« 明石城巽櫓と石垣を堪能しつくす! | トップページ | 竹田城オフ・・・前日:篠山城 »

2013年の初お出かけ ~ 信玄・昌幸・清盛を追う + ニッカショットバー

書きたいモンから書いていくので・・・
自分でも時系列というかツナガリめちゃくちゃやな、
と思いますが、その点は大目に見ていただき・・・

城は行っていないのですが、関西に滞在していて、
なかなか普段行けないところ・・を。

■信玄の血脈を追う・・善念寺

今回行きたかった最大のスポットがココ。
ホント小さなお寺で、すでにお寺っぽくなくて、
一民家のようにしか見えないのですが・・・

なにせこちらには、武田勝頼の子で、
武田信勝の弟、武田勝親の墓があると・・・。
そう、関西に武田の血脈が?
しかも、信勝に弟がいたなんて???

しかも、当家の墓もこのご近所にあって、
ウチの墓の近くに信玄公の血脈が!と思うと、
もう行きたくて行きたくて・・・

さすがに、わが祖父母をスルーするわけには
行きませんので、12月に竹田城に行く前にも
参ったばかりでしたが、祖父母に新年の挨拶をした後、
参ってきましたよ・・・・

場所はこちら。阪急園田駅から徒歩15分。


大きな地図で見る

事前情報の通り、こちらの住職さんは武田さん。
勝親公より代々その血脈を今に伝えてられるそうな。

ホントは、ぜひお話をお伺いしたいところですが、
さすがに正月にアポなしで向かうなんて、無謀。

まずは、尼崎市教育委員会あたりから問い合わせして
次の機会といたしましょう・・ということで
墓前前の看板。甲斐国志にも記載はあるそうで。

P1220998

池田信輝・・という書き方が若干気になるが、
これ池田恒興のことですよね。
Wikipediaにもその記述があるようですね。

しかし、池田恒興といえば長篠の戦いにも
参加していたはずですし、一時期は
甲州攻めの一翼を担っていたはず。

なぜその恒興を頼ろうとしたのか、
なぜ恒興も匿おうとしたのか・・・・

勝親どの、どのような思いをして
摂津にたどり着かれたのか、
どのようにお過ごしだったのか・・・

P1230008

とにもかくにも、信玄公の血筋を
残してくださったことに感謝しつつ、合掌。

墓石に漢文でなにやら書かれているが・・・

P1220999

 周代列国特公宋杞其徳雖既衰乎蓋以古之不可○也
 武田勝親者甲斐之後主之季子也按状天目敗績曰公
 生三歳其臣栗原左衛門幕負公而奔城州託諸醍醐之
 密経院院主者後主之○既而稍長會齊藤○無○○○
 公為○冒姓齊藤仕戸田候於尼崎城馬遂耻臣之万政
 仕入攝州掠橋荘富田村以隠浮屠變名曰善悦状之○
 截止是天和壬戌六月十九日廒死富田年百三葬宅址

ということで、勝親は勝頼の末子であり、
1580年生まれ(天目山の戦い時点で数え三歳)、
1682年没の享年数え年百三歳。

栗原某という家臣が山城まで連れて、
京都密経院に預けられて、長じて姓を齊藤と変えて
尼崎城の戸田氏鉄に一時仕えるものの、
摂津富田村に隠棲、善悦と称す。

天和壬戌(1682年)6月19日に薨去、
その屋敷跡に葬られた、という感じでしょうか。

摂津名所図会
という1796年~98年
(寛政8年~10年)に刊行された書物にも記載があり

 富田村善念寺にあり。武田勝親は甲州武田信玄の
 嫡孫にして、勝頼の子なり。天正十年武田家没落の時、
 山州醍醐密経院は勝頼の縁者たるにより、
 家臣粟原左衛門尉、この幼児を抱き、ここに蟄して養育し、
 武田左衝門と号し、大坂石山本願寺に荷担して、
 家臣栗山とともに籠城し、主君の仇を報はんと欲す。

 静謐の後、勝親、僧と成り、法号を善悦と名乗り、
 この寺を創す。その後、天和二年六月十九日寂す。
 年百三歳。今、浄土真宗として、京師輿正寺門従に属す。

とあるようです。いずれにしても池田恒興との関係は
一切書かれておらず、さっきの看板はなんや?
という感じですね。勝頼と関係がある京の寺院で
囲われていたすれば、ありえることだろうなぁと思います。

ということで、逃げた記憶はおそらくないでしょう。
京で育ったのか・・・せっかく戸田氏鉄に仕官したのに、
下野した事情がちょっとよく読めないですね。
何かを恥じた・・ということっぽいですが。

摂津名所図会の石山合戦に加担して・・というのは、
年代的にもありえないと思いますね。

そして、脇には武田勝達墓。

P1230009

こちらも碑文を読んでみると・・・・

 先考諱勝達武田氏小字晴千代祖父諱勝元君之
 長子也享和壬戌年生文政乙酉年亦嗣為善念寺
 主天保丙申年譲寺其弟得聞分居業醫文久二年
 壬戌夏四月七日卒年六十有一法諡曰法照院正
 榮娶下司氏生五男四女列其名○左而欲識余家
 歴世来由之概畧可観高祖勝親君之墓誌也

とあり、1783年~1862年の人物。
どうやら勝親の墓誌等をまとめた人物のようです。
いろいろ史料がありそうですね・・・

武田花菱の入った鬼瓦。これが使われていた
寺院が昔はあったのでしょうね・・・
尼崎も空襲があったので、やられたのかも?

