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2013年8月

GWの西日本城攻め・・・現存櫓を追う!その5 高松城天守台・披雲閣・艮櫓。

さて、天守台。現存櫓を追う・・・という趣旨には
外れてしまいますが、まぁ行くしかないでしょ!

いやー、キレイになりましたよねぇ。

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前回の修復中はこんな感じでしたが、
よく戻ってくれました。

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さすが天守台というとこでしょうか、
隅のカーブはキレイに整ってますよねぇ。

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現地に天守の復元イメージが置かれていました。
いやぁ、想像するのにこういうのありがたい!

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東面の天守台の上に・・・

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天守を想像!

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南蛮式と言われる最上層が飛び出した形状が特徴。
岩国城天守や小倉城天守が他には有名。

こうしてみると、層塔式ではありますが、
二層の御殿に床面積が階下のほうが狭い望楼が
付いているような錯覚を感じますね。

西面からも・・・今の天守台。

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・・の上に天守。むふふふ。

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ついでに、北面・南面。こちらのほうが、
より好みかなぁ。最上層の火灯窓がオシャレ。

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全面に言えることですが、比翼千鳥破風という
小さな千鳥破風が左右に付くのって、何気に好み。
破風は、あまり大きくないほうが好きなんですよねぃ。

さて、あの鞘橋から天守台に向かいましょう!

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鞘橋。一部材が取り替えられていますが、
現存遺構ですよん。

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鞘橋からの天守台の北面。周りの水濠があるのが、
個人的なツボにはまりますねぇ。

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アップ。やはり高松城も天守台は野面積で、
石垣としては古風なんだよねぇ。あまり天守台に
大きな石が置かれることって、少ないかなぁ。
(大坂城とか江戸城とかは別格ね)

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本丸北西の隅櫓・矩櫓跡。単重櫓だったようです。

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いよいよ天守台。巨大な天守台によくある
穴蔵を備えた独立式。

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パッと見たところ、津山城や甲府城よりも断然広く
福岡城くらいの大きさという印象。

「田」の字型に52個の礎石が発見され、
地階柱の位置も特定できた上、広さも文献と合致。

ひょっこりと木材が出ているところが、
柱が建っていたと思われる位置。

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この上に土台を築いて・・・相当太い心柱が
通っていたんでしょうねぇ。見ごたえあったろうなぁ。
この柱はいくらなんでも細すぎよね(笑)

解説。ふむふむ・・・

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ただ、内部の階段の位置や各階の意匠は
まだわからないとのこと。今後の成果が待たれます。

天守台の上から。見ごたえがありますねぇ。
穴蔵は東西六間・南北五間だそうですが、
一階部分はどの程度あったんでしょう。

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・・・と調べると、こちらに東西十二間半、
南北十一間半とあります。こりゃ相当大きな天守!

天守台から披雲閣。

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あちらに見えるのは艮櫓。当時と配置が異なり、
ちっとも艮(=北東)の方角ではないんですがね(汗)

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そして、月見櫓。
さすが、城内を見渡すにはいいポジション。

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続いて披雲閣。こちらには模型があると聞いて・・・

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起くり屋根と反った屋根が並んでる。
意外と珍しい風景かもしれない。

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手前には、戦災で焼失した桜御門跡。
石垣の爛れが痛々しい・・・

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ですが、古写真も最近鮮明なものが見つかり、
桜御門の復元に弾みが掛かるといいですねー!

個人的には、桜御門が下見板張りなのが
非常に興味深いところですね。ひょっとすると、
生駒時代の建造物だったのかもしれません。

さて、披雲閣。玄関の先に模型が見つかりました!
火灯窓のある南面。かなり精密にできた模型♪

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東面。この模型だとけっこうバランスよく、
くびれはあるものの、ドッシリした印象。

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さて、蘇鉄の間には、今後の玉藻公園の姿を
模型にしてありました。

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天守が再建された高松城の未来の姿。
古写真を元にしたであろう天守立面図もあって、
かなり天守再建を意識している感じ。

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せっかくなんで、披雲閣をもう少し。
城を横に置いて、建物好きとしても魅力的。

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やはり、撮ってしまう釘隠。

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月見櫓がきれいに見えるはず・・のポジションですが
一階ではちょっとよく見えない・・

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二階に上がりましたが、むー・・もうちょっと
高さがほしいところですねぇ。

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現在の披雲閣は、明治維新後老朽化を理由に取り壊された
旧披雲閣を高松松平家の当時の当主、松平賴寿伯爵が
1917年に完成。灯りにも葵がさりげなく
あしらわれてるのが、やっぱり松平家たるところ。

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たぶんこういう階段は、純粋なな和建築には
ないものでしょうが、上手く融けこんでいる気がします。

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んで、艮櫓。ヤバイね・・・回る順番、
完全に間違えましたね。どー考えても月見櫓が
素晴らしすぎて、艮櫓がかすむ・・・

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そもそも、ちょっと破風が大きすぎて、
また反りすぎなんだよね・・・ぶつぶつ(笑)

ま、入りましょう。一階はなかなか広々としています。

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しかし、構造が根本的に月見櫓と違います。
かえって艮櫓で月見櫓の天守っぽさが際立つという。

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艮櫓前の濠。市電が通ってる関係もあるのか、
すっごい浅いです(汗)

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二階。て、天井が低いなぁ・・・
かなり圧迫感があります。

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こうして撮ると圧迫感が伝わりますかね。
屋根裏部屋チックな感覚。

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そして、柱の細さ。

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ただ、天守台の眺めは最高。天守が再建されたら
絶好の天守観覧ポイントになりそう。

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大千鳥破風内の小部屋。余計に狭さが強調される!

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あ、埋門が見えます☆

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そして、最上階。やっぱり手狭な感じ・・・
同じ三層の櫓でも大違い。

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ただ梁桁が近くて、迫力がある・・とも言えて。

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櫓内展示の古写真。かなり傷んでるなぁ・・・
天守が取り壊される時も、こんな様子だったか。

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さて・・高松城で相当時間を使いました(笑)
いよいよ、高松を離れます。お土産は・・また今度ね。
こちらもすごく天守再建を意識しているな、と。

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高松城天守、古写真はいくつか発見されていて、
しかもかなり鮮明で史料は多いほうかもしれませんね。
それゆえ、天守再建の機運があるのかもしれません。

以前市長さんだったか、再建できればコンクリートでも…
みたいな発言があったと記憶しており、個人的には
後の世に残せないものを造ってしまわないか、案じます。

でも、時間は掛かるかもしれませんが、地道に史料を探し、
研究を重ねて往時の姿に近づいてほしい。
城郭建築を観る者は、その「本気」に惹かれるのだから。

その一方、天守が蘇ってほしい、キチンと誇れる姿で
蘇ってほしいとは強く想います。こんな天守が。

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多和神社の宮司だった松岡調の日記「年々日記」。
この中に以下のような記述があるそうです。

