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2013年4月

死を意識して生きるということ。

毎年、この日には偲ぶのですけれども、
今日はお世話になった方の誕生日。

こちらの情報に寄れば、2006年6月に
旅立たれているので、享年36歳ということになります。

しばらく経って、文字通り夜通しで泣き
三十路の扉をまさに開こうとしていたわたしが、
いまや、その年齢に達しようとしています。

昨年も同じようなことを思い描いてましたが、
いよいよその歳を越え、先に行こうとしております。

30代になって、関心のあることが増え、
また各々が太くなり、そして重なり絡まりあって、
立体をつくるような、思いを強くしています。

30代って、20代の楽しみの感じ方とは
随分と違った奥行き感を伴うことも噛み締めていて。

そんな中で死を覚悟して残りを生き、
後事を託すなど・・・眼前に楽しみが広がるであろうと
想像できるまさにその時に、命の灯火が
消え行くことを知りつつ生きていくなんて、ね。

残った人は悲しいけれど、どういう心持なのだろう。
悔しかったのかな。それとも悟った境地になるのかな。
残す人たちが心配だったのかな。想像しきれない。

忘れてくれないなら、せめて悲しまないで
と残されたことばからは、優しさだけでなく、
自分に構わず前を向いて進め、という力強さも感じます。

今自分の灯火が消えたら、どうなるだろう。
何をしなくちゃいけないだろう、
どうならなくちゃいけないだろう。

いまだに語りたい、お話を聴きたい
という気持ちが残ります。

あのときは、メーリングリストだけでも
十分楽しかったんですけど、ソーシャルメディアの時代
だったら、と想像するとなおさらね。

何度か書いた気もするけど、彼女だったら
どう使いこなしたのか、どう向き合うのか知りたかった。
たぶん、すごく刺激をもらえただろうに。

同じ年の差であっても、社会人になるかならないか、と
社会人になってしばらく経ったという関係から、
今この歳で語り合っていたら、違ったものが
みえてきたのかな、なんて。

てか、なんだか他力本願だな。いかんいかん。

でも、わたしもどんなカタチでもいいから、
何かを残して誰かに血肉になれればいいな・・と。
そのためには、自分の生き方をしっかりしなきゃね。

軸を持って、それでいてしなやかに。
関心の糸を紡いでいきたいですね。

そして、比較的最近に付いた先ほどのリンク先の
コメントから今更ながら、でも実は気づいてはいたように、
やはりside story
ある種の自伝なのだな、と確信。

陽介の年に近づいていく美也子。
そして、その年に消え行く命・・・

わたしはその話を直接したことはないのですが、
今頃、同い年になって、寄り添えられてたらいいな。

わたしが今立つのは、あの包容力のある
陽介がいなくなった時点とも重なるというわけですね・・

今日は、歴史関係の飲みも入ったイベントに
参加しようと思っていますが、まず最初の一杯は、
姉さんに献杯だな。姉さん、何がいい?

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江戸城天守再建論批判についての反論。(2014年3月2日追記)

さてさて、10日くらい前でしょうかねぇ・・・
江戸城天守再建の話がWebニュースで
取り上げられたことで、いろいろ反応があるようで。

まぁ、なんと言いますか、元が2chがソースなんで
ネガティブな反応が多いのは、想定の範囲内。

にしても天守再建と聞いて、それなりに歴史を知った上で、
批判するおおよそのパターンが網羅されてるんじゃないかな?
という気がしたので、自分のためにも整理しとこうかと。
ネタはここね。その1その2

・・・とその前に、わたしが描く江戸城天守再建の価値は

(1)史的根拠が極めて明確かつ豊富
(2)日本の木造高層建築の伝統技術を伝えていける好事例
(3)公共建造物としての活用が期待できる

であるということです。

観光云々は結果ついてくるものであると考えていて、
最初から観光ありき、という考え方には賛同しません。
(ということで、観光ありきにならないか?を監視する
 のも城好きとしての役割かと思っています)

で・・大別して、批判の傾向は以下の5つに纏められますね。

(1)事実誤認による批判
(2)保科正之の故事を台無しにするな
(3)天守がなかった時代が長いのに、今更つくるな
(4)天守よりも本丸御殿
(5)天皇陛下を見下ろすな
(6)カネはどうするんだ

(1)事実誤認による批判

まぁ、これはNPOのアピール不足もある一方で
思い込みも個々人にあると思うので、
仕方ない面もありますが…

例えば、江戸城天守に関する史料なんてないだとか、
どうせコンクリートの偽天守つくろうとしてんでしょ、とか。
あと、巨木が絶対手に入るわけがない、巨大な杉や檜は、
国内外いくら探しても見つからない・・というのも。
# 木材に関しては、こちらをどうぞ。
# その1その2その3その4その5

江戸城にしても、先ほど書いたばかりの小田原城にしても、
候補となる材木はあるにはありそうなので、
最初からないに違いないと決めて掛かるのは、
よろしくないのでは、と思います。

ただ、全国の復元可能な天守・御殿・櫓を一斉に
再建しようとすると、材が不足する恐れはあるんじゃ?
とは思っています。その可能性は押さえておく
必要がありますよね。

城郭建築だけでなく寺社建築も含めると、
対象となる建造物は多くありそうですから、
将来取り合いになる可能性も…

また、現天守台って、天守が乗った例はなく、
寛永度天守は乗らないというのも、
事実誤認だと思っています。

ていうのは、高さが16m→14mと低くなった以外、
床面積としては変更がなかったはずですので、
江戸城御本丸御天守百分之一建地割」が
使えるんじゃないか…というのと、
現在の天守台を想定した寸法は、正徳度天守の
立面図(江戸城御天守絵図)からわかるんじゃないかと。

もう1点、富士見櫓が天守代用ということですが、
江戸幕府が富士見櫓を「天守」と称したことはありません。
高みに上って見物するという、天守があれば天守に
登ってしたであろう用途の代用として使われた、
というだけに過ぎません。

従って、富士見櫓があるじゃないかというのは、
的を射ない指摘だと考えます。

(2)保科正之の故事を台無しにするな

すごく目立つのがこれですね。故事とは、
天守だけでなく、江戸の大部分を焼き尽くした明暦大火の後、
天守再建を断念し、江戸の城下町復興を優先させた、
というできごとのことを指しています。

が、これについては焼失時における財政環境、
そして、天守の価値と現代に敢えて再建する価値との
相違をしっかりと押さえておく必要があると思っています。

即ち、焼失直後にあって、

●再建する必要のある建造物は多く非常に膨大
●家光の日光東照宮造営等で相当の幕府も出費をしていた
●天下普請は1660年を最後になく、各大名屋敷も焼失し、
 幕府だけでなく各大名も屋敷の再建が必要

