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阿佐ヶ谷夏の陣 戦国武将三番勝負!1番勝負 武田信玄 vs 上杉謙信

なかなか通な雑誌「一個人」主催のイベント
阿佐ヶ谷夏の陣、戦国武将三番勝負』に参加してきました。
例によって、約1ヶ月前という遅い記事。
・・・・締め切りに追われるマンガ家の気分です(汗)

司会進行は、歴ドル美甘子さんと山田ルイ53世さん、
そして、語りは戦国氏の重鎮・静岡大名誉教授の
小和田哲男先生。戦国好きなら有名なお方ですよね!

小和田先生、歴っしゅ、やりはるような
お茶目なところもあったり、笑かしてくださいますが、
身近なところでは、信長の野望の監修も
されていたんだとか!へぇーへぇーへぇー!

オープニング、山田さんはお子さん(54世?)が
誕生とのコトで、お祝いがあったり・・・
信長の野望、里見で天下統一自慢話とかも飛び出し(笑)

本題(笑)は、戦国で有名なライバル関係にある
名将を取り上げてお話していただけました!

ま、基本は知ってる話が多いのですが、個人的に
おおっという小和田先生のコメントをちょちょいと。

■両者の総評

小和田先生曰く、信玄が現実的な有能な政治家、
戦国大名らしい戦国大名。甲斐という条件の悪いなか
あれだけのプレゼンスを出したということで、
評価したいとのコメントでしたよ!

謙信は、戦国大名としては異質でミステリアス。
謙信は生涯の戦で、勝率が9割を超える強さにも関わらず、
支配圏を広げる気があまりないので、落とした城を
取り返されることもあって・・・と。

謙信は、三人養子がおり、景虎・景勝のほか、
能登畠山家から義春を養子にしているそう(のち出奔)。
跡目を決めないから・・・

でも、こればかり信玄も人の子といえなくて、
勝頼を後見人にして、信勝を跡目にというのは、
ちょっと無理があったんではないかって思いますです。
信玄贔屓目に見てもね・・・

話しは、川中島合戦のほうへ。

■川中島の五回の戦い

信玄の力が善光寺平まで及ぶと、春日山城まで
直線距離にして約80km。これは・・焦りますな。

第二次犀川の戦いは、今川義元の仲介で甲越両軍
手を引いてるんですがここで、今川義元の
地元(静岡)での扱いに話題が。

小和田先生曰く、静岡にはまだ1つも義元像が
ないのだそうです。先日、静岡城飲みで、
さらさん
静岡駅に家康像はできても、義元像はない・・・
と聞いたばかりなんですけどね。
桶狭間には銅像があるそうですが・・・カワイソウ。

第三次も小競り合い、そして第四次、八幡原の戦い。
甲越両軍ともほぼ最大動員兵力を集結させ、
甲軍20,000人対越軍18,000人が大激突。
信玄は、MAX25,000人くらいだせたそうですが・・・

いい加減決着付けて、中央に勢力を伸ばしたい信玄。
これ以上、喉元まで勢力を張らせるまいとする謙信。

しかし、実際の戦いの経過はよくわからず。
甲陽軍鑑などの講談モノの語りが先行。
あの、啄木鳥戦法もね・・・

■第四次川中島合戦のウソとホント

小和田先生曰く、12,000の軍が背後から妻女山を
果たして登って背後から衝ける地形なのか、と。

実際に背後から迫るルートで歩かれたそう・・・
なんですけど、先頭集団が妻女山に着いても、
まだ、後発集団は海津城にいるくらいの感じ??

謙信が海津城の煙がいつもより上がってる・・
のを見てというくだりですけど、
信玄もそんなポカはせんだろう、と。

どっちも動く頃合いだという感覚が
たまたま一致したのかな、というのが小和田先生。

もちろん、一騎打ちの話しですけど、
まぁ、架空のものと切り捨てる前にね・・・
資料に書かれてあることをたどると実に興味深い。

それは、上杉側の資料(上杉家御年譜)では
謙信本人ではなく、謙信影武者とも言われる
荒川伊豆守長実が切りつけた、という記録が残っていて。

甲陽軍鑑では、謙信が切りつけたとありますから、
甲軍が謙信と見誤ったか、ダイナミックに見せるため、
謙信が単独切り込みと変えたのでしょうな。
やはり、大将自ら対象に切り掛かりはしないと。

結局、信玄がこの戦いで負傷し
危機的状況だったことは、確かなんでしょうね。

あと、川中島合戦図屏風ですが、
紀州本と岩国本とで描かれ方が違うのも有名な話。

甲陽軍鑑を元に描いた岩国本では、地上で信玄が
謙信の太刀を受け止めているのに対し、
北越軍談を元に描いた紀州本では、川の中で
馬上の両雄が切りあっている図として
描かれているんですよね。川の中で切りあうのって
ありなんですかねぇ・・・ないと思うなぁ。

ここで、奇襲に特化した奇襲ナイト!なんて
やるのがおもしろいじゃーんという
山田さんのご提案も、おもしろいですよね!

■第五次・・・はなぁなぁ?

多くの被害を両軍に出した第四次ですが、
結果的に、武田軍多大な犠牲を払って
北信を押さえたわけですね。

一方、上杉軍も次回の出兵に苦しむほどの、
犠牲はありますが、幹部クラスの討ち死にはなく。

その意味で、犠牲も多い分、成果もあったのが武田軍、
犠牲はあったのに、あまり成果のなかった上杉軍
といえるんでしょうな。

で、第五次でも対峙はしますが、武田側が
避けた側面が強いようですね。

第四次と第五次の間に桶狭間の戦いがあって、
今川義元が織田信長に破れ、討ち死にしたことにより、
謙信と退治することは諦め、弱った今川を刈り取るべく、
信玄は、駿河・三河方面に目を向けていきます。

もう少し、早く雌雄を決していればなぁ・・・
という気はしますけどね。まぁ、義元がいれば、
駿河には出れないだろうから、仕方がないかも。

■例の塩の話

敵に塩を贈る・・有名な故事ですが、
これも謙信が積極的に塩を贈ったという意味ではウソ。

むしろ、信玄の駿河侵攻で今川・北条から塩を
止められたにもかかわらず、謙信は越後の塩商人が
甲州へ塩を流すことを黙認した、
ということみたいですね。なるほどね。

謙信って、関所つくって小遣い稼ぎしたり、
けっこう儲けてるからなぁ。いわゆる経済原則に
照らして考えるなら、供給が著しく不足しているわけで
ものすごい高い価格で塩を売れたことでしょうな。

・・・謙信、うはうは?美談ちゃうしー、みたいな。
知ってはいたことだけど、意外と皆さん知らないのね・・・

■衆道

信玄と香坂弾正の話・・・衆道の手紙として、
ボクは浮気してません的なないようなんですけど・・・
まぁ、有名な話です、戦国BL。

衆道が一般的だったとはいえ、手紙が残るのは、
信玄と香坂弾正くらいなもんなんですって。
そして、香坂弾正が大事に取ってたってこと??

でも、言い訳がましい信玄の手紙を
ずっと持ってるってのもねぇ・・
おもしろいはおもしろいですわねぇ。

てことで、信玄×謙信の会はこれで終わり☆
続いて、家康×三成ですぅ。

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