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江戸城天守再建論批判についての反論。(2014年3月2日追記)

さてさて、10日くらい前でしょうかねぇ・・・
江戸城天守再建の話がWebニュースで
取り上げられたことで、いろいろ反応があるようで。

まぁ、なんと言いますか、元が2chがソースなんで
ネガティブな反応が多いのは、想定の範囲内。

にしても天守再建と聞いて、それなりに歴史を知った上で、
批判するおおよそのパターンが網羅されてるんじゃないかな?
という気がしたので、自分のためにも整理しとこうかと。
ネタはここね。その1その2

・・・とその前に、わたしが描く江戸城天守再建の価値は

(1)史的根拠が極めて明確かつ豊富
(2)日本の木造高層建築の伝統技術を伝えていける好事例
(3)公共建造物としての活用が期待できる

であるということです。

観光云々は結果ついてくるものであると考えていて、
最初から観光ありき、という考え方には賛同しません。
(ということで、観光ありきにならないか?を監視する
 のも城好きとしての役割かと思っています)

で・・大別して、批判の傾向は以下の5つに纏められますね。

(1)事実誤認による批判
(2)保科正之の故事を台無しにするな
(3)天守がなかった時代が長いのに、今更つくるな
(4)天守よりも本丸御殿
(5)天皇陛下を見下ろすな
(6)カネはどうするんだ

(1)事実誤認による批判

まぁ、これはNPOのアピール不足もある一方で
思い込みも個々人にあると思うので、
仕方ない面もありますが…

例えば、江戸城天守に関する史料なんてないだとか、
どうせコンクリートの偽天守つくろうとしてんでしょ、とか。
あと、巨木が絶対手に入るわけがない、巨大な杉や檜は、
国内外いくら探しても見つからない・・というのも。
# 木材に関しては、こちらをどうぞ。
# その1その2その3その4その5

江戸城にしても、先ほど書いたばかりの小田原城にしても、
候補となる材木はあるにはありそうなので、
最初からないに違いないと決めて掛かるのは、
よろしくないのでは、と思います。

ただ、全国の復元可能な天守・御殿・櫓を一斉に
再建しようとすると、材が不足する恐れはあるんじゃ?
とは思っています。その可能性は押さえておく
必要がありますよね。

城郭建築だけでなく寺社建築も含めると、
対象となる建造物は多くありそうですから、
将来取り合いになる可能性も…

また、現天守台って、天守が乗った例はなく、
寛永度天守は乗らないというのも、
事実誤認だと思っています。

ていうのは、高さが16m→14mと低くなった以外、
床面積としては変更がなかったはずですので、
江戸城御本丸御天守百分之一建地割」が
使えるんじゃないか…というのと、
現在の天守台を想定した寸法は、正徳度天守の
立面図(江戸城御天守絵図)からわかるんじゃないかと。

もう1点、富士見櫓が天守代用ということですが、
江戸幕府が富士見櫓を「天守」と称したことはありません。
高みに上って見物するという、天守があれば天守に
登ってしたであろう用途の代用として使われた、
というだけに過ぎません。

従って、富士見櫓があるじゃないかというのは、
的を射ない指摘だと考えます。

(2)保科正之の故事を台無しにするな

すごく目立つのがこれですね。故事とは、
天守だけでなく、江戸の大部分を焼き尽くした明暦大火の後、
天守再建を断念し、江戸の城下町復興を優先させた、
というできごとのことを指しています。

が、これについては焼失時における財政環境、
そして、天守の価値と現代に敢えて再建する価値との
相違をしっかりと押さえておく必要があると思っています。

即ち、焼失直後にあって、

●再建する必要のある建造物は多く非常に膨大
●家光の日光東照宮造営等で相当の幕府も出費をしていた
●天下普請は1660年を最後になく、各大名屋敷も焼失し、
 幕府だけでなく各大名も屋敷の再建が必要

ということは、当然江戸城内の建造物も
必要性で優先順位をつけて、再建するのは道理です。

さて、この時期の必要性とは、

イ:将軍の住まいの確保
ロ:江戸城の守備
ハ:幕政・幕府公式行事を執り行う環境整備

というところと推察されます。

従って、将軍私邸の「大奥」、将軍政務の場「中奥」、
幕政の中心「表」で構成される本丸御殿、
そして、守備に不可欠な枡形門・櫓。

一方天守は、一般に天守十徳ととして、
江戸時代にはその価値が認識されていたといいます。

城内を見渡せる
城外を見晴らせる
遠方を見望できる
城内の武士の配置の自由
城内に気を配れる
守りの際の下知の自由
敵の侵攻を見渡せる
飛び道具への防御の自由
非常の際に戦法を自在にできる
城の象徴

これ、結局高層な物見台としての価値、
それと城の象徴というところに集約できます。

こう考えると、明暦大火後の環境で、
保科正之が天守よしましょうよ、というのは
うなづけると思います。

が、一方で現代にとっての価値ですが、
当然、環境も価値観も正之の時代とは違います。
正之があの環境でNGといった根拠をそのまま流用し、
現代でも建ててはならない、というのは論理に飛躍。

