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信玄×信長 戦国のうねりの中で(展示)

翌日向かったのは安土。珍しく信長との比較で
信玄を取り上げるということを知って、
久しぶりに安土を訪れました。

20121028

とはいえ、安土城址に行ける余裕はなく、
資料館の展示と講演、そして信長の館
(安土城天主実在模型)くらいだけでしたけど。

ごめんね、今回はあなた主人公じゃないの(笑)

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安土の駅前に信玄像がはためくのは、
なかなかないでしょう(笑)
なにより、持明院蔵の画像が一般的に
なってきているのがうれしいなぁ。

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まずは展示のほうを図録で振り返りながら、
思い返していきたいと思います。

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プロローグにあるように、皆が競って
上洛して天下を目指す・・わけではなくって
考え方の違いを探れるとおもしろいですよね。

■武田信玄と織田信長の勢力最大版図

ま、これは文化財ではないのだけどね。
それにしても、北条・今川・山之内上杉と
大大名に囲まれ、さらには本国甲斐の生産力は低く、
金山はあるとはいえ、かなりハンデが大きい。

信虎の時代は、甲斐を纏め上げるのに
周辺の大国を上手く使って立ち回れたと思うが、
逆に甲斐一国を纏めた後では、それが足かせに。

信長は一方で、また目標(天下布武)実現のために
攻め取りルート通りにつぶしていくことを是として、
大物とは徹底的に相手にせず、比較的小粒を
相手にできたことは、運が良かったのもあるし、
それがブレないのも信長の手腕の高さだよね。

結局、信玄の生涯は生産力の低い甲斐から
攻め取れそうな信濃を奪い取って体力をつけながら、
西上野、飛騨・・などを本当に少しずつ刈り取り、
長い間掛けて体力をつけてます。

もし、信玄が信虎を追い出して家督を継いだ時点で
今川と浅からぬ関係にはなく、攻め込んだとしても、
今川や北条を同時に相手にできるほどの力は
武田にはないだろうしねぇ・・・

ということで、天下を治めることを意図した信長に比べ
とかく中世的、旧勢力といわれる信玄だけど・・

その面はあるにしても、まずは勝ち残るために、
どう動くべきか?を考えれば、中央進出を第一に
考えるということは、実際無理だったろうな、と。

信長=新勢力、信玄=旧勢力と二元論で
捉えるのは非常に危険な気がします。

■肖像画

個人的には先ほど書いたような高野山持明院蔵の
武田晴信像のほんまもんを見れてほくほく!
・・・はいいとして(笑)

安土城下でも自らを神格化し崇めさせた…といいますが、
信長は神格化されたような画像はあまりない、
ってところが興味深い。

これって、既存の宗教画に仮託して自らを
神格化していくのではなく、新たな権威を纏う、
ということを信長が意識していたからかなぁ。

いずれも死後だけど、秀吉が豊国大明神、
家康が東照大権現と既存の神のイメージで神格化
されていることから考えても、信玄の不動明王像のほうが、
「日本人的な」感覚になじむ神格化かな、
という印象はありますね。

それに、安土城も天皇を迎え入れられる御殿があり、
信長自らが住む天主の下に位置づけられて…
というところとも関係がありそうですね。

■躑躅が崎館の城郭ネットワーク

躑躅が崎館、北の要害山城が詰めの城というのは
よく知られているけれど、湯村に湯村山城、
南東に一条小山があり、この三つの山城の中心に
躑躅が崎館があるんですね。

単に要害山城だけでなく、三つの山城を含めて
ひとつの大きな城郭として機能していたのかなぁ、
と考えると、いろいろ調べてみたくなりました。
(まだぜんぜんやってないけど。笑。)

P

湯村山城ってどんなとこだろ。行ってみたいな。
ちなみに、一条小山は後の甲府城。
この小山が切り崩されて、近世城郭になりますね。

ちょっと話が外れますけど、躑躅が崎館から
出土した馬の骨格標本も来てました。

ちょうど、わたしの鎖骨あたりくらいの高さが
馬の背中の高さ…でかなり低い印象。
もともと日本にいた馬って背が低いんだよね。
洋馬のイメージが染み付いちゃってるけど、馬って。

だけど、実は武田軍の騎馬って物流を担うのが
主任務で山々も越えていったのだそうで、
そう考えると、砂漠の駱駝のような感じなんでしょうか。

にしても、蓆をかぶせて丁寧に葬られているあたり、
武田家における馬の位置づけがわかりますね。

■書状からみる信玄・勝頼と信長

信玄最晩期から勝頼期にわたる信長とのやり取りが
非常に興味深く、書状の解説をじっくり読む。

・上洛協力要請に・・信玄/信長の違い

足利義輝の側近だった細川藤孝宛の信長書状。
義輝が暗殺され、藤孝が幕府再興に奔走していた時期。
当時出家していた覚慶(後の足利義昭)を
上洛させるのに協力してほしいという書状への返答。

