2012年 甲府巡礼 (1) 武田神社
さて・・・今年も巡礼の季節がやってきました。
武田信玄の祥月命日に当たる4/12前後に
行われる「信玄公祭り」に行ってきました。
今年は、前日入り・・・ゆっくりと回りたいのでね。
月がきれい。相変わらずきれいに撮れませんが・・
毎年、お守りとお札を返納しに行く・・という
意味もあるんですよね。
1年間、家のカギにつけてきたお守り。
さすがに毎日持ち歩いてきたから・・・
だいぶんとくたびれてきたなぁ。
さて、翌朝。甲府城の天守台。
ま、武田びいきには微妙な城なんですけど・・・
あの扉・・・なんだろう?
というのは、後でわかることになります。
ぬ、あの工事中はなんだろうな・・
後で見に行ってみよう。
しかし、快晴×桜×城のコラボは、最高じゃぁ!
再建された稲荷櫓。桜とのコラボも
ベストマッチですね!
さっきの工事中だったのは、鉄門(くろがねもん)の工事。
甲府城も少しずつ、櫓や門が整備されつつあります。
甲府駅前では、信玄公祭りの準備が着々と。
毎度のことですが、武田神社までは徒歩で。
甲府駅北口から北にまっすぐ伸びる武田通りには
桜が道路沿いに植わっていて、一番きれいな頃。
この道は、信玄時代からの道で、その道の
左右には武田の重臣の屋敷が軒を連ねていました。
毎度おなじみ武田神社。もう何度来たかわかりません。
この正門は信玄当初のものではなく、
武田神社創建時(大正時代)に武田氏滅亡後に
つくられた石垣を壊してできたもの。
・・・の割りには当初からこういう石垣だった
のようにも見えますよねぇ。
武田神社崇敬会も協賛。
実はわたし会員なんです・・・^^;
手水場も武田菱!ま、何度も来てるので、
今更・・ではあるんですけど(笑)
ちょうどこの時間は、横田備中守高松(たかとし)隊が
武田神社に戦勝祈願をしているところでした。
わたしもちょっと参加させて頂きましたよー。
あれは・・・武田神社のお神輿。
こんな風にお神輿が12日の例大祭には
甲府のまちを練り歩くんですよね・・・
お札返納所。
1年間、お世話になりました。
ということで、お札とお守りを返納。
いろんなカラーの日の丸がありますが、
武田家は後冷泉帝から下賜された
日の丸を古くから尊んできていて、
日の丸との関わりが深いんですよね・・・
しっかりお祈りした後、新しいお札とお守りを。
今年もよろしくお願いしやす!
武田神社東側の入り口。こちらのほうが
実は、往時の大手門で深い大きな堀が見えます。
ん?この石垣は・・
これ、武田滅亡後、甲府城ができるまでの間に
作られた石塁だそうで・・そっち復元しますか・・・
一応、発掘調査をすると、武田城郭に
おなじみに三日月濠の躑躅が崎館にもあったことが
わかったのだそうです・・そっちだろ、復元するの・・
あくまでこれは、武田滅亡後の復元なのだけど、
なんだか三日月濠のように見えてきて・・
(というかそう思いたいだけ?w)
反対側は宅地化されて、遺構が失われているようです。
さて、曲輪内に戻って・・・姫の井戸で
喉を潤します。ごくっ。
中曲輪から西曲輪のほうへ・・
これ、いつの時代の石垣かなぁ??
空堀。けっこうしっかり残ってます。
土橋をはさんで南側は水を湛えています・・・
往時はどうだったのだろうねぇ。
西曲輪のほうに行くと・・・騒がしい声が。
酒盛りをやってますよ、こんなところで。
あんまり書きたくないけど・・許しがたい。不快。
そんなのをよそに西曲輪北側桝形虎口跡へ。
かなり崩れてはいますが、想像はなんとなくできます。
中曲輪の端。実は武田滅亡後に天守がつくられた?
という話もあって、少し見える石垣はその名残?
西曲輪南に見える「梅翁曲輪」。
これも武田滅亡後につくられたらしい・・・
梅翁とは・・梅翁とは・・まさか、彼奴かぁ!
さて・・・ここから詰めの城である要害山城に。
武田ファンなわたしですが、実は要害山城に
のぼるのは初めてなんです。
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