 高松の御城なる天守臺を此間よりこほちかかれりと聞けるか
 けに半まてくつしたるを見る
 何となうあハれにて思ハすも涙をのこへり…
 高松の天守臺を崩せるハいかなる故そ

他城でもそうだったと思いますが、象徴であった天守が
壊されることは、旧藩士にとって身を斬られるような
大きな悲しみであったでしょう。

何度も修理願いが出されても、許可が出ず、
朽ちるがままに朽ち、そして倒壊の危険性があるから、
と取り壊されていく天守・・・

このひとつのエピソードもまた「天守とは何か」を
現しているのよい事例だと思います。

天守やそれに準じる櫓こそ、多くの人がシンボルとして
シンパシーを感じるモノであって、その感じ方は
城好きではない普通の人の感じる城の捉え方。

実は、城が現役だった時代と共通するんじゃないのか・・
とも想像しています。

まぁ、どのような感想を持つのも自由なのですが、
歴史的な背景や根拠がしっかりとした天守は
なるべく復元できればいいなぁ、と思っています。

そして、これほどの重みがある天守を現代建築のように
さっさと建て替えればいいやというモノではなく、ね。

今しばらくは、こちらのサイトでその姿を
想像しておくこととしましょう。

じゃ、また来るね!高松城!
最後にもう一度、月見櫓を・・・やっぱいいなぁ。

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GWの西日本城攻め・・・現存櫓を追う!その4 高松城月見櫓。

さて、岡山から瀬戸内海を渡って・・・
久々の四国入りです☆

blogを遡ってみると、四国は2008年以来とのこと!
意外と行ってないんだ・・
ちょうど天守台の解体をやっていたんだっけ。

天守台も見事に復元されてますし、
なにより見たかった月見櫓に入れる貴重な機会!

普段、GWはあまりお出かけしないのですけど、
月見櫓に入りたい・・その一心で計画したのでした。
# んで、明石城や備中松山城もついでに・・(笑)

天守台修復完成を全面的にアピール☆
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この日は5月5日、ちょうど玉藻公園として
一般公開が始まった日らしくって、無料公開。

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個人的には、お金とってでも常に月見櫓を
公開して欲しい・・いや、事前予約制でもいいから
公開してほしいもんだよ・・・月見櫓だけで
1,000円とかでも払う自信ある。うん。

黒鉄門跡(玉藻公園西門)。石がデカイですよね!
焼失したような跡が見られますが、
ここも焼失したんでしょうか・・・

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黒鉄門の脇には、二基の櫓を備えていたようです。
北側に廉櫓、南側に弼(ゆみだめ)櫓。

んで・・出ました月見櫓!大きさも風格も
もはや天守と言ってもいいくらいではないでしょうか!?

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水手御門とのセット。藩主はここから参勤交代。
いわば、海の大手門とでも言うべき門。
海に向けて直接門を構えてるのって素敵よね・・・

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当時は、回り見渡す限り海が広がっているわけです。
壮観だっただろうなぁ・・・海や水辺の風景が
元々好きなので、想像をたくましくたくましく。

破風が多い月見櫓も、内側は控えめ。

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まずは、水手御門に連結している渡櫓から
潜入します。ここもけっこう貴重。

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入ると、ふぁっと香る古い木造建築のよい香り。
香りで表現するトコが・・・(笑)

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梁材の加工がいいねー!ダイナミックで見惚れちゃう。

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この渡櫓、生駒家時代には少し北側に寄ってたらしい。
そんなこともわかるんだなー!

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この渡櫓のもうひとつの特徴、波打った波形真壁。
これは、生駒家時代から引き継がれている特徴もあって。

通称「のたぐり壁」というこの壁はここの他、
彦根城佐和口多聞櫓にしかみられないそうですぜ。

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城郭以外によく使われているようで、
防火性が高いんだそうです。海に面したここに
その壁が何故用いられたのかは謎ですね・・・

渡櫓からの眺め。妄想をたくましくして、
見渡す海を・・・

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水手御門。門自体は小さな門。

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本来は海だった場所から・・・
右手が渡櫓、左手が月見櫓続櫓。
ちょうど門の左右に対称的に並んでます。

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月見櫓の石垣。直線的。
さすがにここに武者返しは要らないのかな。

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あらためて、月見櫓。やっぱり天守の風格。
続櫓が南面の唐破風にザックリ挟まってる(笑)

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逆側から。それでも唐破風をつけるところが
おもしろいですね。

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月見櫓を見上げてニヤニヤ。

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さて、再び上がって東面から。
東西両面の意匠は、全く同じですね。

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切妻破風の蕪懸魚。六葉部分に葵紋が!
この例はけっこう珍しいんじゃないかな?

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振り向いて渡櫓を見てみてもそうだ。
高松城の特徴だなっ!

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さて、渡櫓から天守・・じゃなかった、
月見櫓に入っていきます。いやー、ウレシイ!

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外見は対称的でしたが、内部構造には
のたぐり壁はないようですね、続櫓。

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頭上には見事な梁の交差。職人技が光りますな~

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天守の構造を月見櫓から探る・・という興味深い解説。

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気になるポイントとしては・・・

(1) 軒裏の塗籠方法が天守と月見櫓で同じ平塗

(2) 月見櫓の内壁が真壁造りでもより強固な
  二重木舞の壁下地で、彦根城天守と同様の形式

ということ。つまり、月見櫓が左官工事の観点で見て、
天守格の扱いを受けていて、高松城天守との共通性もあると。
非常に興味深いですね・・・

ただ、彦根城天守とは違い二重木舞の間隙には、
砂利や瓦は見つからなかったそう。重くなるわけですし、
江戸時代のいずれかの間に抜かれたのかも。

さて・・貴重な月見櫓の修理中の様子。
四天柱と呼ばれる月見櫓の心柱。
一階から三階までを突き抜ける大事な柱。

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そして、現役の四天柱。とてもただの櫓とは
思えない極太の立派な柱に大感動。
二階への階段の左右の柱が北側の二柱。

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ただ、ひとつの樹からさすがに切り出せず、
二階部分で接木をしてありました。
姫路城大天守と同じ「金輪継」という継ぎ方。

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そして、最上階までずどーん!

