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江戸城外濠ウォーク…西半周を歩く その1 小石川見附~四谷見附

さて、話が前後しますがガラッと変えて江戸城。
江戸歩き案内人こと、黒田涼さんが案内された
「外濠お花見ウォーク」に参加してきました。

そう、「お花見」と付いていることからもわかるとおり、
あれは遥か彼方、3月末のことであります・・・

今回は西半周。以前船に乗って東半周をぐるり
巡ってきたので、ようやく外濠一周というわけです。

集合は、水道橋駅。駅北口を出て総武線の線路。
実は明治に総武線を敷設する際の線路敷になっていて、
江戸城外濠の土塁跡なんですって。

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なかなか言われないと気づきませんが、
土塁も石塁の石もいずれも江戸城外濠のもの。
石垣が姿を変え、土塁を支えてその上に
総武線が走る・・・コレだけ見ても、
江戸と東京は、つながっているんだなという感じです。

P1250168

P1250173

市ヶ谷から御茶ノ水くらいにかけては、
外濠の半分くらいを埋めて線路を敷いていますが、
土塁に濠に、鉄道のルートは江戸城の痕跡なんですね。

また、外濠の北側にある駅は江戸城外濠の門、
即ち見附があった場所に近いことが多いようです。

浅草橋=浅草見附(浅草橋門)
秋葉原=筋違橋門(筋違見附)
水道橋=小石川門(小石川見附)
飯田橋=牛込門(牛込見附)
市ヶ谷=市ヶ谷門(市ヶ谷見附)
四ッ谷=四谷門(四谷見附)

という具合。門は交通の要衝につくられ、
駅舎をつくるのに枡形の広い敷地が役に立ったのかも。

現在の小石川見附はまったく痕跡が認められませんがね…

P1250176

さて、ここを渡って高松藩松平家上屋敷跡。
ちょうど前回ここで飯田橋方面に向かったので、
ここでわたしの江戸城外濠巡りがつながります(笑)

発掘調査でみつかった濠跡。こういうのを生かした
都市開発をしてほしかったところだが・・・

P1250179

上屋敷跡からは庭園で使われたであろう石材が
わずかに発掘されていて、それらをつかったモニュメントが。

P1250180

これとか庭園にありそうだよね・・・

P1250182

上屋敷跡は甲武鉄道飯田町駅、そして
貨物駅へと姿を変えていきますが、
線路もさりげなく保存されていたりします。

P1250183

さて、総武線に沿って飯田橋方面に。
このあたりは、コンクリ前回で土塁感はないですけど…

P1250185

飯田橋駅付近までくると、土塁が残ってます。

P1250186

旧東京警察病院跡地付近で、土塁上の家屋もどかされて
今目下再開発中だそう。いい感じで土塁も保存して
もらえるといいなぁ。

さらに進むと牛込見附跡。奥に石垣が見えますね。
右端に見える交番は、再開発後移転するそう。
枡形感がわかる整備をされるとありがたいのだけど…

P1250199

右側から進んで右折れして、この通りに面して
牛込見附櫓門があったようです。

明治になって枡形が解体されたときに
発掘された「阿波守門」の刻印が入った石。

P1250201

え?わからない?じゃ、この方向に読んでください。
阿波守門って読めません?

P1250200

ここ、蜂須賀小六の曾孫に当たる、徳島藩二代藩主、
蜂須賀忠英(ただてる)が担当したそうで、
彼の官位は従四位下阿波守。つまりは、ここは俺が作った、
的な風に受け取れます・・・が、バレたらやばいっすよね(笑)

しかし、いつ見てもピッチリとした石垣。
牛込見附を入って左手、交番横の石垣です。

P1250203

現場にある古写真。残存している石垣は、
右手の櫓門を支える石垣の手前側、
そして高麗門脇の石垣の左側。

P1250206

今、教会が建ってるあたりが櫓門を支える
石垣の左側に当たります。

現在の石垣。総武緩行線で水道橋方面から
電車に乗ると間近で見れますよね。

P1250207

今回初めて知ったのは、牛込見附木橋手前の石垣。
これがちゃんと残ってるんですよ。

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しっかし見難い(笑)これもなんとか見られるように
してほしいもんです。

ブラタモリで出てきたピザ屋さんの脇から、
土塁上に上がりますよ。

P1250215

もうすでに葉桜になりつつありますが、
なんとか桜がまだ残っていました。

P1250218

このあたりは外濠を埋めて線路を敷いてますね。
ただ、土塁の傾斜は往時よりも緩やかだとか。

P1250222

あちらはに見える土塁は、新見附橋。
いかにも・・・な土塁ですが、明治中期のもの。
江戸時代にはここには見附はなく、市ヶ谷見附跡と
牛込見附跡の外濠を埋めて橋を架けています。

P1250226

さてさて、この外濠の土塁上ですが、
外濠公園になった経緯が面白い。

明治維新後も、この外濠周辺は立入禁止に
していたそうですが、当時の法政大学生がここで
宴会をやったそう。当然逮捕となるわけですが、
当時の学長さんはケシカラン、解放されて当然、
公園として整備すべし、との運動を展開。

ずっとこれ、立入禁止だったら、
今頃どうなってたんでしょうかねぇ・・・

ということで、あちらこちらに
「東京市」外濠公園の文字を見つけることができます。
戦前ですから、東京「市」なんですね。

P1250228

さて、市ヶ谷見附近くになってくると
桜がかなり残っていて、艶やかな通りになっています。

P1250234

江戸時代の様子を描いた明治期の絵図。
これを見ると、市ヶ谷見附の枡形の形状がわかります。

P1250235

枡形なんですが、90度折れるのではなく、
高麗門と櫓門が平行に並んでいるんですよね。
こちらの図面を見ても明らか。

P1250239

こちらは姫路城中濠にあった鵰門跡前の看板。
櫓門と高麗門の位置が左右逆ですが、
市ヶ谷見附はこういった感じだったのでしょう。

P1130796

今残るのは、発掘された石垣の石数個。
発掘された場所も枡形ではないけどね。

P1250237

むしろ、木橋につながる部分の石垣が
牛込見附よりもわかりやすく確認できて、
こちらのほうがポイント高いですね。

P1250242

なかなかいい残り具合ではないでしょうか?
刻印は丸二つ引両紋に見えますが、果たして・・・

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そのほかにも刻印がたくさん☆

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矢穴のある石も多かったように思います。

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ただ先端は駅があるため、破壊されてます。
むむぅ・・・

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さて、四ッ谷見附に向けて、歩みを進めていきます。
この辺りから濠が埋め立てられていますが、
土塁の斜面は、江戸時代当時のものらしいです。

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先ほどの斜面と比べると、角度の違いが
わかりやすいですよね。

P1250229

この辺は散ってるなぁ・・・

P1250264

あれ、この辺の傾斜ってなだらかな気がするけど・・・
うーん、どうなんだろう。

P1250269

四谷見附に近づいてくると、桜が復活☆

P1250273

さて、長くなりますのでこの辺で
一旦切りましょうかね。

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