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小田原城。

さて・・最近1ヶ月くらいの放置なぞ、
全然気にならなくなっちゃって、ヤバいなと
思い始めている今日この頃。

ちょうど約1ヶ月前になりますが、
ニュース等でも報道されていたように
小田原城天守を木造で再建しよう、という
動きがあり、NPO法人の設立総会があったので、
それに合わせて、小田原城に行ってきました。

実は、小田原にはよく立ち寄ることがあって、
駅ホームから頭ひとつ出た小田原城天守は
よく目にするのですけど、かなり老朽化してきていて
建て替えるのか、建て替えるなら木造か?
またコンクリートなのか?で盛り上がってるとかで。

そういや小田原城ってどのくらい行ってないのだろう、
と思ったら、なんと2005年。8年も前です…
いくらなんでも行かなすぎですね(汗)

ま、いろいろ知識もついたことだし、
小田原城そのものもしっかり見てくることに。

まずは・・・北条氏政・氏照墓にお参り。
へぇこんなところに・・というあたり、
後北条氏への関心の程度がバレます(汗)

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ちゃんと墓前を整備してくれる稲葉さんてばステキ。
狭山1万石の大名として、北条家は生き残るけど、
小田原にお墓参りって来れなかったのかなぁ。

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関東大震災でも被害があったんだね・・・
ということで、南無南無。

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江戸時代の小田原城の惣構はご多分に漏れず、
ほとんど破壊されているんですが、
幸田門あたりの石垣を少し見てみます。

幸田門の枡形を感じるところはほぼないですが、
その先の土塁と石垣が見れます。
郵便局は濠の上なんですな(笑)

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信玄も謙信も小田原城を囲んだことがありますが、
いずれもこの幸田門を破って進軍したそうな。

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想像図によると、江戸時代でもこのあたりは
土塁で門の脇と角の部分だけ、石垣だったってこと?
小田原って、江戸城の石切丁場にも近いし、
石には、苦労しないと思うんだけどなぁ。

てことで、土塁上を進んでいきます。

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土塁の盛られてる感は少ないですが、
土塁上はきれいにされています。

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郵便局のあの角の部分が、石垣になってるトコ。

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持ち去られたのか、破城ということなのか、
石は少し残ってる程度。

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降りて確認してみましょう・・・
けっこう規則正しい布積。というか、
これホントに往時のものかなと
ちょっと疑いのまなざしを向けたくなる石垣。

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さて、二の丸のほうへ。二の丸東濠石垣。

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関東大震災で崩壊したしまったそうで、
昭和になって積み直したそうですが、
それでも往時よりはだいぶんと低いのだそうで。

古写真を見るとよくわかりますね。

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江戸時代の古地図から。特に濠幅が広い。

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ここの濠、埋めちゃう計画もあったみたいだけど、
なんとか生き残ってくれてよかったね。

石垣、ただ積み直しにしてはよく積まれてる方かな、
という気はします。積まれなかった石は
どこに行ったのでしょうねぇ。

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今だとこんな橋が架かってますが、
これは昭和の低い石垣だから、架けられるんであって
当時はここには橋は掛かってませんでした。

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古写真に映っていた櫓。もちろんこれも再建。
しかも、コンクリ造りです・・やっぱり、
こうして櫓が建ってると、石垣低いなぁと思いますね。

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実際あった門から小田原城二の丸へ入っていきます。
遺構発掘の成果と絵図から復元された馬出門。

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ここは比較的最近(2009年)の再建で、
石垣も高く積み直されているようですね。
色の違いから推定できますね。

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こちらの門は1703年の元禄地震に伴う火事で
焼失後は、再建されなかったそう。
てことは、石垣だけの状態で放置?いいのか・・・

でも、発掘調査で門の位置が正確に分かって
再建への弾みがついたようです。

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個人的にはなかなか見ないなーと思うのですが、
馬出門の枡形は高麗門同士の枡形。
これじゃ、防御力低いだろーと思っていたんですが、
実は銅門枡形内から狙い撃ちするような仕掛け。

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赤字の矢印のように濠を挟んで馬出門枡形に
攻撃できるようになっています。
逆に二の丸内からは緑の矢印(+銅門櫓門)から
枡形内に攻撃できるようになってるっぽい。

さて、馬出門に入っていきます。
奥に銅門枡形の土塀が見えていますよ。

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左脇に目をやると、馬屋曲輪石垣。
こちらも隅だけは総石垣。

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右に目をやると、さっきの再建櫓。
屋根がT字の新発田城御三階みたいになってる!
元からこういうカタチだったのかな?

