さてさて、10日くらい前でしょうかねぇ・・・
江戸城天守再建の話がWebニュースで
取り上げられたことで、いろいろ反応があるようで。
まぁ、なんと言いますか、元が2chがソースなんで
ネガティブな反応が多いのは、想定の範囲内。
にしても天守再建と聞いて、それなりに歴史を知った上で、
批判するおおよそのパターンが網羅されてるんじゃないかな?
という気がしたので、自分のためにも整理しとこうかと。
ネタはここね。その1、その2。
・・・とその前に、わたしが描く江戸城天守再建の価値は
(1)史的根拠が極めて明確かつ豊富
(2)日本の木造高層建築の伝統技術を伝えていける好事例
(3)公共建造物としての活用が期待できる
であるということです。
観光云々は結果ついてくるものであると考えていて、
最初から観光ありき、という考え方には賛同しません。
(ということで、観光ありきにならないか?を監視する
のも城好きとしての役割かと思っています)
で・・大別して、批判の傾向は以下の5つに纏められますね。
(1)事実誤認による批判
(2)保科正之の故事を台無しにするな
(3)天守がなかった時代が長いのに、今更つくるな
(4)天守よりも本丸御殿
(5)天皇陛下を見下ろすな
(6)カネはどうするんだ
(1)事実誤認による批判
まぁ、これはNPOのアピール不足もある一方で
思い込みも個々人にあると思うので、
仕方ない面もありますが…
例えば、江戸城天守に関する史料なんてないだとか、
どうせコンクリートの偽天守つくろうとしてんでしょ、とか。
あと、巨木が絶対手に入るわけがない、巨大な杉や檜は、
国内外いくら探しても見つからない・・というのも。
# 木材に関しては、こちらをどうぞ。
# その1、その2、その3、その4、その5
江戸城にしても、先ほど書いたばかりの小田原城にしても、
候補となる材木はあるにはありそうなので、
最初からないに違いないと決めて掛かるのは、
よろしくないのでは、と思います。
ただ、全国の復元可能な天守・御殿・櫓を一斉に
再建しようとすると、材が不足する恐れはあるんじゃ?
とは思っています。その可能性は押さえておく
必要がありますよね。
城郭建築だけでなく寺社建築も含めると、
対象となる建造物は多くありそうですから、
将来取り合いになる可能性も…
また、現天守台って、天守が乗った例はなく、
寛永度天守は乗らないというのも、
事実誤認だと思っています。
ていうのは、高さが16m→14mと低くなった以外、
床面積としては変更がなかったはずですので、
「江戸城御本丸御天守百分之一建地割」が
使えるんじゃないか…というのと、
現在の天守台を想定した寸法は、正徳度天守の
立面図(江戸城御天守絵図)からわかるんじゃないかと。
もう1点、富士見櫓が天守代用ということですが、
江戸幕府が富士見櫓を「天守」と称したことはありません。
高みに上って見物するという、天守があれば天守に
登ってしたであろう用途の代用として使われた、
というだけに過ぎません。
従って、富士見櫓があるじゃないかというのは、
的を射ない指摘だと考えます。
(2)保科正之の故事を台無しにするな
すごく目立つのがこれですね。故事とは、
天守だけでなく、江戸の大部分を焼き尽くした明暦大火の後、
天守再建を断念し、江戸の城下町復興を優先させた、
というできごとのことを指しています。
が、これについては焼失時における財政環境、
そして、天守の価値と現代に敢えて再建する価値との
相違をしっかりと押さえておく必要があると思っています。
即ち、焼失直後にあって、
●再建する必要のある建造物は多く非常に膨大
●家光の日光東照宮造営等で相当の幕府も出費をしていた
●天下普請は1660年を最後になく、各大名屋敷も焼失し、
幕府だけでなく各大名も屋敷の再建が必要
ということは、当然江戸城内の建造物も
必要性で優先順位をつけて、再建するのは道理です。
さて、この時期の必要性とは、
イ:将軍の住まいの確保
ロ:江戸城の守備
ハ:幕政・幕府公式行事を執り行う環境整備
というところと推察されます。
従って、将軍私邸の「大奥」、将軍政務の場「中奥」、
幕政の中心「表」で構成される本丸御殿、
