晩秋の九州攻め・・・(2)暘谷城
さて、翌朝小倉から各駅停車でゆらりゆらりと
暘谷駅を目指します。途中中津で乗り換え。
さっそく2014年大河の「軍師官兵衛」があって、
ニヤリとしちゃいましたよ(笑)
観たかった鬼門櫓。もう崩壊の一歩手前、
という様子しか知らなかったので、
この立派な修復ぶりにしばし唖然・・・・
実は、アレを修復したんじゃなくて、
再建したんじゃないの?と思えるほど立派。
ちゃんと、修復した過程がわかります。
建材はかなり入れ替えないといけなかったでしょうが…
明治初年の古写真を見るとしゃんと建ってますよね。
あそこまでボロボロになるなんて、
よっぽど放置されていたとしか・・・・ひどい(泣)
下見板に塗られた渋墨がまだ初々しくていいやね。
櫓に入れるのはもうそろそろかな?
ただ、元あった場所ではないので、
石垣は模擬。元の場所に戻そうよ…と思ったけど
そうもいかないのはこのあとわかります。
鬼門櫓の特徴はなんと言っても、北東隅を
欠いた構造になっているトコ。これは、暘谷城ならでは。
これ、鬼門に当たる東北隅を災い除けに
カットした構造にしているんですよね。
アングル的にはいいんだけど、木が邪魔・・・
ま、櫓だけだとここでオシマイなんですが、
暘谷城ってば、石垣もすごいんやーん!
奥の穴は往時にはあったんだろうか・・・
なかったに一票。
いまじゃもう湛えることはできないけど、
立派な水濠だったんだろうなぁ。
石垣の加工度的には、野面積・・なんでしょうね。
野面積でもかなり打込接への萌芽は感じ取れますけど。
このあたりはもう打込接って言っても、
よさそうなくらいの加工度ですね。
ちょうどこのくらいが好きなんですわ・・・(笑)
ここの腰巻石垣・・・というか、
腰巻石橋(?)につながるあたりは、純野面積。
で、腰巻石橋は切込接。
これ、積んだ時代が違うのか、それとも同時代に
異なった積み方が並行したのか。興味は尽きません。
しかし、空壕っぽく見えてるとはいえ、
キレイに残っていて、残り具合には感動します。
暘谷城の石垣を積んだのは、穴太衆らしく、
この辺の加工度のゆれもそれっぽいですねぇ。
材料に応じた積み分けをしていたようにも思います。
暘谷城址の碑。ここからは小学校。
おぅおぅ、お前らうらやましいのぅ・・・
大手口につながる腰巻石橋を過ぎて、
さきほどと反対側。底はなにやら加工されてます。
ぬ、これは石垣を継ぎ足した痕・・・
どうもこのあたりがもともと鬼門櫓のあった辺り。
いつぞや入隅を石垣で埋めたようですね。
往時の様子と現在の地図の該当部分を比較すると
入隅が消えているのがよくわかりますね。
濠底に降りてみますよ~♪
ナニこの角!佐伯城の角みたいだけど・・
アチラは18世紀初頭・宝永年間の改修のときだけど、
暘谷城もこの頃に入隅を埋めたのかな?
石垣を突っ切ります。やっぱり後年の改造、
という気がしてきました、この穴。
トンネルを抜けると・・・
そこは石垣の国でした(笑)
でもなぁ、鬼門櫓の位置はやっぱり違和感。
濠の向こう側にあってほしいよなぁ。
石垣の野面感は最高です☆おほほ~
野面積~打込接への過渡期具合がもう(笑)
不揃いながらも、算木積ができ始めてるところに
ニヤニヤしちゃいますなぁ(笑)
鬼門櫓を見上げる。高級な漆塗りでなくても、
柿渋塗りでも十分キレイよね。つや消しブラック。
向かいの石垣だけ妙に整ってるな・・と思ったら。
その先は妙に石が丸いし・・むむっ。
あ、ドリルの痕!復興石垣だ。
その先もそうみたい。なんだぁ。
さて、鈍角の隅石を見ながら曲がっていきます。
この上に多聞櫓があったようですね。
算木積の角を持つ石垣がちょびっとだけ
飛び出してるのが気になる。何の痕跡だろう?
この辺り、南北の端に二重櫓の北櫓と南櫓が
あったようなんですが、上のほうと下のほうで
積み方が違いますよね・・・?
下のほうは、いわゆる穴太衆の積み方っぽいですが、
上のほうは谷積(落積)っぽく見えるんですよ。
この辺なんて、全体的に谷積感。
下のほうなんて、同心半円型落積っぽく見えます。
北櫓下。このあたりは木々が生い茂って、
ちょっと見づらくなっております。
海のまん前なんですが、木々がモリモリしていて
石垣を壊しちゃわないか心配です・・・
山城でふと出くわした石垣みたいで。
お稲荷さん。なんでここに・・・城内が
小学校じゃなかったら、城内にあるだろうにねぇ。
ホントに海に面してるんですよ。
往時はもっと海を引き入れてたでしょうから、
海城らしいようそうだったでしょう。
えっ・・・これ、セメント入れてる?(泣)
望海櫓石垣。角の曲線がちょっと歪で
おもしろい。
ひときわ高いこちらが天守台。
どどーん。
天守台、積み方は布積と乱積の中間の
「布目崩し積」という積み方だそうです。
再び望楼櫓石垣。どうやら石が大きめの
野面積みから打込接くらいがやっぱり
わたしの好みの石垣なようです♪(しつこい)
この階段は往時もあったようですが、
ここまで来た道のほとんどは、濠から海に
つながっていたようでした。
アチラから望海櫓へ。二層櫓ですが、
埋門的な入り口になっていたようですね。
櫓内からはこんな感じ。
せっかくだったら、櫓から海を眺めたかったなぁ。
望楼櫓跡から見えるのは・・小学校。
さすがにこっから先はいけません!
