GWの西日本城攻め・・・その10 伊予松山城天守群内部~ラスト。
さて、いよいよ天守内。三層天守ですが、
穴蔵を備えていて、往時は米蔵だったとか・・・
これも五層天守だったろうな、と髣髴とさせる遺構。
順路はまず、北隅櫓から・・・
焼失した櫓もみーんな木造再建なんだよね。
同じ連立式天守でも、和歌山城との差を感じるなぁ・・・
1968年の再建だけど、鉄筋コンクリにしちゃうところ
木造で再建しようという違いはなんだろうな・・
こうして土塀をみると、改めて狭間の多さを
感じてしまう・・・熊本城同様(ベクトルは違うが)
かなりのやりすぎ感があるよねぇ(笑)
何故ここから上がらせてくれないのかな・・・・
靴を置く場所の問題かな?
毎度おなじみの梁桁の画像。北隅櫓。
もちろん、二重櫓ではあるのだけど、
けっこう線が細い印象です。
北櫓から見る大天守。天守が低くコンパクトな分、
櫓から全景を迫力を持って見られるのが新鮮。
ねぇねぇ、あれっていざってときは、
塀を向こう側にぶっ倒すんだよー・・・・??
って、倒したあと無防備だと思うんだが・・・
けっこう再建櫓も年月が建っていますからね・・・
でも、こういうところで壁造りが違うんだな、と実感。
ただ構造自体は、かなり本格的な城郭建築ですね。
空間的にも、それなりの広さと高さを感じます。
あ、野原櫓!地上よりここから見るほうが
望楼感があっていいですね!
乾門周辺の櫓群。うん、熊本城っぽい。
十間廊下は展示。ひとつ剥がすと、ん?って
なるかもしれないのだけど、木造再建はナイスです。
南隅櫓一階。やはり、狭間の数がおかしい(笑)
有名な武士の似顔絵落書き。意外とタッチが
現代的であるように思え、いわゆる浮世絵などを
想像する現代人にこの時代の絵心の理解に一石を投じるね。
小天守一階。やはり開放感は他の二櫓とちょっと違います。
しかし、1968年当時よくこれだけの木材を
揃えようという気になったねぇ。
なにより、現存建築と違和感なく佇んでる。
当時の方々のチョイスに感謝です。
千鳥破風の裏はベース型の狭間。
この形状は、松山城の城郭建築の特徴のようです。
小天守から大天守のドアップ。大天守も大修理、
とまではいかないにしても、布目地漆喰くらいは、
塗りなおしたほうがいいかもね。
小天守の眺めの極めつけはコレでしょう・・・
この袋叩き感!一の門を過ぎた辺りが小天守から
丸見えで、これを袋のネズミと言わずしてなんという(笑)
マジでここで水鉄砲でもつかって、
城ガールと攻城戦ごっこやってみたい(超妄想)
筋鉄門から。ここからでもいいなー(笑)
さて、いよいよ最終目的・・天守一階。
やはり、小天守は規模から「天守」とは言いますが、
先の高松城月見櫓のほうがよっぽど「天守的」。
やはり、武者走りのある構造を見ると、
天守だなぁって思うわけです。
大天守は天井が特徴で、きちんと各階に
天井が設けられているんですね。
そして、畳が敷けるような構造・・・・
松山城天守の謎らしいのですが、再建当時は幕末。
いざというときには、天守に籠もることを
本気で想定されていたのかもしれません。
(が、トイレや台所は?という疑問も)
二階。そう天井までは高くありません。
どうせ三層にするなら、もう少し高くもできたでしょうに。
このドッシリ感のあるデザインは、そう決まったのでしょうね。
この辺りから、柱をクンクンしだします・・・
実は松山城に来たのは、コレが目的でもあるのです。
以前、三浦先生に総檜と伺ったもので・・・
やっぱ、檜は甘い香りがする。
実に甘美で、そして香りが強いんですよね!
しかし、柱が細いんですよね・・・それなりに
大きい天守ではあるんですが。
天守の瓦を間近でみて、このアングルに
テンションが上がりながら・・・・いよいよ最上層!
けっこう採光できていて、明るい最上層です。
最上層なんですが、しっかり天井があるんですよ。
五層天守だと四層五層目は、武者走りではなかったり
しますので、最上層に武者走りがあると・・・
まだ積めんじゃん!などと思ったりします(笑)
普通は、せっかくの大天守からの眺め、
遠くを見渡すものでしょうけど・・・
城好き、城郭建築好きとしては、櫓を見てナンボ☆
北隅櫓!
南隅櫓!
そして、小天守!
艮門と艮続東櫓門が随分遠景に・・・
あれくらいの一軒家ほしいです(こら)
そして、また嗅覚堪能タイムに戻る・・・
すーはー、すーはー。
節のある心材。往時は節のある材も使われていたが、
昨今では無節信仰があるようですから…
当時の建材には、節はたくさん。あっていいんだ!
さて、随分と袋叩き感と木の香りを十分に
楽しみましたぜ・・・うむ、何度か来ているけど、
間違いなく過去最高のテンションで楽しめました(笑)
松山城を後にしますか・・・馬具櫓。
防災ポンプ操作室として、唯一鉄筋コンクリにて
再建された櫓。が、外装はもうちょっとそれらしく、
してほしかったな・・・!!
大手門跡から退城。石垣が細いな…
どんな門だったんだろう。
一部、登り石垣と連結しますが、
基本は南登り石垣のすぐ北をいきます。
ここの登城路が本来の唯一の本丸への道でした。
ちょっとこのあたりは打込接かな・・・・
時代が違うのかもしれません。
二の丸付近は、虎口感がいっぱい。
やっぱり城の一部なんですよ。
んで、振り返る。
四脚門が見えてきました。
黒門口登城道の説明。長い間閉鎖されていたんだ。
城本来の登城ルートで登りたいもんね。ありがたや。
二の丸隅の米蔵。切妻屋根は松山城では
少数派かもしれませんね。
二の丸から唯一、三の丸に出る道にあった槻門跡。
槻門跡を構成する石垣と道の幅の広さがすごい・・・
城内最大の門だったそうです。これはすごいだったろうな。
そして、連続枡形。
さて、三の丸濠跡の上を歩いて、駅へと戻ります・・・
三の丸(堀の内)は将来の整備計画にも入っているそう。
どういう整備がなされるか楽しみですね。
この二の丸石垣のネットが取れる日が来るといいなぁ・・・
三の丸の濠端は、土塁なんですね。
これまたよくみてなかった・・・石垣じゃないんです。
さて、城に近いラーメン屋さんでお腹を満たしましょう。
瓢華さん。松山在住のくのいちさんに感謝です。
松山のラーメンは、味付けが甘いんです。
基本は醤油ラーメンなんですが、醤油が甘いから
ラーメンも甘いという算段。
思ったほど、カルチャーショックではないですね。
事前に甘い甘いと知っていたからかもしれませんが・・・
こういういつもと違ったモノに接するのは、実に楽しいです。
これでは飽き足らず、松山の坊ちゃん弁当をはむはむ。
鯛めしに伊予牛コロッケに惹かれて・・・
そして、長い長い東京への電車旅。
ホントひさしぶり。高松からのサンライズ瀬戸です。
車内のお供は、バリィさんの寝酒。
今治行ってないのに(笑)
・・・さて、長くなりました。
GW4ヶ月も前の西日本城攻め、ようやく完結であります☆
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