ということは、当然江戸城内の建造物も
必要性で優先順位をつけて、再建するのは道理です。

さて、この時期の必要性とは、

イ:将軍の住まいの確保
ロ:江戸城の守備
ハ:幕政・幕府公式行事を執り行う環境整備

というところと推察されます。

従って、将軍私邸の「大奥」、将軍政務の場「中奥」、
幕政の中心「表」で構成される本丸御殿、
そして、守備に不可欠な枡形門・櫓。

一方天守は、一般に天守十徳ととして、
江戸時代にはその価値が認識されていたといいます。

城内を見渡せる
城外を見晴らせる
遠方を見望できる
城内の武士の配置の自由
城内に気を配れる
守りの際の下知の自由
敵の侵攻を見渡せる
飛び道具への防御の自由
非常の際に戦法を自在にできる
城の象徴

これ、結局高層な物見台としての価値、
それと城の象徴というところに集約できます。

こう考えると、明暦大火後の環境で、
保科正之が天守よしましょうよ、というのは
うなづけると思います。

が、一方で現代にとっての価値ですが、
当然、環境も価値観も正之の時代とは違います。
正之があの環境でNGといった根拠をそのまま流用し、
現代でも建ててはならない、というのは論理に飛躍。

建てたことで、当時建てなかった判断をした
歴史的な故事に瑕疵が付くわけでもなく、
その判断の妥当性・意義に曇りが出るわけでもないわけで、
歴史好きという観点で見ても、問題があるとは思えません。

むしろ、この長い間建てず、今建てるという検討を
することに意味を見出すことができると思っています。

保科正之が言ったから、そのままであるべきという論説は、
「誰かが言ったからこうする」式の思考。

(3)天守がなかった時代が長いのに、今更つくるな

そう来るか・・・少し(違う意味で)感心したのですが、
「昨日が今日でも、今日が明日でも、明日が昨日でも、
まるで変わら」ないことが、歴史を伝統を守る
とでもお考えなんでしょうか。

天守がない時期が長い=その歴史を「尊重」するため、
天守はつくってはいけない?尊重とは手をかけないことが
尊重なのですか?まったく理解に苦しみます。

歴史しか見えていない人によくあるような気がしますが、
江戸時代当時のモノでないと価値を見出せない人。
これ、現代の宮大工の皆様にとてつもない失礼な物言いを
していることに気づいてはいないのでしょうね。

歴史的に長くその体を保ってきた建造物が
貴重なのはその通りだけど、だからといって現代に
伝統ある建築技術のDNAがカタチになることに対する
価値を貶めることとは、つながりません。

われわれが守るべきは、文化財としてカタチになっている
モノそのものだけではなく、遠い未来に渡っても、
生み出していける技術。表現型としてだけではなく、
遺伝子型として、守っていかないといけません。

江戸時代以前につくられたモノだけにこだわり、
その時代から続く技術伝承には気を配らずにいる
歴史的価値原理主義には、断固として反対します。
それこそ伝統を失わせる遠因となるから。

(4)天守よりも本丸御殿

これもけっこう目に付く批判。ただ、本丸御殿の再建は、
こちらも資料は豊富にあって、その年代の御殿にするかは
議論はありますが、史的根拠が豊富という意味では、
天守同様、かなり豊富なほうだとは思います。

また、美術的価値という意味では、本丸御殿のほうが高い
ということにも同意はします。襖絵の下絵なんかも、
資料残っていますしね・・・

ただ、これは本丸御殿を再建すべきだという議論には
なりえても、天守を再建するなということにはなりません。

実際、水面下でそのような模索の動きはあるようですし、
同時にとはいかないにしても、本丸御殿の再建も応援したい。
まったく以って、天守再建と対立しないと思います。

ですが、わたしの関心としては、歴史的な観点以外では、
構造的・建築学的な点にあるので、
個人的には天守優先ということなんですよね・・・

江戸の歴史の大部分は本丸御殿で動いたんだから、
本丸御殿が先だというのは、歴史的観点「だけ」で
城を捉えているからであって、この点は個人の価値観や
関心のベクトルの違いというほかはないですね。

本丸御殿の以外の櫓門や重層櫓については、
あまり言及はありませんでしたが、これについても、
キッチリと復元できるならやるべきだと思います。
が、優先順位的には天守を先に、というのは変わりません。

外濠や内濠の埋め立てられたところの復元も
大賛成ですが、天守をどうするかとは別で考えて
よいのではないかと思います。

その他、少数意見としてAR(拡張現実)でやれば?
という意見もありましたが、個人的な意見としては、
安土城や福岡城のように、存在が疑われている天守や、
外観・意匠がハッキリせず、議論が分かれているような天守に
適用すべき技術だと思っています。

というのは、根拠がハッキリしないまま建ててしまうのは、
仮に木造だとしても、再建ではなく模擬建築となってしまい、
(模擬には模擬の価値はあると思いますが)後世で史料が
発見されたときに、とりかえしが付かなくなります。

木造であれば、解体移築が比較的容易とはいえ、
無理に再建しなくても、天守台当地においては
ARで代用する…というのが代替案として成り立つでしょう。

が、江戸城天守はしつこいですが、根拠が明確です。
現皇居という特別な事情や費用を除けば、
ARでとどめておかねばならない、という根拠は薄い、
と考えています。

もし、東京でやるとすると、外郭門(見附)で
当時の桝形門を再現するのは、おもしろいかも知れませんね。

(5)天皇陛下を見下ろすな

これに対する解は明確。要は吹上御所の方角、
つまり西面・南面は窓を開けられない構造にしておく、
というのが、この再建計画のポイント。

皇居を見下ろすからダメならビルも規制すべき、
という意見もありましたが、皇居内(皇居東御苑)という
場所も考えると、ビル以上にシビアにならないと、
とは思いますねぇ。

そして、そもそも建てていいのか?という点も
宮内庁と話をしてみないとわからないじゃないか?
ということ。やってみる価値はあると思います。

二条城天守が最初で最後、天皇が天守に上ったわけですが、
もし天守が成ったら、最初に上がるのはぜひ陛下に・・・
と思いますね。陛下こそふさわしい。

別の場所に建てればいいじゃないという話も
わからないわけではないけど、あの天守台に建てられる
はずだった天守を「再建」するという点から考えると、
可能な限り、あの天守台に再建する道を模索すべき、
と個人的には考えています。

