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2012年8月

城と琥珀色にまみれる初夏の旅 ~ その5 ウイスキーフェスティバル in 大阪。

ウイスキーフェスティバルは、OMM。
ということで、天満橋に泊まったのですけれど、
始まるには少し時間がある・・ということで、
大坂城を少し見てきましたよ。

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前日に大坂城惣濠跡を巡る別働隊が皆、
撮っていたので・・なんとなく、大坂城乾櫓。

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これ、非常に特徴的で1階と2階の平面が
大きさの重箱櫓であると同時に、T字型をしていて、
屋根もT字型であるために、鯱が3つという、
変わったカタチをしているんですね。

T字の屋根というと、新発田城御三階櫓が
思い浮かびますが、アチラは櫓の平面のカタチは
正方形ですからね。

Shibatajo

真横から見ると、ねこ耳みたいで、
かーくないっすか?え?わかんね?(笑)

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ということで、わずかな時間、
大坂城を眺めた後、OMM会場に向かいます。
酒豪伝説準備よーし(笑)

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さて、始まる30分くらい前に到着。
わくわく・・・

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大阪のバグパイパーは、女性の方でした!

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スコッチ文化研究所代表の土屋守氏の挨拶で、
いざ開会!飲むぞー!!

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さっそくおもしろいものを発見!
キリンブースでウイスキーを直接燻している!

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オモロイこと考えるなぁ・・・いわゆるピート香とは
違ったまぁ燻製香が付いてはいましたが、
なんだか変な感じ・・・ピーティなのに付けると
煙さの方向性が変わっておもしろいかな?

タプローズの小樽(こだる)。中はチャーしてあり、
ちゃんと熟成するシロモノ。まー、ちょっと手が出ないけど、
5年くらいの若い原酒を寝かせておくと、
おもしろいだろうねぇ。

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さて、飲み飲み。もちろん、コメントが残ってる
モルトしか振り返れませんが・・・

グレンファークラス105 40年。

なめし革と薬草やハーブ系、時に高カカオのチョコの苦み。
そしてメイプルシロップを煮詰めたような甘み。

ファークラスって、イベントでしか頂かないので、
贅沢な味しか知らず、ちゃんと比較できないのが残念(汗)
というのと写真撮り忘れ。

グレンリベット 1973 38yo、フリスキーナチュラルC3

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トップにガッーとくる華やかさが印象的で、
38年とは思えない芯の強さ。ただ、リベットという名前に
期待した感じではないかなぁ・・・

グレンモーレンジ シグネット

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知ってるのに、また飲んじゃうというね(笑)
コレはホント美味しい。もう飲み干しちゃったんで、
また買いたいなぁ。My favorite Scotchの5本の指に入るな!

グレンキース BBR 1996 14yo

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ナッツ感と酸味のマリアージュ。
奥にペッパー的なスパイス感・・てことで、
スコッチなら、こういうのが好みだなぁ。

Ichiro's Premium Malt & Grain

イチローさんところで、わぉ!と思ったのがコレ。
正直、白いラベルのブレンテッドはむー・・
という感じだったのだけど、これは好みだー!

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これで5000円なら買い!ナッツ感とクリーミー感たっぷり。
そして抜けに、あぁイチローズモルトだとわかる個性。
個人的に価格と旨さがバランスがベスト☆

信濃屋オリジナル・軽井沢 16yo Wine Cask

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これがね、69.3%という非常に高い度数な割りに、
アルコール感を感じさせない、ある意味キケンなモルト。

トップから芳しいブドウの甘みと酸味、
奥にしっかり樽のコクが支えていて、
非常に心地よい一品。

が、180本の限定ですか・・・
こりゃ、たぶん大阪で無くなるぜ!
と思ったら、やはり大阪会場での直販で
かなり売れてしまい、ネットに出回る数は
極少だったようです・・・

グレンタレット1977

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甘さ控えめのリモンチェッロみたいな。
同い年な割りに期待していた重厚感はなく。
なかなか好みな同い年を見つけるのも、大変っす。

ハイランドパーク・ソー

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うだうだしてたら、なくなっちまった(泣)

ハイランドパーク1967

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軽く硝煙系、この手のシェリーはよいね…
ってもっと美味しかった印象なんだけどなぁ。
メモがしょぼすぎ・・・(汗)

シングルカスク余市10年

これ、2001年にニッカがWhisky Magazineで、
BEST OF THE BEST 2001に選ばれたヤツだ…はわわ。

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やっぱり、1988年は当たり年だよなぁ。ハズレなし。
クリーミーでヴァニリック、そして後口に
しっかりほどよくピート。鉛筆の鉛の香りも・・・
わたしが愛してやまない余市新樽の真髄が
10年モルトでここまで出るかぁ・・これはウマイわ。

ステージでは、ジャズの演奏があったり、
セミナーがあったりしたんだけど、
ずっと飲んでたなぁ・・これ以上のメモはもうないけど。

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ウイスキー以外では、京都のガラス工房Kraftさんが
出品してられて、興味深かったんですよね

JPEGで写真を送ると、お安い値段でグラスに加工できる、
ということを知って・・城グラスをつくってみようか、
という野望がむくむく。ということで、鋭意検討中。

このときは、飲み用のティスティンググラスとして
サンプル加工したグラスをゲット。

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ティスティンググラスって、あまり柄物がなく
実用オンリーだけど、こういうのがあってもいいよね♪
こ、こういうのに城柄とかありかな・・・

さて、何杯飲んだでしょうねぇ・・記録してないものも
合わせると20杯くらいでしょうか?
この状態でさらに、豊臣大坂城惣構を歩いて来られた
城好きさんたちとの飲み会へ・・

酒豪伝説が効いたかな、全然問題なく、
引き続き、飲みに参戦!
デザートが・・石垣チック?さすが城好きオフ☆

P1140464

このときに初めてお会いした方々も多いのですが、
城という共通点があると仲良くなるのも早いですね!

・・・ということで、翌日は摂津・山城の城々を
巡る城攻めへと雪崩れ込みますぜ☆

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城と琥珀色にまみれる初夏の旅 ~ その4 明石~堂島~木屋町。

さて、濃ゆい濃ゆい蒸留所見学を終えた後は、
お昼・・なんですが、江井ヶ島周辺にはお店がない!
ということで、明石・魚の棚商店街に繰り出し。

明石マンホール。明石と言えば・・・
まぁ、世間の認識は子午線の街なのかなぁ。

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ぶらぶら~していて、なんとなく並んでるお店を
見つけて・・たこ磯
どうやら有名店のようで・・・

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そういや、明石でちゃんとご飯食べたこと、
なかったな、と改めて気づくのでした。遅せぇ(笑)

ま、明石焼きなんで回転はよいですから、
さほど待つこともなく店内へ。

え?明石焼きを知らない・・・たこ焼きの原型で
ソースやマヨネーズをでろでろ掛けるんじゃなくって、
鰹&昆布の関西だしで、あっさり頂きます☆

実は、nikko81家のたこ焼きはこれに近くって、
だしに漬けて食べるのではなく、
生地にたっぷりのだしを含ませて、そのまま
頂く・・というのは、nikko81スタイル。

閑話休題・・・来ました!
本場、明石で食べる明石焼き!

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ちなみに、市外では「明石焼き」といいますが
地元では単に「たまご焼き」というようで。
このだしで頂きますよ!

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おだしひたひた・・・

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うまーい☆これぞ、関西の味やねー。
大阪人ですが、ソースの濃い味だけが
関西の味って思われたくないのよね・・・

この後、山崎蒸留所にも出かけてみたのですが、
なんとツアー終了・・ささっと見るだけで
退散する羽目に・・のっぽさん申し訳ないっす。

続いては、ウイスキーショップW
地下鉄肥後橋の駅を降りたら・・ええっ!
という雨。だだだっ・・とダッシュして、
ウイスキーショップWに駆け込みます(笑)

ちょっとティスティングするはずが、
雨宿りしているような・・・

ゴールドボトルの山崎と現社長・佐治信忠氏の
社長就任の記念でつくられた特別な響21年。

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わたしは、贅沢にも・・山崎ミズナラを
ハイボールで頂いちゃいました。うへへ・・・

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事前に聞いていたように、贅沢ではありますが
ミズナラハイボール、めちゃめちゃ美味い!
いいわぁ・・・ストレートとは違う、
ミズナラの新しい感じ方。試してみるものですね。

お店の方とのっぽさんを交え、
しばし楽しいウイスキー談義・・・・

そんな中に、東京でお世話になってる方が、
ウイスキーフェスティバルに来られるために、
大阪に来てられて、Wでばったりというハプニング(笑)
ウイスキーの世界も狭いものですなぁ。

さて、雨が少し小降りになったところで、
おけいはん・渡辺橋駅に突撃!

