GWの西日本城攻め・・・現存櫓を追う!その5 高松城天守台・披雲閣・艮櫓。
さて、天守台。現存櫓を追う・・・という趣旨には
外れてしまいますが、まぁ行くしかないでしょ!
いやー、キレイになりましたよねぇ。
前回の修復中はこんな感じでしたが、
よく戻ってくれました。
さすが天守台というとこでしょうか、
隅のカーブはキレイに整ってますよねぇ。
現地に天守の復元イメージが置かれていました。
いやぁ、想像するのにこういうのありがたい!
東面の天守台の上に・・・
天守を想像!
南蛮式と言われる最上層が飛び出した形状が特徴。
岩国城天守や小倉城天守が他には有名。
こうしてみると、層塔式ではありますが、
二層の御殿に床面積が階下のほうが狭い望楼が
付いているような錯覚を感じますね。
西面からも・・・今の天守台。
・・の上に天守。むふふふ。
ついでに、北面・南面。こちらのほうが、
より好みかなぁ。最上層の火灯窓がオシャレ。
全面に言えることですが、比翼千鳥破風という
小さな千鳥破風が左右に付くのって、何気に好み。
破風は、あまり大きくないほうが好きなんですよねぃ。
さて、あの鞘橋から天守台に向かいましょう!
鞘橋。一部材が取り替えられていますが、
現存遺構ですよん。
鞘橋からの天守台の北面。周りの水濠があるのが、
個人的なツボにはまりますねぇ。
アップ。やはり高松城も天守台は野面積で、
石垣としては古風なんだよねぇ。あまり天守台に
大きな石が置かれることって、少ないかなぁ。
(大坂城とか江戸城とかは別格ね)
本丸北西の隅櫓・矩櫓跡。単重櫓だったようです。
いよいよ天守台。巨大な天守台によくある
穴蔵を備えた独立式。
パッと見たところ、津山城や甲府城よりも断然広く
福岡城くらいの大きさという印象。
「田」の字型に52個の礎石が発見され、
地階柱の位置も特定できた上、広さも文献と合致。
ひょっこりと木材が出ているところが、
柱が建っていたと思われる位置。
この上に土台を築いて・・・相当太い心柱が
通っていたんでしょうねぇ。見ごたえあったろうなぁ。
この柱はいくらなんでも細すぎよね(笑)
解説。ふむふむ・・・
ただ、内部の階段の位置や各階の意匠は
まだわからないとのこと。今後の成果が待たれます。
天守台の上から。見ごたえがありますねぇ。
穴蔵は東西六間・南北五間だそうですが、
一階部分はどの程度あったんでしょう。
・・・と調べると、こちらに東西十二間半、
南北十一間半とあります。こりゃ相当大きな天守!
天守台から披雲閣。
あちらに見えるのは艮櫓。当時と配置が異なり、
ちっとも艮(=北東)の方角ではないんですがね(汗)
そして、月見櫓。
さすが、城内を見渡すにはいいポジション。
続いて披雲閣。こちらには模型があると聞いて・・・
起くり屋根と反った屋根が並んでる。
意外と珍しい風景かもしれない。
手前には、戦災で焼失した桜御門跡。
石垣の爛れが痛々しい・・・
ですが、古写真も最近鮮明なものが見つかり、
桜御門の復元に弾みが掛かるといいですねー!
個人的には、桜御門が下見板張りなのが
非常に興味深いところですね。ひょっとすると、
生駒時代の建造物だったのかもしれません。
さて、披雲閣。玄関の先に模型が見つかりました!