そして、守備に不可欠な枡形門・櫓。
一方天守は、一般に天守十徳ととして、
江戸時代にはその価値が認識されていたといいます。
城内を見渡せる
城外を見晴らせる
遠方を見望できる
城内の武士の配置の自由
城内に気を配れる
守りの際の下知の自由
敵の侵攻を見渡せる
飛び道具への防御の自由
非常の際に戦法を自在にできる
城の象徴
これ、結局高層な物見台としての価値、
それと城の象徴というところに集約できます。
こう考えると、明暦大火後の環境で、
保科正之が天守よしましょうよ、というのは
うなづけると思います。
が、一方で現代にとっての価値ですが、
当然、環境も価値観も正之の時代とは違います。
正之があの環境でNGといった根拠をそのまま流用し、
現代でも建ててはならない、というのは論理に飛躍。
建てたことで、当時建てなかった判断をした
歴史的な故事に瑕疵が付くわけでもなく、
その判断の妥当性・意義に曇りが出るわけでもないわけで、
歴史好きという観点で見ても、問題があるとは思えません。
むしろ、この長い間建てず、今建てるという検討を
することに意味を見出すことができると思っています。
保科正之が言ったから、そのままであるべきという論説は、
「誰かが言ったからこうする」式の思考。
(3)天守がなかった時代が長いのに、今更つくるな
そう来るか・・・少し(違う意味で)感心したのですが、
「昨日が今日でも、今日が明日でも、明日が昨日でも、
まるで変わら」ないことが、歴史を伝統を守る
とでもお考えなんでしょうか。
天守がない時期が長い=その歴史を「尊重」するため、
天守はつくってはいけない?尊重とは手をかけないことが
尊重なのですか?まったく理解に苦しみます。
歴史しか見えていない人によくあるような気がしますが、
江戸時代当時のモノでないと価値を見出せない人。
これ、現代の宮大工の皆様にとてつもない失礼な物言いを
していることに気づいてはいないのでしょうね。
歴史的に長くその体を保ってきた建造物が
貴重なのはその通りだけど、だからといって現代に
伝統ある建築技術のDNAがカタチになることに対する
価値を貶めることとは、つながりません。
われわれが守るべきは、文化財としてカタチになっている
モノそのものだけではなく、遠い未来に渡っても、
生み出していける技術。表現型としてだけではなく、
遺伝子型として、守っていかないといけません。
江戸時代以前につくられたモノだけにこだわり、
その時代から続く技術伝承には気を配らずにいる
歴史的価値原理主義には、断固として反対します。
それこそ伝統を失わせる遠因となるから。
(4)天守よりも本丸御殿
これもけっこう目に付く批判。ただ、本丸御殿の再建は、
こちらも資料は豊富にあって、その年代の御殿にするかは
議論はありますが、史的根拠が豊富という意味では、
天守同様、かなり豊富なほうだとは思います。
また、美術的価値という意味では、本丸御殿のほうが高い
ということにも同意はします。襖絵の下絵なんかも、
資料残っていますしね・・・
ただ、これは本丸御殿を再建すべきだという議論には
なりえても、天守を再建するなということにはなりません。
実際、水面下でそのような模索の動きはあるようですし、
同時にとはいかないにしても、本丸御殿の再建も応援したい。
まったく以って、天守再建と対立しないと思います。
ですが、わたしの関心としては、歴史的な観点以外では、
構造的・建築学的な点にあるので、
個人的には天守優先ということなんですよね・・・
江戸の歴史の大部分は本丸御殿で動いたんだから、
本丸御殿が先だというのは、歴史的観点「だけ」で
城を捉えているからであって、この点は個人の価値観や
関心のベクトルの違いというほかはないですね。
本丸御殿の以外の櫓門や重層櫓については、
あまり言及はありませんでしたが、これについても、
キッチリと復元できるならやるべきだと思います。
が、優先順位的には天守を先に、というのは変わりません。
外濠や内濠の埋め立てられたところの復元も
大賛成ですが、天守をどうするかとは別で考えて
よいのではないかと思います。
その他、少数意見としてAR(拡張現実)でやれば?