そのまま、京都・三条に向かって、
ひょんなことからtwitterでお世話になっている
CAAMM BAR(@yossan718)に行くことに!

まぁ・・twitterでもツイートしてないし、
メモも取ってないので、かなり記憶から抜けてるわけで(汗)
が、最初に新白州ハイボールを頂いたのと、
この一品だけは、強烈な記憶が・・・

たまたま目に入ったので、気になって
あれは?というと、マスターがアレはヤバいっすよ!
とご忠告・・・でも、ためしに少し頂き。

ああああああああっっっっっ!!あれだぁぁぁぁぁ!!
あの味だ!うわうわうわうわ。
蛾をつぶしたというか、研磨剤のにおいというか・・
焦げたヤバいガスを出したゴムというか・・

えっと、口に合わないのをあまりおおっぴらに
言うのもナンなんですが・・モンデ酒造「石和」です。
あのモルトは、これだったんだ・・・と妙な発見。

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・・す、すみません。次回訪問する際には、
ちゃんとした記憶を残せるものを(笑)

ここで、のっぽさんとは一旦お別れ。
翌々日、ウイスキーフェスティバルでお会いします。
が、ウイスキーの話題はまとめたいので、
時系列を前後させて、先にウイスキーフェスティバル大阪に。

滋賀にお住まいののっぽさん、あのあとも
何度かカームさんに行かれているようで・・・
気軽に行けるBarになったようで。
紹介したわたしとしても、うれしい限りです。

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城と琥珀色にまみれる初夏の旅 ~ その3 江井ヶ島酒造(2)

さて!ウイスキー蒸留施設にGo!
こちらは、ウイスキーって感じの建物ですね。
1984年に新たに建てられたそうです。

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特にウイスキー選任の方がいるわけではなく、
杜氏さんがある時期には清酒を、ある時期には焼酎を
またあるときにはウイスキーを・・とつくられるのが特徴。

ここ最近では、モルト10t~20tの仕込みだったのが、
やはりウイスキー需要の増加があって、
今年は、モルト40t仕込むんだそうです。めでたい!

モルトスターは特に定めず、フェノール値で
3.5~4ppmの非常にマイルドな焚きこみをした
モルトを選別してもらって買い付け。

ちなみに、蒸留した後の樽詰は63度だそう。
ニッカも63度だったかなぁ。

1960年代、ウイスキーを作り始めたころの
旧ポットスチル。軽井沢の野外にあった
ポットスチルに似ている気がします。

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軽井沢は上向きヘッドだったけどね。
たぶん・・輸入されたもの?だそうです。

階を上がったところに見えるのは、
まずは、粉砕機。

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そして、糖化工程では糖化と濾過が
別々の装置に分かれているのが、ここの特徴。

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暑い時期って、普通製造しないのですが、
日本酒をつくり、焼酎をつくり・・のあとなので、
どうしてもこの時期になっちゃう。
・・・にしても、あぢぃ(笑)

で、ポットスチル。奥が初留釜、手前が再留釜。
初留釜が4500ℓ、再留釜が3000ℓ。
スチームによる間接加熱です。

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初代ポットスチルの形状は似ていて、
容量が大きくなったような印象に見え、
ネックのカタチがやや違うほかは、
両者で形状の違いは、なさそう。

ニューポット、どばどば!わいわい!

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こちらのポットスチル、奈良にかつてあった
「シルバーウイスキー」から譲られたとか。
あくまで伝え聞きらしくて、定かかは
わからないようですけど・・・

設置に当たっては、蒸留プラント設備専門の
三宅製作所が担当。うん?前にも聴いたような…

蒸留液タンク。こちらに一旦貯められて、
順次、樽に詰められていきます。

P1130877

今年できたニューポットは、ホグスヘッドのほか、
バーボン樽(ワイルドターキー)に詰めたり、
おもしろいところでは、焼酎メーカから買い取った
空き樽を再生して、新樽として詰めたりだとか。

ちょうど使う樽の切り替え時期に来ていて、
いろいろ試せるいい機会なのだとかで・・・
今後が楽しみですなぁ。

半分はラックで半分は平積みで
ちょうどしているのだそうです。ふぅーむ。

引き合いは、海外からも多く、
ウイスキー消費の多いフランスやオーストラリア、
アジア圏ではベトナムなどに出荷してるそう。

日本でもプライベートブランド向けの
ハイボールになる原酒を提供したことがあるほか、
ボトラーズでは、ダンカンテイラーに提供したことも
あるそうで・・・意外と手広くやってんだ。

海外ではスピリッツが少しでも入ってると
ウイスキーを名乗れないので、入れていませんが、
江井ヶ島酒造としては、あれがあることで、
美味しいのになぁ、と思うこともあるそう。

・・・ということで、ティスティング。
最初はニューポット。けっこう飲みやすく、
秩父と並んで飲みやすい部類だと感じました。

で、あかし12年は終了なので、
あかし14年を頂きます。

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スパニッシュオークのシェリー樽熟成で
白ワイン樽で1年半フィニッシュ。

自社製造の白ワインの樽をチャーして
使っているそうですよ。

濃いシェリーの赤い色をしてるけど、
トップはワイン感あるぶどう、
次に個人的には渋みとおがくずのような木の感じ、
そしてダシ感。シェリー一辺倒じゃない。

8月末(そろそろ?)には、ノンエイジの
あかしが出てくるそうですね。
カスクストレングスのようです。

その他、意外と・・と言っちゃ何ですが、
ウイスキー梅酒がおいしくて、
こちらも買っちゃいました。ふふふ。

そのほか、シングルモルト8年を出したときの
エピソードもお聞きしました。あれって、
8年熟成してブレンド用にホーロータンクに
17~8年置かれていたそうなんです。

4500本詰めてなかなか売れなかったそうですが、
雑誌に取り上げられたりして、ようやく
売れるようになったとか…無名だったんですね。

わたしもウイスキーをいろいろ飲むようになって
初めて知ったもんなぁ。でも、いろんな樽に
詰め始めてられるそうですから、
5年・10年経つと江井ヶ島「あかし」の名前が
どう化けてるか、わかりませんね。

最近では、江井ヶ島酒造の中の生産量も
清酒の次にウイスキーが来るほどのウエイトを
占めてるそうです。

小規模ということもあり、研究室をもてず、
また多様なブランドを同じ味に整えるのも困難で…

ある意味、カスクでなくてバッティングしていても、
「あかし」自体の各々が一期一会。

どんな「あかし」が今後でてくるのか、
楽しみですねぇ。てことで、明石に戻ってお昼。

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城と琥珀色にまみれる初夏の旅 ~ その2 江井ヶ島酒造(1)

さて、山陽電鉄・西江井ヶ島駅。
ここが、江井ヶ島酒造の最寄り駅です。

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ここで、以前からお世話になっている
のっぽさん(@noppo_three)と待ち合わせ。

最後にお会いしたのが、2010年のことで…
すっかり酔っ払ってすやすやしてるというね…
面目ないことございました。
今日は、そんなことがないように!

江井ヶ島酒造、酒蔵の建物は古く趣のある木造建築。

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おおっ、あれは?

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左手にはウイスキー蒸留所っぽい建物?

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向かいの建物が受付だったようですが、
前週に訪問されたからが託下さってたようで、
スムーズに見学を進められました!

最初は、酒蔵のほうから。
モルトバカは、江井ヶ島と聴くとモルトしか
思い浮かべませんが、元は日本酒蔵。

酒蔵を始めて、330年ほどになるという老舗で
神鷹というブランドのお酒があるんです。

灘の酒処と同じ硬水の六甲山系の水が湧き出ており、
これを仕込み水にした酒造りをされています。
最近はちょっと軟水化しているようですが・・

こちらがその醸造場である酒蔵。
どの蔵も築100年以上だそうで・・・

瓦が特殊で重いそうで、見ればわかるとおり、
柱が非常に細く、耐震性という意味では
かなり心もとない感じ。

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阪神淡路大震災のときは、縦揺れこそあったものの、
横揺れが少なかったのが幸いし、
瓦被害は甚大だったものの、全倒壊はせずに
何とかもってくれたんですね・・・

今では、洋酒や焼酎・清酒の蔵であったり
清酒の醸造所のほか、一部ウイスキーも貯蔵してるとか?

