というそうですね。
政宗山ではなく、正宗山。

P1300570

藩祖政宗の菩提寺として1637年に、忠宗によって創建。
こちらの梵鐘は1976年に再鋳造されたものだが、
元の梵鐘は創建当時のもので、重要文化財。

P1300556

本堂。唐破風が立派ですね。本丸御殿の車寄みたい。

P1300560

廃仏毀釈の際に末寺が廃寺に追い込まれたそうですが、
本堂はどうなんだろう。大正期に復興とありますが
往時の建物は取り壊されてしまったんでしょうかね・・・

彫刻の細やかさなどを見ていると、建物は
往時のまま残されているような気もしますが、
大正の復興まで、境内は荒れ果てた状態だったそう。

P1300562

P1300565

さて、瑞鳳殿に向かいましょう。

P1300572

政宗公三七八回忌法要・・参加できればしたいが、
翌週の平日に来るのは厳しいなぁ。

P1300573

が、運よく「写真で見る国宝瑞鳳殿」というのを
やっていて興味を引きました。

P1300574

焼失前の写真。涅槃門は同様ですが、
拝殿がこんなに立派なものだったんですね・・・・

P1300575

そして、焼失後。うぅ…泣けてくる。

P1300576

手水場。瑞鳳殿、何度も来てますが、
手水場の水飲めたんだって初めて確認(汗)

P1300578

往時の涅槃門。この頃は涅槃門が開き、
ここから出入りできたみたいですね。

P1300582

そして現在。

P1300583

この漆塗に金箔の組み合わせには、
桃山時代の京や大坂にあるような瀟洒な印象を
受けますよね。政宗らしくもある。

P1300584

石垣は野面積みかなぁ・・ってみちゃうのは、
もう治りそうにありませんね(苦笑)

P1300585

さて、拝殿跡に。随分昔と違ってるんだな…

P1300587

拝殿の側面から撮った往時の写真。
当たり前といえばそうですが、御霊屋にそのまま
スルーで行けちゃうってのは、変っちゃ変。

P1300588

こうした拝殿があって、然るべきですよね。
が、拝殿は復元されなかった・・・現在の拝殿。
簡略化されすぎ・・・・

P1300590

当時の拝殿は銅板葺、外側内側ともに黒漆塗で
仕上げられていたそうです。壁面や柱には極力装飾はなく、
軒廻りや上部に集中的に装飾が施され、
メリハリの効いた建物であったそうです。ほぉ。

実に写真が多く残ってるんですね・・・・
残ってるんなら、正確に復元しても良かったのに。

P1300592

御供所。現在は資料館になってますが、
元々は供物を整える場所だったそう。

P1300593

本殿は、ほぼ外観は正確に復元されているそうですが、
内部に描かれていた仏画だけは、省略されたそう。
その写真も残っていました。

二十五菩薩来迎図。解像度が低くぼんやり
しているが、左下に不動明王らしき像が見られます。

P1300598

三叉槍を持つのは、毘沙門天のよう。

P1300599

また、創建から明治時代に至る変遷の説明では、
明治期に二代忠宗霊屋・感仙殿、三代綱宗霊屋・善應殿の
付随建物がかなり取り払われたことを知る。

瑞鳳殿同様、唐門や橋廊下、拝殿、善應殿廟門
(旧感仙殿涅槃門)などが取り払われたそうで・・・
口惜しいことではありますが、あっても戦災で
焼失してしまっていたかなぁ。

ただ、善應殿廟門は多賀城市の慈雲寺に
移築
されているそうなので、
機会があれば観たいですね、ぜひに。

さて、瑞鳳殿本殿。ほとんど変わりがないように
見えますが、竹に雀紋は少し簡略化されているかな?

P1300607

こちらが、再建本殿。ね、紋が細かい。

P1300616

あと間違い探しのようですが、細かく見ると
相違点が結構ありますよね。

この龍の瓦は、再建瑞鳳殿では意匠が違っていましたが、
近年、この龍の瓦に戻されましたよね。

P1300609

この辺は今と同じだよなぁ。再建時の貴重な史料に
なったんでしょうねぇ。

P1300610

着色された史料も。カラーの史料が少ない
時代ですから、役に立ったことでしょうね!

P1300612

そして、内部。これは今でも見られる機会は
限られて貴重なのですが、厨子の中に
政宗像が安置され、その直下に政宗公の棺があります。

P1300605

そして、今はだだっ広い空間になってますが、
拝殿から本殿は橋廊下でつながっており、
手前には唐門があったそうで、その写真もありました。

P1300629

唐破風に沿って格天井が施され、
白黒写真ではありますが、相当鮮やかで色彩豊か
だったであろうことが想像できます。

P1300620

見事な装飾・・見ごたえあったろうな。
二条城の唐門もそうだけど、仕事細かいよねぇ。

P1300622

龍虎図や「二十四孝」から取り上げられた題材
が描かれていたりするようです。

そして、手前にはこのような橋廊下が。

P1300624

側面から。

P1300626

この橋廊下や拝殿の高さ、ちょうど本殿の扉の奥に
安置されている政宗像が見える位置に設計。

・・・あ、瑞鳳殿ばかり観てたら、時間がない!
しまっちゃーうということで、慌てて感仙殿・善應殿。

P1300631

二代藩主・伊達忠宗の感仙殿。現状。

P1300632

古写真。側面からの写真だからか、
けっこう装飾が控えめのような印象があります。

P1300633

霊屋が開いて・・・内部。
やはり、同じように忠宗像が安置されてます。

P1300634

P1300635

あ、これ廟門がここにあったときの
写真だな!そのまま移築されてるんだね。

P1300636

そして、綱宗の善應殿。

P1300639

あら、綱宗さんはお顔は出してくださってない!
厨子は閉まっておりますねぇ・・・

P1300638

もう時間なので、追われるように退出。
退出路にあるこの石垣が、登り石垣のように
見えてきちゃったりして(ちゃうちゃう)

P1300647

さて、このあとはニッカの伊達を一本買って、
仙台のフォロワーさんご夫婦と美味しい食事をいただき。
珍しく写真撮ってないんだよね・・・

この日は泊まって、翌日始発の新幹線でダイレクト出社。
東京から近いとこういうこともできるんだけどね・・・
よかったなぁ、このときは。

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武田家の足跡を伊達家中に求めて。

いろいろ調べていて、実は真田家だけではなく、
武田家の末裔も伊達家中にいたんだ、と知ったのは
ごくごく最近のことです。

Webだけでは情報が少なすぎるのですが、
少なくとも武田家の血を引く武田信次なる人物が、
伊達家中に仕官し、今知られているのとは違う、
諏訪法性之兜を伝えているのだそうで・・・

Kesentakeda2
(新聞画像はこちらから拝領しました)

危うくアメリカ・ボストン美術館の手に渡る
ところだった「諏訪法性之兜」の由来が、
仙台市博物館の武田家文書のなかにあるそうです。

これによれば、会津で蒲生氏郷の食客となり、三人の息子に
自らの死後は、伊達政宗に仕えるよう遺言。
そして、長子・重次は和渕に知行を拝領・・・とのこと。

ただ、この文書、このWebによれば、

 武田家ノ祖先ハ信次トテ即チ晴信入道ノ嫡孫ナリ

と記しているんですよね。信玄公の嫡孫・・・
それは、信勝公に他ならないはず。

しかも、東北大学図書館蔵の「源貞氏耳袋」という文書には、
信勝公が奥州に逃れたことが書かれているのだとか。
しかも「信勝奥州下向につき改名とそ書たりける
だとすると?

