城人オフ第1日目・・・備中・高松城。
さて・・・本日の最終、備中高松城。
全国統一に王手をかける信長軍として、
毛利攻めを進める秀吉の前に立ちはだかった
備中高松城守将・清水宗治。
降雨で増水した水を堤防でせきとめて、
高松城を水没させる水攻めを成功させて、
宗治を自害に追いやった・・・舞台。
曲輪が一応、再現はされているのだけど、
ちょっと城感には乏しい感じで…しょうがないか。
なんだけど、宗治蓮にはちょっと感動。
城跡整備は1982年になされたようなのだけど、
城があった当時から「蓮池」の地名があったとされ、
城跡整備後、自然にまた蓮が生えてきたのだとか…
その当時の蓮が長い時の眠りから醒め、
また花を咲かせていると思うと、ちょっと感慨深い。
水攻音頭。声に出して読むと、
わかるのだけど、ことばの調子が心地よく、
なかなかよくできているなぁ。
時は天正のその昔
天下制覇の信長が
中国毛利を討つために
羽柴秀吉将となす
破竹の勢なる敵兵の
退路封ぜし高松城
智勇の誉れいや高き
清水宗治ここにあり
攻めあぐみたる秀吉が
謀るは水攻め降る雨に
二十六丁の土堤を築き
足守川の水を引く
増えゆく水の心なく
寄せくる水面(みなも)波高し
城兵五千その頬に
降るは波か五月雨か
今や武士(もののふ)道一つ
などてこの身を長らえん
主家城兵の安泰と
散るや宗治いさぎよき
巡る歳月幾年か
松風さわぐ城跡に
武士の鑑と歌われて
吾が高松の華と咲く
漢詩を読み下してるような感じですね。
地元で慕われている様子もよく感じられます。
残念ながら資料館は、時間が遅く閉館。
海鼠壁がどこか、倉敷の蔵を思い出させる…って、
倉敷行ったことないけど(笑)
宗治、辞世の句。
浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の
名を高松の 苔に残して
秀吉も、その潔さと武士としての矜持に感服、
後に宗治の子、景治は秀吉から直臣に誘われるが、
これを断り、小早川隆景の臣として留まる。
毛利家中でも、非常に厚遇されて、
萩藩家老として清水家は存続。父の残した名誉に
子々孫々、浴しているのですね。
幕末には、宗治十二代の清水親知が22歳で
老中に抜擢、倒幕派として活躍するも、
禁門の変の責任を取って切腹。
代わって、父・清水親春が再度家督を継いで、
騎兵隊を率い、第二次長州征伐の
幕府軍と一戦を交えたそうな。
この先祖にして、この子孫あり。
毛利家に尽くす清水家なのでありました・・・
閑話休題。お隣の宗治首塚。
もっとも、明治に城跡に移されたとのことで
元は秀吉本陣のそばに。合掌…
看板に描かれる当時の想像図。
真ん中にえらそう(笑)に鎮座しているのが
羽柴筑前守秀吉。眼前には湖に浮かぶ小島のように
なってる高松城・・・・
城址から少し行ったところ、民家のなかに、
清水宗治胴塚があります。
こちらでも合掌・・・した後は、
宗治自刃の地。宗治ゆかりの場所めぐりが
続いてゆきます(笑)
行くまでに気になる建物。
うっすらと「宗治公民館」と読めます。
この先がそう。尤も、戦の当時は、
水没しているため、このあたりの舟の上で、
切腹して果てたとの由。
今では、立派な供養塔があります。
さて、続いては水攻めの黒幕(笑)
黒田孝高の進言で成ったという
土堤の跡が残る蛙ヶ鼻築堤跡に向かいます。
往時は、水をせき止めるほどの長い長い堤で
3kmくらいあったとされていますが、
明治36年の鉄道工事の際に、かなりの土が運び出され、
残った跡はわずかにここだけ。
高松城本丸との高さの比較。往時の堤は
8mくらいあったそうですが、
今じゃ、ちょっと高さは感じにくいかも。
看板を見て驚いたのが、1985年にこのあたりを
襲った洪水のとき、あたかも秀吉の水攻め時の如く
あたりがすっかり水浸しになっているんです。
そういう土地だと見抜くのはすごいですね・・・
土塁の上に立ってみます。
ホントはもうちょっと高かったんだろうな。
ここからの眺めが、湖のように
なっていたんでしょうなぁ・・・
まだまだ進みます。秀吉本陣跡へ。
もともとも宗治首塚もこちら。
しかし、ちょっとわかりにくい・・・
ひとりで来ると迷うかも??
少し小高い小山を上がったところ、
宗治首塚の看板が見えてきますよ!
こちらがその碑。明治に移されたときの碑…
のはずですが、異様に風化しています。なぜ?
天正十年六月三日
清水宗治首塚跡
明治四十三年二月
高松城趾移轉
とあります。かろうじて読めるレベル・・・
当時は、このあたりに持宝院という寺があり、
そこを本陣としていたようで、今でも高松城を
はっきりと見下ろせる視界が広がっていますよ!
さっきの看板を思い出しながら、
風景を眺めるとおもしろいですね!
あのへんが高松城、かな?
さて、1日目の城人オフは終了!
岡山に戻って、酒宴。
何が楽しかったって・・・名城天守閣トランプで
解説を読んだり、自分の知ってる知識を
披露しつつ、何城かを当てるクイズ!
絶対こんなの、城好きとでしかできないもん!
たーのーしーいー!!酒よりもそっちが
印象に残ったひとときでありました。
で・・・部屋に戻ってもまた飲んでるし(汗)
翌日は、朝から現存十二天守のひとつにして、
もっとも標高が高いところに残る天守を擁する
備中松山城に向けて進軍いたしまする。
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