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2012年5月

城人オフ第2日目・・・備前・岡山城三たび。

幸村!さんとあむさんとお別れしてから・・・
実は、わたしは岡山市デジタルミュージアムに
行こうかなと思ってたんですけど、もう閉館orz

うーん、どうしようか・・・ということで、
岡山城の西手櫓やくまなく石垣を見に行こうぜ!
という話になり、ここからまた城攻めです☆

最新型の路面電車に乗って・・・

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車高が低くて、車窓もちょっと新鮮。

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このあたりの奥にあるんですよねー
なんて話してたら、あの奥だったら見えそうだよね、
というところ、ちょうどカフェになってて。

お店の人が運よく通りがかり、見て行って
いいですよーとありがたいおことば。
そっか、ここって入ってよかったんだ(爆)

で、見えた姿が…これ。岡山城西丸西手櫓。

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石垣も残ってます。石垣から
木が生えてますが(汗)大丈夫かな・・・

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隣のビルからなら、ちょー間近で見れんじゃない?
と思うも、この日はビルが閉まっていて、
潜入不可能でありました(泣)

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網の外から食い入るように石垣を見つめる・・・
一歩間違うと、かなりアヤシイ人です(汗)

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期待していたのはこのアングル。
このアングルしか見れないと、思ってて。
ちょっと見づらいんだけどね。

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残る石垣は、ぜーんぶチェックだ!
ということで、見て回ります。
みんな、重い荷物もあるのに、よくやるなぁ!

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こちらは赤く変色した石山門石垣。

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こんな感じの門が戦前まで残っていたようです。
無念・・・・

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交差点の一角まで石垣が残りますが・・・

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少し行くと切れています。右側の石垣は、
谷積という明治以降に発展していく積み方。
積まれ直されたのでしょう・・・ね。

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このあとは、岡山城本丸下の段、北側をぐるり。
岡山県庁方面に出て石垣のチェック。

六十一雁木門。これ、開けておいてほしいんだけど。
閉じてる理由、あんのかい?

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石垣の切れ目☆
左手が宇喜多秀家時代、右手の拡張部分が
小早川秀秋時代。秀秋のほうが積み方が荒い?

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干飯櫓下あたりの石垣を入念にチェックする
さらさん・・あれだけ城攻めしてきたのに、
元気だなぁ!感服したしましてござります!

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ちょっと角が不自然になっていて、
孕んでいる感じ?ちょっと心配ですね。

県立図書館脇の二の丸の外下馬門石垣を
チェックしつつ・・・

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天守のライトアップも見えてくるくらい
暗くなっちゃいましたね。

P1120512

最後に辛うじて残る二の丸石垣を
拝んで・・・・石垣は見尽くしたかな??

P1120515

P1120517

しかし、ホントよく城をみたなーっと、
かなり充実した時間でした。城人の皆さんと見ると
話も盛り上がるし、いいものですね。

また、こういう機会を持ち続けていきたい!
そう強く感じた城人オフ。参加してよかったー!

最後の岡山城攻め、ご参加の皆様、
お疲れさまでした☆

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城人オフ第2日目・・・美作・津山城。

津山に着いたら、まずはお食事♪
ということで、城下のよし乃さんにて、
津山名物という「ホルモンうどん」をば。
前回、かなり慌しくって、ゆっくりしてないのよね…

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出てきましたぁ♪ 甘辛いタレが食欲をそそり、
コプチャンの甘さとよく合いますわー。

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さて・・・美味しい後は、津山城攻めです☆

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脇の櫓っぽい建物はなんだろう・・・
気になる・・・つやま自然のふしぎ館の一部?

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「忘れられた石」と名づけられた石。
津山城築城時に切り出されるときの残念石。

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津山城築城400年を記念して、修羅に乗せて
市内を練り歩いたあと、400年遅れで(笑)
津山城に運ばれたとの由。

築城したのは、森忠政。森可成の六男、
森長可、成利(乱丸/蘭丸)の末弟。眠そう・・・

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ですが、川中島藩(後の松代藩)主時代には、
苛烈な一揆鎮圧をしているし、津山に入った後も、
家中がいろいろにぎやかなようですが・・(汗)

桜は終わりですなー。かなり葉桜。

P1120292

でも、石垣が立派なのでNo Problem!

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これはナイなぁ・・と思うんだけど。

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往時の津山城全景。
手前の表中門は津山城最大の櫓門。

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これだけだとなかなかイメージ沸かないけど、
表中門の左と接する石垣、こんな高いんだ!

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こういう石垣の実物と先ほどの復元イメージから
往時の表中門を想像しつつ、二の丸に進みます・・・・

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奥まで行くと、復元された備中櫓が
見えてきますねー。他にないカタチの櫓で、
シンボル性が高いってことで、復元対象に。

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備中櫓、どーん。どこか福山城伏見櫓と
共通するイメージ。伏見櫓を二層にした感じかな。

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ここを右折し、切手門跡を進み本丸に
近づいていきます。

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津山城はただひとり、森忠政によって
築かれているはずなんだけど、石垣の積み方が
ここで分かれているのがおもしろい。

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ちょうど、到来櫓下くらいかなぁ。

右手には、弓櫓跡。弓が保管されてたんだろう。

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ここで振り返って、備中櫓を眺めると、
角度の関係で横幅に長い感じがちょっと薄れ、
またちょっと違う雰囲気がするなぁ。

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十四番門のあった先の道が気になるが・・・
ここは泣く泣く素通りする・・・

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本丸に上っていくと・・・なんだか
危なっかしい石垣がぞろぞろ。

石垣の中に木の根っこが入り込んでいて、
隙間も大きいよ・・・大丈夫?

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包櫓(鼓櫓)と太鼓櫓のあった石垣上にも。

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太鼓櫓石垣・・がヤバイ!隙間が多すぎ!

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これ、今にもガラガラガッシャン!と
崩れそうだ・・早く・・早く補修を!!

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どうも本丸の東手の石垣は、かなり傷みと
孕みがあるようで、立入禁止のところもありました。

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月見櫓のあったあたり。先が少し尖ってますな。
どんなカタチの櫓だったのだろう?

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手前に無造作に置いてある石。
幸村!さんがこれは楔の代わりに、
ドリルで穴を開けた跡だよ、と教えてくださり。
現代の加工痕なんですね!

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備中櫓は後で見るとして、天守台のほうへ。
瓦の鶴丸紋がJALのロゴにみえてしゃーない(笑)

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天守すぐ前の六番門の石垣にも、
ちょっと不安を覚えるな。

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五番門のほうは石垣が修繕されているのだけど、
修理前はこんな感じ。やっぱり危ない図。

P1120388

左手のそのままの石垣と修繕された石垣。
その差は歴然ですね・・・

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備中櫓左手から。眺めはよろしい!

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一旦、裏手に回って一周します。
勾配が美しいねぃ!

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七番門跡。通路が狭いなぁ!

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当時の様子。桝形門…とはちょっと違うか。

P1120402

天守の解説をじっくり・・・
なになに・・・1936年に模擬天守が建設?
て、てきとー(笑)

P1120418

往時の天守はこんな感じ。
破風のない潔い天守。最上層はずっと、
開けっぴろげなのなねぇ。

P1120419

古写真を見る限りは、福山城天守と同じように、
何かに覆われていたようにも見えるね。

P1120421

天守台石垣。穴蔵があるということは、
天守の規模の大きさを物語るね。

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天守台に上る階段・・・あら?
これも楔の痕なのかなぁ?

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天守台に上って、全景を。
穴蔵の規模は、甲府城天守台と同じくらい?

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実は、津山城天守って、天守一階から最上階まで、
畳敷きで、トイレや風呂まであったんだって。

安土城や大坂城、岡山城のように、住まうことも
視野に入れた天守だったのかなぁ。

層塔型天守で最新型の天守ではあったものの、
内部もただの物置じゃなくて、ちょっとコダワリが
あったのかなと思うと、興味深いねぇ。

天守最上層には、当時小倉藩主だった
細川忠興から津山城落成を祝って贈られた
釣鐘が掛けられていたそうな。

何で取り壊しちゃったんだろうねぇ・・・・
明治時代のバカバカバカバカバカ!!!

さ、気を取り直して、備中櫓内部へ。
こちらも畳敷きでその様子が再現されてるんですよね!

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畳敷きの櫓に狭間!なんかお茶で飲んで、
寛ぎながら、鉄砲でも撃てそう(笑)

P1120424

お茶席もございますよ。せっかくあるんだから、
ここでお茶を点ててほしいな。

P1120430

最近、必ず注目する釘隠し。
鶴がしっかりと。美しいねぇ!

P1120435

引き手にもちゅうもーく☆
なかなか奥ゆかしいデザインじゃのぅ。

P1120437

二階にも参ります!

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壁には一面、鶴丸紋がすごく手の込んだ
お鶴さま。見ごたえありました。

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備中櫓では、津山城DVDをげっとー♪
やはり、往時をイメージできるCGは大好物。

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外に出ると・・さくら祭りの遺物?
コーヒーがそのまま残ってましたが(汗)

P1120452

お土産として・・・津山城備中櫓が描かれたワンカップ、
美作の美酒「加茂五葉」を。

P1120955

これを美味しく頂きつつ、この記事を書き書き(笑)
完全にジャケ買いでしたが、すっきりした
口当たりのよい日本酒。

ここで一路、岡山駅に向かって・・城人オフ会、
解散であります!幹事の幸村!さん、あむさん、
ありがとうございました!