なんだか、ワクワクしてきますよね。
信勝公の血筋が残っていたのかもしれない…と。
ただ没年が1593年とすると、享年26歳。
若くして亡くなったことになりますが・・・

子の重次が賜った領地和渕とはどこだったのか、
和渕とは石巻にあることを突き止めました。

ただ、現地では信玄末弟と伝わっているようで、
それのほうが信憑性があるようにも思えますが、
この文脈でしか信玄末弟・武田信次は出てこないわけで…

ただ、いずれにしても、場所は分かった。
こりゃもう行くしかない・・・そう思って、
仙台に行く折には、絶対に行きたかったところ。

さて、仙台から1時間ちょっと。前谷地に到着です。
ここから石巻線と気仙沼線に分かれ、その最初が和渕駅。
が、前谷地止まりで和渕に行く電車がしばらく来ないので、
てくてく歩いて、武田家屋敷跡に向かうことに。

あのへんね。耕徳院には武田家累代の墓があるそうで、
そちらへのお参りもさせて頂ければ・・・・

P1300468

田んぼの広がる道をてくてく・・・

P1300471

山崎浄水場。一瞬、山崎蒸留所と間違うバカ(笑)

P1300472

さて、30分ほど歩くと耕徳院に到着です。

P1300473

門構えも立派です。

P1300476

現地解説板。「伊達世臣家譜」によれば、
信虎十男信次が大坂の陣の頃から政宗と接触があり、
子の重次が政宗に召抱えられた、とあります。

P1300481

この内容は武田家文書との内容と矛盾します。
そもそも信次は大坂の陣のころには、
亡くなっているはずですしね。

ただ、耕徳院をこの地に遷した信次の曾孫
武田充信が、左馬助を名乗っているのが気になりました。
いずれも左馬助(典厩)名乗っている信繁・信豊
との関係があるんでしょうかね?

武田家累代の墓。お邪魔します。

P1300483

和渕武田家の始祖・武田信次の供養碑。
本人は米沢で六十八歳で没。

P1300484

ということは、1593年を没年と仮定すると、
信玄十男ということと矛盾してきます。
というのは、仮に数え年68歳だとすると、
満年齢は67歳、というと1526年生まれになります。

が、信虎四男の典厩信繁は1525年生まれ、
六男の武田信廉は1532年生まれ。矛盾しますね・・

この碑には、次のようにあります。

 武田彦次郎信次
 
 新羅三郎義光十八世孫武田左京
 大夫信虎十男也有故奥州来会津
 后往米澤貞山公聞之而雖有以
 近臣禄仕之命敢不應信次臨終
 而遺言乎三子曰奥公数召我不
 應之今我不謀朝夕汝等行而
 仕焉羽劦於米沢六十八歳而卒

武田信虎の十男で、訳あって会津に
後に米沢に向かう。伊達政宗がそれを聞きつけ、
近臣として仕えよとの命を敢えて受けず、
三人の子に何度も政宗公に召しだされ
自分は受けなかったが、お前たちは
行って仕えよとの遺言を残し、68歳で没す。

・・・という感じでしょうか?
昭和61年の建立なので新しいのに、
古めかしく書いてあるんですよね。

というのと、武田家文書では会津に信次はいて、
仙台の政宗と通じ・・とあって、本人は
米沢に行ってないことになってるし・・・??

政宗さん仕えよと自分から気にかけたのか?
いつの頃の話なのか?
という関心もありますが、やはり事実関係が
よく整理できませんね・・・

もうひとつ、注目ポイントが碑の上部の紋。

P1300484

かなり珍しい十六菱の武田菱です。
丸をつけたり、花菱にしたりというアレンジは
あるのですが、これは初めて見た・・・

続いて、子・重次夫妻の供養碑。

P1300485

 武田五郎左衛門重次始佐々エ門
 慶長之始依父信次之遺言而
 始而事貞山公於此賜采地
 百五十石城州住伏見後来江戸
 比時又貞山公加増百石其後
 住仙台累年以有勤功而賜
 澹沢郡上之原壱百丁開発
 之五十八歳而武州於江戸卒
 墓在江戸西窪瑫瑞光寺

かなり、政宗に見出されていたようですね。
慶長元年が1597年ですから、信次死後に
政宗に仕えはじめ、伏見の伊達屋敷にも居て、
後には、江戸詰めの藩士ってことですかね。

東京にあるという墓、瑞光寺というのが
どこかが分からない・・・

武田信行碑。獅山公(伊達吉村)が在郷屋敷にて
小袖と御歌を拝領した記念。

P1300486

かなり文字が見えなくなっていますが・・・
こちらは、どなたかの墓前でしょう。なむなむ・・

P1300488

江戸初期あたりにお亡くなりになった方の墓石は
戒名以外はかなり判読が難しい・・・

P1300489

武田五郎左衛門充信墓。先ほどは案内には
左馬助とありましたが、代々五郎左衛門を
継承しているのかもしれませんね。

P1300490

しかし、墓石があさっての方向を向いているのは…
こちらでは、観音様がえらいことに・・・
地震で倒れてそのままなんだろうか、おいたわしい。

P1300492

右の墓石も「武田・・・信」は判別がつきますが、
あとはなかなか分かりません。

さきほど、中興の名君・伊達吉村の和歌を
いただけた武田信行墓。享保年間の人ですから、
将軍吉宗の時代ですね。

P1300493

これが最もひどい・・・武田五郎左衛門信義墓。
奇しくも武田家の始祖と同じ諱。が、墓石が
ひどい有様・・でも、さすがに一人じゃ戻せない。

P1300498

その他、根元から折れている墓石が多数。
何とかして差し上げたい・・・

P1300500

うつぶせになってる方は、お名前の確認も
しようがなく・・・・

P1300501

横向きの方は、せめてお名前が分かるよう、
墓石表面の土を落として差し上げました。武田信氏墓。

P1300502

武田恒之助信献墓。この円い墓石の方々は、
比較的助かっているようです。

P1300505

一番右端のこちら。おそらく武田安之助信昌墓
だと思われます。

P1300507

信昌は、幕末に仙台藩の一隊を率いて
福島方面に出陣し、討死しているそうです。
後に仙台藩はこの功績を讃え、石の花立と灯篭を
贈ったといわれ、活躍したのでしょう。
(が、墓石前の花立と灯籠が見当たらない…)

会津もそうですが、またこれも幕末の武田の足跡。
どのような思いで出陣したのでしょうか。

幕末だと、仙台真田家当主真田幸歓が、仙台藩内での
西洋学問および砲兵術の研究などをしていて、
まさに会津藩の山本家や川崎尚之助とかぶります。

一方、武田信昌はどのような立場で、
何を考えていたのか…興味が尽きませんね。

さて、ちょっと迷うもこちらの地図を頼りに
武田家屋敷跡に向かいます。

P1300510

現地看板。現在は武田家の家臣筋に当たる
真籠氏の所有となっているそう。

P1300511

伏見にそして江戸にあった重次は、
江戸の仙台藩上屋敷の造営を任されたりしてたんだ。
そして、功あって和渕1,300石を拝領。

屋敷の石垣。当時のものが残っています。

P1300513

坂を上がって枡形(?)になってるトコを
右折れすると屋敷跡。さすがに個人のお宅だからなぁ・・・
と思っていると、ここにお住まいのおばあさんが
案内してくださることに。願ったり適ったりだ!