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んで、もうひとつ驚きだったのが、
天井の高さ!4m~5m弱はあるでしょうか、
ものすごい空間の広がりを感じるんですよね。

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三浦先生に天守がなぜ階数を増やさずに
五層が主流になっていったか、という点について、
一階一階の高さを高く取ることで空間の広がりを出し、
圧倒感を出す・・ということをお聴きしたことを想起。

ここで感じたのもまさにその感覚でした。
ちょっとここでもただの櫓ではない、という印象。

一階の階段から・・・この見え方一つとっても、
かなり天井までの高さがあることが
見て取れるのではないでしょうか。

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また、構造的にそうなってしまったのか、
意図があってのことかはわかりませんけれど、
武者走りを周りに配したような点も、
どことなく天守の風格を感じる点でしたね。

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さて、二階に上がりましょう。
(さっきもう二階紹介しちゃったけど)

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ここでぐっと逓減しますね。
外観以上に床面積が狭くなった印象です。

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高松駅方向、海が広がる想像中。

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葵紋がずらりと並びますが、いくつか
ひっくり返ってるものも・・いいのかな?(笑)

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唐破風の優しいラインもいいねぇ。

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北側の埋め立て部分は、フェリー乗り場になってます。
まぁ、しょうがないよねぇ。

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この床!なんとなく周りが武者走りっぽいよね!
武者走りの割には、狭いけどね(笑)

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ようやく三階。

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やはり、ここでも見上げて梁を楽しみます。

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この辺は後世の補強でしょうかねぇ。
たぶん当時なら、こんな補強の仕方はしない・・・

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鯱。先代の鯱でしょうかねぇ。

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三階から渡櫓方面の眺め。屋根瓦が重なるさまは、
やっぱり惹かれるなぁ。美しい。

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しかし、唯一残念だったのは、落書き。
漆喰に書かれた落書きなら、漆喰を塗りなおせば、
まだ隠すことはできるだろうけど・・・

心柱に書かれてしまった柱はどうしようもないか。
年代的には、昭和二十年から四十年代くらいまでが多い。
もう五、六十年前になるわけだが、馬鹿の痕跡は消えず。

・・・月見櫓に時間かけすぎちゃった(苦笑)
天守台と艮櫓にも行かないとーっ!

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GWの西日本城攻め・・・現存櫓を追う!その3 岡山城西の丸西手櫓

さて、岡山。なんとか、ニッカバーNANに行こうと
思っていたのですが、明かりがついてない・・がくっ。

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この日は日も暮れて遅い時間に岡山入りしまして、
コンフォートホテル岡山に宿泊。
ここから見える石垣があるんですよね♪

翌朝。エレベータ前からは、西の丸石垣の一部が。

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ロビー奥からもしっかり見えます!
けっこう円い石が多いね。

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こんな間近なんですよね!石垣好きには
そわそわしちゃいますよね(笑)

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ホテルの奥に回るとさらに石垣が!
ガラス越しじゃなく見ることができますぜ。

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たまたま出くわしたホテルの従業員の方に
昔は石垣の中に蛇を飼ってたらしいよ?とかって話。
ホンマかいな(笑)

このあたり、近世城郭の切込接が存分に活かされた
算木積になってますねー!

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うむ・・のっけからけっこうな穴場ポイントを
見つけてしまった・・

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城人オフの際には、ここから石垣見に行きましたよね!

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そして、アレ!あの櫓を間近で見に行くのです!

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いまや、ビルが間近に迫って見えませんが、
往時の外からの姿はこんな様子。

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いよいよ(内側からですが)見に参ります。
旧内山下小学校内になっていますが、
2001年に内山下小学校が閉校となったこともあってか、
見学は一応いいみたいです・・・入りにくいけど。

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池田光政公御居間址。1672年に池田綱政に家督を譲り、
一応は隠居しているので、その頃に居たのでしょうな。

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しかし、隠居すると西の丸へ・・というのは、
秀忠と同じで、こういうところも右へ倣えだったのかね?

そして・・・間近で見る西手櫓。
いわゆる重箱櫓ですね。

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反対側から。

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隣のビルから間近いで見たいもんだよ・・・

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池田光政が隠居しているときに、日常生活にも
耐えるような改変が成されていたそうで、
中はちょっと風流なつくりになっているそうで。
入ってみたい!特別公開ないかな?

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国宝・・というのは、旧国宝ですね。
現在で言うところの、重要文化財。

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鯱は立派なんだけど、鬼瓦は・・敢えて紋を
消したものに差し替えてるんだろうか。

P1280786

この櫓の特徴はなんと言っても、出格子窓。
実戦的でもありながら、優美な櫓の装飾にもなってます。

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さ、一応天守も見ていきますかね・・・
榊原病院の近くにも石垣。見落としてたなぁ。

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けっこう見ごたえのある石垣。
ここもちゃんと模型とあわせてみたいのだけど、
模型は本丸だけだからなぁ・・・うむむ。

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その先の駐車場から見える部分は、
石垣はあまりなく・・崩されたんでしょうかね?

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さて、天守。今回は脇役で復元モノ(それもレベルが・・)
ですが、やっぱり意匠しては、目の当たりにできる
天守の中で最も魅力的なんですよね。かっこええ・・・

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でも、いつかはこの天守も解体するか、
補強するか・・・という話になるんだろうなぁ。

P1280821

岡山城天守も資料が豊富なほうなんだから、
木造再建とかしてくれないかなぁ・・・
もしその話があったら、相当な気合でサポートするよ。

現存の月見櫓。こちらにも内部に入れるチャンスが
あるかもしれないらしくって・・・行きたい行きたい!

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さてと、慌しく瀬戸内海を渡り、高松へ・・・
個人的な目玉の一つである、高松城月見櫓の見学へ☆

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GWの西日本城攻め・・・現存櫓を追う!その2 備中松山城二重櫓

さて、次の現存櫓潜入・・・は、備中松山城。
昨年城人オフで行きましたが、今回の主役は二重櫓。

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なかなかこちらの櫓に入れる機会はないので、
ぜひ行きたかったのです。

途中、ちょっとショートカットして姫路まで新幹線。
とりあえず、姫路城の模型は撮っとくよね(笑)

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備中高梁駅前のコンビニにはねこ。さすがに店の中には
入ってきはしないけど・・・皆様トリミングに夢中。

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ヒマだったら、ねこの相手でもして楽しむところだが、
生憎の過密スケジュールのため、さっさと城へ。

かつては、備中高梁駅から歩いて城に行ったことも
あるんですけど、今日はタクシー。

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タクシーにも備中松山城天守が映っていて、
思わず撮っちゃいましたよ。

ざっと通り雨が降ったようだが、駅ついたら上がり、
その後も少し雨が降りそうな感じもあって心配でしたが、
なんとか保ちました。ふー。

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この日はやはりGWでもあって、人が多め。
石垣の上には、甲冑武者もおりまして。

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そういやほぼ1年前に、城人オフデビューしたんだな、
これがきっかけで城知識にドライブが掛かったんだよね、
などと振り返りながら、登城します。

天守前。こんな人が多い備中松山城は初です!