という意見もありましたが、個人的な意見としては、
安土城や福岡城のように、存在が疑われている天守や、
外観・意匠がハッキリせず、議論が分かれているような天守に
適用すべき技術だと思っています。
というのは、根拠がハッキリしないまま建ててしまうのは、
仮に木造だとしても、再建ではなく模擬建築となってしまい、
(模擬には模擬の価値はあると思いますが)後世で史料が
発見されたときに、とりかえしが付かなくなります。
木造であれば、解体移築が比較的容易とはいえ、
無理に再建しなくても、天守台当地においては
ARで代用する…というのが代替案として成り立つでしょう。
が、江戸城天守はしつこいですが、根拠が明確です。
現皇居という特別な事情や費用を除けば、
ARでとどめておかねばならない、という根拠は薄い、
と考えています。
もし、東京でやるとすると、外郭門(見附)で
当時の桝形門を再現するのは、おもしろいかも知れませんね。
(5)天皇陛下を見下ろすな
これに対する解は明確。要は吹上御所の方角、
つまり西面・南面は窓を開けられない構造にしておく、
というのが、この再建計画のポイント。
皇居を見下ろすからダメならビルも規制すべき、
という意見もありましたが、皇居内(皇居東御苑)という
場所も考えると、ビル以上にシビアにならないと、
とは思いますねぇ。
そして、そもそも建てていいのか?という点も
宮内庁と話をしてみないとわからないじゃないか?
ということ。やってみる価値はあると思います。
二条城天守が最初で最後、天皇が天守に上ったわけですが、
もし天守が成ったら、最初に上がるのはぜひ陛下に・・・
と思いますね。陛下こそふさわしい。
別の場所に建てればいいじゃないという話も
わからないわけではないけど、あの天守台に建てられる
はずだった天守を「再建」するという点から考えると、
可能な限り、あの天守台に再建する道を模索すべき、
と個人的には考えています。
とはいえ、どうしても難しい場合のアイデアとしては
ありえるとは思っています。その場合は、
史実と違う場所に再建する是非の論議が必要でしょう。
まぁ、「そもそもそんなこと考えついてすらないと思う」
というのは、失礼な話ですよねぇ。
あと万が一の倒壊や火災などで、陛下が危険に晒されないか?
というのは、気にしておかねばなりませんね。
(6)カネはどうするんだ
そりゃ、そうです。これはもちろん課題ですよね。
多くは寄付でまなかうべきでしょうし、
この点は今後の議論を待つしかないでしょうね。
個人的には、税金を投じるなら政府・東京都の投資と捉え
入城料や天守を貸し切ってイベントスペースにするなどして、
投資をどう回収するかを綿密に議論すべきだと思います。
もっと個人的なことを言うと、お泊りしたいけど…
それは厳しいだろうなぁ・・・
■建設的な指摘■
一方で、この指摘は鋭いなと感じるものもありました。
(I)足に不自由のある方への配慮
事故で足を怪我をされ、天守に登るのが大変だという方。
これはそうだろうなぁ…と。一方で安易にエレベータなどを
設置するのもよろしくないと思います。
岡城や和歌山城の例もありますが、
仮に天守再建が成った暁には、エレベータなどに頼らず、
ラクに天守に上って頂くには、どうすればいいか?は
キチンと考えていかなければならないでしょうね。
(II)余計な誤解を受けないように
徳川の象徴たる江戸城天守を故地に建てることで、
つまらない政治的意味を見出されてしまう可能性の指摘。
「(5)天皇陛下を見下ろすな」の項でも書きましたが
間違いなく陛下に不敬があってはいけません。
