夏の・・・九州攻め(2)福岡城天守台
さて、いよいよ天守台に向かいますぜ。
南丸を北に上がり、先ほど通った裏御門から。
このあたりは二層多聞櫓があった武具櫓跡。
個人的には、古写真もあるし
この武具櫓の再建に一番期待してるんですよね。
鉄門跡。一見すると穴蔵になってそうな感じ。
鉄門跡を過ぎて、天守曲輪に入っていきます。
天守曲輪から見た大天守台。
ここもかなり豪壮な野面積。中心部に行くに従い、
積み方としては古くなっていくのが興味深い。
鉄門跡を上がって振り返った天守曲輪の石垣。
ここは、まるまるな二の丸石垣と類似。
このまるまるちゃんも気に入ったよーん(笑)
鉄門跡を過ぎて左手には、埋門。
天守台に行くまでの間のこの空間も、
枡形になっていた様子。
天守台西面。やはり野面積だよねー。
天守台に連なる石橋は、打込接っぽい。
むー・・この使い分けはどういうことなんだろう。
現代人が分類してる積み方、当時の人は
どのように意識していたのかなぁ。
しだれはつりのイイシゴトの作品、はっけーん。
細かいシゴトにはやっぱり目がいくよねー!
石垣って、ホントいいですよね・・・
そして、天守台きました!礎石がしっかり。
天守の意匠はともかく、礎石だけでも、
天守自体はあったと思うのですよね・・・
ちょっとアッと思ったのが、石垣の色。
他の石垣同様、天守台の石垣も黒っぽいのですが…
天守台上の展望台に護られた石垣は、
赤茶色、てことは花崗岩なんですよね・・・
黒いっぽいのは、まさか大気汚染(泣)
で、展望台。普通、遠望を眺めるものですが、
天守台のほう見てばっかり(笑)
規模としては、甲府城や津山城と同じくらいでしょうか。
天守があれば、相当な規模だったと思います。
で、天守想像図・・・ぐっ・・好みだ・・
あたかも豊臣大坂城のような・・・
別アングルから。
ふむ・・雛形までイメージできるとはね・・・
い、いや・・でも、カッコヨス・・
復元立面図。広島城にも似た天守。
千鳥破風の控えめさがなんともいえない^^
・・・なんですけどね。この天守復元図を手がけた方の
本を読むにつれ、推測は推測なんだなぁ、
と思ってしまったのでありました・・・
というのも、天守があったであろうというのは、
わかるのですが、意匠がまったく想像上。
特に最上層の鶴のデザインなど、如水が大坂城の縄張りを
手がけた手前、幼少期に黒田長政が見ていたであろう、
そしていつか一国一城の主となった暁には、
豊臣大坂城のような立派な天守を…とあこがれたはずm
そのことだけで、大坂城に類似した破風を。
最上層の長押の間に鶴・・というのも、大坂城そのもの。
如水が大坂城の縄張りを手がけたこと、そして
福岡城が舞鶴城とも呼ばれたことにちなんで
鶴を配するとか・・・まったく史的根拠なし。
「恰好良い天守」ではあるのだけど、秀吉に危険視された
黒田如水が息子・長政に危なっかしい五層の天守を
建てさせるであろうか?黒田家の将来を思えば、
天守はあったにせよ、天下人・秀吉に似た天守を
つくらせなかっただろう・・と思うのですよ。
それほど、「天守」が人々に見せ付ける存在感が
すごいものであり、だからこそ危険な天守はつくらず、
あっても、もっと質素だったのではと思うのですよ。
図面の類は一切残ってないので、わからないのですが…
福岡城むかし探訪館でも、復元CGがあり…
史的根拠に乏しいだろー!と思いつつ、
それでも、圧倒的で整然たる美しさに
惚れ惚れしたわけっす。きゃぁぁぁぁ・・・・
だけど、今の天守台に根拠の薄い天守を
建てるのもなぁ・・・と逡巡。
いっそのこと、別な場所に石垣ごと再現するか!
とバブリーな妄想をしてしまう始末。
なんだか・・CGの出来がいいだけに、
却ってもやもやしちゃいました・・むぅ。
お次は、初久留米・・でございます。
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