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あとは、腰巻石垣になってるから、幸田門の
土塁跡があったところもこうなってたのかもねぇ。

枡形内。正面に見えるのが銅門(あかがねもん)の土塀。
土塀の上から銅門が少し見えます。

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普通左手には櫓門がありそうなものですが、
もうひとつ高麗門があります。

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ちょっとなんかヘンな感じ(笑)

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外向きに鉄砲を構える構造。

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高麗門の脇の石は切込接でぴっちぴち。

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これ復元石垣でしょうから、石垣のお化粧も
改めて現代になってやったんでしょうかねぇ。

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さて、抜けたところが馬屋曲輪。
いかにも馬出だよねこれ、という感じです。

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高麗門を内側から。
なんとなく小さな左右の切妻屋根がかわいいやん、
と思えてくるようになりました(笑)

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馬屋曲輪櫓台。ここの櫓の資料はないのかね?

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けっこう大きな櫓だったろうな。
徳川系だろうから、二条城や駿府城の隅櫓?
みたいなデザインかなぁと想像。

P1230985

櫓台から西奥方面。やはり、こうして見ると
石垣の岩質、江戸城と似ている気がする…
安山岩系の伊豆石かなぁ。

P1230983

切石式井戸。ここに書いてある岩質を見ても、
やっぱり石垣も伊豆石だろうな、と。

P1230987

さて、ようやく銅門。逆にこちらは枡形に
向かう門が高麗門ではなく、仕切門のようになっていて
土塀が門の上にもずっと連なる感じです。

P1230992

こちらも石垣を積み増ししているようですね!

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正面だけでもけっこう威圧感ありますよね。

P1230996

古写真として残る銅門は、それはそれはヒドいもの。
会津戦役で残った鶴ヶ城天守のように朽ち果てる寸前。

P1230999

下見板の櫓門と見間違うほどの漆喰の剥がれよう、
そして土塀は朽ちてもはやなく、門の部分だけ
辛うじて残っている有様・・こりゃ、解体したくもなるか。

ふと振り返ると、馬出門の丸見え感にくすくす。

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さて、銅門を進みます。

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積み増してる(と思われる)石垣にも
矢穴跡があるなぁ。石自体は築城当時の石??

P1240011

この辺は先ほどの古写真に出ていた材が
そのまま使われていたりするのかな?
でも、1997年再建で築16年だから、
新たな材でもそろそろいい色になる頃かも。

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馬出門枡形内を狙い撃ちする東側土塀。

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狭間から見ると、まぁ丸見えっぷりがスゴイ(当然)

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そして、銅門の「銅」の由来になっている櫓門。
ザ・徳川系の門という感じがします(笑)

P1240019

これね。門に銅板が張られていることから、
銅門と呼ばれているわけです。

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ただ、そろそろ酸化して緑っぽくなりはじめ。
銅は酸化すると緑になるんです(酸化銅)。

P1240022

幕府直轄の城(江戸城、大坂城、名古屋城、二条城etc)は
銅でできた構造物が結構あります。鯱や破風板などなど。

こういうのって、最初は銅色をしていたんでしょうね。
こんな酸化していくさまを見ながら、江戸城諸櫓の
青海波文様の付いた破風板も、最初は銅色なのかなぁ…
とか、想像しながら見るのも楽しいものです。

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戦国~江戸時代の頃には、銅の色そのままを出しつつ、
防錆する技術ってなかったでしょうからねぇ。

でも美しさという面では、銅色のままで
長く輝いていてほしい、という気持ちもあるわけですが。

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あとは太い梁ね。こういう太い梁を見ると
ゾクゾクしますね~ この削りだした質感も好き。

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銅門の内側。これ、銅門櫓門のなかに、
入れるときもあるんですかね!入りたいぞ!

