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戦国真田の城・岩櫃城 - その2 岩櫃城本城~潜龍院跡~顕徳寺

さて、お腹を満たした後は、いよいよ本城へ!
吊り橋を渡りきったところが、
コニファーいわびつのキャンプ場。

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少しコースを外れて、竪堀跡を見に行きます。
道路で寸断はされていますが、比較的わかりやすいです。

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青いラインの下部分、赤い線の道路が
竪堀跡を縦貫してますよね。

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キャンプ場からすぐのところの空壕。
非常にハッキリしていて、曲輪のカタチも分かりやすい。

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地図でいうとココですね。

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この先には、二重竪堀。

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少し分かりにくいかも、ですが、
二重に凹んでいるのがわかりませんか?

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ホントはココを迂回して、虎口に至る予定だったんですが、
壕を見たら突っ込みたい人たちばかり(笑)
ですので、この二重竪堀に突入します☆

自分が手前の壕底に、眼前に壕を仕切る土塁、
その先に先の壕にいるロームさん。

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ずっと東のほうに二重竪堀が続いています。
あ、あの橋渡ししてそうな木の上に乗っちゃダメ(笑)

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調子に乗ってココを通ろうとした約1名が
ズッコケてましたけど(笑)

ここが志摩小屋虎口。禰津志摩守幸直の屋敷が
あったことに由来するそう。

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このまましばらく行くと、二重竪堀は終了。

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さて、本曲輪のほうへ。

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この石、石垣向きだよなぁ…

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本曲輪の北枡形。写真ではアレだが、
けっこう分かりやすく残っている。

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本曲輪はなぜか「伊達」というらしく、
東側に土塁を備えている。やはり全体的に
警戒方面は東なんだな。てことは、北条かな。

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広いですね、本曲輪。居館があってもおかしくない。

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土塁の東南部分。少し内側に出っ張っているが、
櫓があったかもしれないとのこと。

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南の腰曲輪に参りましょう。

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おお、本曲輪の土塁の端々に、
石垣が見られるではないですかぁぁ!

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やはり、本曲輪にはひと手間細工されていたのか、
それともホントにただの土留めなのか・・・

この後、南腰曲輪の下横堀を伝って、
二の曲輪方面に出ます。

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本曲輪東面下。ここでザクっと空壕を掘って
二の曲輪と分断しています。

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ここで、兵を二手に分け、最強の薮漕ぎルート
二の曲輪に乗り上げるルートに分かれました。
わたしは二の曲輪へ・・・こっちもけっこう大変よ?
(寺さん、上信古城探訪さん、薮と格闘の図)

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ようやく薮エリアを抜けました。左手が
本曲輪、右手が二の曲輪。

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二の曲輪に上がって、見下ろしてみると、
空壕跡が鉤型になってるんですねぇ。

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一の曲輪と二の曲輪を分断する空壕。
それほど技巧的ではないにしろ、
かなりダイナミックな空壕が魅力かもしれません。

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さて、二の曲輪脇を通って中央竪堀。

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(21)の下から青いルートを外れて、真南へ
進軍しております。

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さすがに、往時はもう少し壕は深かったでしょうね。

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そして、中城。相当な広さでかなりの兵を
駐留できそうです。最後の要は本曲輪でしょうけど、
戦いの中核を担うのは、この中城でしょうね。

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一部は通路として整備されている中央竪堀ですが…

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この先もまだ続いています。麓までずっと。

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ちょっとこの先は分かりにくいですがね…
さて、歩みは中央竪堀から外れて、殿屋敷曲輪。

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今では、果樹園になっているのですが、
海野長門守幸光の屋敷だったそうですが・・・
なかなかの武辺者だったようですね。

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さすがにこの時間から、郷原城に向かうのは
ないでしょう…また岩櫃に来たときに。

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さて、こちらは出浦淵。出浦対馬守盛清屋敷跡。
甲州透破の頭領にして、最後の岩櫃城代。

