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「日本の木と森を考える」江戸城天守木造再建への道 その3 江戸城寛永度天守とその材質

さて、続いては広島大学・三浦正幸教授より、
城郭建築も含めた材種についてのお話。

三浦先生というと、わたしはよくWeb
見させて頂いておりまして、城好きさんの中にも
なじみのある方も多いのではないかな、と。

ま、城のページしか見に行ったこと
ないのですけど(笑)

■コンクリ天守と木造天守

まずはじめに、実用的な意味での木造建築の意義について。
それは以前から三浦先生がおっしゃっていることですが
極めて耐用年限が長いということ。

鉄筋コンクリート製の天守(ビル?)の場合、
約50年から80年がその耐用年限なのだそうですね。

戦後すぐの1950年~60年代の復興城ブームに
その多くがつくられるわけですが、復興コンクリ天守の
最たるものといえば、なんと言っても大阪城三代目天守。

つい昨年、ちょうど80周年を迎えたわけですが、
三浦先生によれば、もう危ない?ということになりますね。
もちろん、1995~1997年に平成の大改修をしていて、
まだその耐用年限は延びているのでしょうけど・・・

そして、小田原城天守でホットな話題に
なっている通り、ブームの時代に建てられた
多くのコンクリ天守がその耐用年限が切れかかって、
あちらこちらで耐震工事が行われていますよね。

大垣城天守も、最近リニューアルして、
少し戦災焼失前の天守との差異が修正されましたが、
建物自体へも補強工事がなされているようですが、
三浦先生としては、付け焼刃にすぎないと
考えられておられるようでした。

これに対して、木造天守は姫路城大天守の修理を
見ても分かるとおり、痛んだ材だけを
交換することができる、これがいいところ。

材を交換していけば、優に1,000年は持つ
という木造建築。これから建てるなら、木造ですね。

■江戸城寛永度天守とは■

そこで、江戸城天守(寛永度)がどのような材で
つくられていたか・・なんですが、三浦先生から
貴重な資料が出されてました☆

このたび「江戸城再建を目指す会」の協力を頂き、
ブログへの掲載許可を頂きました!

Edojotenshu01
「復元・創作 広島大学 三浦正幸研究室」

こうカタチだけまじまじ見ると、
名古屋城天守との似ていますね・・・・

三代将軍・徳川家光の時代に建った
寛永度天守、実にものすごいスピードで
建ったんだそうです。

1638(寛永15)年7月13日 穴蔵立柱
 → 地下階(穴蔵)の柱立て

1638(寛永15)年7月27日 初重立柱
 → 1階部分の柱立て

1638(寛永15)年10月26日 鯱上
 → 5階まで組み上げ、鯱を上げる

1638(寛永15)年11月5日 鯱金子包
 → 鯱に純金板の貼り付け

す、すげー・・・なんという速さ。
これ、なんとなくだけど、秀忠の元和度天守解体後
かなり元の材を使って組まれたんだろうなぁ。

大きさも史上最大、姫路城大天守との比較で
1階床面積が2.5倍以上にもなるんだそうですよ・・・
体積で3.5倍程度になるとか・・あわわ。

日本の3大巨大木造建築は、東大寺大仏殿、
秀吉創建の方広寺大仏殿に次、史上第3位の大きさ。
もちろん、天守としてはダントツ1位。

外観ですが、資料をアップにしましょう。

Edojotenshu03
「復元・創作 広島大学 三浦正幸研究室」

屋根は資料にもある通り、銅瓦葺。
これは単にデザイン上の都合だけではなく、
木の瓦に銅板を貼り付けた瓦にすることで、
軽量化にもつながっているんですよ!

そう、この規模の天守を上げるには、
銅瓦葺が必須だったわけです。

そして外壁は、白漆喰塗籠と銅板張黒チャン塗の
ツートンカラー。黒チャンとは松脂と煤で
できた黒い塗料。これを銅板の上から塗ってあり、
全体的に黒が基調の締まった天守。

これも、デザイン性の理由もあったようですが、
風雨に晒されると白漆喰は比較的短期間で
ダメになりやすく、外壁を保護をする意味もあるとか。

個人的に気になったのは、千鳥破風・入母屋破風、
天守も銅板張の青海波文様だったんだ、と。

Edojotenshu04
「復元・創作 広島大学 三浦正幸研究室」

そして、断面図。

Edojotenshu05
「復元・創作 広島大学 三浦正幸研究室」

この図で見える各階の下部に見える小さな長方形。
これが襖であって、高さが約2m。これが2m!!