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山田方谷の紙芝居。松山藩の改革を推進し、
彼を師と仰ぐ人も多いといい、知名度は低いものの、
大河ドラマに推す声もあるとか。

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天守・・・あなたは今日は主役じゃないの。
ごめんね(笑)

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今日の主役!二重櫓さんです、どうぞ!
水谷勝宗の時代(1681-83年)に建てられたそう。

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重層櫓は、天守を除けばこの櫓のみであり、
貴重な存在だったようです。

一階に出入り口が二ヵ所あり、天守裏と後曲輪を
連結する役割を果たしていました。
あの辺りが、後ろ曲輪。城人オフの際には、
行かなかったので、後で行ってみましょう。

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内部は瓦や古写真、修理で取り替えられた
材の展示。いいねいいねー!

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大きな柱をくんくん・・・気のせいか、
甘いチョコっぽいような香りも?(戯言)

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一見、こちらのほうが古い材に見えるけど・・・

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実は、キレイに見えるこちらが江戸時代の材で、
マツとクリの木。

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さきほどの材はモミの木で、昭和の修理の際に
使われた材。適不適がこういうところに
出るんだなぁ・・と納得。

で、現役の梁に注目。このクイッとしている
加工はどういう意味があるんでしょう?

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古写真群。こちらは天守・・・見るも無残。

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一部の材は剥がされて、持ち出されていたのかも。
一層部分の竪板張りの板はゴソッとないよね。

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一方の二重櫓。こちらは比較的形状を保っている
という気はします。くたびれてはいますが…

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記念写真。どういう意図のものかわかりませんが、
これも昭和の修理前の写真でしょう。

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こちらは修理後・・でしょうか、ピッカピカの
二重櫓です。初々しいね!

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そして、気になった鬼瓦。どこの鬼瓦??
かなり大きく、かといって天守にあったものでもなさそう。
麓の御殿にあったものでしょうかね?

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この二重櫓公開、ありがたいのは二階にも行けること!
ひゃー、うれしやうれしや!

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二階に上がったー!

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階段が急なのは、城ならではのお約束。

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入母屋を支える梁の曲がり方がすごいよね!
でも、上手くバランスとってる・・・さすが。

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反対側はお城によくある他城の紹介。

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一階部分の梁は、かなりキレイに加工されていて
修理の際に取り替えられたような印象だけど、
この梁は当時のままだろうなぁ。

「奉上棟」と記された板には、昭和参拾参年七月八日、
と記されています。昭和の修理ですね。

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時を経てきた木材がもちうる重厚感。
たまりませんなあ・・ずっとここにいたい。

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二層部分から後曲輪。これもなかなか
見れない貴重なショットかも。

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そして、天守。なかなかこの角度で
天守を見ることないっすよね!二重櫓の屋根も
含めたこの絡み具合がいい感じと自画自賛(苦笑)

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天守だけを。けっこう天守の後姿好きなんで、
二重櫓の高さから撮れるのがウレシイ。

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普段ならこんな感じで少し角度が付くんだよね。

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そして、窓から覗き見る感じで(しつこい)

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うーん、二重櫓思いのほか、楽しかったなぁ。
ただ、外観修理もしたほうがいいと思うんよね・・・
あの落書きとか・・・許すまじ。

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けっこう漆喰の傷みも目立つしね。

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天守に入って、天守から二重櫓。

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天守の柱、二重櫓をみてきた後だと、
大きさに比して柱が結構細いよね・・・と思ったりも。

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備中松山城天守は、囲炉裏があるのが特徴。
籠城するにしては、少し小さい気がするんだよね・・・

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まさかの八重さんと襄さん。備中松山に
お越しになったことがあるようです。ほほぅ。

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もちろん上に上がりますよ!

P1280683

階段の途中から、梁を間近で撮るのは好き(笑)

P1280684

天守二層。天守で二層というのも珍しいし、
神棚があるのも珍しいよね。

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天照大神のほか、水谷氏の守護神羽黒大権現を
祀っているのだそう。

P1280686

さ、天守に別れを告げて、後曲輪のほうに・・・

P1280696

天守は渋墨で塗られているけど、二重櫓など
他の櫓には塗られてなかったのかな。

本丸東御門から搦手に至るへ・・・
このあたりは岩盤に沿って石垣が組まれたんだろうね。

P1280721

後曲輪への道。もちろん、あんまし来る人いない。

P1280700

搦手門曲輪。今は先に道が途絶えており、
ここからの出入りは難しそう。

P1280701

その前には、本丸の裏門である腕木御門。

P1280703

水ノ手門脇曲輪。ここには十の平櫓跡。

P1280704

水ノ手門跡。この先に大松山城跡に行けますが…
今回はパスします。

P1280705

この石垣の違和感ありありなこと・・・
メッチャバランス悪そう。

P1280706

十の平櫓跡前から二重櫓。
けっこういい眺めですね、凛とした姿。

P1280707

水ノ手門脇曲輪から後曲輪に上がります。
この辺も固い岩盤の上なんだろうなぁ。

P1280710

後曲輪からの二重櫓。よくこの狭いところに
建ててるよなぁ・・・後ろにちょこっと天守も(笑)

P1280712

九の平櫓跡。

P1280713

後曲輪は、ちょっと整備されちゃいすぎな印象。
ここまではしなくていいのになぁ。

P1280714

九の平櫓跡から、しばし二重櫓と天守を・・・
ここでお弁当とか食べたかったなぁ。

P1280715

さて、撤収・・・歩いたことのない舗装された
ほうの道から下山したんですが、石垣っぽい遺構が
あってびっくり。行ってみるもんですなぁ。

P1280723

かなり古風な石垣で、中世山城にあるような石垣。
ひょっとしたら、中世遺構なのかもね。

P1280726

あとはずっとずっと歩いて駅まで・・・
高梁運動公園前の交差点。この石垣はけっこう
いい雰囲気だしているんだけど・・・どうだろ。

P1280732

中州公園のほうに抜けていきます。
この先には、麓の御殿があった県立高梁高校。

P1280734

この辺の石垣はどうだろうなぁ・・・
明治以後か往時のものか、けっこう判別が難しい。

P1280735

このあたりも、橋下は明治の谷積だけど、
道の脇にある石垣は、当時のもののようにも見える。

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あの石垣は、マヂでホンモノでしょ!

P1280738

んで、高校前。小高下谷川は当時の御屋敷の濠。

P1280740

少しばかり、当時の石垣っぽい部分を見つけると、
オッと思ってしまいます。あのへんとかあのへんとかね。

P1280741

P1280742

さて、途中で南に下り、御前神社。
おんざきと読むそう。難しい!

