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将軍上洛の巻、その前に御殿場に寄り道・・・その5 三代目大阪城80周年展。

さて・・御殿場から向かった先は大阪。
京都行きすぎてるやん!という感じですが、
ちゃんと用事あるんです。大阪城80周年展。

P1060123

大坂城としては、豊臣家の初代天守、
徳川家の二代天守がありましたが、いずれも焼失。

昭和になって、三代目天守が鉄筋コンクリートで、
建造されましたが、第二次大戦の大阪大空襲にも耐え、
今年でちょうど80歳で一番長寿。

ということで、コレにまつわる展示があったので、
久々に大阪城に行ってみたかったんです。
# あ、ちなみに大坂は明治になって、
# 大阪に名前が変わったので、初代二代の城を大坂城、
# 現在の城をいう場合には、大阪城としています(個人的に)。

あまりお天気がよくなかったですが・・・
個人的にお気に入りのアングルから2枚。

P1060100

P1060110

まぁ、歴史的な価値からいうと、
こちらのような櫓のほうがあるわけですが・・・
これは一番櫓。

P1060103

さて・・天守に潜入。個人的には、
こういった瓦全部金箔じゃない箔の押し方が
好きなんですよね。往時もこういう金箔瓦が多かった、
という話も聞いたことがありますし。

P1060114

鯱は惜しげもなく金、ですがね・・・

P1060121

あちらに見えるのは、千貫櫓かな?

P1060119

さて、展望はそこそこに展示内容。
撮影が禁止なので・・そこはまぁ、アレですが。

三代目大阪城の再建前から、天守台はすでに
観光名所ようで、パンフが展示されていました。
ただ、当時城域のほとんどは軍用地だったために、
大手門から通じる通路と本丸のみが一般公開。

再建の経緯は・・歴史的な何かではなく、
昭和天皇即位記念だったんですね。知らなかった・・・
一応(?)秀吉の顕彰と大阪繁栄のシンボルとしても
位置づけられていたようですが。

今でも城の修復に募金を募ることは多いですが、
この時にも大阪市民の浄財・150万円にて再建。

ただし、天守建造は約47万円で、寄付金の半分以上は
第四師団司令部庁舎建設費に回ったらしく・・いいのか?
今だったら、確実に糾弾されるだろうな・・・
また、復興当初は入城料大人20銭。

外観を設計するに当たって、昭和初年当初の研究結果を
反映し、制約はありつつも、豊臣時代の天守の
特徴の再現を目指したんですよね。

でも・・なんであの瓦の色なのか。
なぜ白壁なのか・・に至った経緯は謎のまま。
全然ちゃうでしょ・・むむぅ。

ということと、今のように本格木造ではなく、
鉄筋コンクリートを志向した理由として・・・

 そこには、すぐれた材料を常に求め続けてきた
 日本建築の歴史の中にこの建造物を位置付け、
 現代科学への信頼に基づいた「完全なる強度」を
 現実化しようとする強い意志があった。

という説明のくだり。なんだか・・無邪気とさえ
思えるコンクリ建築への信頼。伝統的な日本建築のよさを
活かすという発想は、まだ乏しかったのだなぁ、と再認識。

カラーリングはともかく、形はかなり豊臣らしいのは
確かな三代目大阪城、その立面図を見てもよく分かります。

いくつか立面図があって、いまよりちょっとスリムなカタチもあり、
また、破風の角度も勾配の緩急にいくつか案がありました。
当時から、破風の勾配は激論があったそう。
個人的に今のよりか、もう少し勾配がゆるいほうがいいかなぁ。

破風だけじゃなく、懸魚単独の設計書もあるし、
かなり詳細に検討された印象。

鯱も桃山風にこだわったそう。桃山風にこだわるため、
復元設計の中心人物だった古川重春氏は
わざわざ大阪市嘱託を辞す気骨のある人物。

下野し、民間人の立場から自らの復元案に
改めさせる運動を展開したそうです。

今から見ると、ツッコミどころが多いのだけど、
できるまでの経緯には、ドラマがあるんだなぁ・・・

そして・・戦後。戦災後の写真を見ると、
あちこちの石垣が崩れ、よく天守直撃受けなかったな、と。
1952(昭和27)年のパンフレットを見ると、
空襲のあとの台風で更に痛んだ櫓群… 痛々しい。

三代目天守建造後、今の天守台が徳川時代に築かれ直されたこと、
豊臣天守とは位置が違い、地下に豊臣時代の石垣が埋まっている…
というのが分かってきたそう。今だったら、復元するにも
ちょっと違ってデザインになるだろうな。

現在でも復元案はいくつかあり、比較的以前から下見板の壁を
イメージした案もあるんですね。
1984(昭和59)年の大林組の広報誌には、
豊臣天守を木造で建てると約40億と見積りとのこと。

江戸城寛永度天守の見積もりと比べると、
案外安いなぁ・・と思ってしまうのは、わたしだけ?

で、最終コーナーには三浦先生の復元案など
複数の専門家による豊臣大坂城の復元案と1/50の模型!
コレは見たことなかった・・・うわわとテンションアゲアゲ(笑)

基本的に下見板なんですが、瓦が銅葺きだったり、
また天守台に沿ってではなく、少し内側に天守が建っている
案もあったりして、けっこうバリエーションがあるんだ・・と。
安土城ほどではないにしろ、やっぱり幻の城なんだよね。

コレが地下に埋まっている豊臣時代の石垣遺構。
やはり徳川時代の切り込み接ぎのような、
バチッと石と石の目が合っているわけではない・・が、
こういうほうが好みだったりするんですけどね。

P1060127

・・・もっと、豊臣天守にまつわるものがあれば
何か買おうかなと思ったけど、やはり何もないんだよね。
一般の人は興味ないのかなぁ・・絶対黒い天守のほうが
カッコいいのに!もう!

てことで、早めに大阪を出て京都に戻り、
いよいよ、二条城主になってきますよ・・わくわく。

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