ということは、各階の天井がとんでもなく
高いんですよね。4倍くらいはあるでしょうか。ひゃー。

そして、地下1階・1階には通柱はないのですが、
図を見ると分かるとおり、2階から3階、
そして、3階から4階、4階から5階に通柱。

その大きさたるや・・・2階から3階の通し柱だと、
60cm×60cm×15mの超巨大な柱が13本!

えーっと、30cmものさしの2倍の長さの
正方形で15m・・・想像を絶するデカさ・・・

この材を取り出すには、60cm角の対角線分の
長さが必要になりますから、60×√2=約90cmとなり、
製材を考えると直径約1mの極太建材が要ります!
樹齢500年~1000年くらいになるとか・・うわぁ。

1階の柱でも、36cm角の7.5m長の柱が
なんと191本も使われてる・・・
これ、ちょうど名古屋城旧天守でも
使われていた材なんですってねー。

これだけ太い材は、もちろんこれだけの
高層建築を支えるためのものなわけですけど、
これだけ太いと、強度もすごい。

一般の木造建築で使われるのが10cm角で、
仮に同じヒノキが使われていたとすると、
柱が折れるように、掛かる力が160倍!

■城郭建築における木材の質

材はほとんどがヒノキが使われていたそうで、
強度・耐久力・木肌の美しさ・香り、どれをとっても
建材としては、最高の品質。

これは、ある意味江戸城天守だから・・・
であって、他城の天守が皆ヒノキ材でつくられていた
というわけではないんだそうですね。

姫路城大天守の場合、ほとんどがヒノキ材ですが、
地下から5階までを貫く心柱だけは、
太い材が調達できず、モミの木なんだそうで、
あまり強度的に見ても、いい材ではないそうな。

奈良時代・飛鳥時代より、寺社建築には、
ヒノキが使われていたようですが、当然なくなっちゃう。
鎌倉後期ごろから、ヒノキが枯渇。
代わりにスギ、続いてツガイヌマキが使われ始めます。

室町時代には、クリやマツ、ケヤキあたりも
使われてくるようになります。このあたりになると、
建材としては、あまりいいものではないみたい。

時代が下るにつれ、マツの比率が上がってきて、
最も材が手に入らない時代が桃山時代。

秀吉は近世城郭を次から次へと建てていくわけですが、
実は、最も材に乏しい時代であったわけで、
大坂城天守にしても、もっと大きな天守を建てようにも
建てるための材が手に入らなかったんですね。

ムリにつくろうとマツ中心につくった
秀吉の建造物は、200年ほどで壊れていったものが
多いんだそうですね・・・ふむ。
じゃ、あの豊臣大坂城も大坂の陣で炎上しなくても、
江戸時代のどこかで倒壊しちゃってたかも?

残ってる建築も半分以上、ヒノキ材に
取り替えられ、生きながらえているそう。

そんな木材調達難の時代に、天守とよばれる
木造高層建築が建てられ始めるわけですわ・・・
よりによって、こんなときに(笑)

てことで、当然天守もマツやスギが多く使われ、
ヒノキをつかった天守は珍しいそう。

現存天守では、1784年に落雷で焼失した
伊予松山城天守が1854年に再建された際には、
ヒノキで再建されたそうですね。

一方、たとえば、いわゆる天守建造のラッシュ時期に
建てられた松江城天守は、ほとんどがマツ、
少しスギが混ざっている程度でヒノキはナシ。

応仁の乱の頃あたりから、木曽檜、その中でも
糸柾(いとまさ)材という年輪幅が
糸のように狭い柾目の材が京で使われ始めたとか。

この材でできた京町屋などは、細い材で
建っていても、材がよいので古い建物でも、
しっかりしているそうですよ!

で、寛永の頃には尾張藩がこの木曽檜に目を付け、
江戸城寛永度天守の建つ頃には、
超巨大な木曽檜が使えるようになったと・・・

秀吉の時代には、心柱に使えるような
大きな木曽檜は見つけられなかったのでしょうかねぇ?
一部、彫刻類に使われたくらい・・

ふーむ、材質の話、ものすごく興味深い
お話しでありました。いやー、来てよかったよ。

まだまだ、続きまっせ。

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