この書状は永禄八年ですから1565年。
当時、信長は斎藤龍興と交戦中。
それでも、信長はOKの返事を出しているんですね。

一方、永禄九年(1566年)の信玄書状でも、
同じような藤孝の呼びかけに、遠いので無理です、
と応えているんですよね。

地理的な面は置いといて、義昭を迎え入れる、
という選択肢はなかったんでしょうかねぇ・・
信玄と信長の対応の違いが興味深いですよね。

信長はこの頃からすでに義昭を利用して
中央に覇を唱える計画があったのでしょうか。

一方、信玄もまた室町幕府にそう忠実でもなく、
信玄としては「利用価値なし」とみなしていたのかも。
できないにしても、もう少し返答のしようが
ある気がするんですよねぇ。

・微妙な関係

決定的に関係が悪化する前?の信玄と信長の
微妙な関係を物語るエピソードとかおもしろい。

義昭に鷹の雛と子を信玄がプレゼント。
で、なぜか信長の手を経由し鷹匠をつけたうえで、
義昭の手に渡ってるんですよね・・・

義昭と信玄が変な結びつきを起こさないように
「検閲」したのかもしれませんね。

・勝頼が当主となることへの違和感?

武田勝頼から内藤昌秀への誓約書。忠勤に励むなら
過去のことは誓って不問にする、というもの。

信玄の死後11日後に出させたもので、
勝頼を後見人としてではなく、当主という自負。

この時点でこのような文書がある自体、
信玄からの権力移行がスムーズでなくて、
勝頼が当主となることの違和感が払拭されてない
何よりの証拠といえる文書ですね。

内藤修理自体、過去の態度を清算・・ということは
少なからず違和感をもっていたのかも。

既に大将とのがっちりした信頼関係で
成り立っていた武田家中のほころびが
また現れているな・・という一通。

・慎重な信長、スキだらけの勝頼

個人的に「信玄×信長」のテーマで、
長篠合戦を扱うのには、違和感あるんだけど…

大物には安易に手を出さない慎重な信長がよく感じられ、
一方で、勝頼のスキだらけなところもまた。

信長は三方原の進軍にたいそう怒り、謙信に挟撃を提案。
一応オトナの事情はあっても、表面上は友好関係に
あった武田ー織田間にあって、イキナリ侵攻してきた
ことを謙信に訴えています。

だけど、これは謙信というキャラクターを
意識しての信長の作戦であり、内心はいよいよ
信玄と対決するときがきたか・・と
腹を括っていた、という気がしますけどね。

信玄の死直後、再度謙信に書状を送ってますけど、
信長はまだ勝頼を警戒してるんですよね。

信玄の掟を守り、交渉や戦術も
表裏使い分けてくるはずから、油断できないと。
こういう慎重さ、一般的な信長のイメージとは
ちょっと違うかもしれませんね。

最後に小谷城もまもなく落ちる予定ですって、
付け足したように書いてあるのは、どういうわけ?

一方、長篠直前の1575年の勝頼書状を見ると、
長坂光堅に宛てた手紙では、万事うまくいっていて
信長と家康が長篠城救援に来るが大したことはないと豪語。

凡将では決してないが、このような気持ちでは、
勝つものも勝てなくなるな、という印象。驕りは大敗の元。

・京を目指していたのか?

土屋昌続の大山崎の離宮八幡宮への書状。
要は、離宮八幡宮のもつ権利を保証する
制札を出してほしいというのに対し、まだそちらに
兵は進めないのでまた今度、と断るもの。

これ、1573年3月の話ですから、信玄は虫の息。
そもそも京に進む気がなかったのか、
それとも信玄の病状を暗示したものか…

判断は分かれるところですが、上洛はついでで
まず信長と雌雄を決することを意図していたように
思われてきますよね。

・信長が負っていたプレッシャーの重さ

長篠合戦のあと、岩村城が落ち秋山虎繁が落命。

「秋山を岐阜に移送し今日磔にし、籠城衆も悉く首を刎ねた」
「近頃鬱積した思いを発散させられた」

武田側からすれば腹立たしい限りだが、
信長にこうした台詞を言わせるほど、
勝頼が大きな存在として見えていて、
心理的にもプレッシャーになっていたんでしょう。

ということで、やはり解説があると
書状はおもしろいですね・・・

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