城と琥珀色にまみれる初夏の旅 ~ その13 淀古城・淀城
さて、次から次へと城ばかり。
普通はなかなかこうは行きませんよね・・(笑)
■淀古城
てことで、淀古城。「古」とあるのは、
いわゆる淀城址として石垣などが確認できるのは、
伏見城の廃城に伴って1623年に築城された淀城。
浅井茶々が「淀」殿と呼ばれたゆかりの淀城は、
この淀古城のほう。今は妙教寺というお寺に。
こちらも鯱をぱしゃり。凛々しいなぁ。
鯱もいろいろ個性があって楽しい。
今や、淀古城であったことを示すのは、
この碑のみ・・・
本堂に戊辰戦争の際に東軍(旧幕府軍)が放った
縦断が貫通した跡があるそうで、
お寺の方は忙しい時期のようでしたが、
中に通しては下さりました。ありがたい。
でもまず、どうしても瓦に目が行くんだよなぁ・・・
この入母屋屋根の反りの角度とか、
反りの角度としては、これくらいが美しい。
鬼瓦のシゴトが立派過ぎて驚愕。
お堂の向かって右手から側面に入り、
上を見上げると・・・ありました!!
何気にお堂の竪板に注目。
昔って、木の節を気にしなかったという話、
やっぱりそうなんだなぁ、と。
さて、中に入らせていただき。
先ほどの銃弾は、この柱を貫通していったわけ。
げげげ。柱よくもったなぁ。
極彩色の彫刻をじっくり鑑賞したかったけど、
お寺の方が忙しそうなので、退散。
また寄りたいな。淀だしね。
■淀城
淀古城が廃城になった際、その天守は
指月山伏見城(初代伏見城)に移築されたそうだが、
家康再建の二代目木幡山伏見城(三代目伏見城)は
その天守が、寛永度二条城として移築されたそう。
そして、家康創建の慶長度二条城天守が
新しい淀城として移築されたそうなんですね。
ですが、山城国淀御城府内之図によると、
二条城天守が小さく、姫路城からの移築櫓を
天守台周りに配していた、というから驚きです。
こちらにラフな想像図がありますが、
確かにこれは奇妙な天守・・です。
なぜか日本随一のアヤシイ城「熱海城」に
淀城天守の模型があったのを自分のblogで発見(笑)
ちなみに、淀城天守の図面はあるそうで、
復元可能とな?詳細、きぼーん!
さてさて、前置きが長くなりましたが、
入ってすぐ、天守台下の石垣。
緑で覆われちゃっているとこもあるけど…
かなりの谷積感。いつの石垣なのかな・・・
天守台西面は、布積。
ここでこっちきてみぃ、と手招きする
オッチャンに遭遇(笑)
木がめり込んだ手水石。井戸前にあり、
当時の姫君がつかった手水石・・だとか?
淀城も天下普請だったようで、
大名家の刻印が確認できました。島津かな?
なんだか怪獣の足跡みたいな矢穴(笑)
この辺なんとなく、積み方が甘い気が・・・
大丈夫かいな?
ここだけ石が抜けてる・・・
アップ。栗石見えてちゃまずいでしょー。
天守台。穴蔵を備え、比較的大きめ。
周りに天守台に櫓を備えた連結式天守なんだったら、
その痕跡を見てみたいものだが・・・入れねぇ。
オッチャンの話では、天守台が明治期にいちど
崩されてるらしく、一部は後から積み直しなんだとか。
確かにこちらに、その修復工事の様子がレポートされてます。
それに天守台にお宝が隠されてる(濠だったかな?)
伝説の話だとか、ホンマかウソか・・でも、楽しい(笑)
以前は、淀城天守台が京阪淀駅から間近で
見れたんですが、高架駅に変わってからは少し見難い?
そのほか、やはり天下普請だからか、
石垣の飾りつけも比較的よく確認できましたね。
こういうのがわかると、石垣がもっとおもしろくなる。
この辺のすだれはつりが美しいねぇ。
この辺になってくると、水玉模様に
見えてきちゃうね。なんだかかーいい(笑)
あと、この流紋のある石。小浜城といい、
こういう石にちょっと目が行っちゃうみたい。
そうはないだろうけど、こういう石だけで
石垣つくったら、かなり印象変わるだろうなぁ。
ということで、淀城石垣がたっぷり楽しめました。
お次は、少し西に出て・・・尼崎城。
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