2012年 甲府巡礼 (4) 甲府城~信玄堤
さて・・・ずいぶん開いてしまいましたが、
甲府巡礼の続き。翌日は、信玄堤と恵林寺に。
ま、時間もあることだし、ちょっと甲府城も見ていこうかな。
駅前すぎてということと、武田遺構でないことから、
どうしても扱いがぞんざいになりがちなんだけど。
■甲府城
遊亀橋から入城し、稲荷曲輪門を抜けて本丸へ。
甲府城も、江戸城よろしく玄武岩質と思われる
黒い石材で積まれている石垣。
青空と桜にこの黒い石垣。
色彩のコントラストがあって美しく見えますよね!
端は算木積と言えなくもないが・・・
ちょっと積み方が甘い感じ。ということで、
浅野長政が築城を終わらせた1600年頃か
それ以前に天守台はあったんだろうな、と推測。
鉄門(くろがねもん)は絶賛復元中。
甲府駅北口の山手御門の出来もいいだけに、
こちらも楽しみであります!
ただ、完成図を見るとちょっと不安・・・
鉄門ということは、門扉に鉄板が張られている
はずなんだけどなぁ・・・
あちらが天守台。しっかりとした穴蔵が
あることからも天守があったなら、
相当な規模だったろうと想像させますね。
この天守台に・・・豊臣時代に築かれたとすると、
岡山・広島・福岡・熊本といった
西日本に多い望楼型・下見板系の天守が
建っていたのでは?と勝手に想像しています(笑)
穴蔵全体。このくらいの大きさが
三層以上とすると、なんとなく天守のサイズが
想像できますねぇ。
天守台から北方に目を遣ると、
山手御門が見えます。今回はパス~
さて、甲府駅から一旦西に一駅、竜王駅。
信玄堤の最寄り駅・・なんだけど、
山県神社にもちょっと寄ってく。
山県といえば・・・山県三郎兵衛尉昌景。
と思って行ったんだけど・・山県違い。
山県昌貞、通称大弐のほう。
山県大弐墓。尊王論を説いたということで、
明治になって神社が建ったそうな。
お参り。やはり、山県家は桔梗紋。
むー・・・ちょっと肩透かしだったなぁ。
気を取り直して、信玄堤。
■信玄堤■
山県神社から西に2.5kmほど、
歩いて30分ほど行くと、釜無川が見えてくる。
このあたりが武田信玄のつくった堤防、
信玄堤のあるあたりだ。おお。
橋には「信玄橋」という名前が。
このあたりの土塁が堤。これだけの堤防、
築くには武田流築城技術が活かされてるんだろうな。
今では、ちょっとした桜の名所。
まだつぼみでしたけどね・・・
こちらは聖牛。昔ながらの流れを緩める仕掛け。
全体がわかるように置いてあるのもあるけど…
こうして埋め込んでおくみたいね。
信玄、堤を造るの碑・・なんだけど、
「金丸信」とあってゲンナリしちゃうな(汗)
信玄堤・・というが、正確には晴信21歳の頃に
着手していて、足掛け17年もかけて完成。
1559年、39歳で出家して徳栄軒信玄を
名乗りますので、信玄と名乗る前に完成したんですな。
全体説明図。
西から流れてくる御勅使川が平野部で
釜無川に激突していて、水嵩が増えるとすぐに
あふれて平野部が水浸し。
そこで、御勅使川の流れを北に変えつつ、
岩山にぶち当てて流れを緩め、
南方の堤で受け止めるというのが最終的な設計。
最初からこうは行かず、試行錯誤の結果
だったようですねぇ。17年も掛かってる訳で・・・
今、信玄橋がかかってるあたりが信玄堤が
できる前の御勅使川との合流地点だったみたい。
結局、実現することはないわけだけど、
ここまでの土木技術があった武田家が本気になって
惣構の城を築き上げるとどうなったんだろう、
と想像したりしちゃいますね。やっぱ、城?(笑)
ちょっと高台になる信玄堤から
南に目を遣ると富士山がうっすら・・・
要害山城から見ておくのを忘れたので、
富士山、見れてよかったです☆
ということで、竜王駅に戻り、
今度は東に進んで塩山駅で下車します。
信玄菩提寺・恵林寺。
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