空調はしていなくても、中はひんやり。
木造ならではの空気感ですね。
清酒のほか、梅酒づくりもこちらで
やってるそうなんですってよ。

あと、山梨でワインも・・白州蒸留所の近くに
あるんですよ!とおっしゃられて
そういや、行く道すがらあったような?

このワインを明石に持ってきて、
ブランデー造りも・・かなり手広く
おつくりになっているんですなー。

城郭建築好きとしては、この竪板張り?に
渋墨を塗ってるあたりに、城感を感じる(笑)

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この先には、ちょっとした資料館。
ということで、しばし「江井ヶ島酒造小史」。

江戸時代前期の1679年に造り酒屋を
始めた際の明石藩からの許可証(鑑札)が残され、
酒造高50石を認められていました。

主の卜部家は、かの吉田兼好につながる家柄。
本名を卜部兼好といいますからね。

卜部家がこの江井ヶ島に移り住んだのは、
室町6代将軍・足利義教が暗殺された、
嘉吉の変(1441年)のすぐあとだそうで・・
そのあたりの経緯に興味がある方はこちらへ。

別所長治籠もる三木城にこそこそ食料を供給、
秀吉の三木攻めにてこずった原因のひとつ?(笑)
その三木軍記が伝わってるそうな?

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社長さん、ちょっと間違てはるところも
ありますけどね・・(汗)

そして、明治維新。兵庫県で一番最初に
株式会社化した組織だそうで・・
当時のトップ企業100に名を連ねる大企業へ。

造り酒屋の番付表によれば、清酒の生産量は
第4位(年代不明)。すごいなぁ・・
やはり、昔は酒といえば、西日本だよね。

さらには、ガラス瓶に清酒を詰めた
最初の酒蔵であったり。ガラス工場まで建てて、
自社で吹いてガラス瓶を作っていたとか!うわわ。

海に近く自社で船着場を持ち、
海上輸送にも長けていたんですって。

うわうわ・・思っていたより(失礼)、
デカイ会社なんだ・・

大正に入り、ウイスキー製造免許を取得。
免許交付は1919年。サントリーよりも4年古いものの、
製造を開始したのは、1961年。

初期のウイスキーのラベル。
EIGASHIMA (NEAR KOBE)ってとこにくすくす。

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この時期からPB商品をつくったり、
海外輸出も早くからしていたそうですね。

その他、焼酎もワインもあらゆる種類を
つくろうとするところは、サントリーに通じる
総合酒類メーカのスピリットですね。

ワインもサントリーの赤玉ポートワインに対し、
白ワインの国内開発に成功、白玉ポートワイン!
サントリーからもブランドネームをほしがられたとか。

白ワインにつかうオーク樽は、ウイスキーの貯蔵にも
使うことがあるそうです。ほほー!

あと、海に近いということで海のそばで
貯蔵されたウイスキーには、潮の香りがつくものも
あるんだそうですね。そういうモルト飲みたい!

焼酎は以前は大分でつくっていたそうですが、
8年前に閉鎖し、明石でつくっているそうですよ。

江井ヶ島酒造の歴史に、ほぅほぅしきりでした。
おもろいなぁ・・ということで、
いよいよ(笑)本番のウイスキー蒸留施設のほうへ。

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城と琥珀色にまみれる初夏の旅 ~ その1 姫路城外濠&明石城遠景。

さて・・例年、この時期になると、
blogネタでアップアップするのが常・・・
と化してきましたが、今年も例外に漏れず。

てか、随分前からアップアップしている
気がしなくもないのですが(汗)

ということで、1ヶ月以上前になる
兵庫・大阪・京都への「城と琥珀色」にまみれる旅。

てか、いつもそうだろ・・というのは
この際ツッコミなしということで(笑)

で、高速バスに乗って向かった先は姫路。
この日は、未踏蒸留所の最後の蒸留所、
江井ヶ島酒造に行く予定。

なのですが、明石に「んなはよついてもしゃーない」
ということで、一旦姫路に行って、
姫路城を見て、汗を流してから明石に行こうと。

そうも時間がないので、毎回パスしてばかりの
中濠跡南側(現:国道2号線)の石垣を見ていくことに。
(ゆうり(@umdry)さん、ありがとーん^^)

最初は国道2号線、大手前交差点から。

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中の門跡石垣。穴が開いてるのは、
ドリルの痕かなぁ・・・

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石垣自体はよく残ってます。楔痕もあって、
算木積もしっかりして、教科書的ないい石垣。

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看板に描かれている復元模式図。
コレによると、典型的な枡形みたいだが
手前の張り出した石垣は撤去されたか・・・

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ね。ないよね。土塁のある部分に、
土塀が建ってたんだろうねぇ。

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むぅ・・これもドリル痕か。

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中濠が埋め立てられたのは、1932(昭和7)年。
今となっては欠かせぬ幹線だろうが、
やっぱり濠の埋め立ては、かなしいよねぇ。

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石垣の積替えポイント。なんでここで積替え?

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その先には、また門の予感。

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鵰門ですね。枡形にはなってますが、
90度直角に折れ曲がっているのではなく、
枡形の中で喰違虎口のようなジグザグを取らせる
めずらしいカタチの枡形。

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この枡形感がすごくよく残ってて、
よくコレ車で通行するなぁ・・・
と思うくらいの残りっぷりにおおぅと唸ります。

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さらに西へ。うーん、これはいただけない。

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中濠の西の端に位置するのが埋門(うずみもん)。
こちらもジグザグさせる枡形。

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二層隅櫓を持ってるところが鵰門との違いね。
今はこんな様子。おっちゃんが絶賛草刈中。

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こちらもジグザクさせる枡形がわかりますな。

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こんな感じで車道に草が飛び散らないよう、
おばちゃんたち覆いを張ってました(笑)

P1130811

さて、ググッと東に向かって・・総社門跡。
こういうカタチの枡形門なのですが。

P1130821

これが・・わかりにくい。
この案内板がないと想像すらできないでしょう。

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現在地とあるのが、ここ。

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今の道路に沿って、高麗門があったわけです。
で、櫓門を支えていた外から見て左手の石垣が、
この石垣ですね・・わかりずらっ。

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ということで、時間もないのでこれのみ。
東側北側の中濠跡もぶらぶらできるといいのですがね・・

そして、駅に比較的近いサウナでひとっ風呂浴び、
明石を経由して西江井ヶ島に向かいます。

もちろん、JR明石駅ホームからは、
明石城の櫓をみてニヤニヤ(笑)

坤櫓。最上層の入母屋破風の破風板が
赤くオシャレなワンポイント。

P1130831

巽櫓。こちらは、純徳川風。
信濃松本城から移封された小笠原忠真は、秀忠の命で
つくってるというのが、よくわかるデザイン。

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さっと、明石城を眺めて・・・
いざ、江井ヶ島酒造へ!

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Panasonic USBモバイル電源。

WiMAX WiFiルータを使い始めてからというもの、
INFOBARもWiFiルータも、どっちもバッテリ残容量を
気にしなくちゃいけなくて、なかなかeneloop充電器じゃ
追いつかなくなってきたある日。

ふと見つけたUSBモバイル電源 QE-QL301
なんでもスマホを4回フル充電するとな?

P1170628

500g程度で細いので、持ち歩きもラクですし、
かばんへの収まりもGood。

こんな感じでUSB経由で2系統充電可能。
いざとなりゃ、INFOBARとWiMAXルータを
同時にでも、充電することができますよ。

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こうして、残容量がわかるのですが、
INFOBARとWiFiルータを1回フル充電して、
まだ半分容量があるわけで・・・心強い!

P1170629

これがあると、eneloopの出番は減っちゃうなぁ。
その気になりゃ、タブレットだって充電できちゃうしね。
さまざまな容量がありますが、MAX容量のQE-QL301は、
かなり安心感があり、お勧めできると思います!!