おばあさんもはるか昔に先人方に教えて頂いた
そうで、直接ご覧になってるわけではないそうですが。

あちらが主殿跡。

P1300514

今のお家を挟んで奥側には、庭園を構成していた
であろう大池。ダムができて水の往来がなくなり、今だと
水が涸れているが、その昔はキレイな池だったらしい。

P1300522

小池はまだ、水が張っている。
濁ってはいるが鯉がいる・・・昔からいるのかな。

P1300518

この碑は、おばあさんでもわからないそう。
学芸員さんが調べに来たことはあるそうですが・・・

P1300521

あのお社は、どういういわれかな。

P1300523

あちらがお屋敷、女中さんのいたところ、
殿様の奥方が裁縫を教えていたところに、
馬場、弓の稽古場…

この屋敷跡でお生まれになったおばあさまが
昔々に教わったこと。

こちらが裁縫場跡だったかな。

P1300515

こちらが馬場・弓の稽古場だったような・・・
(一気にいろいろ憶えられない。笑。)

P1300525

石垣のある手前、看板の前あたりが表御門だったそうで
こういう風に建ってたよと教えてくださいました。

P1300528

さらに、おうちに上がらせて頂き、しばし歓談。
なかなかこんなところまで来て史跡めぐりしているの、
少ないのかもしれませんね。

ホント、歴史に関係ないことも含めていろいろお話を
頂きました。先ほどの碑を建てた武田家の御当主
武田武さんには、お子さんいらっしゃらず、すでに故人。
ただ甥っ子が居たはずだけど、連絡は付かないそう。

しかし、やはりここで武田家は殿様であり、
当時のご当主だった武さんによくしていただけたことなど
お話くださいました。耕徳院の和尚様が
如何に人徳者であるかも。

そして、墓石が倒れているのは
地震のせいだけではないそうなんですよね。
詳しくは書きませんが、ややこしい事情。

ま、いずれにしても思いもかけないよい出会い。
またお土産もってご訪問したいところです。

さて、和渕神社にも少し寄っていきましょうか。

P1300535

茅葺屋根の小さな社殿だけど、御由緒は806年、
坂上田村麻呂の創建と非常に古いんだそう。

P1300538

5月もだいぶんと過ぎていたのですが、
まだ桜が咲いていました。北海道並み?

P1300544

さて、阿倍野のかりんとうでもおやつにしながら、
仙台に戻ります。さすがに宮城峡は行けそうにないので、
瑞鳳殿で政宗さんにご挨拶にでも行きましょうかね。

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仙台真田家のゆかりに触れる。

さて、バスで向かったのは蔵王町。
真田信繁(幸村)の次男真田(片倉)守信が
知行を賜ったのが刈田郡。現在の蔵王町。

ここで、仙台真田家に伝わる甲冑や軍旗の展示が
あったので寄ってみることに。

20130907195439

あちらが会場の蔵王町ございんホール。

P1300394

だがな、真田幸村のゆかりの郷と書かれると、
いまいちもやもやするのだよ・・・掠ってはいるけど。

P1300398

展示室内は撮影禁止だったので、遠巻きに・・・

P1300404

仙台真田家は、守信の頃の禄は300石。
家格は召出二番座。実は後述の仙台武田家と同格。

後に再検地で一反あたりの石高が2割増で再計算され、
360石持ちに。さらに20石余りを加増されるも
分家を立てたため、最終的には350石。

知行宛がい状(黒印状)もしっかり残っていて、
知行の記録も比較的分かっているんですね。

その他、信繁夫人から阿梅、そして守信へと
伝わった六連銭入りの蒔絵文箱、そして
大坂冬の陣着用と伝わる漆黒の南蛮胴具足。

真田信繁というと、赤備えのイメージばかりが先行しますが
冬の陣では漆黒の甲冑だったんですね・・・
真田丸から鉄砲玉の嵐で徳川軍を苦しめた信繁は、
こういう甲冑を身に付けていたんですね。
南蛮胴であるあたり、銃撃戦の時代らしい感じはします。

夏の陣には紅い甲冑を身につけ、この甲冑は
阿梅や守信への形見分けにしたのかも。

ソースは不明ですが、冬の陣の和睦後、
信繁邸(九度山?それとも?)に訪れた人間が
床の間に抱角前立の甲冑があった旨、記録に残してるそう。

そして、真田(敢えてこう書きます)守信像を
パンフレットから。正直ちょっとくたびれた感じの
信繁像(こら)に比べると、凛々しく勇ましい風貌。

20130907195718

お召し物に六連銭ではなく、結び雁金しかない
というところもポイントかもしれませんね。

さて、そんな蔵王町の町章が結び雁金(的な?)
ってところに真田家とのゆかりを感じますよねぇ。

P1300413

さて、蔵王町を離れ、白石まで向かいます。
時間的に白石城は天守と石垣・櫓門を外観だけ見る、
に留まりましたが、阿梅さん・守信さんへのご挨拶がしたく。

当信寺。山門が白石城東口門(二の丸大手二の門)。

P1300416

ちなみに真ん中の穴は、太鼓の音がよく通るようにと
幕末に開けられた穴だそうです。

裏側から。中に入って二階部分に入ってみたいもんだなぁ。

P1300427

延命寺というお寺にも白石城の厩口門が
移築されているそうな。

左が片倉重長室・真田阿梅墓、右が弟・真田守信墓。

P1300419

阿梅の方の墓石は飲むと歯痛にいいとして
削られ続け、よくわからない墓石に・・・かなすぃ。

守信さんは亡くなるまで真田姓に復すことが
できなかったのですが、墓石にはせめての一文。

P1300420

阿梅は、紀伊九度山にて生まれた西の人。
西のほうに行き交う人も通るであろう、街道近くに
葬られることを望んだそうな。

真田といえば、信州のイメージだけども、
九度山生まれの彼女にとって、西国での日々が
恋しかったのでしょうか。

ここでも、経をあげてしっかりご挨拶して
後にいたします。

ま、あまり時間はないですがサクッと
白石城にも寄っておきましょうかね。

二の丸大手二の門跡。先ほどの当信寺山門が
あったのがこの場所です。元に戻しても
いいんじゃないかな・・・ダメかな・・・

P1300430

本丸外郭石垣。かなり明治に崩されていて
根石付近しか残ってないのですが、
こうしたところに時代の違いが感じられる箇所。

P1300436

向かって左側が野面積、右側は切込接。
どうやらたびたび江戸時代に石垣が崩れ、
補修の際に、切込接になったようです。

コレだけ見ると、あまりにキレイでホンマモンか?
と疑ってかかったりもしたくなっちゃいます(汗)

P1300437

というのと、野面という箇所もけっこう加工度を
感じるんですけどねぇ。

で、また少ししたら・・・切込接くらいかな?

