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信玄×信長 戦国のうねりの中で(講演)

さて、記念講演。

「織田信長と武田信玄 - その戦略を中心に - 」
として題して、日本大学講師・柴辻俊六氏。
武田氏研究の第一人者でいらっしゃいますよ。

ですが、個人的にちょっとなぁ・・というのが
正直なところ。なんというか・・・画一的というかねぇ。

武田研究をずっとしてこられた方だから、
信長はこうすごいけど、信玄はこうすごい・・的な
お話を期待してたんだけどなぁ。

信玄が保守的で、信長が革新的という二元論で
捉えてちゃ、認識の奥行きは広がらないですねぇ。

素人があれこれいうのもナンですが、
中世・近世という歴史軸は西洋史の枠組み。

本質的に、信玄が「中世」の最後か
信長が「近世」の幕開けか、というのは
そう重要なことではないように思えてくるのです。

■家臣団編成

家臣団編成にしても、信長が実力主義であって
信玄が制圧した伝統ある旧勢力を幕下に加え、
新参者が少ない・・とのことですけど、
しかし、それだけではないと思いますね。

簡単に言えば、信長はハッキリとしたビジョンがあって、
かつそのビジョンを進める上での人材を
即戦力としてを求めてる(ことが多かった)のに対し、
信玄はそもそも人に恵まれていたのと、
人を育てることで、有能な家臣を保とうとした、
という手法の違いだけ、という気がするんですよね。

むしろ、対照的なこととして・・
信玄の反乱の少なさと処分の厳しさに対し、
信長の反乱の多さと処分の甘さ、を挙げたいですね。

信玄は義信事件が唯一の反乱であって、
松永弾正や荒木村重なんかも何度も許してるしなぁ。
それでも、信長も基本発想がブレてないですよね。

そして、信長はある時期以降軍団制を採って、
各方面軍に一定の裁量に任せ、同時進行で
勢力拡大を晩年期にはやっています。

一方、信玄は西上野に内藤修理、北信濃に春日弾正など
前線に宿将を配しはしますが、あくまで守将。
攻め手のハンドリングは、信玄が一手に担っています。

これには、ある程度の兵農分離ができている結果
それに経済力の差でもあるのでしょうが・・・

戦略決定プロセスとして、信長が専制的なのに対し
信玄が宿老衆も含めた合議体制という
見事に対照的な構造になっている一方で、
逆に戦術フェーズでは、信長のほうが委任体制を
採っているのに対し、信玄はある種専制的にも見え、
構造的に逆転しているのが、興味深いです。

詳しくないですが、毛利あたりも武田と似てる印象があり、
毛利と武田の権力構造比較、なんていうのも
面白そうなテーマ。

■合戦スタイル

これはまぁ、そうだなぁというのが
ガチンコでぶつかった野戦って
意外と少ないんですね、信玄って。

やはり調略で中から崩したうえで
攻城戦に持ち込む・・という感じかな?

それでも、上田原、塩尻峠、川中島(第四次)、
三増峠、三方が原。やっぱり信玄は攻城戦が多い、
という印象は確かにあります。

逆に信玄の城は甲斐には少なく、
信濃や駿河あたりが、むしろ信玄の城のメッカ。
・・・というのは、知ってはいましたが、
興味が出てきたのは最近だなぁ。

あまりイメージはないでしょうが、
信玄も鉄砲は所持をしているんですよね。

『勝山記』には、1555年、旭山城の栗田氏に
兵三千、弓八百、鉄炮三百挺を与えて・・
という記述が見られます。分け与えて三百ですから、
総数ではそれなりの鉄砲を所持していたんでしょうね。

信玄が、鉄砲をどう使いこなしていたのか、
なかなか現代にまで伝わっていないのが残念・・・

逆に信長は、調略が少なめ。どうだろ。
イメージはそうだけど、信長はそこまで知らないから・・
でも、負けがないってのはどうなんだ?
金ヶ崎の撤退戦とかは、どうなんだ??

『信長公記』の初見では、1548年に
信長自身が鉄砲の稽古をする記述があるそうな。

船はまぁ比べてもねぇ・・・申し訳程度の
武田水軍に比べるまでもないわけで。
ただ、十分に編成する期間があったとしたら、
信玄がどう水軍を育てていっただろうか?
というのには、非常に興味はありますよ。

■外交

えー・・・信玄はそう尊皇家ではありませんっと(笑)
大正時代に尊皇家としてアピールして、
従三位をもらっているんですが(汗)

1554年、信濃での戦役で文永寺・安養寺が焼亡。
正親町天皇の両寺再興するよう綸旨が下ったが、
これに従っていないようです(汗)

というか、まだ当時の晴信に朝廷の利用価値は
少なかったとも言えるのかも知れません。

信長もまぁ、上手く利用したという感じで
置かれた環境と利用価値の違いなんでしょうね。

これは、朝廷だけでなく、室町幕府や他大名も同じ。
特に信玄と信長で差異は感じませんね。

仮に信玄が義昭に近づけたとしても、
どう上手く利用するかを考えたでしょうしね。

ただ、寺社勢力に対してはかなり対照的。
信長は大名と同様、反抗する勢力はキッチリ
武力集団とみなして戦国大名と同じく制圧。
信玄は、あくまで寺社として特別扱いしている点。

これは、宗教観と戦略の違いもあるのでしょうけど、
寺社の勢力を味方に付けるか、叩き潰すか・・・
信長の場合は、ビジョンを実現するためには、
邪魔であったんだろうし、宗教観だけではない気も。

信玄としては、既存の宗教世界を取り込みたい
という気持ちがあったんでしょうな。
僧正位をもらってるのも、うれしそうだもんな。

ということで、取り留めない感じになっちゃったけど、
この中では家臣団編成と権力構造あたりに
興味が湧き、もっと知りたくなりましたね。

もともと、信玄のひととなりと上官として
こういう人の下で働きたいなぁ・・というのが、
そもそもの信玄への入り口だからね。

さて、その後は安土城天主を愉しみます。
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