これで旅先でも心置きなくツイートし放題(笑)

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小型水上バス「カワセミ」江戸城石垣めぐり その2 水道橋~日本橋。

さて、神田川に出てからです。
このあたりは、もともと神田山という台地。

ここをガスッと台地を切り開いて、
旧神田川に代わって、新たに隅田川につないで、
江戸城の外濠の一部としたのでした。

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左手が南側(江戸城側)・右手が湯島側。
ここを丸々掘った考えると、その凄さがわかります。

若干、積み方が江戸時代っぽい気はしますが、
もともと台地であったことを考えると、
明治以後の石垣でしょうなぁ。

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JR御茶ノ水駅。このあたり、外濠の江戸城側を
半分だけ埋め立てて、甲武鉄道を通したんですね。
この角度から、中央線の車両を見れるのは
珍しいですよねぇ。

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東京メトロ・丸の内線の架橋。
おおっ、低っ!

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そりゃ、こんな低いと小さな船じゃなきゃ
通れないっすね!!

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JR総武線の架橋。
ここで分かれて、両国方面に。

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ここから、ちょっとだけ鉄ちゃんモード。
甲武鉄道の旧万世橋駅。以前の鉄道博物館。
このレンガ造りが・・・レンガも大好物♪

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今でも中はちゃんと保存されてたりするのかな?
博物館閉館してからどうなってんろ?

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ほらほら、あの万世橋。
なんだかヘンな感じだねぇ・・(笑)

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このあたりから、屋形船がぞろぞろ。

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ちょっと夏は厳しいやね・・・そうでなくても
ここじゃなくって、石垣見て飲みたいけど?(笑)
美倉橋、浅草橋を経ると、隅田川につながります。

東京スカリツリー。ちょっと天気がアレですので、
ちょっと霞んでますけど・・・

P1160971

大きな川になると、揺れが激しくって、
ツイートしてたら、船酔いしそう。うげげ。

P1160975

小名木川。徳川家康が江戸入府した直後に、
房総からの物流改善のために掘削させた人工河川。

P1160977

豊海橋。ここから日本橋川に戻るのだが、
今回のクルーズで最も低い橋!

P1160980

ギリですよ、ギリ!

P1160981

レリーフがかっこいい湊橋。

P1160986

首都高に覆いかぶさる手前、
鎧橋付近。むー・・・江戸時代かどうか、
微妙な石垣。江戸時代のような、違うような。

P1160992

さて、ここまでで一周終了。この後歩いて、
また外濠を北上して、橋上からの石垣を眺めに歩き。
飯田橋に向かうまでの中央線を支える石垣。

P1170088

や、もちろん鉄道を造る際の石垣。
でも・・よく見ると熱で割れた痕とかがあって。
岩質からいっても、江戸城石垣の石を再加工して
使われたんだろうなぁ、と思うと感慨深い。

で、牛込見附櫓門石垣。JR飯田橋駅です。
知らないと枡形を想像するのは、難しい・・・

P1170094

交番脇の石垣の石垣飾りの見事なこと・・・
誰も見てないわけですが(笑)

P1170097

こんな感じで土塁の上に立っている石垣。
こういうの最近は、江戸城らしく思えてきました。

P1170098

が、JR飯田橋駅構内から見たら・・側面だいじょぶ??

P1170101

・・・ということで、江戸城外濠を1/4周した感じ?
日を改めて、牛込見附からはじめ、市谷見附、
四谷見附方面にぶらっと外濠をめぐりたいですね!

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小型水上バス「カワセミ」江戸城石垣めぐり その1 日本橋~飯田橋。

ちょうど1年くらい前でしょうか、
お世話になっているりすきぃさん(@riskyspeeder)の
水上バスに乗られたツイートを拝見して…

えええ、江戸城の石垣見れんの!!!
行きたい行きたい!と思って1年経っちゃいました。

という積年の望みを先週の土曜日、ようやく敢行。
70名乗りの小型水上バス「カワセミ」に乗船して、
船から江戸城外濠を楽しんできました♪

約1時間ちょっとの乗船、日本橋をスタートして
日本橋川を遡り、途中飯田橋と水道橋の間で
神田川と合流し、御茶ノ水を経て隅田川。
そして、また神田川に戻ってくるコース。

早速、日本橋を出発です!
途中、橋上からの眺めと比較しながらお届け!

P1160812

このあたりは、明治期の石積みでしょうねぇ。
真四角ぴっちりの布積ですなぁ。

P1160813

明治の石垣でもあればいいほうで、
コンクリートがやはり多いという印象です。

P1160814

橋を支える橋台が煉瓦なのは、
間違いなく明治でしょうね。これはこれでいい!

P1160816

で、ここから石垣が出現してきます。
最初の江戸城石垣が出てくるのが常盤橋付近。

■常盤橋

きゃぁぁぁ!きたぁぁぁ!!

P1160818

算木積もしっかりした切込接石垣です!
かなり葉っぱに覆われてますが・・・

P1160820

わずかに、刻印が確認できる・・かな?

P11608201

常盤橋には、江戸城三十六見附に数えられる
常盤橋門の枡形石垣が残っていますよ!

P1160824

この石垣、実は昨年の地震で少し被害があり
まだ修復中で、地上からは近づけなくて・・・
ただ、向かい側からは地上でもよく確認はできます。

P1170005

P1170009

ただ、今は工事中で入れず・・ということもあり、
船から近くで見たほうが価値ある気が。

P1170007

工事現場をこそっと・・・現代の匠が
鋭意修理中。日の目を見る日が待ち遠しいです。

P1170011

古写真を見る限り、右手の石垣の上に
櫓門が載っていたようですね。

P1160828

このあたりは、ぴっちりした切込接。
奥の石垣と比べると違いは歴然。
石垣飾りも本丸と同じくしっかりなされてます!

P11608281

ね、こちらとは明らかに時代が違いますな。
常盤橋門あたりは寛永くらいにつくられたのかも。

P1160832

■鎌倉橋

鎌倉橋あたりもわずかに石垣が確認できる。
ほんの・・ほんのわずか。
もうちょっと遺してくれれば・・・

P1160835

こちらは、船上でしか確認できず、
地上・橋上から難しそう。

■神田橋

かなりツタで覆われちゃってるのと、
少し近代的な石に置き換わってますが、
江戸時代の石垣であることは、十分確認可。

P1160839

P1160840

神田橋下にも崩されながらも、辛うじて
石垣が残っているのがわかります。
矢穴の痕がある石がはっきり確認できますね!

P1160844

橋の真下。普段は見られることがない
石垣たち・・・

P1160850

これらの石垣、一応は神田橋上からも
確認はできますが、ちょっとツライ・・・
船から見たほうがよく見えますねー!

P1170014

P1170016

で、このクルーズで最も壮観に見える石垣が
錦橋~雉子橋。ここの区間には非常によく石垣が
残っておりました!

■錦橋

P1160863

少しセメントで補強されてる部分もありますが、
切込接よりもこれくらいの打込接が好き☆

P1160857

刻印も確認できました!かなり刻印多い!

P1160864

こちらは、かなり広範囲に石垣が確認OKなので、
(暗いですが)錦橋上からでも、壮観な石垣が見れます。

P1170019

■一ツ橋

御三卿・一橋徳川家の屋敷があった一ツ橋付近。
一ツ橋門の枡形櫓台が半面だけ残っています。

P1160869

船の上からこうしてみてみると、
どしっとした石垣ではあるんです。

P1160873

斜めに丸く矢穴が入った石垣☆

P11608731

側面から見ると非常にさびしい・・・
貧ぼっちゃま的にかなしい・・・

P1160874

アップ。ハデに壊されてしまってます・・・

P1170039

地上から。ひ、ひどい・・・(泣)

P1170041

この真正面にどーんと石垣があった・・
のでしょうねぃ。残念すぎる。

P1170049

化粧もしっかりした石垣なのになー。

P1170047

■一ツ橋~雉子橋

このあたりが、江戸城外濠と内濠(清水濠)が
最も接近するところで、江戸時代には
特に警備が厳しかったところだったそうな。

コレは明らかに首都高通す時に、石垣の上半分を
ばっさり切り取っちゃった感じだなぁ。ううっ。

P1160877

石垣の積み方は、これまで見てきた中で、
一番原始的で、石の大きさもまばら。

P1160879

なんとなく丸っぽい石が多いのも
特徴かもしれませんね。

P1160882

ただ、このあたりは刻印の宝庫!
すごーくはっきり確認できます。やたっ。

P11608791

なんとなく・・丸や四角に十字の印が多い。
島津ではないと思うのだが・・・

P11608821

右上に見えるすだれはつりの石が
すごくシゴトが細かくてすばらしい☆

P1160889

そういや、石垣の石の色。ベージュ色を
しているように見えますが、水面近いところが
黒い安山岩の色をしているので、汚れなのでしょう。
江戸城本丸・西の丸の石垣は、こうでないのにね?

