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平等院鳳凰堂の議論に観る「日本の美意識とは何か」

また、ちょっと長めの思い話題だけど、
これもすごく気になるので、考えを整理しておきたく。

たぶん、発端はコレでした。
冷泉彰彦氏「平等院鳳凰堂を「金ピカ」にしてもいいのか?

このコラム全体的に反論したい、と
歴史ナビ(@rekinavi)さんがtwitter
でおっしゃっていたのを見たのが最初でしたね。

これが7月末になって、また記事が出て来ていて、
議論になっている・・・ということで。

「真っ赤で金ピカ」か「古色・わびさび」か、
平等院鳳凰堂「平成の大改修」めぐり研究界“侃々諤々”

特に気を引いたのが、両記事とも
侘び寂びが云々とあって、正直吹き出しそうに。
マジですか・・・本気?

■冷泉氏に対する反論

ツッコミどころが多すぎるんですが、
ひとつひとつ整理しましょう。

①創建時の原色の塗装にする理由の推察について

傷みやくすんだ色彩を再現しつつ修復するコストの問題は
実際は正しいかどうかはさておき
(正しいとわたしも思います)、
理由の推察としては、成り立つと思います。

が、

> 「創建時の再現」がアリだということになれば、
> 遺構しか残っていない建物の「再建」もアリ

というのが意味不明です。遺構しかない建物の再建=
客寄せハコモノ、とするには大きな論理の飛躍が
あるように思いますが、それ以上に肝心の創建時の
再現の是非については、言及していませんね。

もし、Aが望ましいなら、Bも望ましい。
しかし、Bは望ましくない。
従って、Aも望ましくないという論理です。

A:既存の建物の創建時の再現
B:遺構しか残ってない建物の再建

百歩譲って、Bが望ましくないと仮定しても、
A→Bの論理関係が不明であり、Aが望ましくない
理由の説明になっていません。

観光ビジネスのマーケット変化にも言及してますが、
わたしの立場としては、そもそも観光客のターゲットに
再建や修復の考え方がブレてはいけないと考えます。
今回の修復もそのような意図があったのか?
どう読んでも、筆者の邪推にしか捉えられません。

平等院鳳凰堂が本来どういう位置づけの建物であったかを
明確にした上で、歴史的・文化的な観点から
何が適切かを考えるべきではないでしょうか。

「反知性主義」的な風潮、に至っては完全に
自分が知性のあるほうに立っている前提ですが・・・
果たしてそうでしょうかね?非常に疑問です。

②冷泉氏の違和感の理由とする内容

日本文化の重要な要素である「わび、さび」
という価値観に対する否定、とありますが・・・・

平等院鳳凰堂が「侘び寂び」にそぐわない
色彩にすることがこの価値観の否定になるんでしょうか?

筆者も書いている通り、重要な「要素」ではあっても
日本文化のすべてが「侘び寂び」ではありえず、
また平等院に対して、茶道などの世界で醸成されてきた
室町~江戸時代の価値観で捉えることが果たして
適切な捉え方でしょうか?

> 藤原摂関家の栄華を極めた道長の別邸として
> 建設されたという「権力とカネ」の象徴であった建物が、
> 千年という年月を経て「くすみ」や「崩れ」を
> 獲得することで、金ピカの貴族趣味が
> 浄化されていったのは事実

このあたりは、金ピカ=貴族趣味としてしか
捉えられていないこと、くすみや崩れがすばらしい
という個人的な趣味を超える以上のコメントではないですね。

建物をどの時期の状態に戻すのか?という議論は
必要であり、今回であれば何故創建時なのか、
ということはキチンと議論をすべきです。

が、本来の仏教的価値観でいえば、中国から
仏教が伝来したという経緯も含め、極彩色こそが
オリジナルの仏教的な色彩であるといえ、
仮に創建時に復元するとすれば、極彩色にするのが正しい。
個人の趣味を持ち出すべきではありません。

歴史の重みが消えるといわれていますが、
一方で仏教的な正しさからは掛け離れていったとも言え、
一方的に侘び寂び的価値観が正で、極彩色がNG
ということにはならないと思います。

更に伊勢神宮や厳島神社は信仰の対象だから、
鮮やかな色でもよいという一方で、

> 鳳凰堂という建物に関しては、どちらかと言えば
> 宗教施設であるというよりは文化財であり、
> 文化ということで言えば、長い年月が加わったこと
> による経年変化も含めた「わび」「さび」が
> 乗っているのではないか

というのも、理解できません。まず神社と仏教施設を
同一で捉えている点、それから平等院は文化財で
宗教施設ではないという捉え方。
本尊の阿弥陀如来像は一体なんなのでしょうか。

まったく論理がぐちゃぐちゃで、個人の想いだけが
散らばっている印象ですね。

■平等院鳳凰堂の色彩復元についてすべき議論

さて、冷泉氏の記事から離れて・・どうすべきか。

非常に問題である点は、時代を経た色あせた色彩のみが
日本の文化・美意識の現れであるという論調が
他にも少なからずあること。
日本の美意識はそんな単純なものですか?

本気で侘び寂びを持ち出してきているんだとすると
あまりに見方が一面的過ぎますよね。

そうではなく、平等院鳳凰堂をどの年代の姿を
想定して復元するか、歴史的・文化的・宗教的意義を
明確にしてしっかり議論する必要があると思います。

個人的には創建時となれば、顔料の選定なども困難
がありそうで、本当に正しい復元になりうるのか。
心配はそこですが、クリアされれば全く問題ないと考えます。

むしろ、日本の仏教寺院=すべてモノトーンという
認識を改めるきっかけにあればいいですし、
趣のある落ち着いた現代の寺院観と、はるか昔に
仏教が国教に近い存在として機能していた時代の寺院観が
並存できるといいなぁと想います。

そして、気になったのがアジアに対する蔑視。
派手なもの=アジア的=安っぽいという価値観ですね。
これもチラホラ観られ、非常に驚きました。

極彩色には、仏教の歴史や経緯がキチンとあり、
日本もその文化をキチンと引き継ぐべきところは引継ぎ、
独自の価値観を見出すところも発展させてきたはず。

そういう日本の文化受容の寛容さと独自性を生み出す力、
そしてそれらは並存することを可能にしているところこそ、
日本が誇れる素晴らしい文化だと思っています。

日本の文化の素晴らしさや美意識は、他国の文化を
蔑んだり、貶めることで表現すべきものではありません。
これは、何にも代えて許しがたい。

アジアの他の国々に大変な失礼であるばかりでなく、
日本が、あるいは日本の文化がそのように偏狭で
独尊的なものの見方をするものと誤ったメッセージを
発することになってしまいます。

上がっている違和感は、江戸時代程度を想定した姿と
比較しての違和感であり、そのような感覚論で
決めるのではなく、研究成果を真摯に反映しながら、
合意形成をしていくのがいいと思います。

早急に決めてしまわず、議論が侃々諤々となるのなら、
結論を出すことを延期するのも視野に入れながら
進めては如何でしょうかね。

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