甲府城と砂金取り。
さて、翌日。要害山城に行きたいのを
グッとこらえ、甲府駅のほうへ・・・と思いましたが、
改めて武田神社に参拝。
武田印の灯籠ができています。わたしも少し
ご協力させて頂きました。
毎回撮ってるんですが、ちゃんと武田家協賛の旗が
あるところに毎回クスッとしちゃうんですよね。
翌週出陣する御神輿。しっかり武田菱。
この日は晴れ間・・・昨日晴れれてくれよ(爆)
そして、甲府駅。できたての甲府城鉄門と
そういやちゃんと見てなかった山手御門をしっかり。
北西の方角・・雲が黒い・・
純徳川的な櫓門。
黒い格子がいいね。
武田時代の馬の骨。これ、近江で見た複製よね?
山手御門からはいい感じで稲荷櫓が見えます。
明治時代の復元と江戸時代の復元が
かぶるってのもおもしろいやね。
甲府駅と線路がザクっと甲府城の縄張りを
貫通しているのは残念ですがね・・・
で、櫓門に戻る。鬼瓦に何もないのに違和感・・・
のっぺらぼうみたい。徳川葵か柳沢花菱でも
付けとけばいいのに・・
枡形を形成する土塀。
こうやっぱり、攻撃する側から枡形内を
観るのってちょっとテンション上がりますね(笑)
ねっ。構造的には高麗門+櫓門の典型的な
近世城郭の枡形ですね。
下に降りていきます。石垣も少し
復元されているのでしょうね。
高麗門から・・・・
櫓門を見るこの角度!
人出が多いこの時期に人がいなくなるまで
待つとかなり時間掛かりました(笑)
石垣は積み直しって感じがしますが、
なかなかよくできているんじゃないでしょうか。
敢えて豊臣時代の野面積みで再現されてあるところが
(武田フリークとしてはツライところですが)
けっこういい印象がありますね。
材質としては、ほとんどが国産檜で、梁に松や欅、
米檜が使われているようです。外材をつかった復元って
初めて気が付いたかも。
枡形。なんか園芸の展示されちゃってますが(汗)
さて橋を渡って線路の向こう・・が甲府城の中心。
内松陰門門から二の丸に入っていきます。
甲府城の石垣も安山岩系の岩質。
江戸城もそうですが、黒の石垣は締まりますね!
今年落成した鉄門(くろがねもん)へ向かいます!
けっこう落胆するよ…と事前に聞いていたのですが、
早速見つけてしまいました…鉄の補強orz
できてばっかりなので、新材の清々しい香りがします。
特に檜の割合が高いせいもあるのかも。
門扉には鉄板。これが「鉄」門の名前の由来。
当然防備のためのものなので、外側に向けて張られます。
これが銅だったら、銅門(あかがねもん)になるわけですな。
鉄門の解説にこうありました。
鉄門は、在来工法にこだわり工事を進めていますが、現代の建
築基準法と照らし合わせると、耐震性や構造面を強化する必要
があります。
そのため、基礎の一部に、補強材としてコンクリートや鉄骨を
使用しています。補強材導入にあたっては、専門委員会の指導
を受け、可能な限り歴史景観に違和感のないよう
配慮しています。
しかし、現代に鉄門を復元するためには欠かせない要素であり
在来工法と現代工法の融合として、完全に遮へいせずに
公開しています。
このシンポジウムで三浦先生がご指摘になっていた弊害が
そのまま出ているような印象でした。しかし、せめて
鉄骨を隠しておいてほしかったなぁ・・・がっかり。
さて、鉄門の渡り櫓門内に潜入。
小さい子向けの紙笛の工作教室やってるそばを
柱とかしげしげ見ている城好き・・・(笑)
建材は、欅・松・檜・杉でいずれも国内産。
杉材のみ県内産ですがあとは、奈良、岐阜、長野、
岩手、福島から調達しているようです。
やっぱり、上を向いて梁を眺めたくなりますね。
壮観だよなぁ・・・頸痛くなるけど(笑)