建てたことで、当時建てなかった判断をした
歴史的な故事に瑕疵が付くわけでもなく、
その判断の妥当性・意義に曇りが出るわけでもないわけで、
歴史好きという観点で見ても、問題があるとは思えません。

むしろ、この長い間建てず、今建てるという検討を
することに意味を見出すことができると思っています。

保科正之が言ったから、そのままであるべきという論説は、
「誰かが言ったからこうする」式の思考。

(3)天守がなかった時代が長いのに、今更つくるな

そう来るか・・・少し(違う意味で)感心したのですが、
「昨日が今日でも、今日が明日でも、明日が昨日でも、
まるで変わら」ないことが、歴史を伝統を守る
とでもお考えなんでしょうか。

天守がない時期が長い=その歴史を「尊重」するため、
天守はつくってはいけない?尊重とは手をかけないことが
尊重なのですか?まったく理解に苦しみます。

歴史しか見えていない人によくあるような気がしますが、
江戸時代当時のモノでないと価値を見出せない人。
これ、現代の宮大工の皆様にとてつもない失礼な物言いを
していることに気づいてはいないのでしょうね。

歴史的に長くその体を保ってきた建造物が
貴重なのはその通りだけど、だからといって現代に
伝統ある建築技術のDNAがカタチになることに対する
価値を貶めることとは、つながりません。

われわれが守るべきは、文化財としてカタチになっている
モノそのものだけではなく、遠い未来に渡っても、
生み出していける技術。表現型としてだけではなく、
遺伝子型として、守っていかないといけません。

江戸時代以前につくられたモノだけにこだわり、
その時代から続く技術伝承には気を配らずにいる
歴史的価値原理主義には、断固として反対します。
それこそ伝統を失わせる遠因となるから。

(4)天守よりも本丸御殿

これもけっこう目に付く批判。ただ、本丸御殿の再建は、
こちらも資料は豊富にあって、その年代の御殿にするかは
議論はありますが、史的根拠が豊富という意味では、
天守同様、かなり豊富なほうだとは思います。

また、美術的価値という意味では、本丸御殿のほうが高い
ということにも同意はします。襖絵の下絵なんかも、
資料残っていますしね・・・

ただ、これは本丸御殿を再建すべきだという議論には
なりえても、天守を再建するなということにはなりません。

実際、水面下でそのような模索の動きはあるようですし、
同時にとはいかないにしても、本丸御殿の再建も応援したい。
まったく以って、天守再建と対立しないと思います。

ですが、わたしの関心としては、歴史的な観点以外では、
構造的・建築学的な点にあるので、
個人的には天守優先ということなんですよね・・・

江戸の歴史の大部分は本丸御殿で動いたんだから、
本丸御殿が先だというのは、歴史的観点「だけ」で
城を捉えているからであって、この点は個人の価値観や
関心のベクトルの違いというほかはないですね。

本丸御殿の以外の櫓門や重層櫓については、
あまり言及はありませんでしたが、これについても、
キッチリと復元できるならやるべきだと思います。
が、優先順位的には天守を先に、というのは変わりません。

外濠や内濠の埋め立てられたところの復元も
大賛成ですが、天守をどうするかとは別で考えて
よいのではないかと思います。

その他、少数意見としてAR(拡張現実)でやれば?
という意見もありましたが、個人的な意見としては、
安土城や福岡城のように、存在が疑われている天守や、
外観・意匠がハッキリせず、議論が分かれているような天守に
適用すべき技術だと思っています。

というのは、根拠がハッキリしないまま建ててしまうのは、
仮に木造だとしても、再建ではなく模擬建築となってしまい、
(模擬には模擬の価値はあると思いますが)後世で史料が
発見されたときに、とりかえしが付かなくなります。

木造であれば、解体移築が比較的容易とはいえ、
無理に再建しなくても、天守台当地においては
ARで代用する…というのが代替案として成り立つでしょう。

が、江戸城天守はしつこいですが、根拠が明確です。
現皇居という特別な事情や費用を除けば、
ARでとどめておかねばならない、という根拠は薄い、
と考えています。

もし、東京でやるとすると、外郭門(見附)で
当時の桝形門を再現するのは、おもしろいかも知れませんね。

(5)天皇陛下を見下ろすな

これに対する解は明確。要は吹上御所の方角、
つまり西面・南面は窓を開けられない構造にしておく、
というのが、この再建計画のポイント。

皇居を見下ろすからダメならビルも規制すべき、
という意見もありましたが、皇居内(皇居東御苑)という
場所も考えると、ビル以上にシビアにならないと、
とは思いますねぇ。

そして、そもそも建てていいのか?という点も
宮内庁と話をしてみないとわからないじゃないか?
ということ。やってみる価値はあると思います。

二条城天守が最初で最後、天皇が天守に上ったわけですが、
もし天守が成ったら、最初に上がるのはぜひ陛下に・・・
と思いますね。陛下こそふさわしい。

別の場所に建てればいいじゃないという話も
わからないわけではないけど、あの天守台に建てられる
はずだった天守を「再建」するという点から考えると、
可能な限り、あの天守台に再建する道を模索すべき、
と個人的には考えています。

