竹田城オフ・・・前日:福知山城
さて・・続いては福知山城。
車内であむさんからお借りした臼杵城パンフを
せっせと自炊してたら、軽く車酔い・・(笑)
これ、夏に臼杵城に行ったあとにできたんですって。
ホントは夕里さんにあげるものだったらしいけど…
変な折り目付いてたら、ごめんなさい< 夕里さん
そして、岡城のDVDも譲っていただきまして。
めっちゃうれしい!あむさん、ありがと☆
最後に訪れたのは、10年近く前・・で、
駐車場から降りて、観てビックリ!!
なんじゃ、あの櫓門は!
知らぬ・・・知らぬぞ!来ない間に
いろいろと変わってるのね・・
今観て思うと、あの入母屋破風が重なる意匠。
独特ですよね。アシンメトリーなのも
いいよなぁ、と思うんです。
しかし、この橋といい、奥の櫓といい、
全く以って記憶がない・・・この櫓、
1990年にできた福知山市佐藤太清記念美術館。
建物自体はコンクリですが、外観はなかなか。
ただカーブしているのには、違和感ありますがねぇ。
橋の下だけ見事に色が違う・・・
雨風に晒されているかどうかの違い?
それとも・・・
このあたりの通路は、変わってないかな。
しかし、あの美術館、多聞櫓の途中に
千鳥破風を配するなど、なかなか装飾的です。
福知山城といえば、転用石。
早速発見です!
櫓門から見える小天守。門から見える
櫓ってシチュエーションも実は大好き(笑)
ただ、天守との距離が近すぎ、
二重の入母屋破風を間近ではなかなか撮れない!
のがちょっと悩みの種かも。
櫓門もこうして見ると、ひょろっとした感じ。
この天守の欠け、鬼門除けか!とkaiさんと
話していたんですが、実は南東。
ぜんぜん鬼門じゃない(笑)
個人的には、こうした突上戸まで
復元されているのは、ポイント高いですね。
(省略されがちですからね・・・)
おっとこんなところにも転用石。
宝篋印塔の相輪まで使うとは・・石垣には
不向きでしょうにねぇ(苦笑)
忍たま乱太郎にしか見えない、光秀殿!
作者の尼子騒兵衛さんが福知山観光協会の
イメージキャラクターを務めたゆかりが
あるからってことのようですね。
さて、天守に。2ヶ月ほど前に、
小和田先生もお越しになっていたようですね!
どんだけ歴史に学ぶんでしょう(笑)
往時の福知山城。現存するのが本丸部分のみで、
二の丸の台地はすっかり削られてしまっている・・
ということがよくわかりますよね・・・無念。
本丸が東の隅にあり、西側の台地に
二の丸が開けていた様子。まぁ、さっきの美術館は
全然復元でないのがわかります(汗)
しかし、この日すっごい結露していて、
コンクリ天守だけにつるっつる。危ないわ・・・
で、そんな足元の中、ツイートしながら
階段をゆくあむさんかっけー・・
兜をかぶれるところには、真田と伊達の兜。
まぁ・・しょうがないか(苦笑)
でも、この光秀さんかっこいいな。
さすが、ゆかりの地ですね。
実は、この日城ガール隊の取材が入ってたんです。
両丹日日新聞さんだったかな?
ま・・・白組はぽかーん( ゚д゚)でして、
若干手持ち無沙汰(笑)
で、やっぱり城郭「建築」Loverとして、
天守模型は捨てがたい。鬼門除けか?と思った
あのくぼみって、入母屋破風が重なった意匠とも
関係してるんですよね。
あのくぼみのズレが入母屋破風のズレ。
どうしてこのようなつくりなのか・・・
1699年創建と比較的新しいにもかかわらず、
ザ・望楼型!という古式ゆかしい天守ですしね。
この天守、福知山を領し筑後久留米に
転封になった有馬家に天守の史料があったそうで
そのおかげで外観は忠実な復元ができたのだとか。
天守から銅門番所。数少ない城郭遺構建築。
小天守の向こうにみえるのが明智薮。
人工的に植林された竹から構成される堤防跡で
光秀はこの恩恵からも、領民には深く慕われていたそうな。
まぁ、小天守の鬼瓦は朽木さんですがね(笑)
遠くに見えるは明覚寺。福知山城の現存門を
山門とするお寺ですね!