とはいえ、どうしても難しい場合のアイデアとしては
ありえるとは思っています。その場合は、
史実と違う場所に再建する是非の論議が必要でしょう。

まぁ、「そもそもそんなこと考えついてすらないと思う」
というのは、失礼な話ですよねぇ。

あと万が一の倒壊や火災などで、陛下が危険に晒されないか?
というのは、気にしておかねばなりませんね。

(6)カネはどうするんだ

そりゃ、そうです。これはもちろん課題ですよね。
多くは寄付でまなかうべきでしょうし、
この点は今後の議論を待つしかないでしょうね。

個人的には、税金を投じるなら政府・東京都の投資と捉え
入城料や天守を貸し切ってイベントスペースにするなどして、
投資をどう回収するかを綿密に議論すべきだと思います。

もっと個人的なことを言うと、お泊りしたいけど…
それは厳しいだろうなぁ・・・

■建設的な指摘■

一方で、この指摘は鋭いなと感じるものもありました。

(I)足に不自由のある方への配慮
事故で足を怪我をされ、天守に登るのが大変だという方。
これはそうだろうなぁ…と。一方で安易にエレベータなどを
設置するのもよろしくないと思います。

岡城和歌山城の例もありますが、
仮に天守再建が成った暁には、エレベータなどに頼らず、
ラクに天守に上って頂くには、どうすればいいか?は
キチンと考えていかなければならないでしょうね。

(II)余計な誤解を受けないように

徳川の象徴たる江戸城天守を故地に建てることで、
つまらない政治的意味を見出されてしまう可能性の指摘。

「(5)天皇陛下を見下ろすな」の項でも書きましたが
間違いなく陛下に不敬があってはいけません。
その一点は、断固として守らなくてはいけません。

が、そのような可能性を想定されるんだな、ということを
頭に置いておくことは必要で、どう対応するかを
構えておかねばなりませんよね。

(III)反論を受け止められる包容力と地道な説得

そして、このコメントは大事なことを指摘されています。
抜粋して引用させて頂きます。

 最悪の展開は天守閣を建てようとする自分たちの主張を
 絶対視し、左翼活動家を利用して反対派を
 ノイズマイノリティーとして一蹴することだろうね。
 そしたらまずうまくいかない。 

 反対派を全否定せず彼らの意見にも耳を傾け粘り強く 
 「説得」する姿勢を見せないと、肝心の第三者から 
 全く支持を取り付けられない。 勘違いしないで
 もらいたいのは大事なのは「説得」というより
 「説得しようとする姿勢」を第三者に示すこと。 

江戸城天守再建に限らず、何か大きなことをやるとき、
必ず対立する言説が現れると思いますが、こういう態度で
真摯に地道に会話していかなくちゃ、という気がしますね。

ま、そもそもこの記事自体、反論から何か得られる
ものはないか?という視点で書いているので、
このプロジェクトを応援する限り、こういう批判には
真摯に向き合っていきたいと思います。

(追記)少しコメントを頂いたのでそれに関して

・東御苑内の一般開放を止めた上での
 皇居施設の一部としての再建案

利用目的として皇室ならびに宮内庁はじめ、
皇室関連の諸関連機関の用に資するものでないと
いけませんが、天守がその用を成すか?というと疑問。

そして、皇居関連施設とした場合に東御苑内の
一般開放と関連がないと思います。
富士見櫓も宮内庁管轄だったと思いますが、
同様の扱いになると推測します。

ま、いずれにしても江戸城と皇室のあり方という点では
自分が考える皇室の敬い方が本当に正しいのか?
そもそもどうあるべきなのか?に考えを深めること
とも関連する問題ではありますね。

少なくとも、古代から長い歴史のある皇室において、
明治以降の皇室像があるべき皇室像か?
は、一考の余地がありそうです。

2014/1/22追記
ひと目でわかる、江戸城の寛永度天守台と
現存天守台はまったくの別物

新たに批判を見つけたので、コメントを追記します。
まず、よっぽど意見の違いが気に食わないのか、
過激な言葉が目に飛び込んでくるのが印象的。

そして、小竹理事長に対する個人攻撃。
えっとね・・・批判するなら個人攻撃は最低です。
やっちゃいけない基本的なルール。

反論があるときこそ、その内容にフォーカスするよう
配慮すべきであり、口汚い非難をしていても
全うな議論の妨げになるだけでしょうね。

挙句の果てには、金銭上の詐欺的行為の可能性ですって?
思い込みで発言するのも大概に・・・ですよね。

という内容はさておくとしても、このサイトが
指摘する内容について、再反論してきましょうか。

その主張は、

・江戸城の寛永度天守台と現存天守台は別物である
・この事実を江戸城天守を再建する会
 (以下再建する会)が無視し続けている
・寛永度天守台と現存天守台が同じだと再建する会が
 事実無根の主張をしている

という内容です。ふむふむ。

えっとですね、寛永度天守台と現存天守台が同じだと
主張しているのですかね。何度も会に出席していますが、
このような主張は目にしていません。

根拠として、小竹理事長の挨拶を挙げていますが、
ある意味説明不足な点はあるものの、
広島大の三浦教授が監修されている以上、
常識である「江戸城天守台は明暦大火後の再建」である点を
認識されていないはずはない、と考えています。

そして、それに小竹理事長が無関心ですと?
ご本人に聞いてみましたか?文章で天守台の経緯を
明示的に触れていないからといって、関心がないだとか
曲解しているとは言えませんよね。

さらに言えば、寛永度天守と万治元年(1658年)の
再建天守台との相違についても、相違点そのものとしては、
認識は正しいと思いますが、天守の再建是非の根拠としては
極めて根拠薄弱と言わざるを得ません。

①石垣の色が違う
 寛永度が安山岩系の伊豆石、万治度は小豆島の花崗岩。

②高さに相違
 寛永度と比べ万治度では約3m低い。

③天守台の形状の相違

④天守台が築かれた経緯の相違
 →保科公の発言を大事に・・と同様の議論ですので、
  本文(3)に説明を委ねます。

てことで、①~③に対する反論。
一言で言うならば、正徳年間に再建しようとした歴史を
無視していると言えるでしょう。

わたしは、寛永度天守再建とはつまるところ、
正徳年間に検討された「寛永度天守をそのまま再建しよう」
というプロジェクトを現代に蘇らせることと考えます。

つまり、寛永年間そのものにあった天守台ではない
別の天守台に建てようとした歴史的経緯を追うことであって、
違っていて当然でありますし、検討に当たっては
まったく問題だと思えません。

問題になるのは、現存する天守台を詳細に発掘調査をし
寛永度天守図面との物理的な矛盾が生じた場合。
この場合は歴史的事実として、寛永度天守を万治度天守台に
正徳年間に再建しようとはしたものの、具体的に
建造するところまで検討が至らなかったことになります。

