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夏の西日本・城と酒に溺れる旅 … 竹原(5)

発酵をさせるために溜めておく木桶。
やはり、現役の桶ということを考えると、
非常に珍しいんでしょうね。

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18石(約3,200ℓ)の木桶。
最近まで、使われずに酛場で保管されていて、
酛場を広げた際に、どうしようか?
と改めてみてみると、なかなか程度がよくて、
桶屋さんに見てもらっても、再生できますよ!
とのことで、使い始めたのだとか。

桶屋さん・・とは、大阪・堺の桶職人の方。
職人醤油・高橋さんのお話にも出てきた、
あの桶屋さんなのです。こうつながるとはね・・

2年ほどこの木桶を使われているそうですが、
木酛酒しか仕込まず、まだ未発売。
最初の年のものが、10月に発売されるのだとか!

では、金属タンクと木桶で比べたら、
確実に木桶で仕込んだら美味くなるか・・というと、
それは断定はできないと。ただ、何かが違う・・・

でも、そんな手探りの状態の木桶仕込を
なぜやろうととするのか・・・

それは、桶屋さんとのお付き合いの中で分かった
日本の桶文化のすばらしさとの出会いだった、
と石川さんは語ります。

縦目にも横目にもカーブした木材を絶妙に
組み合わせて水漏れをしない桶を組み立てることが
如何に難しいか・・これは、ウイスキーの樽職人の
技術力の高さがこうした日本の樽・桶文化の下地のうえに、
成り立ってるからだろうな、と個人的には想うわけですが。

こうした高度な技術に支えられた木桶造りは、
酒造りの関係は、昔は切っても切れない関係であったのに、
今や木桶の桶で仕込む蔵はほとんどなく・・

酒造りとは、杜氏だけでできるものではなく、
それを支える多くの職人との共同作業だったはず。
そういう存在が見えにくくなっている現在、
自分たちだけでつくっているような錯覚に陥っていた・・

樽屋さんとお話される中で、自分たちだけじゃないだ、
こういう方との共同作業こそ昔の酒造りなんだと思い至り、
また木桶を用いることでそういう方々の存在を感じながら、
酒造りをできるようになったことは良かったことだ、
とおっしゃいます。

これくらいのサイズの桶を手がけられるのは、
もう日本に1軒くらいとのこと、そしていつも仕事があるか
というとそんなことはないわけです。

じゃぁ、こういった日本の桶文化を絶やしたくないな、
と思った自分に何ができるか。

・桶職人の存在を意識し、
・桶職人の仕事になるような道具を使い、
・木桶のすばらしさを伝える

という3つを挙げられました。
もちろん、この日の講演もその一環であるわけで、
ま、わたしもこうしてblogに書き記すことで
微力ながら、お役に立てればな・・と。

この桶屋さんは大阪・堺にありますが、
かつては、堺には桶職人が多数いたそうなんですね。
それは・・刃物の町・堺ならではのこと。

あの縦にも横にもカーブした桶をつくる際に
いろいろな特殊な「鉋(かんな)」が必要で、
刃物の町だからこそ、そういった鉋の供給ができた、
というわけなんですね。

木桶をとっても、吉野杉を守る人、
刃物をつくる人などに支えられ、そしてその木桶が
酒造りを支え・・・と昔は職人同士のつながりがあって、
いろんな業界が成り立っていたんですね。

木桶は、酒造りにむけて誂えた後、
醤油・味噌の醸造に下取りされたりして、
リサイクルもされていたようです。

また、吉野杉も桶材・樽材専用の材木だったそうで、
節がひとつない桶材に適した材になるような、
メンテナンスを絶やさず、まっすぐに育つように・・・

ここで、桶の中を見学!何も仕込まれてないので、
空っぽではありますが・・・

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中は、柿渋が塗られたいい色をしておりますねぇ!
先ほどの艶やか・・・な濃茶が美しいです。

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今は使われてないで、隙間が少し見えてしまうのですが、
定期的に湯を張って、木を膨らませておくのだとか。
使わないときにもメンテが必要なんですね。

もう古い桶の再生なので、木材自体はかなり古いわけですが、
それでも漏ったりすることは、いまのところないそう。

不思議なことに、木で熟成させると木の香りは
つくものですが、木で仕込んでも木の香りはしないみたい。

さて・・最後はちょうど酛場の真下にある、
酒の熟成倉庫。壁や天井にはすべて柿渋が塗られています。

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貯蔵庫をつくったのは、先代社長・竹鶴友三氏。
1932年に建てられたもので、当時としては画期的、
かつ巨額な投資が必要だった冷却装置を装備。

当時は木桶しかなく、また木桶で寝かせるにも、
殺菌が難しかった時代には、酒が腐るのを防ぐため、
防腐剤であるサリチル酸を添加することが、
認められていたんだそうです。

粘膜を痛めてしまうこともあり、友三社長は
サリチル酸を入れない酒造りをしよう、と考え、
腐るのを防ぐための冷却装置を導入したんですね。

法律では認められていたのに(1969年に禁止)、
飲む人のことを考え、巨額の投資まで貯蔵庫を作った
竹鶴友三社長は竹鶴中興の祖として、
誇らしい人物であるようですね。

今、貯蔵されてる酒は基本的に火入れした酒。
沸かした湯の中に通し、70度弱まで熱して加熱殺菌。
原理的には、牛乳の低温加熱殺菌と同じ。

公にはパスツールの発見ということになっていますが、
日本酒の火入れはそれ以前からあって、
化学的な原理はさておいて、日本人は昔から
この低温殺菌をやってきたんですね。

検査室に掲げてあった表札。
酒モアイ・・酒も愛(笑)

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さて・・ここでようやく利き酒に入るため、
元の場所に戻ります。ちょうど出てきたら、おみこしが
通り過ぎていくところでした・・・タッチの差。

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