GWは、blog更新のいい時期ですなっ。
ということで、4月後半の城人オフ会の話に。
いやぁ、ほんっとうにtwitterっていいですね、
と水野晴男的に言いたくなる今日この頃。
自らの情報処理キャパの狭さを理由に、
twitterしたら首が回らなくなるかも・・・
といっていたくせにと各方面で謗られつつ(笑)
で、昨年から城関係のアカウントも
フォローしていたんですが、なにやら城人オフなる
集まりが・・・おおっ、そんなモノが!
さすがに城関係の集まりは今まで皆無で、
これはおもしろそう・・とエイッと申し込み。
せっかくなんで、前入りしたというわけです・・・
かなりムリをしたんですけどね、実際。
もちろん、交通費節約のため高速バス。
昨今のニュースを聞くとドキドキはしますが・・・
安芸・広島に着陣!えっと・・・
絶賛ウィークデーなので、モロ通勤ラッシュ(汗)

はいはい、城攻めのヒトは歩きましょうねぇ。
約20分、2km弱。意外と近いよ。
途中に・・質屋さんの看板。
最高に貸すって、どゆこと???(笑)

マンホールは紅葉だけ彩色。
鯉も色付けてやったらいいのにね・・・

鯉が描かれているのは、広島城が
鯉城(りじょう)の別名があるからでしょうな。
広島カープのCarpもここが由来。
天気はよろしくないですが・・二の丸太鼓櫓。
ばっちり下見板な好みの櫓です(笑)

回り込んで二の丸表御門。
よい面構えをしておりますなぁ。

もちろん、原爆で倒壊焼失しているんですが、
1934年陸軍第五師団が作成した実測図、あるいは、
古写真などを元に、慶長創建時の工法で1991年再建。
・・・築21年ってことね。古写真は、こんな感じ。

で、今。よーく見ると違いがないわけではないが・・

もう20年を越えれば、すっかりなじんでいますね。
なんですが・・・
なんどもなんども、広島城に行っているはずなのに、
二の丸表御門、太鼓櫓、多門櫓、平櫓に
入れることを知らなくって。入っておきたかった。
てことで、いざ潜入します!

平櫓内。1994年再建で築18年。
いわゆる最近復元の新築櫓とはちょっと違い、
木材の色も、また空間を支配する香りも
時間の流れを感じるものでした・・・うーん、イイ!

平櫓内の解説で、広島城築城開始前年の1588年9月、
大坂城天守に見せびらかしたがりの秀吉の案内で
上っている・・・ってことを知る。
で、こりゃ、吉田郡山に籠もってちゃ、アカンわと。
そりゃー、影響受けるわな。秀吉も広島城を
絶賛したといい、天守は大坂城や聚楽第に
似ている構造なのは、有名な話。
こちらから、二の丸表御門の櫓部分に。

あれ、桐紋って誰か使っていたかな・・・
毛利は言うまでもなく、福島・浅野の桐紋じゃないよね?

釘隠しは質素。二の丸だからでしょうかねぇ。

内部は、着色に寄らないいわゆる古建築の
茶褐色にすっかり変わっており、かなり木材の香りに
深みが出ている感じがする。

こうして木造による城は時が経つにつれ、
貫禄が出てくる一方、コンクリ復元は
時が経つにつれ、だらしなくみっともない姿に。
それでも、コンクリ天守続けますか?
さて、多門櫓に戻って・・おっ、吉田郡山城の
模型が置いてあるじゃないかぁ。

曲輪の数は200を越えるそうで、本丸の一部には
石垣もあったみたい。

なにより・・真上から鳥瞰してみると、
本丸を中心に星形に曲輪が延び、実に興味深い形状。

これは、吉田郡山城にも足を運びたくなりますね!
そして、天守鯱瓦。

これ、再建天守の初代鯱瓦なんですけど、
こう書いてあります。
「原爆で倒壊した広島城を再建する際には
過去の図面や外観写真などが参考に・・」
え??天守指図ってあったのかい?
「天守」とは書いてないにせよ、含みを持たせる
書き方で・・・だったらなんでRCなのよぅ!
とまた文句を言いたくなってしまいます(笑)
で、さらに鯱の情報に乏しかったため、
福山城の筋鉄御門の鯱を参考にしたとか・・・
なんか参考にするトコ、違うような気がするが・・・
ま、気を取り直して・・見上げると
太い梁がどどん。見ごたえありますよー!

堂々とした風格。これですよ、櫓の魅力は。

奥に進むと2階建ての太鼓櫓が見えてきます。

太鼓櫓2階に続く階段・・・は上れませんorz
ここから天守を眺めたいのだけど。

ここにある太鼓で、城門の開閉合図や
藩士の登場の合図をしていたそうだけども、
音が小さかったり、太鼓を打つ時刻を間違える
おっちょこちょいさんもいたそうな(笑)
戦災前の太鼓櫓。ここまでハッキリ写ってると、
復元のよい資料になりますね。

東側から。陸軍の建物が右手に見えますね。

さ・・そろそろ、二の丸を出て
本丸の石垣をじっくり。
・・・の前に多門櫓の好きなアングル・・
こういう角度から撮るの好きです☆
え?わからない?なーんでー!