P1230011

うーん、いろいろともっと知りたくなりますね。
今度はちゃんと準備して伺いたいですね。

■昌幸の最期の地・・九度山

続いては、紀州九度山。言わずと知れた
真田昌幸・信繁父子が関ヶ原の西軍敗戦で蟄居した地。

どうも幸村幸村と言われがちではありますが、
信玄の傍で育ち、稀代の謀将と言われた
父・昌幸の印象がどうしても強いんです、九度山。

降り立った駅傍のトイレ。すでに六連銭。

P1230062

マンホールには、九度山の特産品である富有柿。

P1230063

このプランターもよく見ました。
上田や松代ばりに六連銭祭りになってます(笑)

P1230065

兵雌伏の里・・・ま、そうだよなぁ。
大坂の陣があったからいいものの、なかったら
活躍の場はなく、雌伏しっぱなしだったわけで(汗)

P1230066

閉まってたんで、どんなお店か不明ですが、
思いっきり六連銭を掲げています。
むしろ、真田商店と銘打ってほしいレベル(笑)

P1230067

この櫓っぽい城郭風建築も見たかったんだ♪
あれが真田庵ですよー!!
正しくは「善名称院」と申します。

P1230070

門にも・・・

P1230072

真田の六連銭がいっぱいーじゃ!

P1230075

真田の六連銭と皇室の菊花紋。
これ、善名称院を開いた大安上人が皇室からも
尊崇を集め菊花紋の使用を許されたからだとか。

P1230074

絵馬に、同じ真田姓の方がお願い事をされてたり、
逆に「これからもいつまでも真田家に幸がありますように」
というお願い事があったり。愛されてるなぁ、真田。

再び、真田庵。入母屋の重なりっぷりが
独特ですよね。おもしろい。

P1230083

瓦はすべて菊花紋。こんなにモリモリ使えるの、
すごいですね・・・贅沢。

P1230084

どうもこちらが正門だったようです。

P1230078

こちらも左手に真田家、右手に天皇家。

P1230082

もちろん、昌幸・信繁がいた頃の建物などは
何もないわけだけど、蟄居とはいえ、もっと広大で
殿様待遇だったそうなんですよ。

が、大坂の陣後は徳川の睨みが厳しく
屋敷もみな取り壊し・・・その割りに門などに
真田六連銭があるあたり、やはり真田のゆかりの地
という意識が地元の方にもあったんでしょうか。

真田地主大権現。徳川に負けずに真田も
大権現になっちゃいましたか(笑)

P1230086

そして脇には、真田昌幸墓。南無南無・・・
どのようなことを考えて九度山で過ごしたのかな。
どのような話を息子の信繁としてたのかな。

P1230090

これは、「真田昌幸公墓」という碑が
見えなくなっているのかなぁ・・・

P1230089

奥には、真田昌幸公三百年忌・四百年忌の碑。
亡くなったのは1611年ですから、
1911年、2011年にできたんですね。
さすがに百回忌・二百回忌碑は、建てられんかな・・

P1230092

商店のノボリなどでは、幸村幸村でしたが
肝心の真田庵は思った以上に昌幸ゆかりのものが
多くって、個人的には来た甲斐があるなぁ・・と。

あ、「幸村」の碑もありましたよ(笑)
やっぱ、信繁の名前はないのね。

P1230110

幸村のエピソードがらみで・・・雷封じの井。
真田屋敷に落ちた雷を幸村がとりおさえ、
井戸に封じたとか・・もはや伝説の域(笑)

P1230109

さて、ちょっと反対から真田庵。
二つ並んだ入母屋の上にもひとつ入母屋を
どーんと乗っけたような感じに見えるね。

P1230099

真田庵では、ここのご住職と少しお話。
話好きな方で、暦にも通じれおられる様子。

で、わたしは五黄土星、今年は上振れも
下振れもする波乱の年。いろいろパワフルに
揺れ動く年だけに、勝って兜の緒を締めるような、
慎重さと謙虚さが大事なようです。

これだけ真田ブームだからさぞかし・・と思ったら
おひとりで30年、どこの援助もなく托鉢や
真田グッズ販売ででこの地を守っておられるそう。

冬の陣夏の陣400年を控え、真田庵本堂で
写経をできるようにしたり、真田屋敷跡の記念碑、
そして幸村400回忌の記念コンサートなどを
考えておられるようで、相当アグレッシブなお方。

今年の春には、上田にも行かれるそう。
お祭りのときでしょうかねぇ?