その一点は、断固として守らなくてはいけません。
が、そのような可能性を想定されるんだな、ということを
頭に置いておくことは必要で、どう対応するかを
構えておかねばなりませんよね。
(III)反論を受け止められる包容力と地道な説得
そして、このコメントは大事なことを指摘されています。
抜粋して引用させて頂きます。
最悪の展開は天守閣を建てようとする自分たちの主張を
絶対視し、左翼活動家を利用して反対派を
ノイズマイノリティーとして一蹴することだろうね。
そしたらまずうまくいかない。
反対派を全否定せず彼らの意見にも耳を傾け粘り強く
「説得」する姿勢を見せないと、肝心の第三者から
全く支持を取り付けられない。 勘違いしないで
もらいたいのは大事なのは「説得」というより
「説得しようとする姿勢」を第三者に示すこと。
江戸城天守再建に限らず、何か大きなことをやるとき、
必ず対立する言説が現れると思いますが、こういう態度で
真摯に地道に会話していかなくちゃ、という気がしますね。
ま、そもそもこの記事自体、反論から何か得られる
ものはないか?という視点で書いているので、
このプロジェクトを応援する限り、こういう批判には
真摯に向き合っていきたいと思います。
(追記)少しコメントを頂いたのでそれに関して
・東御苑内の一般開放を止めた上での
皇居施設の一部としての再建案
利用目的として皇室ならびに宮内庁はじめ、
皇室関連の諸関連機関の用に資するものでないと
いけませんが、天守がその用を成すか?というと疑問。
そして、皇居関連施設とした場合に東御苑内の
一般開放と関連がないと思います。
富士見櫓も宮内庁管轄だったと思いますが、
同様の扱いになると推測します。
ま、いずれにしても江戸城と皇室のあり方という点では
自分が考える皇室の敬い方が本当に正しいのか?
そもそもどうあるべきなのか?に考えを深めること
とも関連する問題ではありますね。
少なくとも、古代から長い歴史のある皇室において、
明治以降の皇室像があるべき皇室像か?
は、一考の余地がありそうです。
2014/1/22追記
「ひと目でわかる、江戸城の寛永度天守台と
現存天守台はまったくの別物」
新たに批判を見つけたので、コメントを追記します。
まず、よっぽど意見の違いが気に食わないのか、
過激な言葉が目に飛び込んでくるのが印象的。
そして、小竹理事長に対する個人攻撃。
えっとね・・・批判するなら個人攻撃は最低です。
やっちゃいけない基本的なルール。
反論があるときこそ、その内容にフォーカスするよう
配慮すべきであり、口汚い非難をしていても
全うな議論の妨げになるだけでしょうね。
挙句の果てには、金銭上の詐欺的行為の可能性ですって?
思い込みで発言するのも大概に・・・ですよね。
という内容はさておくとしても、このサイトが
指摘する内容について、再反論してきましょうか。
その主張は、
・江戸城の寛永度天守台と現存天守台は別物である
・この事実を江戸城天守を再建する会
(以下再建する会)が無視し続けている
・寛永度天守台と現存天守台が同じだと再建する会が
事実無根の主張をしている
という内容です。ふむふむ。
えっとですね、寛永度天守台と現存天守台が同じだと
主張しているのですかね。何度も会に出席していますが、
このような主張は目にしていません。
根拠として、小竹理事長の挨拶を挙げていますが、
ある意味説明不足な点はあるものの、
広島大の三浦教授が監修されている以上、
常識である「江戸城天守台は明暦大火後の再建」である点を
認識されていないはずはない、と考えています。
そして、それに小竹理事長が無関心ですと?
