夏の・・・九州攻め(10)佐伯城 … 城人オフ4
さーて・・・お次は佐伯城。
前回はこの三の丸櫓門をちらりと見ただけ、
だったのでしたねぇ。じっくりじっくりじろじろ。
草がひょろろろろーん。もう府内城といい、
佐伯城といい・・・
この櫓門、山上の詰めの本丸から平地の三の丸へ
御殿が移った際に建てられたもの。
1637年築ということは、江戸城寛永度天守と同期。
この石垣の白い汚れはなんなんろ?
入母屋破風はシンプルな白漆喰塗籠のみ。
内部公開はせぬのかーっ!
内部。こっそり材に鼻を近づけ、
くんかくんかと古き木の香りを感じていたのは
ナイショです・・・(汗)
内側より。手前のひさし部分が珍しいかも?
瓦の上の草むしりたい・・・
佐伯城全域。詰めの城+居館という、
中世のスタイルを維持しながら近世城郭化した
という感じでありますね。
三層天守。1617年に失火で焼失してから、
以後上げられることはなかったそうだけれど、
第二次世界大戦中に行方不明となった、
天守立面図の写しがあるそうな・・・見たい!
どうやら、佐伯市立佐伯図書館にあるらしく、
こういう記述を見るとますます見たいです・・・
さ、少しばかり山を登れば・・石垣が見えてきた☆
佐伯城も谷積感・・なんでなんで?
豊後は谷積けっこうあるのかな・・・??
二の丸と本丸をつなぐ廊下橋跡。
府内城のような廊下橋を想像しつつ・・・
このあたりは、いい感じの野面積。
二の丸よりの眺め。往時はもっと
母屋はまばらだっただろうし、
地形がよくわかっただろうね・・・
ありゃ、あれはなんだろう・・
お祭りでもあったんでしょうか??
び、微妙な曲がり具合の虎口・・・
どうしてこの曲がり具合になったのか・・
少なくとも戦闘を意識したものではないでしょうね。
謎ですなぁ・・・
二の丸から本丸石垣。
本丸に向かうところの埋門石垣。
積み方はまだちょっと甘い気がしなくもない?
天守台。低いんですねぇ・・・
ここでも野面積の谷積っぽい印象です。
本丸北東角石垣のこの部分。角が丸い!
18世紀初頭・宝永年間の改修のときの石垣。
天守以外の建物が復興された際に石垣も
補修されたのでしょうね。見栄え重視で角が丸いとか。
18世紀初頭の軍学の影響もあるようですね・・・
といいながら、北の丸に続く道に備え付けられた
クランクには防御施設としての思想も感じるし・・・
逆に南西は、セオリー通りの石垣。
さて、みっちり石垣を見たので・・下山。
下山して麓で休憩しているときにも
やっぱり三の丸櫓門を撮りに行っちゃう・・
さっきもばっしゃばしゃ撮ってたやん(笑)
そういえば、屋根漆喰がキレイですね。
最近、メンテされたのでしょうかね。
では・・・佐伯城バイバイ!
この後は臼杵城☆
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