西の方角に見える高台が伯耆丸。
手前が二の丸だったわけですが、ざっくり削られ、
高台の面影はありません・・・
東側の入母屋破風が重なるところを内側から。
さて、天守から離脱して転用石祭。
天守台西側に集中しているみたいなんですよね。
確かに目にどんどんと入ってくる・・・
梵字もチラホラ・・・
城域が完成したのは、明智光秀の時代ではなく、
関ヶ原の論功行賞で入府した有馬豊氏の時代。
とはいえ、天守台自体は光秀の時代に周辺寺院を
破壊して石を集めているわけで・・・
天守自体も典型的な初期望楼型ですしね。
この凹みが謎・・・
ココまで多いと、おもしろいけど、
石垣としての景観という意味では・・・(汗)
やっぱり、こういう野面積みのほうが
好きではある。
そして、現存遺構ではあるがあまり注目されない
銅門番所。支えるニセモノ石垣が残念。
ほらね・・・orz
使おうとして使われなかった宝塔の残骸。
やっぱり通常の石を優先で、どうしても足らない分だけ
転用石を当てたのかもしれませんね。
天守西面。東面と同様、角の欠けに合わせて
入母屋破風が据えられていて、欠けが大きい分、
手前の破風が小さく、付け櫓風にも見える。
以前訪れた際にはあまり思わなかったんだけど、
この非対称性がすごく美しく思えて。
今になって、すごく好きな天守になっちゃいました。
天守北面。こちらは破風飾りはなく、
千鳥破風などなく入母屋屋根がダイレクトに
見えるあたり、初期望楼的な古式な雰囲気。
北面の石垣には、転用石はほとんど見当たらない。
光秀築城の初期の頃に組んだのでしょうかね。
と言っても、ゼロではないんですけど。
ずらっと並ぶ石垣になれなかった
(ならずに済んだ?)宝塔。
この前で、記念写真をぱちり(笑)
かなり暗かったのですけど、このあと
明覚寺の福知山城の現存門。
タブレットではダメダメでしたが、
こういうときにデジカメのありがたさが心に沁みる…
かなり小振りな高麗門なので、曲輪内の仕切門、
くらいなんでしょうかねぇ。
マンホールは、天守南東面の図。
あれ、この西面左右反転してね?
…さて、このあと和田山に移って宴・・なのですが、
実は翌日竹田城に行った後にも、二日目から参加の
しみずさんとまた福知山城に来ちゃいましてね。
遠いですが、駅からも天守が見えるんですね。
手前には武田菱(大違)
アップで何とか・・・これが限界。
城内にもありますが、もう片方の鯱は駅に。
駅を降りて、あまりに見違える景観に驚愕・・・
こ、こんな開けてなかったはず・・
あ、天守。けっこうお城が大事にされてますね。
福知山駅。うーん、まるで記憶がない(汗)
市役所あたりから天守を眺めると、
けっこういい画になります。ホントはこの辺、
台地になっていたんでしょうけどね。
あちらのほうに見えるのが伯耆丸。
関ヶ原後に入府した有馬豊氏の弟である
有馬伯耆守重頼の住まう曲輪だったそうで。
で・・・再び天守さんコンニチハ。
これこれ。見落としたの・・・
この石垣の境い目。ここより右手(南面)に
転用石が多いんですよね。
これ、誰の時代のどういう経緯で
天守台が増床されたんでしょうか・・気になる。
しつこいけど、やっぱりいいなぁ。
今回、わたしの好きな天守ランキングで、
福知山城天守、急激にランクが上がった感じ(笑)
二度目・・の突上戸。これがあるのと
ないのとでは雰囲気が随分違いますよね・・・
天守に入るしみずさんと別れ、福知山撤退。
この角度だと、入母屋破風が一重でつまんないし…
こちらからだともう少し距離がほしい感じ。
てことで、やはり南側は駐車場からの眺めが
一番よいという結論。
この後、帰る道すがらなぜかしみずさんと
合流!え?天守、そんなに一瞬!(笑)
途中で、丹波のお菓子を買ってもぐもぐしながら
駅まで帰り着きました。
えーっと。帰りの車内ですでに晩酌・・・
白州heavily peated に山椒風味のお豆さん。
唐辛子よりもこちらのほうが合うかな。
京都では、和醸良麺 すがりでもつつけ麺。
肉女王よしえさん(@yoshie_san)に教えてもらって
すっかり京都で食べたい麺屋第一位に(笑)
多少、塩分が強めなんですが、
この日は竹田城でいっぱい歩いてきたので、
ちょうどいい感じでした。美味い!
麺はいつもゆずを練りこんでるゆず麺をチョイス。
小鉢でモツ丼も!よく食べたねぇ。
さらに、高速バスまでの時間つぶしに、
たまたま京都にいらしたマサチカさん(@masachika_i)と
グランヴィア京都のホテルバーで飲み飲みしたり。
いやいや楽しき時間でしたね。
さ、ちょっと遡って、お次は竹田城を・・・
| 固定リンク
「旅行・地域」カテゴリの記事
- 武田氏館西曲輪発掘調査現地見学会 + 桃と桜と信玄公 3/18(2017.06.03)
- 2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 2/10-12 会津⑤ 御薬園・会津武家屋敷 with 絵ろうそく(2017.05.20)
- 2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 2/10-12 会津④ 吹雪の会津若松を彷徨う(2017.05.06)
- 2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 2/10-12 会津③ 鶴ヶ城縄張考察・・・武田と丸馬出を求めて(2017.05.06)
- 2017年・・・・もまた濃すぎて ~ 2/10-12 会津② 絵ろうそくまつり@鶴ヶ城~(2017.05.06)
コメント