夏の・・・九州攻め(13)鶴賀城 … 城人オフ4
鶴賀城・・の前に長宗我部信親墓。
ちょうど鶴賀城跡の真北。
島津軍の猛攻に晒された鶴賀城を救うべく、
1586年、大友宗麟は豊臣になりたての秀吉に恭順。
秀吉は、前年に下った長曾我部元親・信親親子ら
四国勢を九州に派兵し、勢いに乗る島津義久に対抗させた。
・・・というのが、戸次川の戦いの始まり。
秀吉に恭順した宗麟は、大坂城まで赴くわけだが、
前年の1585年には大坂城天守が落成しており、
見せびらかしたがり屋の秀吉だから、
天守を案内していたでしょうなぁ。
・・うらやまし!宗麟!
うっ、話が逸れた(笑)閑話休題。
この鶴賀城近くに墓があるということは、
信親はここで討死しているんですね。
仙石秀久が秀吉のいいつけを守らず、
攻勢に出ちゃうもんだから・・・
鎧塚。信親の鎧が埋まっていると伝わり、
その鎧がちぎれるほど激しい戦闘の末、
壮絶な討ち死にを遂げたとな・・
長宗我部信親の碑。
墓前。元親もたいそう期待をかけ、
それに信親もよく応えていたそうで、
さぞかし無念だったことであろう・・合掌。
この戦いで、四国で元親と争った
三好一族の十河一存(そごうかずなが)も戦死。
とひとしきりお祈りをしたところで、
鶴賀城にGo!え?という細い道をクルマで・・
三の丸下近くまで潜入可。
大友騎下の利光越前守宗魚が守る城。
「そうぎょ」とは音読みなので、
鑑教と伝わる別名が諱なのかもしれません。
本曲輪と三の丸をつなぐ道と
二の丸を守る防塁跡。
そのまま奥に進み、三の丸跡へ。
畝状竪堀群を見つけてご満悦のサイガさん(笑)
薮も崖もなんのその。
毎度わかりにくい土の城ですが、
斜面が畝っているのがよーくみればわかります。
主郭のほうへ。浅くは見えますが、
ザクっと掘られたのはわかりますよね。
主郭にある畝状竪堀群前にある看板。
こういう看板、非常にありがたいよね。
まだまだ、それがし初心者ゆえ。
尾根に縦方向に盛ったり掘られたり・・
という竪堀が続くことで、畝状に見える
ということから畝状竪堀群とな。
竪堀間に人が入るとこんな感じ。
(モデル:イケメン城人ロームさん)
こういうひざ下くらいのウネウネがあると
尾根に対して水平に幾度も重なっていています。
となると、非常に尾根を伝うのが難しく、
そのまごまごしてる間に、
弓でも射掛け討ち取ろうという算段。
さらに尾根を伝うと、今度は逆方向、
つまり尾根に対して垂直に堀切。
オシロスコープで電圧の波形を見てるような、
そんな曲線が見えないでしょうか?
その堀切を越えて、主郭に駆け上がる
あむ隊長!どぉりゃーっ!
ちょうど、こんなルートで
攻めあがったわけです!ほぅほぅ。
主郭の北の端からは、戸次川合戦の主戦場を
よく見下ろせます。鶴賀城の守備兵も
その行方を見て、そして豊臣・大友連合軍の敗走に
ひどく落胆したことでしょう・・・
主郭中央部には櫓台。
さー・・・下山します。なんでしょう、
アクセスは車がないと難しいとは思いますけど、
中世城郭の構成要素がわかりやすく、
学ぶにはいい城かなぁ、と思いました。
さて・・途中で朝ごはん(笑)を仕入れて、
角牟礼城に向かいます!
あむ隊長おススメの吉野鶏めし!おいしそうなので
2パック買ってもりっと頂きました(笑)
途中、あむ隊長が乗馬のお稽古をされている
あたりを通過!Gackt謙信が市川信玄向かって、
切りかかるような颯爽とした馬捌きを想像(笑)
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