夏の・・・九州攻め(11)臼杵城 … 城人オフ4
臼杵城に行く前に・・・龍原寺。
1586年、島津軍迫る臼杵城に籠もる大友宗麟は、
佛狼機砲(国崩し)と呼ばれる対応で応戦、
菟居島(うさいじま)と呼ばれたこのあたりに着弾、
島津軍に大きな打撃を与え、ついに撃退した歴史が。
今は初代臼杵藩主・稲葉貞通(稲葉一鉄の子)が
建てた三重塔が聳えます。
うぉ!島津の丸に十字!佛狼機砲にやられた、
島津軍を弔う意味があるのでしょうか…
向かいには、光蓮寺。
稲葉家の紋があるところをみると、
こちらもゆかりがあるのでしょうな。
1604年に創建されたそうだが、
こちらの門は臼杵城の御成門だそうで。
だいぶんキレイにメンテされているようですね。
西日を浴びてキレイに輝いていました☆
マンホール。何の船やねん!と思ったら、
リーフデ号らしいです。そっか、豊後に漂着ね。
この中にヤン・ヨーステンやウィリアム・アダムスも
乗り込んでいたんですねー。
さ・・・臼杵城のほうに参りましょう。
臼杵城は島に浮かぶ城。岩山のように見える城の周り、
往時は海だったわけですね。想像力むくむく。
現存櫓である畳櫓。臼杵城で数少ない現存櫓で
一層部分と二層部分が同じ幅のいわゆる重箱櫓ばかり、
というのが、臼杵城の櫓の特徴。
横穴式石室でしょうかね。臼杵城の岩盤の、
あちこちにみることができます。
その脇をすーいすいと優雅に横切る方が(笑)
さ、古橋門櫓跡から入城します。
臼杵城の心意気。いいですねぇ。
余計な柵は要らんのですよ。自己責任で。
往時の姿を今に伝える古写真。
井楼櫓。現存する畳櫓をはるかに上回る大櫓。
やっぱり重箱櫓なのです。
こちらのサイトで往時の姿がわかる
復元図がありますが、なかなか立派ですね!
想像力MAXで井楼櫓を復元・・
これ、小振りな天守くらいの大きさあるでしょ?
漆喰壁がまぁるくぐるり。これもちょっと特徴的。
2009年の復元。
ぐにゃんぐにゃん。
畳櫓を間近で。なんで残ったのかなぁ・・
ありがたいのだけど。内部公開はないのーっ!
稲葉家の折敷に三文字が輝きます。
大門櫓。2001年に木造で復元。
こちらも内部には入れないよね・・・
あ、今回の九州訪問で何度か見た
鈍角の石垣。ここでも・・・
セオリー通りの算木積もあります。
作られた時代が違うのかなぁ・・どうだろ。
帯曲輪を通って、今橋門跡を通過して、
二の丸に入ると、城ねこはっけーん☆
なんか文句あんのか、ゴルァァァ!!
基本的に、茶とらはフレンドリーさんが多い印象。
ずっとさらさんに付いて行こうとしていました(笑)
オレ、知らね。
二の丸跡には稲葉神社。
大友宗麟碑。剃髪した姿を見ると、
ついつい信玄に見えてしまう悪いクセが、
ここでも発動・・クリスチャンですから!
島津軍を撃退した佛狼機砲のレプリカ。
藩政時代も臼杵城に備え付けられたそうですが、
明治維新後、新政府に献上されて本物は今、
靖国神社にあるそうです。
中身は空っぽ・・・
本丸に連なる土橋から空壕。向かって右手。
左手。
天守櫓跡。コンクリートで覆われてしまってますね(汗)
天守台。かなり上の方が崩されてしまってますね。
むむむ・・・
天守台にしては低く思えるのは、
往時よりも石垣が埋まっているからみたい…
絵図を見る限り、まぁまぁの高さの石垣ですよね。
さらに奥の方、搦手へ。
この石垣はなんだ・・??
ひょっとして、か、階段とか?
卯寅口門脇櫓より向こうは海。
卯寅口門脇櫓も御多分に洩れず、重箱櫓。
こちらも現存櫓。
だ、だから入らせてくれよぉ・・
ただこちらは、畳櫓と違い切妻造。
往時はここまで海が迫っていたようで。
このあたりから舟で辿りついたのでしょうかね?
さ・・・日も暮れてきたことですし、
臼杵城から撤退しますか。
宴の時間です・・なんと、お通しが
お寿司でした!!
皆さん揃ったところで、カンパーイ☆
大分グルメを堪能しました・・が、
ほとんど写真がない(笑)〆のやせうまだけ(爆)
翌日は、今再びの府内城から・・鶴賀城。
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