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「日本城検定」開催記念シンポジウム 秀吉の城 第2部 基調講演『豊臣大坂城を凌駕すべく築いた徳川大坂城』

さて、基調講演の2つ目、加藤理文氏による
徳川大坂城の講演。徳川大坂城・・・

正直、徳川大坂城ってあんましなんですよね。
なんでって?そりゃ、二条城や駿府城、
もちろん江戸城も含めて、あまりに徳川の城って
統一感がありすぎるから、なんですよ。
櫓も二条城にそっくりだし・・・

加藤氏は、徳川の城を語るにふさわしく
白いスーツでの登場ってところで、
軽くほぐれたところで徳川大坂城のプロフィール。

■徳川大坂城のプロフィール

豊臣恩顧の大名に徳川の力を見せつけるため、
城のカタチを変えていくのは、
ある意味、豊臣の封印「破城」でもあったですな。

徳川がどう豊臣の城を破城するか。
まずは、城郭の応急処置と城下町の復興を
松平忠明を大坂城主として当たらせました。

再築城の目処が経った1619年、
大坂を直轄領として、内藤信正を大坂城代に任じ、
徳川大坂城の築城が開始。途中城代が阿部正次に交代。
足掛け11年かけて、1630年に完成しました。

ポイントは、如何に秀吉の大坂城のイメージを
払拭するか、破城をどう執り行うか。
そして、西国の豊臣恩顧の大名の叛旗にどう備えるか。
これが、徳川大坂城築城のテーマ。

■日本一の高石垣

総奉行には、築城の名手藤堂高虎を任じ、
この頃に技術が進んでいた高虎得意の高石垣で、
曲輪をくるむことと、本丸に盛り土をし、
豊臣期の本丸をすべて覆い隠し、埋めてしまう。
まさに・・・・破城。

石垣の技術進歩は、石垣の高さにだけでなく、
予め石切丁場で、規格に沿って石材を加工した上で
大坂城に運んでくるということで、
作業効率化もずいぶんと図れたそうなんですね。

そして、豊臣大坂城の石垣の高さを2倍に、
濠の深さも2倍にということで、拡張されました。

水面から24m、深さ6mですから、
総長30mにも達する石垣。数ある城の中で、
大坂城の高石垣の高さが江戸城すら凌駕して
No.1ですからね・・・

徳川大坂城の石垣というと、巨石も著名。
あれは、薄く大きな石を縦に積んでいるのですが、
あのような石を石垣に使えるのもまた、
石垣技術の進展のひとつなのですねぇ。

■漆黒の天守から白亜の天守へ

加えて、天守の位置と大きさの変更もポイント。

北東隅にあった天守は、北西に独立天守台を設け、
石垣含めて高さ58mにも達する天守へと
姿を変えました。

ちなみに、江戸城寛永度天守が高さ59mですから、
わずかに江戸城が高いとはいえ、ほぼ同格。
ちなみに、豊臣大坂城天守が高さ40m弱ですから、
如何に大きくなったかがわかります。

ここまで大きくできたのは、やはり藤堂高虎発案の
層塔型天守であったからでしょうか。
漆黒の望楼型のほうが、どーみても
カッコいいけどね・・・(笑)

天守外観は、徳川天守の定番の五層五階の層塔型。
形状や配色も江戸城元和度天守、名古屋城創建天守に
非常に近く、最上層のみ銅葺瓦なのも同様。

■属人化する豊臣城郭・標準化した徳川城郭

加藤氏の講演の中で、特に印象深かったのが
ここのくだり。豊臣城郭が築城者その人が守ったときに、
最も防御性能が出るのに対し、徳川城郭は誰が守っても、
高いレベルの防御ができる構造だ、という指摘。

加藤氏によれば、日本屈指の堅城で、
西郷隆盛をして、加藤清正に敵わないと言わしめた
熊本城ですら、清正自らが籠城すれば、
もっと高い防御性能があったのでは・・とのこと。
豊臣の城は、個人に帰するところが大きい・・・と。

しかし、幕府の城となった場合、誰がどう転封しても
同じように守れる城をコンセプトに
かなり標準化したつくり…が徳川の城なんですって。
共通項があるのは、そういう理由だったんだ・・・

直線的な累線を描く高い石垣のうえに、
多聞櫓を築き、角は重層櫓と連結という縄張り、
そしてスッと高く聳える層塔型の天守・・・

天守は落雷で焼けた後は、再建されませんでした。
江戸城にも言えることですが、もはや外に
権威を改めて示すこともなかった・・わけです。

天守とは何か。外に向けてその力を強く
アピールするための装置であるということを考えると
江戸時代に再建されなかった意味がわかってきますね。

■重層櫓と多聞櫓の効果

徳川大坂城は、本丸に三重櫓が11基、
二重櫓が2基あり、二の丸には伏見三重櫓のほか、
二重櫓13基あったそうで、三重櫓の多さは格別。

軍事的には、二重櫓でも問題ないところですが、
圧倒的な力を見せ付けるという演出。

多聞櫓も本来なら土塀でもよさそうだが、
塀でなく櫓とすることで、

・塀と違い乗り越えるのはまず不可能
・鉄砲攻撃に際し、雨の影響を避けられる
・灼熱の夏、極寒の冬でも待機が容易

という大きな利点があったわけですね。

個人的には、三重櫓の多さは多聞櫓とも
関係が深いように思え、塀ではなく多聞櫓で、
累線を繋ぐなら、三重櫓くらいないと
威圧感が薄れるような気がしないでもないので・・・
平時でも倉庫として、使えますし。

ただ、建築コストはかなり嵩んだみたいですが、
そこはまぁ、天下普請ですからね。

よくある見かける本丸東面の古写真を見ても、
三重櫓群と多聞櫓が織り成す圧倒感が
よくわかりますよね。

ということで、加藤氏の講演は終了。
好き好んでは、徳川大坂城について知ろうとしないから、
そういう意味では、貴重な機会でした!

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