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しかし、銅門でちょっと辟易したのは、
コスプレイヤーの皆様。ずっと銅門の前から
退かないのよね・・・来る前に撮ってあってよかった。

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銅門を撮ろうとしてるじいちゃんが
いつまで経ってもどかないコスプレイヤー軍団に
苦い顔をしてられるのとか見ると・・残念で。

さて、さっきの再建二の丸隅櫓をチラ見して
常盤木門、そして天守方面へ。

P1240043

こう・・・あからさまに隅石だけ切込接、
内側は打込接ってどうも見た目のバランスが・・・

P1240046

二の丸御殿跡の看板。平面図はあるみたい。
建地割とかないのかな?

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二の丸隅櫓古写真。カタチちゃいますやん…

P1240053

1923年の関東大震災まで唯一取り壊されずに
残った建造物だったそうだけど、関東大震災で
石垣の上部ごと濠にダイブしちゃったとか・・・
小田原って、地盤ゆるいのかなぁ。

てことは、天守が解体されなかったらどうなんだろ。
名古屋城天守は、濃尾地震でもビクともしなかったけど。

さてさて、常盤木門のほうに行かなくちゃ・・
時間がないよぉ。

本丸東濠跡。小高い丘の本丸東側に水濠があり、
ここがその跡になっています。

P1240058

当時はこんな感じね。

P1240056

南のほうまで濠跡が続いています。

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さて常盤木橋を渡って本丸に上がっていきます。

P1240060

常盤木門。本丸に入る門ということで、
かなり厳重ですね。駿府城などでも見られる
桝形虎口をグルッと多聞櫓で取り囲むタイプ。

右に櫓門。

P1240069

櫓門から続いて正面に多聞櫓・・・

P1240067

そして向かって左。

P1240064

上空から見ると、そのグルッとした感じが
よくわかるんですよね!


大きな地図で見る

こちら、古写真を元に1971年に再建。
ということは、天守と同じくこちらも強度が心配。

しかし、石落としとかはないのねぇ。

P1240071_2

で、櫓門の瓦を見てビックリ!何故に徳川葵が??

P1240074

わからん・・・徳川・松平の大名が治めたことは
ないんじゃないのか??

P1240078

ちなみに馬出門は、大久保家の「上り藤に大文字」

P1240163

門扉には鉄板。別に鉄門(くろがねもん)は
ありますが、厳重な防備のためでしょうか、こちらにも。

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門扉部分は木造の様子。櫓部分だけコンクリか。

P1240088

なぜか多聞櫓は、フランスガラスの美術館・・・
なんでやねん・・・

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櫓門のこの紋も謎・・・常盤木門、謎が多い!

P1240156

で、正面に天守。これが老朽化で木造にするか
どうするかと喧々諤々の議論になってるわけです。

P1240099

個人的に天守というよりは、徳川系の三重櫓を
デカくして比翼千鳥破風をつけたような感じかな?
と思ってます。でっぷり感は名古屋城天守という感。

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てか、石落とし偽もんやったんや(泣)

P1240105

でも、天守台の石垣は好みです!
伊豆石ばんざい!

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遊園地のある天守西側にも行っちゃいましょう。
(天守内は行ってる時間ないからせめてここは・・・)

P1240114

西側から見ると、鉢巻石垣のように見えますね。
東側は石垣で固めているのに、西側は土塁を
残しているというのも興味深いです。

P1240116

が、西側を見ていくにつれおかしいことが・・・
え??

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意味わかんないところに階段・・・

P1240120

てか、それ石落としでしょ。そこに合わせたら
アカンでしょうが!こら!

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え?え?待って、なんであんなに石垣が
飛び出るの?わかんない、わかんない!!

P1240122

西側だけじゃなく、北側もおかしいで?

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全然石落としになってないコレが
比較的マトモに見えてくる不思議・・・・

P1240142

もやもやしながら、御用米曲輪の発掘現場に。

P1240127

後北条氏時代の土塁と思っていた土塁が
実は江戸時代の土塁だったとか、発掘調査から
梅鉢紋の瓦が出てきただとか、崩れてしまった
鉄門の位置が特定できたとか…

じっくり解説を聴いて現地説明会に行けばよかった
と思うくらい、新たな知見が発見されたよう。

鉄門に登る道の下からは、石積みを伴う障子堀、
の可能性がある遺構も出てきたそうで、
石積みを伴う堀と障子堀が同一遺構なのかどうか、
時期の差があるのかは、今後の研究が待たれますね。

さて・・・設立総会始まっちゃう!
大急ぎで小田原市民会館に戻るぞ!!

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