この際に、天守台に再建すべきなのか?は
議論の分かれるところ。

しかし、それが分かった時点でプロジェクトに
ストップをかければいいのであって、現段階で
批判する根拠としては成立しないと言えます。

さらに言うならば、②の高さの相違については、
三浦教授から興味深いエピソードをお聴きしています。

それは、寛永度天守が上がった際、将軍家光が
本丸外から天守を眺めた際に、石垣が少し見えているのが
興ざめで残念だった・・とこぼしていたそうで、
前田綱紀の再建天守台では、それを考慮してわざわざ
低く天守台を築いたのだそうですよ。

わたしも三浦教授から伺っただけなので、
その根拠は知りえていないのですが、これが真実だとすると、
むしろ、家光の意向に沿った天守が初めて
平成の世に築くことができたということになります。

・・・というわけで、天守台が寛永度ではないからといって
再建を検討(再建と決まったわけではない)べきではない
という結論にならないことは明白です。

批判するにしても、あまりにひどい批判だったので、
これは意見をまとめないと・・・と感じた次第。

2014/3/2追記
城の再発見!いよいよ論議すべき、「復元」ではなくて「仮想再建」だという実態

さて・・・忙しくて扱えていませんでしたが、
また反論がありましたので、言及しておきましょうかね。

このブログをご覧になったのか?あるいは別ルートで、
ご存知なったのかはわかりませんが、

「幕府はこの台座の上に寛永天守と全く同じものを造る予定だった」
という三浦正幸先生の主張が、「再建する会」の唯一の後ろ盾(だて)

ということに言及していますね。
ま、これはこの通りでしょう。

これに反論があるなら、最初からそう反論すればよく、
妙な悪口雑言をのたまわなくてもいいのに…
と思うのですが、それはさておきですね。

 きっと現状の高さ5間半の石垣の上に
 「狭間石(さまいし)」を増設して
 6間にすることを意味していて・・・

というくだり。そうなんですか?
図面に狭間石が描かれているのは見たことないのですが
そのあたりを詳しくお聞かせ願いたいですね・・!!

また、寛永度と正徳度の相違点(の可能性)として、

 1.千鳥破風の勾配がゆるい
 2.降り棟が千鳥破風には描かれていない

は確かに興味深い点ではありますね。

ですが・・・その観点も議論の対象に含めるべきだと
いう点は同意しますが、今の時点で再建すべきでないという
判断をするのは尚早でしょう。

むしろ、もっともっと再建に向けて議論するべき
内容が多くあって、しっかり議論しようぜ、
ということだと思うんですけどね・・・

また、タイトルが「復元」ではなくて
「仮想再建」だという実態とつけられているにも関わらず、
なぜ「復元」ではないのか、「仮想再建」と呼ぶべきか?
については、言及されていませんね?

なんだかモヤモヤした記事だなというのが、
正直な感想ではありますが、せっかくなので、
会の議論の場に参加くださったらよいのに・・・・
と思わずにいられませんでした。

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疑うこと、信じること。

・・・こう書くと、大体信じることがよくって、
疑うことがよくないことって、思われてませんかね?

この「ニセ科学をバカにする前に~科学という名の宗教~
という記事を読んでなるほど、秀逸な記事だなぁ、と。

改めて科学的であること、理論的であることとは
何かについて考えさせられました。
やっぱりどちらも大事で、どちらかではダメ。

論旨はリンク先をお読み頂きたいのですが、
ここでのポイントは、宗教が信じることを本質とする一方、
科学が疑うことを本質としていること。

そして、いずれも究極的にいえば、
「ということにしておこう」という仮説であること。

役に立つか立たないかではなく、真実に近づくための
二つの違った方法というものであって、
場面場面によって、使い分けながら真実に
近づいていけばいい、ということなんだろうと思います。

そこで「武田信繁異見九十九ヶ条」の第十一条に
出てくる論語の一節が(少し前にtwitterで見かけたこともあり)
頭をよぎったんですよね。原典は論語にあり、

子曰、学而不思則罔、思而不学則殆。
(子曰く、学びて思はざれば則ち罔(くら)し、
 思ひて学ばざれば則ち殆(あやう)し)

学んで知識を吸収しても、知識を批判的に消化して、
ホントに腑に落ちるまで考え抜かないと身にならないし、
逆に自分で考えてばかりいて、他人から学ぶことを
怠ってしまえば、思考が袋小路に嵌って
視野が狭くなってしまって危険である、と理解してます。

個人的に…ですけど、まさに宗教的な思考と
科学的な思考のバランスを説いた一説のように読めて。

そう考えると、世の中の常識が不思議なものだと
思えてきます。信じること共感する大切さを説くのに
疑うなんてよくないことのように捉えてしまう・・・

ポイントは、関心を持つ対象が何であれ、
価値を信じて共感することも、価値を疑い批判することも、
等しく大事で、自己の価値も他者の価値にも
等しく適用されるべきもの、ということ。

そのためには、一旦「価値」を相対化すること、
相手の価値に沿って考えてみたり、また自分の価値に
沿って考えてみたり、価値を客観的・多角的に
捉えられるようにならないといけないんだろうと思います。

どのようなことであれ、思考の基礎となる
大事なことだな、と思うんですよ。

・・・なんて、書いたのはなぜかというと、
自分が信じる価値のためなら、相手から見た価値は
考慮しなくていい、いや、見えてすらいない、
ってのが、他人事じゃなく悲しくってねぇ。

相手の持つ価値観に攻撃的になっちゃうのも悲しければ、
自分は自分、他人は他人と同じ価値観で固まって
殻に閉じこもろうとするのも残念で・・・

何かに関心を持つ、そのきっかけって実は
些細なことを発端にしていたりして、
天から降ってくるもの、一期一会、
といった偶然の要素が多分にあると思っています。

一方で、一旦関心を持った後、どう育てていき、
関心を持ったことにどう向き合う人間になるか?は、
自律的に形づくっていけるものだと思うんです。

Wikipediaの「批判的思考」の項にある通り、
疑問をもつことによってこそ理解が深まり、
ただ賛同するだけでそこに批判が介在しなければ、
馴れ合いになる…とあります。

せっかく関心を持ったことならば、共感によって、
自分のもつ視点から見た知識と想いを深くしながらも、
批判によって、多角的にみることによって、
関心の対象を立体的に浮かび上がらせて真実に近づく・・

わたしの関心も物心ついたときから、
いろいろと積み重なっていて、どの関心事も
関心度の強弱の変遷はありますが、どれも愛おしい。

そして、どの関心事もより深くより広く知る喜びを
少しでも知るだけに、こういう目線も知って
いただけるとうれしいな、と思った次第です。

疑ってかかってばかりで構えていては、
疲れることも事実ですけどね。

信じることがある喜び、共感できる高揚感は、
ある意味癒しであると思います。

批判と内省によって力強く成長し、
共感によって安息の時を得る・・・
一歩一歩前に進むための両輪。

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ブラックニッカ リッチブレンド・新発売記念イベント。

さて、3/26から発売されたニッカウヰスキーの
最新作、ブラックニッカリッチブレンド。

そのお披露目会が「いつもの」NIKKA BLENDER'S BARにて。
もちろん出かけて参りましたよ。

P1240611

実勢価格1,100円前後(700ml)という
廉価レンジの商品ながらラベルにはどことなく高級感。
わたし好みのカラーリング(笑)