P1300438

んで、天守。地震でダメージがあったけど
どう復活したか見たかったのよね・・また今度。

P1300446

天守台あたりのほうが石垣は、よっぽど野面ですよね。
でも、これ石垣も復元なんですよ。
野面積の復元ってステキじゃないですかぁ!

P1300451

本丸大手一の門から一応天守下まで行きますか。
雨がパラパラしてきたけどね・・・

P1300450

本丸大手一の門を過ぎた枡形。
石垣の色が違うところは復元でしょうなぁ。

P1300455

本丸大手二の門。櫓門。
こちらの柱には台湾檜が使われたそうですよ。

P1300454

内側から。

P1300457

瓦には、伊達の三引き両紋。

P1300459

入りたかったけどなぁ・・・しょんない。

P1300460

さて・・・この日はコレにて終了。
翌日は、相当に知られていないみちのくの武田家に
迫ってまいります。

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仙台青葉まつり。

さて・・・明日を本まつりに控えた政宗公まつり
ぜひ岩出山に行きたいところなんですが、
泣く泣く諦め・・・というくらい時間が経ってしまいました。

GWの城攻めを終えたあとは、行きたかった岩櫃城を
城好きの皆さまと・・・なんですが、
諸事情により、その後の仙台行き。政宗公まつりは
行けないですが、青葉まつりには行ってきたのです☆

高崎から大宮で乗り換えて、新幹線で仙台。
着いたのは日が落ちてから。お祭りに合わせて、
Suicaペンギンが政宗さんしてました。
怖いという声も・・・(笑)

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仙台では、こちらが誰か判る方は少ないかも…
伊達家中の武を支えた伊達成実ペンギン。

P1300292

その足で国分町にご挨拶へ。
宮城峡は今回は行けないなぁ・・・・

P1300296

Kaoriさんに教えていただいてから、
仙台に行くたびに、こちらにお邪魔しています。
Andyさん。居心地がよいですね。

CUTTY SARK STORMというマッカランあたりを
中心につくったブレンテッドのハイボール。

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マッカラン的なクリーミーさが
くどくなくハイボールと合ってるような。
スコッチのブレンテッドも飲んで行かなきゃなー。

そして、なかなか自分では買えないトマーチン30年を。

P1300300

以前、イベントで頂いて見つけたら飲むようにしています。

さて、翌朝。行列は11時過ぎということもあって、
ホテルでグダグダしながらのスタートです(笑)

まずは、ちっちゃい政宗くんたちから。

P1300303

政宗くんと愛姫ちゃんかな?
いいねぇ、様になってるなっ☆

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女性のお神輿に・・・

P1300310

政宗公を祭神とする青葉神社の行列が続きます。

P1300312

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太鼓の音。信玄公祭りに慣れているせいか、
行列には音楽があるものだと思ってましたが、
鳴り物はこの太鼓くらいで、逆にビックリしました。

P1300320

太鼓の音だけでも、行列中ずっと響いてるとよかったかな。

獅子舞登場。わたしも頭かっぷりやって頂きました。
なにげにスゴイ久しぶり・・大人になって
されることって、ちょっと珍しいかも?

P1300322

お神輿その2。政宗公の御霊を載せて。

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ちょうど目の前でぐるぐるしてくれていて、
写真撮るにはおもしろかったです(笑)

現宮司の片倉家十六代目・片倉重信氏。
末孫まで政宗公のお側に控えておられるんですね。

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さて、いよいよ武者行列がきますぜ!

P1300331

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来ました、現代の伊達宗家当主・泰宗氏。
政宗公から数えて十八代目、伊達家始祖朝宗から数えて
三十四代目に当たられます。

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心なしか瑞鳳殿の政宗公ご遺骨から、再現された顔に
似ていらっしゃる気がします。貴族顔。

片倉小十郎。

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そして、伊達成実。毛虫の前立ても
個人的には好きですよ。

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実はあの毛虫の前立ての兜は、伝・成実所用だそう。
代々そう受け継がれてきたにすぎず、証拠となる文献や記録が
ないのだそうです。北海道移住時に散逸したのかな・・・

でも、あの時には売って売って、それでも
手放せないものだけを北海道に持っていった
と聞いているので、亘理伊達家にとって
貴重な逸品ではあったのでしょう。

そして、背には香車。後へは引かないというメッセージが
コレでもかと刻まれていますね(笑)

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度肝を抜いたのが支倉常長・・・慶長遣欧施設の帆船、
サン・ファン・バウティスタに乗って出てくるとは・・・

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ちょっとハリボテ感はあるけど、よく行列に出しましたね。
その心意気が素晴らしいと思います!

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政宗公まつり後援会からも伊達軍団が。
諸将が再度登場です。

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兜でちゃんと区別できるのは成実くらいだなぁ(汗)

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あ、分かりやすい人が来た(笑)

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はい、真田幸村さんですね。幸村さんは仙台来てないよ?
とか言っちゃダメー(笑)

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なんですが、真田守信さんのご登場も願いたかったですねぃ。
いや、父と同席でいいので・・・

さらには、思いっきり敵対している上杉家からも参陣(笑)

P1300369

てか、米沢の謙信どの。

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米沢城主だった・・・ということなのか、
チャッカリ政宗さんがいる辺りもおもしろいです。
仙台でチョイ役になってます(笑)

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これ、景勝さん?兜、謙信どのの兜のような…

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政宗さんのお隣はどなたでっしゃろ?

P1300374

続いて、登場したのが自作甲冑隊の皆さま。

P1300375

相馬野間追のイベントでご一緒した、
岩出山伊達遊撃隊隊長さま(@naka1234)が
この日は太閤殿下に。

P1300377

なんとなく優雅です(笑)

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後には、仙台すずめ踊り隊(笑)が続きます。
なんだか見えていて、楽しい踊りです。
動きが細やかにキビキビしつつ、ハデにわっと動き出す。

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・・・さて、慌しく仙台離脱。
バスに乗って仙台真田家のふるさと・蔵王町へ。

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GWの西日本城攻め・・・その10 伊予松山城天守群内部~ラスト。

さて、いよいよ天守内。三層天守ですが、
穴蔵を備えていて、往時は米蔵だったとか・・・
これも五層天守だったろうな、と髣髴とさせる遺構。

P1290597

順路はまず、北隅櫓から・・・
焼失した櫓もみーんな木造再建なんだよね。
同じ連立式天守でも、和歌山城との差を感じるなぁ・・・

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1968年の再建だけど、鉄筋コンクリにしちゃうところ
木造で再建しようという違いはなんだろうな・・

P1290601

こうして土塀をみると、改めて狭間の多さを
感じてしまう・・・熊本城同様(ベクトルは違うが)
かなりのやりすぎ感があるよねぇ(笑)

P1290600

何故ここから上がらせてくれないのかな・・・・
靴を置く場所の問題かな?