火灯窓のある南面。かなり精密にできた模型♪
東面。この模型だとけっこうバランスよく、
くびれはあるものの、ドッシリした印象。
さて、蘇鉄の間には、今後の玉藻公園の姿を
模型にしてありました。
天守が再建された高松城の未来の姿。
古写真を元にしたであろう天守立面図もあって、
かなり天守再建を意識している感じ。
せっかくなんで、披雲閣をもう少し。
城を横に置いて、建物好きとしても魅力的。
やはり、撮ってしまう釘隠。
月見櫓がきれいに見えるはず・・のポジションですが
一階ではちょっとよく見えない・・
二階に上がりましたが、むー・・もうちょっと
高さがほしいところですねぇ。
現在の披雲閣は、明治維新後老朽化を理由に取り壊された
旧披雲閣を高松松平家の当時の当主、松平賴寿伯爵が
1917年に完成。灯りにも葵がさりげなく
あしらわれてるのが、やっぱり松平家たるところ。
たぶんこういう階段は、純粋なな和建築には
ないものでしょうが、上手く融けこんでいる気がします。
んで、艮櫓。ヤバイね・・・回る順番、
完全に間違えましたね。どー考えても月見櫓が
素晴らしすぎて、艮櫓がかすむ・・・
そもそも、ちょっと破風が大きすぎて、
また反りすぎなんだよね・・・ぶつぶつ(笑)
ま、入りましょう。一階はなかなか広々としています。
しかし、構造が根本的に月見櫓と違います。
かえって艮櫓で月見櫓の天守っぽさが際立つという。
艮櫓前の濠。市電が通ってる関係もあるのか、
すっごい浅いです(汗)
二階。て、天井が低いなぁ・・・
かなり圧迫感があります。
こうして撮ると圧迫感が伝わりますかね。
屋根裏部屋チックな感覚。
そして、柱の細さ。
ただ、天守台の眺めは最高。天守が再建されたら
絶好の天守観覧ポイントになりそう。
大千鳥破風内の小部屋。余計に狭さが強調される!
あ、埋門が見えます☆
そして、最上階。やっぱり手狭な感じ・・・
同じ三層の櫓でも大違い。
ただ梁桁が近くて、迫力がある・・とも言えて。
櫓内展示の古写真。かなり傷んでるなぁ・・・
天守が取り壊される時も、こんな様子だったか。
さて・・高松城で相当時間を使いました(笑)
いよいよ、高松を離れます。お土産は・・また今度ね。
こちらもすごく天守再建を意識しているな、と。
高松城天守、古写真はいくつか発見されていて、
しかもかなり鮮明で史料は多いほうかもしれませんね。
それゆえ、天守再建の機運があるのかもしれません。
以前市長さんだったか、再建できればコンクリートでも…
みたいな発言があったと記憶しており、個人的には
後の世に残せないものを造ってしまわないか、案じます。
でも、時間は掛かるかもしれませんが、地道に史料を探し、
研究を重ねて往時の姿に近づいてほしい。
城郭建築を観る者は、その「本気」に惹かれるのだから。
その一方、天守が蘇ってほしい、キチンと誇れる姿で
蘇ってほしいとは強く想います。こんな天守が。
多和神社の宮司だった松岡調の日記「年々日記」。
この中に以下のような記述があるそうです。
高松の御城なる天守臺を此間よりこほちかかれりと聞けるか
けに半まてくつしたるを見る
何となうあハれにて思ハすも涙をのこへり…
高松の天守臺を崩せるハいかなる故そ
他城でもそうだったと思いますが、象徴であった天守が
壊されることは、旧藩士にとって身を斬られるような
大きな悲しみであったでしょう。
何度も修理願いが出されても、許可が出ず、
朽ちるがままに朽ち、そして倒壊の危険性があるから、
と取り壊されていく天守・・・
このひとつのエピソードもまた「天守とは何か」を
現しているのよい事例だと思います。
天守やそれに準じる櫓こそ、多くの人がシンボルとして
シンパシーを感じるモノであって、その感じ方は
城好きではない普通の人の感じる城の捉え方。
実は、城が現役だった時代と共通するんじゃないのか・・
とも想像しています。
まぁ、どのような感想を持つのも自由なのですが、
歴史的な背景や根拠がしっかりとした天守は
なるべく復元できればいいなぁ、と思っています。
そして、これほどの重みがある天守を現代建築のように
さっさと建て替えればいいやというモノではなく、ね。
今しばらくは、こちらのサイトでその姿を
想像しておくこととしましょう。
じゃ、また来るね!高松城!
最後にもう一度、月見櫓を・・・やっぱいいなぁ。
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