P1240605

久しぶりに・・・というか今まで最も早く
着いたんじゃないか・・ということで
これまた「いつもの」カフェソニックでさっぱり。

P1240608

からあげも定番になりつつあります(笑)
わたしのからあげランキングのなかで結構上位。

P1240612

今回のお話はニッカウヰスキー・綿貫主任ブレンダー。
綿貫ブレンダーの開発です。

P1240613

まずはブラックニッカクリアハイボールで乾杯☆

P1240620

11年ぶりになるブラックニッカの新商品になるそう。
その開発設計思想やマーケティング的な分析が
興味深かったです!

P1240621

ブラックニッカは1965年生まれの48歳。
初代ブラックニッカは、かなりピートの効いた
辛口だったそうですねぇ。一級ウイスキー。

P1240624

西宮工場が竣工し、グレーンウイスキーをつくれる
ようになって3年後、満を持して「ブレンテッド」として
登場したのが、初代ブラックニッカ。
King of Blenders がオフィシャルボトルに
採用されたのも、これが初めてだったそう。

現在よく見るのは、「ブラックニッカクリア」ですが、
1997年に「ブラックニッカクリアブレンド」として発売、
2011年に「ブラックニッカクリア」に改称。

ニッカといえば、ピートが効いているものが多いところ、
飲みやすさを追求して、ノンピートモルトだけで
ブレンドしているという、ある種思い切った製品。

この製品ができた背景・・・それは1997年の
ウイスキー税率引き下げ。

1989年に級別廃止になったときに、二級ウイスキーの
税率が上がって、ウイスキー消費が冷え込んだわけですが、
ウイスキーの需要が戻る?という思惑もあって、このタイミングで
飲みやすいウイスキーと投入しよう、として生まれたとか。

その後、2002年にはブラックニッカ8年。

P1240626

そっか、こちらももう10年になるんですねぇ。

ブラックニッカのおじさん、King of Blendersの話。
ま、これは有名な話ですよね。

P1240628

余市にある竹鶴夫妻の文字のデザインが、
このKing of Blendersをデザインした
大高重治氏とは知りませんでした。

P1240629

のりたまや電気ブラン、松竹梅のロゴなどを
手がけられているそうで・・・
それよりも、余市にある竹鶴夫妻の文字のデザインに
ニッカファンとしては、おおーっという裏話でした。

ニッカのエンブレム。これ、何で山中鹿之助幸盛の兜か?
って、訊くの忘れたよおい・・・

P1240630

両脇に控えるのは、狛犬。

さてここからは開発経緯。ニッカ(というかアサヒ)の
マーケット・セングメンテーション。

スッキリ・コク・フルーティの3タイプで
考えてられるそうで、スッキリ>コク>フルーティ
というマーケットサイズ。

ニッカとしてはブラックニッカクリアで
スッキリ嗜好のユーザは、押さえられているそうですが、
コク嗜好のユーザを捉えきれていない、という認識。

スッキリ・コク・フルーティの3タイプで、
スッキリ派はハイボールを、コク派はロックを
フルーティは満遍なく・・という飲み方をしているようだ、
という独自調査があって、ロックに合うコクのある
ウイスキーを・・・ということで生まれたのが
このリッチブレンドなんですね。

P1240634

それでも、コクと芳醇をテーマに設計しようとしても、
そのキーワードでイメージする印象が千差万別。

P1240648

あちらを立たせば、こちらが立たず・・・で
かなり苦労されたようですね。

その中には余市のヘビーピート原酒のような
荒くれ者もいたりして、個性の強い原酒の組み合わせで
この価格帯で見事にバランスを取っているのに、
改めてニッカらしさを感じる次第。

ようやく試飲タイムです(笑)
さすがにクリアと比べると、ボディ感を感じつつ、
シェリーの優しい甘みを感じ、
ポテンシャルは高いな、という感じです。

P1240639

ニッカ的におススメなのはロックスタイル。

P1240643

ロックで飲んだのなんて、すっごい久しぶりだけど、
これもなかなかいいかなぁ。ストレート基本なんで、
自分で飲むときはストレートですけどねぇ。

リッチブレンドハイボールも頂いたけど、
個人的にはロックのほうがいいかなぁ・・・

P1240646

旧伊達との比較しながら、改めて自宅にて。

P1250159

比べると、やはり旧伊達は43%ということもあり、
香りの立ち方がより力がありますし、
もっとドッシリとシェリーを感じる印象かも。
よりピート香をピートとして感じられるのも伊達。

ただ、生チョコを思わせるしっとりした
コクがあってビターさを少し伴う甘みなんかは
共通するところがあるとは思います。

特にシングルモルトやシングルカスクのような
リッチすぎる(笑)モルトと比べなければね・・・

そして、伊達と比べると華やかさが際立つ印象ですね。
こう・・・オレンジっぽい柑橘系の華やかさ。
穀物感が相俟って、パン+ママレード的な・・・
そんなに濃厚な感じではなく、遠めに感じる印象。

個人的にROYCEのオレンジピールチョコとの相性が
いいかなぁと思いました。

伊達をカフェモルトからカフェグレーンにして、
華やかさをグッと増しつつも、余市ヘビーピートで
軽くなりすぎずに下支えして、締まった感があります。

うむ、これはフロム・ザ・バレルや竹鶴12年、
スーパーニッカとともに、常に自宅に置いておきたい
普段飲みのウイスキーになりそう・・・

コンビニなどに180ml並ぶそうだから、
このレベルのウイスキーが、コンビニに駆け込んである!
と思うと、かなりうれしいですよね。

綿貫ブレンダー、いいウイスキーを世に出して
ありがとうございます☆

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流行るから書くのかい?書きたいから書くんだよ。

AMNの徳力社長の興味深いエントリ。

ツイッターやFacebookの次はまたブログが流行ると考えて、
ブログを今から始めるつもりなら大間違いという話。

わたしも同じ思いですね・・・

猫も杓子もブログを書いていた時代が
ちょうどブログサービスが始まった頃だったですかね。

記事を書くということだけなく、いろんな思いをもった
人がおもしろいと思って、みんな始めたような印象。

わたし自身は、言いたいこと残しておきたいことが
むくむく膨れ上がってきて、拙いHTMLを書いて
Webに上げなくても、書きたいことを書くことにだけ、
集中できる!と喜び勇んで始めたものです。