とはいえ、どうしても難しい場合のアイデアとしては
ありえるとは思っています。その場合は、
史実と違う場所に再建する是非の論議が必要でしょう。

まぁ、「そもそもそんなこと考えついてすらないと思う」
というのは、失礼な話ですよねぇ。

あと万が一の倒壊や火災などで、陛下が危険に晒されないか?
というのは、気にしておかねばなりませんね。

(6)カネはどうするんだ

そりゃ、そうです。これはもちろん課題ですよね。
多くは寄付でまなかうべきでしょうし、
この点は今後の議論を待つしかないでしょうね。

個人的には、税金を投じるなら政府・東京都の投資と捉え
入城料や天守を貸し切ってイベントスペースにするなどして、
投資をどう回収するかを綿密に議論すべきだと思います。

もっと個人的なことを言うと、お泊りしたいけど…
それは厳しいだろうなぁ・・・

■建設的な指摘■

一方で、この指摘は鋭いなと感じるものもありました。

(I)足に不自由のある方への配慮
事故で足を怪我をされ、天守に登るのが大変だという方。
これはそうだろうなぁ…と。一方で安易にエレベータなどを
設置するのもよろしくないと思います。

岡城和歌山城の例もありますが、
仮に天守再建が成った暁には、エレベータなどに頼らず、
ラクに天守に上って頂くには、どうすればいいか?は
キチンと考えていかなければならないでしょうね。

(II)余計な誤解を受けないように

徳川の象徴たる江戸城天守を故地に建てることで、
つまらない政治的意味を見出されてしまう可能性の指摘。

「(5)天皇陛下を見下ろすな」の項でも書きましたが
間違いなく陛下に不敬があってはいけません。
その一点は、断固として守らなくてはいけません。

が、そのような可能性を想定されるんだな、ということを
頭に置いておくことは必要で、どう対応するかを
構えておかねばなりませんよね。

(III)反論を受け止められる包容力と地道な説得

そして、このコメントは大事なことを指摘されています。
抜粋して引用させて頂きます。

 最悪の展開は天守閣を建てようとする自分たちの主張を
 絶対視し、左翼活動家を利用して反対派を
 ノイズマイノリティーとして一蹴することだろうね。
 そしたらまずうまくいかない。 

 反対派を全否定せず彼らの意見にも耳を傾け粘り強く 
 「説得」する姿勢を見せないと、肝心の第三者から 
 全く支持を取り付けられない。 勘違いしないで
 もらいたいのは大事なのは「説得」というより
 「説得しようとする姿勢」を第三者に示すこと。 

江戸城天守再建に限らず、何か大きなことをやるとき、
必ず対立する言説が現れると思いますが、こういう態度で
真摯に地道に会話していかなくちゃ、という気がしますね。

ま、そもそもこの記事自体、反論から何か得られる
ものはないか?という視点で書いているので、
このプロジェクトを応援する限り、こういう批判には
真摯に向き合っていきたいと思います。

(追記)少しコメントを頂いたのでそれに関して

・東御苑内の一般開放を止めた上での
 皇居施設の一部としての再建案

利用目的として皇室ならびに宮内庁はじめ、
皇室関連の諸関連機関の用に資するものでないと
いけませんが、天守がその用を成すか?というと疑問。

そして、皇居関連施設とした場合に東御苑内の
一般開放と関連がないと思います。
富士見櫓も宮内庁管轄だったと思いますが、
同様の扱いになると推測します。

ま、いずれにしても江戸城と皇室のあり方という点では
自分が考える皇室の敬い方が本当に正しいのか?
そもそもどうあるべきなのか?に考えを深めること
とも関連する問題ではありますね。

少なくとも、古代から長い歴史のある皇室において、
明治以降の皇室像があるべき皇室像か?
は、一考の余地がありそうです。

2014/1/22追記
ひと目でわかる、江戸城の寛永度天守台と
現存天守台はまったくの別物

新たに批判を見つけたので、コメントを追記します。
まず、よっぽど意見の違いが気に食わないのか、
過激な言葉が目に飛び込んでくるのが印象的。

そして、小竹理事長に対する個人攻撃。
えっとね・・・批判するなら個人攻撃は最低です。
やっちゃいけない基本的なルール。

反論があるときこそ、その内容にフォーカスするよう
配慮すべきであり、口汚い非難をしていても
全うな議論の妨げになるだけでしょうね。

挙句の果てには、金銭上の詐欺的行為の可能性ですって?
思い込みで発言するのも大概に・・・ですよね。

という内容はさておくとしても、このサイトが
指摘する内容について、再反論してきましょうか。

その主張は、

・江戸城の寛永度天守台と現存天守台は別物である
・この事実を江戸城天守を再建する会
 (以下再建する会)が無視し続けている
・寛永度天守台と現存天守台が同じだと再建する会が
 事実無根の主張をしている