P1280746

順正寮跡。和洋折衷の建築がここにも。
明治にはキリスト教がかなり入っていたみたいですね。
新島襄が出てくるのも、その流れ。

P1280749

龍徳院の石垣。何気なくある石垣にも
いいものがけっこう多い・・・

P1280751

高梁基督教会堂。プロテスタント教会としては、
同志社のチャペルに続いて二番目に古い教会建築だとか。

P1280753

こう・・・西洋風に見せかけているんだけど、
建築技術的には、日本の技術が詰まっている・・っての、
これはこれでいいですよね~

わ、あの土蔵のデザイン、オシャレだなぁ。

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何故に電源のマークなんでしょう(笑)

P1280755

・・・とかなんとか、言ってると駅に到着。

歩いて城に向かったり、帰ってきたりするの、
歩くのが好きだからというのもあるんですけれども
思いもかけない何かを見つけることもある、
ということが楽しいからでもあるんですよね。

さて、この後は岡山まで。岡山城西の丸西手櫓を
見に行きますぜ。またもや天守は脇役(笑)
岡山城天守、超好きなんだけどね!

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GWの西日本城攻め・・・現存櫓を追う!その1 明石城坤櫓

さて、上田真田まつりから息をつくまもなく、
GW後半(そっかまだGWの話してるんだ)に西へ。

前回は、巽櫓に入ったのですが、
もう一方の坤櫓にも入っておきたくてですね。
P1280456

赤い格子が目印の櫓。総白漆喰の中でも
あの赤がちょっと目立っていて、好きな櫓のひとつ。

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ツツジが満開。そういや、この頃twitterで
花の蜜吸ったことある?→いや、ない。→ええええ!
とフォロワーさんに言われてましたね(笑)

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着いたのが早かったので、ぶらぶら刻印観察。
明石城も天下普請なので、かなりの刻印天国(笑)
丸に十字があると、すぐ島津と思っちゃうんだけど、
コレは違うかな~

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枡。ハイボールあり枡、的な(笑)

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明石城のお茶の水。ちょっと今は汲めないかな。

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なんかJIS規格の古いロゴみたいだな。

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さて、10時ちょうどに櫓入り。
唐破風×千鳥破風が重なる珍しい二層目。

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明石城坤櫓内。全国の城郭にある伏見城からの移築。
かつ、移築時から焼失することなく、
創建当初の威容を誇る実に貴重な櫓なんですな。

P1280491

おもしろいのは、焼けた巽櫓石垣からは焼けた跡が
発掘された一方、坤櫓跡からは検出されず。
こうした調査からも歴史が確認できる・・という
いい例ですよね。ふむふむ。

この太い梁も伏見城時代からのものでしょうか。
櫓はこうしていつも上を観てるので、
頸が痛くなります(笑)

けっこう曲がった梁もあって、こうした材を
こういう材を使いこなしてこその大工、
という小田原城で宮大工棟梁さんのお話を
思い出しながら、眺めておりました。

阪神大震災で石垣が崩れて修理する際に
出土した品々の展示もありました。
れっきとした徳川葵。幕府関連の施設でも
あったんでしょうかね?

P1280475

他にも資料が放置・・・されているんですが、
ちゃんと整理しようよ?(苦笑)

P1280478

山の文字の軒丸瓦。なんとなく山本勘助を
思い出しますなぁ(無関係)

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瓦けっこう種類があるんですが、
如何せん解説が少ないんですよね・・・

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取り替えられた古材も捨てずにちゃんと
取ってありますよ。

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けっこう傷んでますね・・・

P1280511

現存するのは、坤櫓と巽櫓だけであって、
乾櫓や艮櫓は取り壊されています。

そして、小学校の校舎の建築材として
払い下げられたそうですが、材の一部は保管され、
坤櫓と巽櫓の修繕に使われているんだそうです。

乾櫓は高砂城から、艮櫓は三木城から、
坤櫓は伏見城から、巽櫓は船上城から・・
それぞれ材料を調達しているそうで、本丸三階櫓が
みな出自が違うというのもおもしろい。

そして、巽櫓は本丸御殿とともに一度焼失して、
坤櫓だけがオリジナルを保っているという・・・

ってことは、今の坤櫓や巽櫓は
ミックスされてるってことなんですよね~

熊本城の宇土櫓なんかもそうですが、
後世の補強が入るのは、ある種仕方がないのかな。

P1280482

二階に上がりたくて仕方がないんですが・・・
お金払ってもいいから上がらせてほしいっ!

P1280483

んが、明石城築城400年を迎える4年後には、
階上にも上がれるようにしたいとの
ボランティアの方のお話を聴いてワクワク☆

坤櫓から巽櫓方面。いい眺めです☆

P1280485

坤櫓内の模型も非常に興味深いです。
本丸の櫓の入母屋屋根の方向が互い違いに。
こういうところに美意識があるんだろうなぁ・・・と。

P1280494

東の丸の不思議な門跡は、やっぱり枡形では
なかったんだな・・・

P1280495

中濠に掛かる二の丸の門の比較。
東西不明門は高麗門と渡櫓門が並行なのに対し、
太鼓門はオーソドックスな右折れの枡形。

P1280499

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姫路城鵰門(くまたかもん)や江戸城市ヶ谷見附
くらいかと思ってましたが、けっこう並行に
門が並ぶタイプもあるんですねぇ。

明石城全景。やはり西を警戒して大坂城を
守るための城…ということで、西側の防備のほうが
堅い気がしました。

P1280505

西側から見たほうが櫓の数が多そうですし…

P1280517

南からの眺めもいいですけどね!

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さて、ちゃんと観てなかった東西不明門を
見に行きますかね。

明石城といえばねこの多さ。
会わない時はないくらいですねぇ。

P1280530

そして、お濠の亀さんね。

P1280533

東不明門跡は、駐車場になっておりました。

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確かに枡形の空間は、駐車場に適しているかも・・・
手前が高麗門跡、そしてその枡形の対角線上に
櫓門跡の入り口が備わっています。

P1280539

けっこう石垣の石が豪壮でかなり好みな
打込接で思いがけず見惚れましたよ・・・イイ!

P1280543

あ、あれは木材を噛ませた跡でしょうかね?
こういうの見つけるのも楽しい。

P1280544

んで、織田家長屋門を横目に観ながら、
東不明門跡に向かいます。ここの織田家は、
信長の叔父にあたる織田信康を祖とするそうな。

P1280550

途中に見える明石城の土塁。西日本の近世城郭に
土塁があるとほぉ・・と思わせられます。
どうしても総石垣の印象があるもんでね!

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オーソドックスな桝形門跡の太鼓門跡。

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亀さんが仲良く並んでひなたぼっこ(笑)

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てくてく歩いて東不明門跡。石垣がちょっと
低いような気がするが・・・

P1280558

ここも高麗門と渡櫓門が平行に
位置しているのがわかりますよね。

P1280559

んね。

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逆側から。

P1280567

門の石垣は大きめな石が配されることが
多いんだろうかね。やっぱり。どーんとしてるよね。

P1280562

さて、ひとしきり堪能した後は、
魚の棚でたまご焼き(明石焼き)をはふはふ。
こういう優しい味に癒されます。

P1280568

んじゃね!明石城!
次は、備中松山城の二重櫓特別公開へ!