天守台に上りたいわ。
で、ちょうど休み時間みたいで
本丸で遊ぶ子供たちの声がこだまする・・・
と思ったそのときに、サッカーボールが!
さすがに荷物とタブレットを持っていて、
瞬時に捕まえられず・・ごめんねぇ。
海岸べりにある石垣は、模擬です。
わざわざつくらんでもよさそうなもんですが…
隠そうというつもりらしいが、
モロバレすぎます(笑)
天守台の前のこの石垣はホンモノ。
望楼櫓下から天守台下、そして
裏門方面にまで続く長い帯曲輪があります。
これが帯曲輪。このあたりの天守台は
苔むしがびっしり。海の方角かどうかで
潮風の辺り具合が違うからかなぁ。
こうして見ると、積み方は野面ですけど、
隅石のシュッとしたシャープさはさすが天守台。
帯曲輪下の車が停まってるあたりは水濠。
海にまで続いていたようです。
今では浅いので、少し埋めたかな?
裏門櫓石垣。時鐘があるけれど、
往時は平櫓の裏門櫓があったところ。
石垣の苔生しっぷりがキレイだわ。
搦手を過ぎて、入隅を埋めたところに
戻ってきました。ここにはどうやらプールがある
ようでして・・・ここに鬼門櫓を再現するのは
今となっては難しいよねぇ。そゆことか。
でも、少しはなれたところにあるあの櫓。
あれが裏門櫓でこれはさっきの、時鐘のあるところへ
移築して再現したほうがいいでしょ…
裏門櫓、特に説明はないのですが、
漆喰壁の構造がわかりやすいように・・・
こうしてあるのかな?
実はこれ、民家として移築されていたのを
2000年に日出町教育委員会が譲り受け、
解体・保存していたそうで、近年(2009年~10年)、
復元工事によって、蘇ったもの。ナイス!
だからこそ、せっかくだったら裏門の時鐘を
移動させて石垣の上に再移築してほしかった…
左手の建物は二の丸館。こちらにお土産屋さんや
レストランなどがあります。
でも、よかったのは無料の暘谷城資料(笑)
「日出図跡考」という史料には、明治初期の
廃城直前に実測された天守実測図があるそうです。
それによれば、縄張りの南東に位置し、
一階は八間二尺×七間半。
二階は五間×四間、三階は四間×三間。
三層三階の層塔型天守で、四間半×四間半の
付櫓がつく、複合型天守だったようで、
付櫓から天守に入る構造。
高さは五丈一尺ですから、15.5mくらいでしょうか。
丸亀城天守のようなかわいい大きさですね。
天守立面図。資料には東面とあるけど、
どう見ても海側からみた南面としか思えない…
飾り破風はなく、下見板張り。
層塔型で下見板張りというと、八代城天守や
かつての島原城天守などを想起しますが、
いずれも九州というのもおもしろい。
層塔型はかなり建造の効率化が図られている一方、
下見板張りにしてコスト削減したのかな?
などと想像します。石高3万石ですしね。
こっちが東側だと思われます・・・
うん、ここまでできるなら再建しようと思えば、
再建できるな、暘谷城天守。
ただ、郡下の町単位ではちょっと無理だね。
資金的につらいだろうな…10億くらいはいるかな?
暘谷城全体図。右上の曲輪が二の丸で、
上側が大手門、下側が搦手門。
いずれもしっかり枡形に見えていますが、
枡形を形成する石垣は撤去されているようです…
こうしてみると、鬼門には鬼門避けの入隅に
なおかつ北東を欠いた鬼門櫓。鬼門に対する備えが
なぜか厳重なところが気がかりになったりします(笑)
暘谷城、かなり中津城主時代の細川忠興の援助で
造られているそう。木下延俊の妻が細川家の出という縁。
城内の櫓、明治維新まで残っており、
中には移築された櫓もあって、そのうちのひとつが
先の鬼門櫓なのだけど、裏門櫓は民家として、
望海櫓は、城内にできた日出小学校の裁縫教室に。
望海櫓は、1921年に取り壊されたとあって、
なんで修繕しなかったんだ・・(怒)
お金なかったのかなぁ。
ただ取り壊す前に天守だけじゃなく、
各櫓の実測図が「日出図跡考」に残存するのは救い。
うむ・・・暘谷城なかなかやるな。
楽しすぎて、予定時間をオーバーしそうに(笑)
三の丸の門跡も少し巡ってみましたが、
遺構はあまり確認できず。さて、急ぎで暘谷駅に。
駅前の雀荘のネーミングにぷぷぷとしながら(笑)
2012年12月から大分の一部でも、
SUGOKAが使えるんですね!
関東のSuicaユーザにもうれしい話、かも?
大分駅は残念ながら通過・・なので、
府内城はなし。ポッポおじさんの大分からあげで
からあげをモリモリ購入。
どっちが醤油?どっちが塩?って感じですが
個人的にはより醤油のほうが好き。
さすがにお昼から揚げのみというわけにも
いかないので、ブリトロも頂きました。
美味しいもの、ばんざーい☆
さて、この後は久大本線で日田まで。
まずは、日田永山城に参ります。
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