18きっぷでゆく・・・2012年 北陸城廻 (3) 金沢城その2
さて、橋爪門~菱櫓方面へ。
以前は通れていた橋爪門一の門が
二の門再建のための発掘調査のため封鎖。
一の門の奥のほうに二の門。
明治の古写真だと奥にあるのがわかりますね。
土塀をぐるっと回って入ってみると、
絶賛作業中でした。ま、雨なので
実際にやってるわけではなかったですけど。
ちょうど、この部分に櫓門があったんですね。
てことは、続櫓の壁の海鼠壁は実際は
なかったってことなんでしょうね?
逆に櫓が完成すると、この角度の写真って
撮れなくなる訳ですなぁ。
先に、三十間長屋のほうを見よう!
ちょっと黄色がかっていて、
年季が入ってるように見えるんですが・・・
でも、宝暦大火後100年経った
1858年に再建。明治維新の10年前・・ですから、
かなり新しい建物なんですよね。
築150年程度ですが、充分に古い木造建築の
香りを放っている空間でした。
これこそ、ウイスキー貯蔵庫に・・いやいや(笑)
窓から見えるのは、菱櫓。
帰り際によく見ると、海鼠壁のひとつに
穴が開いている!鉄砲狭間にでもしたのかなぁ?
さて・・・最後に五十間長屋と菱櫓、橋爪門続櫓。
往時を再現しているので、階段は実に急です。
が・・これがいいのですよぉ。
菱櫓自体はさほど、大きな櫓ではないですが、
ちょうどホテルのシングル?くらいの広さなので、
ここに泊まりたーい☆と思いながら見学(笑)
先ほど、菱櫓を撮影した河北門のちょうど向かい側、
逆に菱櫓から河北門を撮ってみたり…
その先には、石川櫓・・・
五十間長屋の鉛瓦をこの角度から
撮るのも、前来たときにもやってた気がします(笑)
降りるほうが階段はきつく感じられる・・・
五十間長屋にある模型は、ひとつひとつの
建物はちょっといまいち・・だけど、往時の全体像を
知るにはちょうどいい模型でした。
寛永大火(1631年)までは主要機能は本丸に
あったわけですが、その後二の丸に機能が移された後、
本丸はほぼ放置・・イメージしにくい本丸の姿が
わかるのは、ありがたいねぇ。
菱櫓骨組み模型。再建時の構造検証のために
つくられたんでしょうなぁ。
あ、このCGは見ごたえあったよ!
DVDほしいーん。
ふと上を見上げると・・・梁大丈夫なのか!?
橋爪門続櫓からは、橋爪門二の門の礎石が
よく見えました。実際、こう出てきた・・
のではなく、推定しているようでしたが。
石川門方面。
菱櫓方面。
1881年、失火で菱櫓・五十間長屋等々、
石川門と三十間長屋を除きすべて焼失した際に、
鉛が熱で溶けて屋根から滝のように流れ落ち、
建物内の品物を取り出すことが出来なかったとか・・・
見てる分には美しいですが、土壌調査すると
かなりの鉛汚染が進んでいるかも・・・
橋爪門続櫓から河北門。桝形虎口感が
よくわかりますよね!
橋爪門続櫓、吹き抜けの櫓だったんですね。
ちょうどその姿をうまく利用し、当時の姿のまま
再現しつつ、バリアフリーも実現。すごい☆
さて・・・そろそろ金沢城を後にしますか。
金沢城ここまで見るだけで3時間も・・・
ホントは石垣のみ比べなんかもしたいところだけど。
休憩室にこれから復元しようとする
橋爪門二の門の指図。設計図はしっかり残ってるから、
復元できるんでしょうね。
今は見る影もない本丸にそびえていた
本丸三階櫓。石川櫓の上にちょこんと三階部分が
乗っかったような感じですかね。
石川櫓、じゃーねー。
土塀がキレイになったら、また会いましょう!
このあと、ピールアートのお店に行こうとしたら、
やってなかったり・・・
その行く途中の酒屋さんで、昔のリザーブと
リザーブシェリー樽仕上げをまた見つけたり・・・
てことで、まだまだ金沢編続きます。
長いなぁ・・毎度毎度(笑)
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