という内容です。ふむふむ。

えっとですね、寛永度天守台と現存天守台が同じだと
主張しているのですかね。何度も会に出席していますが、
このような主張は目にしていません。

根拠として、小竹理事長の挨拶を挙げていますが、
ある意味説明不足な点はあるものの、
広島大の三浦教授が監修されている以上、
常識である「江戸城天守台は明暦大火後の再建」である点を
認識されていないはずはない、と考えています。

そして、それに小竹理事長が無関心ですと?
ご本人に聞いてみましたか?文章で天守台の経緯を
明示的に触れていないからといって、関心がないだとか
曲解しているとは言えませんよね。

さらに言えば、寛永度天守と万治元年(1658年)の
再建天守台との相違についても、相違点そのものとしては、
認識は正しいと思いますが、天守の再建是非の根拠としては
極めて根拠薄弱と言わざるを得ません。

①石垣の色が違う
 寛永度が安山岩系の伊豆石、万治度は小豆島の花崗岩。

②高さに相違
 寛永度と比べ万治度では約3m低い。

③天守台の形状の相違

④天守台が築かれた経緯の相違
 →保科公の発言を大事に・・と同様の議論ですので、
  本文(3)に説明を委ねます。

てことで、①~③に対する反論。
一言で言うならば、正徳年間に再建しようとした歴史を
無視していると言えるでしょう。

わたしは、寛永度天守再建とはつまるところ、
正徳年間に検討された「寛永度天守をそのまま再建しよう」
というプロジェクトを現代に蘇らせることと考えます。

つまり、寛永年間そのものにあった天守台ではない
別の天守台に建てようとした歴史的経緯を追うことであって、
違っていて当然でありますし、検討に当たっては
まったく問題だと思えません。

問題になるのは、現存する天守台を詳細に発掘調査をし
寛永度天守図面との物理的な矛盾が生じた場合。
この場合は歴史的事実として、寛永度天守を万治度天守台に
正徳年間に再建しようとはしたものの、具体的に
建造するところまで検討が至らなかったことになります。

この際に、天守台に再建すべきなのか?は
議論の分かれるところ。

しかし、それが分かった時点でプロジェクトに
ストップをかければいいのであって、現段階で
批判する根拠としては成立しないと言えます。

さらに言うならば、②の高さの相違については、
三浦教授から興味深いエピソードをお聴きしています。

それは、寛永度天守が上がった際、将軍家光が
本丸外から天守を眺めた際に、石垣が少し見えているのが
興ざめで残念だった・・とこぼしていたそうで、
前田綱紀の再建天守台では、それを考慮してわざわざ
低く天守台を築いたのだそうですよ。

わたしも三浦教授から伺っただけなので、
その根拠は知りえていないのですが、これが真実だとすると、
むしろ、家光の意向に沿った天守が初めて
平成の世に築くことができたということになります。

・・・というわけで、天守台が寛永度ではないからといって
再建を検討(再建と決まったわけではない)べきではない
という結論にならないことは明白です。

批判するにしても、あまりにひどい批判だったので、
これは意見をまとめないと・・・と感じた次第。

2014/3/2追記
城の再発見!いよいよ論議すべき、「復元」ではなくて「仮想再建」だという実態

さて・・・忙しくて扱えていませんでしたが、
また反論がありましたので、言及しておきましょうかね。

このブログをご覧になったのか?あるいは別ルートで、
ご存知なったのかはわかりませんが、

「幕府はこの台座の上に寛永天守と全く同じものを造る予定だった」
という三浦正幸先生の主張が、「再建する会」の唯一の後ろ盾(だて)

ということに言及していますね。
ま、これはこの通りでしょう。

これに反論があるなら、最初からそう反論すればよく、
妙な悪口雑言をのたまわなくてもいいのに…
と思うのですが、それはさておきですね。

 きっと現状の高さ5間半の石垣の上に
 「狭間石(さまいし)」を増設して
 6間にすることを意味していて・・・

というくだり。そうなんですか?
図面に狭間石が描かれているのは見たことないのですが
そのあたりを詳しくお聞かせ願いたいですね・・!!

また、寛永度と正徳度の相違点(の可能性)として、

 1.千鳥破風の勾配がゆるい
 2.降り棟が千鳥破風には描かれていない

は確かに興味深い点ではありますね。

ですが・・・その観点も議論の対象に含めるべきだと
いう点は同意しますが、今の時点で再建すべきでないという
判断をするのは尚早でしょう。

むしろ、もっともっと再建に向けて議論するべき
内容が多くあって、しっかり議論しようぜ、
ということだと思うんですけどね・・・

また、タイトルが「復元」ではなくて
「仮想再建」だという実態とつけられているにも関わらず、
なぜ「復元」ではないのか、「仮想再建」と呼ぶべきか?
については、言及されていませんね?

