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「日本城検定」開催記念シンポジウム 秀吉の城 第1部 特別講演

さて・・・3ヶ月・いち四半期前も前・・・という
恐ろしい放置っぷりでありますが、
もうまもなく行われる「日本城検定」(9/1)の
記念シンポジウム in 大阪
に行ってきました。

P1120914

東京でもあるんですが、「秀吉の城」という
そのタイトルに惹かれて、わざわざ帰阪して推参。
こちらも引き続き、ゆうりさんも。

まずは、今回の日本城検定の主宰をされている
「NPO法人歴史のかたりべ」代表の末次浩平氏からご挨拶。

「文化財の保護」をテーマに活動されている
NPO法人が「歴史のかたりべ」だそう。

昨今、財政的な面に加え、文化財への理解不足から、
文化財が失われることへの危機感から、
少しでも、文化財保護の啓蒙活動等を通じて、
文化財保護につながったら、という思いがあるそうです。

文化財保護もただ募金するだけでなく、
催しに参加して、楽しく文化財保護に
参加してもらえたらというのが、
今回のシンポジウムにもつながってるんですね。

日本城検定も収益の一部を文化財保護に
つなげることが目的。城好きが楽しむことが
文化財の保護に直結するなんてステキじゃないですか。

てことで・・まず最初は、第1部 特別講演。
自分なりに講演の内容のまとめと、
インスパイアされたことを織り交ぜつつ・・・

■第1部 特別講演 『秀吉は何故その城を築いたのか
~時代背景から歴史を探る~』渡辺 武氏・元大阪城天守閣館長

●中世の城から近世の城へ

秀吉が生きた時代は、まさに中世が終わり、
近世が幕明けしようかという時代。
群雄割拠がようやく一段落していくなかで、
城のあり方が大きく変わっていく時代でもありました。

渡辺氏は、信長とあとを継ぐ秀吉のひとつの特徴として、
天下布武を掲げたとはいえ、軍事力だけではなく、
経済・文化・政治あらゆる側面を駆使する
総合力で戦いを進めた武将だった、と指摘されます。

個人的には、この「総合力」が織豊政権唯一の特長、
とはあまり思えないのですが、その規模・範囲は
おそらく唯一無二といっていいと思います。

その背景には、明確に足利幕府に代わって
天下に号令するという目標を持ち、その目標のために、
単純な軍事力だけではなく、総合的な強さを
目指した所以ではないか、と思います。

そうすると、おのずと山城と山城をネットワークで
結んで領国を防衛する「砦」が徐々に姿を消し、
政治・軍事・経済・文化の総合的な「城壁都市」に
カタチを変えていくのは、ある意味自然なこと。

事実、京都や奈良などの「古都」を除けば、
近代になっても、都市整備の基盤は、
近世城郭にあるわけで、現代人がイメージする
都市の基盤はまさに、近世城郭にあるわけですよね。

城とは違いますが、鎌倉を本拠にした源頼朝も、
鎌倉を「都市」として扱い、天然の要害を以って、
都市防衛を万全にしつつ、武家による新たな都市計画を
進めたこととも似ている気もします。

●石山合戦への信長のコダワリと天下人の城

信長は石山本願寺との戦いに、1580年に終結するまで
足掛け10年の歳月をかけていますが、
その執念のひとつに、大坂を安土に代わる拠点として
ほしかったこともあるようです。

最終的に、信長は山城しか建てなかったけれども、
平山城、平城を目指していたのでしょうね。

そして、その大坂に平城(=都市)を建てて
天下に号令するのは、秀吉に受け継がれるわけです。
大坂は、計画されてつくられた最初の城郭都市、
といえるのかもしれません。

そして、諸大名の秀吉流の城郭都市手法が、
西日本の城郭建築ラッシュとなって、
織豊系城郭が広がっていくんですね・・・

そして、江戸はまた家康のもとで、
別の城郭進化をしていくわけですが・・・

その意味で・・・・

・信長の部将時代の「秀吉の城」
・天下人としての「秀吉の城」
・海外侵略基地としての「秀吉の城」

を追うことは、城の歴史・発展を追うことにも
繋がるのだろうなぁと思いました。

●信長の部将としての「秀吉の城」
[長浜城・姫路城・山崎城]

天下人になる前・・・だと、この3城が
秀吉に関わるところ。長浜城は初めて
城持ちになって築城をした城。

続いて、中国攻めに際して、播磨で黒田孝高に
本拠地として薦められた姫路城を
1580年に大改修をしていますね。

そして、山崎城。明智光秀を破った秀吉が
大坂城築城までに在城。秀吉の重要な時期にあった
山崎城は、けっこう秀吉らしさの出た城・・・
ということで、後ほど訪問をしました。