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平等院鳳凰堂の議論に観る「日本の美意識とは何か」

また、ちょっと長めの思い話題だけど、
これもすごく気になるので、考えを整理しておきたく。

たぶん、発端はコレでした。
冷泉彰彦氏「平等院鳳凰堂を「金ピカ」にしてもいいのか?

このコラム全体的に反論したい、と
歴史ナビ(@rekinavi)さんがtwitter
でおっしゃっていたのを見たのが最初でしたね。

これが7月末になって、また記事が出て来ていて、
議論になっている・・・ということで。

「真っ赤で金ピカ」か「古色・わびさび」か、
平等院鳳凰堂「平成の大改修」めぐり研究界“侃々諤々”

特に気を引いたのが、両記事とも
侘び寂びが云々とあって、正直吹き出しそうに。
マジですか・・・本気?

■冷泉氏に対する反論

ツッコミどころが多すぎるんですが、
ひとつひとつ整理しましょう。

①創建時の原色の塗装にする理由の推察について

傷みやくすんだ色彩を再現しつつ修復するコストの問題は
実際は正しいかどうかはさておき
(正しいとわたしも思います)、
理由の推察としては、成り立つと思います。

が、

> 「創建時の再現」がアリだということになれば、
> 遺構しか残っていない建物の「再建」もアリ

というのが意味不明です。遺構しかない建物の再建=
客寄せハコモノ、とするには大きな論理の飛躍が
あるように思いますが、それ以上に肝心の創建時の
再現の是非については、言及していませんね。

もし、Aが望ましいなら、Bも望ましい。
しかし、Bは望ましくない。
従って、Aも望ましくないという論理です。

A:既存の建物の創建時の再現
B:遺構しか残ってない建物の再建

百歩譲って、Bが望ましくないと仮定しても、
A→Bの論理関係が不明であり、Aが望ましくない
理由の説明になっていません。

観光ビジネスのマーケット変化にも言及してますが、
わたしの立場としては、そもそも観光客のターゲットに
再建や修復の考え方がブレてはいけないと考えます。
今回の修復もそのような意図があったのか?
どう読んでも、筆者の邪推にしか捉えられません。

平等院鳳凰堂が本来どういう位置づけの建物であったかを
明確にした上で、歴史的・文化的な観点から
何が適切かを考えるべきではないでしょうか。

「反知性主義」的な風潮、に至っては完全に
自分が知性のあるほうに立っている前提ですが・・・
果たしてそうでしょうかね?非常に疑問です。

②冷泉氏の違和感の理由とする内容

日本文化の重要な要素である「わび、さび」
という価値観に対する否定、とありますが・・・・

平等院鳳凰堂が「侘び寂び」にそぐわない
色彩にすることがこの価値観の否定になるんでしょうか?

筆者も書いている通り、重要な「要素」ではあっても
日本文化のすべてが「侘び寂び」ではありえず、
また平等院に対して、茶道などの世界で醸成されてきた
室町~江戸時代の価値観で捉えることが果たして
適切な捉え方でしょうか?

> 藤原摂関家の栄華を極めた道長の別邸として
> 建設されたという「権力とカネ」の象徴であった建物が、
> 千年という年月を経て「くすみ」や「崩れ」を
> 獲得することで、金ピカの貴族趣味が
> 浄化されていったのは事実

このあたりは、金ピカ=貴族趣味としてしか
捉えられていないこと、くすみや崩れがすばらしい
という個人的な趣味を超える以上のコメントではないですね。

建物をどの時期の状態に戻すのか?という議論は
必要であり、今回であれば何故創建時なのか、
ということはキチンと議論をすべきです。

が、本来の仏教的価値観でいえば、中国から
仏教が伝来したという経緯も含め、極彩色こそが
オリジナルの仏教的な色彩であるといえ、
仮に創建時に復元するとすれば、極彩色にするのが正しい。
個人の趣味を持ち出すべきではありません。

歴史の重みが消えるといわれていますが、
一方で仏教的な正しさからは掛け離れていったとも言え、
一方的に侘び寂び的価値観が正で、極彩色がNG
ということにはならないと思います。

更に伊勢神宮や厳島神社は信仰の対象だから、
鮮やかな色でもよいという一方で、

> 鳳凰堂という建物に関しては、どちらかと言えば
> 宗教施設であるというよりは文化財であり、
> 文化ということで言えば、長い年月が加わったこと
> による経年変化も含めた「わび」「さび」が
> 乗っているのではないか

というのも、理解できません。まず神社と仏教施設を
同一で捉えている点、それから平等院は文化財で
宗教施設ではないという捉え方。
本尊の阿弥陀如来像は一体なんなのでしょうか。

まったく論理がぐちゃぐちゃで、個人の想いだけが
散らばっている印象ですね。

■平等院鳳凰堂の色彩復元についてすべき議論

さて、冷泉氏の記事から離れて・・どうすべきか。

非常に問題である点は、時代を経た色あせた色彩のみが
日本の文化・美意識の現れであるという論調が
他にも少なからずあること。
日本の美意識はそんな単純なものですか?

本気で侘び寂びを持ち出してきているんだとすると
あまりに見方が一面的過ぎますよね。

そうではなく、平等院鳳凰堂をどの年代の姿を
想定して復元するか、歴史的・文化的・宗教的意義を
明確にしてしっかり議論する必要があると思います。

個人的には創建時となれば、顔料の選定なども困難
がありそうで、本当に正しい復元になりうるのか。
心配はそこですが、クリアされれば全く問題ないと考えます。

むしろ、日本の仏教寺院=すべてモノトーンという
認識を改めるきっかけにあればいいですし、
趣のある落ち着いた現代の寺院観と、はるか昔に
仏教が国教に近い存在として機能していた時代の寺院観が
並存できるといいなぁと想います。

そして、気になったのがアジアに対する蔑視。
派手なもの=アジア的=安っぽいという価値観ですね。
これもチラホラ観られ、非常に驚きました。

極彩色には、仏教の歴史や経緯がキチンとあり、
日本もその文化をキチンと引き継ぐべきところは引継ぎ、
独自の価値観を見出すところも発展させてきたはず。

そういう日本の文化受容の寛容さと独自性を生み出す力、
そしてそれらは並存することを可能にしているところこそ、
日本が誇れる素晴らしい文化だと思っています。

日本の文化の素晴らしさや美意識は、他国の文化を
蔑んだり、貶めることで表現すべきものではありません。
これは、何にも代えて許しがたい。

アジアの他の国々に大変な失礼であるばかりでなく、
日本が、あるいは日本の文化がそのように偏狭で
独尊的なものの見方をするものと誤ったメッセージを
発することになってしまいます。

上がっている違和感は、江戸時代程度を想定した姿と
比較しての違和感であり、そのような感覚論で
決めるのではなく、研究成果を真摯に反映しながら、
合意形成をしていくのがいいと思います。