なんだかモヤモヤした記事だなというのが、
正直な感想ではありますが、せっかくなので、
会の議論の場に参加くださったらよいのに・・・・
と思わずにいられませんでした。

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コメント

Re: 江戸城東御苑天守閣木造再建:

(1)大賛成です。

(2)絶対、木造です。例:熊本城(再建済)
   理由:木造は日本古来文化。
   防火:可能。例:現在の京都、奈良文化財:

(3)資金:募金で可能(熊本城は:40億円)

(4)政府の協賛が必要。

投稿: 千葉 | 2013.10.15 23:43

nikko81です。

●千葉さん

当ブログにお越し頂きありがとうございます。
賛成とのことでうれしい次第です。
木造というだけでは、不十分かと存じますが、
木造は絶対条件ですね。

防火は、実質的な課題もさることながら、
消防法など既存の法律の問題もあるように思います。

わたしも募金で賄うべきだと考えます。
コンクリではありますが、大阪城天守再建は
ほとんどが募金で賄われたらしいですからね。

政府のサポートは不可欠でしょう。

投稿: nikko81 | 2013.10.18 01:38

天守再建、賛成です。
でも、先に櫓や見附など復元して欲しい…。

投稿: 山本 | 2014.08.06 18:04

nikko81です。

●山本さん

お越しありがとうございます。
そういうご意見があるのも理解はします。

ただ、順序としては天守なのなぁ・・・
という気がします。皇居という特殊な場所に
歴史的建造物を再建する道をつけるためには・・・

投稿: nikko81 | 2014.08.10 10:44

随分、江戸時代に詳しいのだとは思いますが、あまり歴史の流れに理解の無い意見だと思います。

江戸時代に興味があるから城を皇居に再建すべき、とはアホ過ぎでしょう。

Q&Aにはその「気持ち悪さ」が強烈に現れています。以下npo-edojo.org/edo_castle/qa.phpより引用。

『日本全体で「世界に類を見ない、この国の歴史と伝統、文化のシンボルとして、江戸城寛永度天守を再建しよう」』

なぜ、歴史・伝統・文化のシンボルが江戸城天守閣なのでしょうか?それをあなたはちゃんと説明できるのですか?

普通、マトモな日本人なれば本居宣長が述べたように日章(旭日)、桜あたりを思い浮かべるでしょうか。江戸城は中世(近世)のシンボルではあっても長い日本の歴史の中では一部でしかありません。なぜこれがシンボル?意味不明です。

外国人の理解によるものか分かりませんが、「鳥居」を挙げる人も居るでしょう。神道のシンボルですからこれも良いでしょう。

『天守の上に人が登れるように造れるのか、否か、つまり、再建の詳細設計図は、まだ決まっていません。』
『1階から5階まで登れるようにするのか、それは今後の検討課題』

「なし崩し狙い」ですとハッキリ自白しておられる。吐き気がします。こんなことでは、「西・南は不可視とする」ことなんぞ直ぐに破られると認めているようなものです。気色悪い。

『日本の伝統や文化の歴史的遺産として、世界に誇れるものでしょうか?いまの東京には世界にアピール出来るこうしたモニュメントがない』
江戸城は江戸のシンボルではあっても、東京のシンボルではありません。こんなことも分からずに、恥知らずにもこのような文章を書く団体には吐き気を覚えます。歴史が無いのは東京が新しい都市だからです。仕方ありません。新しいものを発信していけばよいでしょう。もちろん、明治以降で消失した建築でもよいかもしれません。私は明治神宮で十分と思いますが。


『「あれがショーグンのキャッスルか!」』
そもそも中世の城は江戸固有でもないので、外人には姫路城やら松本城やらを見に行かせればよいでしょう。
地方にお金が落ちるのは非常によいことです。
みっともない他のコンクリ城を建て直す案もあるでしょう。

『(外人の観光が)残念ながら決して多いとは言えません。』
先月(2014.07)の外人観光客は過去最高だそうです。為替が大きいのでしょう。観光資源は十分なので、発信力と為替政策に力を入れれば十分でしょう。

『山形、仙台、名古屋、大阪、広島、熊本、那覇などは、お城が最も重要な観光資源になっています。』
東京にはそれ以外の観光資源が沢山あります。そもそも、ここにあがった地名は全て徳川の時代までに地名として成立していた場所だと思いますが、東京は江戸という名前を変えて出来た都市です。江戸のシンボルは東京のシンボルになりえません。

『地方のアイデンティティ』
江戸をわざわざ江都と書くまでに欲しがった「京」のブランドを既に東京人は得ています。いまさら城如きでアイデンティティがどうにかなるものでも無いと思いますが。私は地方出身なので想像ですが。


『つまり江戸城はただ東京に住む人たちだけのシンボルではなく、日本全体のシンボル、心の拠り処になり得るのです。』

なんで城にそこまで入れ込まなければならないのでしょうか?城にそこまでの宗教性があるのでしょうか?天守閣はキリスト教の「教会」から来ているという説は過去有力だったそうですが、あなたはキリスト教の回し者ですか?あ、冗談ですよ。しかし、世の中にはやたら天皇の権威性を貶めようと必死な人達がいらっしゃいますからね。そういう人達は徹底的に利用するような気がしてなりませんな。そうでなくとも、たかが江戸城を「心の拠り所」などとは気持ち悪い表現です。