が・・・まだまだ延長戦があるのです・・ふふふ。

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城人オフ第2日目・・・備中・松山城 (2)

で、じっくりと天守、櫓群を見ていきます。

五の平櫓・六の平櫓の櫓壁が地の色なのに対し、
天守は黒く色が塗られていますが、
これは、柿渋に松煙を混ぜた渋墨で塗られています。

P1120173

これ、天守だけ塗られていたのか??
けっこう渋墨塗って、ポピュラーな気がするので、
櫓にも塗られていてもおかしくないけどね。

ちなみに同じ黒い天守であっても、
天下人の黒天守になると、途端にゴージャス。

豊臣大坂城天守は、黒漆塗と言われていますし、
江戸城寛永度天守は、銅板貼の上から、
松ヤニに墨を混ぜた「黒ちゃん」で塗られています。

雪隠。実際はこの上にどんな建物が
あったんだろうね。

P1120176

これ、天守内に入ってはじめて気づいたのですが、
備中松山城、下見板の張り方が非常に特殊。
よく見ると、板が縦方向に伸びていますよね??

P1120183

そして、板を横に並べていってるんです。
言われてみると、これ非常に珍しい。

たとえば、古式な櫓の松江城天守を見ても・・・

P1110019

広島城多聞櫓・太鼓櫓を見ても・・・

p1110504

そう、板は横に走っていて、
縦に板を並べてますよね。備中松山城と逆。
ほほー!そうなんだ!なんでだろー。

もちろん、天守も縦方向です。

P1120201

こういう様式を「竪板張り」というそうで、
「下見板張り」と対になる様式みたい。
他にも、高知城天守が竪板張りらしい・・・・

P1120204

ということで、昔の写真を引っ張り出す・・・
2005年2月、7年前の高知攻めの際の高知城本丸詰門。
水平方向の桟木と渋墨でわかりにくいが、
確かに材が縦方向に伸びている!わぁ!

P1050431

今度、高知城に行ったら注目しなきゃな~

閑話休題。これ・・・石落としって言うか、
近すぎませんか?(笑)

P1120188

改めて、天守。他の城だったら、
確実にナントカ二重櫓だよな・・・あはは。

P1120193

天守内に入ります。これまで昭和・平成と
修理をされてきています。こうして修理して、
長く持たせられるのが、木造建築のいいところ。

P1120205

P1120206

天守内、あまり木の香りが感じられないのは、
木材の材質の違いですかね・・・

で、この天守、他の諸城と同じく
明治初期に解体の危機に晒されていたんです。

これ、前哨戦の岡山・ニッカバーナン
マスターから伺ったのですが、山頂にある松山城天守、
解体にお金が掛かりすぎて、結果的に残ったそう。

こちらのページにも説明がありますが、
明治政府には解体したとウソを付いて、
そのままにされたんですね・・

ちょっと悲しい残り方ですが、
ま、残ったから良しとしましょう!

ほったらかしにされて残ったので、
昭和の修理の際には、かなり傷んでいたようで。

二度目なのに、天守内の囲炉裏にびっくり・・・
前回見たの、憶えてない(汗)

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いつも思いますが、天井を眺めると
伝統建築の木組みのすばらしさを感じます。

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あちらに見えるのは、裏手の二重櫓。
こちらは渋墨塗ではないようには見えますが・・

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ただ、天守内の修復前の写真を見る限り、
かなり傷んでいたようなので、渋墨が剥げていた
ということも考えられるよなぁ。

昭和の解体修理前の古写真。
ちょっと痛々しいね・・・

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天守内。新築の櫓には出せない
この濃茶の色合いがなんともいえませんな!(笑)

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で、やっぱり上を仰ぎ見る!

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天守二階には、お社。これまた珍しいよね。

P1120224

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天守正面の唐破風を窓から激写。
起くり屋根の千鳥破風もそうだけど、
こういうやわらかい曲線もいいと思うんだよなー。

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さ、天守背面に回ります。
土塀の瓦・・・顔文字に見える(笑)
なんだか、かーいー?

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懸魚が黒く塗られていて、いいコントラスト。

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なかなか見ることがない天守背面。
唐破風が印象的で、シンメトリーな正面とは違い、
入母屋破風の重なり具合が、アシンメトリー。

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正面・背面で雰囲気が違っていて、
澄ました顔の正面とちょっとニギヤカな背面。
うーん、おもしろいなぁ。備中松山城天守。

で、二重櫓。修復はされているはず・・・
なんですが、それでもかなりくたびれた感。

P1120249

ところどころ漆喰の傷みも目立つからかな?
あと、許しがたい落書きもある・・・

P1120250

これを消すためにも、漆喰塗りなおしが
必要な気がしましたね・・・

44.4.13とかって書いてあったので、
昭和44年?ということは相当前だよね??

さて・・・思いのほか、備中松山城が
長くなっちゃいましたが(笑)

次は、最後の攻城地・津山に向かいまする。

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城人オフ第2日目・・・備中・松山城 (1)

さて・・・翌日も備中攻め。少し雨がぱらぱら、
はしているものの、なんとかもってくれて、
城攻めできる範囲だったのがよかったですねぃ。

歩きやすい道もあるのですが、そりゃもちろん、
こちらから攻めてゆくでしょう。

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前回はなんと・・・6年も前!ひょえー。
もうそんなになるのか!というのも、
blogを書いてるからこそ、振り返れるわけよね。

この家紋は誰?なんて話していたわけですが、
どうやら板倉家の家紋・九曜巴だったみたい。

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板倉家というと、京都所司代を務めた板倉勝重に
始まる譜代大名家ですよね。

比較的すぐに石垣がどーん!中太鼓櫓石垣。

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これだけでも十分立派な石垣!
が、大手門跡まで来ると、さらに
その石垣のすばらしさに圧倒されますぜ。

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本丸復元図。どことなく山上の石垣城ということで、
竹田城のような雰囲気もあるね。

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大手門推定復元図。あったらいいのに・・・
櫓の中心と門扉のズレっぷりがおもしろい☆

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京大防災研究所のシステムが入っている
大きな岩。崩れないように監視中。

P1120130

大手門石垣。ちょうど立ってる所に
櫓部分が建っていたわけで・・・
この瓦、大手櫓門の瓦なのかなぁ?

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紋の入った瓦の破片は見つからなかったが・・・

長く続く土塀。こちらも現存モノです。

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長年の風雪に耐え、苔むす瓦。
非常に趣がありますね・・いいわぁ。

P1120144

で、みんなで狭間に顔を突っ込んだりしている・・・
(な図は幸村!さんところで。)
城好きのすることは、わからんわとか
言われそうだけど・・・いいじゃないのさ!

kaiさんからあの狭間、おかしいんじゃね?
という指摘が。確かに外側に広がってるのは、
狭間の使い道からして、変な気がしないでもない。

P1120149

石垣って(櫓もそうだけど)、虎口の折り曲がった
道によって、眼に入るときに角度が付いて
眼に入ることが多いんですけど。

それが石垣を美しく迫力あるように、
見せてる気がしますよね。
いいよー、いいよー、その角度☆

P1120152

あ、楔痕のある石、みーつけたっ。
すっかり、石垣を見るときに楔痕に
眼が行くようになりました(笑)

P1120156

こちらにも・・・

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先ほど、怪しいと言われていた土塀。

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よく見ると、これもホンモノ。
なんですが漆喰が剥がれてますがな・・・
だれかー!お城のお医者さんはいませんかー!

P1120163

カタチとしては、真ん中に向かって細くなり、
守備側・攻撃側ともに外側が広くなってる狭間。
これはこれでアリなんでしょうな・・・

大手門を抜けてすぐの通路が見えます・・
ここから迫る敵兵に火縄銃の嵐を
お見舞いしてやる!(笑)すばばばばば!

P1120165

ここの石垣の積まれ方は、なんなんだ?
角を埋めるような・・・??

P1120167

で・・・来ました!天守です☆
手前は、五の平櫓・六の平櫓・・で、
1997年に復元されたものですが、
天守は、現存十二天守のひとつであります。

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ちょっと長くなりそうなので、
ここいらで切りませう。

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城人オフ第1日目・・・備中・高松城。

さて・・・本日の最終、備中高松城。

全国統一に王手をかける信長軍として、
毛利攻めを進める秀吉の前に立ちはだかった
備中高松城守将・清水宗治。

降雨で増水した水を堤防でせきとめて、
高松城を水没させる水攻めを成功させて、
宗治を自害に追いやった・・・舞台。

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曲輪が一応、再現はされているのだけど、
ちょっと城感には乏しい感じで…しょうがないか。

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なんだけど、宗治蓮にはちょっと感動。

P1120058

城跡整備は1982年になされたようなのだけど、
城があった当時から「蓮池」の地名があったとされ、
城跡整備後、自然にまた蓮が生えてきたのだとか…

その当時の蓮が長い時の眠りから醒め、
また花を咲かせていると思うと、ちょっと感慨深い。

水攻音頭。声に出して読むと、
わかるのだけど、ことばの調子が心地よく、
なかなかよくできているなぁ。

時は天正のその昔
天下制覇の信長が
中国毛利を討つために
羽柴秀吉将となす

破竹の勢なる敵兵の
退路封ぜし高松城
智勇の誉れいや高き
清水宗治ここにあり

攻めあぐみたる秀吉が
謀るは水攻め降る雨に
二十六丁の土堤を築き
足守川の水を引く

増えゆく水の心なく
寄せくる水面(みなも)波高し
城兵五千その頬に
降るは波か五月雨か

今や武士(もののふ)道一つ
などてこの身を長らえん
主家城兵の安泰と
散るや宗治いさぎよき

巡る歳月幾年か
松風さわぐ城跡に
武士の鑑と歌われて
吾が高松の華と咲く

漢詩を読み下してるような感じですね。
地元で慕われている様子もよく感じられます。

残念ながら資料館は、時間が遅く閉館。

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海鼠壁がどこか、倉敷の蔵を思い出させる…って、
倉敷行ったことないけど(笑)