P1160892

ここで算木積の隅石が出現。
石垣バンザイエリアはここで終了でございます。

P1160897

こちらも、地上からの確認でもいい感じで
眺めることが可能。船乗らないなら
外濠石垣では、ここが一番だな!

P1170051

むしろ、じっくりと刻印探しするなら、
ここを地上から観察するのがいいかも・・です。
あれは、島津かな!

P1170057

これは・・・駐停車禁止?(笑)

P1170062

外濠石垣だから、それなり・・じゃなく
膨大な石を丁寧に表面加工までしてあるのね・・
はつり飾りがよくできてますわ。

P1170064

地上からでも雉子橋の算木積は、しっかり見えます。

P1170070

雉子橋から少し本丸方面に向かうと、
住友商事竹橋ビルがあるんだけど、そこにも石垣。
が・・なんか変だな・・・特に角。

P1170076

とはいえ、矢穴のある石垣も
含まれているので、石は家康入府以後の
安土桃山~江戸の石ではないでしょうか??

P1170077

ということで、日本橋川が神田川に合流していきます。
で、石垣を見る上での注意点。断然、クルージングで
石垣を見るなら、進行方向の左手をゲットすべし。

これ東京に住んでる人でも、参加したことがある人、
少ないんじゃないでしょうか。石垣派の城好きさんなら、
絶対に薦められるぜひ、見ておいて損はない!
地方から来る城好きさんにも、薦められそうですね!

このあとは、石垣ではなく台地を切り開いて、
外濠・神田川をつくった土木事業のダイナミズムを
感じるエリアへと参ります。

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ぶらり、大坂城。

シンポジウムの後、せっかくなんで大坂城行きますか、
とゆうりさんと大坂城までてくてく。

そうすると、ちょうど大阪府警察本部の前に
やってきたのですが、前にこんな看板が・・・

P1120916

はぁぁぁ!あの堀障子じゃないですか・・・
こんなんだったのね・・・
これ、残しておいてほしかったなぁ。

大阪府警察本部庁舎を建てるにしても、
なんらかの形で見学できるように・・ね。残念。

さて、南外濠方面から大坂城に近づきます。
六番櫓。確かに石垣の大きさが均一ですね・・・

P1120918

それにしても、石垣の途中で真一文字に
色が変わってるのはどうしてでしょうねぇ。気になる。

大手櫓門と千貫櫓。
南面の石垣は第3期工事の石垣群。

P1120924

大手から入城します・・・あ、こんなところに
残念石。大坂城もまだまだちゃんとは
見てないんだね。全然気付いてなかった。

P1120938

桜橋付近の本丸南側の空堀。このあたりは第2期工事。
南外濠の第3期工事石垣と比べ、若干不揃いで
均一性に欠けるが…このくらいが好きよ。

P1120940

ここまでピッチリしちゃうとなぁ・・・
なんだかなぁと思うのですよ。

P1120941

そして、天守台へ。ここも第2期工事。
よく行ったはずの大坂城で、楔痕を見つけるのが
楽しくってしかたがなかったですね。
知識を増やすと、知った城でも新鮮な気持ちで
楽しむことができますねぇ!

P1120952

で、やっぱりゆうりさんは、落書きをみつける
達人だったりするわけです(笑)

P1120945

67年前の今日の大阪大空襲で損傷した天守台北東面。
こういうところこそ、クローズアップしないと・・
と思うのですがね。

P1120948

それでも、崩れずに保ってくれたのがすごいよね。
ある意味、豊臣大坂城の石垣そのものだと、
崩れていたかもしれないよね・・・野面積だから。

結果的に、徳川大坂城本丸が覆いかぶさり、
豊臣大坂城の石垣を守ったということと
いえるかもしれませんね。
歴史の皮肉といったところでしょうか。

最後は、わたしのお気に入りの場所から、
大阪城天守閣を。ここからが一番いいと思います。

P1120954


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濃ゆい濃ゆい大阪の一日。
ゆうりさんも一日、おつかれさまでしたー。

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「日本城検定」開催記念シンポジウム 秀吉の城 第3部 パネルディスカッション『大坂から見た戦国の城・近世の城 ~土の城から石の城へ~』

パネルディスカッションの最初には、
今年になって国指定史跡に選ばれたという、
烏帽子形城(河内長野市)のご紹介を
中村浩氏・前大阪大谷大学教授から頂きました。

■烏帽子形城とは?

烏帽子形八幡神社境内にある烏帽子形城跡。
大阪府下では、実に70年ぶりに国指定史跡として
指定された城跡なんだそうです。

大阪府の端とはいえ、やもすると開発で
破壊されやすい中世城郭がしっかり残るのは、
珍しい例だと思います。

平安末期から文献に烏帽子形城ではなかろうか?
という城の記述が出始めますが、確実に
「烏帽子形城」として現れるのは、
1524年、畠山氏の抗争の中に出てくるようです。
ちょうど、武田晴信満3歳の頃ですな・・・
(それ基準?笑。)

時代は下って、信長の高野山攻めに当たって、
烏帽子形城に詰めていた信長家臣団が
手柄を上げるなど織田旗下の部将の記述が。

あとで調べてわかったのですが・・・
烏帽子形城を治めた甲斐庄正治は、
楠木正成の弟・正季を家祖にもつ家柄!

キリシタンでもあったみたいだけど、
それ故に、秀吉の禁教令に引っかかって没落。
後に家康に仕えて、旗本として存続。
子孫が、長崎奉行・勘定奉行・江戸南町奉行に
なるなど、なかなか出世をしている。

■城の位置と構造

[ロケーション]
東を天見川、西を石川に挟まれた丘陵部が
烏帽子形城址。天然の要害ですね。


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丘陵のすぐ下には、高野街道(国道371号線)が
南北に走り、その北には和泉街道が東西に。
交通の要衝でもありました。城はこういうところに
つくられるものなんですねぇ。

[構造上のポイント]
・瓦葺建築物
城内で興味深い点は、建物の礎石跡が確認でき、
さらに土瓦が発見されています。

中世山城で瓦葺の屋根が使われたと思われる
建物の存在は、非常に珍しいんだそうで、
播磨や備前の例はあるが、河内ではここだけ。

土塁の補強材として、先に石垣が導入される例は
意外とあるのだけど、瓦葺の建物がある、
というが珍しいそう。

・堀障子
さらに、興味深い点は、大坂城についで、
堀内障壁いわゆる堀障子が使われているところ。

秀吉が後北条氏を下す前の1584年、紀州攻めに際し
修築されていることがわかっていて、
このときにつくられたのでは?とのこと。
今回の裏テーマは、堀障子?(笑)

…ということで、中世山城らしいわかりやすい
構造が確認できる、山城初心者にはうってつけの城。

歴史的には無関係だけど、位置的には
九度山に行く際にちょっと寄ってみてもいいかな?

■烏帽子形城から見える秀吉の城

さて、この烏帽子形城から秀吉の城を
俯瞰していく・・というパネルディスカッションに。

基本的に安土城以前は、城郭建築としては、
瓦葺の建物はないものなのだけど・・・

土造りの城で瓦葺きの痕跡があるという特殊性を
城の機能と結びついて理解できると、
さらに、理解が深まると加藤氏。

これに対し、渡辺氏から城郭建築では、
瓦葺は少なかったものの、寺社建築では瓦葺きは
当然あったわけで、戦時の砦としてだけではなく、
長期的な居住性を想定した城・・なのではないか、と。

しかし想定されるのは、非常に細長い長屋のような
建物だそうで、人が住むには厳しい寸法…
ということで用途は謎というのが、中村氏。

加藤氏ご自身は、曲輪の中央部にあるため、
近世城郭のような多聞櫓の前身・・・とも言えず、
濡れては困る、兵糧や武器に倉庫ではないか、
と推察されていました。

いずれにしても、中井氏は石垣よりも瓦が
先に導入される城というのが珍しい、
と言えるのではないか、と問題提起されます。

石垣が導入された例は、大阪府下では、
高槻市にある三好長慶の芥川山城。
そして、四条畷の飯盛山城。こちらもかなり
石垣がしっかり残っているそうですね。

こうして戦国時代に徐々に採用されていく石垣と
豊臣大坂城の石垣との差はどこにあるのでしょう?