『首都東京に必要なのは伝統と文化に根ざしたモニュメント、象徴です。皇居の東御苑で、場所が場所だけに、遠慮をして、お台場につくれば良いではないか・・ということになれば、それは「お台場城」であって、「江戸城天守」とは云えないのではないでしょうか。やはり、元あった場所に復元してこそ、日本の宝と云えるのではないでしょうか。』

長いのですが全部引用。江戸城をそのまま復活させようとは究極的には「皇居を壊そう」ということを意味します。元にあった場所に作ると言い切っていますから、そういう意思を明確に表しています。コイツは日本の歴史を侮辱したいのでしょうか?よくもこのような文章を晒せるものだと関心します。

『国民世論次第だと思います。一人でも多くの方々から、賛同とご支持、ご支援』

皇居を潰す運動を国民運動としてやりたい。正気とは思えません。

『一切の政治的、資金的、思想・宗教的バックを持たず』
どんな怪しい政治団体も大抵そういうことを言います。ここがそうとは言いませんが。そもそも「心の拠り所」とまで言う建物が宗教的意味合いを持たない方がオカシイでしょう。城マニアでもあるまい。

『会長は太田資暁です。大田道灌の第18代子孫』
江戸東京の歴史を見たときには重要人物でしょいう。だから東京には大田道灌の銅像が複数あったように思います。それでは不満なのでしょうか?皇居に建てろとは随分と不遜な輩たちですね。

投稿: noedo | 2014.08.22 02:32

nikko81です。

●noedoさん

まず、ご批判を賜りありがとうございます。
ところどころ、冷静な議論にふさわしくない表現
がありますが、建設的にお話しする上でも、
お控えになったほうがよろしいかと存じます。

> 随分、江戸時代に詳しいのだとは思いますが、
> あまり歴史の流れに理解の無い意見だと思います。

どう理解がないのか、詳しくご説明くださいますか?

> 江戸時代に興味があるから城を皇居に再建すべき、
> とはアホ過ぎでしょう。

わたしの文章のどこにそう書いてあるでしょうか?
わたしが興味あるというだけではなく、
江戸城の天守は再建できる史料的根拠があるわけだから、
再建される可能性があった場所に再建することを
検討してはどうか?ということです。
場所がたまたま皇居であるというだけにすぎません。
個人の興味だけで賛意表明をしてはいません。

もちろん、興味があるから再建してはどうか?と
意見表明するわけですが、
江戸時代に興味があるわけではなく、
城、天守に興味がありますのでお間違えなく。

> Q&Aにはその「気持ち悪さ」が強烈に現れています。
> 以下npo-edojo.org/edo_castle/qa.phpより引用。
> 『日本全体で「世界に類を見ない、この国の歴史と伝統、
> 文化のシンボルとして、江戸城寛永度天守を再建しよう」』
> なぜ、歴史・伝統・文化のシンボルが江戸城天守閣なのでしょうか?
> それをあなたはちゃんと説明できるのですか?
> 普通、マトモな日本人なれば本居宣長が述べたように
>日章(旭日)、桜あたりを思い浮かべるでしょうか。
> 江戸城は中世(近世)のシンボルではあっても
>長い日本の歴史の中では一部でしかありません。
> なぜこれがシンボル?意味不明です。

気持ち悪いという主観的な感想を頂戴しても、
どうお返しすればわかりませんが・・・
理事長その人ではないので、わたしの意見として
書かせていただきます。

もちろんご指摘のように、天守は長い歴史の
なかの近世初期を象徴する構造物でありますから、
長い歴史のひとつでしかないのはその通りです。
しかし日本を代表する木造建築技術の高さを
表せる構造物であることは間違いありません。

しかも当時の設計思想を以って構築可能であるとするならば
(考証レベルはまだまだ必要とは思います)
日本の歴史的な一幕を代表するに不自然はないと考えます。

「普通」「マトモ」というのは、貴殿の常識でしかない
と思いますので、詳しくご説明いただく
必要があると思います。

日章旗も元は日本を代表するというより、
天皇家から下賜された武家が使い始めたものであり、
日本という国家を代表するのは幕末からだと思います。

桜にしても、現代でこそ誰もが愛でる花ですが武士の時代は、
今ほどは愛されることがなかったとも聞きます。

どちらも現代の日本において、代表することには
まったく依存はないですが、長い日本の歴史で常に
日本を代表してきたものではないことは、
申し添えておきたいと思います。

> 外国人の理解によるものか分かりませんが、「鳥居」を
> 挙げる人も居るでしょう。神道のシンボルですからこれも良いでしょう。

神道のシンボルならよいのでしょうか?同じ宗教の寺院はどうなのでしょう?