ただ、真田ブームも困ったものらしくて、
講談やゲームの真田幸村ばかりを知ってて、
ホントの歴史を知らないお客さんの相手もしんどいとか。

そりゃ・・中には九度山で幸村が生まれたと思ってる
人にいちいち最初から説明したたんじゃねぇ・・・

そして、近くの幸村庵でおそばを。
やっぱりこういうとこは、「幸村」庵なのね(笑)

P1230112

甲冑がドーン。カッコええなぁ・・赤備え。

P1230114

おお、珍しく「信繁」って書いてあるじゃないの。
と思ったら・・・日ノ本一の兵って家康が言ったんだっけ?
島津忠恒だよなぁ・・ウソ言っちゃいけませんぜ。

P1230117

座布団も六連銭。畏れ多くて、
座れない・・という真田ファンもいそうだな。

P1230119

おそばは、またもや鴨南蛮。
わざわざ信州でそば打ちを修行されてきたようで
本場の信州そばをいただけます。美味しい。

P1230120

■清盛の足跡を追う・・大輪田泊&六波羅邸跡

・大輪田泊

大河ドラマで俄然興味が出てきたことと
もうすぐ閉まっちゃうので、せっかく関西にいる間に
行っておかないとね・・と清盛の足跡にも。

まずはドラマ館。初期の頃から入道清盛まで。
すでにもう懐かしくなってきてるよね・・・

P1220969

P1220968

P1220967

名前のおかげで、チケットご進呈。
ほほほほーっ。

P1220971

写真は一切撮影できなかったけど、
大輪田泊や福原京の推定CGとか楽しかったし、
ドラマの小道具や衣装があったのもいい。

だけど、清盛の衣冠束帯や保元平治で闘った
清盛×義朝の鎧とかほしかったなぁ。

そして、場所を移して歴史館。

P1220973

発掘調査の様子とかあったんですが、
ちょっと物足りなすぎ・・・うーん、残念。
が、六甲の八幡神社が岩清水八幡を
清盛が勧進したということで、ちょっと興味。

こうして、現代の松山ケンイチさんを拝見すると
やっぱり若いんだなぁと思うよね。
あの清盛を見たあとだったら特にね・・・

P1220976

歴史館から程ないところにある清盛塚。
墓標ではないそうだけど、供養塔みたいなものか。

P1220981

ただ、長く清盛の墓と伝えられてたようで
ここにも平相国公御廟前、とありますね。

P1220980

南無南無・・・清盛さん1年間お疲れさまでした。
少しでも清盛さんに関心を持つ方が増えればいいですね。

清盛像。平家物語で描かれる清盛像とは違い、
かなり穏やかな印象を受けますよね。

P1220983

気になったので、六甲八幡神社にも。
大学最寄だったのに、ほとんど行かなかったんです。
いや、知らない興味ないってコワいもんですね。

P1220996

・六波羅

そして、京・六波羅へも。五条大橋を渡って。
いつ見ても、この弁慶微妙・・・(笑)

P1230216

六波羅・・には六波羅蜜寺。
そりゃ、これを拝見するためでしょうよ。
教科書にも出てくる平清盛坐像。

P1230218

父上、帰りましょう・・・平安京に、六波羅に・・
ついこの像を見たときにそんな宗盛の台詞を想起。

大河もあくまでドラマなんだけど、しげしげと見ると
ものすごい王者の余裕のような、平家絶頂期の清盛らしい
姿を感じましたね。何度も見ちゃったなぁ。

その他では、運慶坐像 · 湛慶坐像も秀逸。
なんと言ってもこの表情の豊かさ。
ものすごいリアリティがあって、惹きつけられます。

本殿は1363年創建。極彩色は開創1,000年を記念して
1969年解体修された時に再び彩られたもの。

P1230225

しかしもう40年は経ってるわけで、
そろそろメンテしないといけませんかね・・・

このあたり、いろいろと地名も清盛の時代を
髣髴とさせるものがあり、やはり大河を見た後だと
いろいろと感慨深いものがありますね。

途中の武田菱にビビビッと反応しながら(笑)
大阪・高槻まで戻って、少し飲んでました・・・

P1230229

ニッカショットバー。3回目かな。
お、このノベルティほしい・・・(笑)

P1230234

わぁ、小樽のリタさんのマスターも
来られてたんだぁ。すごいや・・
ここでお名前を拝見するとは!

P1230232

原酒20年を頂きましたが、樽番からして
ド新樽ではないみたい。以前原酒10年がこの辺の
樽番だった気がします。穏やかな新樽。

P1230235

新年から行きたいところをバッチリ巡れて、
満足満足♪

blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。
blogram投票ボタン

|

« 明石城巽櫓と石垣を堪能しつくす! | トップページ | 竹田城オフ・・・前日:篠山城 »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16856/56541108

この記事へのトラックバック一覧です: 2013年の初お出かけ ~ 信玄・昌幸・清盛を追う + ニッカショットバー:

« 明石城巽櫓と石垣を堪能しつくす! | トップページ | 竹田城オフ・・・前日:篠山城 »