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毎度おなじみの梁桁の画像。北隅櫓。
もちろん、二重櫓ではあるのだけど、
けっこう線が細い印象です。

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北櫓から見る大天守。天守が低くコンパクトな分、
櫓から全景を迫力を持って見られるのが新鮮。

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ねぇねぇ、あれっていざってときは、
塀を向こう側にぶっ倒すんだよー・・・・??
って、倒したあと無防備だと思うんだが・・・

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けっこう再建櫓も年月が建っていますからね・・・
でも、こういうところで壁造りが違うんだな、と実感。

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ただ構造自体は、かなり本格的な城郭建築ですね。

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空間的にも、それなりの広さと高さを感じます。
あ、野原櫓!地上よりここから見るほうが
望楼感があっていいですね!

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乾門周辺の櫓群。うん、熊本城っぽい。

P1290616

十間廊下は展示。ひとつ剥がすと、ん?って
なるかもしれないのだけど、木造再建はナイスです。

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南隅櫓一階。やはり、狭間の数がおかしい(笑)

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有名な武士の似顔絵落書き。意外とタッチが
現代的であるように思え、いわゆる浮世絵などを
想像する現代人にこの時代の絵心の理解に一石を投じるね。

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小天守一階。やはり開放感は他の二櫓とちょっと違います。

P1290640

しかし、1968年当時よくこれだけの木材を
揃えようという気になったねぇ。

P1290641

なにより、現存建築と違和感なく佇んでる。
当時の方々のチョイスに感謝です。

千鳥破風の裏はベース型の狭間。
この形状は、松山城の城郭建築の特徴のようです。

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小天守から大天守のドアップ。大天守も大修理、
とまではいかないにしても、布目地漆喰くらいは、
塗りなおしたほうがいいかもね。

P1290650

小天守の眺めの極めつけはコレでしょう・・・
この袋叩き感!一の門を過ぎた辺りが小天守から
丸見えで、これを袋のネズミと言わずしてなんという(笑)

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マジでここで水鉄砲でもつかって、
城ガールと攻城戦ごっこやってみたい(超妄想)

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筋鉄門から。ここからでもいいなー(笑)

P1290663

さて、いよいよ最終目的・・天守一階。
やはり、小天守は規模から「天守」とは言いますが、
先の高松城月見櫓のほうがよっぽど「天守的」。

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やはり、武者走りのある構造を見ると、
天守だなぁって思うわけです。

大天守は天井が特徴で、きちんと各階に
天井が設けられているんですね。
そして、畳が敷けるような構造・・・・

P1290668

松山城天守の謎らしいのですが、再建当時は幕末。
いざというときには、天守に籠もることを
本気で想定されていたのかもしれません。
(が、トイレや台所は?という疑問も)

二階。そう天井までは高くありません。
どうせ三層にするなら、もう少し高くもできたでしょうに。
このドッシリ感のあるデザインは、そう決まったのでしょうね。

P1290670

この辺りから、柱をクンクンしだします・・・
実は松山城に来たのは、コレが目的でもあるのです。
以前、三浦先生に総檜と伺ったもので・・・

やっぱ、檜は甘い香りがする。
実に甘美で、そして香りが強いんですよね!

P1290673

しかし、柱が細いんですよね・・・それなりに
大きい天守ではあるんですが。

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天守の瓦を間近でみて、このアングルに
テンションが上がりながら・・・・いよいよ最上層!

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けっこう採光できていて、明るい最上層です。

P1290678

最上層なんですが、しっかり天井があるんですよ。

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五層天守だと四層五層目は、武者走りではなかったり
しますので、最上層に武者走りがあると・・・
まだ積めんじゃん!などと思ったりします(笑)

P1290683

普通は、せっかくの大天守からの眺め、
遠くを見渡すものでしょうけど・・・
城好き、城郭建築好きとしては、櫓を見てナンボ☆

北隅櫓!

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南隅櫓!

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そして、小天守!

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艮門と艮続東櫓門が随分遠景に・・・
あれくらいの一軒家ほしいです(こら)

P1290690

そして、また嗅覚堪能タイムに戻る・・・
すーはー、すーはー。

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節のある心材。往時は節のある材も使われていたが、
昨今では無節信仰があるようですから…
当時の建材には、節はたくさん。あっていいんだ!

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さて、随分と袋叩き感と木の香りを十分に
楽しみましたぜ・・・うむ、何度か来ているけど、
間違いなく過去最高のテンションで楽しめました(笑)

松山城を後にしますか・・・馬具櫓。
防災ポンプ操作室として、唯一鉄筋コンクリにて
再建された櫓。が、外装はもうちょっとそれらしく、
してほしかったな・・・!!

P1290698

大手門跡から退城。石垣が細いな…
どんな門だったんだろう。

P1290704

一部、登り石垣と連結しますが、
基本は南登り石垣のすぐ北をいきます。

P1290706

ここの登城路が本来の唯一の本丸への道でした。

P1290709

ちょっとこのあたりは打込接かな・・・・
時代が違うのかもしれません。

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二の丸付近は、虎口感がいっぱい。
やっぱり城の一部なんですよ。

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P1290722

んで、振り返る。

P1290725

四脚門が見えてきました。

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黒門口登城道の説明。長い間閉鎖されていたんだ。
城本来の登城ルートで登りたいもんね。ありがたや。

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二の丸隅の米蔵。切妻屋根は松山城では
少数派かもしれませんね。

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二の丸から唯一、三の丸に出る道にあった槻門跡。

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槻門跡を構成する石垣と道の幅の広さがすごい・・・
城内最大の門だったそうです。これはすごいだったろうな。

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そして、連続枡形。

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さて、三の丸濠跡の上を歩いて、駅へと戻ります・・・

P1290764

三の丸(堀の内)は将来の整備計画にも入っているそう。
どういう整備がなされるか楽しみですね。

P1290766

この二の丸石垣のネットが取れる日が来るといいなぁ・・・

P1290769

三の丸の濠端は、土塁なんですね。
これまたよくみてなかった・・・石垣じゃないんです。

P1290772

さて、城に近いラーメン屋さんでお腹を満たしましょう。
瓢華さん。松山在住のくのいちさんに感謝です。

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松山のラーメンは、味付けが甘いんです。
基本は醤油ラーメンなんですが、醤油が甘いから
ラーメンも甘いという算段。

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思ったほど、カルチャーショックではないですね。
事前に甘い甘いと知っていたからかもしれませんが・・・
こういういつもと違ったモノに接するのは、実に楽しいです。

これでは飽き足らず、松山の坊ちゃん弁当をはむはむ。
鯛めしに伊予牛コロッケに惹かれて・・・

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そして、長い長い東京への電車旅。
ホントひさしぶり。高松からのサンライズ瀬戸です。

P1290796

車内のお供は、バリィさんの寝酒。
今治行ってないのに(笑)

P1290793

・・・さて、長くなりました。
GW4ヶ月も前の西日本城攻め、ようやく完結であります☆

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GWの西日本城攻め・・・その9 伊予松山城本壇~大天守

んで、本壇。ここからが有料エリアになります。
本壇に入る前に、本壇を外からぐるりといきやしょうぜ。

このなんともいえない犇いた感じがいいよねー!
せまっくるしいの大好き(笑)

P1290480

石垣は、加工度が甘く丸みを帯びた石と
ピッチリとした石。同じ切込接ではあるんですが、
天守再建の際に石垣も改められている部分があるそう。

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そしてなにより、下見板はホントに大好き。
そういう意味では熊本城も広島城も福岡城も
似てきちゃうんだけど、やっぱり木が好きなんだろうな。

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紫竹門(しちくもん)。小さな高麗門ですが、
何気に防衛上、大事だったりするようです。

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紫竹門から小天守台。布積がビッシリ!