でも、ブログってそういう側面だけじゃなくって、
トラックバックやコメントを中心とした
関心で「ツナガル」ところがツボにはまった方に
いるでしょうし、とにかく短く細かく
たくさんアップする人もいましたしね。

で、その後のソーシャルメディアの登場ですが、
セカンドライフはあまりよく憶えていませんが、
mixiやFacebookなどはつながるというか、
クローズドな関係が絡み合うといった
関係の濃厚さを感じますね。わたしは主にmixiで。
あくまで関係が最初にあって、という印象。

一方、twitterは、リアルタイム性やあまり深く考えず、
短い投稿で済む・・というように、構えて書く「ほど」
のネタはないんだけど、とにかくポンッと投稿して
関心の(それも極々限られたゆるい)ツナガリ。

てことで、初期のブログは集客(トラフィック)と
コンテンツをひとつのパーソナルメディアで
まかなっていたのが、集客の部分がブログそのものでなく
より広めたい場に適切したSNSに切り替わっている、
ということなんでしょう。

この流れって、PCからスマホやタブレットというように
PCが受け持っていたいろんな用途が分化し、
用途毎に最適なデバイスが現れて、多様化する一方、
創作のためのデバイスとして、(one of themですが)
確固たる地位がいまだPCにあるという様子に
似ているような感じがしますね。

コンテンツの質という観点で観ると、SNSとブログは
フローとストックと喩えられることもありますが、
フロントエンド(SNS)とバックエンド(ブログ)という
喩えもできるんじゃないかな、と思います。

フロントとバックと機能を切り離して考え、
フロントは目的や好みに応じて、どの場からトラフィックを
引っ張ってくるかをチョイスって感じですね。

不特定多数で純粋に「関心」で引っ掛けて広めるなら、
twitterが適切でしょうし、顔見知りの知人のツナガリの間に
投げ込みたいんだとすると、Facebookなんでしょうね。

逆にブログのさらにバックエンド、つまり、
ブログのネタ集めの場、としてSNSが機能することも
あるな・・とも思いますが、それは機会があれば言及。

Google+はなんとなくですが、なんとかフロントエンドと
バックエンドを同じGoogle Worldでまとめさせたい、
という印象を受けますね。

Google Readerの廃止も、結局RSSからGoogle外に
トラフィックが出てしまって、Google Worldに
コンテンツがたまらない・・・という思惑もあるって、
どこいらの記事で読んだ気がしますしね。

mixiはどうだろう、なんだかいろいろ迷走していて
捉えどころのない存在になってるかなぁ。

記事中に、

 ツイッターやFacebookの登場でブログが失ったのは、
 「読者」ではなく「書き手」

というくだりが出てきますが、失ったというよりも、
篩にかけられて少数の書き手だけが残った、
という印象があります。

ブログ登場以前には、ブログのようなまとまった文章を
書きたいと思う人がいたのは確かですが、
ブログブームのような人口ほどはなく、自然に淘汰されたと。

ブログ→mixi→twitter→Facebook→…の流れで
ブログを書こうとするのは、淘汰されたはずの
フロントエンドとバックエンドが未分化の、
初期のブログのあり方に戻ること。

いわば、ものづくりしながら営業活動をしていた
零細企業の社長だった昔に戻るのかと。
コンテンツを売り歩く営業活動のための、
そして、どんな人に見てもらいたいかに応じた
ツールがあるというのに・・・

徳力社長が間違いとおっしゃっているのは、
そういった内容なのでしょうね、うむ。

 ブログやYouTubeはそれに対して、自分のコンテンツの
 ファンというのが徐々にではありますが着実に
 蓄積していくことで、名刺代わりになり、
 自分の履歴書代わりになり、ついにコピーロボット的な
 役割を果たすメディアになってくれる
 可能性を秘めているわけです。

わたしは当初から、自分自身の足跡の記録、
考えてきたことの整理と振り返りのため、
というところが第一目的でした。

が、ブログを進めるにつれ、こうした自分が持つ
関心事を中心にまとまった引き出しができ、
こういう人間だよと知ってもらう材料になるな、
という感覚が出てきまして、ブログを続ける上での
重要なアウトプットのひとつになっていますね。

 ブログを書き続けて、ブログを通じて
 めぐり合う出会いを大事にしていれば、
 ブログを書かなければ得られなかった良いことが
 いつかきっと起こるのは私が保証します。

全然重みが違いますが、これはわたしからも保証。
もちろん諍いに巻き込まれたり、炎上したり、
トラブルに遭うこともありますが、トータルでみれば、
わたしなりに一定の収穫を得てきた約9年です。

何かを言いたい想いを持っている人、
何かを追究してる人は、ブログを書く側にいることって
(ツラさや大変さもありますが)心地よい頭脳の疲れと
充実感、それに思いもかけないツナガリの連鎖を
体験できるんじゃないかな、と思っています。

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NPO法人・みんなでお城をつくる会 創立総会

さて、間が開いてしまいましたが、
NPO法人の設立総会へ。

20130320161805

会場にはかなり早めに着きました。
(最初裏方のほうに入っちゃって焦った…)

P1240165

NPO法人のロゴの焼きが入ったみかさ。
なんでみかさ?という疑問はありますけど、
美味しくいただきました(笑)

P1240168

さて、開始。皆さままずは理事長さんのご挨拶。

■理事長ご挨拶

著名な宮大工の棟梁さん方もいらしているようで、
そういう方々からも期待されてるんだな!
というのがわかりますね。

やっぱり天守木造再建となれば、腕の見せ所ですもんね!

NPO法人「みんなでお城をつくる会」は、
1月に認可が下りたでき立てほやほやの会で、
理事長さんから、木造天守再建だけが目的ではない、
というメッセージには、力強さを感じました。

地域づくりも含め、伝統工法の技術者育成、
小田原城を通して、小田原の歴史を語れる子供たちを
増やしていきたいだとか、うなづくこと多し。

世界遺産にしちゃおうぜってのは、
どうだか・・と思いましたけどね(苦笑)

■小田原市長ご挨拶

その次に市長さんが出てきてびっくり。

昨年、全国史跡整備市町村協議会の全国大会が
小田原で開催され、その場で北條五代の大河ドラマ化、
そして、小田原城天守の木造再建を夢として語ったそう。

自治体とNPOのベクトルがまとまってるんだなぁ、と。
てことで、ちょっと江戸城の場合との違いを感じます。
(いい悪いは別にしてね)