宗治、辞世の句。

浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の
名を高松の 苔に残して

P1120063

秀吉も、その潔さと武士としての矜持に感服、
後に宗治の子、景治は秀吉から直臣に誘われるが、
これを断り、小早川隆景の臣として留まる。

毛利家中でも、非常に厚遇されて、
萩藩家老として清水家は存続。父の残した名誉に
子々孫々、浴しているのですね。

幕末には、宗治十二代の清水親知が22歳で
老中に抜擢、倒幕派として活躍するも、
禁門の変の責任を取って切腹。

代わって、父・清水親春が再度家督を継いで、
騎兵隊を率い、第二次長州征伐の
幕府軍と一戦を交えたそうな。

この先祖にして、この子孫あり。
毛利家に尽くす清水家なのでありました・・・

閑話休題。お隣の宗治首塚。
もっとも、明治に城跡に移されたとのことで
元は秀吉本陣のそばに。合掌…

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看板に描かれる当時の想像図。
真ん中にえらそう(笑)に鎮座しているのが
羽柴筑前守秀吉。眼前には湖に浮かぶ小島のように
なってる高松城・・・・

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城址から少し行ったところ、民家のなかに、
清水宗治胴塚があります。

P1120070

こちらでも合掌・・・した後は、
宗治自刃の地。宗治ゆかりの場所めぐりが
続いてゆきます(笑)

行くまでに気になる建物。
うっすらと「宗治公民館」と読めます。

P1120072

この先がそう。尤も、戦の当時は、
水没しているため、このあたりの舟の上で、
切腹して果てたとの由。

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今では、立派な供養塔があります。

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さて、続いては水攻めの黒幕(笑)
黒田孝高の進言で成ったという
土堤の跡が残る蛙ヶ鼻築堤跡に向かいます。

P1120088

往時は、水をせき止めるほどの長い長い堤で
3kmくらいあったとされていますが、
明治36年の鉄道工事の際に、かなりの土が運び出され、
残った跡はわずかにここだけ。

高松城本丸との高さの比較。往時の堤は
8mくらいあったそうですが、
今じゃ、ちょっと高さは感じにくいかも。

P1120084

看板を見て驚いたのが、1985年にこのあたりを
襲った洪水のとき、あたかも秀吉の水攻め時の如く
あたりがすっかり水浸しになっているんです。
そういう土地だと見抜くのはすごいですね・・・

土塁の上に立ってみます。
ホントはもうちょっと高かったんだろうな。

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ここからの眺めが、湖のように
なっていたんでしょうなぁ・・・

P1120093

まだまだ進みます。秀吉本陣跡へ。
もともとも宗治首塚もこちら。

P1120094

しかし、ちょっとわかりにくい・・・
ひとりで来ると迷うかも??

少し小高い小山を上がったところ、
宗治首塚の看板が見えてきますよ!

P1120095

こちらがその碑。明治に移されたときの碑…
のはずですが、異様に風化しています。なぜ?

P1120100

天正十年六月三日
清水宗治首塚跡
明治四十三年二月
高松城趾移轉

とあります。かろうじて読めるレベル・・・

当時は、このあたりに持宝院という寺があり、
そこを本陣としていたようで、今でも高松城を
はっきりと見下ろせる視界が広がっていますよ!

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さっきの看板を思い出しながら、
風景を眺めるとおもしろいですね!
あのへんが高松城、かな?

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さて、1日目の城人オフは終了!
岡山に戻って、酒宴。

何が楽しかったって・・・名城天守閣トランプ
解説を読んだり、自分の知ってる知識を
披露しつつ、何城かを当てるクイズ!

絶対こんなの、城好きとでしかできないもん!
たーのーしーいー!!酒よりもそっちが
印象に残ったひとときでありました。

で・・・部屋に戻ってもまた飲んでるし(汗)

P1120109

翌日は、朝から現存十二天守のひとつにして、
もっとも標高が高いところに残る天守を擁する
備中松山城に向けて進軍いたしまする。

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城人オフ第1日目・・・備中・鬼ノ城。

ふーむ・・ちっとも進みませぬなぁ・・
ということで、まだまだ城人オフ前半。

岡山城を出た後は、備中・鬼ノ城。
これ・・古代の城なんですねぇ。道理で知らないわけだ。

一説に百済国の王子温羅が、吉備国にたどり着き、
この鬼ノ城を拠点に暴れまわったとも、
白村江の戦い(663年)で敗れた大和朝廷が、
大陸からの追撃に備えて築いたとも言われる城。

何より、663年というと備前・備中・備後・美作に
分かれる前の「吉備国」があったという大昔。

こういう城に行くのもいいですな!

途中、吉備SAにてデミカツ丼。
岡山に来て毎回ずっと逃していて、
ようやくありつけた・・・

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ま、美味しいんだけど、デミグラスソースが
強すぎて、単調な感もなくはない・・

さて、鬼ノ城の麓、鬼城山ビジターセンターに着。
さっそくこんなんを見つけて、浮気心を
チラホラさせる方もいたり・・・(笑)

P1110893

鬼ノ城がターゲットですからね!
というところでずんずん・・進む・・と!?
なんとも変わった城壁に見慣れぬ櫓門。

P1110901

この古代山城、朝鮮半島の城々との共通点が
多いらしく、いろいろと新鮮。というか、
まったくの素人で城を回るってのがなかなかないから。

もちろん、復元されてはいるんだけど、
石垣と土塁が組み合わさってるんだよね・・・
ここは角楼と呼ばれる張り出した部分。

P1110915

復元前はこんな感じ。
それでもけっこう遺構はわかる感じ。

P1110921

この土塁、版築土塁という特殊な土塁。
底石を城壁を築く周に沿って並べ、
少し土を盛っては、しっかり固めてまた
盛って固め・・を何度も繰り返し、
薄い層状の土塁を重ねてつくっていきます。

き、気が遠くなる・・・が、いわゆる
後代の戦国時代の土塁よりも、はるかに堅固に見えます。

復元櫓門である西門。ここが一番保存状態がよかったよう。
残念ながら、階上には上がれませぬ~

P1110918

櫓だけ見ると、戦国時代の山城の櫓と
そう大差はない・・・気もしないではない。
や、むしろこっちのほうが立派かも?

P1110926

後に、温羅は大和朝廷から派遣された吉備津彦命が
制圧したことに伝説ではなっているのだが、
まぁ如何せん、記録が乏しすぎてほとんど情報ナシ。

なので、こういった祠のようなものが鬼ノ城の外周に
転々としていても、よくわからないのです・・

P1110930

櫓下。なかなかよい仕事ですな。
門扉部分の手触り感が好き。

P1110932

P1110933

西門再建前の石垣の様子。柱礎がくっきり!
1,400年以上前の遺構とは思えない。

P1110934

外側から。ここは石垣じゃなく版築土塁。

P1110939

少しずつ区切ってつくっていくことで、
切れ目ができるんだろうかな。

P1110941

古代山城なので、野面積・・とは
言えないでしょうが、どこか似た雰囲気を感じます。

P1110942

がこちらは、要所要所に排水溝としての水門があり、
水抜きをする仕組みになっているので、
けっこうカッチリと組みあがっているのかもしれません。
・・・てことで、第0水門。

P1110946

日本はもとより、琉球でも中国でもない、
不思議な感じだなぁ・・・古代は知識ないので、
余計にそう思うのかもしれませんな。

P1110949

復元前の状態。石垣の状態は非常によく、
版築土塁も風化はしているものの、
しっかりした存在感はあるなぁ。

P1110951

また祠・・・この小さな石を崩したようなのは、
元からなのかなぁ。何百年も??

P1110955

言われないと、この写真だけだったら
戦国期の石垣と見間違えそう・・・大和朝廷が
築いたという説が有力みたいだけど、
なぜこんなに高い土木技術が驚きます!!

P1110959

水は流れてないけど・・第二水門。

P1110960

奥はどうなってんだろう・・・見えぬ!

P1110961

湿地にってどこが?という感じだけど、
ある時期まではそうだったんだろうね・・・

P1110962

ということは、あの水門にも水が
滔々と流れていたのかもしれないな。
雰囲気がだいぶんと変わるかもねぇ!

さてさて、ずんずんと進んでいきます☆
えっと・・・何にも柵ナシ!わぉ。

P1110966

断崖絶壁でも、さらさんが突撃していくさまは
見ていてハラハラしますわ・・(汗)

といいつつ、何とかギリギリまで近づいて、
写真を・・・ふぅ。

P1110967

南門跡。こちらは柱礎のみ再現。
西門が全体的に復元されているのと対比すると
その構造がわかりやすくなっております。

P1110971

ま、まむし!城人で行くと、すぐに道三か!
と声がかかるのはさすがです(笑)

P1110980

こちらは・・後年のものでしょうか、
岩に仏さまと「五番」と彫りこんであります。

P1110985

石垣と目の前に広がる総社の絶景。
これ、外側から気球とかで見ると
見ごたえあるだろうな!

P1110986

東門跡。こちらは復元はなく
遺構としての状態がよく確かめられます。

P1110994

しかし、門の通りであったところと思われる
場所に大きな岩が・・しかも傾斜がけっこう急だし!
ど、どういう門だったんだろう?