> 『天守の上に人が登れるように造れるのか、否か、
> つまり、再建の詳細設計図は、まだ決まっていません。』
> 『1階から5階まで登れるようにするのか、それは今後の検討課題』
> 「なし崩し狙い」ですとハッキリ自白しておられる。吐き気がします。
> こんなことでは、「西・南は不可視とする」ことなんぞ
> 直ぐに破られると認めているようなものです。気色悪い。

頭が悪くて申し訳ないのですが、天守の1~5階まで登れるようにするのか
(=建築基準法との兼ね合いをどう克服するかという課題認識を持つことが、
どうして「なし崩し狙い」になるのでしょうか?
どうして「西・南は不可視とすることを破るつもりだ」という結論になるのでしょうか?
失礼ながら、論理が飛躍しているように思え理解いたしかねます。

> 『日本の伝統や文化の歴史的遺産として、世界に誇れるものでしょうか?
> いまの東京には世界にアピール出来るこうしたモニュメントがない』
> 江戸城は江戸のシンボルではあっても、東京のシンボルではありません。
> こんなことも分からずに、恥知らずにもこのような文章を書く団体には
> 吐き気を覚えます。歴史が無いのは東京が新しい都市だからです。
> 仕方ありません。新しいものを発信していけばよいでしょう。
> もちろん、明治以降で消失した建築でもよいかもしれません。
> 私は明治神宮で十分と思いますが。

なぜ明治以降で消失した建築ならいいのでしょうか?
明治以降の歴史=東京と捉えておいでなのですね。
江戸と東京は連続しています。江戸城の痕跡をうまく使いながら
東京ができているのです。しっかりと江戸という都市の歴史を捉えないと
東京が平板な理解になります。江戸を無視し、東京だけを見て
東京に歴史がないというのは、フェアな理解とはいえないと考えます。

> 『「あれがショーグンのキャッスルか!」』
> そもそも中世の城は江戸固有でもないので、外人には姫路城やら
> 松本城やらを見に行かせればよいでしょう。
> 地方にお金が落ちるのは非常によいことです。
> みっともない他のコンクリ城を建て直す案もあるでしょう。

姫路城や松本城は中世ではなく近世の城郭ですが、
コンクリートの天守をどう再建するかは別の議論ではありますが、
個人的には重要なことだとは思います。

> 『つまり江戸城はただ東京に住む人たちだけのシンボルではなく、
> 日本全体のシンボル、心の拠り処になり得るのです。』
> なんで城にそこまで入れ込まなければならないのでしょうか?
> 城にそこまでの宗教性があるのでしょうか?
> 天守閣はキリスト教の「教会」から来ているという説は
> 過去有力だったそうですが、あなたはキリスト教の回し者ですか?
> あ、冗談ですよ。

城は天守だけではなく、縄張りや濠・土塁・石垣
等々から構成されますので天守だけが城というわけではありませんが、
城に興味があり、日本における重要な建造物だと考えるからです。
なぜここに宗教性が持ち出されるのでしょうか?

天守の名称の起源は、織田信長の安土城「天主」にある
と言われております。信長のことですので、
キリスト教の影響はあるとは思いますが、
これをもってキリスト教の回し者?などと冗談でもおっしゃられるのは、
理解に苦しみます。直接江戸城との関連もありません。
さらにさかのぼると、中心的な御殿=殿守・殿主にあると
言われています。

> しかし、世の中にはやたら天皇の権威性を貶めようと
> 必死な人達がいらっしゃいますからね。
> そういう人達は徹底的に利用するような気がしてなりませんな。
> そうでなくとも、たかが江戸城を「心の拠り所」などとは
> 気持ち悪い表現です。

なるほど、天皇陛下を貶めるようにしか見えないということなんですね。
明治以降の天皇家のあり方が正しい姿と信じておいでなのでしょうか?

> 『首都東京に必要なのは伝統と文化に根ざしたモニュメント、象徴です。
> 皇居の東御苑で、場所が場所だけに、遠慮をして、お台場につくれば
> 良いではないか・・ということになれば、それは「お台場城」であって、
> 「江戸城天守」とは云えないのではないでしょうか。
> やはり、元あった場所に復元してこそ、日本の宝と云えるのではないでしょうか。』
> 長いのですが全部引用。江戸城をそのまま復活させようとは
> 究極的には「皇居を壊そう」ということを意味します。
> 元にあった場所に作ると言い切っていますから、
> そういう意思を明確に表しています。コイツは日本の歴史を
> 侮辱したいのでしょうか?よくもこのような文章を晒せるものだと関心します。

皇居を壊すなどとどう読み取ればどうなるのか、理解に苦しみます。
徳川時代と現代の天皇陛下のいらっしゃる宮城と
を両立させようとすることに他なりません。貴殿がおっしゃるのは、
「日本の歴史そのもの」ではなく偽の錦の御旗を立てて、
孝明天皇の御意思を踏みにじって成立した
「明治政府を侮辱するな」とおっしゃりたいだけように読めます。

これに関しては、宮内庁、ひいては天皇陛下の詔勅によるべきだと考えます。
そのために検討する土台をつくることについて、わたしは賛意を表しています。

> 『一切の政治的、資金的、思想・宗教的バックを持たず』
> どんな怪しい政治団体も大抵そういうことを言います。
> ここがそうとは言いませんが。
> そもそも「心の拠り所」とまで言う建物が宗教的意味合いを
> 持たない方がオカシイでしょう。城マニアでもあるまい。