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ここもかなりの平坦な空間が広がり、
屋敷があったことを彷彿とさせますね。

そして、石垣好きにはたまらない往時の石積遺構。

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岩櫃城、回ってきてけっこう岩山が多かったので、
石垣の城にしようとするだけのポテンシャルは
あったように思いますねぇ。

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さて、橋台跡を通過して、最後の地点天狗丸。
現在では岩櫃神社がありますが、往時は斎藤則実他、
家臣団の屋敷が並んでいたと推測されます。

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これだけの平坦地だからねぇ。

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天狗丸からの岩櫃山。左手の山の尾根上にある
岩櫃城を撮る城ガール二人。

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岩櫃神社にお参り。

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が、見所はその裏。ずとーんと深く掘られた空壕。
見事でしたね。二重化されているような。

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うん、縄張図を見てもそんな感じがする。

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さて、ようやく一巡りして来ました。
楽しかったなぁ。

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さて、この後は・・・武田びいきのわたし的には、
ある意味岩櫃城以上にお楽しみだったところ…
潜龍院跡。武田の滅亡が近くなってきた時期に、
真田昌幸が武田勝頼を迎えるために御殿を建てた跡。

今でも御殿の石垣の跡が残ります・・・

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結局のところ、勝頼はこちらに来る選択を
しなかったわけですが、ifはないとは言えども、
ここに落ち延びていたら、武田家はどうなっていたか…
と思わずにはいられないのです。

まぁ、後に表裏比興と言われる昌幸ですけど、
戦国大名武田家が滅ぶまでは、武田家に尽くそうと
していたように、思いたくってね。
信綱寺で信玄の菩提を弔おうとした昌幸だから。

しかも、麓からは視界に入りにくい絶好の立地
に建てたということをボランティアに伺い、
さすが・・と思った次第です。

更に岩櫃城でも、本曲輪の一部にしか残っていない
石垣がこんなにたくさん造られている、ということも
この空間が城内にあって異質なひとつ上の空間だった、
ということを物語っている気がします。

岩櫃城主曲輪では、土留め的な使い方でしたけど、
こちらは明らかに石垣ですもんね。算木積というには、
まだまだ未熟な積み方ではあるのですが。

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今の御殿跡を守るお稲荷さん。がんばってくださいね、
頼みましたよ・・・・

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しかし、石垣の残り方が美しいよね・・・
よくこんなに野面積の石垣がキレイに残ったなぁ。
いわゆる高石垣の凄みとは違うのですがね。
武田フィルターを通しているからかなぁ(苦笑)

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皆さまはなるほど・・と思いながら
ご覧になってる中、勝手に武田フィルターを通して
感慨深くなってる人間がひとり・・・
(あいすさん、ありがとう☆)

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そんな石垣の石一つ一つが愛おしいと思えるほど、
感慨深い空間を後にします。また来たいなー!

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さて、最後には顕徳寺。ここには、潜龍院の一部が
護摩堂として移築され、江戸時代に焼失するものの、
ほぼそのままに再建された建物が現存するのですよっ!

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これがその護摩堂。それなりに改変はされている
でしょうけど、移築されて使われている事実はうれしくて。
この唐破風のあるところが車寄せだったのかね。

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そして、屋根に見つけた武田菱。
一度、江戸時代に昌幸が建てたのが焼けているのに、
再建されても武田菱があるところにホロリ。

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いやー・・・・感慨深かったなぁ。
この後は、高崎駅に戻ってファミレスでご飯。
そして、わたしはそのまま仙台へ・・・・
そして、この話につながるのです。

電車の中で、頂いた銘菓岩櫃城をもぐもぐ。
うひひひ。

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ホントに幹事のあいすさんにはお世話になりました。
ボランティアの方々にも、同行した城好きさん方にも。

ホント楽しかったなぁ。んで、このときに
武田の城巡りしたいよね!という話になって、
駿河の武田の城に行くことになるのです・・・
乞うご期待。

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