P1110997

しかも、この門から先、道なくね?
どういうところに通じているのか・・謎。

屏風折の高石垣といわれている石垣が
ピンっと張り出した部分。

P1110999

よー、築いたな!というのもあるんだけど、
ここを石垣にするのって、どういう意図があったのか。

第五水門・・が下の道にあるようですが・・・
ま、いっかと思っていたら、ゆうり隊長率いる
水門遊撃隊が出陣!(笑)

P1120006

で、屏風折の高石垣。ここまで何事もなく
書いてきていますが、風がすごいの何の・・・・
特にこういう出っ張ったところだと、
風の強さを強く感じちゃいます。落ちちゃいそう(汗)

この石も落ちちゃいそう(大汗)
ちゃんと風景を撮ってないし(爆)

温羅舊跡の碑。「舊」は「旧」の旧字。
わたしは二条城で憶えました。
東大手門前に「史蹟 舊二條離宮」と碑があります。

P1120021

ま、伝説の域は出ないわけですがね・・・
さて、ここからは遺構は乏しく
ひたすら、北門を目指しててくてくてく・・・

ちゃらちゃらちゃら~♪
どるい が あらわれた!コマンド? さら「とつげき」。

P1120023

土塁があると、進みたくなるさらさん(笑)
で、思いもかけないところから出てきてビックリ☆

北門。こちらも復元はほぼナシ。
石垣はある程度、後年積み直したものなのかな。

P1120025

いまではこんな感じで道が続いてるけど、
往時はどういう道になっていたのだろう・・・

P1120031

北門から近いのが、少し奥に入った建物礎石。
倉庫など7棟の建物跡らしいが・・・

P1120034

これだけの規模の城なのに、どう詰めていたのかが
あまり想像できない・・まさかこれが本丸に当たる
ところじゃないよね?よね?

で、西門に戻ってきて一周。
このあと、ビジターセンターに戻って、
今見てきた鬼ノ城を資料で振り返ります!

P1120038

真ん中に建物がぽつん・・うーん。
兵は外周に構えるつもりなのかなぁ??

西門の別の想像図。三層櫓として復元されたが、
二層櫓だったかもしれない、ということらしく・・・

P1120046

版築土塁のお勉強。杵のでっかいヤツを使って、
土塁を固めるらしい・・って、
えぇ?どんだけ時間かかんねん!

P1120043

ここで、鬼ノ城終了!歴史知識はあまりなかったけど、
なかなか新鮮でおもろかったーん。

このあとは、備中高松城。
秀吉が水攻めを成功させ、毛利方の清水宗治を
切腹に追いやった舞台となった城。

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城人オフ第1日目・・・備前・岡山城再び。

さて、日があけて・・・今日から城人オフです。
皆さま、この日に岡山に到着されるとの由。
一足早く、岡山城大手門脇にてお待ち申し上げる・・・

雨が心配されたこの城攻め、まずは
お日柄もよく城攻めにはもってこいかと・・・

P1110770

で、あ!あの車・・・かな?
皆さま、ご登場です☆ twitterのアイコンで
初対面ながら、一発でわかったそうです(笑)

幹事幸村!さん、あむさん、そして、さらさん、
ゆうりさん、ローム390さん、kaiさん、
岡山城のみスヌコモモさんという布陣。

あむさんお手製のしおり付き!
岡山城天守、かわええ(*^^*)

P1120882

改めて、内下馬橋方面から岡山城本丸にGo!

P1110773

この石垣の上には、三重の太鼓櫓がありました。

P1110774

往時の写真を手持ちの写真集から・・
思い浮かべて眺めると、また盛り上がるというもの。

P1120884

岡山市デジタルミュージアムにある
精巧な模型でもイメージを沸かせることができます☆

P1250656

右端の石でかっ!でも、実は薄っぺらいという(笑)

P1110776

こちらも薄い!威厳というか、ものめずらしさで
一杯の石垣ですねー、よくよく見ると。

P1110778

前日も見た大納戸櫓の石垣。
立派な石垣に戴くは沼城の旧天守。
天守が一櫓として移築されるとは、
その規模の大きさがうかがい知れますね!

P1110779

古写真。ほらほら、立派な天守格の櫓。
御三階と言われても、納得できる風格!

P1120888

ここで、幸村!さんの石垣講座~
よくよく見えると、石割の際に打ち付ける
楔の後がしっかり残った石があります!

P1110783

しっかりした直線はより後年のもの・・・

P1110784

楔跡の線が甘いのはより時代が古いもの、
と築かれた年代のおおよその目安になりそうです。

P1110786

江戸城などの天下普請ではないので、
刻印を見つけるのは難しそうですが、楔跡を
見つけるのはなかなか楽しい。あっ、あそこにも☆

P1110787

石にも木のように、割れる方向が決まっていて
割れない方向に楔を打っても割れにくい。
その方向に打ってしまった石も使われています。

P1110789

割れなくて、使われないと残念石と呼ばれますが
これは結局使われた・・・ということで、
残念石ではないんでしょうね?

天守は・・・まぁ、前日撮りまくったから
そこそこにしておいて(笑)

P1110799

月見櫓を内面から。前日の福山城のように、
欄干なり、外の風景を楽しめる構造になっていて、
普段は風雨を避けるようになっているんだろうなぁ。

P1110802

ねぇねぇ・・・月見櫓に入って、
お月見イベントとかないの・・・ねぇねぇ。

何を保管してあったのだろう。気になる。

P1110808

宇喜多秀家の時代に築かれた石垣。
現在の中の段(表向)からさらに数メートル下に
隠れていて、小早川・池田両氏の時代に
拡張される前の貴重な石垣。

P1110819

こんなにも地下に埋まってるんですよね~
宇喜多時代と今では、かなり本丸の形状が違いそう。

P1110824

幸村!さんが見つけた・・・平重門。
ん・・たいらのしげかど?
いやいや、いませんそんなひと(笑)

P1110825

平将門と竹中重門(半兵衛重治の子)が
ミックスされちゃったかな(笑)

さてさて天守にも。ことあるごとに、
岡山に来ては天守を撮ってハァハァしてますが(笑)
けっこう天守内には入らなかったりするんですよね。

P1110834

あ・・・見ちゃいけないものを
みてしまった・・・(汗)

P1110836

桃の飾り瓦。kaiさんのお話では、
魔よけの一種ということなんだけど、
岡山だけに観光目的?なーんて思っちゃう。

P1110839

てか、これホンモノの金箔かなぁ。
裏からも見られることを意識して、もちょっと
キレイに箔を張って欲しい気も。

「為政者」を「偽政者」とするマチガイを
目ざとくみつけるゆうりさん・・・わかるわかる!
そゆの見つけるの、楽しい♪

P1110842

旧天守内写真。こんなのもあるんだったら、
木造再建してほしいよなぁ・・マジで。

P1110844

岡山城天守、豊臣秀吉の大坂城天守と同じく
天守内に城主の座所があったそうな。

住むことのできる天守という安土城からの
織豊城郭天守のごく一部に見られる特徴を備えていて、
なかなか珍しい一面を持っているんだよね・・・

一応、今でも城主の間が再現されていて、
コスプレすることができます(笑)
てことで、ロームさんが城主にへーんしん(笑)

P1110854

うわうわ、なにこれ・・・ほしい・・・
とりあえず岡山城天守があったら、何にでも
飛びついちゃいそうな勢い(笑)

P1110870

個人的には西の丸西手櫓内部の写真が
あったのに興奮・・あ、ひとり興奮ポイントが
ズレてる・・??シツレイしました(笑)

さて・・・岡山城はこのくらいにして、
鬼ノ城に向かうことにいたします。

本丸北面、内堀の北面にある民家。
こんな近くに住めるなんて・・・うらやま。

P1110876

駐車場から岡山城天守を眺めながら、
発車いたしまつ~

P1110886

スヌコモモさんとは、ココでお別れ・・・
またいつの日かご一緒しませう!

あむさんからの九州土産をはむはむ・・
城ツナガリということで武者返しをチョイス☆
あむさん、ありがとーん。

P1110888

はっ・・・全然進んでないじゃないか・・
むー、如何するかのぅ・・・

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城人オフ前哨戦・・・備前・岡山城&ニッカバー・ナン

翌日、行くのわかっているのに、
ちょっとフライング・・・で、岡山城。

岡山のホテルはもう最近はここばっかし・・
ホテルエクセル岡山」。

何がいいって・・・岡山城のキャッスルビューが
ホテルから眺められるんです。もう・・それだけで、
ここにするでしょー!

P1110624

できれば、岡山県庁のある南面か、
後楽園の方角で高いところから見えると、
言うことナシなんですが・・ま、贅沢は言うまい。

まだ日が落ちてないので、ちょっと見て回りますか・・・
月見櫓。もちょっと木々の邪魔がなくなると
よいのですがねぇ・・・

P1110626

P1110627

で、天守。わたしが愛してやまない漆黒の天守。
あぁ、これが現存天守であったなら・・・

P1110630

天守南面。まぁ、石垣崩して入り口つくってる
腹立たしさは置いといて・・真南から見ると、
三層目の入母屋が左右でちょっと歪んで見えません?

P1110632

実は、これこそ天守が五角形である証。
だいたいは四角形だけど、多角形をしているのは
安土城の六角形と岡山城の五角形くらいかと。

天守台礎石。この礎石が露にならず、
木造天守の礎になる日が来るといいな・・・

P1110633

不明門(あかずのもん)。といいつつ、
いまや、開きっぱなしですけど・・・

P1110639

こーゆーのよくないと思うんだよな。
ふんっ!