小田原市は「法隆寺ゆかりの都市・文化交流協定」を
斑鳩町と結んでいるそうで、1300年以上前に
法隆寺の寺領が小田原にあった縁がきっかけ。

西岡常一・小川三夫両棟梁が再建を手がけられた
法隆寺三重塔を観て来られたそうですが、
その小川三夫棟梁、同じく西岡棟梁の下で
学ばれた直井光男棟梁、岩国の錦帯橋再建に携わった
海老崎粂次棟梁などなど錚々たる面々がお越しに。

宮大工の皆さまとしても、賛意を表明されてるみたいで、
城郭建築の再建には力強い味方ですよね。

さて、続いては元文部技官で、姫路城大天守の
「昭和の大修理」そして今の「平成の大修理」にも
携わった西村吉一氏の基調講演。

■基調講演「職人の知恵と将来世代に残すべきもの」

わたしにとっちゃ、関西の言葉が心地よい
話が上手な方。いいですね、関西人はこうでないとね。
(わたし?え・・・・そこはツッコマナイデ)

木造で天守を建てる・・大変なことだと。
そこから西村さんは始められました。

モノからヒトから、それはもう一生かかって
やっと成し遂げられるもの。これが本物の世界。

そんな天守再建をこの時代にやるということ、
大変なことだとご存知なだけに、他人事ではなく、
とてもうれしいとおっしゃいます。

姫路城大天守は、修理は修理・・とおっしゃいますが、
東の大柱一本を除いては、全部現地から
持ち出したそうですから、そういう意味では再建かも。

修理は修理の大変さがあるそうですが、
イチからつくるとなると、木造再建の話になると
どなたもおっしゃいますが、建材集め。大変です。

早急に木材を押さえることが大事、こなして
用材を作り上げる・・ここまででも、ものすごい時間を
要するんですよね。ふむふむ。

西村さんからみて、小田原城天守再建の動きは
熱っぽくてすばらしいと。それに引きかえ、
姫路市民ときたら・・この熱意を姫路市民にも
味わわせてやりたいとまで(笑)

あまりにも目の前にいいものがありすぎると、
その真価がわからない・・そういうものかもしれませんね。

そして、昭和の大修理のお話へ。西村さんが
一番メンバーで一番お若かったらしく、
特に文化財を学んだ経験があるわけでもないのに(笑)

そして、その当時は国宝であるにもかかわらず、
土木工事という程度の認識で、文化財を扱う人の中でも
あまり好んで担当されるものではなかったそうな。

現場で棟梁さんにも何も教えてもらえず、
図面ひとつ読みこなすのに、相当苦労をされたようです。
が、そのことが血肉に。教えてもらったことは
身につかなかったそうで。自分で苦労したことって
大事ですよね。身体に刻み込まれるようで。

そして、修理が終わった後も姫路市の職員として留まり、
姫路城の管理を任されることになったそうですが、
人生の大事な時期を過ごしたと述懐されます。

「姫路城をなんべんでも歩け」

歩いて仕事になるんか?当時は気づけなかったそうですが、
火災があっても、目隠ししてでも火事の現場に
飛んでいけるほど歩き回ったそうです。

そして、この時期があったからこそ
「お城と話ができるように」なったんだそうです。
現実にできるんです!お城って熱を入れ込んだら、
ちゃんと応えてくれる。いや、名言ですね!

ここまでになったら、池田輝政に見込まれたと
思うしかないかと言うてはりました。

守衛さんにもやったらどうやと言うと、
総スカンを食らったそうですけどね(笑)

そして、小田原城天守再建がもし成ったら、
職人が組み上げ工事をぜひ「遠巻きに」見られるように
してほしいとおっしゃっていました。

近づいて職人さんの気を逸らしたらダメですからね。
職人さんはあたまカラッポにして、図面を開かずとも
図面をあたまに叩き込むくらいの気合を入れて、
仕事と向き合わなくてはいけないわけですから・・・

あと石垣の違いの話を。小田原城は安山岩で
比較的硬い石ですが、姫路城はやわらかい凝灰岩中心。
だけど、強さは妙にしっかり・・・

ちなみに明石城の石垣は、あの神戸の地震で
相当濠に落ちて崩れていたそうですが、
花崗岩と凝灰岩が互い違いに積まれていて、
石と石同士の硬さの違いで、強度にほころびが
あったようだとおっしゃっていました。

その結果、曳家工法で櫓を移動させて、
石垣の修理をしないといけないことになったんですねぇ。

石が硬いからと言って、安心せずに
本当に安全かどうか、綿密な調査をしてほしい、
というのが西村さんの願いでした。

建物は常に動いていると思わないといけないと。
そして、それを支えるだけの石垣を。

屋根で憶えておいてほしい・・というのが
雨を漏らさない、屋根を軽量化しすぎないってこと。

要は、葺き土をしない空葺きはやらないほうがいい、
ということのようです。軽量化のためにコレをしないと、
雨漏りの結果、材を腐らせることにつながると。

これ、江戸城天守の場合で考えると悩ましいですね。
結果的になのかもしれないけど、銅葺にして
軽量化している一方、葺き土はしてたのかなぁ…

超弩級天守なだけに、軽量化もしないといけないから…
あ、つい江戸城の話になっちゃいました(笑)

そして、悪くってから修理しては遅い、いつも見守ること。
雨漏りなんてした日にゃ、奥まで腐ってるはずだから。
変化を見逃さないこと。そうしたマメさが大事。

あとは、山の整備のお話かな。やっぱり材としては、
50年ではまだ未熟、せめてもう20年、できれば30年。
80年くらいないと、このクラスの構造物の中心を
担う材としては、活躍できないみたい。

そして外材を使わない。外材使うと、
無用な虫を連れてきたりとかもあるしね…

いや、実際に現場で手がけてこられた方の
お話は思いなぁ。ホント、奥が深いですよね。
そして、城に対する愛情の深さ。

ここまでひとつの城に惚れこんで、
愛情を傾けるのもまたいい城の接し方だよなぁ、
と思ったいい講演でしたね。よかった。

最後に姫路に来て、素通りせずにお泊り頂きたいと。
いつでもいいです、朝昼晩を観てもらったら、
姫路城の良さがずっとわかりますから・・・と。

■活動計画報告

さて、ここからは「みんなでお城をつくる会」の活動計画。
NPO法人としては、セミナーやイベント、
見学会を開いたりする活動をマネジメントすること、
これを目的と位置づけてられるそうです。

P1240194

城郭建築を建てるには森が必要で、どう森を守り
育てていくか、専門家の皆さまをどうまとめて、
天守再建というベクトルに合わせて行くか、
賛同する人にもっと小田原城を知ってもらうか・・・
といったことも含めて、ということみたいですね。

再建するための費用ではなく、こういった活動費として
個人会員・法人会員の会費を充てます。

お、と思ったのが500人くらいで維持していこう…
というその会員規模。

これを反映してか、けっこう、いやかなり年会費は
高いのが実態です。敢えてハードルを上げてるみたい。
団体としてのフットワークの軽さ、ということも
考慮してのことのようです。