■石垣、戦国期と豊臣大坂城の違い

石材の質や加工技術等々は、ほぼこの間には
進歩はないものの、大きな差となって現れてくるのは、
戦国時代の石垣が垂直に積まれているのに対し、
豊臣大坂城の石垣は、後年の総石垣の城と同じく、
角度がついた石垣になっているということ。

言われてみればなるほど、という感じなのですが、
垂直に積んだ状態では、上からの荷重に弱く
その上に建物を建てるのは難しい。

戦国期の石垣は、あくまで土塁の土留め、
つまりは、土塁でできた曲輪をしっかり支えること、
であったというわけですね。だから垂直。
この石垣が16世紀初頭、徐々に浸透してきます。

■豊臣大坂城の多種多様な石質の石垣

豊臣期の石垣は、徳川大坂城天守台西隅角から
45m南、7.4m地下で発見された石垣が有名。
丸く井戸のように囲ってるあり、1959年に発見。

幅が20cm~50cmくらいの小振りの肥前石が
野面積みで積まれており、夏の陣の焼けた痕である
煤が付いたりしているのだそう。

建物を上に建てる前提で角度が付くのは、
安土城くらいから・・ということは
石垣の面でも、近世の幕開けの片鱗が
安土城にあったわけですね。

ここ以外にも3箇所ほどで、発掘されていて、
いずれも野面積で積み上げた石垣。

徳川時代との比較で言うと・・・
わかりやすい石垣の反りの美しさのほか、
さまざまな石材で石垣が組まれていた、
と中井氏がご指摘されました。

大手前貯水池の南端に1984年発見された
高さ6mにもおよぶ東隅櫓下石垣は、
花崗岩から砂岩、古代の寺院の柱礎の石、
播州の龍山石を使った石棺で使われるような石
も使われているのだとか・・・・

いずれにしても、花崗岩一色の整然とした
徳川大坂城の石垣とは随分違った外観だったそうで、
豊臣大坂城は、平城の先駆けでもあったわけで、
石の調達には苦労したことでしょう。

遠くからは持ってこれず、さまざまな石を転用して、
石垣を組んだようなのです。

平地にあれだけの城を築こうと思えば、
秀吉の力を持ってしても、まだ遠くから石を
運ぶことはできなかった、とも言えるでしょうな。

■規格加工が進んだ徳川大坂城石垣

加藤氏によれば、徳川大坂城は石切り場で加工して
ある程度標準化して調達するという、
工業化された石垣構築ということにあるみたい。

野面積を経た手法の変化が、打込接や切込接の
ピチッとした石垣を可能にしたんですね。
これは、見た目が整然とするということだけでなく、
石垣構築のスピードアップにも寄与したようで。

徳川大坂城のなかでも、第1期工事(1620年)、
第2期工事(1624年)、第3期工事(1628年)に
分かれるのですが、この8年の間の工事で
随分と石垣を積む技術が進歩しているんですね。

第1期工事では、大手口から西外濠、北外濠、
東外濠の玉造口に至る一帯は、まだ多種多様な
大きさの石がところどころ使われていて。

これに比べて、南外濠が築かれた第3期工事では、
整然とした切込接布積でピッチリ。

徳川大坂城だけでも、見るところによって、
随分と違いがあるんですねぇ☆

■江戸城にすら負けない徳川大坂城の石垣のすごさ

徳川大坂城って、東外濠の石垣の一角が
第1期工事後すぐに崩れた以外、地震等で石垣が
崩れたことはないんだそうです。

江戸城ですら、石垣が崩れて安山岩の石垣を
花崗岩で修築して目立っていますし、
江戸時代通じて、石垣の修理がほとんどない石垣は
徳川大坂城くらいのものなんですってよ。

さすが…徳川が豊臣を凌駕する気合いを入れて
造ったということもあるのでしょうかね?
江戸城以上に気合が入っているという・・・

第二次世界大戦の最後の大阪大空襲では、
一部石垣が崩れたそうですがね。67年前の今日、
1945年8月14日のことでありました・・・

非常におもしろい講演でありました・・
わざわざ東京から行った甲斐がありましたよ。

東京に住む大阪人として、大坂城と江戸城、
どちらにも詳しくなりたいものだと強く感じました!

・・・・この後は、大坂城を実際に少しぶらぶら。

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「日本城検定」開催記念シンポジウム 秀吉の城 第2部 基調講演『豊臣大坂城を凌駕すべく築いた徳川大坂城』

さて、基調講演の2つ目、加藤理文氏による
徳川大坂城の講演。徳川大坂城・・・

正直、徳川大坂城ってあんましなんですよね。
なんでって?そりゃ、二条城や駿府城、
もちろん江戸城も含めて、あまりに徳川の城って
統一感がありすぎるから、なんですよ。
櫓も二条城にそっくりだし・・・

加藤氏は、徳川の城を語るにふさわしく
白いスーツでの登場ってところで、
軽くほぐれたところで徳川大坂城のプロフィール。

■徳川大坂城のプロフィール

豊臣恩顧の大名に徳川の力を見せつけるため、
城のカタチを変えていくのは、
ある意味、豊臣の封印「破城」でもあったですな。

徳川がどう豊臣の城を破城するか。
まずは、城郭の応急処置と城下町の復興を
松平忠明を大坂城主として当たらせました。

再築城の目処が経った1619年、
大坂を直轄領として、内藤信正を大坂城代に任じ、
徳川大坂城の築城が開始。途中城代が阿部正次に交代。
足掛け11年かけて、1630年に完成しました。

ポイントは、如何に秀吉の大坂城のイメージを
払拭するか、破城をどう執り行うか。
そして、西国の豊臣恩顧の大名の叛旗にどう備えるか。
これが、徳川大坂城築城のテーマ。

■日本一の高石垣

総奉行には、築城の名手藤堂高虎を任じ、
この頃に技術が進んでいた高虎得意の高石垣で、
曲輪をくるむことと、本丸に盛り土をし、
豊臣期の本丸をすべて覆い隠し、埋めてしまう。
まさに・・・・破城。

石垣の技術進歩は、石垣の高さにだけでなく、
予め石切丁場で、規格に沿って石材を加工した上で
大坂城に運んでくるということで、
作業効率化もずいぶんと図れたそうなんですね。

そして、豊臣大坂城の石垣の高さを2倍に、
濠の深さも2倍にということで、拡張されました。

水面から24m、深さ6mですから、
総長30mにも達する石垣。数ある城の中で、
大坂城の高石垣の高さが江戸城すら凌駕して
No.1ですからね・・・

徳川大坂城の石垣というと、巨石も著名。
あれは、薄く大きな石を縦に積んでいるのですが、
あのような石を石垣に使えるのもまた、
石垣技術の進展のひとつなのですねぇ。

■漆黒の天守から白亜の天守へ

加えて、天守の位置と大きさの変更もポイント。

北東隅にあった天守は、北西に独立天守台を設け、
石垣含めて高さ58mにも達する天守へと
姿を変えました。

ちなみに、江戸城寛永度天守が高さ59mですから、
わずかに江戸城が高いとはいえ、ほぼ同格。
ちなみに、豊臣大坂城天守が高さ40m弱ですから、
如何に大きくなったかがわかります。

ここまで大きくできたのは、やはり藤堂高虎発案の
層塔型天守であったからでしょうか。
漆黒の望楼型のほうが、どーみても
カッコいいけどね・・・(笑)

天守外観は、徳川天守の定番の五層五階の層塔型。
形状や配色も江戸城元和度天守、名古屋城創建天守に
非常に近く、最上層のみ銅葺瓦なのも同様。

■属人化する豊臣城郭・標準化した徳川城郭

加藤氏の講演の中で、特に印象深かったのが
ここのくだり。豊臣城郭が築城者その人が守ったときに、
最も防御性能が出るのに対し、徳川城郭は誰が守っても、
高いレベルの防御ができる構造だ、という指摘。

加藤氏によれば、日本屈指の堅城で、
西郷隆盛をして、加藤清正に敵わないと言わしめた
熊本城ですら、清正自らが籠城すれば、
もっと高い防御性能があったのでは・・とのこと。
豊臣の城は、個人に帰するところが大きい・・・と。

しかし、幕府の城となった場合、誰がどう転封しても
同じように守れる城をコンセプトに
かなり標準化したつくり…が徳川の城なんですって。
共通項があるのは、そういう理由だったんだ・・・