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さて、搦手方面・・先ほど外から見た乾門に向かいます。

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えらく石垣の色が違うけど、建物で護られているか
そうでないかの違いかなぁ。

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乾門内側。そういえば、櫓門+枡形+脇に平櫓って、
熊本城や八代城にもある清正チックな感じ…
とここではたと気づく。

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姿が似ている南北隅櫓。突上戸が開いてる
北隅櫓のほうはまぶたがあるようにも(笑)

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そして、望楼型マニア(笑)には垂涎の野原櫓。
望楼型がいいなぁ、選べといわれたら。

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層塔型は規格化された感じ、望楼型は
職人気質な感じがして。もちろん、層塔型には
そのよさはあるんだけどさ。

野原櫓も公開されるときもあるんだろうかな?

P1290509

本壇北側はけっこう古めの石垣で加工度が低い。

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ね。打込接って感じ。やっぱり南部分は
積み直されたか、拡張されたんでねーかな?

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天神櫓下。唯一、戦災で焼失している天神櫓。
この石垣がその経緯を物語っているよう。

P1290517

艮門と東続櫓。こちらも櫓と櫓門のセット。
平櫓ではないので、ちょっと熊本城とは違いますが、
L字型に望楼がある分、飯田丸五階櫓の二層版…
のような印象を持ちました。

P1290520

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田舎のほうに行ったら、こういうお家あるよね。
こういうとこに住んでみたい・・・
メンテは大変だろうけどさ。

P1290525

さて、本壇を一周。あちらの二の門南櫓まで
行ったら、天守に上がりましょう。

P1290524

なんとなく石垣の歴史が見えるようでおもしろい。
表面の表情がさまざま。

P1290530

よし、本壇へ!ね、明らかに石垣違うよね。

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切込接である以上に、表面がすっごいキレイ。

P1290534

んで、一の門に到達すると・・左手には小天守。

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正面には大天守。

P1290536

んで、右手の奥に一の門と一の門南櫓。
えぇ、もう容赦ないボコボコ具合です・・・・

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三方を櫓群に囲まれ、そしてこの狭さですからね。

さらに、小天守下の土塀からは、
先ほどの筑竹門下を狙い撃ちにできます☆

P1290538

そして、一の門を抜けると、またせせこましい空間!
三の門南櫓、一の門南櫓、二の門南櫓からの一斉射撃!
こちらは、二の門南櫓側から。

P1290547

門自体は小さいのですが、周りを狭くしなおかつ、
櫓で囲っているため、袋叩き感がハンパないのですよ…

P1290549

二の門側から。

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ここを抜けると、本壇の東側の広い部分に出ます。

P1290553

ちょうど天守が本壇の東西を分かつ感じ。
天守が小振りに見えるのは、天守台が低いせいもあるか。

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北東隅には、天神櫓。戦災で焼失後再建。
鬼門に久松松平氏の先祖菅原道真を祀ったそう。

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松平姓をもらってても、そこは捨てないんだ…
と妙なところに感心。

さ、三の門からいよいよ天守につながる本壇東側。

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三の丸南櫓内には、太鼓が!
しかも、ご自由にどんどん打ってっていいって!

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どん、どん、どんどん、どんどんどん…!
って打ってたら、お迎えの太鼓上手だったよ!
と老婦人に褒められました(笑)

櫓内はこの狭間の多さ・・・撃つ気満々!

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先ほどの一の門を抜けた枡形。
如何に蜂の巣にされるかがお分かりでしょう・・・
てか、その先の塀も狭間の数多いな(笑)

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狭間からの眺め。パーン!(と心の中で撃つ)

P1290578

筋鉄門。ここを抜けるとようやく大天守・・・

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ほ、放火によって焼失だとう・・・許せぬ!

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北隅櫓には、唐破風の入り口がありますが、
ここは使えません。本来はここが出入り口です。

P1290586

南隅櫓。

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小天守を裏側から。

P1290589

東側に連なるもうひとつの門・内門。
門単体では、こちらのほうが立派ですね。

P1290592

・・・とみてわかるように、四方八方櫓に囲まれまくり。
ここが最後の砦、ここまで達するのは至難の業です。
連立式天守の構造がよくわかりますよね。

さて、いよいよ天守に入ります☆
天守下の米蔵の入り口です。

P1290594

ふぅ・・・・松山編、ながっ(笑)

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GWの西日本城攻め・・・その8 伊予松山城登り石垣~本壇

さて、南登り石垣沿いに歩いていける県庁裏から
本丸に上がってきます。さっき見た麓の終点がこちらね。

P1290330

石垣自体も好みすぎて・・・いいねぇ。

P1290329

よく保存はされているものの、けっこう繁っていて、
見えにくい箇所も。ここ隅櫓跡?と思ったけど、
もうひとつ先が櫓跡だったみたい。

P1290331

ここね。ちょっと現物は分かりにくいなぁ。

P1290333

入っていける箇所は、できるだけ入り込んで
登り石垣を観察。キレイな残り方してるよなぁ!

P1290337

こうして現地現物を見つつ、古地図を見つつ…
していると、登り石垣の意味がよくわかりますよね。

P1290345

つまり、ここの南北を塞いで置かないと、
山の側面から侵入して、二の丸が手薄になること、
そして、本丸が孤立してしまいますよね。

繁っているからの・・かもしれませんが、
木漏れ日に輝く登り石垣がイイ!

P1290339

あそこはちと低いぞ・・・攻め込めちゃう?
(こらこら)

P1290341

さて、本丸下に来ました。あれは太鼓櫓?

P1290346

大手門跡を折れ曲がり、本丸石垣を楽しむ
石垣充コースを進み、乾櫓のある搦手まで行きます。
あちらは巽櫓。

P1290348

ここの石垣の反り、美しいねぇ!

P1290350

kuroさんに教えていただいた、熊本城や佐敷城の
算木積の根石の角の丸み。ここにもそれが感じられます。

P1290352

加藤嘉明も朝鮮出兵組だしねぇ。登り石垣も
倭城との関わり合いが深いし、興味が尽きないところ。

鈍角の隅も石がキレイに揃ってるなぁ。
石垣の技術水準の高さを感じますね。

P1290355

といったそばから、野面的な石垣に変貌。

P1290358

艮門・艮門東続櫓。鉄製の坂道のスロープがP1290370

あると思ったら、行き止まり。だったら外そうよ!