市民が市民の力でつくろうと寄付を集めるための
活動費ってわけですね。市民が市民のためにつくる天守。

メリットとして、イベントの無料参加とか
無料に天守に入れるだとかっていう特典も考えてるそう。
まぁ・・・ちょっと会員になるのは躊躇はするよね。

おもしろいなぁ!と思ったのは、
支援自動販売機。特定の自販機で飲み物を買うと、
売り上げの一部が寄付されるというもの。

P1240200

コレなら寄付すっぞ!と鼻息荒い人(笑)でなくても
ちょっとここで買っていこうかな、と思うかも

Beer for treeってことで、お酒を飲んで
小田原城天守のための森育成に寄付ってイベントも。
いいなぁ・・これ。

P1240201

ちょっと話が横に逸れるけど、ウイスキーでも
きれいな水を守るために寄付するティスティング会とか
あってもいいよね。こういう活動って寄付文化が
根付くきっかけになるかもしれませんしね!

さらに素晴らしいのが、職人学校構想。
未来の天守をつくる職人は後を継ぐ人が少なく
なっていくのを何とか防ごうというもの。

P1240202

実際に若い世代(わたしと同じか少し若い)の
職人さん方、銅門再建の際の副棟梁、芹沢さん
長田左官工業の長田さんが挨拶されていました。

まず、芹沢さん。

古くからある建物が朽ち果てていく姿を
見るのは忍びず、やはり修理する人がいなくちゃ、
ひとつひとつ異なる生き物である材木を
キチンと見極めていく人が必要・・だと
おっしゃっていました。

でも、機械で加工する「現代の」木造建築に
大工が慣れてしまったら、もはや誰も
修理できなくなります。先人の技術を継承し、
何より生き物を扱うという意味を語り合える仲間を
この職人学校で増やしていきたい、とのお話。

もはや古建築の職人は絶滅危惧種、放置すれば
最早居なくなるのは必定・・・

自分が職人でもないくせに偉そうですが、
こういう方がいてホント心強いし、一城郭建築好きとして
支えていかないといけないなと思うのです。

そして、左官の長田さん。漆喰のプロです。

左官の世界でも、なかなか伝統的な建造物の仕事を
する機会はないそうで、銅門の仕事に
携れたことを誇らしげにお話でした。

漆喰は長い歴史の中で何度も塗り直していくわけで、
つくってからが大変な天守、建てた後のことを考える、
という意味でも人と技術を継承することは大事。

そして、森を育てる話に及びます。
廃藩置県で小田原藩が廃される際に、藩有林として
小田原藩が持っていた森林を受け継いでおられる
辻村氏からお話がありました。

江戸時代には、ご先祖が商人でいらしたそうで、
小田原藩に貸し付けていたお金の返済の代わりに
森を下賜されたのが始まりだったそうです(笑)

この森を「天守の森」と名づけているそうですが、
樹齢三百年ほどの杉が数十本、そのほか檜、椹。
大きさでみると、直径50cm以上の木々が1,000本超。

そしてもしこれらの木を伐って天守を建てる際、
また木を植えて三百年後に備えよう、とのことです。

森の中には天守台という小田原が一望できる丘、
御照覧場、御小屋など小田原藩主にまつわる
地名も残っているのだそうです。

そして、「削ろう会」なる職人さんの技術が見れる会も
なかなか魅力的・・・

小田原城普請会議の方からは、小田原城の勉強会の話。
中世・近世の城郭遺構が並存して残っていて、
城の変遷を知るにはいい城なのかもしれませんね。

惣構自体もなかなか市民の方も全貌を知らず、
また見る機会もないわけで、そういうところから、
小田原城の全貌を知ることも大事だと。
城好き的には、うれしい話ですね。

■祝辞

大棟梁の皆さまはじめ、ご来賓の方々からの祝辞。
印象的だったのは、小川三夫棟梁。

機械の発達によって、芯を通した仕事を
しなくてよくなったとご指摘されていました。

スッとした材でしか仕事ができなくなってしまい、
曲がった材の芯を見極め、上手く使いこなせない…

芯を見極めれば、どんな曲がった材でも使え、
これを使いこなしてこそ、大工と熱っぽくお話に。
これが山にある曲がった木を手付かずにする理由なのかも…

錦帯橋の平成の架け替え(2001年~04年)を
手がけられた海老崎粂次棟梁からも、
木が育ってないない、人が育ってないことを
ご指摘がありましたね。

こういう取り組みがあれば、機械に頼らずつくる
ことを憶えるよい機会となるはずだと。
江戸時代が終わって百数十年、そんな程度の時間しか
経っていないのに、われわれの代でもうつくれません、
などとは言わせたくない・・・

そうですよね。悔しいですもんね。
そして、いつでも手伝いに来ると力強いお言葉。

小田原城郭研究会代表の
小笠原清氏からは、
天守木造化は念願のことで、ぜひやるべき・・だが、
学術的に精度の高い準備が必要であり、
そういった地道な作業をしっかりやるべきだと強くご発言。

会の名前も「みんなでお城をつくる」ってどういうこと?
ちゃんと「木造天守でつくる」としないと、
城=天守じゃないし、小田原にまた別の城つくるみたい、と。

・・・そう、わたしも秘かにそう思ってたんですが、
やはり専門家からみてもそうなんですね。

そして、これまで小田原城に本当に愛があるのか?
小田原城そのものを知ることに力を入れて
こなかったのでは?天守景観もホントにあれでいいの?

かなり強い調子でお話されていましたが、
逆にわたしは、小田原城を長年研究されているだけに、
強い愛情を持っておられることをひしひしと感じました。

さて、祝辞が終わると、劇団の方々による小芝居(笑)
上杉謙信が攻めてきたり、そしてそれを小田原で
迎え撃つ北条氏康・・・

見事、謙信を打ち破って小田原防戦に成功、
会発足の祝辞を述べつつ、満足げな氏康さん(笑)

P1240271

てか、あなた天守関係なくね?・・・
なんて野暮なこと言っちゃいけませんね。

最後、理事の方からの締め・・で、重要なこと。
小田原城天守って、地震の際に木造同士が擦れあって、
火がついて燃え落ちただとか、石垣も崩れた歴史も
あるわけで、そういったところも課題。

今見えている石垣の内には、さらに古い時代の
石垣があるそうですし、慎重にならんといかんですね。

そして、樽酒の披露。

P1240285

小田原城の素敵な未来に乾杯!

P1240290

同じく参加された方のブログを拝見したので
リンクを付けておきましょう。

http://maricopolo.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-5412.html

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