ご本人に聞いてみましたか?文章で天守台の経緯を
明示的に触れていないからといって、関心がないだとか
曲解しているとは言えませんよね。
さらに言えば、寛永度天守と万治元年(1658年)の
再建天守台との相違についても、相違点そのものとしては、
認識は正しいと思いますが、天守の再建是非の根拠としては
極めて根拠薄弱と言わざるを得ません。
①石垣の色が違う
寛永度が安山岩系の伊豆石、万治度は小豆島の花崗岩。
②高さに相違
寛永度と比べ万治度では約3m低い。
③天守台の形状の相違
④天守台が築かれた経緯の相違
→保科公の発言を大事に・・と同様の議論ですので、
本文(3)に説明を委ねます。
てことで、①~③に対する反論。
一言で言うならば、正徳年間に再建しようとした歴史を
無視していると言えるでしょう。
わたしは、寛永度天守再建とはつまるところ、
正徳年間に検討された「寛永度天守をそのまま再建しよう」
というプロジェクトを現代に蘇らせることと考えます。
つまり、寛永年間そのものにあった天守台ではない
別の天守台に建てようとした歴史的経緯を追うことであって、
違っていて当然でありますし、検討に当たっては
まったく問題だと思えません。
問題になるのは、現存する天守台を詳細に発掘調査をし
寛永度天守図面との物理的な矛盾が生じた場合。
この場合は歴史的事実として、寛永度天守を万治度天守台に
正徳年間に再建しようとはしたものの、具体的に
建造するところまで検討が至らなかったことになります。
この際に、天守台に再建すべきなのか?は
議論の分かれるところ。
しかし、それが分かった時点でプロジェクトに
ストップをかければいいのであって、現段階で
批判する根拠としては成立しないと言えます。
さらに言うならば、②の高さの相違については、
三浦教授から興味深いエピソードをお聴きしています。
それは、寛永度天守が上がった際、将軍家光が
本丸外から天守を眺めた際に、石垣が少し見えているのが
興ざめで残念だった・・とこぼしていたそうで、
前田綱紀の再建天守台では、それを考慮してわざわざ
低く天守台を築いたのだそうですよ。
わたしも三浦教授から伺っただけなので、
その根拠は知りえていないのですが、これが真実だとすると、
むしろ、家光の意向に沿った天守が初めて
平成の世に築くことができたということになります。
・・・というわけで、天守台が寛永度ではないからといって
再建を検討(再建と決まったわけではない)べきではない
という結論にならないことは明白です。
批判するにしても、あまりにひどい批判だったので、
これは意見をまとめないと・・・と感じた次第。
2014/3/2追記
「城の再発見!いよいよ論議すべき、「復元」ではなくて「仮想再建」だという実態」
さて・・・忙しくて扱えていませんでしたが、
また反論がありましたので、言及しておきましょうかね。
このブログをご覧になったのか?あるいは別ルートで、
ご存知なったのかはわかりませんが、
「幕府はこの台座の上に寛永天守と全く同じものを造る予定だった」
という三浦正幸先生の主張が、「再建する会」の唯一の後ろ盾(だて)
ということに言及していますね。
ま、これはこの通りでしょう。
これに反論があるなら、最初からそう反論すればよく、
妙な悪口雑言をのたまわなくてもいいのに…
と思うのですが、それはさておきですね。
きっと現状の高さ5間半の石垣の上に
「狭間石(さまいし)」を増設して
6間にすることを意味していて・・・
というくだり。そうなんですか?
図面に狭間石が描かれているのは見たことないのですが
そのあたりを詳しくお聞かせ願いたいですね・・!!
また、寛永度と正徳度の相違点(の可能性)として、
1.千鳥破風の勾配がゆるい
2.降り棟が千鳥破風には描かれていない
は確かに興味深い点ではありますね。
ですが・・・その観点も議論の対象に含めるべきだと
いう点は同意しますが、今の時点で再建すべきでないという
判断をするのは尚早でしょう。
むしろ、もっともっと再建に向けて議論するべき
内容が多くあって、しっかり議論しようぜ、
ということだと思うんですけどね・・・
また、タイトルが「復元」ではなくて
「仮想再建」だという実態とつけられているにも関わらず、
なぜ「復元」ではないのか、「仮想再建」と呼ぶべきか?
については、言及されていませんね?
なんだかモヤモヤした記事だなというのが、
正直な感想ではありますが、せっかくなので、
会の議論の場に参加くださったらよいのに・・・・
と思わずにいられませんでした。
blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。

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