P1290364

渡櫓門下・・金網にカメラを突っ込んで撮影(笑)

P1290363

ある意味、スロープから見る櫓門は珍しい
アングルといえばそうかもしれない。

続櫓。枡形+二重櫓で殲滅するとともに、
大手門もしくは搦手(乾門)から侵入する敵兵の
背後を突くための出撃基地でもあったよう。

P1290368

さて、北側をぐるり。小筒櫓跡。
ここは再建されてないんだ。

P1290374

手前が望楼型二重櫓の野原櫓、奥が乾櫓。
こういう石垣の角度が付いたところに
櫓が交差するように配置されてるの・・・ええわぁ。

P1290380

でも、実はカーブしていて直線的ではないんよね。

P1290381

すぐ曲がると搦手。乾一ノ門跡です。

P1290384

乾櫓を見上げる・・・たっかぁ・・・

P1290385

左から、乾櫓・乾門・乾門東続櫓。
そして右奥には小天守南隅櫓。絵になる一枚。

P1290388

北登り石垣はここから麓の二の丸石垣と連結。
が、なぜか破壊・・・明治期に破壊されてますが、
イマイチ破壊の理由がわからん!

破壊時期は陸軍所管の時期なので、
犯人は間違いなく陸軍なのですが、意図が・・・

P1290389

この角度から見た小天守南隅櫓、人の顔みたい(笑)
二層目の窓が目、千鳥破風が鼻、
石落としがほっぺで、一層目の窓が口。

P1290391

さて、ちゃんと登城路から攻めていきたいので、
一旦撤収し、大手門跡に戻ります。

途中、やっぱり見たはずの石垣をまだまだ
くまなくチェック。円い石があったり…

P1290393

あ、武田菱の刻印があるとか言ってみたり…
(田の字を斜めに撮っただけ)

P1290401

うわ、たくさんあるぅー(しつこい)

P1290404

え?日の丸の刻印?んなアホな・・・目がおかしい?

P1290403

さて、戸無門から本丸へ!奥が太鼓櫓。

P1290415

あちらが大手門跡。黒門口登城口から
登るとここに来ます。意外と大きくなさそう。

P1290417

もうすでに天守が見えています。
なんだ近いじゃないか・・と思ったら、大間違い。
そちらに行っても天守には行けません!

P1290418

180度振り返って・・・戸無門と筒井門西続櫓。
こちらが正解のルート。あ、間違えた・・といってる間に
やられてしまうという算段です。

P1290423

戸無門はその名の通り、戸が付けられたことがないそう。
なんだ、楽勝じゃねーかとか言ってると?

P1290426

ここで油断するわけです。筒井門。

P1290427

何がトラップかというと、こうして筒井門を
突破しようとかじりついていると・・・

P1290430

突然、側面から伏兵が急襲!実は筒井門の奥に
まんまの名前、隠門がありここからも
襲撃できるようになってるんです。

P1290435

こんな感じで背後から・・・(笑)

P1290437

んで、抜けた筒井門内側。

P1290439

こちらは隠門内側。埋門形式ですかね。

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筒井門を抜けると、太鼓門が眼前に。

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向かって右手には、太鼓門。

P1290443

位置関係はこんな感じ。第二の防衛ライン。

P1290445

太鼓門脇の巽櫓。今は破風が下見板になってますが、
往時は白漆喰塗籠だったようで。

before・・・

P1290446

after・・・白漆喰のほうがいいかな?

P1290447

ここも木造での再建なんだよね。いいね!

P1290449

太鼓門を抜けるとようやく本丸☆
ただ、抜けた最後ここでも攻撃されそうです!

P1290456

公開しているときもあるんだろうな・・・
こういうときにまた来てみたい。

P1290459

太鼓櫓。ここの破風も改変されてるらしい。
なんでわざわざそこを・・・

P1290454

古写真。

P1290452

本丸井戸。戦前まで汲み上げれて冷水を飲めたそう。
いいなー、今はもうダメなのかな?

P1290465

飲めた頃の井戸と櫓群。おそらく天守からの眺望かな。

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このあたりからの大天守が、一番よく見えるかなぁ。
どっしりして感じが以前はあまり好みじゃなかったんだけど、
割とそういうのもいいかな、と思えるように。

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元々五層天守だったわけで、五層建つよなぁ…
床面積の逓減率考えると。うむ。

ちょうどこのアングルと同じ明治初期の写真に
弾薬庫が映っています。

P1290473

ここの発掘調査で、熊本城天守などに葺かれている
朝鮮の影響を感じさせる滴水瓦が出土したそう。
朝鮮出兵組の加藤嘉明の時代のものかも。

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さて・・ここからは本壇。いわゆる天守曲輪ですかね。
ここの袋のネズミ感がすごい・・

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GWの西日本城攻め・・・その7 伊予松山城二の丸

さて、西日本城攻めの〆は、伊予松山城。
今ようやく、松山城天守の魅力がわかってきてですね…

朝は、フライング・スコッツマンという
オシャレなお店でスタート。

P1290213

極厚のパンケーキ、さらに二枚重ね☆

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んで、メイプルでろでろ~!
甘いもの好きの至極のブレックファースト♪

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ここはね、松山来たら押さえておいていいと思う、
甘党にとってはね。老舗の雰囲気も落ち着くし。

ということで、松山城へ。県庁裏の二の丸庭園から
登っていきますぜ。県庁に伊予柑!?

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二の丸石垣・・かなり高い!

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位置的には大きな濠に囲まれた三の丸と
山頂の本丸の間にあります。

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さて、向かいましょう。

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ここは門があったのかな。

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石垣にネットがかぶさっているのが残念・・・
修理できたらいいんだけど。

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二の丸の多聞櫓が見えてきました!

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二の丸は、元は藩主の政務空間だったところ、
1687年に三の丸(堀の内)が完成、藩主は三の丸御殿に
遷ることにより、世継ぎの屋敷としてつかわれたそう。

が、惜しくも県庁として使われていた
1872年に焼失してしまったとか・・・惜しい。

ズラッと石落としが並ぶ多聞櫓。もちろん再建。
石落としが並ぶ、しかもこの間隔で並ぶのって、
すごく珍しい気がします。壮観。

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道案内がありがたい。行きは南登り石垣が見られる
県庁裏登城道から。帰りは黒門口登城道にしよう。

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さて、二の丸多聞下から二の丸内へ。

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枡形ではありませんが、立派な多聞櫓。

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早速、多聞櫓内に。

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多聞櫓は木造で再建されてあって、なかなかの出来。

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期待してなかっただけに、のっけからいい誤算。
こういう木組みはどれを見てもワクワクです。

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多聞櫓内には、二の丸の模型があって・・やったーっ!

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部屋割りの図になってるってことは、外観の図が
残されてないのかなぁ。

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そのほか、筒井門の模型も。こうして見ると、
なぁーんだと思っちゃいますが、
意外とコレ、現物見ると引っかかるんですよね。

P1290246

土塀の控え柱、木と石を組み合わせてて…
ほほぅ・・・と注目。

P1290251

東端の門からは・・・

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南登り石垣の終端が見えますよー!

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んで、奥御殿跡。なんだ、現代的にしちゃってんだ…
と思ったら、この流水園、遺構を盛り土して保存した上で、
奥御殿の間取りに合わせて造られてるんですね!