初めて見た甲府城の古写真。うっすらと稲荷櫓が
見えますね・・土塀もぐるりと。あまり剥がれてなく、
しっかりメンテナンスされてたんでしょうかね。
この門を鉄門と改称したのは、将軍綱吉の時代に
活躍した柳沢吉保。忠臣蔵で悪役で描かれますね・・・
武田フリーク的には、ありがたい人でもあるんですけどね。
さて、天守台だけあと見ていきましょうか。
甲府城の天守台も穴蔵を備えて、なかなか見事なんです。
大藩の城の天守台と比べると、若干小さめですが、
それでも天守が建てるなら相当大きい規模の
天守を建てることができたでしょう。
さて、甲州ワインビーフを頂いたら、
どんぶらこと身延線でお出かけしましょうか。
まだ幼稚園くらいの頃、身延山久遠寺に
参拝したときに下部温泉に泊まった記憶はあるんですが…
ほとんど詳細は憶えてないです(汗)
下部温泉信玄公かくし湯まつり、なんていう
魅力的なおまつりもありまして、ぜひ一度は
見に行きたいものです。
で、今回の目的はコレ。湯之奥金山博物館。
その名の通り、下部温泉の奥にあった金山の博物館。
特に信玄時代によく産出した甲州金。
肥沃ではない武田領国にあって、飛躍の原動力に
なったのが、この金の産出ですね。
これこれ、甲州金。軍功あればその場で
手で掬って褒美にしたという甲州金ですよ。
当時の金山衆の様子がジオラマで再現されていて。
この金山衆、金山の経営を武田家からは独立して行い、
ある種の自治を認められていた存在。後の江戸時代において、
運上金・冥加金のような一種の租税を納める代わりに
金山の採掘を保障するような互恵的な関係だったようです。
ただ要請に応じて、戦にも参加して得意の金山採掘の
土木技術を用いて、間道を掘って爆破しようとしたり、
敵方の城の井戸まで穴を掘らせて水の手を絶つ、
といった巧妙な攻城手法の担い手でもあったそうな。
そして、金鉱脈としての特徴にも興味深い点。
もともと、銀が少なく金の純度が高い鉱脈であり、
比較的技術が発達していなくても、純度の高い金を
生成することができた、という幸運もあったのね。
若干駿河や信濃にもあるけど、ほとんどが甲斐。
こりゃこんだけあると、懐豊かになるわなぁ。
事実、今川義元存命時には今川氏も金山開発を
進めていて、今川義元朱印状も残されているようでした。
そして最後に砂金取り体験。人が少なめだったので
ある意味集中して取れました。
たまたま砂金取り名人の方がいて(この施設のOB?)
ちょっと手伝ってもらったこともあって、
けっこう金が溜まりましたよ♪
あとは、静岡経由でゆっくり帰るだけ。
駅周辺ではまだまだ桜がキレイでした。
今年は早く咲いて早く散ってしまっただけに、
ありがたい!と思わずにはいられなかったですね!
それでも若干葉桜になりかけ・・・でしたけどね。
青空に桜。色のコントラストがハッキリして、
実に映えますよね!
すでに閉店の時間でしたが・・・
とりあえず、店先に武田菱をつけとくのが山梨県。
馬鹿丼(笑)なんちゅーネーミング。
さくら丼がわたしは気になります。
ここで、まさかの英語タイム。
たぶん東南アジアあたりからお越しの子連れ夫婦。
よく下調べもしないでローカル線乗るなぁ…と
妙な関心をしながら、一応なんとか説明して
乗り方をアドバイスできました。ふー。
で、やっぱり富士山見えてきたら、撮るよね。
ということで電車内、富士山撮影タイム(笑)
さて、翌週は信玄公御命日に合わせて
武田神社例大祭が開かれ、例大祭への参加と
二十四将行列を見てまいりましたよ!
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