二条城、再び…前編。8月上洛記(3)
さて、翌日は二条城。一日城主となってから、
ようやくの再訪です(笑)
前回は台風の影響で、東南隅櫓の白漆喰が剥がれ、
痛々しかったですが、キレイに修復されていました!
青空が映えますねー!ぴっかぴか!
剥がれた漆喰だけでなく、全体的にキレイにお掃除を
されたような印象ですね。
瓦は徳川。あまり目立たないから、
菊花紋に敢えてしなかったんでしょうね。
このあたりの石垣は、関が原直後、将軍宣下前の
家康創建時の石垣のはず…だけど、かなりキレイな布積。
京で将軍宣下を受ける・・てことで、見栄え重視?
打込接ではありますが、石の大きさも揃い、
整然とした印象があります。
石垣も、角の算木積の石だけでなく、
ほぼすべての石にはつり飾りがされてあるのも、
やはり・・という気がします。
江戸城はここまででは、なかったような??
さて、すぐに城内には入らず、周りを一周しましょう。
約2kmくらいの距離ですよ。
布積ばっかりか?と思ったらそうでもない。
やはり、隅は目に付きやすいからなのかな・・・
ちょっと!このすだれはつりは、手抜き過ぎじゃね(笑)
と言ってると、南門前。これは1915年、
大正天皇の即位礼に合わせて、つくられたそうで、
いわゆる「二条城」の遺構ではなく、
二条離宮の遺構とでもいうべきかな?
正面から。大正時代の門とはいえ、
違和感のないつくりにはなっているようです。
江戸時代には、どんな門だったのだろう?
この辺は、乱積と布積が混在。混在というより、
キレイに布積みにしたかったんだけど、
やりきれなかった感をすごい感じますね。
やはり、門が近いところは飾りも多い様子。
家康築城時の西端に近いあたり。
かなり石の大きさが揃ってて、ビシッとした
布積になっておりますよ!
この部分が慶長創建時と寛永増築時の境目。
ここから先の部分を家光が増築を指示。
比較するとわかりやすいのですが、意外と
寛永時期のほうが石と石の目が詰まっていなくて、
つくりとしては、甘い印象を受けます。
家康の頃は、角であったろう部分。
隅櫓は当時なかったはずだけど、やはり石垣に
気合が入っている感じがしますよね。
ま、でもわたしは目が揃っていないほうが
好きなんですけどね・・・赤い汚れは何?
少し進むと、寛永度二条城の西南の端、
西南隅櫓が見えてきます。
実はわたし、こっちのほうが好きだったり。
大きさは小振りですが、入母屋屋根の格子飾りが
おしゃれーだと思うのですよー。
こちらも、瓦は徳川葵ですね。
石落としのある部分だけ、石垣が白っぽく・・・
東南隅櫓はそうでもないんですがね。
白漆喰の一部が剥離して、石垣に
付着しているようにしかみえない・・・
さて、ここから美福通りを北上。ずっと寛永期、
家光時代の石垣が続いていきます。
平安京の大内裏の美福門に連なったことから、
この名前があるそう。今までなら気にも留めない
ところですが、あの美福門院得子を思い出して、
にやり・・とできるのも大河のおかげ。
岩質は違いますが、江戸城でも好きな石垣の
打込接に近い感じがしないでもないです。
と思ったら、急に布積が現れてきたり。
当時は石の積み方に対し、どういった印象を
持っていたのでしょうね。
西門。大政奉還の宣言をして、
最後の将軍・徳川慶喜はこの西門から、
二条城を後にしたのだそうです。
櫓門形式ではなく、いかにも勝手口のような門。
ここを潜った慶喜の心境や如何に・・・
当時は、木橋でもあったのでしょうが、
今は失われていて、ここから入城はできません。
二条城西北角。四隅に隅櫓があったわけですが、
京都の史上最大とも言われる1788年の天明大火で、
東北隅櫓、西北隅櫓は焼失。
って、考えると、東南隅櫓・西南隅櫓、
そして、二の丸御殿はよく残ったよなぁ。
にしても、濠の水が緑色過ぎ(笑)
宇治抹茶かよ!って思うと、美味しそうに見え…
なくもない?そりゃないか。
ここで折り返して、竹屋町通を東へ進み、
二条城の北面に沿って歩きます。
が、生垣で遮られて、石垣ちゃんが見えん!
何とか隙間から・・・布積と乱積の、
ちょうど入れ替わるところ(笑)
南側にもあった慶長期二条城と寛永期二条城の
拡張した境目。ここでも家康の時期のほうが
石垣の石の加工の度合いが丁寧な気がしちゃいます。
寛永期の石垣。
苔が生えてちょっと見えにくいですが、
やはり慶長期の石垣のほうが、揃っています。
特に北面は、布積が多かったように思いますね。
さて、東の端のほうに近づくと、北大手門。
正面から。ほぼ東大手門と近いつくりで、
江戸城の諸櫓門とも共通性が高い櫓門ですね。
普段はこちらの門は使えず、手前に柵。
使えないなら、門を閉じときゃいいのに・・・
近くで見せてよ。ちっ。
江戸城の櫓・櫓門は青海波文様でしたが、
二条城は単に格子になっている点は、相違点。
しかし、見にくい・・・(苦笑)
北大手門まん前に、マンションができるみたい。
二条城が見える側は、高いんでしょうね。
そして、北東角。こちらも櫓はなし。
濠の外側を形成している石垣が野面積っぽい。
これって、いつのもの?
もし当時の石垣だとすると、目につかないところは
石垣の積み方を変えていたんだってことに
なるかもしれませんね。興味深い。
さて、堀川通を南下して、東大手門を目指します。
もう・・・布積感がすごい。一面整列。
さて・・・外周めぐりはコレくらいにして、
いよいよ登城します。城主のおなりじゃぁ(笑)
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