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晩秋の九州攻め・・・(6)佐敷城

さて、佐敷駅を降りて…もうすぐ見えます。
アレが佐敷城の石垣。

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途中、地下通路を通るんですけど、
その通路に描かれていたあの天下泰平云々…
何かと思っていたら、こういう図案の瓦が
佐敷城から発掘されたんですってね。

ということで、その巨大レプリカが
佐敷城登城口にどどーんと。

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そばには、清正~忠広の時代に佐敷城代として
当地にあった加藤(渋谷)重次の母と妻の供養塔。

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さて、佐敷城跡に向かいます。
一国一城令にて廃城。

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石垣の上部が崩されているいわゆる「破城」の
あとがキレイに見えるわけですが、
やはり一国一城令だけでなく、島原の乱後に
「悪用」されないための取り崩しがあったものと想像。

さて、縄張図を見ながら登城していきます。

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一部ですが、紅葉がきれいなところも。
紅葉そのものを昨年は見に行かなかったので…
貴重なショットです(笑)

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おっ、石垣が見えてきました!

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追手門跡。上部が取り崩されはいますが、
非常にキレイに残っています。元は埋まってた
そうなんですが、1993年~2001年の発掘調査で
全貌が明らかになったそうです。

やはり、角は軍事的に重要なポイントなのか、
重点的に取り崩している感じがします。

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かなり目が詰まってピッチリ組んである打込接布積。
このあたりはIII期石垣で、1607年(慶長十二年)銘の
軒平瓦が見つかるなど時期もはっきりしていて、
技術的にも完成された感じが見て取れます。

しかし、栗石の様子はよくわかりませんね…
発掘時の様子を知らないのですが、
栗石もあったんでしょうね?

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先ほどの「天下泰平国土安穏」の瓦が見つかったのも
このあたりだそうで、瓦溜りの最下層から
完全な状態で残っていたそうで、何らかの破城が持つ
儀式的な側面をも思わせる発掘ぶりだったとか。

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その先に見えるのが、二の丸東門跡。

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算木積の根石あたりにご注目。
角が尖らずに少し丸く加工されています。

P1200922

アップ。これ、清正流石垣に見られるそうで、
熊本城天守台はじめ、共通点を探るポイントかも?

P12009221

しかし、二の丸東門はかなりキレイに、
というかほぼ石垣と枡形は完存といって良い残りよう。

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ただ、高さはあまり高くなく、どのように
建物が建っていていたんでしょうね?
礎石のように見える石からわかるのかも・・・

二の丸から見た本丸下段の石垣。
地面と平行して直線的に崩されていますね。
その上には一段古いII期石垣が部分的に見えます。
文禄~慶長初期あたりの石垣だそう。

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このあたりに刻印があるはずなんですけど?
というkuroさんの言葉に探していくと・・・
あ、ありました!ノコギリっぽいかな。

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しかし、山上の石垣の城とはいえ、
かなり手入れされてるんでしょうね。
布積でもコレくらい変化があるといいよなぁ。

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搦手にあたる本丸西門。

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本丸というより、二の丸奥の帯曲輪的な部分の
さらに先であって、二の丸北西門とでも
言ったほうがいいように思われます。

枡形感はあるものの、東門と異なり、
かなり石が取り払われている感じがしますね。
ほぼ根石のみって感じです。

本丸北側の高石垣。北面はこの石垣の下は
ずどーんと落ちて断崖絶壁になっておりますね。

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さて、本丸への道。この道で左右に本丸が
区切られているのが妙な感じ。

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ここの喰違も仕切門くらいはあってよさそうだね。

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本丸はかなり石が取り払われて、
腰巻石垣くらいな勢いになっております…

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なんか土の城に虎口だけ近世城郭の石垣が!
みたいな妙な取り合わせに見えますな(笑)

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この辺が少しのこるII期石垣。
III期石垣と異なり、石灰岩が使われてるっぽい。
この様子だと真っ黒だけど…安山岩?

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さらに奥にある最も古いI期石垣を見ると、
あ、石灰岩なんだ!というのがわかりますね。

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本丸東門。こちらも辛うじて枡形感あり。
ただ外郭部分の石垣の部分の幅が狭く、
どういう建物があったのか…と不思議。
土塀だけとかなんでしょうかねぇ。

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下に降りてみて。礎石っぽいものの位置から見るに、
それなりの大きさの櫓門があったように
思えるんだけどなぁ。どうだろ。

P1200953

石垣が崩されてるだけに、ちょっと想像しにくいね。

さて、二の丸東門を下って、I期石垣が
ずらっと並ぶ二の丸下西側へと。

これとか、八代城石垣みたいにごしごしすれば
キレイになりそうだよね(勝手にやると怒られそう)!

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近世のIII期石垣は、けっこうハツリ仕事も
されているんだよね。短い期間で廃城になっちゃったけど…

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ここの隅も角がまるっ。

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I期石垣の連なる姿をじっくりみるkuroさん。

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上がIII期石垣、下がI期石垣。I期はわかりやすい
野面積であることと色が赤っぽかったり、
白っぽかったり、異なる岩石が用いられてそう。

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本丸西門を出て下っていくと、
いろいろ解説板がありましたよ!

P1200974

赤丸が天下泰平の鬼瓦出土地点。
赤四角が桐紋の鬼瓦の出土地点なんです。
桐紋といやぁ、豊臣家ですわな。

赤丸は追手門枡形の中心であり、
赤四角は搦手門枡形の中心…どう見ても、
何らかの意味を読み取りたくなります。

実際出土した瓦はこんなの。
鯱瓦もあるってことは、大きな櫓(門)もありそうね。

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佐敷城跡の解説・・あ、やっぱり、
島原の乱終結後に壊し方が足りん!と突っ込まれ、
再度徹底した破城がなされたことが発掘調査や
文献からわかっているんだって。

P1200979

航空写真。あの本丸北の先、近世城郭に
なる前は曲輪の一部?だったりするのかな??

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佐敷城跡の碑。いかにもこっちが正面!
という構えですが、つながる先は搦手です(笑)

P1200983

このあと、kuroさんのご希望で、天長山実照寺。

P1200999

城代加藤重次が、主君清正の恩に
報いるために建立したそうな。

仁王像。お腹をよく見ると…

P1200994

これおへそというわけではなく、仁王像を
兵と誤って矢で射た痕だとかで・・・
ということは、兵火があったわけですね?

梅北の乱という、清正時代に起こった佐敷城占拠。
薩摩島津の武将梅北国兼が朝鮮出兵の間隙を縫って
佐敷城を攻めたそうですが、守将坂井善左衛門が
一旦は降伏するものの、酒宴で油断した隙に
梅北を討ち取った・・というもの。
この際に梅北の弟が射た矢が仁王像に刺さったんだってさ。

あ、そうそう秀吉宿泊の地ってのもあったねぇ。

P1200990

さて、宴に向けて熊本に引き返します…
電車はくまモン電車(笑)

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中までくまモンだらけ・・・すげぇ。

P1210002

続いては、夜の宴から夜の熊本城へ・・・

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