P1110637

不明門下の石垣。ここも戦災の影響なんでしょうかね。
どうなんでしょうね・・・

P1110643

大納戸櫓の石垣。ここにあの櫓があったよね・・・
天守以外では岡山城内最大の櫓。

P1110645

さて・・・そろそろ、ブルーモーメントの時間。
ホントね、この時間の空が好きなんだ。

P1110679

岡山城天守、往時の下見板には
黒漆が塗られ、陽の光に当たるとあたかも
烏の濡れ羽色の如く美しく輝いたという・・・・

現代ならライトアップもあるわけで、
そんな美しい漆黒の天守、暗闇に照らされてこそ、
美しかっただろうに・・・うううぅ。

P1110683

暗くなると、わずかにある白漆喰
(復興天守は違うと思うけど)が際立って、
白の美しさもよくわかるんですよね・・・

P1110685

すっかり暗くなっても、何度も何度も
ホント、この月見橋から眺める岡山城、
どなたかライブカメラ設置してくれないかしら。

P1110726

この後は・・・ホテルエクセル岡山から
南にちょっと行ったニッカバー・ナンに向かいます。
前回行けなくて悔しくって・・ね。
路面電車・西大寺町駅が近いかな。

P1110764

な、なんと・・マスターは御年74歳。
1960年に創業、52年超老舗。NBA岡山支部加盟のBarで
一代でやっているBarとしては、最も古いとか・・・

ホントにいろいろ貴重でありがたいお話が聞け、
楽しい時間でしたよ。

マスターがBarをはじめられた頃のお話を
貴重な写真をお見せくださりながらお聞きしたり・・・
親父から聞く昔のBarの話とも交錯して、
古き酒飲みの時代に思いを馳せつつ・・・

ニッカバーではありますが、あの古書「洋酒天国」が
普通に置いてあるんですよ・・・すげぇ。

そして、ご自慢のボトルの数々。
え・・これって、博物館行きですよね?
という陶器のヒゲのおじさんボトル。
うわうわ、さわっちゃった!きゃー。

P1110765

そのほか、陶器ボトルの瀬戸大橋開通記念。
このカタチのボトルは別の絵柄で持ってはいるのですが、
これは知りませんでした!さすが、地元岡山。

P1110766

極めつけは・・カラではあったのですが、
スペシャル余市20年。余市の文字がデカい!

P1110769

長年ニッカに功績があったということで、
ニッカの方が訪問されて頂いたそうですよ・・・

余市蒸留所二十年貯蔵シングルモルト
貯蔵樽厳選特別限定製造、とあります・・・
どんなのだったのか・・とにかく、マスターは
考えられないくらい美味しかったとおっしゃっていました。

P1110768

ラベル左隅にある竹鶴威・ニッカ相談役の
サインが貴重すぎる。うわうわ。

P1110767

ラインアップ的にはたぶん西日本では、
広島のニッカバー今市さんが一番すごいと思いますが、
ここでしか聴けない話がいろいろあると思います。

明日から城好きの会に参加するんですよ、
と言うと、しばし城の話にもお付き合いいただいて・・
ホントいいですよね、お城はと。

毎朝、岡山城をぐるっと本丸にも入って、
散歩されているのだそうですよ。
岡山城を気軽に散歩なんて・・うらやましすぎる!

いつまで続けられるか・・とおっしゃって
いたので、札幌すすきののBarやまざきさんの話を
させて頂きました。(マスター今年で92歳)

そうすると、そんな先輩がいるんだと目を輝かして
まだまだがんばらなきゃ、と。いまだに常連さんが
よく集われるようですが、わたしもぜひ、
岡山に来たときには必ず伺いたい・・そんなBarでした。

ニッカファンの皆さま、押えておいて
損はないBarでしたよ・・・

さて、いよいよ翌日からは城人オフに出陣!!

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城人オフ前哨戦・・・備後・福山城

うー・・・また間が空いてしまった・・・
先週は、ウイスキー飲みの祭典・Whisky LIVEが
あったのでしょうがないんだけど、
昨日も今日もここまで書けず・・たまる・・

ということで、ちゃっちゃと城人オフを
書き上げちゃいましょう!

ていうか、まだ城人オフそのものに
到達していませんから・・・

やってきましたのは、福山。
駅から近い城なので、新幹線ホームから
バッチリ見えるのです!重文・伏見櫓!

P1110521

一層・二層部分が同じ幅ではあるのですが、
意外と違和感なく、見た目も優雅な櫓に
仕上がっておりますよ。

駅北口に下りてすぐに出てくるのが、
本丸石垣。往時は濠があったが埋められている・・・

P1110523

福山城、濠が豊かに広がっていたように
思われるのだが、すべて埋め立てられているのが
残念なところ、その1なんですよね・・・

そして、伏見櫓に接近!
ここの石垣の色の違いは何だろう・・?

P1110527

石材の種類は花崗岩とのことなので、
戦災による変質だろうな。伏見櫓自体は戦災を
免れているので、結果的に石垣の上部が
変質から免れたのだろうね。

奥には、筋鉄御門。こちらも重文です。
一瞬、肘鉄御門に見える・・どんな門やねん!
通る際に肘鉄食らわされる門(笑)

P1110528

こちらも伏見城遺構とされ、徳川系の城門で
あることが見た目からもよくわかります。

P1110535

ちなみに、筋鉄御門とは門扉の部分に
鉄板が張られていることによるものであって、
他城だと鉄門(くろがねもん)などと呼ばれてますね。

実は、文献には筋鉄御門という名は見当たらないらしく、
伏見城遺構ではない可能性もあるようです。

筋鉄御門前から伏見櫓後方。
櫓のあったところだけがキレイに焼けずに
花崗岩の色を保っています。

P1110539

筋鉄御門内側。内側は窓が少ないことが多いが、
こちらは潔くまったくナシ!

P1110541

で、筋鉄御門を過ぎたところの土塀が
これなわけですよ・・・城好きがっくりポイント。
やー、いつ見てもナイわー、これ。

P1110540

福山城天守。数ある復興天守のなかでも、
(旧鶴ヶ城もそうだけど)赤い欄干の天守って、
ダメなんですよね・・・ウソ臭くて。

P1110543

実際の天守にも欄干はあったようですが、
四方を板張りにして風雨からしのぐことができる
構造になっていたようです。手持ちの写真集より。

P1110603

もちょっと、わかりやすいのはこちらから。

鐘櫓。1979年に桧皮葺から銅版に
変えているらしいのだが・・いいのかそれ?

P1110549

ただ、築城当時からあったとされるれっきとした
重文なんですけどね・・扱いがぞんざいな気がしてならぬ。

P1110559

伏見櫓を改めて内側から。・・やはり公開してない。
入りたいぃぃぃ・・・

P1110551

無駄とわかっていながらとりあえず扉を・・
やっぱり開かない(泣)

P1110570

伏見櫓にかかるこれは・・何ぞ?

P1110556

あぁ・・避雷針なのか。もちょっと目立たないように
できないものかねぇ。大事なものではあるけど。

P1110555

御湯殿。筋鉄御門・伏見櫓と並んで、
伏見城から移築された本丸御殿にあった湯殿。
戦災で御殿ともども焼失したが、
なぜかこれだけ復元されたようで・・・

P1110571

天守のような高層建築ではないからか、
木造で復元されているようにも見えるけれど、
タイミングは天守と同じ。

P1110575

月見櫓も同時期の復元櫓。
だから・・・赤い欄干はやめいと言うとるがな。

P1110577

少なくとも、手元の古写真を見る限り、
いろいろ異なります・・残念櫓。

P1110582

それと復元土塀の瓦。割れたら割れっぱなし・・・
ありえないよね、城人的に。
せめてちゃんとメンテしろよ!(怒)

P1110578

P1110586

ニセ白漆喰も塗装が剥がれて、
グレーのコンクリが丸出し…みっともない。

P1110579

鏡櫓も、やっぱり適当感が否めない。

P1110585

明らかに入り口のところとか、
コンクリでべたっとやってるしね・・・・
かなり遺構が壊されている印象。

P1110587

鏡櫓下の石垣は、孕みが出てきていて
危険、近づくな!との由。

P1110589

もいちど、月見櫓。大きな唐破風が
あったのは確かみたいですね。

P1110590

石垣の残り具合はいいんですけどね・・
個人的に切込接よりも打込接くらいの遊びが
あったほうが好きだなぁ。苔生し具合も◎。

P1110592

ぐるっと北側に向かうと・・・なーんも
書いてないけど、おそらく天守礎石なのかなと想像。

P1110598

天守北面。この天守は極めて普通なかっこを
しているんだけど、実は当時は総鉄板張りだったそう。

P1110597

鉄板張りで北面だけ真っ黒な天守。
これこそ、福山城天守の個性なのになー・・・

北側をぐるっと回り・・・あれ、この石垣の
オレンジ色なのは何でなんだ?わからぬ・・

P1110601

さ、とりあえず天守に入りますか・・・
中はまぁまぁ(撮禁)それなりに見るんですが、
昭和30~40年代の感じが残ってますね。

基本的にこの時期の「古臭さ」も悪くはないのですが、
殊、城となると残念感になっちゃいますかね。

で、天守最上階。景色を見るよりも、
コンクリ塗装の剥がれが気になってしょうがない。

P1110604

降りるときに気づいた江戸城と安土城。
何でここにあるんだろう。

P1110608

以前はペーパークラフトを売っていたそうで、
福山城のほか、江戸城や安土城も。
これ・・・なかなかよくできてる。
福山城も忠実にできていたのかなぁ・・と想像。

これなら、今あったら買って帰るのにぃ。
江戸城寛永度天守。

P1110610

ちょっと傾いてるけど・・安土城。
よく見るタイプ(安土町城郭資料館にあるような)。

P1110612

天守で案内図を見て知った、開発の波に
かろうじて残った三の丸の石垣たち。よくぞ・・

三の丸東・涼櫓台石垣。
ファミリーマート福山駅北口店横。

P1110613

三の丸南西角外堀石垣。
さんすて福山前駐車場内。

P1110614

三の丸西御門枡形櫓台石垣。
これ、福塩線ホームの下にあるんですよね!
広島県立歴史博物館前にあります。

Dsc_0299

さて・・そろそろ、備後を発ち、
備前のお宿へ。名残惜しく伏見櫓を眺めて・・・

P1110617

実は、福山城、こんなプロジェクトがあります。
いいなこれ・・・賛同したい。(天守のメンテもキチッとね)

さて、備前国で城人オフ前哨戦の最後です。
(え、まだあんの?笑。)

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城人オフ前哨戦・・・安芸・広島城

GWは、blog更新のいい時期ですなっ。
ということで、4月後半の城人オフ会の話に。

いやぁ、ほんっとうにtwitterっていいですね、
と水野晴男的に言いたくなる今日この頃。

自らの情報処理キャパの狭さを理由に、
twitterしたら首が回らなくなるかも・・・
といっていたくせにと各方面で謗られつつ(笑)

で、昨年から城関係のアカウントも
フォローしていたんですが、なにやら城人オフなる
集まりが・・・おおっ、そんなモノが!

