駿河遠江の武田ゆかりの城を巡る・・・その2 横須賀城。
武田ゆかり…というと、ちょっと語弊があるのですが
武田の高天神城を落とすために築城された、
と考えると、まぁゆかりがあるともいえる横須賀城。
見所は、やっぱり(復元ですが)天龍川の川原石を
つかった玉石垣でしょう!戦国の歴史よりも、
純粋に城郭として、興味があった城です。
横須賀城全景。おそらく戦国時代には
中央やや右手の本丸・西の丸部分、そして
松尾山くらいだったのではと思われます。

さて、城へ。これ整備された石段だと
思っていたんですが…

実は、復元遺構。遺構を土砂で保護しつつ、
その上に復元した石段を構築するという、
なかなかニクい演出をしてくれています。

んで、西の丸を上がったところから、
玉石垣が姿を現しました!壮観!

あんまりにも丸々した石ばかりで、
日本の城か?と疑いたくなるような異質な石垣。
修築はあったでしょうが、江戸時代通じて
こうだったわけですからねぇ…

これ、さすがに高天神城を攻める陣城としての
時代ではなく、その後に形成されたんでしょうね。
今では何らかの補強がありそうですが、
江戸時代通じて、このような積み方で用を成して
いたことに驚きます。ちょっとドキドキします(笑)

ただ、山城を「そのまま」石垣の城とするには、
土塁の斜面に沿って石垣のカーブを描けないわけで、
そういう意味では、玉石垣にする意味があったのかも。
実際、このような緩やかな鈍角の石垣隅だったり…

沖縄のグスクのような、緩やかなカーブを
みていると、そんな意図も感じますね。

武田流の丸馬出は、土塁のまま江戸時代に残されるか、
角馬出として石垣づくりに造りかえられることが
多そうですが、丸馬出のまま玉石垣で石垣化・・・・
してもおもしろいのになぁ、と妄想(笑)
こ、この意味ありげな石は何でしょう・・・・
硝煙蔵とか?わ、わからん・・・

三日月池。往時の濠跡だそうだけど、
いわゆる丸馬出+三日月濠の武田式のつくりの遺構
ということではないみたい。

三日月池のすぐ上にある道の地蔵さま方。

おひとり特に個性的な方が(笑)
いえーい!もしくはえいえいおー!

本丸の玉石垣に戻ります。三日月池方面から
本丸東端部に上がっていく坂。

このあたりも発掘調査の成果を元に復元。

石垣をじぃーっと見つめるあいすさん(笑)

その先には、玉石垣で難しいところを
なんとか算木積にしてみましたという涙ぐましい(?)
石垣がありました(笑)

ね、一応算木積ではあるよね?

さて、本丸へ。なんだか円い石が放射線状に
飛び出ているみたいで、トウモロコシやパイナップルに
見えてしまうのは気のせいでしょうか(笑)

本丸に上がってすぐ模型を発見。
大手から見える南側ばかりに玉石垣が集中していて、
「見せる石垣」の要素がけっこうあった?と推測。
北の丸は戦国期には、松尾山と本丸を区切る
空壕的なエリアだったかもしれないな。
江戸時代はこの本丸を中心に東西に長く伸び、
周りに外濠が配されていましたが、ほとんど遺構なし…

模型地点から見て北側の向こうには天守台。
低く積まれた石垣がL字型を成しており、
変わった形状をしていますよね。

裏鬼門に当たる南西を欠いた構造だったのかな?
でも、それなら普通北東を欠くような気もしますけど。
礎石のほか、鯱瓦なども出土しており、
少しではありますが、面影を感じ取ることができます。
礎石からは東西六間×南北三間半とのことですが、
少しバランスが悪い気がしますね・・・

まぁ、二層くらいの櫓で、東西に長いと考えれば
そうでもないかなぁ…天守っぽくないけど。

ということは、南東部のこのあたりは、
天守前通路として広がっていたのでしょうかね?

北側の土塁もけっこう不思議っちゃ不思議。
横須賀城天守がどのような形状だったのか、興味津々。

さて、横須賀城址の碑を見たら、本丸を出て、
北の丸から北東の松尾山のほうへと。

側面に入った途端、土の城。高天神城攻略時には、
石垣はなかったんでしょうね。けっこうな高さがあります。

お姫様、とだけ言われてもなんのこっちゃいなー!
(結局、謂われは分からず)

ロームさん、あいすさんが歩いているあたり、
曲輪下を掘ったら空壕跡とか出てきそうな雰囲気。

キレイに残って整備されている土塁も、
やっぱり城の美しさのひとつだよなーと思いますね。

松尾山のほうへも。高低差がここでも感じられ
城感はあるのですが、なにせ整備度合いが
一気に下がるので・・・・がくっ

北側の崖の先は、茶畑になっているようですが…

西側はさっぱりわからーん!

東側はざっくりとここも断崖に
なってるのはわかります。

ここには絵図でも聞櫓が描かれており、
実際のその痕跡が発掘調査の結果、検出されています。

こんな具合。ここまで位置がわかっていたら、
あと古写真でもあればいいのにねぇ…残念だぁ。

現場にはブルーシート。まだ発掘の途中なんでしょうかね?
新たな知見が見つかるといいのですが。

あ、アチラに見えるのは空壕?けっこういい感じで
残ってるみたいですね!ここもまた中世城郭っぽい☆

後から考えると、下に降りて廻って
近くで見に行けばよかったかなぁ・・・

さて、北の丸を西に進んで退城します。
北の丸はゲートボール場にもなってます(汗)

米蔵があった辺りの手前に差しかかると・・・

あ、あれは外濠跡!だいぶんと堀の幅は狭く、
浅くはなっているようですが、往時を偲ぶには十分。

とこんな感じで、横須賀城を堪能。
この後は、お昼に。法多山尊永寺門前の
お食事処山田さん。
袋井のご当地グルメである「たまごふわふわ」
なるものをいただきました!

まんまやん、というネーミングですが(笑)
はじめはよくわからず、上のほうだけ掬って
食べていて、???という感じだったのですけど、
中にはおだしの効いたスープが…一緒に食べるんですね。

優しいお味でナイス。が、あっついつい!
何も知らずに突撃すると火傷しそう。
これだと主食がないので、富士宮やきそば。

でも、やきそば以上に印象に残ったのは…お茶!
お茶が美味い!ペットボトルに入れて持ち帰りたいくらい!
さすが、お茶の国だなぁ・・と感心。

いや、食事に行って写真を撮ることは多いですが、
お茶の写真を撮るのは、非常に珍しいです。
ホント、そのくらい印象に残るお茶でした。うむ。
さて、お次は城にお詳しい方々が、
口を揃えてよい城!とおっしゃる諏訪原城。
これこそ、武田流の城だ…と圧倒される城です☆
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