怪しい団体と言いたくてい方がないご様子ですが、
宗教的な文脈をまったく無視しても、
わたしは城や天守・櫓に関心が高いですので、
十分の心のよりどころになります。
そのいう人々は少なくはないと考えています。

> 『会長は太田資暁です。大田道灌の第18代子孫』
> 江戸東京の歴史を見たときには重要人物でしょいう。
> だから東京には大田道灌の銅像が複数あったように思います。
> それでは不満なのでしょうか?皇居に建てろとは随分と不遜な輩たちですね。

会長が太田道灌の子孫であることと、江戸城天守を建てるべきかどうか?
とはまったく関係ないことです。たまたまそのような出自の方が賛意を持ち、
会を発足させているにすぎません。

投稿: nikko81 | 2014.08.24 14:54

初めまして
ブログを拝読致しました
 天守再建に関しては、画期的な試みだと思うので賛成です(再建する会に入ってませんが、一度講演を拝聴した事はあります)
 お初で大変恐縮ではありますが、僭越ながらお城全般にとても造詣がお深いと思いましたので、2点質問させて戴いても宜しいでしょうか?
 現在の天守台は寛永天守の頃より2m低く、更に2m程舗装された地面に埋まっていると知り、再建してもかつての天守よりかなり低くなると思われるのですが、その点に関してはどうでしょうか?
 又、書籍によっては寛永天守は(建屋部分が)44.8mではなく51.5mと記されており、本当の高さは確定しているのでしょうか?
 恐れいりますが、御返信お待ちしております。

投稿: 相市 | 2014.11.08 19:40

nikko81です。

●相市さん

遅くなって申し訳ありません。
お越しいただきありがとうございます。

ひとつめのご質問ですが、天守台そのものが
2m低いのは外から見て天守台が少し見えるのが
家光将軍としては気に入らなかったそうで、
再建する際に、その意向を取り入れたもの…
といわれます。

したがってこの天守台に天守が建ってこそ、
家光将軍の意にかなった天守になるのでは、と。

舗装された地面は回りだけでも掘り返しが
できるといいですけどね・・

また棟高ですが、44.8mが正解だと思います。

投稿: nikko81 | 2014.11.16 22:30

御返事遅れて申し訳ありません。
詳しい御回答有難う御座いました。
寛永天守は建屋(44.8m)だけで姫路城天守(46.3m)を殆ど覆う大きさなので、建屋をあげるだけでも色々と大変だと思います。

投稿: 相市 | 2014.11.23 22:37

nikko81です。

●相市さん

そうですね、木造建築としては日本有数の建造物に
なることだと思います。どのようにして
建築していくか、その方法論も気になりますね。

投稿: nikko81 | 2014.11.30 15:02

nikko81さん
久方ぶりです。度々すみません。
寛永天守再建について、知人から「文化財でもないから建てても(赤字の末)維持できず取り壊される可能性が高い」という指摘があり、確かにと思いました。
大阪城天守は入城料600円(中学生以下無料)、年間訪問者150万強らしいのですが(寛永天守は入城料1200円、年間訪問者500万を想定してるそうです)、本丸御殿のある熊本城や名古屋城と違い、天守のみで永続的に安定した集客率があるか気になりました。参考にnikko81さんの御意見も伺えればと思っております。

投稿: 相市 | 2014.12.13 10:14

nikko81です。

●相市さん

こちらこそ遅くなってしまいました。
申し訳ありません。

残念ながら、「文化財でもないから建てても(赤字の末)維持できず取り壊される可能性が高い」
というご指摘には、論理の飛躍があると思います。

赤字の末ということは、文化財ではないから
人が来ないと読めますが、文化財指定される
「から」人が来るのでしょうか?

では、復元された他城の天守や櫓に
観光客の方がお越しになるのはなぜでしょうか?

また、損益シミュレーションですが、
確かに年間500万の前提はいいのか?という点は
あると思っていて、天守の物理的なキャパの問題などを
考慮する必要があると思います。

集客力については、もちろん御殿や他の整備と
一体になっていくのが理想ではありますが、
天守のみでは集客力が足りないと言い切るには
論拠が足らないと思います。

投稿: nikko81 | 2015.01.07 21:59

nikko81さん
重ね重ねの御返信恐縮に存じます。
文化財ではないからお客が来ないという事ではなく、観光客が少なくて赤字に陥った時、文化財ではない為、国の補助を受けることができず、維持管理が難しくなり、取り壊される可能性もあるという事をお伝えしたかったのですが、説明不足でした。
寛永天守は未曾有の大型高層木造建築である為、メンテも通常のお城より大変だと思いますが、築80年以上の大阪城天守も町のシンボルになっているので、寛永天守も是非東京の恒久的シンボルになってほしいと思っております。

投稿: 相市 | 2015.01.10 11:07

nikko81です。

●相市さん

なるほど。理解不足申し訳ありません。
個人的な見解ですが、国の補助を当てにしている
ようではダメだと思っております。

だからこそ入念なシミュレーションが求められる
と考えております。

投稿: nikko81 | 2015.01.10 15:51

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