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そして、表御殿跡は大井戸が見所。井戸って…
あまりにも大きすぎ(笑)

P1290259

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これ、飲料水としても使われたでしょうが、
防火用水としての意味が大きかったようですね。

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火災時には木桶で水を汲み上げ、それぞれの階段から
通路を経て迅速に火災現場に水を持っていく・・・
江戸時代は火災が起きても、破壊して延焼を防ぐ
破壊消火が中心だったわけで、この大井戸は先進的。

んが、その二の丸御殿が明治になって火災で焼失、
とはあまりにも皮肉な事実・・・

わたしはてっきり、道後温泉でも引いて、
露天風呂にでもしていたのかと・・・(笑)

露天風呂チックですよねぇ・・・
石垣に囲まれて最高じゃないですか!

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あ、でも亀さんが日向ぼっこしてましたよ?

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ある意味、露天風呂から上がって
休憩している的な感じです(笑)

表御殿は、柑橘類の草花園。
柑橘類のフレッシュな香りがします!!

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ここも遺構の上に間取りを再現してあって、
こちらは大書院跡。江戸城や二条城をコンパクトに
したような構造で、藩主は上段之間に座ったようです。

今植わっているのは、キシュウミカンとウンシュウミカン。

二の丸奥の大書院付近の石垣。けっこうな高さです。

P1290264

石垣は打込接。好みです。

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この辺の岩、石垣の石を切り出した跡かなぁ?

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そして、このあたりの石垣にも刻印がたくさん!
天下普請ではない石垣の刻印って、
どういう理由によるもんだろうね。卍に丸。

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刻印だらけ・・・

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丸に上、とあると村上水軍?の村上?

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多聞櫓だけではなく、四脚門や米蔵なんかの復元も
なかなかいい復元をしています。

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どのくらい史料に基づいているのか、
寡聞にして知りませんが、これだけでも十分な城跡として
楽しめますよね。松山城、二の丸もやるやん。

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はるか上に小天守。大天守は見えんなー。

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林泉庭。ここは当時から庭園だったんでしょうな。
羽を休めているお方はホンマモンです(笑)

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お庭の様子は往時に近いのかな。どうなのかな。

P1290317

ちょっと帰り際に、お茶室聚楽亭を覘いていく。
いい場所だなぁ・・・これ、2~3,000円で借りられるのね。
お茶しなくても、城攻めオフ会の休憩とかによさげ。

P1290306

ホント、檜の香りがよくって癒されます。

丸がない葵紋の釘隠し。なんだかコミカル(笑)

P1290307

さて、登り石垣を見ながら、松山城本丸へ!

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GWの西日本城攻め・・・その6 丸亀城

さて、8月も終わり、夏ももう終わる・・・そんな時期。
いまだにGWのネタを書いているという(笑)

間違いなく今年はblog書くのが遅い記録を
更新していると思います(汗)

さて、高松城できゃあきゃあ言っていて
時間を喰ってしまったため、今治城に行く時間が・・・
山里櫓見たかったんだけどなぁ・・
ということで、丸亀城に変更です。

P1290106

まぁ、天守というか三階櫓ですがね(笑)
こじんまりしたところには、かわいらしさすら覚えます。

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現存櫓を追う…というテーマにはふさわしくはないけど、
丸亀城というと石垣が有名ですかね。

P1290110

イメージ的には近世の石垣の城なんですが、
野面なトコもあるんだぁ。明らかに以前来たときよりも
視線が深く(つまりマニアックに)なっていますね(笑)

P1290111

土塁と腰巻石垣。これもちゃんと見てなかった。
うむ、知識をある程度つけてくると、見えて来るんだなぁ。
何も変わっちゃいないんだけどね。

P1290112

大手門。このあたりは見事な切込接布積。
お手本のようなキレイな枡形です。

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天守を見上げる。正面だけがんばって(?)
下見板でおめかししている天守は
真正面から見てあげるのが、筋ってモンでしょ!

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天守と大手門(高麗門・渡櫓門)の
三点セット。建物派のわたしのお気に入りアングル。

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おお、京極家から!いいなぁ、地元に寄り添ってる
感じがして、すごくいいよこういうの。

P1290118

枡形内。でっかい石があるところがさすが。
大手門らしい風格。十間×十一間ということで、
この規模の城としては、相当に大きな枡形です。

P1290119

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大手櫓門(一の門)。かなりでかいよねー・・!
ものすごく徳川感のある迫力のある櫓門。

P1290121

さて、見返り坂から登っていきます。
三の丸石垣。こういう石垣は石垣ファンには垂涎。

P1290130

三の丸東石垣。ちょっとキレイに修繕されすぎ??
ま、時間が経って味が出るのを待ちましょう。

P1290132

ある意味、現代でもこんなキレイな隅石の石垣を
造ることができるんだよね。もっと普通にこういう石垣が
公共建築物の基礎になったらいいのになぁ。

P1290133

二の丸石垣。勾配が美しいなぁ。

P1290135

二の丸は上がらず、三の丸をぐるっと一周します。

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二の丸石垣南面。かなり目地が揃ってる。

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三の丸井戸。

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二の丸南西隅石垣、反りがドーン!
赤茶けた部分は火災の影響かなぁ?どうだろ。

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ちょっと長細く見えるアングルからの天守。
なんかこういう模擬櫓があるような(失礼)

P1290148

いやー、青い空に天守。バツグンのコンディション。

P1290149

天守だけじゃなく、櫓もいっぱいだったら
もっと壮観だったろうなぁ・・・
本丸北西隅櫓跡。

P1290150

これも布積に入るんだろうねぇ?
布積が多いのは・・京極さんの趣味?

P1290153

時間が遅すぎて、天守に入れず(泣)

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しかし、どうしてぐるっと下見板にしないんだろう、
と違和感持っちゃいますよね・・・

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さて、撤収しますか。あれが讃岐富士かな?

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やっぱり、打込接くらいの加工度くらいが
一番好きですねぇ。むむ。

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かなり整った印象のある丸亀城だけど、
三の丸南側にも、野面積みの石垣もあるんですね!
たまたまだけど見つけられてよかった!

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夕日を受ける大手枡形。なかなかいい写真が撮れた!

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大手櫓門を潜る前に・・・

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御殿表門へ!こちらは漆喰がなく、
重厚感がありつつも、戦闘的な趣が少ないよね。

P1290202

番所も備えていて、お屋敷の門という感じね。

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さて、丸亀城を出ます!大手櫓門のこの梁が!
クネッとなってる材が上手く使われていると萌えます(笑)

P1290207

さて、丸亀からゆらゆらと松山を目指します。
途中乗った電車があまりにも・・・
筆舌に尽くしがたいデザインで驚愕(笑)

P1290211

途中の伊予西条では、駅のホームに美味しいお水が!
広島の西条も名水の地でお酒造りが盛んですが、
伊予の西条もお水が美味しいんですねぇ。

P1290212

喉が渇いたのですが、自販機なんぞ目にもくれず、
ご当地の名水をゴクゴク頂きました!贅沢☆

さ、夜に松山に到着。翌朝から一日じっくりかけて、
伊予松山城を攻めて行きます☆

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