さすがに城関係の集まりは今まで皆無で、
これはおもしろそう・・とエイッと申し込み。
せっかくなんで、前入りしたというわけです・・・
かなりムリをしたんですけどね、実際。

もちろん、交通費節約のため高速バス。
昨今のニュースを聞くとドキドキはしますが・・・

安芸・広島に着陣!えっと・・・
絶賛ウィークデーなので、モロ通勤ラッシュ(汗)

P1110267

はいはい、城攻めのヒトは歩きましょうねぇ。
約20分、2km弱。意外と近いよ。

途中に・・質屋さんの看板。
最高に貸すって、どゆこと???(笑)

P1110268

マンホールは紅葉だけ彩色。
鯉も色付けてやったらいいのにね・・・

P1110269

鯉が描かれているのは、広島城が
鯉城(りじょう)の別名があるからでしょうな。
広島カープのCarpもここが由来。

天気はよろしくないですが・・二の丸太鼓櫓。
ばっちり下見板な好みの櫓です(笑)

P1110273

回り込んで二の丸表御門。
よい面構えをしておりますなぁ。

P1110275

もちろん、原爆で倒壊焼失しているんですが、
1934年陸軍第五師団が作成した実測図、あるいは、
古写真などを元に、慶長創建時の工法で1991年再建。
・・・築21年ってことね。古写真は、こんな感じ。

P1110297

で、今。よーく見ると違いがないわけではないが・・

P1110508

もう20年を越えれば、すっかりなじんでいますね。
なんですが・・・

なんどもなんども、広島城に行っているはずなのに、
二の丸表御門、太鼓櫓、多門櫓、平櫓に
入れることを知らなくって。入っておきたかった。
てことで、いざ潜入します!

P1110279

平櫓内。1994年再建で築18年。
いわゆる最近復元の新築櫓とはちょっと違い、
木材の色も、また空間を支配する香りも
時間の流れを感じるものでした・・・うーん、イイ!

P1110281

平櫓内の解説で、広島城築城開始前年の1588年9月、
大坂城天守に見せびらかしたがりの秀吉の案内で
上っている・・・ってことを知る。
で、こりゃ、吉田郡山に籠もってちゃ、アカンわと。

そりゃー、影響受けるわな。秀吉も広島城を
絶賛したといい、天守は大坂城や聚楽第に
似ている構造なのは、有名な話。

こちらから、二の丸表御門の櫓部分に。

P1110302

あれ、桐紋って誰か使っていたかな・・・
毛利は言うまでもなく、福島・浅野の桐紋じゃないよね?

P1110307

釘隠しは質素。二の丸だからでしょうかねぇ。

P1110310

内部は、着色に寄らないいわゆる古建築の
茶褐色にすっかり変わっており、かなり木材の香りに
深みが出ている感じがする。

P1110318

こうして木造による城は時が経つにつれ、
貫禄が出てくる一方、コンクリ復元は
時が経つにつれ、だらしなくみっともない姿に。
それでも、コンクリ天守続けますか?

さて、多門櫓に戻って・・おっ、吉田郡山城の
模型が置いてあるじゃないかぁ。

P1110333

曲輪の数は200を越えるそうで、本丸の一部には
石垣もあったみたい。

P1110341

なにより・・真上から鳥瞰してみると、
本丸を中心に星形に曲輪が延び、実に興味深い形状。

P1110338

これは、吉田郡山城にも足を運びたくなりますね!

そして、天守鯱瓦。

P1110326

これ、再建天守の初代鯱瓦なんですけど、
こう書いてあります。

「原爆で倒壊した広島城を再建する際には
 過去の図面や外観写真などが参考に・・」

え??天守指図ってあったのかい?
「天守」とは書いてないにせよ、含みを持たせる
書き方で・・・だったらなんでRCなのよぅ!
とまた文句を言いたくなってしまいます(笑)

で、さらに鯱の情報に乏しかったため、
福山城の筋鉄御門の鯱を参考にしたとか・・・
なんか参考にするトコ、違うような気がするが・・・

ま、気を取り直して・・見上げると
太い梁がどどん。見ごたえありますよー!

P1110346

堂々とした風格。これですよ、櫓の魅力は。

P1110356

奥に進むと2階建ての太鼓櫓が見えてきます。

P1110357

太鼓櫓2階に続く階段・・・は上れませんorz
ここから天守を眺めたいのだけど。

P1110348

ここにある太鼓で、城門の開閉合図や
藩士の登場の合図をしていたそうだけども、
音が小さかったり、太鼓を打つ時刻を間違える
おっちょこちょいさんもいたそうな(笑)

戦災前の太鼓櫓。ここまでハッキリ写ってると、
復元のよい資料になりますね。

P1110385

東側から。陸軍の建物が右手に見えますね。

P1110386

さ・・そろそろ、二の丸を出て
本丸の石垣をじっくり。

・・・の前に多門櫓の好きなアングル・・
こういう角度から撮るの好きです☆
え?わからない?なーんでー!

P1110304

P1110504

二の丸の被爆したユーカリの木。
裏側はそうでもないけど・・・・

P1110391

原爆の方角のほうは、酷く爛れています。
その凄まじさを物語るとともに、
植物の強さを感じますよね・・・

P1110395

広島城の石垣は三角洲に転がっていた石を
そのまま使ったのも多かったそう。
が、これは岩の違いというよりも、
原爆の影響のように見えるなぁ・・・

P1110399

当時より、濠の水嵩が低くなって、
原爆投下時には水面下にあった部分が
露出しているように思えてきます。

二の丸は、他城と比べて非常に小さく
馬出しとしての役割の曲輪で、本丸側からは
丸見えに当時からなっていたのも特徴的。

P1110401

本丸に足を踏み入れると・・・広島城址の碑が
どーんとハデに横倒れ。前もこうだったかな・・
憶えてないけど。何とかしてやれよ。

P1110404

この日は時間はあったので、じーっくり
広島城の石垣と曲輪を堪能。

P1110406

一段と高い位置から見ると、二の丸の
丸見えっぷりがよくわかりますね(笑)

P1110407

櫓が続いていたであろう石垣の上を
歩いて確認することができます。

P1110412

ここには礎石があったのかな?

P1110413

中御門跡の石垣。けっこう荒れている・・・
てか、なんか転がってるけど。

P1110414

中御門の古写真だった・・・もっちょっと、
ちゃんと展示しなさい!
広島城もメンテが行き届いてないなぁ。

P1110416

雨上がりの広島城石垣。
雨露って、画になりますよねぃ♪

P1110422

おそらくここに櫓がひしめいていただろう
情景を想像するのも楽しいものではあります。

P1110425

この先は、搦手にあたる東門ですね。

P1110427

ここをさらに奥に進むと、本丸北東端。
勝手に石垣の修復をして、幕府から嫌疑を受けた
福島正則が関係な石垣を崩し、誠意を示した・・
といわれるところがココ。

P1110438

勝手に修築・・とはいえ、正則は修理したいと
何度も申請をしていたのに、幕府はまったくの放置。

で、仕方がなく勝手に修築するのを待って、
改易しようという徳川秀忠の狡いやり方の餌食に。
うう・・・ヒドイよなぁ。

本丸北東端。

P1110446

礎石がまだ残ってますね・・・
櫓が建たないかなぁ。

P1110445

さて、ココから西方面に進み天守方向へ。

P1110449

本丸北面の下段は緑が鬱蒼としていて、
ちょっとした森林浴をしているような感じ。

P1110458

おっと、天守が見えてきました。
今回はちょっと脇役で・・・手前の石垣。
これ、東小天守の石垣。

P1110461

広島城天守は、複合連結式天守と呼ばれ、
小天守を東と南に2基備えた
天守だったんですよね。

明治初期には小天守は解体されたようですが・・・
残念すぎます・・・

くるっと回って、こちらが南小天守石垣。
今は南小天守と大天守を繋ぐ廊下から
天守内に入ることになります。

P1110464

南小天守側からも天守に入れたんでしょうかね?

P1110488

天守礎石。まぁ、これがあるということは、
RC(鉄筋コンクリート)で復元されたという証、
でもあるわけで・・・

P1110468

このあたりが、ちょうど東小天守と大天守を
繋ぐ廊下のあたりでこの石段が廊下の中に覆われて、
ここから天守に入ったんですね。

P1110472

てことで、大天守内へ。
ホントはもっと離れて撮ったほうがカッコいい…
のだけど、今回は大天守は主役じゃないのでね。
# でも、広島城天守は岡山城天守と一、二を争う
# My Favorite天守なのですよー!