直線的な累線を描く高い石垣のうえに、
多聞櫓を築き、角は重層櫓と連結という縄張り、
そしてスッと高く聳える層塔型の天守・・・

天守は落雷で焼けた後は、再建されませんでした。
江戸城にも言えることですが、もはや外に
権威を改めて示すこともなかった・・わけです。

天守とは何か。外に向けてその力を強く
アピールするための装置であるということを考えると
江戸時代に再建されなかった意味がわかってきますね。

■重層櫓と多聞櫓の効果

徳川大坂城は、本丸に三重櫓が11基、
二重櫓が2基あり、二の丸には伏見三重櫓のほか、
二重櫓13基あったそうで、三重櫓の多さは格別。

軍事的には、二重櫓でも問題ないところですが、
圧倒的な力を見せ付けるという演出。

多聞櫓も本来なら土塀でもよさそうだが、
塀でなく櫓とすることで、

・塀と違い乗り越えるのはまず不可能
・鉄砲攻撃に際し、雨の影響を避けられる
・灼熱の夏、極寒の冬でも待機が容易

という大きな利点があったわけですね。

個人的には、三重櫓の多さは多聞櫓とも
関係が深いように思え、塀ではなく多聞櫓で、
累線を繋ぐなら、三重櫓くらいないと
威圧感が薄れるような気がしないでもないので・・・
平時でも倉庫として、使えますし。

ただ、建築コストはかなり嵩んだみたいですが、
そこはまぁ、天下普請ですからね。

よくある見かける本丸東面の古写真を見ても、
三重櫓群と多聞櫓が織り成す圧倒感が
よくわかりますよね。

ということで、加藤氏の講演は終了。
好き好んでは、徳川大坂城について知ろうとしないから、
そういう意味では、貴重な機会でした!

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「日本城検定」開催記念シンポジウム 秀吉の城 第2部 基調講演『秀吉の城~研究最前線』

次は、織豊期城郭研究会代表の中井均氏から、
秀吉の城の研究最前線という、えもいわれぬ
ワクワクするタイトルでご講演☆

●大坂城
[安土城との違いと石垣の平城のはじまり]

先ほども少し言及がありましたが・・・
信長の安土城との大きな違いのひとつは、
平地に築かれた平城であること。

単に城の形状としてだけではなく、
築城時にも大きな差として、現れてきます。

すなわち、安土城は山城ですから、
安土山を山城としての加工を施す過程で、
石を切り出して、石垣群を形成できますが・・・

平城の大坂城は、遠地から石を運ぶ必要があり、
土木工事の量としては、まったく比較に
ならないくらいの仕事量なんですね。

信長が近世城郭や天守建築への道を
開いたことは確かですが、近世城郭に欠かせない
平地に築城する総石垣の技術の基点は、
大坂城にあるということになるのだそうです。

[豊臣大坂城の遺構]

といいつつも、戦国期の城に見られるような、
軍事的遺構もあるのが、大坂城。


大きな地図で見る

大阪府警察本部が新しくできたんですが、
その建設前の発掘調査で、三の丸跡から障子堀が
確認できたそうなんです。

堀障子というと、後北条氏の山中城が有名。
ですが、近代城郭で見つかるのはビックリですね。
こちらに当時の現地説明会の様子が・・・

ほぼ後北条氏の専売特許といってもいい
この防御施設が大坂城で出るとは・・
冬の陣を前にし、使えるものは何でも使え、
という軍事的な緊張感のある遺構。

しかも、後北条氏の堀障子とは違い、
水のない空堀ではなく、水濠につけられていた、
というところがポイント。

この堀障子に適度に水が張ってあれば・・・
泳いで渡るにも浅すぎる、歩いて渡るにも、
堀障子が邪魔、ということでかなり防御力が
高かったんではないでしょうかねぇ。

徳川家康が、大坂冬の陣の後、濠を全部埋めて
裸城にしちゃった話は有名ですが、
そりゃ、この濠は埋め立てたくなるわ・・・

もうひとつが、こちらは有名な真田丸。
丸馬出といえば、武田流の城でよく見られますが、
武田流の曲輪を真田信繁が採用したのでしょうな。

けっこう見た目的には浮いてたんじゃなかろうか、
と思うわけですが、そんなところも時代背景を
想像しながら見てみると、おもしろいかもしれません。

●八幡山城
[八幡山城居館の破城の実態]

八幡山城は、秀吉から関白を譲られた秀次の居城。
詰めの山城と麓の居館という、典型的な中世の城の構造。

ま、それはいいんですけど、その居館の後が
非常に興味深いんです。建造物が解体撤去された後、
粉々に割った金箔瓦で一面埋め尽くされ、その上、
粘土で封印されていたんだそうです。

いわゆる「破城」です。ただ壊すのではなく、
意識的に封印し、秀次という存在を地上から
消し去るという強い意識がそこにあります・・・・

ちょっと意味合いは違うかもしれませんが、
秀吉の大坂城本丸が落城後に盛り土をされて、
石垣から何から地上から姿を消し去ろうとしたのも、
一種の「破城」なのかもしれませんね。

●秀吉時代の金箔瓦の意味

渡辺氏のお話の中で、信長と秀吉の金箔瓦の使い方、
そして、秀吉との人間関係のお話がありましたが、
まだまだ、金箔瓦に込められたメッセージがあります。

たとえば、家康の領国と接する諸城には、
金箔瓦が施されていたということ。
これで思い出すのが、浅野長政が完成させた甲府城。
甲府城にも、金箔瓦が葺かれていたと言われてますね。

とっかかりは家康ですが、途中で関八州に転封、
豊臣系城郭として、完成しましたからね。

このような金箔瓦が家康領と接する城には、
葺かれていたと考えると、金箔瓦が秀吉そのものを
象徴してさえもいたのでしょうなぁ。

さらには、聚楽第から朝鮮出兵の前線基地である
肥前名護屋城に至るルートに金箔瓦が葺かれていた…
というのも、秀吉を金箔瓦で象徴しようという
意図の表れなんでしょうな。

聚楽第~興隆寺~離宮八幡宮~高槻城~岡山城
~広島城~厳島神社~小倉城~名護屋城

ちなみに、広島城の金箔鯱瓦が発掘されてますが、
全面金ではないのは、周知の事実ですね。
この頃の金箔瓦もそうなんでしょうね。

確実に名古屋城天守は全面金鯱でしたから、
金で覆う鯱は、織豊系ではなくって、
徳川系城郭の特徴なのかもしれませんねぇ。

●秀吉の陣城

陣城というと、城攻めの際に群が駐屯する
一時的につくった城塞ですが、
これらもけっこう残っているようで・・・・

三木城攻めの際につくられた、高木大塚城や
二位谷奥城、鳥取城の包囲網の太閤ヶ平などが
例に上がってましたが、いずれも小振りながら、
立派なひとつの山城ですわな。

鳥取城の陣城のひとつ、太閤ヶ平は、
従来まで秀吉本陣といわれてきましたが、
実は、信長の出陣の際の信長本陣にするための陣城
というほうが自然ということのようですね。

最前線から一歩奥まったところにあるのも
なるほどーという感じでございます。

●倭城調査の成果

ある意味、究極の陣城とも言える倭城。
当時は「倭」城なんていうワケないんですが・・・

東は蔚山(ウルサン)城、西は順天(スンチョン)城まで
沿岸にびっしりと築城されていました城が多く、
水軍力は強くない日本軍の橋頭堡、として機能。

そのほかにも川沿いに物資を輸送するために
内陸に向かって築かれた城もあれば、
監視所みたいな小振りな城もあるようで・・・

興味深い例として、西生浦(ソセンポ)城の
上り石垣が挙げられていましたが、
復元されているという順天城と泗川城の石垣は
ちょっと・・・朝鮮式の積み方で、
日本式の積み方とは違うみたい。残念。

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「日本城検定」開催記念シンポジウム 秀吉の城 第1部 特別講演

さて・・・3ヶ月・いち四半期前も前・・・という
恐ろしい放置っぷりでありますが、
もうまもなく行われる「日本城検定」(9/1)の
記念シンポジウム in 大阪
に行ってきました。