早急に決めてしまわず、議論が侃々諤々となるのなら、
結論を出すことを延期するのも視野に入れながら
進めては如何でしょうかね。

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blogを書く意義と影響力との関係。#ブロガーサミット に寄せて

なんでblogを書くのだろうか・・と
いう問いについて、自分としては折を見て
振り返っている話題ではあるのですが・・・

ブロガーサミットが近いということもあって、
twitterのタイムラインでちょくちょく
AMNの徳力社長が振ったネタに対する反応が
ちょいちょい流れてくるので、それに対する
感想を絡めて、改めて思考を整理してみましたよ。

ここ最近、twitterで流れてきた記事の多くが
「影響力を得たい」ということを前提に
書かれてあることが、思いの他多くてビックリ
・・・というのが、この記事を起こすコトの発端。

■blogを通じた影響力の捉え方

McClellandの欲求理論、なんて大仰なものを出すまでもなく、
他人に影響を与えることというのは、ある行動に対する
自分自身へのご褒美になりえることのひとつです。

なんですが、外的要因であるお金などに比べて、
個人差が結構ある(はず)と思うのですが、
どうもこのあたりの差が流れてくる記事に対する
ひっかかりの要因なのかもしれません。

そもそもいわゆる「blog界隈」ということばで、
指すぼんやりとした世界には、影響力ということそのものに
関心が高い人が多いんだろうなぁ、と改めて感じます。

話の流れの前提条件として、影響力アップが
捉えられているという印象ですね。

■自分のため VS 読者のため

んで早い話、blogへのモチベーションとして
わたしの場合は、影響力をあまり求めていないわけです。

折を見て記事にはしていることではありますが・・

書きたい衝動を書き付け、自分の思考と関心の流れを整理し
複数の関心事を立体的に組み立てて、自分って何?
(プライベートの領域で)を意識して生きていきたい。

・・ということがblogを始めた、あるいはそれ以前から
変わらぬわたしのインターネットに文章を残す上での
関心事であり続けています。

影響力に関しては、記事を誰かとシェアすることで、
たまたま関心をもってくださった方に、何らかのいい影響が
あればいいなという程度の感覚でしかないんですね。

確かに何かに取り上げられる・・ことによって
一気にPVが上がったりということは何度か
経験したことはあるんですけど、極論すれば
「まぁ、増えたね」という印象しかもてなくてですね。

こんな感覚ですから、必然的に記事は「自分のため」に
書くことが大前提になります。

影響力のプレゼンスを上げる「マーケティング的」視点、
ネタを書く上でのマーケットイン的な発想に乏しく、
どちらかというと造りたいモンを造る職人に近い、
かなりプロダクトアウト的なプロセスで、
自分のblogを書いていると思いますね。うん。

■blog=書きたいことを気兼ねなく吐き出す場

かといって、影響力を1st priorityにもってこれなくても、
少しは意識したほうがいいんじゃない?という捉え方も
あるかもしれません。しれませんが・・・

blogを書く動機を他人への影響力に求めれば求めるほど、
「自分が書きたいこと」とのバランスを
取るのが難しくなっていくように思うんですよね。

ま、これは至極当然のことで、本業と同様、
「やりたいこと」「できること」「求められること」は
本質的に別々のこと。これらが勝手に大きく
交わることは、基本的には少ないと考えています。

だからこそ「どう交わらせるか?」という、
ある種のマーケティング活動というか、
マーケットインとプロダクトアウトを寄り添わせる思考が
シゴトのキャリアを考えるに当たって、
大切でかつ骨の折れるところなんですけれども。

ただ極私的な都合で、「寄り添わせる努力」をしなくたって
いいところに敢えて向かっていき、自分がどうなりたいか、
なっているか、なろうとしているか・・・を
考えることの阻害にさせたくないわけです。

ということで、わたし自身の目的に適うように
blogを続けていく以上、

「書きたいことを気兼ねなく吐き出す場」

として、機能してもらわねばならない、と。

■どこでプレゼンスを出していくか?

んで、このタイトル。なんだ、結局影響力って
気にしてるんやんと思われるかも…ですが
そりゃもちろんゼロではありません。

まず自分の記録ツールとして、しっかりと
誰に阿るでもなく記録を残すということを一番に
置いた上で、その範囲内で・・となると・・

同じ関心を持つ方々に対して、自分の引き出しから
自分のネタをおすそ分けをしたり、自分が持っている
ある関心事でつながっている方が、実は別のほうにも
誘えるんじゃないか、と振ってみたりだとか。

例えば、お城が好きな方の中に、ウイスキーにも
興味あるんだよな?という具合。

関心そのものだけではなくって、自分がもつ関心の幅と
関心同士のツナガリをシェアするチャンスを
見つけていくというのが、おもしろいなぁと思うのです。

すごーく地味かもしれないけど、でもそれだけでも、
十分な(そして珍しい)影響力の出し方だと
自分なりには思っているんですけどね。

・・・ってここまで書いてみると、やっぱり
ネタストックとしてのblogだけで影響力を上げていきたい!
というのは、ネタありきな人間にとっては、
やっぱりムリがある気がしてきます。
blogが担当する領域じゃないよな?という。

blogは「コンテンツづくり」のツールであって、
blogというツールに営業やコンテンツ流通をさせるのは、
分業未分化だったblogだけだった時代かなぁ、と。

「個人が情報を発信する」ことには違いないんですが、
ただの個人がただ発信できる!という「発信できること」に
価値がある段階ではもうないですよね・・・・

「発信するためのネタづくり」と「どう響く人に届けるか」
「響く人はどこにいるのか」を探すことが
ハッキリと分かれていて、それぞれ適したツールを
使っていく段階にある、ということ。

そして後者に関しては、SNSやリアルの交流での
積み重ねがないと、議論にならないかも。

例によって、書きたいことを書きたいように
書いているので、だらだら長くなりますが、
こういうのも含めて書けるのが、blogのいいとこ。

参考過去記事(順不同):
10周年。
流行るから書くのかい?書きたいから書くんだよ。
The 9th anniversary。
8周年にあたって・・の振り返りと抱負。
blogで何を書くのか・・・

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真田の郷を歩ききる!・・・その6:上田真田まつり②

かなり周回遅れ感が目立ってきた今日この頃…
いや、既に3ヶ月空いてる時点で、
周回遅れも何も、という感じはしますが(汗)
ということで、武者行列と決戦劇でありまする。

P1280156

上田ではヒーローまで幸村さんチック(笑)
ウエイダーというそうです。

P1280157

眞田神社のお神輿、わっしょい!わっしょい!
おっちゃんがんばってるなぁ!