二の丸の被爆したユーカリの木。
裏側はそうでもないけど・・・・

原爆の方角のほうは、酷く爛れています。
その凄まじさを物語るとともに、
植物の強さを感じますよね・・・

広島城の石垣は三角洲に転がっていた石を
そのまま使ったのも多かったそう。
が、これは岩の違いというよりも、
原爆の影響のように見えるなぁ・・・

当時より、濠の水嵩が低くなって、
原爆投下時には水面下にあった部分が
露出しているように思えてきます。
二の丸は、他城と比べて非常に小さく
馬出しとしての役割の曲輪で、本丸側からは
丸見えに当時からなっていたのも特徴的。

本丸に足を踏み入れると・・・広島城址の碑が
どーんとハデに横倒れ。前もこうだったかな・・
憶えてないけど。何とかしてやれよ。

この日は時間はあったので、じーっくり
広島城の石垣と曲輪を堪能。

一段と高い位置から見ると、二の丸の
丸見えっぷりがよくわかりますね(笑)

櫓が続いていたであろう石垣の上を
歩いて確認することができます。

ここには礎石があったのかな?

中御門跡の石垣。けっこう荒れている・・・
てか、なんか転がってるけど。

中御門の古写真だった・・・もっちょっと、
ちゃんと展示しなさい!
広島城もメンテが行き届いてないなぁ。

雨上がりの広島城石垣。
雨露って、画になりますよねぃ♪

おそらくここに櫓がひしめいていただろう
情景を想像するのも楽しいものではあります。

この先は、搦手にあたる東門ですね。

ここをさらに奥に進むと、本丸北東端。
勝手に石垣の修復をして、幕府から嫌疑を受けた
福島正則が関係な石垣を崩し、誠意を示した・・
といわれるところがココ。

勝手に修築・・とはいえ、正則は修理したいと
何度も申請をしていたのに、幕府はまったくの放置。
で、仕方がなく勝手に修築するのを待って、
改易しようという徳川秀忠の狡いやり方の餌食に。
うう・・・ヒドイよなぁ。
本丸北東端。

礎石がまだ残ってますね・・・
櫓が建たないかなぁ。

さて、ココから西方面に進み天守方向へ。

本丸北面の下段は緑が鬱蒼としていて、
ちょっとした森林浴をしているような感じ。

おっと、天守が見えてきました。
今回はちょっと脇役で・・・手前の石垣。
これ、東小天守の石垣。

広島城天守は、複合連結式天守と呼ばれ、
小天守を東と南に2基備えた
天守だったんですよね。
明治初期には小天守は解体されたようですが・・・
残念すぎます・・・
くるっと回って、こちらが南小天守石垣。
今は南小天守と大天守を繋ぐ廊下から
天守内に入ることになります。

南小天守側からも天守に入れたんでしょうかね?

天守礎石。まぁ、これがあるということは、
RC(鉄筋コンクリート)で復元されたという証、
でもあるわけで・・・

このあたりが、ちょうど東小天守と大天守を
繋ぐ廊下のあたりでこの石段が廊下の中に覆われて、
ここから天守に入ったんですね。

てことで、大天守内へ。
ホントはもっと離れて撮ったほうがカッコいい…
のだけど、今回は大天守は主役じゃないのでね。
# でも、広島城天守は岡山城天守と一、二を争う
# My Favorite天守なのですよー!

詳細な本丸図。ここまでたどってきた道と、
この図を重ね合わせ、あそこにはこんな櫓が・・・
と妄想をたくましくします(笑)

でも、やっぱり残念なのは天守の白い部分が
タダのコンクリなんだよね・・・はぁぁぁぁぁぁぁぁ。

大天守を出て、さらに本丸を一周。
南の端を歩いていると、二の丸表御門が
キレイに撮れるアングルが!おおっ。

ふぃー、久しぶりにじっくり見れたなぁ。
満足、満足。しっかり歩くと暑くなります・・よね?
ということで、広島駅近い猿猴橋町の純喫茶pearl。
まぁ、これも年代モノの純喫茶で、
広島に来るたび、必ず訪れるところなんですよねぇ。

で、定番はミルクセーキ。といっても特徴的な
シャーベット状になってて、火照ったからだには最適。
やさしい甘さもクセになります!

一服したら、広島駅前で広島焼き。
今回はよっちゃんにて、ねぎたっぷりの牡蠣そば入り。


大阪人なのに、なぜかこっちのほうが
なじみがあるんだよなぁ・・うまーい☆
広島だけで・・めっちゃ長くなりましたが、
まだ城人オフ前哨戦ですからね!しかもまだ前半!
先が長くなりそうです・・(笑)
blogramに参加してます。
ボタンを押してもらえるとうれしいですぅ。

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