P1110482

詳細な本丸図。ここまでたどってきた道と、
この図を重ね合わせ、あそこにはこんな櫓が・・・
と妄想をたくましくします(笑)

P1110483

でも、やっぱり残念なのは天守の白い部分が
タダのコンクリなんだよね・・・はぁぁぁぁぁぁぁぁ。

P1110484

大天守を出て、さらに本丸を一周。
南の端を歩いていると、二の丸表御門が
キレイに撮れるアングルが!おおっ。

P1110499

ふぃー、久しぶりにじっくり見れたなぁ。
満足、満足。しっかり歩くと暑くなります・・よね?

ということで、広島駅近い猿猴橋町の純喫茶pearl。
まぁ、これも年代モノの純喫茶で、
広島に来るたび、必ず訪れるところなんですよねぇ。

P1110510

で、定番はミルクセーキ。といっても特徴的な
シャーベット状になってて、火照ったからだには最適。
やさしい甘さもクセになります!

P1110513

一服したら、広島駅前で広島焼き。
今回はよっちゃんにて、ねぎたっぷりの牡蠣そば入り。

P1110518

P1110515

大阪人なのに、なぜかこっちのほうが
なじみがあるんだよなぁ・・うまーい☆

広島だけで・・めっちゃ長くなりましたが、
まだ城人オフ前哨戦ですからね!しかもまだ前半!
先が長くなりそうです・・(笑)

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おめでとうございます、ほんじょさん。

5/1といえば・・・・なんですか?
わたしは、本上まなみさんの誕生日ですねぇ。

誰に訊かれても、好みは?というと
ほんじょ、ほんじょというので、
最近はあまり訊かれなくなりましたけどね(笑)

なんでしょうねぇ・・見ていて落ち着きますよね。
こう・・たとえるなら日向ぼっこしてる猫を
みてるような?(伝わらんな・・笑。)

一度、朗読会だったかな、ファン一同でお花を
お持ちしたときにちゃんとWebサイトで
紹介してくださったのがうれしかったですねぇ。

もちろん、お美しい方ではありますが、
話し方や身ぶり手振りや出てくることば・・も含めて
人となりがすごくいいなって思ってて。

少し前(5年位前?)のインタビューですが、
内容以前にこういう雰囲気が好きなんだ、
と思ってもらえばけっこうかと(笑)

ほんじょさんの母上もそうらしいですが、
いろんなことに好奇心を持つというところに価値を見出す、
というものの見方なんかも、わたしの考え方と
なじみやすいところがありますね。

あと育ちが関西でいらっしゃるはず・・・
東京でイメージされるステレオタイプな関西人じゃなくて
こういう人もいるんだよ!という代表格でもあり(笑)

twitterにも書きましたが、そうそう、娘さんは
12月末で6歳になられるはず・・・ということは
そろそろ小学生ってことですね。

どんなお子さんに育っていくんでしょうね。
部外者ですが、楽しみだったりします。

今更ですが、AERA-net.jpでコラム
書いてられるようなので、チェックしませう。

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血縁・地縁・学縁・社縁・・・そして、モルト好き・城好きをつなぐ関心縁。

あるツイートをきっかけに、こういうツナガリって
すごいなぁ・・・と思ったので、
今blog年度の重点目標である「思いの丈」をば。

何がすごいってね・・・関心でつながる、まぁ便宜的に
「関心縁」としておきますが、この関心縁が
ちょっとニッチな関心でもサクッとつくれちゃう
ソーシャルメディアって、改めてスゴイな、と。

人の縁の基礎中の基礎は血縁。まぁ、それはそうでしょう。
そして成長するにつれ、近くに住んでいるという縁ができ。

進学すると一緒に学んだという縁ができ、
会社に入ったり起業すれば、仕事での人間関係
という縁ができますよね。

誰しも人間関係をつくるとき、きっかけは
近くに住んでるとか、同じ学校・会社にいるとかって
ことなんでしょうが、そこからさらにお近づきに
なるには、共通の関心事探しってすると思います。

そもそも地・学・社を共にするということ自体、
必ず何らかの共通の関心事があるはずですが
それは共通なだけであって、必ずしも
一番興味のあることではなかったりしますよね。

だから、もっとこの人の興味のあることって、
なんだろな?って探っていくと思います。

でも関心縁。これ考えてみるとかなり異質で、
地縁/学縁/社縁は、何らかの組織なり地域なりに
属せば、それなりに関係はできてしまうものですし、
血縁に至っては、そもそも生まれながらにして
持っている縁ですしね。

これが関心縁となると、モノによってはネット社会でないと
一気にハードルが上がるんですよね。

わたしもそうなんですが、関心のあることがことごとく
今までの人間関係の中で少数派であって、なおかつ、
その少数派な何かにすごく愛着がある・・・みたいな場合、
なかなか見つからんわけですよ・・・

関心縁を除く他の縁は、(当たり前ですが)関心とは違う
何か別の条件が同じ(住処・学校・会社・・・)
であることをきっかけに関心のあることを後から探っていき、
そのプロセスの中で人間関係が深まっていきます。
それが今までの「普通」。

で、その関心のあることがみんなも
まぁまぁ関心持ってるよね、という恵まれた
多数派の皆さんは、学縁や社縁で関心を持ってる人が
まぁ、見つかるもんなんですが・・・

ハッキリ言って、いままで(歴史はあったけど)城マニアに
ウイスキーマニア、いなかったですからね!
ここが少数派のツライところ・・・

一方、一度見つかってしまえば、もともと特定の
「関心のあること」(そして大抵かなり関心の深いこと)を
持っている人なわけですから、そういう人が見つかれば、
なかよくなるスピードはめちゃ早。

ですが、ソーシャルメディア(というか特にtwitter)は、
それこそしがらみなしに興味のあるなしで
気軽にフォローできるわけで・・
関心から入って関係をつくるにはもってこい。

blogを読みに来てくれた方やコメントをくださった方、
あるいはtwitterその他ソーシャルメディアで
絡んだ方と実際お会いすると、その関係の深まり感の早さ・・
というかむしろ前から知り合いでしたよね!?
くらいの勢いになるのは、こういうわけなんでしょう。

そりゃそうですよね。普通なら関心のあることを
徐々に探っていき、共通点を見つけるには、
それなりの時間がかかるわけですが、
答えを知っているテストみたいなもので、
いきなり答えが見えているわけですよ。

これって・・・いまさらですが、
やっぱりスゴいことだよなって。

先日、備前・備中の諸城に出陣した際も、
(追って記事にしますけどね)
今までお城が好きって言えなかったという人もいらして、
そういう場合って、人のつながりをつくっていく中の
「共通項探し」に「城」を加えても、ヒットしなかった
ってわけですよね。いくら自分の中で強く関心があっても。
わかるなぁ・・・

いくつかある(本職ではないという意味の)極私的な目標の
数ある中の一つとして、コアになる関心事を
どっぷりハマりつつ、かつ複数持っておきたい
というのがあります。たとえば・・・

・ウイスキー
・城/戦国
・デジタルガジェット
・旅
・展示会 etc

どうするかは個人個人で、好きなように
考えればいいと思うのです。

あるひとつのジャンルについて、可処分時間を100%
注ぎこむのもいいでしょうし、いろんなことに
幅広く関心を持ち、それぞれ少しずつくらいずつ
注ぎこんでもいいし。

で、わたしは10個くらいの関心事に全力!
とまで行かないにしても、しっかり関心力を
注ぎこみたいと思っていて。

そんな中にその関心事の一つ一つに、
関心縁ができていく・・・
と考えるとちょっとわくわくします。

できれば、その関心事と関心事は、直接的には
関係がないほうがおもしろいかもしれない。

だって、それらをつなぐ鎖こそ、
自分らしさなわけだし、それぞれに新しい風を
吹かせられるかもしれないですからね。

自分の関心縁同士が交差し始めたら、たとえば
ウイスキー好きのフォロワーさんがお城や
戦国にも興味を持ち始めて頂けたら・・・
それは、もっとエキサイティング!

実はこっそり・・・サンドブラストで自分のオリジナル
ウイスキーティスティンググラスがほしいな
って、思ってるんですよ。
あと、大阪城型のウイスキー持ってたりとかね(笑)
# 他はないのかー!

ニッカの「伊達」なんかも、もちろん香りと味わいが
好きなのはもちろん、ある種戦国×モルトのコラボじゃね?
というのもあって、あれだけ買いあさっている
(まだ7本在庫。笑。)のかもしれません。

こういう展開って、たまたま会社が同じとか、
学校が同じとかでは(わたしの場合)
なかなか難しいものなー。blogとtwitterさまさま。

そゆ意味でも、すでに(リアルで)出来上がっている
既存の縁をネット上にも構築するというFacebookは、
実名匿名論とは別の意味でも自分と目指すところとは
合わない気がしている今日この頃・・・

シゴト一筋でリタイアしたら、縁がさっくり消えて
無縁社会に生きる・・という団塊世代もいるようですが、
私的なトコロでも、戦略的にツナガリを
はぐくんでいきたいなぁ。

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2012年 甲府巡礼 (5) 恵林寺

さ、巡礼の最終地点・恵林寺です。
塩山駅前の信玄像。

P1110077

これ、高野山成慶院蔵の伝武田信玄像に
よるものなんですが、近年では別人とされ。
同じ高野山の持明院に伝わる出家前の
晴信像が本人に近いという説がもっぱらです。

個人的には、このでっぷり信玄像、
早く払拭してほしいんですよね・・・

ま、それはさておき恵林寺。
時間優先で久しぶりにタクシーで飛ばしました。

P1110079

恵林寺正面の門。「雑華世界」の扁額は
先は静寂なる世界、外は喧騒なる世界という意。

P1110082

その先には赤門。織田信長の焼き討ち後、
徳川家康によって再建。どこか桃山風ですな。

P1110090

このあたりから武田二十四将の旗が
目に留まります・・が武田マニアじゃないと
わからないほうの名だったりするのがおもしろい。

秋山伯耆守晴近。近年まで誤って信友と称され、
ここ最近は「虎繁」と言われているが、
さらに別名として「晴近」という名も伝わって・・・

P1110093

武田の諸将はどうしてこんなに名前が正しく
伝わらないのでしょうね?

