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死を意識して生きるということ。

毎年、この日には偲ぶのですけれども、
今日はお世話になった方の誕生日。

こちらの情報に寄れば、2006年6月に
旅立たれているので、享年36歳ということになります。

しばらく経って、文字通り夜通しで泣き
三十路の扉をまさに開こうとしていたわたしが、
いまや、その年齢に達しようとしています。

昨年も同じようなことを思い描いてましたが、
いよいよその歳を越え、先に行こうとしております。

30代になって、関心のあることが増え、
また各々が太くなり、そして重なり絡まりあって、
立体をつくるような、思いを強くしています。

30代って、20代の楽しみの感じ方とは
随分と違った奥行き感を伴うことも噛み締めていて。

そんな中で死を覚悟して残りを生き、
後事を託すなど・・・眼前に楽しみが広がるであろうと
想像できるまさにその時に、命の灯火が
消え行くことを知りつつ生きていくなんて、ね。

残った人は悲しいけれど、どういう心持なのだろう。
悔しかったのかな。それとも悟った境地になるのかな。
残す人たちが心配だったのかな。想像しきれない。

忘れてくれないなら、せめて悲しまないで
と残されたことばからは、優しさだけでなく、
自分に構わず前を向いて進め、という力強さも感じます。

今自分の灯火が消えたら、どうなるだろう。
何をしなくちゃいけないだろう、
どうならなくちゃいけないだろう。

いまだに語りたい、お話を聴きたい
という気持ちが残ります。

あのときは、メーリングリストだけでも
十分楽しかったんですけど、ソーシャルメディアの時代
だったら、と想像するとなおさらね。

何度か書いた気もするけど、彼女だったら
どう使いこなしたのか、どう向き合うのか知りたかった。
たぶん、すごく刺激をもらえただろうに。

同じ年の差であっても、社会人になるかならないか、と
社会人になってしばらく経ったという関係から、
今この歳で語り合っていたら、違ったものが
みえてきたのかな、なんて。

てか、なんだか他力本願だな。いかんいかん。

でも、わたしもどんなカタチでもいいから、
何かを残して誰かに血肉になれればいいな・・と。
そのためには、自分の生き方をしっかりしなきゃね。

軸を持って、それでいてしなやかに。
関心の糸を紡いでいきたいですね。

そして、比較的最近に付いた先ほどのリンク先の
コメントから今更ながら、でも実は気づいてはいたように、
やはりside story
ある種の自伝なのだな、と確信。

陽介の年に近づいていく美也子。
そして、その年に消え行く命・・・

わたしはその話を直接したことはないのですが、
今頃、同い年になって、寄り添えられてたらいいな。

わたしが今立つのは、あの包容力のある
陽介がいなくなった時点とも重なるというわけですね・・

今日は、歴史関係の飲みも入ったイベントに
参加しようと思っていますが、まず最初の一杯は、
姉さんに献杯だな。姉さん、何がいい?

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