●天下人としての「秀吉の城」
[大坂城]

で、大坂城。信長が狙っていたであろう大坂の地に、
安土を超える居城・巨城・拠城を築く・・
という、狙いの明確な城でした。

光秀を倒した翌年、1583年に築城開始。
本丸は約1年半くらいでおおよそ完成し、
山崎城から大坂城に移るわけですが・・・

興味深いことに、大坂城築城に際して、
安土城天守を凌駕する天守建造を
真っ先に取り掛かっている
んだそうです。

築城開始が9月、そして11月のこととして、
「今為す所の築城普請はまず天守の土台也」
記録にあるんだとか・・・

まず秀吉が信長を超えた権力の象徴として、
天守を上げ、天下に見せ付けることを
非常に重要視していたということがわかります。

1586年、耳川の戦いで敗北してから劣勢続きの
大友宗麟は大坂に向かい、秀吉の軍門に下る代わりに、
豊後への援軍要請を乞います。

その宗麟をして、大坂城を三国無双の城と称えた
と伝わりますが、若干のおべんちゃらはあったにしても、
実際に相当驚いたんだろうなぁ、と思います。

大坂城の屋根瓦・鯱瓦等々には、ふんだんに
金箔押しされていたそうですが・・・

信長の安土城では、瓦の凹んだ所に金粉を
まぶしたようなつくり。一方の秀吉の大坂城では
膨らんだところに、金箔を貼り付けて、
金の輝きを前面に押し出し、経済力を誇ったそう。

また、五大老に指名された毛利輝元や宇喜多秀家らも
金箔押しの瓦の使用を認められ、
金瓦はある種、秀吉政権との近しい関係を表す
メッセージ性もあったんでしょう。

そして、秀吉の生涯をかけて、日本最大の
城郭都市としての惣構をもった
大坂城に姿を変貌していき続けるわけですね・・・

[和歌山城・聚楽第・伏見城・淀城・石垣山城]

秀吉は、大坂城と平行して諸城を次々と
築城していきます。1585年紀州征伐後には、
秀吉の縄張りで和歌山城を築城。

関白就任後の1586年、関白の政庁・迎賓館として
聚楽第を造営し、1589年には淀古城を改修、
1590年に小田原征伐の折に、石垣山城を築城・・・

さらに、文禄の役開始後の1592年には、
初代の伏見城を築城。慶長地震で倒壊して、
1596年に場所を移して再築。

2回目の伏見城は、材を流用したみたいですが
まぁ、こんだけつくってたら、木材不足に
なるのもわかりますわなぁ・・・

・海外侵略基地としての「秀吉の城」

さらに、肥前の名護屋城は、1591年築城。
明・李氏朝鮮に侵攻するための前線基地ですな・・・

天守や御殿もあったそうですが、どうなんでしょう。
そんなんつくるくらいなら、もっとマジメに
明制圧にお金を投じてはと思うわけですが・・

文禄・慶長の役の過程で、朝鮮半島南部に
朝鮮倭城が築かれるわけですね。
ここで、織豊系城郭の石造りの城の特徴が
あるばかりか、ここで発達した技術もあるわけです。

ちなみに、朝鮮出兵といわれますが、
実のところ、秀吉自身は「唐入り」と称しており、
あくまで明の征服が目的だったんですよね。
ま、それはさておき・・・

●総括

これだけ城を築いておきながら、建物は
何一つ残ってない秀吉の城。岡山城や広島城の天守が
残っていれば、まだ秀吉の城の遺薫が
感じられたでしょうが・・・残念なことです。

が、こう通しでお話を聴いてみて、
やはり、秀吉の城の政治的な主張性がよく見えます。

個人的にですが、信長が安土で発した主張性とは
建築的な意味での連続性はあるとしても、
かなり性質が違っているように思います。

信長がどこか宗教性を帯びたところがある一方、
秀吉はとことん世俗。

同じ、天下人を城郭で表現するにしても、
信長からは、アーティスティックな一面を感じますが、
秀吉はマーケティング要素が色濃いような。

軍事拠点から総合都市に変貌していく中で、
自分の存在をどう織り込んでいくかの違いがあって
興味深いところです。家康は家康でまた違いますしね。

ということで、第2部に続く。
いやーん、また長編になっちゃうぅ。

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