思うに、江戸時代に徳川家に遠慮して
軍記モノの人物がずいぶんと名前を変えて
登場している例があれでごちゃごちゃになった?
大名家としては、滅亡してるしね・・・(泣)

そして、有名な山門。快川紹喜の
「滅却心頭火自涼」の言葉が掲げられてます。

P1110100

向かって正面には、武田の割菱が配され、
裏側には花菱が掲げられております。

P1110192

恵林寺拝殿前では、武田菱付きの仏旗が
はためいています。

P1110108

いつも撮ってしまう花菱の瓦。
武田家が残っていたら、このような瓦を
城の瓦として見ることもあったろうにと・・・

P1110125

ま、矛盾してはいるんですけどね。

個人的に晴信さんらしいなと思うのは、
よく伝わっている「人は城・・」よりも、
こちらの言葉のほう。

P1110126

人って(信玄自身も含めて)弱いもんだよ、
というのが根底にあるんだと思うんですよね。

世の中にあって、実力があるリーダーで
これを理解できるリーダーって少ないと思います。
実力があるからこそ、人の弱さがわからないという…

住職・不晦軒南條大亨師による筆の訓言は
お土産で売ってます。300円。
これ・・・かなり前から壁に貼ってます^^

P1110177

さて、堂内にお邪魔します。
明治期まで拝殿に付けられていたという鬼瓦。

P1110128

こちらはいつ行っても展示というか・・・
放置されているようにしか見えない木製瓦?

P1110132

うぐいす廊下で、え?というモノを・・
この位牌、徳川葵に「大猷院殿贈正一位大相国公」。
そう、徳川家光ですね。なぜここに・・・

P1110145

武田不動。大河ドラマ「風林火山」のオープニングで
毎回出てきていたので、見覚えある方も多い?

P1110156

信玄が剃髪した時の髪を漆に混ぜて
自ら塗りこめたと伝わる像。

上杉謙信が毘沙門天を篤く信仰したように
信玄の不動明王に対する信仰のシンボル的存在。

そして・・・信玄墓。
前日の信玄公祭りの武将隊からの献花が。

P1110162

しっかり手を合わせて・・
般若心経を唱え、祈りをささげます。

出てくると、目の前に「武藤喜兵衛昌幸」の旗。
これ・・武田マニアでないと知らない人も
多いのですが、真田昌幸。

P1110180

信玄在世中は、奥近習衆時代から目をかけられ、
武藤家を継いで足軽大将となり、川中島合戦で初陣。
三増峠、三方ヶ原に従軍している。

後に家康を苦しめる昌幸、そして子・信繁(幸村)
が駆使した軍略は父・幸綱だけでなく、
信玄にも学ぶところが多かったんじゃないかなぁ。

さて・・境内の西にある土産物屋のほうに抜けて。
納骨堂かぁ。自分もここに分骨されたい・・・

P1110185

土産物屋・信玄館。以前素通りしたので、
とりあえず中が気になっていて、入ってはみる・・

P1110186

相変わらず、甲府駅前の信玄像まんま。

P1110189

大してみるところもなく・・・撤収。
お腹が空いてりゃ、ほうとうでも食べたんだけど。

さて、時間もゆったりあるので
帰りはてくてく・・・真正面には富士山。

P1110201

桃の木はまったく開花しておらず・・・あらら。

P1110202

石材屋さんでズゴックとザクを見つけたり。

P1110203

茶々・・ちゃ?おもちゃのマーチ?(笑)

P1110205

相変わらず、武田菱入りのキムラヤ看板は
放置されておりました(汗)

P1110210

武田家家宝の楯無鎧のある菅田天神社。

P1110214

といっても見れないわけですけど。
レプリカ(これだってすごい)は見たことありますが、
いつか本物を見てみたいんですよね!

P1110216

とりあえず、甲府に戻ってご飯を。
いつもほうとうばかりで能がないよな!ということで
いかにも昔からやってそうなところへ。

こ、甲府のかつ丼?ウスターでもない、
デミグラでもない・・第4のかつ丼???

P1110226

入ってみると・・ケチャップかよ!
外と色ちゃうやんけ!(笑)

P1110224

最後がネタっぽくなってしまいましたが・・・
いよいよ、甲府もこれでおしまい。

ホントね、関東に住むようになって、
甲府が近いのがうれしい限り。武田ファン的にね。

もう夕暮れ。早めに帰りますよ!

P1110235

さて、まだまだネタはいっぱい溜まる
一方なので地道に書いてゆきまする・・・

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2012年 甲府巡礼 (4) 甲府城~信玄堤

さて・・・ずいぶん開いてしまいましたが、
甲府巡礼の続き。翌日は、信玄堤と恵林寺に。

ま、時間もあることだし、ちょっと甲府城も見ていこうかな。
駅前すぎてということと、武田遺構でないことから、
どうしても扱いがぞんざいになりがちなんだけど。

■甲府城

P1100989

遊亀橋から入城し、稲荷曲輪門を抜けて本丸へ。

P1100991

甲府城も、江戸城よろしく玄武岩質と思われる
黒い石材で積まれている石垣。

P1100992

青空と桜にこの黒い石垣。
色彩のコントラストがあって美しく見えますよね!

端は算木積と言えなくもないが・・・
ちょっと積み方が甘い感じ。ということで、
浅野長政が築城を終わらせた1600年頃か
それ以前に天守台はあったんだろうな、と推測。

P1100994

鉄門(くろがねもん)は絶賛復元中。
甲府駅北口の山手御門の出来もいいだけに、
こちらも楽しみであります!

P1100995

ただ、完成図を見るとちょっと不安・・・
鉄門ということは、門扉に鉄板が張られている
はずなんだけどなぁ・・・

P1100997

あちらが天守台。しっかりとした穴蔵が
あることからも天守があったなら、
相当な規模だったろうと想像させますね。

P1100998

この天守台に・・・豊臣時代に築かれたとすると、
岡山・広島・福岡・熊本といった
西日本に多い望楼型・下見板系の天守が
建っていたのでは?と勝手に想像しています(笑)

P1100999

穴蔵全体。このくらいの大きさが
三層以上とすると、なんとなく天守のサイズが
想像できますねぇ。

P1110009

天守台から北方に目を遣ると、
山手御門が見えます。今回はパス~

P1110005

さて、甲府駅から一旦西に一駅、竜王駅。
信玄堤の最寄り駅・・なんだけど、
山県神社にもちょっと寄ってく。

山県といえば・・・山県三郎兵衛尉昌景。
と思って行ったんだけど・・山県違い。
山県昌貞、通称大弐のほう。

山県大弐墓。尊王論を説いたということで、
明治になって神社が建ったそうな。

P1110031

お参り。やはり、山県家は桔梗紋。

P1110033

むー・・・ちょっと肩透かしだったなぁ。
気を取り直して、信玄堤。

■信玄堤■

山県神社から西に2.5kmほど、
歩いて30分ほど行くと、釜無川が見えてくる。
このあたりが武田信玄のつくった堤防、
信玄堤のあるあたりだ。おお。

橋には「信玄橋」という名前が。

P1110039

このあたりの土塁が堤。これだけの堤防、
築くには武田流築城技術が活かされてるんだろうな。

P1110043

今では、ちょっとした桜の名所。
まだつぼみでしたけどね・・・

P1110044

こちらは聖牛。昔ながらの流れを緩める仕掛け。
全体がわかるように置いてあるのもあるけど…

P1110050

こうして埋め込んでおくみたいね。

P1110065

信玄、堤を造るの碑・・なんだけど、
「金丸信」とあってゲンナリしちゃうな(汗)

P1110051

信玄堤・・というが、正確には晴信21歳の頃に
着手していて、足掛け17年もかけて完成。

1559年、39歳で出家して徳栄軒信玄を
名乗りますので、信玄と名乗る前に完成したんですな。

全体説明図。

P1110056

西から流れてくる御勅使川が平野部で
釜無川に激突していて、水嵩が増えるとすぐに
あふれて平野部が水浸し。

そこで、御勅使川の流れを北に変えつつ、
岩山にぶち当てて流れを緩め、
南方の堤で受け止めるというのが最終的な設計。

最初からこうは行かず、試行錯誤の結果
だったようですねぇ。17年も掛かってる訳で・・・

今、信玄橋がかかってるあたりが信玄堤が
できる前の御勅使川との合流地点だったみたい。

P1110041

結局、実現することはないわけだけど、
ここまでの土木技術があった武田家が本気になって
惣構の城を築き上げるとどうなったんだろう、
と想像したりしちゃいますね。やっぱ、城?(笑)

ちょっと高台になる信玄堤から
南に目を遣ると富士山がうっすら・・・

P1110072

要害山城から見ておくのを忘れたので、
富士山、見れてよかったです☆

ということで、竜王駅に戻り、
今度は東に進んで塩山駅で下車します。
信玄菩提寺・恵林寺。

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