P1120914

東京でもあるんですが、「秀吉の城」という
そのタイトルに惹かれて、わざわざ帰阪して推参。
こちらも引き続き、ゆうりさんも。

まずは、今回の日本城検定の主宰をされている
「NPO法人歴史のかたりべ」代表の末次浩平氏からご挨拶。

「文化財の保護」をテーマに活動されている
NPO法人が「歴史のかたりべ」だそう。

昨今、財政的な面に加え、文化財への理解不足から、
文化財が失われることへの危機感から、
少しでも、文化財保護の啓蒙活動等を通じて、
文化財保護につながったら、という思いがあるそうです。

文化財保護もただ募金するだけでなく、
催しに参加して、楽しく文化財保護に
参加してもらえたらというのが、
今回のシンポジウムにもつながってるんですね。

日本城検定も収益の一部を文化財保護に
つなげることが目的。城好きが楽しむことが
文化財の保護に直結するなんてステキじゃないですか。

てことで・・まず最初は、第1部 特別講演。
自分なりに講演の内容のまとめと、
インスパイアされたことを織り交ぜつつ・・・

■第1部 特別講演 『秀吉は何故その城を築いたのか
~時代背景から歴史を探る~』渡辺 武氏・元大阪城天守閣館長

●中世の城から近世の城へ

秀吉が生きた時代は、まさに中世が終わり、
近世が幕明けしようかという時代。
群雄割拠がようやく一段落していくなかで、
城のあり方が大きく変わっていく時代でもありました。

渡辺氏は、信長とあとを継ぐ秀吉のひとつの特徴として、
天下布武を掲げたとはいえ、軍事力だけではなく、
経済・文化・政治あらゆる側面を駆使する
総合力で戦いを進めた武将だった、と指摘されます。

個人的には、この「総合力」が織豊政権唯一の特長、
とはあまり思えないのですが、その規模・範囲は
おそらく唯一無二といっていいと思います。

その背景には、明確に足利幕府に代わって
天下に号令するという目標を持ち、その目標のために、
単純な軍事力だけではなく、総合的な強さを
目指した所以ではないか、と思います。

そうすると、おのずと山城と山城をネットワークで
結んで領国を防衛する「砦」が徐々に姿を消し、
政治・軍事・経済・文化の総合的な「城壁都市」に
カタチを変えていくのは、ある意味自然なこと。

事実、京都や奈良などの「古都」を除けば、
近代になっても、都市整備の基盤は、
近世城郭にあるわけで、現代人がイメージする
都市の基盤はまさに、近世城郭にあるわけですよね。

城とは違いますが、鎌倉を本拠にした源頼朝も、
鎌倉を「都市」として扱い、天然の要害を以って、
都市防衛を万全にしつつ、武家による新たな都市計画を
進めたこととも似ている気もします。

●石山合戦への信長のコダワリと天下人の城

信長は石山本願寺との戦いに、1580年に終結するまで
足掛け10年の歳月をかけていますが、
その執念のひとつに、大坂を安土に代わる拠点として
ほしかったこともあるようです。

最終的に、信長は山城しか建てなかったけれども、
平山城、平城を目指していたのでしょうね。

そして、その大坂に平城(=都市)を建てて
天下に号令するのは、秀吉に受け継がれるわけです。
大坂は、計画されてつくられた最初の城郭都市、
といえるのかもしれません。

そして、諸大名の秀吉流の城郭都市手法が、
西日本の城郭建築ラッシュとなって、
織豊系城郭が広がっていくんですね・・・

そして、江戸はまた家康のもとで、
別の城郭進化をしていくわけですが・・・

その意味で・・・・

・信長の部将時代の「秀吉の城」
・天下人としての「秀吉の城」
・海外侵略基地としての「秀吉の城」

を追うことは、城の歴史・発展を追うことにも
繋がるのだろうなぁと思いました。

●信長の部将としての「秀吉の城」
[長浜城・姫路城・山崎城]

天下人になる前・・・だと、この3城が
秀吉に関わるところ。長浜城は初めて
城持ちになって築城をした城。

続いて、中国攻めに際して、播磨で黒田孝高に
本拠地として薦められた姫路城を
1580年に大改修をしていますね。

そして、山崎城。明智光秀を破った秀吉が
大坂城築城までに在城。秀吉の重要な時期にあった
山崎城は、けっこう秀吉らしさの出た城・・・
ということで、後ほど訪問をしました。

●天下人としての「秀吉の城」
[大坂城]

で、大坂城。信長が狙っていたであろう大坂の地に、
安土を超える居城・巨城・拠城を築く・・
という、狙いの明確な城でした。

光秀を倒した翌年、1583年に築城開始。
本丸は約1年半くらいでおおよそ完成し、
山崎城から大坂城に移るわけですが・・・

興味深いことに、大坂城築城に際して、
安土城天守を凌駕する天守建造を
真っ先に取り掛かっている
んだそうです。

築城開始が9月、そして11月のこととして、
「今為す所の築城普請はまず天守の土台也」
記録にあるんだとか・・・

まず秀吉が信長を超えた権力の象徴として、
天守を上げ、天下に見せ付けることを
非常に重要視していたということがわかります。

1586年、耳川の戦いで敗北してから劣勢続きの
大友宗麟は大坂に向かい、秀吉の軍門に下る代わりに、
豊後への援軍要請を乞います。

その宗麟をして、大坂城を三国無双の城と称えた
と伝わりますが、若干のおべんちゃらはあったにしても、
実際に相当驚いたんだろうなぁ、と思います。

大坂城の屋根瓦・鯱瓦等々には、ふんだんに
金箔押しされていたそうですが・・・

信長の安土城では、瓦の凹んだ所に金粉を
まぶしたようなつくり。一方の秀吉の大坂城では
膨らんだところに、金箔を貼り付けて、
金の輝きを前面に押し出し、経済力を誇ったそう。

また、五大老に指名された毛利輝元や宇喜多秀家らも
金箔押しの瓦の使用を認められ、
金瓦はある種、秀吉政権との近しい関係を表す
メッセージ性もあったんでしょう。

そして、秀吉の生涯をかけて、日本最大の
城郭都市としての惣構をもった
大坂城に姿を変貌していき続けるわけですね・・・

[和歌山城・聚楽第・伏見城・淀城・石垣山城]

秀吉は、大坂城と平行して諸城を次々と
築城していきます。1585年紀州征伐後には、
秀吉の縄張りで和歌山城を築城。

関白就任後の1586年、関白の政庁・迎賓館として
聚楽第を造営し、1589年には淀古城を改修、
1590年に小田原征伐の折に、石垣山城を築城・・・

さらに、文禄の役開始後の1592年には、
初代の伏見城を築城。慶長地震で倒壊して、
1596年に場所を移して再築。

2回目の伏見城は、材を流用したみたいですが
まぁ、こんだけつくってたら、木材不足に
なるのもわかりますわなぁ・・・

・海外侵略基地としての「秀吉の城」

さらに、肥前の名護屋城は、1591年築城。
明・李氏朝鮮に侵攻するための前線基地ですな・・・

天守や御殿もあったそうですが、どうなんでしょう。
そんなんつくるくらいなら、もっとマジメに
明制圧にお金を投じてはと思うわけですが・・

文禄・慶長の役の過程で、朝鮮半島南部に
朝鮮倭城が築かれるわけですね。
ここで、織豊系城郭の石造りの城の特徴が
あるばかりか、ここで発達した技術もあるわけです。

ちなみに、朝鮮出兵といわれますが、
実のところ、秀吉自身は「唐入り」と称しており、
あくまで明の征服が目的だったんですよね。
ま、それはさておき・・・

●総括

これだけ城を築いておきながら、建物は
何一つ残ってない秀吉の城。岡山城や広島城の天守が
残っていれば、まだ秀吉の城の遺薫が
感じられたでしょうが・・・残念なことです。

が、こう通しでお話を聴いてみて、
やはり、秀吉の城の政治的な主張性がよく見えます。

個人的にですが、信長が安土で発した主張性とは
建築的な意味での連続性はあるとしても、
かなり性質が違っているように思います。

信長がどこか宗教性を帯びたところがある一方、
秀吉はとことん世俗。

同じ、天下人を城郭で表現するにしても、
信長からは、アーティスティックな一面を感じますが、
秀吉はマーケティング要素が色濃いような。

軍事拠点から総合都市に変貌していく中で、
自分の存在をどう織り込んでいくかの違いがあって
興味深いところです。家康は家康でまた違いますしね。

ということで、第2部に続く。
いやーん、また長編になっちゃうぅ。

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