雪と氷に閉ざされた五稜郭 … その2。
さて、いよいよ城内へ。けっこうぬかるんでて、
土塁の上に上がるにはツルッツルして、
危険でしたけどね・・・
大手の半月堡にかかる橋を受ける石垣。
ここはかなりピチッとした切込接石垣でした。
こうして見ると、下段の腰巻石垣は打込接くらいの
加工度ですが、上段の武者返しのある石垣は、
目が詰まってますよね~
しかし、総石垣ではなく腰巻で終わっているのも
財政難のためなんでしょうかね。
このあたりは亀甲積ですね。
やたらと赤い岩石が目立ちますね。
鉄分が多いんだろうなぁ。
この武者返し、石垣の上には建物を築かないからこそ
活きるんじゃないかな、と思います。
中には気泡のような穴が無数にある石も。
海から持ってこられたんだろうな。
さて、土塁の先端に上がってみます・・・
す、滑りそう(汗)
こうして見ると、外側に水濠が内側に空壕の
二層構造になっているのがわかります。
さて、本塁内。このあたりは少し氷が薄いかな?
と思いましたが、石を投げたくらいでは
穴が開かないほど、まだまだ厚い氷。
大手を渡ってすぐ。このあたりには谷積も見られます。
このあたりは特に石垣が高く、全長7.6mで
水面からは5.8mあります。かなり見ごたえアリ!
あ、あんなところに木の根っこが・・
早いところ切り取ってしまわないと・・・
もうこのあたりの切込接石垣は、江戸城に
あってもおかしくないくらいの完成度ですよね。
幕末でもこういう石垣を造る技術は、
ちゃんとあったんですよねぇ・・・
内側はダイナミックな土塁。これがずっと
星型を描いて延びています。
まだまだ寒い函館はつぼみ。
もう今頃は、葉桜を迎えているでしょう。
本塁内は、解けた雪でぐちゃぐちゃ。ひー。
奉行所は後のお楽しみにして・・・
用人長屋跡。コンクリートの囲いで
広さを示してくれています。
このあたりの石垣も同心半円落積っぽい!
ちょうど、奉行所の真裏に当たります。
稜堡の先端の砲台跡に行きましょう!
ちょっとこのあたりは、大砲の運んだ坂が
わかりにくいですが・・・
ここならわかりやすい!ちょうどキレイにど真ん中。
全五箇所、しっかりあります。
妙に枡形っぽい(だけど違う)土盛は
なんだろうなぁ。
砲台跡から。
搦め手に当たるんでしょうけど、
出入り口のある三箇所の稜堡の根元には、
水濠が必ずあるようです。
ちゃんとハツリ仕事が。こういうところに
お金かけずにさっさと造ったらいいのに…
という訳にも行かなかったんでしょうね。
なんだか、同じ方向に飾りの向きが揃っているあたり、
江戸城の石垣を思い出したりします。
往時はここに木橋があったんでしょうねぇ。
しかし、こんなに凍っちゃうと、
濠としての機能は果たすんだろうか・・・
真冬だと、裸城ってことになっちゃわないの?
さて、いよいよ奉行所です。
会津の鶴ヶ城にも似た、赤い瓦が特徴的ですね。
実はコレ、越前の赤瓦なんだそう。
目的はやっぱり、凍割れ対策なんでしょうけど、
黒っぽかったり、赤っぽかったり、
色ムラがあるのもわざとこうしてあるそうで。
四種類の色の瓦をランダムに組み合わせて
そのムラを表現したんだとか(ムラをあえて
造らなかったんだ?とはツッコんじゃいけないんだろうな)
全体に破風の反りは強めで、正面の小さな起くり屋根が
ちょっとしたアクセントになってます。
鬼瓦・軒丸瓦はズラッと徳川葵。
これは将軍家・幕府の葵紋のように見えます。
お、晴れ間が!赤瓦がまぶしい!
キレイに統一された臙脂色の鶴ヶ城もいいですが、
ムラがあるのもいいですねぇ。
さてっ♪おっじゃましまーす♪
なぜか厠でもないのに、手水場が・・・(笑)
手前から四之間、参之間、弐之間、壱之間。
江戸城、二条城などよりはかなり簡略化されたつくり。
毎度毎度のチェックポイント、釘隠し。
決して華美ではないのだけど、葵が描かれているあたり、
「幕府の」奉行所という意匠が多いんだよね。
中庭を挟んでみる太鼓櫓。あれ、大砲で狙う
格好の的になったらしいですね(汗)
建築ラバーズとしては、天井の一部をガラス張りにし、
骨格が見えるようにしてくれているのは、
うれしいですねぇ。城郭建築の楽しみの一つですからね。
天守や櫓だと、天井がないのでよくわかりますが、
御殿建築ではなかなかみれないですからね。
さて、五稜郭の城地決定の由来ですが、
①外国軍艦の大砲が届かぬところ
②市街地の近くにあること
③付近に川があること
で、ここ亀田の地に決まったそうですが・・・
予算は14万3千両で、実際は10万4,090両。
こちらのサイトから、仮に1両は14,800円とすると、
総工費、約15.4億円となります。い、意外と安いんだ・・・
五稜郭のような星型をした城郭は、
ルネッサンス期のイタリアにその源流があるそう。
やはり、ヨーロッパに多いですね。
世界星型サミットなるものまで・・なんとなく、
発想が日本っぽいなと思ったら、案の定言いだしっぺは、
函館市でした(笑)
幕末の東北諸藩による蝦夷地警備範囲図。
白老は仙台藩の陣屋がありましたね。
その他出土品。西洋っぽい壺に入っていたのは、
日本酒であり、醤油でありました(笑)
あ、花菱!花菱にまた武田の面影を見る
悪いクセ・・・(笑)
エンフィールド銃。八重の桜で聴いた気はしますが、
一度や二度では憶えられません・・(笑)
太鼓櫓への階段・・だけど、例によって
登ることができず・・むむぅ・・
太鼓は本来階上にあったっぽい。
そして、復元プロジェクト。
やっぱり、古写真・文献資料・発掘調査の三点セット。
これがキッチリ揃わないと復元は難しい。
先ほど来の釘隠しも大集合。
建材は、土台・柱・桁にはヒバ、梁にはマツ、
こけら葺きにはスギ、玄関・床の間にはケヤキだそう。
ふー・・・しっかり見て回った後は少し休憩。
こちらも復元された母屋。
こちら当時飲まれていたコーヒーを
再現したもの、だとか。
まだちょいと時間があるので、
土方歳三&石川啄木函館記念館なる処へ・・・
付近には、石川啄木さんが佇んでます。
なんだか知らないが、やたらと土方歳三と武田信玄を
結びつける記述が・・確かに八王子千人同心の子で、
武田とのゆかりはありそうだけど。
愛刀が「和泉守兼定」ということですが、
通説の幕末の十一代目兼定ではなく、戦国期の刀匠
二代目兼定=之定とし、武田信玄の愛刀であったことから、
八王子千人同心の子として生まれた土方も、
この武田の刀を持ちたかったとの弁。
どーも、土方が武田家に憧れがあって、
そのゆかりのある刀をもちたかったという風に
言いたくて仕方がないようなのだけど・・・・
ち、知識がないのでなんともいえないが、
とりあえず信玄と幕末とのツナガリが垣間見えたようで
意外と収穫でした(笑)
さて、このあとはナッツさんと別れて新千歳へ。
すでにロイズのチョコレートワールドは
閉まってた・・ひ、響生チョコぷりーず・・・orz
というわけで、冬の琥珀色と城めぐり、
コレにておしまいでございます。
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