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群集に手を振る幸隆さん。やってみるとわかるけど、
これすっごく気持ちいいんですよね~

P1280161

なかなか行列ではいいポジションを確保できず、
せっかくの十勇士勢ぞろいも遠いよ(泣)

P1280166

昌幸さん。いいなー、あの甲冑かなりカッコイイよね。
登梯子のエピソードが好きというのもありますが(笑)

P1280168

んで、幸村さん。キリッとされてるなぁ。

P1280171

なぜか、織田のぶニャがと伊達まシャムねも応援に。
真田はないんだー。

P1280179

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幸村・・の名前ををねこっぽくするのは
難しいかな。むむむ。

さて、決戦劇に備え場所取りをいたします。

P1280186

やっぱりお辞儀する幸村さんなのでした。

P1280193

この幸村さんが写りいいかな?

P1280195

さて、いよいよ始まります・・・真田三代スタンバイ。

P1280201

というときに、カメラの向こうで小助さんは
妙に脚を開いてベーってやってます(笑)

P1280197

キリッとしたかと思えば・・・

P1280199

ニヤッとしてどうしたんでしょう・・(笑)

P1280205

幸村さんが気になるようです・・・

P1280216

あ、やべ、隠し撮りバレた(笑)

P1280214

ドシッと構える幸村さんに対し・・・

P1280208

すでにぐったりしている昌幸さん大丈夫ですか(汗)

P1280209

そんなうちに勇壮な真田陣太鼓の音色とともに、
第一次上田合戦(神川合戦)をモチーフにした
決戦劇が始まってまいります。

P1280221

十勇士の登場からスタート。

P1280225

小助さんはちょっと緊張気味。

P1280227

あら・・あれに見えるは余裕綽々の徳川軍。

P1280236

P1280239

あんな小勢で我らを迎え撃つのかと小馬鹿にして
ゲラゲラ笑い始めます。

さて、そんな徳川軍を小助どのの舞でおもてなし!
徳川の皆々さまー!

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遠路はるばるご苦労さまでございます!

P1280243

信州上田の土産話となりますよう、
それがしが舞をご披露いたしまする!

P1280246

穴山小助おもてなし奥義・・・
「徳川あいうえお作文」(爆笑)いってみよー!
三代目小助どのならではですねー♪

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「徳川」の「く」・・・「糞にまみれた三方が原!」
に吹きました(笑)反則だこれ、おもろ過ぎ!
あーはっはっはっは!!

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・・・っと小助どのの挑発が効いたところで
十勇士の皆さまが出陣。
三好伊三入道が・・か、かわいい・・・

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テレレレッテレー!で笑いを誘った由利鎌之介。
活躍はさておき、由利基幸という実在の人物が
真田家家臣にいたそうですね。

P1280259

クライド・ストライフ・・・じゃなかった
禰津甚八。どーみてもバスターソードに見える
大剣にマテリアを嵌める穴があるんじゃないかとか、
超究武神覇斬繰り出すんじゃないかと・・(笑)

P1280260

そして、穴山小助。一応設定としては、
梅雪の甥という設定です。
表情がちょいワルたまきさんです(笑)

P1280261

海野六郎。海野家といえば真田家にとって
嫡流筋に当たるんですが、ね。

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その先はちょっと遠くて写真撮れませんでした・・
爆弾野郎・望月六郎、鉄砲の名手・筧十蔵、
豪傑・三好清海入道、甲賀者・猿飛佐助。

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禰津甚八がクラウドなら、三好清海入道は
さしずめバレット・ウォーレスってとこかな(笑)

禰津さんが徳川軍に向かっていき、
バス・・じゃなかった大剣を振りかざして
徳川軍を一掃!悠然と戻ってくる禰津さん。

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いや、これはクラウドじゃなくザックスだ・・・
(FFネタ、しつこい)

三好伊三入道も強い!

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さて、小助どのの出陣。三人の敵を
一気に相手しますぞ!

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どりゃぁ!

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かかってこいや!と挑発する小助どの。

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うりゃぁぁぁ!

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最後の一兵!ぐわぁぁぁ!

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勝負あり!

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小助どのの勝ち!凱旋!

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十勇士の活躍で徳川軍を蹴散らした後、
いよいよ徳川軍部将が現れます。

大久保忠世。徳川十六神将に数えられる、
後の小田原藩の藩祖ですね。

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鳥居元忠。こちらも徳川十六神将。
伏見城の関ヶ原前哨戦での壮絶な玉砕で有名ですが、
上田合戦にも出陣してたんですねー。

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そして、平岩親吉。イマイチ印象が薄いですが、
甲府城の築城や関ヶ原後も甲府藩の経営に携るなど、
徳川時代の甲府にゆかりのある人物。

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いきり立つ徳川軍に・・・昌幸さんが
かかったなぁ・・ニヤリ(笑)

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お兄ちゃん(信幸さん)の伏兵!
なかなかワイルドな信幸さんですよね。

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かわいい真田軍も勇戦。

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信幸さんの一騎打ち。迫力があります!

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が、不覚!信幸さんが負傷・・ピンチ!

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そこに登場した幸村さん!
(こらこら、このとき人質で上杉にいたでしょ、
 とかゆーてはなりませんぞ)

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二将を同時に相手する幸村さん!

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史実はちょっと置いといて、純粋にかっこいい。

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そして徳川軍を撃退した後、更に続けて・・・

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火攻めと追撃戦での神川をイメージしたダンスが!
火攻めの赤と川の水の青。こう来ましたか。

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総崩れになった徳川軍、平岩親吉の悔しそうな顔が
実に印象的でしたね。

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信玄公直伝の軍略と戦術、真田家のおもてなしは
如何だったかな・・と台詞にちょいちょい
信玄公が出てくるあたり、うれしかったです☆

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そして、最後は皆で勝ち鬨じゃぁ!
幸村さんがええ顔したはるわ!えいえいおー!

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えいえいおー!

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えいえいおー!

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そして、紅白のお餅が配られました!
こっちこっちー!こっちにもくれー!!

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もう幸村さんが一生懸命なのがすごくわかります。
お餅配るのもこの勢いです(笑)

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わたしはゲットできなかったんですが、
後でお会いしたフォロワーさんに分けていただきました。
ありがたや~

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合戦劇の様子は、この殺陣をリードされていた
殺陣サークル眞の方の動画がありますので、
こちらをご覧くださいませませ。

四代目幸村公はじめ、皆様方お疲れさまでした。
各地の戦国に関するお祭りはありますが、
上田のお祭りは、アグレッシブで楽しいですね!
来た甲斐がありましたよ・・・うん。

【おまけ】上田の琥珀色の夜
この日、夜には上田のBarに足を運びました・・・
が、思っていたところは休日ということもあり、
さすがにお休みでしたが、J Barでいいひとときを
過ごすことができました・・上田にもいいBarがありますね。

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またいつものクライヌリッシュ祭り。
ホント、ハズレないなぁ。

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上田の夜を琥珀色で〆る・・・
いい夜ですわ。

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